伊勢国の神宮めぐり⑥ ~磐座と近畿五芒星~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

内宮境内の
子安(こやす)神社から

神宮司庁(じんぐうしちょう)を
ぬけた森のなかに

内宮の磐座(ないくうのいわくら)
があります。

 

 

神宮の北の丘に

ひっそりと鎮座しています。

 


 

この磐座は

内宮正殿のちょうど

真北にあたるといい、

 

荒祭宮(あらまつりのみや)

おなじく

 

内宮を参拝すると

磐座まで遥拝していることになる

ともいうようです。

 



ひとつの大磐ではなく
いくつかの磐が組み合わさって

できているようで、

全体としては
10メートルほどの長さに
なるようです。



長径は、正確に
東西にのびているといいます。

このラインをたどると、


東は

伊勢の奥の院がある
朝熊山(あさまやま)の
山頂にゆきあたり

西は

摂社・第4位の
鴨(かも)神社に
ゆきあたるといいます。



子安神社の祭神は
木花開耶姫(このはなさくやひめ)

ですが、

この方が眠ったのは
アサマ峰ともいわれる
富士山(ふじさん)だといいます。

ですから、富士山頂には

木花開耶姫を祀る
浅間(あさま・せんげん)神社が

ありますが、

ホツマツタヱによれば
内宮に祀られる
天照大神(あまてらすおおみかみ)
富士山で生まれたといいます。

朝熊(あさま)の由来は
朝熊山をひらいた

空海(くうかい)による
といいますから、

天照大神と富士山を
結びつけているのかもしれませんね。

 

空海は日本の神々の

よき理解者でもあったようです。



また、
鴨神社といえば

 

京都の
上賀茂(かみがも)神社
ありますが、

祀られている
加茂別雷神(かもわけいかづち)は
 

天照大神の孫である
瓊瓊杵尊(ににきね)だといわれていて

木花開耶姫と

夫婦になられる方です。

灌漑(かんがい)にとりくんで

農地改革をおこない

 

日本各地の収穫高をあげて

民を豊かにしたといわれます。

 

内宮の摂社・鴨神社で

祀られるのは


石己呂和居命(いしころわけ)という

農耕灌漑の神だそうです。

 

磐座の「いし」に

別雷の「わけ」ときて

農耕・灌漑とくれば、

 

ニニキネさまのこと

かもしれませんね。

 

さらに、

鴨神社の南には

大日山(おおひやま)が

あるのですが、

 

これもまた

富士山の別名ですね。

 

 

内宮の磐座は

天孫の夫婦神に

守られているのかもしれません。

 

また磐座の西にある
反り立った部分は

6メートルほど
あるといいますが、

これは、陽石であり
男性をあらわすといいます。

ホツマツタヱによると

伊勢内宮の地は、


男神・天照大神の

死地といわれますから

天照大神をあらわしている

のかもしれませんね。

もしかすると、ここが

天照大神の殯殮地(かりもがりのち)
だったのかもしれません。

 



式年遷宮は、
遷御の8年前から

はじまるといいますが、

いちばんはじめの
山口祭(やまぐちさい)は

この磐座のとなりで
おこなわれるといいます。

そしてそれから、
内宮正殿に埋められる
心御柱(しんのみはしら)
伐りだしにいくのだそうです。

 

以前はここに、

岩の社まであったといいます。



陽石は

東西からおよそ20度ほど

北に傾いているといいます。

もしかすると、

天照大神の正后

瀬織津姫(せおりつひめ)の眠る

六甲山(ろっこうさん)
六甲比命(ろっこうひめ)神社

 

瀬織津姫とワカヒメが暮らした

廣田(ひろた)神社
向いているのかもしれませんね。

ホツマツタヱでは

男女・夫婦の道を
妹背(いもせ)の道といい

これが
伊勢(いせ)の語源にも
なったといいますから、

 

ここにもそうした

結びつきがあるとしたら

おもしろいですね爆  笑

さらに、
東西ラインを伸ばしていくと

淡路島(あわじしま)の
伊弉諾(いざなぎ)神宮
ゆきあたるようです。



伊弉諾神宮は
天照大神の父である
イサナギの死地であるといわれ

奥宮ともいわれる
岩上(いわかみ)神社には

おなじような
陽石が立っていました。


(岩上神社の磐座)
 

ここで、
近畿五芒星(きんきごぼうせい)

みてみますと

 


南の
熊野本宮(くまのほんぐう)大社は、

天照大神の母である
イサナミゆかりの地であり

天照大神の弟・
ソサノヲが産まれた地

でもあります。

熊野本宮大社の北にある
玉置(たまき)神社

熊野の奥の院とされ
巨岩に満ちているほか

地球に大量絶滅をもたらした
熊野カルデラの跡地

ともされていました。

 


(玉置神社の溶岩)

さらに、伊勢神宮から
夏至の日の出ラインをたどると

元伊勢(もといせ)・
皇大(こうたい)神社
ゆきあたります。

この奥宮である
天岩戸(あめのいわと)神社にも
巨大磐座がありました。

 


(天岩戸神社の御座石)

またここには、元伊勢・
豊受大(とようけだい)神社もあり、

伊勢の外宮に祀られる
豊受大神(とようけおおかみ)は
ここから勧請されたともいうようです。

ホツマツタヱによれば、
豊受大神は
『マナヰ』に眠るといいます

ここもそんな、
『マナヰ』の候補地

といわれますから

豊受大神ゆかりの地
なのでしょう。

そして、
伊勢神宮の夏至ラインと
対になる

伊弉諾神宮の冬至ラインは
伊吹山(いぶきやま)
ゆきあたるといいます。

(伊吹山からの眺望)

イサナギ・イサナミが暮らした
多賀(たが)大社もちかいのですが、

 

そもそも、琵琶湖周辺は
原初神の8人の子のうち
「ト」の一族が暮らしていたといい
ホツマツタヱの聖地でもあります。

淡路島と琵琶湖は
鏡にうつしたように似ていて
陰陽をあらわすといいますが、

 

統合や調和をねがう

「ト」の一族にはうってつけ

だったのかもしれません。



「神の息吹」という
ことばがあるように、

ホツマツタヱには
『初の一息(ういのひといき)』
ということばがあり、

これは、
原初神の息吹によって
万物が生まれたことを
意味するようです。

伊吹山は

本州のほぼ中央にあり

東西の分かれ目だといいますから

原初神にかかわる山
なのかもしれません。

 

ふもとには、原初神を祀る

山津照(やまつてる)神社もあります。

 

ここは古代の豪族

息長(おきなが)氏の
本拠地でもあったといいますが、

 

息長もやはり、

息吹とのつながりがあるようです。

さらに、伊吹山には
磐座群までひろがっていました。

(伊吹山の磐座群)

こうしてみると、
近畿五芒星の頂点は
 

神々と磐座で結ばれている

ような気がしてきます。

 



伊勢神宮は
天照大神の死地にして
子・オシホミミの生地、

伊弉諾神宮
イサナギの死地にして
子・ヒヨルコの生地

熊野本宮大社は
イサナミの死地にして
子・ソサノヲの生地

元伊勢は
豊受大神の死地にして
孫・天照大神の眠る地

伊吹山は
原初神ゆかりの地であり

これらの聖地が、
磐座で結ばれている

のかもしれません。

 

 

だとしたら、

とてもおもしろいですよねキラキラ爆  笑キラキラ

まあ、

それはそれとして、

内宮の磐座だけみても、

とても素敵なものです。

 

 

案内板などもないので

わかりにくいとは思いますが


しいていえば、こちらの

石蓋が目印でしょうか。

側溝を渡す平岩をこえて

はいっていくと

すぐにわかると思います。

 

また、

 

道路をはさんで

西の丘にも磐がありました。

 

 

磐座をめぐるお伊勢さんも

楽しいですね。

 

 

 

追記:

 

一の鳥居のあたりには

内宮の磐座を遥拝する

社があったといいます。

 

どうやら、

宇治橋をこえた神苑から

御手洗の五十鈴川まで参道は

内宮の磐座を遥拝するためのもの

だったようです。

 

 

瀧祭神(たきまつりのかみ)が

どうして重要とされるのか、

 

どうして祭神まで

願いを取り次いでくれるのか

 

これですこし

わかる気がします。

 

伊勢国の神宮めぐり⑦ へ つづく

 

 

 

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伊勢国の神宮めぐり① ~宇治橋~
伊勢国の神宮めぐり② ~五十鈴川~
伊勢国の神宮めぐり③ ~天照大神~
伊勢国の神宮めぐり④ ~内宮と荒祭宮~
伊勢国の神宮めぐり⑤ ~所管社~
伊勢国の神宮めぐり⑥ ~磐座と近畿五芒星~
伊勢国の神宮めぐり⑦ ~宇治神社と足神さん~
伊勢国の神宮めぐり⑧ ~鳥居前町の社~
伊勢国の神宮めぐり⑨ ~猿田彦神社~
伊勢国の神宮めぐり⑩ ~茜社~
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伊勢国の神宮めぐり⑫ ~豊受大神~
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伊勢国の神宮めぐり⑭ ~二見興玉神社~
伊勢国の神宮めぐり⑮ ~伊勢神宮~