湊川橋 (鹿児島県指宿市西方) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2020年4月6日、先日の鹿児島出張二回目の休みに訪ねたメインターゲット二か所のうち最初のほうをご紹介。この日最初に訪ねた物件でもある。

 

 

 

JR指宿枕崎線の宮ヶ浜駅から国道226号を南下すること300mちょい。

 

この分岐を右へ入る。

おおっ、もう見えている。この瞬間の高揚はいつになっても変わらんな~。

 

 

 

 

 

 

接近して正対。

場所コチラ。2.0t制限標識を従えたこの橋、

 

 

 

 

 

 

 

お名前は

湊川橋。書かれている通り、指宿市の指定文化財であるようだ。

 

 

 

 

 

 

道路の反対側には、ちょっと味ある解説板が設置されていた。

湊川橋(市指定文化財) 西方 宮ヶ浜

橋の長さ 19.28m 橋の幅 3.68m

この橋は、第27代島津斉興の時、家老調所笑左衛門広郷は、地方の交通の便をはかり、産業を発展させるため、肥後(熊本県)の石工、岩永三五郎を呼び寄せて橋をかけさせたといわれている。

岩永三五郎は薩摩の治水工事に大変つくした人で鹿児島市の五大石橋(西田橋、高麗橋、武之橋、新上橋、玉江橋)も●●●●といわれる。

 

 

出張一回目の休みで訪ねた鹿児島市の石橋記念公園で、岩永三五郎と彼の手がけた甲突川の五大石橋について勉強したばかりだったので、これは嬉しい驚きだった。ここでも逢えるなんて!

 

 

 

 

 

右の親柱。

 

お名前だが、あれ?なんか…?

 

解説では明記されていないが、指宿市の橋梁長寿命化点検の資料によれば、この橋の架橋は1844(天保15)年。石橋文化の九州においては驚くことではないのかもしれないが、江戸時代の橋が普通に現役で使われているなんて、関西じゃ考えられない。

 

でも、それにしちゃあ、全体的に新しくない?

 

 

 

 

 

で、左の親柱を見て納得。

「平成十四年十一月修復」と。

 

な~るほど、道理で。修復といっても味気ない金属欄干を使ったりせず、ちゃんと雰囲気に配慮して修景してくれているのでありがたい。でも…申し訳ないけど平成の親柱はちょっと萎える(笑)。元の親柱を活かしてほしかったところだが、損壊してしまったんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

で、ようやくのサイドアングルなんだが、

うーん、これが精一杯。ちゃんと見えない~。

 

もちろん川に降りたりできる服装でもないが、それ以前にここは降りるのは困難そうだったので、ある意味あきらめがついたかな(笑)。

記事を書くにあたり調べたところ、アーチ部(詳細な場所は不明)に「天保十五年」の銘が刻まれているらしいが、自分の撮った写真では確認できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

それでもとりあえず、

この壁石の積み方とトーンに萌え~(笑)。

 

どこの石を使っているのか、赤っぽい石材が良いアクセントになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、湊川上流方向。

 

 

 

そしてこちら、下流方向。

そうか、下流側の国道の橋からなら全体が見えるな。後で行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

渡って南側から正対。

左の親柱には「湊川」、右には「湊川橋」。

 

ほんと、いい感じに修復してくれたと思う。高欄(親柱+欄干)って実に大事で、橋の魅力を高めることもぶち壊しにすることもできるので、この落ち着いた新しい高欄は素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

 

これまた非常に厳しい、

下流側からのサイド気味アングル。スーツじゃこれ以上は無~理~。

 

 

 

 

 

 

 

対して上流側。こちらも民家のキワから無理くりなのだが

ここで石積みの堅牢そうな橋台が確認できたのでズ~ム。カッコいいなあ…。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、国道からのサイドアングル。

一定の満足感は得たものの、やっぱこういう橋は下から拝んでナンボだなあ…と。

 

それでも、そうそう来れることもない薩摩の石橋、その雰囲気を堪能した。

 

 

 

以上。