【前篇】より続く。
車で4分かけて、隧道を抜けた。
総石造隧道で、待避スペースってことでもないのだろうが巻厚が変化している区間があった。と思えば、一部は改修されてコンクリートで巻き増しされている区間もあった。そこを中心に低能による落書きがやっぱりあったのは残念ではあったが。
何枚かの写真で洞内の様子をご覧あれ。
つうわけで、西側に抜けて、正対。
東側と全く同じデザイン。素晴らしい。非の打ちどころナシ。
扁額はこちらも「美賀世伊」で、
字体こそ違うものの、やはり時任為基縣知事による揮毫だった。
さぞかし書に覚えのある人物だったんだろうな。達筆を披露できるこういう場があって嬉しかったのかも(笑)。
個人的に一番お気に入りの写真がこれ。
重厚ではあるが、同じ総石造隧道でも初代・長野隧道のような威圧感は感じない。どちらかというと、古の職人たちがカッチリと作り上げた逸品、って感じ。
長野隧道は人知を超えた存在が組み上げたような畏怖の念を抱かせるもんなあ…(個人の感想です)。
ピラスターにも。そして、
洞内天井にも。
あちこちに氷柱が。
氷柱が印象的だった隧道はこれまでに何本かあったが、ここはなぜか印象になかったなあ…。一番はやはり鳥越隧道かなあ。
お約束の、鉄板の構図。
うーむ。東側でも感じたが、なぜかいまいち映えない感。たいていは絵になるこの構図なのだが、隧道前がスカーンと広すぎるからか?いや、単に撮り手がショボイだけか…。
車はここに停めていたが、
ふと思い立った。こういう歴史的隧道では、やっぱやっとかんとね。
つうわけで、
ノートさん in 伊世賀美。
思い残すことなし(笑)。
隧道西口にある分岐には、こんな立派な案内が立てられていた。
恥ずかしながら「中馬(ちゅうま)」の意味がわからなかったので調べてみたら、「江戸時代の信濃国、甲斐国で発達した陸上運輸手段」だそう(ウィキ先生参照)。で、このおおむね国道153号が踏襲するこの道は「中馬街道」と呼ばれていたようだ。
要するに伊勢神峠は人や荷物の往来の難所であったということで、この初代隧道と、現道の昭和トンネルに言及されていた。
この国道153号伊勢神峠区間、昭和35年建造の現トンネルが断面不足で今では時代遅れのボトルネックとなってしまっていること、峠前後の急勾配・急曲線区間の存在から、実は路線改良工事が始まって久しい。わたくしの訪問の翌年、2013年から始まった工事、工期はおよそ10年ということで、今頃はまさにたけなわなんだろう。
名古屋国道事務所HPのこのページがわかりやすいのと、同ページ下部にある「明治150年パネル」というpdf資料が素晴らしい。ぜひご覧ください。
新トンネルが完成した暁には、ここも三世代隧道の峠となるわけだね。
ついでに、記事にはしてないけど「あの」郡界橋も三世代揃うわけか。もしかして初代は撤去されたりするんだろうか。心配になってきた。これも早めに記事にしたほうがいいのかな。
うーん、それにしても改めて。
この日、そんなに寒かったかなあ(笑)。
以上。














