若狭国の水神めぐり⑨ ~常神~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

世久見(せくみ)湾
美浜(みはま)湾
へだてている

常神(つねがみ)半島です。



近畿五芒星という
レイラインのうち

中央線の北端が
常神半島にある

常神(つねかみ)や

御神島(おんがみじま)
だといいます。




御神島は、常神の沖合い

500メートルにある

無人島だそうです。


南北に1キロほど
周囲は3キロほどの

小島ですが、


標高は195メートルも

あるといいます。



島内には、第34代・
舒明(じょめい)天皇
勅命によって祀られた

常神大明神
(つねかみだいみょうじん)の
社があるそうです。



ほかにも、
狒々(ひひ)退治や
埋蔵金の伝説もあるといいます。

いまでは
観光資源にもなっていて
グラスボートで遊覧できたり


民宿の漁船で

御神島の浜まで送ってくれたり

もするようです。

 

海の透明度もたかく

最高の海水浴を

楽しめるといいます。

 

 

とはいえ、

観光開発されたのも

最近のことで、


昭和43年(1968年)に
道路が完成するまで

常神は船でしか行くことができない
陸の孤島だったといいます。

漁民たちの里であり
林業にも向かない山々には

手つかずの自然が

残されていたようです。
 



この、常神の
入り江の奥に
常神社があります。



つねがみじんじゃ
つねかみしゃ
つねのかみやしろ

 

などさまざまな

読み方があるようですが、

 

もとは御神島の
常神大明神を祀っていた
といいます。




しかし、いまでは
神功(じんぐう)皇后

主祭神のようです。

なんでも、ここ

常神の入り江は

 

神功皇后ゆかりの地である

『渟田門(ぬたのみなと)』

だというのです。

 

 

日本書紀によれば、


神功皇后と
夫の第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇

敦賀(つるが)
氣比(けひ)神宮
新婚生活をはじめたといいます。

けれども、

ひと月もするとすぐ

仲哀天皇は和歌山の
徳勒津宮(ところつのみや)に
単身赴任となり

 

そのまま、
九州の熊襲討伐へ

向かったといいます。

 



そこで、仲哀天皇は

神功皇后に伝令をおくり

山口県で落ち合うことに

なったようです。

 

神功皇后は

敦賀を船で出発するとまず、


渟田門(ぬたのみなと)に寄って

食事をしたといいます。



神功皇后が船で

食事をしていると、

ふいに船のまわりには
鯛(たい)が集まってきた

といいます。

そこで、神功皇后が
海に酒を注いだところ


酔っぱらった鯛が

おおく浮かんできたといいます。
 



漁村のひとびとは
これをみて


聖王(ひりじのきみ)から
いただいた魚だ!


と喜んだそうです。

以来、この土地では
6月になると
魚が酔ったように
浮き上がってくるというのです。



つまり、ここ常神が

神功皇后が寄港した地

だというのです。

たしかに、
常神の入り江は穏やかで
避難港でもあったそうです。

そして、もちろん
鯛が名物だといいます。

 

ほかにも、

平安時代に

常神を領有とした
伊香(いかご)氏は
 

神功皇后に仕えた
中臣烏賊津(なかとみのいかつ)

にはじまる氏族ですから

関係もあるのでしょう。

 



さらに、御神島と

竹生島(ちくぶしま)
夏至のラインで結ばれるといい

その先には
山津照(やまつてる)神社
あるといいます。

神功皇后の父、
息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)
が眠る地であり

息長(おきなが)氏の

本拠地だったともいわれています。

 

息長氏といえば、

 

御神島に

常神大明神を祀った

舒明(じょめい)天皇も

息長足日広額天皇
(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)

といい

 

祖父である、第30代・

敏達(びだつ)天皇が

 

息長氏の

広姫(ひろひめ)を娶ったことに

よるといいます。

 

 

息長氏ゆかりの

山津照神社には

 

国常立尊(くにとこたち)が

祀られていることもあり、

 

もしかすると、

国常立尊が

常神大明神の由来

なのかもしれませんね。



敦賀には、
氣比神宮の奥宮といわれる
常宮(じょうぐう)神社が
あるそうですが、

これももとは
「つねのみや」といい

若狭の常神を

遷し祀ったとも

いわれているようです。



常神社にはほかに

若狹彦神(わかさひこ)

若狹姫神(わかさひめ)

鵜草葺不合尊

(うがやふきあわせず)

祀られているといいます。

若狭彦神は、

天照大神の曾孫である
山幸彦(やまさちひこ)


若狭姫神は

山幸彦の妻である
豊玉姫(とよたまひめ)
だといいますから、

ここでも、
家族が一緒にいるようです。



ホツマツタヱによれば、

山幸彦は
氣比神宮に葬られたといい

豊玉姫は氣比の松原
ウガヤフキアワセズを
産んだといいます。

また、
山幸彦が授かった
潮満珠(しおみつたま)

潮干珠(しおひるたま)は

のちに
神功皇后が授かって

三韓遠征を成し遂げた

ともいわれ、

山幸彦と神功皇后にも

親和性があるようです。




さらに、

山幸彦と豊玉姫の子・
ウガヤフキアワセズには


『日向(ひうが)の神』という
称え名があるといいます。

常神半島の美浜側には
日向(ひるが)という 
地名があり、

三方五湖(みかたごこ)にも
日向湖(ひるがこ)がありました。

ウガヤフキアワセズを祀る
宇波西(うわせ)神社

もともとこの
日向にあったといいます。

 

日向のほうは

津波被害などもあり

人が住まない土地に

なっているといいます。

 

それにしても、
常神半島にはほかにも
神子(みこ)や

遊子(ゆうし)や

塩坂越(しゃくし)など

 

気になる地名が

たくさんありますね。

 



常神社は、
たびたび遷座している
といいます。

平安時代には
御神島にも
遷し祀られていたようです。

 



常神社にはほかに

渡津松神(とつまつ)
神留間神(かるま)
三望大神(みも?)

 

など、
聞きなれない神々も

合祀されているといいます。

旧座地や近隣の地主神に
関係があるようですが

よくわかりません。

もしかすると、ここにも
渡来の神々や失われた信仰を
みることができるのかもしれませんね。



日本海というと
荒波のイメージがありますが、
それも冬のことであり

夏場は穏やかなうえに
対馬海峡もあって
便利な航路だといいます。

夏はむしろ
瀬戸内海よりも安全

だというようですから、

豊玉姫や神功皇后が

日本海航路をたどったのも

うなづけるのかもしれません。



しかし、
常神の漁村からは
船を出さないかぎり
御神島を遥拝することができません。

そこで、山を越えて
常神岬灯台まで
登ってみることにしました。

 



なかなか

険しい道となっています。

 

道なき道といった感じですね。

山は、細いながらも

躍動感のある樹々に

かこまれています。


 

いちばんの驚きは、


山頂ちかくにあった

こちらの

磐座(いわくら)です。

 

 

いまでは

祭祀もされていないようですが

 

とてもとても

立派なものでした。

 

 

本当に素晴らしく、
しばらく魅入ってしまいました。

 



頂上の
常神岬灯台からは
 

常神半島が

一望できました。

 

 

こちらもまた、

とてもとてもとても

素晴らしい景色です。

 



美浜湾と世久見湾
どちらも見渡せます。

もちろん、
烏辺島もみえます。


 

たかい空には

トンビも飛んでいました。

 

これもまた

ウ(鳥)ですねキラキラ爆  笑キラキラ

 

 

そしてこちらが

御神島です。

 

 

うーむ、ちかいけれど

あまりはっきりとは見えませんね爆  笑

 

 

まあそれでも、

この絶景が眺められただけで

大満足です。

いずれは御神島にも

上陸してみたいですね。



もしかすると、

御神島は「おがみ」島で
拝み島、男神島、
なのかもしれませんね。

烏辺島には
弁財天や女神さまが

祀られているといいますから

男と女、陰と陽など

妹背(いもせ)の関係
なのかもしれませんね。


若狭国の水神めぐり ~終~

 

 

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若狭国の水神めぐり② ~若狭姫神社~

若狭国の水神めぐり③ ~若狭彦神社~

若狭国の水神めぐり④ ~鵜の瀬~

若狭国の水神めぐり⑤ ~泉岡一言神社~

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若狭国の水神めぐり⑦ ~烏辺島~

若狭国の水神めぐり⑧ ~三方五湖~

若狭国の水神めぐり⑨ ~常神~