若狭国の水神めぐり② ~若狭姫神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

若狭国二宮の
若狭姫(わかさひめ)神社です。



若狭国一宮である
若狭彦(わかさひこ)神社の
下社だといいます。



ご祭神は、川上の
白石(しらいし)の里に
降りたった神であり

714年に降臨した
若狭彦を
上社・若狭彦神社に

721年に降臨した
若狭姫を
下社・若狭姫神社に
祀ったといいます。

 



由緒によれば
姿は唐人のようで

白雲のなか
白馬にまたがり

眷族を8人連れていた
といいます。

 



眷族のうち
節分(せつぶん)という
剣をもった童子が

若狭彦神社の
禰宜となって
代々奉斎したと
いわれるようです。



若狭姫神社の
随身門(ずじんもん)には


全国で唯一
8人の随身がいるといいますが
 

それはこの

伝説によるようです。

 

 

さて、どなたが

節分なのでしょう?

若狭姫神社は

またの名を
 

遠敷(おにゅう)神社

というそうです。



『遠敷』とは、

若狭姫神社のあたりにだけ

のこっている地名のようです。

けれどもかつては、
若狭国のほぼすべてを
遠敷郡(おにゅうぐん)といい

若狭彦神と若狭姫神を

遠敷明神(おにゅうみょうじん)
といっていたようです。

 


『遠敷』はもともと
『小丹生』だったといいます。

遠敷の山中からは
丹砂という水銀の原料も

見つかったといいますから

生成をおこなっていた
丹生(にう)のひとびとが
ここに住んでいたのかもしれません。

 



若狭姫神社から
若狭彦神社や白石の里と
ながれてゆく

遠敷川(おにゅうがわ)も
小丹生川だったといいますし、

 

丹生と若サ姫といえば

天照大神の姉である

ワカ姫ヒルコを想ってしまいます。

 

しかし、社伝によれば

若狭姫神とは

 

豊玉姫(とよたまひめ)のこと

だといいます。

 



天照大神のひ孫である
山幸彦(やまさちひこ)
妻となられたかたで、

海神(わたつみ)の宮に
暮らしていたことから
龍神ともいわれるようです。



ところが、

古事記・日本書紀では
 

豊玉姫は

九州から出たことがなく


なぜこの地で祀られるのか
よくわからないといいます。

そんなときには
ホツマツタヱですね爆  笑キラキラ

 


近江大津めぐり④~天孫神社とシノ宮~

近江大津めぐり⑤~山幸彦とヤマクイ~

鞍馬・貴船めぐり⑨ ~豊玉姫と玉依姫~
でも書いてきましたが、


あらためて

ざっくりまとめてみますと、



敦賀(つるが)
氣比(けひ)神宮の地にて

兄・海幸彦(うみさちひこ)
弟・山幸彦(やまさちひこ)

釣り針をめぐって
いさかいを起こしていたようです。



山幸彦は
鹿児島までハテツミを訪ね
釣り針を取り戻します。

そこで、ハテツミの娘の
豊玉姫に出会い
ふたりは結ばれたといいます。

 



釣り針とともに
満干玉(みちひのたま)をあずけられた
家臣のオオヤマクイは、

 

ひとり琵琶湖にもどると

海幸彦をたしなめて
 

ようやく兄弟は

和解したようです。

そして山幸彦は

そのまま九州にのこって

豊玉姫と暮らしたといいます。



ところが、
父・瓊瓊杵尊(ににきね)が
日嗣を譲ることとなり

山幸彦は
あわてて上京します。

妊娠していた
豊玉姫はあとから
ゆっくり追いかけるように
といわれ、


わかために
うふやおなして
まちたまえ



わたしのために
こどもの産屋を建てて
待っていてください


といい、ふたりは
わかれたようです。



豊玉姫は
難破などの災難をこえ

敦賀の気比の松原
たどり着いたのですが、

産屋の屋根も
葺きおわるまえに
出産されたことから

御子のなまえを
ウガヤフキアワセズ
つけたといいます。



産後の肥立ちを
よくするため、

生後75日までは
夫は産屋に

入ってはいけないという
決まりがあるそうですが、

山幸彦は
うっかり覗いてしまい

裸で腹ばいになっていた
豊玉姫は

 

『はつかしや(恥かしや)』

となげいたようです。

 



禁忌をおかしたとして
豊玉姫はしかたなく


うふやてて
をにふにいたり


敦賀の産屋をでて、

遠敷にいたったようです。



さらに、


みこいたき
みめみてなてて

はははいま
はちかえるなり
まみゆおり
もかなとすてて


こどもを抱いて
顔や手をなでながら


お母さんはいま
恥をえてしまいました。

あたなとはもう二度と
会うことができないでしょう。


といって子を捨て置くと
安曇川(あどがわ)をのぼり


貴船(きふね)神社
いたったといいます。

 



豊玉姫はながいあいだ
貴船にこもっていたようですが

義父・ニニキネの
説得をうけて

 

鴨川の

河合(かわい)神社にうつり

 

それからようやく
宮中に戻ったといいます。

 


さらにこののち、
山幸彦が日嗣を
ウガヤフキアワセズに譲るとき


すへらをみこは
をにふより
みつほにみゆき
まみゑすむ


とあり、

ウガヤフキアワセズは
遠敷から

山幸彦のいた
ミツホ宮にやってきた
といいますから、

豊玉姫とわかれてから
ウガヤフキアワセズはずっと
遠敷にとどまっていたようです。

 



若狭国の式内社に
宇波西(うわせ)神社があり
ウガヤフキアワセズを祀るといいますが、

もしかするとその地が
ウガヤフキアワセズの住んでいた地
だったのかもしれません。

ただし、
宇波西神社も遷座であり
もとはさらに北西の

常神(つねがみ)半島の
日向(ひるが)にあった
といいます。

気になります!!

 



桂といえば、

貴船神社の豊玉姫や

 

上賀茂(かみがも)神社

ニニキネとも縁の深い木ですね。

 


また

ホツマツタヱには


をにふにまつる
かものかみ


とあり、
ウガヤフキアワセズを
賀茂の神として
遠敷に祀ったといいます。



ですから、
遠敷の地は

豊玉姫が恥いって
山幸彦から逃れた地であり

御子の
ウガヤフキアワセズが
暮らした地のようです。

 

 

境内には、

豊玉姫にちなんだ

方々や木々が祀られていて

とても興味深いですね。

 

本殿の左には

中宮社があり

 

豊玉姫の姪であり

ウガヤフキアワセズの妻となる

 

玉依姫(たまよりひめ)が

祀られていました。

 

 

となりには

日枝神社のオオヤマクイが

祀られているのですが

 

総社の日吉大社では

玉依姫とオオヤマクイは

婚姻関係にあり

 

賀茂別雷を産んだとも

いわれていて、

この並びはとても面白いです。

 

 

それにしても、

千年杉は圧巻です。

 

神域を後押しするように

背後にそびえる

多田ヶ岳(ただがたけ)も

とてもエネルギッシュでした。

 

 

末社・日枝(ひえ)神社

裏手には

 

神宮寺の跡のような

林がひろがっているのですが

 

そこもまた、なにかしら

不思議なものを感じる空間でした。

 

 

とくにこの、

池の跡らしきものが

とても気になりました。

 

 

中央の磐の

組み方や並びも

どこか磐座のようです。

 

 

気にしすぎ

なのかもしれませんが、

 

これもまた

なにかの故があって

ここに残っているのでしょう。

 

 

いずれわかるときが

来るとおもしろいですね!

 

 

さて、つぎは

遠敷川をさかのぼって

 

上社の

若狭彦神社へゆきますキラキラ

 

 

若狭国の水神めぐり③ へ つづく

 

 

 

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☆水神めぐり全記事リスト☆

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