※注意:竹の写真がこれでもかと登場しますにやり

 
 
3月初めに鎌倉観音巡りで報国寺を訪れました
私が鎌倉で最も好きなお寺・報国寺
なんだか色々疲れてしまった時に
ふらりと行くことも多いです
 

 

 

鎌倉観音霊場第十番

 

功臣山報国寺

 
 

宗派:臨済宗建長寺派

開山:仏乗禅師

開基:足利家時公

創建:1334年

 
 
 
 
本堂右には迦葉堂(かしょうどう)
お釈迦様の十大弟子の一人である迦葉尊師
開山である佛乗襌師の坐像を安置しています
「日曜坐禅会」もこちらで開催
 
 
 
 
本堂には御本尊の釈迦牟尼佛がいらっしゃいます
 
 
 
 
若葉が美しい初春でした
 


 
 
茅葺きの鐘楼も報国寺のみどころのひとつ
 
 

 
 
どんな鐘の音なのでしょうね照れ
 


 
サンシュユが咲いていましたビックリマーク
 

 
 
さて
報国寺は2000本もの孟宗竹で知られる美しいお寺ですが
 

 
 
悲劇の舞台にもなったお寺なのはご存知でしょうか
 

 
永享の乱(1438年:永享10年)
 
そもそも発端となったのが永享の乱と呼ばれる事件
鎌倉公方と関東管領・室町幕府の間で起こった戦いです
 
 
 
 
鎌倉公方とは

室町幕府の都が京都に置かれると
関東10か国を統治するために
「鎌倉公方」を設置しました
室町幕府の将軍の代理である鎌倉府の長官です
 
 
 
この「鎌倉公方」という役職は
代々足利尊氏公の四男・足利基氏公の子孫が世襲していました
対して「関東管領」とは鎌倉公方の補佐役
 
 
 
「永享の乱」が起きた時の鎌倉公方は四代目の足利持氏公
そして関東管領は上杉憲実公でした
 
 
 
 
時の室町幕府第5代将軍・足利義量(よしかず)公が
わずか17歳にして急死すると
将軍を継ぐべき男子はなんと全員出家していましたびっくり
 
 
 
まさか仏門に下った者を将軍にするはずがないと
思っていた鎌倉公方・足利持氏公は
我こそが将軍にふさわしいと考えていました
 
 
 
 
ところがその僧侶4人の中から将軍を選ぶことになり
なんとくじ引きで選ばれたのが足利義教公でした
(くじ引きといっても石清水八幡宮で行われる公的なものだったようです)
 
 
 
足利持氏公は直情的な方だったようで
この結果には大激怒したそうですムキー
 

 
 
その後持氏公は
自分の息子を許可なく勝手に元服させ
本来ならば将軍の名前の一字を拝借しなければならないところを
無視して「義久」と違う名前を付けたため
当然ですが将軍の怒りを買うことになったのでした滝汗
 
 
関東管領であった上杉憲実公は
将軍家に従属するよう持氏公に進言しますが
返って逆上されることとなり
持氏公から討伐令を出されてしまいますガーン

 
 
かねてより不満を抱えていた憲実公は
将軍義教公に直談判
今度は足利家将軍から持氏公討伐令が出され
各地の大名が鎌倉へ攻め入ります
 
 
 
勝ち目がなくなった持氏公は
一旦称名寺で出家し戦意がないことを示します
 

 
 
驚いたことにこの時憲実公は
持氏公の助命を将軍・義教公に嘆願しています
それどころか持氏公の息子・義久公を
「鎌倉公方」に就任させるようにと進言

 
 
かつての主君であった者の命ばかりは
取りたくなかったのでしょう
親子兄弟であっても
権力の為に殺めることが少なくなかったこの時代に、これは大変めずらしいことだと思います
 
 
 
しかし無慈悲にもこの嘆願は却下され
持氏公への追討令が出されたのでした
 

 
 
1439年
憲実公は持氏公が幽閉されていた
瑞泉寺塔頭寺院であった永安寺(ようあんじ)を攻撃すると
持氏公は寺内で自害しました
 
 
 
持氏公が自害すると
当時報国寺にいた息子の義久公の元にも
討伐軍が迫り
 

 
 
仏前で焼香し念仏を十回唱えた後に
報国寺境内で自害したと伝えられています
享年・16歳でした
 

 
 
これが報国寺に伝わる悲劇の物語
報国寺が「鎌倉公方終焉の地」と呼称される所以です


 
 
現在は静かな谷戸に位置する
竹庭の美しい寺・報国寺
かつてはこのような悲劇の舞台でもありました
 

 
 
永享の乱の後
将軍・義教公によって「鎌倉公方」という役職は廃止
同時に鎌倉府も消滅しました
 

 
 
実はこの後
将軍・義教公が暗殺されると
鎌倉府・鎌倉公方が復活するというどんでん返しが起こります
 
 
 
復活した鎌倉公方には持氏公の遺児・成氏公が
関東管領にはかつての部下・上杉憲実公の嫡男・憲忠公が着任します

なんとも不思議な巡り合わせですね
 
 
遺恨なく政が進むはずもなく…
またこの両者の間で争いが始まるのです…
 
 
話が長くなってしまうので
喫茶休憩といたしましょう!!ニコ
 
 
 

 
報国寺といえば
竹庭を眺めながら喫茶が出来る「休耕庵」があります
 
 
 
 
 
席の間隔を開けて4組ほどしか案内しないため
待ち時間が発生することも
 
 
 
 
 
後ろで人が待っているのは
申し訳なくも思いますがあせる
この竹庭を前にすると
時間が止まったかのような錯覚を覚えます
 
 
 
干菓子は足利家の家紋「引き両紋」
 
 


 
この眺め
出来れば午前中に訪れていただきたい
光と影が絶妙ですキラキラ
 
 
 
 
竹の間を縫うように渡る風が心地よいです
 
 

 
 
お抹茶をいただいた後の盆にも竹の意匠
盆に竹林がうっすら写っているのも一興
 
 
 
 
兵どもが夢の跡とは
よく言ったもので
 
 
 
 
かつて鎌倉武士たちが争った炎のような時代は過ぎ去り
 
 
 
 
今はこんなにも静寂に包まれているのだから
 
 
 
 
 
 
 
 

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