夫婦岩(めおといわ)のある
二見興玉(ふたみおきたま)神社です。
五十鈴川(いすずがわ)と
勢田川(せたがわ)にはさまれた
2手にわかれているので
二見浦(ふたみがうら)は
三角州(さんかくす)のように
みえるといいます。
1498年の明応地震によって
五十鈴川の流れが変わり
勢田川と合流したことで
このような地形になったようです。
ですから、いまでは
派川(はせん)とされるほうが
かつての
本流だったといいます。
二見興玉神社はそんな
五十鈴川の河口にあります。
二見浦(ふたみがうら)の
二見(ふたみ)は、
五十鈴川がわかれている
二水(ふたみ)からきている
ともいいます。
また、
天照大神の聖地をさがす
倭姫命(やまとひめ)が
あまりの浜の美しさに
2度ふり返ったからだとか、
天照大神の御霊が
「もう1度あの浜をみたい」と
ヤマトヒメに告げたからだ
ともいうようです。
由緒によれば、
ヤマトヒメの船がついたとき
そばにつかえていた
大若子命(おおわかご)に
浜の名をきいたところ
「
速雨二見之国
(はやさめふたみのくに)
」
とこたえたといいます。
「はやさめ」とは
「にわかあめ」だそうです。
突然の雨が
ものを腐らせることから
腐らせるという意味の
「くたす」が
「くたみ」や「ふたみ」に
かかるといいます。
出雲国風土記にも
「
波夜佐雨久多美乃山
(はやさめくたみのやま)
」
という語が出てくるようです。
二見との関係も
気になるところですが、
これではどのみち
よい意味ではないようですね。
二見興玉神社は、
夫婦岩で知られています。
しめ縄のかけられた
おおきな男岩と
ちいさな女岩のあいだに、
ちょうど
夏至の太陽がのぼる
というのです。
伊勢(いせ)は
きているというように
夫婦岩は、伊勢の象徴
といえるのかもしれません。
しかし、夫婦岩は、
ご神体ではないといいます。
ご神体は、
夫婦岩のからさらに
700メートル北東に沈む
『興玉神石(こしたましんせき)』
だといいます。
興玉神石は、
東西216メートル
南北108メートルという
巨大な平岩だそうです。
南北が東西の
ちょうど倍の長さ
というのも気になります。
かつては、
厳島ともいわれていて
眺めることができたようですが
1750年ごろの地震で
海底に沈んだようです。
航空写真でいうと、
この影でしょうか?
かなりおおきいですね。
大潮のときには
うっすらとその姿が
海中にみえるといいます。
それはどこか、
海に沈んだ石舞台にも
みえるようですね。
興玉(おきたま)とは
海中の神霊という意味の
澳魂(おきたま)に
由来するといいます。
ヤマトヒメが
二見浦についたとき、
興玉神石に
猿田彦神(さるたひこ)があらわれて
道行を守護したといいます。
それによって、
五十鈴川の川上に
創建されたのだそうです。
これはどこか
似ていますね。
猿田彦がすわっていたという
興玉大神(こしたまおおかみ)として
猿田彦を祀るようです。
夫婦岩は、この
興玉神石を祀るための
鳥居だといいます。
夫婦岩のあいだには
興玉神石がみえたようです。
ただし、
女岩のほうは
1918年に台風で
転倒したといいます。
そのときの修復で、
向きが変えられてしまった
というのです。
かつては
縞模様の方向まで
おなじだったといいます。
富士山までみえるといいます。
夏至には富士山頂に
ご来光のような日がかかる
「ダイヤモンド富士」まで
みられるのだそうです。
200キロもはなれた
富士山がみえるだなんて
ちょっと現実ばなれした
光景ですね。驚きです。
ホツマツタヱには、
『
あまてらす
かみのみゆきの
ふたみかた
みしほおあひて
みそきなす
』
とあり、
天照大神はここ
二見浦で潮を浴びて
禊をされていたといいます。
天照大神と、
天照大神が
生まれた富士山と、
天照大神の
ならんでいた
とおもうと
胸が熱くなりますね
いまでも、
二見浦は禊浜ともいわれ
潮水で禊することを
浜参宮(はまさんぐう)
というようです。
伊勢に詣でるときは
二見浦で浜参宮をするのが
習わしだったといいます。
いまでは、ここで
お祓いの御祈祷をうけたり、
興玉神石のちかくでとれた
『無垢塩草(むくしおくさ)』という
海藻を拝受することを
浜参宮ともいうようです。
また、ここには
猿田彦の神使として
カエルの像が
たくさんならんでいます。
これらは、
二見蛙(ふたみかえる)といわれ
「無事に帰ってくる」
「お金が還ってくる」
「見た目が若返る」など
「かえる」にかけた
験担ぎ(げんかつぎ)なのだそうです。
また、この地には
龍神信仰もあるといい
「雨をよろこぶ」
という龍にかけて
おなじく
雨をよろこぶ蛙を
信者たちが奉納した
ともいうようです。
蛙は、痣や腫物を祓う
ともいわれたようですね。
さらには、
石神(みしゃぐじ)信仰も
あったといいます。
二見興玉神社は
音無山(おとなしやま)の
北のふもとにあり、
夫婦岩などの
ふしぎな形の岩は
海に突き出た
音無山が波に削られて
できたようです。
境内にある
天の岩屋(あまのいわや)も
岩窟を祀る社であり
石神(しゃくじん)と
いわれていたようです。
祀られているといいますが、
それはここに以前、
三狐神社が祀られていたから
だといいます。
なんだかとても
意味ありげなお社です。
ところで、
ホツマツタヱには
二見浦について
こんなことも
書かれていました。
『
のちのはたれの
ひととなる
まふつのかかみ
みるために
ふたみのいわと
なつけます
』
天照大神による
反乱軍(ハタレ)の討伐も
ひといきついたころ、
天照大神の正妻である
瀬織津姫(せおりつひめ)は
「マフツの鏡」を
ここに置いたといいます。
マフツの鏡は
「目には見えないものを写す鏡」
といわれ、
動物霊に憑かれたハタレに
この鏡をみせることで
じぶんの姿を
「かえりみ」らせて
正気に戻したといいます。
また、のちの世にも、
ひとびとが惑わされないよう
マフツの鏡を
この浜の岩に置いて
みずからをかえりみる
場(岩)を作ったというのです。
そのことから、ここを
「フタミの岩」とよんだようです。
「まふつ」は「真直」でもあり
心の曲がりを直す
という意味もあるといいます。
また、
「ふつ」は「ふたつ」にも
つうじるといい、
ひと(1)が
ふた(2)たび
かえりみ(3)るという
数字あわせもあるようです。
みずからの、
分身(ふたみ)を写す
ということでもあるのでしょう。
つまり、
マフツの鏡を置いたことから
ここを
フタミ(二見浦)というようになった
というのです。
マフツの鏡がやがて
皇室に受け継がれる
三種の神器のモデルとなり
内宮には
祀られているとおもうと、
これもまた
興味深いですね。
「フタミの岩」が
夫婦岩のことなのか
興玉神石のことなのかは
よくわかりません。
ただ、
興玉神石は別名を
鏡石ともいうようです。
『
よよあらしほの
やもあひに
ひたせとさひぬ
かんかかみ
』
とあるように、
幾度となく
打ち寄せる波に浸しても
錆びない神鏡だった
とありますが、
これはもしかすると
波に磨かれた
興玉神石のことだったのでしょうか?
興玉(おきたま)とは
御霊(たま)をうつす鏡を
度会神道(わたらいしんとう)の
『御鎮座伝記』によると
猿田彦はこんな言葉を
遺しているといいます。
『吾能反魂魄之故号興玉神』
「
われよく
魂魄(こんぱく)を返す
これゆえ
興玉神(おきたまのかみ)と号す
」
魂魄を返すといえば、
ホツマツタヱには
魂返し(たまかえし)という
秘術がでてきます。
これは、
誅されたものたちの魂を
うらみなく天界へおくる
禊祓いのようです。
猿田彦は、この
魂返しの術を
授かっていたといいます。
だとすると、
澳魂(たま)や
二見蛙(かえる)は
猿田彦の
魂返し(たまかえし)を
いっていたのかもしれませんね。
興玉大神とは
魂返しをおこなう猿田彦のこと
なのかもしれません。
内宮の垣内に
『興玉神(おきたまのかみ)』という
磐座がまつられるのは
猿田彦による
禊祓いもあるのでしょう。
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