本日は鎌倉三十三観音巡りの記事です
実際は6月16日に円覚寺で結願しておりますが
振り返りとして投稿します
といっても今回の記事は3月15日に巡礼した時の記録
もう三ヶ月も前!!
今回訪れた浄妙寺は度々訪れているお寺
過去記事にも発見
ささ、それではいってみましょう
鎌倉観音霊場第九番
稲荷山 (とうかさん)浄妙広利禅寺
浄妙寺(じょうみょうじ)
宗派:臨済宗建長寺派
開山:退耕行勇
開基:足利義兼公
創建:1188年
鎌倉五山第五位の名刹
開山の退耕行勇禅師は
源頼朝公(大泉洋さん)と政子殿(小池栄子さん)が帰依した高僧
注:来年の大河ドラマとリンクさせてご説明
1756年に再建された本堂が見えてきました
参道の脇には美しく整えられた庭園が配置されています
いつ見ても堂々たる姿の本堂
寄棟屋根の「むくり」と呼ばれる丸みが特徴的
葉が生い茂らない季節でも
この本堂を背景とすると全て絵になるからすごい
お寺が建立された年の出来事
このお寺が創設された1188年はどんな時代だったのでしょうか?
頼朝公(大泉洋さん)が弟の義経公(菅田将暉さん)に追討令を出していた時期なのです
翌1189年には義経公は滅ぼされ
五月雨式に奥州藤原氏が滅亡
鎌倉・二階堂の地に鎮魂のための「永福寺」が建立されました
「永福寺」は過去記事でもご案内
開基の「足利義兼公」は何をした人なのか簡単にご説明
頼朝公(大泉洋さん)と一緒に源氏再興に尽力し、幕府成立後も鎌倉殿(頼朝公)を支えました
豪勇な人物としても知られ、源義高公(市川染五郎さん)の残党を討伐しました
足利幕府初代将軍・足利尊氏公は6代後の子孫にあたります
ちなみに奥方は北条時子殿(政子殿の妹)
境内にある茶室・喜泉庵の今月のお品書き
こんな所にも花が咲いていますね
この日はお茶席に預からず
喜泉庵の周りを楽しみます
浄妙寺は鎌倉時代末期に一度寂れてしまいますが、足利尊氏公の父・貞氏公によって復興
そのため境内には貞氏公の墓と伝えられる宝篋印塔があります
鎌倉五山第五位となった1386年当時は
七堂伽藍を持ち、23の塔頭寺院を有する大寺院だったそうです
喜泉庵の枯山水庭園
その後度重なる火災に遭い
現在残っているのは総門・本堂・客殿・庫裡のみです
鎌倉という地名の由来となった神社
実はこの浄妙寺の裏山に「鎌足稲荷神社」という小さな祠を持つ神社があります
この神社こそ「鎌倉」という地名の由来となっているのです
「大化の改新」で知られる藤原鎌足はご存知ですよね?
この鎌足の名前は生まれた時の逸話からきています
鎌足が生まれるとすぐに
口に立派な鎌槍をくわえた白いお狐様が現れ
鎌槍を鎌足の足元に置いたそうです
「鎌」槍を「足」元に置いたから「鎌足」となりました
大化の改新が起こり、ある時鎌足が浄妙寺付近に滞在しました
夜になり鎌足が寝ていると、夢の中に老人が現れます
老人は鎌足に向かってこう告げました
「大業を成し得たのだから、あなたに授けた鎌槍を我が地に奉納しなさい」
鎌槍はずっと鎌足を守護してくれていたのでした
たどり着いたのが現在神社のある場所
鎌倉という地名の由来の地が浄妙寺にあったなんて驚きました
しかも藤原氏ですよ
足利尊氏公の弟・直義公の終焉の地
浄妙寺境内の西北には
足利尊氏公の実弟・足利直義公のやぐら(お墓)があります
ここには元々延福寺というお寺があったそうです
1352年 この延福寺で
兄・尊氏公から幽閉されていた直義公は病死
(一説には兄・尊氏公による毒殺とも…)
尊氏公と直義公は大変仲の良い兄弟だったと言われています
それがどうして争うことになったのでしょうね…
朝のカフェオレは半額
浄妙寺を巡礼する前に
小銭がないことに気づきこちらのお店へ
(なんて理由なのかしら〜)
暗くてすみません
アルファベッティカフェ
ラテアートが人気のお店です
こちら朝の時間は
一番人気メニュー・カフェラテがなんと半額の250円なんです
お得に美味しいカフェオレがいただけちゃいます
・まとめ
お寺巡りには小銭が必要です!
よろしければどうぞ
これまでの鎌倉観音巡り
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