若狭国の水神めぐり⑥ ~瓜割の滝~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

若狭の名勝のひとつ
瓜割の滝(うりわりのたき)
です。



環境省による
名水百選総選挙では、

「おいしさが素晴らしい名水」部門で
第2位に輝いたという

 

瓜割の水の

水源になっています。

 

 

純度の高いミネラル成分が

溶け出しているらしく

 

口あたりがまろやかで

後味もさわやかなのだそうです。

 

たしかに、とてもとても

甘くおいしく感じました。

 

 

こんこんと

水が湧くこの地を

 

ひとびとは古くから

『水の森』といい

大切にしていたといいます。

 

 

また、

水の豊かな若狭は

『水の国』とも

いわれていたようです。

 


 

瓜割の滝は

 

岩のあいだから湧く
岩清水であり、

 

段状の川底が織りなす

いくつもの小さな滝の連なりです。




水量も豊富で
1日に4500トンも

湧出するといいます。

 


年間をとおして
水温が低いことから


冷なる氷のごとく
水中の小石を
十ひろい取るものなし

瓜を冷やし置ば
おのつから破る


といわれ、

 



あまりに冷たくて
川底の小石を
10コ拾うこともできず

瓜を冷やしていたら
かってに割れる、ので

瓜割の水と
呼ぶようになったようです。



ここは、
高野山真言宗である

宝篋山(ほうきょうざん)・
天徳寺(てんとくじ)の
境内だといいます。

 



奈良時代の僧・
泰澄(たいちょう)が

この地の
宝篋ケ嶽(ほうきょうがたけ)の
岩窟に

馬頭観音像(ばとうかんのん)を
安置したのが
はじまりとされるようです。



泰澄は、

富士山・立山にならぶ
日本三霊山のひとつ


白山(はくさん)を
修行の地として開いたという
修験道の僧で、

白山信仰を
ひろめたといいます。

 

幼いころより

霊力が強かったらしく

 

14歳より故郷の

越知山(おちざん)で

修行をはじめると、

 

 

36歳で

白山姫(しらやまひめ)という

女神を感得して

白山を開いたようです。

 

これが

715年だといいますから、

 

古事記・日本書紀など

国史が編纂され

 

法律や貨幣が

整えられ

 

遷都までおこなった

激動の時代です。

 

 

鵜の瀬(うのせ)

神が降臨したのも

714年だといいますから、

 

大和朝廷から離れた

日本海側の

若狭国(わかさのくに)

越国(こしのくに)も

 

変化を強いられ

救いが求められていた

のかもしれませんね。

 

 

こちらが、本尊の

馬頭観音像がある

本堂です。

 

 

泰澄によって

岩窟に祀られていた

馬頭観音像は、
 

200年ののちに
奇瑞を示したらしく
草堂に遷されたといいます。

 



そして、
天徳元年(967年)に

 

第62代・
村上(むらかみ)天皇の
勅願寺になったことから

元号にちなんで
天徳寺とよばれたようです。



しかしながら、泰澄が

この地を訪れたのも

もともとこの地には
水源の水神信仰があったから
ともいうようです。

 

 

本堂のとなりには

岩上神社があり

 

もとはこちらが

地主神だったといいます。

 

 

もしかすると、

水源や岩窟を

祀っていたのかもしれません。

 


 

そしてこちらの

丹塗りの祠こそ

本源かもしれません。

 

ここからは

小浜平野をはさんで

向かいの山の麓にある

 

もうひとつの

岩上神社まで

みえるようです。

 



ところで
瓜割の滝は、


雨乞い祈願の

聖地だったといいます。

 



京都の
貴船(きふね)神社
 

奈良・吉野の

丹生川上(にうかわかみ)神社とも

ならぶ

 

祈雨の地だったようです。

 

これらの神社のある地が

近畿を縦に結ぶ

水のラインでもあるようです。

 



案内によれば
瓜割の水は
駒清水ともいわれ

馬頭観音菩薩の
御徳によって


八大龍王(はちだいりゅうおう)が

授けたとあります。

 

 

水源には

不動明王が祀られ

 

修行の地として

一般者立入禁止のようです。

 

 

竹垣がぐるりとまわりを

囲んでいます。

 

あの鳥居の奥の

磐のあいだから

水が湧いているようです。

 

水源にちかづくためだけに

行者になりたい気分です。

 

 

ところで、

若狭姫(わかさひめ)神社

祀られている


豊玉姫(とよたまひめ)
ホツマツタヱによると


みそろのたつの
みたまゑて
なもあゐそろの
かみとなる


とあります。

 

 

豊玉姫は

亡くなられたあと
貴船神社

葬られたといいますが、

その御霊は
「ミゾロの龍」の力を得て
「アヰゾロの神」になった
ようです。

これが、
豊玉姫が龍神といわれる
所以だそうです。

 



若狭の遠敷(おにゅう)や

貴船神社にゆかりのある

豊玉姫によって


近畿が

水や龍脈によって
繋がっているのかもしれない

とおもうと、

 

とても興味深いですね。



泰澄が
感得したという

白山の
白山姫(しらやまひめ)も

ホツマツタヱにいう
菊理姫(きくりひめ)だと
いいますから、

古の僧のかたがたは
失われた日本の神々を

神仏習合の神として
残してくださっている
のかもしれませんね。



また、泰澄は
養蚕や製紙などの
産業もひろめたといいますから

神々にちかい方、
だったのかもしれません。



ところで、
ホツマツタヱにはもうひとつ
気になるところがありました。

ホツマツタヱ
序文の一節には、


みかさふみ
ほつまつたえと
わりうるり
あわすことくの
こころなり


とあり、

「ミカサフミ」と
「ホツマツタヱ」は

割り瓜を
合わせたような
ものであり、

2つをあわせて

1つになるような

対になるものだといいます。

 



神代文字のひとつ

ヲシテ文字によってかかれた

ヲシテ文献である


「ミカサフミ」と

「ホツマツタヱ」についての

注意書きですね。

 

瓜はすでに

縄文時代から
日本で栽培されていた

といいますから、

 

瓜が例えに使われるのも
とおい時代にまで

さかのぼれるようです。

 



おもしろいのは、この
『わりうるり』の数行前に

書き写しの間違いによる

異文が存在しますよという

注意書きの例として

豊玉姫と龍の記述が

あるところですね。

 

とてもとても気になりますキラキラ爆  笑キラキラ

 

 

 

若狭国の水神めぐり⑦ へ つづく

 

 

 

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