伊勢国の神宮めぐり⑧ ~鳥居前町の社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

宇治橋(うじばし)の前にある
駐車場のまわりにも、


たくさんの神社や

史跡があります。



林崎文庫(はやしざきぶんこ)は
内宮の旧・図書館だといいます。

神宮所有の文書を
保管していただけでなく

神職の研究や調査にあてられ
講堂や塾舎もあったようです。


古事記の復興につとめた
江戸時代の国学者・
本居宣長(もとおりのりなが)も

『林崎のふみくらの詞』という
書をのこすほど、ここを称え
講演も行っていたといいます。

さらには、林崎学校という
学校までひらかれたようです。

 



おなじく、外宮にも
豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)があり
宮崎学校がひらかれたそうですが、

いまでは、この
ふたつの文庫が合併されて
神宮文庫(じんぐうぶんこ)となり、

神職養成学校である
皇學館大学(こうがくかんだいがく)
となったようです。

皇學館大學は、

 

伊勢神宮を創建した
倭姫命(やまとひめ)の眠る

内宮の別宮・
倭姫宮(やまとひめのみや)
となりにあるというのも
すてきなはからいですねキラキラ



林崎文庫の北東には
内宮の摂社・
大水(おおみず)神社があります。

巨大な楠木が
とても見事な神社です。

 

 

いまでこそ

10メートル四方の垣のうえに

鎮座していますが、

かつては
25000平米の敷地を
もっていたといいますから、

駐車場のあたりはすべて
大水神社だったのかもしれません。

 


御祭神は
大山祗御祖命(おおやまづみのみおや)
だといいます。

オオヤマヅミの祖というと

瀬織津姫(せおりつひめ)の父・
サクラウチでしょう。

ここにはほかに、
内宮末社の
川相(かわあい)神社と

内宮末社の
熊淵(くまぶち)神社も
祀られているといいます。



この2社は、
五十鈴川(いすずがわ)の上流に

祀られていたものを

 

明治時代に

遷したようです。


川相神社は
細川水神(ほそかわみず)を
祀るそうです。

川の神として
ヤマトヒメが定めたといいますが
あまり聞かない神名ですね。


大阪府池田市にある
細川(ほそかわ)神社でも

細川水神が祀られているといいます。


池田市といえば
クレハトリ・アヤハトリという
機織りを伝えた秦(はた)氏
住んだといわれます。

また、
日本古来の機織りは
清流のそばに小屋を建てて
織られていたといいますから

機織りの神さま
なのかもしれません。

 



熊淵神社では
多支大刀自神(たきおおとじ)を
祀るようです。

大水上命(おおみなかみ)の子で、
石清水の守護神だといいます。

大水上命は大山祗神のこと
だそうです。

また、
大刀自(おおとじ)とは
天皇につかえた女性や
天皇につかえた妻の称え名
だといいます。

そして、

多支(たき)は
滝(たき)でもあるのでしょう。

するとやはり、
サクラウチの娘であり
天照大神の正后となった
瀬織津姫(せおりつひめ)の
ことでしょうか。



もしかすると、
細川水姫のほうは

瀬織津姫の妹で
機織りをしているときに
ソサノヲの手にかかったという
ワカサクラ姫ハナコかもしれませんね。

大阪の細川神社では
ソサノヲも祀られていた
といいます。



大水神社の北には
饗土橋姫(あえどはしひめ)神社
あります。
 

宇治橋の守り神として
京都の宇治橋にならって
橋姫を祀ったといいますから、

ここもまた
瀬織津姫かもしれませんラブ



饗土橋姫神社の北には
内宮摂社の
津長(つなが)神社があります。



かつては
五十鈴川の川辺にあり

船着き場だったようです。

 

「津長」は「綱長」でも

あるといいますから

 

港である「津」や

船をもやう「綱」のこと

でしょうか。

 

津長神社の境内も

大水神社とおなじく

とても広かったといいます。

 

しかし、かつては

「津長大水神社」と

いっていたようですから

 

おなじ境内社だった

のかもしれません。

 

伊勢神宮を創建した

ヤマトヒメもここで船を降りた

というようです。

 


御祭神は
栖長比賣(すながひめ)命
だといいます。

 

これも、

津長(つなが)が転じて

栖長(すなが)になったのでは?

ともいわれるようです。


この方もまた、
大水上命(大山祇神)の子
だといいます。



さらに、ここには

内宮末社の
新川(にいかわ)神社と

内宮末社の
石井(いわい)神社も

祀られているようです。

新川神社に祀られる
新川比賣命(にいかわひめ)は

船着き場の守護神であり
大水上命(大山祇神)の子
だといいます。

五十鈴川の川上には
鏡石(かがみいし)という

磐座があるのですが、

 

その磐にかつて
新川社があったといい

 

この社が遷座して

新川神社になったとも

いうようです。



石井神社に祀られる
高水上命(たかみなかみ)も

石清水の守護神であり
大水上命(大山祇神)の子
だといいます。

石井(いわい)神社は、もともと
内宮の磐座(ないくうのいわくら)を祀る
巌社だったようです。

内宮境内の
一の鳥居をすぎたあたりには
遥拝所があったといいますが、

もしかするとここでしょうか?



だとすれば、
宇治橋から神苑をぬけ
御手洗へつづく参道は、

内宮の磐座の
遥拝のためにあった
のかもしれません。

 



こうすると、
滝祭神(たきまつりのかみ)

なぜ重要かということも
わかってきますね。

さて、鳥居前町には

もうひとつ神社があります。


饗土橋姫神社のわきからゆく
合格(ごうかく)神社です。

 



合格(ごうかく)にかけてあるのか
菊の紋のまん中が
五角(ごかく)になっているようです。

 

常夜灯のならぶ

うっそうとした小道を

ぬけてゆきます。

 

 

ここは、

伊勢神宮の関係社でも
神社庁の関係者でもなく

 

地元の有志によって

祀られている社だといいます。

 

 

有志たちの思いが

途切れかけているのか

あえてこうしているのか、

 

それはよくわかりませんが

好奇心にまかせてすすむと

お社がみえてきました。

 

 

ご祭神は、
咢堂翁(がくどうおう)こと、

尾崎行雄(おざきゆきお)という
戦前・戦中・戦後をかけ抜けた
日本の政治家だといいます。



1858年、
神奈川の相模に産まれた
尾崎行雄は

1872年に
三重の宇治山田にうつり
外宮の宮崎学校で学んだといいます。

その後、
ふたたび上京して
慶応義塾大学にはいると

学長であった
福沢諭吉(ふくざわゆきち)に
認められ、

やがて
新潟新聞の主筆となり
ジャーナリストとして

歩みはじめたといいます。



1882年には
最年少で府会議員となり

1890年には
三重県選挙区から出馬して
衆議院議員になったようです。

以後、
政界の麒麟児とたたえられ

63年間、94歳まで務めあげ

 

1954年に

95歳で亡くなったといいます。


『憲政の神様』

『議会政治の父』ともいわれ、

 

明治・大正・昭和と
3代をかけ抜けた唯一の

名誉国会議員であり

東京都名誉都民第1号
だそうです。

 

選挙において

25回連続当選というのは

世界記録だといいますから、

 

選挙区でもあるこの地に

合格神社として祀られたのでしょう。

 


合格神社は、
尾崎行雄をしたう

地元の人々によって

1984年に
創建されたといいます。

ご神体は、
尾崎行雄の著書である
『人生の本舞台は常に将来にあり』
を祀っているそうです。



この方が産まれた
相模もまた、

大山祇神の本拠地だった
といいますから、

これもまた
奇しき縁なのかもしれません。

 

 

伊勢国の神宮めぐり⑨ へ つづく

 

 

 

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