四天王寺で毎年4月22日に催行される聖霊会。
今年は、初めて拝謁することが叶いました。
先日、四天王寺ツアーをしたばかりですので、聖霊会については事前学習(中田文香先生の本で)をしていましたが、やっぱり一見は百聞にしかずです。


とはいえ、やはり事前情報は大事で。。。別々の曲を同時に演奏していることを知らなければ、混じり合わない演奏を不思議に感じても、そんなものかなと聞き流していたと思います。

百済から渡ってきた演舞と楽箏、大和独自で育った演舞と楽箏。それぞれの音色(個性)がそのままに演奏されて、互いの音が尊重されています。

始まりの演舞は3回舞われ、3回目に大和と百済の演者が同時に鉾を高く掲げることで終わり、聖徳太子様のお目覚めの時となります。

聖徳太子様が願う世界がこの始まりの演舞に込められているのかなと、個人的に感動がありました。





聖徳太子様のお目覚めを促す蘇利古の演舞。
起きてくださいー。と声をかけに行くのは蘇利古さん。ファンも多く、この演舞を観たくて並ばれている方が沢山。
通常4人で踊るようですが、四天王寺では5人で踊る事になっているとか。興味深いですが、また改めて調べたいなと思いました。


さて、聖霊会はこの日は7時まで続くということでしたので、適度に休憩。

22日は、中央伽藍も聖霊院も開放されてますので、駆け足で(もったいない話)、全部散策しました。

聖霊院も奥の扉が空いています。


聖霊院の東側に物部守谷の祠があります。
今回、聖霊会について学ぶことで、この祠の意味合いについて、考えが全く変わりました。
物部守屋の怨念(キツツキ伝説)を抑えているとか、様々な考察も耳にしますし、私自身も因縁としての捉え方でこの祠の存在を受け止めてました。
しかし、聖霊会では、長者というお役目を物部氏族の子孫が今も担っているのです。寺院でありながら、長者はまるで警蹕のような祝詞をあげて聖徳太子様のお目覚めをサポートするのです。
四天王寺建立後、生き残った物部氏族の方々が、四天王寺の管理を担っていた事は知っていたのですが、もっと役割は低いものと思っておりました。
政治的権力こそ失いながらも、四天王寺との深い繋がりが感じられます。

これに対して、ところで蘇我氏は?と思うわけですが、これはまた、改めて調べていきたいと思っています。


休憩もしっかり取れましたので、聖霊会に戻ります。
戻った時にはもう法要のタイミングでした。
今年は、六時堂落成記念で特別なロングバージョン。
法要が終わると、六時堂の裏手にある梅の木を回って散華も配ってくださいました。

帰り道の迦陵頻の皆様。
小1〜中1までのお子さんがお役を担うそうです。

実際は小3くらいまでのお子さんかしらと、お母さんモードで見つめておりました。


法要が終わると、いよいよクライマックスの太平楽です。この太平楽は、抜刀のタイミングで松明に灯りを灯すという重要な流れを組んでいると言うことです。
毎年ご覧になっている方々は、口々に、これでいつもは終わるけどなぁとお話してくださいました。


抜刀で火が灯る、ということには、御霊振りの意味合いがあるのかもしれない、というのは、私の勝手な考察ですが。。
邪気を祓い、場を清め、安心して聖徳太子様が、あぁ、太平の世だ、大丈夫だ。とまた心安らかにお眠りにつけるための演舞と捉えました。


太平楽が終わると、聖徳太子様は再びお休みになり、その後はアンコールアワー(?)で、場の名残を惜しむべく2曲の演舞がありました。
毎年舞われる曲は変わるそうです。
最後の演舞は、渤海使に因むとか。

聖霊会は本当に奥深いです。


四天王寺さんは本当に美しいですね。
素敵な1日をありがとうございました。