伊勢国の神宮めぐり⑩ ~茜社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

外宮が鎮座する
高倉山(たかくらやま)の
北東(鬼門)にある

茜社(あこねやしろ)です。



花菖蒲のうつくしい
勾玉池(まがたまいけ)に
かこまれた神社です。

 

 

外宮の表参道からも

ほど近いのですが、

伊勢神宮の関係社ではなく

 

外宮の鳥居前町である

山田(やまだ・ようだ)の

産土神を祀るとされているようです。
 

また、古い地名である
赤畝(あかうね)が転じて

茜(あこね)になったといいます。


いまでは、

高倉山をふくむ外宮境内を
豊川町(とよかわちょう)といい

 

茜社の境内にも

豊川茜稲荷がありました。

 

 

お稲荷さんには、

 

神道の

宇迦之御魂神(うかのみたま)を祀る

京都の伏見(ふしみ)稲荷系と

 

仏教の

吒枳尼天(だきにてん)をまつる

愛知の豊川(とよかわ)稲荷系が

あるそうですが、

 

ここは

神道の伏見稲荷系であり

豊川という地名によって

豊川茜稲荷というそうです。

 

むしろ、以前は

外宮の祭神からとって

豊受(とようけ)稲荷とも

いっていたようですね。

 

 

おおくの神社では、

鬼門(北東)にお稲荷さんや

土地神さまがいらっしゃいますから

 

外宮の鬼門守護として

ここに祀られているのでしょう。

 


茜社の御祭神は
天牟羅雲命(あめのむらくも)
だといいます。
 

外宮に奉斎した
渡会(わたらい)氏の

祖神だそうです。



ホツマツタヱには


むかしひよみの
おもいかね
こよみつくりて
ここにあり
のちむらくもに
ゆつりおく


とあり、

日夜見(天体観測)をして
暦をつくっていた
思兼神(おもいかね)

 

後任としてきたのが
ムラクモだといいます。

 



日夜見(日読)とは

役職名であり、

 

天体の運行から

時節を知るだけでなく

 

吉凶まで占っていた

といいますから、

陰陽師のようなもの
ともいえるようですね。

 




むらくもあめの
をんともに
あすかにはへる


日夜見となった

ムラクモですが、


天照大神の孫・
櫛玉火明命(ほのあかり)について
飛鳥(あすか)にゆくこととなり

日夜見は、
オモイカネの子である
天手力男神(たぢからお)
ゆずったようです。

しかし、
タヂカラオもまた

天照大神の孫・
瓊瓊杵尊(ににきね)について
ゆくこととなり、



ふたたび
天照大神は、


むらくもめして
みことのり

なんちむらくも
こよみなす
かかみくもれは
たまふなは
あめふたゑなり


ムラクモを日夜見に
再任したようです。

このとき、
「日(ひ・霊)」を読むのに
「雲(くも・)」という名は

縁起が悪いということで

「天二上命(あめふたゑ)」
という名を賜ったといいます。



これは、
「陰陽羽二重(めをはぶたゑ)」

からきているようです。

男女・陰陽・日月にたとえられた
経(たて)糸と緯(よこ)糸で織られた

陰陽羽二重は、


世の障りから守ってくれる

とされていたようです。

おなじように、
曇りなき両眼で日月をみつめ


先読みをして災厄をのぞいてくれという

願いが込められているのでしょう。

羽臣(はねのとみ・左右大臣)

ではないので、

 

「陰陽羽二重」から

「羽」がはぶかれて

「アメフタヱ」となったようです。


もちろんこれには
再任(2重)の意味もあるでしょうし、

2ヱト(兄弟・干支・枝)という
暦の言葉にもかかっています。

 

また、

天を写す(二重)という

日夜見のことでもあるといいます。

もしかすると、
天乞い(雨降り給え)でも
あるのかもしれませんし、

まぶたがうつくしい二重だった
のかもしれませんびっくり




なんにせよこうして、
ムラクモことフタヱは

陰陽師(ヒヨミ)として
伊勢につかえたようです。

この、フタヱの孫が
天日別命(あひわけ)であり

伊勢津彦(いせつひこ)
伊勢からおいだして

初代・伊勢国造になったかた
だといいます。



さらに、その5代孫が
大若子命(おおわかご)であり

倭姫命(やまとひめ)とともに
天照大神の聖地をさがしたかたで

猿田彦(さるたひこ)にであって
内宮の地を授かったといいます。

そこでこの
オオワカゴが渡会臣となり
神宮につかえたようです。

陰陽師フタヱの家系は
伊勢の歴史にふかく

関っているようですね。



50鈴をむかえて
天照大神がなくなられたあと

代理で国を治めていたのは
天児屋根命(あまのこやね)
だったといいます。

このとき、
陰陽師のフタヱは

コヤネから
『魂還し(たまかえし)』の
書を授かったといいます。



魂還しとは、

ハタレ(反乱軍)の討伐のさい
コヤネの父・ココトムスビがあみだした

禊祓いの祭祀であって

この世に未練のある魂魄を
天に還す法だそうです。

これによって
天照大神はハタレから
汚穢を受けても、

 

岩戸にこもることもなく

心が「かすが(春日)」に
いられたといいます。




まつりのあやお
みつそめて

ひとつもちゆき 
ひよみなす
ふたゑにさつけ

みもすその
さこくしろうち
あらためて

あまてるかみの
うちつみや


コヤネは
魂返しの秘伝の写しを
3書つくると、

うちひとつを

陰陽師フタヱに授けたようです。

ほかふたつは、
コヤネの子・

天忍雲根命(おしくもね)
猿田彦だといいます。



そうして、
御裳裾(みもすそ)
サコクシロウチ」を

アマテル神内つ宮」と
あらためたといいます。



さらに、
コヤネは内宮に
『氏侍所(うちはべどころ)』
という官学校をつくり

天照大神がのこした
妹背(いもせ)の道を伝える

大老として

伊勢上翁(いせのかんをち)
といったようです。

もしかすると、これがのちの
林崎文庫(はやしざきぶんこ)

皇學館大學につづいている

のかもしれません。

ですが、この

伊勢の上翁も

 

コヤネは亡くなるまえに

陰陽師のフタヱに

ゆずったといいます。

 

それほど、

信頼と期待を持たれた

大人物だったのでしょう。



この、
コヤネの子孫が

 

『ミカサフミ』を編纂した
大鹿島命(おおかしま)であり、

内宮に奉斎したという
荒木田(あらきだ)氏の

始祖だといいます。



つまり、
陰陽師フタヱの子孫が
渡会氏として外宮に奉斎し

コヤネの子孫が
荒木田氏として内宮に奉斎した
というようですね。



外宮の鎮座する

高倉山の鬼門を

 

外宮に奉斎した

渡会氏の祖神が守っている、

 

そうとおもうと

胸が熱くなりますね。

 

いまでは、

伊勢の関係社でなはい

といいますが

 

かつては、茜社も

外宮の摂社だった

といいます。

 

ですからいまでも、

本殿は式年遷宮の

廃材から作られるそうです。

 

 

池にかこまれているからか

とても気持ちのよい境内でした。

 

 

伊勢国の神宮めぐり⑪ へ つづく

 

 

 

 

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