号外❗️
第6次キャスト発表❗️
あらたに5名が追加されました
博学で和歌も得意!九条兼実
(画像転用元:NHK公式HP)
藤原道長の子孫でもある九条兼実
藤原道長の子孫でもある九条兼実
真面目な性格はココリコ田中さんにピッタリ
40年間綴った日記「玉葉」には本音がチラリ
当時の状況を知る一級資料になっています
運慶
(画像転用元:NHK公式HP)
天才仏師の登場
義時の命により作られた大倉薬師堂の
十二神将像をモデルとして作られた仏像が
今も覚園寺にあります
覚園寺
公暁
(画像転用元:NHK公式HP)
3代将軍・源実朝公を
鶴岡八幡宮で暗殺したのは有名なお話
お父さんは2代将軍・頼家公なので
伯父さんを殺したことになります
この暗殺については黒幕説があるので
ドラマではどうなるのか
演じるのは
佐藤浩市さんの息子さんの寛一郎さん
親子共演の大河ドラマとなりましたね
里(郷御前)
(画像転用元:NHK公式HP)
義経の正妻・郷御前
お父さんは秩父平氏の一族・河越重頼
お母さんは比企尼の娘
比企氏は北条氏に滅ぼされた一族なので
北条氏編纂の「吾妻鏡」に
郷御前はあまり出てきません
義経公に最後まで従い
4歳の娘とともに22歳でこの世を去りました…
演じるのは映画「ドライブ・マイ・カー」で
話題沸騰の女優・三浦透子さん
静御前
(画像転用元:NHK公式HP)
知らなかったんですが
石橋静河さんは
石橋凌さん・原田美枝子さんご夫妻の
次女なんだそう
しかもダンサーで名前も「静河」
まさに白拍子の静御前に
うってつけの人物ではないですか
昔の大河ドラマと違って
キャスト発表が小出し
サプライズで楽しいですね
ではおさらい、行ってみましょー
過去のおさらいは【鎌倉殿の13人】というテーマを参照してください
※この記事はドラマのネタバレを含みます
まとめ記事はコチラ
大河ドラマ【鎌倉殿の13人】の第8回…
ついに鎌倉入り!
まあこれに尽きますね
ロケ地が鎌倉になる可能性は低そうですが
(人多すぎだから)
馴染みのある地名が
これからどんどん出てくると思うと
ワクワクしますねえ〜
あたらしく味方についた(つくであろう)人達
(画像転用元:NHK公式HP)
「見た目がいいから」
相模国入りの際に先陣に選ばれる
「吾妻鏡」では
そんな理由ではありませんが(笑)
先陣に選ばれたのは畠山重忠公
重忠公は三浦大介義明を討った人物
三浦一族がよく思っていたわけがなく…
反発もあったでしょうが
頼朝公がよくよく一族に話をしたといいます
冷静沈着、三浦義澄
(画像転用元:NHK公式HP)
三浦一族の長・義澄は
頼朝公の信頼が非常に厚く
舅である時政よりも重用されていました
鎌倉幕府の立ち上げは
この人がいたからこそ
事を荒らげずに
御家人がまとまったのではないでしょうか
(だから息子の代になると大変なことに)
「いいベベをお貸ししましょう」
(画像転用元:NHK公式サイト)
この人は平氏方に付いてはいましたが
頼朝公の命の恩人でもあるので特別枠
元々教養があり
きちんとした性格(メモ魔)でもあったので
政子のお産や八幡宮の造営などを任されました
デキる男だったので頼朝公に気に入られ
侍所所司(別当の次に偉い)の役職にもつきます
それだけでなく、景時にとって鎌倉は地元
本拠地が遠い他の御家人達に比べて
地元に詳しいことは
最大の利点だったと思われます
梶原氏の地元・その名も「梶原」
ただしこの人とは
どうにも馬が合わなかったようです…
アウトオブコントロール!源義経公
(画像転用元:NHK公式サイト)
義経公といえば…
2005年大河ドラマ「義経」の
麗しきタッキーのイメージが強かったのですが
(義経公をタッキーが演じる平泉での「藤原まつり」では、町にかつてない人口流入があったといわれている…)
三谷版・義経公はアウトオブコントロール
感情赴くままに生き抜く若武士
確かに兄・頼朝公の思うがままにならないイメージ
義経公がどうしても
菅田将暉さんに見えて仕方がない
役者が歴史上の人物を
取り込んでしまったかのよう
腰越でいもを食べているシーンは微笑ましい
義経公はまた腰越に来るという伏線でしょう
日本版楊貴妃・丹後局
その頃、京の都では
「日本版楊貴妃」ともいわれたこの人が
後白河法皇のそばにおりました
(画像転用元:NHK公式サイト)
鈴木京香さん、いくつになってもお綺麗
丹後局(高階栄子)は
後白河法皇の側近の奥さんでした
清盛によって夫が処刑されると
以後後白河法皇のおそばに…
美しいだけでなく
聡明であったといわれています
1979年大河ドラマ「草燃える」では
現在「比企尼」役の草笛光子さんが演じられました
タッキーの「義経」の時は夏木マリさんでしたとっても妖艶だったので印象に強く残ってます
ココリコ田中さんの…
もとい九条兼実の日記には
「近頃の政治は丹後局の言葉によって動いている。まるで楊貴妃のよう」
などと綴られています
イヤダイヤダと思っていると
相手にも伝わるのか…
後に丹後局によって
九条兼実は失脚してしまうのです
おまけ・鎌倉時代の夫婦
「政子ぉ〜!」
(画像転用元:NHK公式サイト)
感動の再会を果たした頼朝公・政子夫婦
しかしすでに頼朝公のそばには亀の姿が…
(画像転用元:NHK公式サイト)
義時が言っていましたね
「姉上がいながら…」
それもそのはず
平安の時代から都では
「通い婚」の一夫多妻制が当たり前でした
かの兼好法師も「徒然草」で通い婚のメリットをつぶやいています
「どんな女性も毎日見ていれば気に食わないところも見えてくる。
女性は嫌われても毎日夫の世話をしないといけない。」
これ、女性側からも同じことが言えましょう
中世鎌倉時代に入ると
武士は本拠地を中心とした生活が中心で
あちこち移動することがなくなります
そうすると家に嫁を迎える「嫁迎え婚」が
増えていったのだとか
加えて東国では
「一夫一妻制」が主流であったため
一夫多妻制で育っている頼朝公が
正妻以外にも妻を持つことに
政子が我慢ならなかったのも
わかる気がしますよね
【鎌倉殿の13人】次回も楽しみですね
政子と亀の直接対決、なるか
それでは、また