高橋みさ子のブログ

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趣味のウォーキングを通して出逢った町や自然を
写真とともに楽しくご紹介しています。宜しくお願いします。

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和洋菓子店 福井堂(岡山県備前市)

 

明治4年(1871年)岡山県備前市西片上で創業した和洋菓子店 福井堂は、経営拡大による財務状況悪化のため2026年8月31日をもって155年の歴史に幕を閉じることとなりました。

 

2026年8月17日〜31日、29%offの閉店感謝セールが実施されています。

 

29は福(ふく)をもじった数字のようですね。

 

筆者もときどき人気商品の「わっふる」などを買い求めていましたが、 長年にわたり地域に愛され親しまれてきた名店が無くなるのは何とも寂しい限りです。

 

焼き菓子など日持ち商品は今後もネット販売されるとのことですので、福井堂が完全に無くなる訳ではありませんが、店舗営業は終了し「わっふる 」やケーキなどの生菓子は今月一杯で食べ納めとなりますね。

 

長い間有り難うございました。

ネット販売のご盛況をお祈り申し上げます。

 

(写真)福井堂本店 岡山県備前市西片上1293  2026年8月23日撮影

カジュアル生け花 ドクダミ・オルレア(ホワイトレースフラワー)

 

ドクダミとオルレア(ホワイトレースフラワー)をカジュアルに生けてみました。

 

ドクダミもオルレアも純白の花弁が清々しく、梅雨の不快さを吹き飛ばしてくれそうですね。

 

花器に見立てた備前焼の器は取手のついた大きなマグカップで、底が深く、口がラッパ状に広がっているため花材を留めるのが難しく、そこでフワラーアレンジメントでお馴染みのオアシスを使いました。

 

割り箸を切って器の内側に渡したり、ワイヤーを丸めて中に入れたりと色々試してみましたがどれも上手く留まらず、結局オアシスに落ち着きました。

 

カジュアル生け花 ドクダミ・オルレア(ホワイトレースフラワー)・ニゲラの実

 

さらに、ニゲラの実を加えてもう一瓶生けてみました。

 

何か "長いもの" を生けたくなるのが、生け花の性(さが)とでも言いましょうか。

 

生け花は、空間への働きかけを常に意識しながら花材の構成を考えますので、枝なり花なり何かしら長いもの、丈のあるものがあるとそれらが空間に作用して生け花らしくなりますね。

 

(写真)ドクダミ・オルレア・ニゲラの実 備前焼マグカップ 2026年6月6日撮影

スギナの溢泌液 2026年6月1日早朝撮影(岡山県備前市)

 

6月の早朝にウォーキングをしていると、朝陽にキラキラと輝くスギナが目にとまりました。

 

小さな水滴がいくつも葉っぱに付いています。

 

この水滴、てっきり朝露だと思っていたのですが実は朝露ではなく、溢泌(いっぴつ)液なのだとか。

 

朝露は空気中の水蒸気が凝結して葉っぱに付着したものですが、溢泌液は植物が根っこから吸い上げた水分で余ったものを夜間や早朝に葉っぱの「水孔」と呼ばれる小さな穴から排出する「溢泌現象」によるものなのだそうです。

 

要は、大気由来の水滴ではなく、土壌由来の水滴という事ですね。

 

植物にこのような水分調整機能があるとは知りませんでした。

 

(写真)スギナの溢泌液 岡山県備前市伊部 2026年6月1日撮影

スイバ・ヒメジョオン ・クサヨシ 備前焼水盤 2026年5月27日撮影

 

道端の雑草で盛花を生けてみました。

 

「”雑草”という草はない」と言ったのはかの牧野富太郎博士だそうですが、博士のその心の内は理解できなくもありませんが、そうは言っても雑草は所構わずしぶとく生える迷惑者であるのもまた事実。

 

そんな雑草を生け花にできないものかと思い立ち、備前焼水盤に試しに生けてみました。

 

”野の花” と言えば少しはお洒落に聞こえますが、旺盛な繁殖力を持つこれらの草花は、自由闊達でなかなかお行儀よく収まってくれず、そんな野趣溢れる様が魅力でもあります。

 

最後に、ヒメジョオンを1本にしたバージョンです。

 

 

岡山の鼻塚跡記念碑(岡山県備前市香登本1278) 2026年4月撮影

 

昔むかし戦国時代も終わりの頃、現在の岡山県備前市香登(かがと)に六介なる男が暮らしていました。

 

秀吉の朝鮮出兵に従軍した六介は、主君の命に従い、戦で落命した現地の人々の鼻を首級代わりに持ち帰りました。

 

岡山の鼻塚

 

しかし、いくら主君の命とは言え忍び難く思った六介は、鼻を郷里の香登の地に葬り深く霊を弔ったと言うことです。

 

六介亡き後も鼻塚は香登の人々によって手厚く祀られ「千人鼻塚」と言い伝えられて現在に至ります。

 

鼻塚跡碑裏面  解説文

 

鼻塚跡碑裏面の解説文です。少し長いですが読んでみることにしましょう。

 

 この地に祀られていた塚は、文禄元年(1592)に豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵の際、首級の代わりに持ち帰った鼻を葬ったもので、鼻塚と言われています。

 当時、宇喜多秀家の家老 長船紀伊守の旗持ちとして従軍した香登西の六介は、命によって持ち帰った鼻ではあるが、祖国に殉じた人達に深く思いをはせ、塚(祠)を造って冥福を祈ったということです。なお、六介は従軍中現地の人から良膏の仕法を教わって日本に広め、その元祖になっています。香登村では、その後「千人鼻塚」と言い伝えられ、地元で手厚く祀ってきましたが、祠が荒廃したため昭和五十七年四月に有志六百三十余名の協力を得て再建されました。

 その後、このことが韓国に伝わり、殉国者を韓国で慰霊したいとの要請があって、平成四年(1992)十一月これを執行し、翌年十一月に全羅北道扶安郡上西面の地に慰霊碑が建設されました。

 このたび、両国有志の要望もあって、このことを永く後世に伝え、同時に国際親善を祈念し、記念碑を建立しました。

  平成八年四月吉日

           鼻塚跡記念碑建設委員会

 

 

 

行き方のご案内です。

 

地図のはめ込みが上手くできませんので、ストリートビューを表示させて頂きます。

 

 

上のストリートビューで表示されているのと同じ場所です。

 

西国街道から左に分岐する短い坂道(赤い矢印)を上ります。

 

 

坂を上り切った一番奥に鼻塚があります。

 

西国街道からすぐに辿り着けます。

 

岡山の鼻塚 祠と鼻塚跡碑

 

最後に、京都の耳塚はよく知られていますが、岡山にも鼻塚があり戦の世の無情を感じずにはいられません。

 

無情の世に生きながらも、戦で殺めた人々の冥福を忘れ得なかった六介に、後世の人々は深く心を寄せ400年にも渡って手厚く弔って来たのでしょう。

 

(写真)岡山の鼻塚 岡山県備前市香登本1278 2026年4月26日撮影