光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

わたし達は、自分(魂)に触れると涙がこぼれます 

それは魂の記憶が流す涙です

この体で生まれるとき、あなたは誰なのかを忘れてしまいます。 

そして生きていく中で 再び自分を思いだそうとします。 

本当はね、わたし達は全て許されて生まれてきているのです。


「光」という姿なき不思議な存在が教える神のこと 魂のこと、

守護さんが視せてくれる不思議なことをブログに綴っております  

この世は不思議なことで成り立っております。 


わたしのHP です


わたしのオフィシャルブログ です


 


Amebaでブログを始めよう!

おはよう

 

ここを訪れてくださってありがとう

 

 

”おかえりなさい、ただいま”

 

 

ずっとそのままにしていてごめんなさい。

 

2010年からはじめた大切なブログ。

 

わたしのはじまり、原点です。

 

訪ねてくださって、ありがとう。

 

 

 

魂のことを書いて欲しいと、お話しをいただいた

 

のは、2016年2月のことでした。

 

それから3年たち、やっと魂のことを書きあげ

 

ました。

 

魂のこと、不思議なこと、愛のことを

 

知って欲しくてはじめたこのブログです

 

何だかとても懐かしくて、本当に還ってきた

 

という感覚があります。

 

魂はわたしたちが思う、人だまのような

 

ものでも、形でもありません。

 

穢れ無き宇宙です。

 

アカシックといわれる場所があるのなら

 

それは、あなたの魂なのです。

 

あなたの魂には、全てが在る。

 

何もかもがある、

 

あなたのルーツであり、

 

あなたの法則でもあります。

 

新刊は、大人の絵本を意識して作りました。 

 

きれいな絵をみて頂きたくてね。

 

新刊です

 

 

よろしければ、読んで下さったらうれしいです。

 

 

本のタイトルは、著者が自分で決めることが

 

 

できなくて、最終的には、どこの出版社さんも

 

企画会議で決まります。

 

3年前、「魂の扱い方の本を出したいんです」

 

と、そういってお話しをくださった編集のYさん。

 

まだタイトルの変更があるかもしれませんが

 

よろしければ、お手にして下さったらうれしいです。

 

 

 

このブログを久しぶりにみてみたら、

 

3年も更新していないのに、600のアクセスが

 

あってね。

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実際の訪問者さんも、毎日100人も超えていて

 

びっくり致しました。

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どなたがみて下さっているのですか?

 

ずっと忘れていてごめんなさい。

 

それなのに、訪ねてくださって

 

ありがとう。

 

 

 

日常のことを、短く書こうとして作った

 

愛しているよ大好きだよ」のブログが

 

いつのまにか、オフィシャルAmebaになり

 

すっかりそちらがメインになってしまいました。

 

新刊は魂のことを綴りました。

 

みてくださる方も訪問してくださる方も

 

少なくても、このブログに書きたかったんです。

 

わたしの原点、はじまりの大切なブログです。

 

変わらず応援してくださるみなさん

 

いつもありがとう

 

大好きありがとう

 

 

             朝焼けが美しい朝に

                   感謝を込めて

                        まさよ

明日であの震災から5年が経ちます。

テレビで ラジオで そして沢山の人がブログでもお伝えしていて

決して忘れられない、大きな災害です。

本当は思い出す事も辛いのですが、それでもわたしの住むところは

津波の被害はなくて、それだけでも有難いはずなのに なのに

こうして冷静に思い出す事が今でも辛いです。

ご家族を失われた方は、どんなにかお辛いだろかと思うと胸が

痛みます。




3月1日わたしは手術の為に入院の準備をしていました。

ひと月前から続く、経験した事のない急くような気持ちは、

入院する不安から起こっていると思っていましたし、丁度この

時期、自分の事でいっぱいだったのだと思います。

不思議な皆さんと会話出来る状況ではなくて、どうにかして梵字の

おじいちゃんと会話しようと問いかけても、シーンとしていて

2月14日から入院するまでの2週間の間、全く会話が出来ずに

おりました。

それも落ち着かない原因の一つだと思っていました。

けれども今思うと本当に不思議なのですが、何も言われていなく

ても、震災の前日10日の午前中にお米と 灯油と僅かな冷凍食品

が自宅に届くように手配していました。

震災直後からすぐに 燃料も食料も手に入らなくなっていましたので

今思うと無意識とはいえ、おかげでどうにか暖を取る事も 

ご飯を炊いて食べる事も出来ましたので、本当に有難かった

なぁと思いました。


3月2日に手術を終えたわたしは、11日の朝にやっと身体から

ドレーンを外してもらいました。

まだ少しだけ早かったみたいでしたが、自由に動きたくて

主治医にお願いして、早々に抜いてもらいました。

その日の午後は、病室の仲間と外にお茶を飲みに行く

約束をしていて、そしてあの時間が来ました。

丁度洗濯機を回そうと乾燥室にいたわたしは、突然の揺れに

立っていられなくなり、病室に向かう全ての防火扉がバタン

バタンと大きな音を立てて閉まってしまい、気が付くと一人

暗い中に取り残されて居りました。 

何が起こったのかわからなくて、ただしゃがんでおりました。

日が暮れて停電になった病院は、真っ暗で情報は僅かに流れる

ラジオだけで、みんな一睡も出来ないまま一夜が明けました。

翌朝、殆どの人が自力で帰宅を促されるなか、家族との連絡も

なかなか付かず、家まで10数キロの道のりを歩く覚悟で

いました。

すでに病院は、戦場のような状態になっていて医師や看護士の

手が足らずにパニック状態でした。

歩いて帰るつもりでもコートはなくて、靴はヒールだったので

足が痛くなる事を覚悟して、スリッパを手に持ち自宅を目指して

歩き始めました。

タクシーもバスも走っていなくて、走っていたとしても回送で

拾う事が出来ず、行けるところまで歩こうと思っていたら、

一台のタクシーが、スーッとわたしの横に停まりました。 

回送中となっていたけれど、ダメもとで聞いてみたら乗せて

下さるとの事、すでにヒールで足が痛かったので運転手さんが

菩薩さまに見えました。

タクシーの中から見えた景色は、どの道もずらりと並ぶ人で

行列が出来ていて、食料を求める人、燃料を求める人で溢れて

いました。

やっと帰宅してみたら、家の中は足の踏み場がないくらいに

割れた食器と倒れた家具でぐしゃぐしゃになっていて、何から

手を付けて良いのかわからなくてね。

でも兎に角 暗くなる前に火を起こして家族にご飯を食べさせ

ようと思い、近くの緑地帯で焚き木になるものを集めて

外で火を起こして、ご飯とお味噌汁を作りました。

電気も ガスも 水道も止まっていましたので、誰もが必死でしたし

そしてとても緊張していました。

水道はひと月以上断水になっていたのですが、わたしの家と

お向いのえんかさんちの 僅か数世帯だけが翌日にお水が

出てくれて、それも有難い不思議な出来事でした。

皆さんとても冷静で、電気が通れば後はどうにでもなるから

電気は3日で復旧するからと、ご近所さん同士協力し合いながら

乗り切ったように思います。

あれから5年経つのかと思うと あっという間のような

とても長いような気がします。


あの震災で多くの方が命を失いました。

そして多くの方の命も助かりました。

亡くなった事、生きた事は

運が良かった悪かったその一言で 片付けたくないし

片付けられない事だと思います。

自分の寿命がいつで終わるかは、人はみんなわからないし

わかる必要もないのかも知れませんが

わたしは、この世に自分が生きた証はいらないと思って

います。

わたしが生きた証は、子ども達が母として僅かに覚えて

いてくれたらそれでいいです。

誰もわたしを覚えていなくても、誰の記憶に残っていなくても

それでも自分が生きた証は、魂の記憶の中に、根源の中に

きちんと刻まれるので、それで良いと思っています。

ちっぽけなわたしの人生、毎日を日々平凡に生きたとしても、

それでも立派な人生だったと、誇れる人生だと還ったら誉めて

下さるので、それで充分です。

あなたの人生も わたしの人生も きっとあの世に還ったら

優等生として、勇者として刻まれるのでしょうね。

明日は、朝から黙祷いたします。


長いブログを読んで下さってありがとうございました。



毎日更新している 愛しているよ大好きだよのブログが有難い

ことに、オフィシャルになりました。

いっぱいの感謝でありがとう

よろしければお訪ね下さったらうれしいです。笑う


わたしがまだこのようなお仕事をする前、父を亡くして間もない頃

東京の有名な霊能者という方に 姉と一緒に会いに行った事が

ありました。

何よりも姉が、「あの芸能人も信じている霊能者だから」 という事で

とても信用していたので、父の事を聞けたらと出掛けていきました。

今から26年程前のことです。

着くと薄暗い6畳間のところに、人がびっしりと座って居て

呼ばれる順番は決まっていなくて、女性霊能者の気分によって

「次誰それ、次あんた、次はお前」というふうに呼ばれて行きます。

わたしは、幼い子どもを連れていたので子どもは飽きてグズるし

早くから着いて、夜になっても呼ばれる事がなく、その次の日も

朝早くから駆けつけても、同じ様に一向に呼ばれる気配がないのです。

新幹線の時間もあり、痺れを切らして「そろそろ帰りの最終の新幹線の

時間なのでもう帰ります」 

そう告げて立とうとした時、大勢の人前で罵声を浴びせられました。

「お前は何様なんだ? 待つことも出来ないお前みたいな性根の

悪い汚い奴は、交通事故にでもあって死ぬから覚えておけ」って

もの凄い剣幕で怒鳴るのです。

でもね、その人の言動をみていて何かおかしいって思ったんです。 

その方は白いひげを生やした神さまに選ばれたと言っていましたが

人としての何かが欠けているって、そう思いました。

自分よりも有名な霊能者を口汚く罵ってみたり 批判しているのを

みて、この人に無理して視て頂かなくてもよいなぁと思ったんですね。

それが 「帰ります」 の態度にもしかしたら出ていたのかも知れません

が、鑑定料も20万くらいのお金を前払いでしたので、そのお金も戻って

はきませんでした。

それから気にしないつもりでいても、頭のどこかにその嫌な経験と

ともに、そしてそんな大金を払って、バカだったなぁという気持ちと

「交通事故に合って死ぬ」その言葉がわたしを縛り続けました。


嘘だとわかっていても本当かなぁって、ふと思い出すんですね。

もしかしたら霊能者だから わたしを交通事故に合わせようとしている

のかも知れないなぁってね、込み上げるように思い出すのです。


でも気付いたらいつ頃からか交通事故で死ぬという呪縛から

解放されておりました。

誰かに御祓いを受けた訳でも、何かをした訳でもないけれど、きっと

自分が今こうして生きている事が そんな事などこの世にないのだと

いう何よりの確証でした。

人は生きていたら、いろんなモノに縛られます。

こうしたらダメ、ああしたらダメ、波動が言霊が霊格がってね。

でもね、いろんな呪縛からあなたを解放してくれるのは、他の誰でも

ないあなた自身です。

だからに誰かに霊能者と言われる人に 嫌な事を言われたとしても、

誰かに嫌な態度を取られたとしても、どうぞあなたにとってそれは

何の足かせにもなりませんので、安心して下さいね。

それであなたが不幸になる訳でも、 あなたの家族に何かが起こる

訳でもありませんので、どうかどうぞ その呪縛から自分を解放して

あげてくださいね。


神さまに選ばれたから何を言ってもいいのだと、偉そうにしても

良いのだという霊能者は きっと今はいないと信じています。

自分の言う通りにしないと罰があたるとか、家族に悪い事が起こると

脅す霊能者ももういないでしょう。

この体験があったからこそ、今の自分の取る態度がはっきりと

明確になりましたので、今思うとあの経験がわたしにとって本当に

有難い感謝の経験となりました。

こういう仕事をしていると、自分だけが本物だと人は皆そう思いたく

なります。

だから自分以外の霊能者は、みんな偽物だと言い出す人も

多いのですけれど、もしもその方が本物だったらきっと他の人の

批判などは しないだろうなぁと今は思います。

人によって本物かどうかなんて違ってきますし、自分の事をただ粛々と

行うだけなので、日々自分の精進だけで精一杯なものです。


人を恫喝する事は、魂を あなたという神さまを恫喝する事でも

あります。

誰かが自分の事を恨んでいる、嫌な念を送ってくると気にされている

方も多くいらっしゃるかと思います。 

でもね、その呪縛さえ解放してあげられるのもあなた自身なのです。

真に受けて身構えるとね、どんどん辛くなりますので、気にしない事が

なにより一番です。

似ているような呪縛の話をもう一つ。

わたしが30歳くらいのとき、ある日突然パニック障害になりました。

突然呼吸が苦しくなり、心臓がものすごい速さで脈打ち外に出る事が

出来なくなりました。

車を運転していても、スーパーで買い物をしていても 発作が起こると

倒れそうになって、昼も怖いけれど、夜になるとその症状はますます

酷くなるのです。

いま思うと夜は病院が閉まっているので、具合悪くなったらどうしようか

という不安から、どんどん緊張して症状が酷くなったのだと思います。

いろんな検査をしてもどこにも異常がなく、ただの自律神経失調症と

いう事で精神安定剤を出されてお終いでした。

それでも治らないと、どんどんお薬が増えていくのです。

今ならすぐにうつ病と診断されて、もっと沢山のお薬が出されるかも

しれません。

お薬は飲みたくない、でも飲まないとまたあの恐怖が来ると思うと 

とても怖くなるのです。

この原因が知りたくて、それこそいろんな事を思いました

住む家が悪いのではないか、 ご先祖の供養が足りないからじゃ

ないか、誰かがわたしを恨んでいるのではないか などなど 

この不安や恐怖が治るのならば 何でもするつもりでした。 

でもね、ある日その症状が出そうになった時、外に出て星を眺めて

いたらすーっと収まっていったのです。

どうして外に出たのかなぁと思ったら、死ぬのなら家の中ではなく

外で死にたいと思って外に出たら、星がとてもきれいでね

きれいだなぁと眺めていたら、自分の症状に向けていた意識が

星に向かった事で、気付いたら症状が治まっていました。

それから、あー大丈夫なんだ、自分で自分の症状を抑えられるの

だと知りました。 

でももし発作が収まらなかったら、人前でその症状が出て倒れたら

という恐怖はどこかにあったので、常にお財布に発作時のお薬を

入れていました。

きっと10年近くお守りのようにお財布に入れたままにしていたと

思います。

そして捨てる時 勇気がいったのですが、一度大丈夫になると 

次も大丈夫になり 大丈夫を積み重ねていく事で、絶対に大丈夫だと

いう自信が付いたのでしょうね、自分で自分をコントロールできる。

そう思った時が パニック障害という症状から解放された時でした。


いろんな呪縛から 不安から自分を解放してあげられた時って 

あなたのチーム不思議な皆さん達がとても喜んで下さり、そして

誉めて下さっている時なのです。

良かったね、偉いね、すごいね 立派だったねって、ただ手放しに

誉めて下さっているので、その愛にもっともっと応えてあげて下さいね


もっともっと喜ばせてあげて下さいね、そうする事であなたとチーム

不思議な存在がね、もっと身近に感じられる事になります。






もう一つのブログ「虹の先にあるもの」でも書いたいたのですが、

人は亡くなる時に、いろんな場面をそれぞれにみていて そして

人によって会う人もそれぞれに違うみたいです。

代わる代わる人が尋ねて来てみたり、それは知り合いだったり

知らない人だったり、そして亡くなる瞬間もさまざまで

お母さんが迎えに来て、手を取られて「行こうか」と言われたて

ついていったら亡くなっていたとか、「美味しいものを食べに行こう」と

言われたので、「うん」 と返事をしたら亡くなっていたと教えて

くれた人もいるし、自分が亡くなる瞬間を真上から眺めていた人も

いて、本当に人それぞれだなぁと思います。

亡くなって居る場所も それぞれに違いますが、時間が経っている

人を呼び出すとき、必ず眩しさの中からお顔を見せて下さるので

あーすでに記憶と魂が一致して 完全に還られているのだなぁと

思う時もたびたびあります。

あの世とは 亡くなる瞬間とは 本当に一概に一言では

言えない事がたくさんあります。

でもね、とても不思議な空間にいるという人はあまりいなくて

皆さん場面は違えど 居心地の良いところにいらっしゃる事だけは、

亡くなり方に関係なく同じだなぁといつも思います。

まりんさんのお母さんのように虹の輪を超えたら、広いところに出た

という人や ガーベラが咲き乱れている場所にいる人、沢山の人に

可愛がられている人とさまざまでね。

以前 「あの世というのは、地獄がない」と梵字のおじいちゃんに

教えてもらった事がありましたが、こうして亡くなった人たちが

話して教えて下さる事で、梵字のおじいちゃんのいうように地獄は

本当にないのだろうなぁと 信じられる事が多くなりました。

何故なら 地獄というところに居りますという方も 成仏出来ずに

居りますという方にも 未だにお会いした事がありません。

あの世とは、人々の魂の安堵の場所なのかも知れませんね。 

「あの世の入り口」の補足として 少し付け加えました。







4月23日の ヒカルランドさん主催の

「愛しているよ大好きだよワーク」 満席となりましたので

キャンセル待ちのお申し込みとなります。

お時間を作って足を運んで下さりる事 有難うございます。

13時半くらいまでお時間を見てくださいませ。

4月2日の姫路講座も満席となっておりまして、キャンセル待ちの

受付けも締め切っておりますので、どうぞご了承下さいませ。

5月23日の東京講座の募集は、ナチュラルスピリットに

なりますので、募集までもう暫くお待ち下さいませ、今月の

中旬には募集をするそうです。




本の発売からひと月と経たないうちに、4刷り目が決まりました。

たくさんの方が手にして下さった事、感謝でいっぱいです。

在庫が品切れの状態で、すみませんがお手元に届くまで少しだけ

お時間が掛かるみたいです。

魂が安堵する事は、生まれたきた事を思い出す事でもあります。

生まれて来た時に 持たせられた忘れている能力を

誰もが思い出す事になります。

魂の深くで、懐かしさで涙が溢れてきます。

自分に触れると 魂の涙が溢れてきます。


まさよ




もう一つのわたしのブログ

愛しているよ 大好きだよ」のブログはいつも更新しています。


命生まれてくる意味   優れた能力  

お立ちより下さり 読んで下さったら嬉しいです。

 

1月27日更新

有難い事に 皆さんが沢山購入して下さったおかげで

一般発売前に増刷が決まりました。

感謝しても仕切れないです。いっぱいの思いでありがとうございます。



4月23日「愛しているよ大好きだよワーク」 がヒカルランド さん

主催で東京にて開催致します。 参加費は3千円です。

お申し込みは直接ヒカルランドさんまでお願い致します。

今後の講座の開催などは HPをご覧になって下さいませ。


愛しているよ 大好きだよ」もう一つのブログは毎日更新して

おります。

ランキングにも参加しておりますので、ご協力下さったら

有難いです。 どうぞよろしくお願い致します。

~~~☆~~~☆~~~☆~~~☆~~~☆~~~☆~~

1月12日更新

先ほどナチュラルスピリット社から連絡がありまして、

amazonと 書店の発売日が、一日早く1月21日になりました。 


そして紀伊国屋新宿本店様で、明日13日から先行発売をして

頂ける事になりました。
(先行発売は、紀伊国屋新宿本店だけになります。)

どうぞよろしくお願い致します。

 
 
 

 

 

こちらにもお立ち寄り下さいませ、
 

愛しているよ 大好きだよ」 毎日更新しております。

ランキングに参加しておりますので、応援クリックを頂戴出来たら

有難いです。どうぞよろしくお願い致します。

 




時間は自分で作るものだと言われる方がおりますが、わたしは

主婦であり 霊能カウンセラーでもありますので、自分の時間は

ほとんど無くて、家に帰って来てからも食事を作り メールの

対応に追われていていると、あっという間に一日が終わって

しまいます。

夜更けに書けば良いのかもしれませんが、個人相談で精魂尽きて

おりますので、寝不足で体調が悪いことは、気力体力に支障を

きたす事になります。

そうすると遠くからわざわざいらして下さる方々に、万全な霊能が

出来ない事は、とても申し訳ない事だなぁと思うのです。

僅かな時間で書き上げるのに、1年半が掛かってしまいました。

こうして本を出版させて頂ける事は、5年半ブログを読んで下さって

応援して下さった皆さまのおかげだと思っております。

印税は幾つかの団体に すべて寄付をさせて頂きます。

出来ればあしなが育英会や 国境なき医師団 動物の保護団体

にと考えております。

心から感謝致します。 ありがとうございました。





今日 ルームの帰りに、車の中から、天使の梯子が見えました。

厚い雲の間から見えた光の筋は、七色の光の筋になっていて

そして回りの雲も ほんのり七色でした。

七色の光の筋がとてもきれいで、わーきれいだなぁと

車から見上げてみていて、帰宅してメールの確認をしましたら、

ナチュラルスピリット社の今井代表からメールが届いていて、

発売日と アマゾンの予約のお知らせが届いておりました。

たまたま偶然かも知れませんが、何だか祝福されたようで

嬉しくなりました。 


 

 
 
 
 
 

ので、すみませんがどうぞよろしくお願い致します。

募集が始まりましたら わたしのブログでもお知らせ致しますね。

おはようございます。

今朝はとっても寒い仙台です。 昨日いらした東京のOさんは

今日平泉まで行かれると話していましたので、雨が降らないと

いいなぁ。



わたしの父は、生前 何かある度に霊がすがっているのでは

ないか、霊の障りがあるのではないかという人でした。

肩が痛いといえば霊の障りだと、何か上手く行かない事があれば

霊の怨念によるものではないかと 一事が万事そういう人でした。 

今にして思うと、どうしてそんなふうにしか考えられなかったの

だろうかと不思議に思います。

肩が凝ったなら、「あー疲れたのだなぁ少々無理したな」 と

何か良くない事が起こったとしても、「こういう時もあるさ」 と

普通はそう思うのに、それを全て霊に結び付けて考えるのは

なんて窮屈なのでしょうね。

何でもかんでも霊だと決め付けて考えられるのは、霊だっていい

迷惑だとわたしは思います。

霊媒体質なんて、そもそもありません。 

霊媒体質だと思っている方は、ご本人が過剰に意識している

からで、それを気にし出したらキリがありませんね、

だって全てに於いてそう結びつけてしまうのですから。

何かが上手く行かない事も、身体が悪い事も、刺身を食べて

お腹を下した事も、もしかして今日食べたカレーが不味かった

事も、全て運がない、波動だとか引寄せの法則、霊の仕業だと

思うのかも知れません。

それを過剰に煽る 目に視えぬものを扱うわたし達にも問題が

あるのだと常々思うのです。

昨日のニュースで、小さいお子さんが治療を受けずに亡くなったと

聞いてとても胸が痛みました。

心霊治療をした人は、どうしてそんな事を言ったのでしょう。

そしてどうしてそんな無茶な事を ご両親は妄信してしまわれたの

だろうかと きっと藁にもすがりたい思いだったのでしょうね、とても

切なくなりました。

神の力だとか、何かの力だといっても所詮は人です。

科学の医療の治療に勝るものなどありませんし

心霊治療やヒーリングで、何かが治る事などありません。

手を当てる事で、一時的に症状が緩和する事があったと

しても、病気が治る訳でも 寿命が延びる訳でもないのです。

もしも心霊治療で病気が治ったと言う人がいるのなら、それは

もともと治る病気だったのです。そこに心霊治療は関係ありません。

こういう事が起こるたび、いつまでこんな事が続くのだろうかと

心が痛みます。

父が病床に伏して、もう回復は難しいとなった時 姉は東京の

霊能者の方に大金を払い、そして毎日祈祷する事で絶対に

助かる、絶対助けると言われて 大金を積んでいた事を後から

知りました。 もう25年も前の事です。

それで大金を受け取った、その霊能者の方の胸は痛まなかったの

だろうかと、心霊治療をしたそのおじさんの胸は痛まなかったの

だろうかと わたしは人として不思議に思います。

そこに霊能者だから 神さまの力だから、神の啓示を受けた

からは関係のない事ですよね。

困っている人を 苦しんでいる人をもっと困らせたり 苦しませたら

いけないじゃないって、人としてわたしは思います。







昨日の「愛しているよ大好きだよ」ブログ「八坂神社」の事を書いた

大阪のKご夫妻。

ブログでご紹介しても良いとおっしゃって下さいましたので

ご紹介させて頂きますね、さのよいよいさんご夫妻です。

先日Yさんから レイキティーチャーになられたそうです。

ご夫婦で何かをされたら それだけで癒しになるそんなほっと

安心するご夫婦です。

わたし個人相談の時 いつも緊張するのです。

緊張は相手に対しても敬意でもあると思っておりますので、

毎回毎回緊張あってのリーディングなのですが、不覚にも

さのよいよいさんご夫婦の放つ ほんわか幸せオーラに 

ついつい気付いたら緊張せずにしておりました。。ガクリ

でも敬意はちゃんと払っておりましたとも、え~そうでしたとも。。

その証拠に口に含んだお茶を こぼしてしまいましたものううっ...





昨日の夕方 久しぶりに湖畔公園に行きました。

薄暗くなっていて寒かったのですが、一組の家族がおりました。

いつもこの時期は、四季桜が咲いていて昨日はたくさん花を

咲かせていました。
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 初冬の景色に桜の花も またきれいです。

きれいだと思える事に ありがとう


わたしの今日も良い日にいたします。

みなさんの今日も どうぞ良い日にされて下さいませ

感謝でありがとう。
 
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ごめんなさい。 連絡をするのを忘れておりました。

2月5日10時半「七色女神フーシャを使ったリーディング」を

郡山カルチャーで開催致します。

詳しくは郡山カルチャーまでお問合せくださいませ。


今後のワークの予定です。

2月 5日  七色女神リーディング(郡山カルチャー主催
 

2月 6日 東京一日講座(ナチュラルスピリット社主宰)
 

3月 8日  大阪にてレイキティーチャー受講日
    (ティーチャー再受講される方は千円です)

 


まさよさん ブログの更新どうされたのかなぁと思われる方も

いるかも知れませんが、もう一つのブログ

「愛しているよ 大好きだよ」は ほぼ毎日更新しております。  

よろしければお立ち寄りくださいませ。

 

 

こちらのブログを更新するのは久しぶりになってしまいました。

ひと月以上も空けてしまってすみません。


臨死体験をして、あの世を垣間見たというお話しをよく聞きますね

人には死は怖いけれど あの世を知りたいという欲求のような 

切望のようなものが 誰の心の中にもあるのでしょうね。

あの世はどんな感じだろうって思いますね。

まばゆさの中 懐かしさや安堵さや 幸福感でいっぱいなのかなぁ

とか 懐かしい祖母や 祖父 父や 母にも逢えるのかなぁって

思いますね。 

それを知りたいのは、理屈ではないのですよね。

臨死体験をしなくても 人は誰もが帰還体験が出来るものだと

思います。

覚えていないかもしれませんが、眠っている時もそうですし、また

起きている時も帰還体験は誰もが出来るものなのです。

きっとほんの一瞬の出来事なのに、長い時間が経ったように

感じて、それを神に逢ったというように思う人もいれば、あの世を

探索したと思う人もいるかも知れません。

実際にわたしも最初に光の中に入ったあの瞬間と 二度目の体験で

確かに神に帰還した確信を持ちました。

わたしたちが言うお花畑や 宇宙図書館や 三途の川は

わたしはその人のアカシックの場所だと思っています。

それぞれにアカシックの場所が人によって違っていて、エドガー

ケーシーさんが行っていた宇宙図書館を探しても 人それぞれに

行く場所が違うので、アカシックに行けないと思うかもしれませんが

人の意識は自由でね、そして不思議でね、本当はいつだって

どこにいても、寝ていても起きていても行けるんです。

数年前に あの世 というブログを書きましたが、昨日の講座で

みんなでアカシックに行ってみました。

というよりもそれぞれのアカシックの場所へ行く方法をしてみました。

どの方法で行くかは自由で、行った先はその人が自分の場所を

拡げて自由に操れるようになるまで そこの場所を動かしてもらえ

たらいいなぁと思いました。

わたし達の意識は神の意識 その意識は無限だと思うのです。

身体を持ってここに在る事を感じ、日々を生きる事は大事ですね。

でも帰還体験をする事は 自分を知る事になるのでね、

自分がここに在る意味を 大切さをもっとしっかり明白に腹に据えて

生きる事になるのです。



人に迷惑を掛けて生きてきた事を 悔いて生きる人もいれば

きちんと生きて来なかったと嘆く人もいるかも知れませんが

迷惑ってなんでしょうね。 きちんと生きるってなんでしょうね。

わたしも迷惑を掛けずにきちんと生きて来たかと問われると 

自信を持って答える事が出来ません。

普段の行ないなども含め、みなさんが言われる清い霊格を上げる

ような生き方をしているかと問われれば 自信を持って答える事も

出来ません。

誰かに迷惑を掛けないように、普段から心掛けてはいても、迷惑を

掛けない生き方は もしかしたら出来ないのではないのかなぁってね

思うのです。

人はすでに生まれた時から死ぬまで 誰かに迷惑を掛けて 

そして迷惑を掛けられて生きていると思うのです。

わたしは心清く在りなさいとは 人に言えません。

だってわたしが清くないから。

世の中の仕組みを知りなさい、悟りなさいとも言えません。

自分が生きる事で精一杯ですから。

でもね、それでもね もがきながらも恥をかきながらも生きた事が

わたしの証だって思うから、消したい過去も帳消しにしたい過去が

ある事もわたしの証。

それでも神さまは そんなわたしやあなたをも認めて下さるから

だからもうそれで良いと思っております。

開き直るのではなくてね、わたしが生きたちっぽけな証なんて

いづれ周りの誰かの記憶から消えてしまうでしょう。

ならば人生の恥は、かき捨てで良いではないかと思うのです。

あなたもわたしも 恥をかいて生きて行く それで良いのではない

かなぁってね思うのですね。

でもね、きっと神さまは それを恥ではなくあなたの宝物だねと

言って下さるから。

頑張ってきたねって誉めて下さるから。

だからわたしも 自分にそういいます。

思い出したくない出来事も 恥ずかしい出来事も 愚かな事も

偉かったねってそう言ってあげます。







前に何かのテレビ番組で、生体移植を受けた後で 食べ物の好みや

性格が変わったり、知らない記憶や映像をみたりする事があると

いうのを見たことがありました。

その時は、人の記憶や感情は脳にあると思っていたので、他の

臓器も同じように記憶があるのだろうかと、疑問に思った事が

ありました。

でもね、臓器が持ち主の記憶を保有している訳ではないそうです。

上手く説明できたら良いのですが、人は身体が無くなった時点では、

まだ自分の身体があると暫くは錯覚を持つのだそうです。 

だから亡くなって間もない頃は、テレビや電気を付けたり消したり

できるし、何かモノを動かす事も音を出す事も出来ます。

でも完全に身体が無くなったと自覚する事で、身体があるという

錯覚も次第に無くなっていくので、テレビや電気を消したり

付けたりする事が出来なくなってしまうのだそうです。

先日 葉っぱのダンスの記事にも書きましたが、お亡くなりになって

間もないとモノを触る感覚もちゃんと残っていてね。

先日 岩手の神社のKさんが個人相談にいらして下さり、自宅での

不思議体験を教えて下さいました。

Kさん家の中で透明人間にぶつかったそうで、びっくりしてふり返って

みたら 透明人間も驚いたような顔でこちらを見ていたと、これって

何だったのでしょうかと聞かれました。

その時の事を透視で視た時、黒っぽいモヤのような煙りのような中に

白いお顔が見えました。 

まるでジブリに出てくる顔なしのようだなぁと思いました。

廊下を通るKさんが来たので、透明人間は一応廊下の端に寄って

真ん中をあけてKさんを通そうとしたのですが、そんな事は知らない

Kさんがすごい勢いで、ぶつかったのでしょうね。

Kさんに背を向けて立ち止まっていた透明人間も 驚き顔で

降り返って見ているんです。

普通の人の目には映らないのでしょうけれど、Kさんにぶつかった事で

見えたし体感したのでしょうね。

この透明人間は妖怪や魔物の類だと思うかも知れませんが、

お亡くなりになってまだ間もない、少し目の細い顎のシャープな

30歳前後の男性でした。

ちゃんと亡くなった事を自覚していたので、周りの人には視えて

いない事を言い事に、本殿が閉まっていたから勝手にKさんの

自宅を通って、本殿に続く廊下を通り 神様に直接ご挨拶に行こう

としたのでしょう。 

でもKさんにぶつかられた事で さぞびっくりしたでしょうね。

亡くなって間もないとお寺さんや 神社さん 教会などに挨拶に

行かれる方が実際にとても多いです。

きっと、生前の習慣とかもあるのでしょうね。


話を戻しますが、臓器の記憶は自分の身体の一部が

誰かの体の中で生きていると魂は、臓器はまだ生きていると

錯覚を持ち続けるのだそうです。

機械だったら時々誤作動を起こしてしまう感じに近くて、

 

憑依とかそういうモノではなのですが、身体がまだ「在る」と

 

いつもどおり、動こうとするのです。

いずれ臓器の持ち主が自分の身体がないと自覚すると 臓器が

故人を記憶していると思うような 不思議な現象も次第に無くなっ

ていくのだそうです。







一日講座 昨日ご参加下った皆さま お手伝い下さった皆さま

有難うございました。 おかげさまでした。

あっという間に時間が過ぎてしまい、楽しい時間でした。

いつもはオーラの視方はしても 実践をしていなかったので

昨日は ”この人のオーラの色は、きっとみんなも見えるだろう” と

思う人を白い襖の前に座ってもらって、皆さんにも見てもらったので、

たくさんの人が 放射状に見えるオーラの色を見る事が出来る

ようになっていて嬉しかったです。

毎回 内容もやり方も微妙に違うので、風子さんが感想をいつも

教えてくれるのですが、「今回は難しかった」と申していました(笑)

風子さんは何度もお手伝いで参加して下さっているので 毎回の

様子を冷静に見ているのでいつも助かります。 

そして今回はスペシャルゲストにぴよちゃんも参加してくれました。
 

ちえさんがぴよちゃんを連れて参加して下さったので、
 

リアルぴよちゃんをみんなも見れました。 
 

写真を撮るのを忘れましたが、ちゃんとね「ぴよ」って名札も付けて
 

参加しましたよ。

 


まだまだ先だと思っていましたが、もう10月なのですね。


10月17日青森レイキ交流会と 10月31日浜松レイキ交流会で
 

青森と浜松に伺います。 
 

ご参加される方は、カレースプーンを忘れずにお持ち下さいね。
 


まさよさん ブログの更新どうされたのかなぁと思われる方も


いるかも知れませんが、もう一つのブログ


「愛しているよ 大好きだよ」は ほぼ毎日更新しております。  

 

よろしければお立ち寄りくださいませ。

 


昨日のきれいな夕焼け ため息が出るくらいきれいでした。
 

同じ空を見ていた人もきっと多かったでしょうね
 

夕焼けきれいだけれど、物悲しいのは何ででしょうね。

日が暮れるのが早くなりましたね、今日も良い日に致しました。
 

いっぱいの感謝でありがとうございます。


 

 

 

盆の入りですね、愛する人の魂もきっとみなさんの元に還って

来ている事でしょう。 

本当はね お盆やお彼岸だけ還ってくる訳ではないので

いつだって家族の愛する人の側にいるのですけれどね。



子どもの頃 日本人形や フランス人形のようなものがとても怖くて

仕方ありませんでした。

きれいな着物を着ているのに、その風貌はなんとも言えない

とても怖いものでした。

人形の内側に何か別な存在がいるようで、ぞくりとするくらい

怖かったように思います。

きっとテレビの影響だと思うのですが、何も言わなくても

子ども達も小さい頃にお雛様を怖がっていたので、きっと同じ様に

人形が怖かったという人も多いかも知れませんね。

人形は髪の毛が伸びたり、無念で亡くなった人の霊が入るって

言われているので、どこかおどろおどろしさがあって、夏の怖い

番組の定番のような気が致します。

今このようなお仕事をさせて頂いていろんな方や いろんなモノを

視させて頂いて知った事は、人形の中に何か魂が入り込むとか

怖い霊が乗り移る訳ではないのですが、人の思いをそのまま受け

入れるところが人形やぬいぐるみにはあると思います。


先日東京からchieさんが 亡くなったお父さんの事でいらして

下さったのですが、その時に可愛がっているぬいぐるみの

ピヨちゃんの事も視させて頂きました。

小さい生き物をペットとして飼っている時、どんなに小さくても
 

人と変わらぬ感情を持ち合わせている事を、もう一つのブログにも
 

「突然 「小さきもの」というタイトルで書かせてかせて頂きました。
 

どんなに小さくても 生きていると生命エネルギーという魂の
 

揺らぎがあり、そして飼われている生き物は人の近くで暮らして
 

いる事もあり、家族と同じようにいろんな思いや感情があります。


 

そして時として モノにも感情に近い気持ちを感じる時があって、
 

ぬいぐるみや 石や モノには、生命エネルギーという揺らぎは


感じられないのですが、それでも同じ様に悲しみや喜びを感じとる


場合があります。
 

どうしてこのように意識を持って伝えてくるのだろうかと 以前疑問に
 

思った事がありました。
 

それは何か悪い浮かばれない霊が乗り移るとか ぬいぐるみの中に
 

入り込む訳ではなくてね、
 

可愛がってくれる人の思いや愛を ぬいぐるみやモノが受け取って、
 

それが感情に近い気持ちを芽生えさせる事になるのだと 不思議な
 

皆さんに教えてもらいました。 愛の疎通なのかもしれませんね。

 

子どものように慈しみ可愛がっていると、人形もそれに応えようと
 

しますし、憎しみや無念で日々暮らしていると 人形やぬいぐるみが
 

憎しみや無念の気持ちを汲み取ってしまうので、そうした人形に
 

触れると 何となく悲しい記憶が伝わってきたりします。 
 

持ち主が憎しみや悲しみに暮れていると 人形は少しでも
 

その人の悲しみを汲んで軽くしてあげたいと思うのでしょうね。
 

持ち主が そのまま無念のまま亡くなったとしても、人形の中に


持ち主の魂が宿る訳ではありませんが、無念の思いだけを


人形は記憶するのかも知れませんね。
 

 


 

 

ピヨちゃんが教えてくれたのは、「いつも座りっぱなしは嫌だから
 

足を下ろしたい」 「頭を固くして欲しい」
 

「布で拭くのはいいけど洗われちゃうのは嫌だから」って
 

そして「あいつは嫌いだけど、chieちゃんが好きだから我慢する」と 

教えてくれました。


どういう事だろうかと思ったら、ピヨちゃんは元々ゴルフクラブの

カバーのお人形さんで、中が空洞になっているのだそう。

一緒に住んでいる彼がピヨちゃんを持つとき 頭を鷲掴みにして

持ち上げるそうで、その時に頭や顔がぐしゃって潰れるのが嫌だから 

頭を掴まれても潰れないように 頭に固いものを入れて欲しいと。

そしてchieさんは ピヨちゃんが汚れてきたから洗う話をしていた

らしく、洗われる事は嫌だと伝えてきました。

一緒に住んでいる彼は、chieさんに優しくないから嫌いだとも。

普段動かないぬいぐるみも 意識を合わせるとここまで話すのかぁと

思いました。


わたしの家にも意識を持っているぬいぐるみがおりますが、忙しい事も

あり、一方的に話し掛けるだけで、なかなか向き合って話すことまでは

していません。

犬や猫みたいに本当は言いたい事が沢山あるのだろうなぁって思う

のですが、ピヨちゃんを視て 家のぬいぐるみも粗末にしたら

いけないなぁと改めてそう思いました。
 


 

ぬいぐるみとお別れする方法を 以前にも書いた「記事」がありました。

もしどうしても処分をしなければ行けなくなった時は、お炊き上げに

出さなくてもよいので 最後までご自分でお別れをしてあげて

下さいね。

わたしは、「ありがとう 沢山たくさん見守ってくれてありがとう、

悲しみも喜びも一緒に感じてくれてありがとう もうお役目を卒業しても

良いからね」 そういって自分の衣服に包んで 新聞紙に包んで燃える

ごみに出します。


感謝でお別れをした時点で モノの気持ちは上手に昇華されて

行きます。

もしお引越しなどでモノを処分される時は、あなたのお気持ちを

ほんの僅かでも良いので モノや ぬいぐるみにも下さいね。




わたしがお盆に実家に帰ると 子どもの頃から知っている

お亡くなりになったご近所の方々が ご挨拶に来て下さいます。

そんな時 「あ、誰か来た」 と口に出すと子どもや 姉が

怖がるので、なるべく口に出さずに黙っておりますが、

夏は特に窓を開けているせいか、ジャリ ジャリっと石を踏んで

人が近づいてくる音が どうしても聞こえてきます。

あーまた どなたかいらしたなぁって思うのです。 

何をする訳ではなくて、ただのご挨拶なのですけれどね。


いつだったかご相談にいらして下さった方が、友人が亡くなってから

もう随分お墓参りに行っていないと とても気にされていました。

「お盆やお彼岸でもなくお墓参りに行くと 他の何か浮遊霊を連れて

来そうで、怖くてなかなかいけないのです」 と話されたとき

そのお友達が にこにこしてすーっと側に立ちました。

「わー久しぶり、あの時いろんな話をして楽しかったね、

どっか旅行に行きたいねと言いながら 結局行ってないね。

でもあのとき二人でいつも笑ってて楽しかったね。

思い出してくれてありがとう とってもうれしかった」って、

満面の笑みで話し掛けて来ました。  

髪の毛を一つに纏めた30代の女性でしたので、特徴をお話ししたら

その方の亡くなったお友達でした。

わたしはいつも言うのです、お墓参りに行けなくてもね

思い出してあげる事が供養であり、亡くなった人がとても

喜んでくれることでもあります。

亡くなっていたとしても生前と何も変わらなくて 姿は無くても

その存在はいつでも あなたの側にありますので、儀式とか義務

ではなくて ただ思い出してあげて欲しいのです。

それはね、何度も言いますね。

亡くなり方に関係はなくてね、亡くなった人を 亡くなり方に 

良い悪いと決めつけないで下さいね。

亡くなった人があの世で苦しんでいると 悪く言わないで下さい

悪者にしないでくださいね。

人は正直なので本当に苦しければ、苦しいと亡き人は言います。

亡くなった人が何を話すのか ちゃんと言葉に耳を傾けてあげて

下さいね。 

聴こえないと思っているかも知れませんが あなたが思うこと

間違ってはいないんですよ。 

だって家族だから 誰よりも判ってあげられているはずです。

もう一つのブログ「魂のリーディング」にも少し書きましたが、亡くなって

いたとしても生前の話し方や クセまで消えてしまう訳ではなくてね、

生前亡くなったら無になると 何もわからなくなると思っている方も

亡くなった後でもきちんと 己が残っているのです。

死んだら無になると言っていたFさんも 亡くなった後からでも

たくさんお話して 無になると思ってたのはうれしい誤算だったって。

名古屋のひとみさんも まだまだ生きたいって言っていたのに

「うん。こっちもなかなか快適だよ」って 教えに来てくれた事が

ありました。 

こうして亡くなった方々が話して教えて下さるので、わたしはあの世

の事、亡くなった後のことを知れるのです。

そして真実って 一体なんだろうっていつも思うのです。

真実はその人にしかわからないのだと思います。








何年か前に 実家で野良猫を飼い始めました。

その時 初めてその猫をみた時 「猫じゃない」って思いました。

声には出さずに意識で「おまえ猫じゃないよね?」って話し掛けたら 

寝ていた猫がスッと立ち上がり くるりと振り返り わたしの事を

じーっとみていました。

また意識で「おまえは猫じゃない」って話たら 咄嗟にわたしの

目の前から逃げていきました。

大きな声を出したり 睨んだりした訳ではないのに、それからわたしが

実家に帰ると 猫は姿を隠して絶対にわたしの前には出て来なく

なりました。 

母は 「まさよが犬を飼っているから 怖いんだよ」って言いますが、

犬が居ても居なくても わたしの前には出てきません。

壁越しに気配を伺っていても、わたしの視界には入らないように

しているのです。

これを書くとまた姉が怖がるし、長くなりますので、このお話しは

またいつか もう一つのブログにでも書きますね。

愛しているよ大好きだよのブログ いつの間にか光の記憶のブログ

よりも 記事が多くなっていました。

新しいブログも沢山の方が見て下さってありがとう。

うれしいです。







昨日 今日と仙台でも強い雨が降って 少し肌寒いです。

九州で雨の被害が出ているそうですが、皆さんのところは

大丈夫でしょうか? 

全国から沢山の方が仙台までいらして下さっておりますので、

ニュースなどで各地の情報が入ると 誰々さんはお元気だろうかと

思い出します。 本当に有難い事だなぁとつくづく思います。

何事もなければ良いですね。 全て最善であれ。


長くなりました 読んで下さいましてありがとうございます。

 

 

5月だったと思います、宮崎からお母さんと一緒にいらして下さった

みゆきさん。

6年生のお子さんを亡くされていて、その死因もそうだけど

息子がどこにいるのか、今どうしているのか、

警察から自殺だと言われたけれど、本当はどうだったのか

真実が知りたいと遠くからいらして下さいました。

亡くなったK君が、わたしに教えて下さった事は「心臓が急に停まった」

と 若年性の心不全だったと教えて下さいました。

その事をお母さんと、おばあちゃんにお伝えしたら 

「そういえば亡くなる3日前に心臓が痛いから 今日はお稽古を

休んでいい?」ってお母さんに言っていたそうで、その事を

おばあちゃんは、初めて知ったらしくて「そんな事があったの?」と 

とてもびっくりされていました。

聞いてみたら、心臓の検査を数年に一度受けていたらしくてね

今は大丈夫になったけど、中学生に上がったら検査に行かないとね

と話していたのだそうです。 


こんなに小さい子が亡くなって 親御さんもご家族もとてもお辛い

事だと思うのです。 

自分が生きている事が不思議なくらい 時間の感覚も 流れも

全てが止まったと感じてしまうくらい 苦しい事だと思うのです。

あの時気付いてやればと、悔いて自分を責めたくなるだと思います。

でもね、K君はとても自分の死を 冷静に受け入れていてね

ご家族にしてみたら とても辛い事だと思うのですが、

亡くなった後の心の整理に、魂が悟るのに年齢は関係ないのです。

K君がわたしに教えてくれた事は 「自分の死を受け入れている」と

静かに言ったこと、そして無邪気に「最後に食べた晩御飯が自分の

好きなものだったから、うれしかった満足だったぁ」って教えてくれて

それを聞いたお母さんと おばあちゃんが顔を見合わせて

号泣されてね、「偶然にも亡くなった日の晩ご飯はK君の大好きな 

たまご寿司と カレーだった」って、それを聞いてわたしも

堪えられなくなってしまい号泣してしまいました。

K君、足がひょろっと長くてね、少しX脚なんだと思いました。 

走る脚に特徴があって、サンダル履いて半ズボンで 

庭を少し小走りに走って 引戸を開けてお家に入って行きました。

「夏が大好き 家が大好き、家族が大好きだ」と。

「家族が喧嘩すると落ち着かない」って教えてくれてね

お母さんと〇ちゃんが喧嘩する事で、おばあちゃんが間に

入って困っている姿をみたくないのでしょうね。

自分が居なくても 大好きな家族がこれからも いつまでも

仲良くして欲しいことを教えてくれました。

脚に特徴がある姿は、それはまさしくK君の姿であり、

「玄関も本当に引戸なんです」って、お二人が教えて下さいました。

「まさよさん、Kの事いつかブログに書いて下さい」とみゆきさんに

お願いをされておりましたので、今日ここに書かせて頂きますね。

本当はもっと沢山の事をお話しさせて頂きました。


先月は 埼玉からご夫婦でいらして下さったTさん。

五年生の息子さんを交通事故で亡くされていて、息子の声を

知りたいとご夫婦で一緒にいらして下さいました。

人はそれぞれに性格が違いますが、それは亡くなった後でも

大きく左右されてしまいます。

亡くなった人の言葉をお伝えするのに、毎回 毎回

人が違えばお話しされる事も 状況も違ってきます。

Tさんの息子さんは、なかなかいらして下さらないのです。

きっと怖いおばさんに𠮟られると思ったのでしょうね、

それでも少し慣れてくると ちょっとずつ話してくれました。

「俺のいない間は、ママを守るんだぞ」ってパパが言ったから

今でも僕がママを守るっている、 パパとの約束だからって。

ご主人は本当にお子さんが亡くなる少し前に そう言ったと

話していました。 

子どもは本当に健気で、生きている時も親の力になりたいと

願うものです、でも身体が無くなったとしてもその思いは同じで、

身体を無くしたからこそ守れる事があるのだと、自分の死を

受け入れるのです。



わたしは皆さんにお話ししている事があります。

それは透視やチャネリングは高次元の存在とだけで、亡くなった

人は視ませんという方が一般的にとても多くて、それは違うのだと

いう事をお伝えしております。 

もしかしたら亡くなった人が 穢れているとか 低いものだと

誤解されて、そうおっしゃっているのかも知れません。

でもね、人は必ずいつか亡くなります。 

自分も 自分の親も 自分の子も 自分が愛する者たちも

必ずいつか亡くなるのです。 

わたしは 何々は視ませんとはいえません。 

その時 その人に誰の言葉が必要なのかは わたしが決める

事ではないから。

身体を卒業することは 神さまの迎い入れなのです。

魂は 神さまの分け御霊なのです。

それこそが神が望む、神さまのお言葉伝えだと思っております。

「まさよさんは誰か亡くなった人を視る時も おどろおどろしく

 

ないのですね、普通に自然にお話しされる

のですね」ってよく言われます。

この世におどろおどろしいものなんてね、どこにあるのでしょう。

おどろおどろしくする必要なんてないのです。

おどろおどろしくてしているのはね、 生きているわたし達なの

ですから。


いつだったか4,5年前の事ですが

梵字のおじいちゃんだったかな、不思議な皆さんに教えてもらった

事がありました。

「脳が解明されれば、あの世も解明される、そうしたら人は

本当はあの世が無かったことを いつか知ることになる」と

先日たまたま見たテレビで、自分とそっくりなアンドロイドを作り

自分の脳の一部を移植させて、亡くなった後でも 人が

アンドロイドとして生きていけるお話や、

人の脳の一部をパソコンに取り込んで、亡くなった人が

パソコンの中で永遠に生きていく 人格をもったパソコンの

お話しなどしていました。

近い未来 人は亡くなった後でも アンドロイドとして、又は

電子機器の中で生き続ける事になるのでしょうね。 

とても興味深くみました。

そうなると、いつでも誰もが亡くなった人と普通に会話できる日が

来るのでしょう。

そういう死の形が そう長くない未来で実現するのでしょうね。

その時代、あの世という宗教観も もしかしたら変わってしまうの

かもしれません。

死者 = 穢れ、低い おどろおどろしいというイメージが変わって

下さるのなら、それはなんて素敵なことだろうと思います。

未来ってすごいなぁ。




人は生きていたら 誰もが必ず辛い思いをしますね。

人は自分の事だけで精一杯なので 

自分が辛い思いをしている。

自分が辛い思いをしてきたと 「自分が」って、人はついつい

思いますが、辛い経験をするのは 人は生きていたら

みんな同じでね、人は平等なのだと思います。

でもね、辛さには二通りあるように思うのです。

そこから逃げれる辛さと どうしても逃れられない辛さがあって、

逃れることが出来るのならば、そこで我慢する必要はなくて、

頑張って我慢したから良いのではなくて、逃げれるのならば

逃れても良いのです。

でも逃れる事が失う事になると とたんに人は臆病になるのかも

しれませんね。 

でも、それを選んだのは他でもない自分で、あえて辛さを選んだの

ならば、悩んだとしても 悔やんだとしても仕方なくてね。 

後は覚悟して腹を括るしかないのです。

わたしは逃れられる辛さならば、逃げて良いと思うのです。

我慢する事はね、美徳でも 修行でも何でもないのですから。


だけどね、どうしても逃れることが出来ない苦しさもあります。

どう足掻いても どうやっても無理ならば とても苦しいですが

その苦しみは すぐに消える事はないかも知れません。

でも、時間と共に必ず変わってきますので、それをひたすら

待つしかないのです。

実際には何も変わっていないかも知れませんが、それでもね

心が 魂が全く違っているのです。

あれだけ苦しかったのに 何も変わってはいないかもしれないのに、

心はとてもラクになっているはずなのです。

そうするとね、同じ苦しさではないのです。

それはね、人という 神という魂の成長だと思うのです。

いずれ誰もが神に還るとき、どれだけ苦しみを経験したかより

苦しみをどのように自分の中で心軽くしたか そこに大きな意味が

あるのだと思うのです。





今日もとても暑くなると思ったので 五時半に犬さん 猫さんを

連れて 湖畔公園まで行ってきました。

すでに日が高くて暑かったのですが、朝露を蹴って走るいちごと

うりがうれしそうでね、わたしまでうれしい時間でした。

昨日の一日講座に参加して下さった方が 夜行バスで帰られると

いうので、空いろルームを空けて そこで休んで時間を潰して

もらいました。

個人相談に皆さん全国からいらして下さるので、もしも飛行機に

乗り遅れた事を考えて、空いろルームには テレビも お布団も

用意しているのです。

今日 ルームのお花たちにお水をあげに行ったら

とっても小さな カマキリを見つけました。

花びらと比べても
 

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わたしの指と比べても  ちっちゃいの

 

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でも触ろうとすると いっちょまえにカマを振りかざして

威嚇するんです。  

早く無事に大きく大きくなぁれ~。 



長くなってごめんなさい

今日も良い日に致しました

みなさんの明日も良い日にされて下さいませ

感謝でありがとうございます。




「愛しているよ 大好きだよ」のブログです

「イベントのお知らせ」です

以前にもソウルメイトの事を書いたように思うのですが

今回は結婚していて 他に好きな人がいる場合の事を

書かせて下さい。

目の前にある幸せは 平凡すぎて空気のように変わらずにあるので

それはつまらないものなのかも知れません。

そんな時、他で出会う相手はとても キラキラしていて話も面白く

そして何よりも一緒にいて 楽しくて安らげる相手に映るのかも

しれません。

そこでもしかしたら、許されない関係になった人も多くいるのかも

しれません。

そうなるとその相手こそが 自分の本当のパートナーソウルメイトだと

思い込んでしまうのかもしれません。

そして離婚を考えて 深い悩みに捉われてしまうのでしょう。


不倫には二通りあるように思います。

旦那さんに 奥さんに黙っていればわからないから お互い今を自由に

好きにする人と

旦那さんや奥さんに言えない 嘘をついている事が苦しくて

罪の重さに苦しむ人と二通りあるように思います。

不倫を応援する職業の人もいるそうなので、いろんな人が

いるのだなぁと知ります。

人それぞれの考え方があるのでしょうから その事で良いか悪いか

なんて言う権利は わたしにはありません。

ただね苦しんでいるのなら 早く気付いて欲しいと心から願います。

人には人生の中で、幾度か心焦がす相手が出てくるのかも

知れません。

それは芸能人だったり、海外のスターだったりもそうで 不倫をされる

方は、たまたまそれがお近くだったのでしょうね。


でもね、旦那が悪いから 妻がこうだからと理由がそこにある人や

お互いに都合の良い理由を付けて、罪悪感を感じない人はきっと

この先誰と一緒になったとしても どんな人に会ったとしても同じことを

繰り返すことでしょう。

お互い長く暮らしていたり 結婚していたら必ず自分の思い通りには

ならないと思います。

そういう意味で夫婦が一緒になる時点で 決してソウルメイトでは

ないとわたしは思うのです。

お互いの伴侶の愚痴を理由にした不倫は、わたしはそこに愛も

生まれないし、魂の成長も何もないように思うのです。

不倫も 離婚も 夫婦の問題だと当事者は言います。

でもね決して夫婦の問題ではなく 子どもを巻き込んだ家族の問題

なのだという事をどうか知って下さい。

自分の両親の名誉を傷つけるので こんな事をブログに書く事を

とても躊躇したのですが、父に外に女の人がいると知ったとき、

わたしは子どもだったので、とても深く傷つきました。

わたしの心は、ショックと悲しみで深い傷を負いました。

離婚する 離婚しない 

そういう会話が子どもの耳に届くとき 子どもの心は不安と緊張に

さらされてしまうのです。

わたしは、子どもの時の事を思い出すと

不倫して離婚するかどうかは、夫婦の問題ではなく子どもを含めた

家族の問題だと思うのです。

あなたにとって何が一番大切な事なのか、何を一番に守りたいのか

それを思うと安易な事は 出来ないと思うのです。


あなたが一番に守りたいのは何ですか?

あなたが一番大切なものは何ですか?

自分の人生が一番だという人も もちろんいらっしゃる事でしょう

心の思うままに生きたいと思う人もいるでしょう

一度の人生ですもの、それもまた良いでしょう。

でもね、あなたの喜びは あなたがしたいことは

誰かの犠牲の上に 誰かを悲しませて得ているかもしれない

という事を忘れたらいけないように思うのです。

自分の幸せの為に、自分が生きたいように生きる為に 

傷つけても仕方ないだろうとはね、思って欲しくないのです。

悪い事をしたなぁ、でもこういう生き方しか出来なくてごめんという

気持ちが心のどこかに欲しいなぁって思うのです。人としてね。

それは形のない愛の証だって思うのです。

傷つけたかもしれない家族への謝罪という愛の償いだなぁってね

思うんですよ。


もし目の間の幸せを失いたくないのならば、どうか早く気付いて

下さい。

ソウルメイトという言葉に翻弄されないで下さい。

確かにDVとか 虐待とか離婚した方がよい場合もあります。

離婚して安堵を幸せを手に入れた人も多いでしょう。


でもね、愚痴の馴れ合いの延長線上の不倫は その目の前に

ある楽しさ心地よさはずっと続くものではなくて、必ず魔法が

とけた瞬間 大事なものを失った事に気付くと思うのです。

その代償は とても大きなものだと思うのです。

失って気付くことも学びかも知れませんが、失う前にどうか

気付いて下さったらと心から願います。






金曜日 山形からKさんがいらして下さいました。

もう寝たきりで 意識もない叔母さんの事でいらして下さったのですが

Kさんの横に立った叔母さんの姿を視たとき、あーもうお亡くなりに

なっているなぁと思いました。

もしまだ生きておられたなら、体も痩せ細ってベッドで横に

なっている姿で視せて頂くことになるのですが、

Kさんの叔母さんは少し若返っていて、Kさんの横に凜として美しい

姿で立っていたので、既にお亡くなりになっていると知りました。

「女四人姉妹で」 そうおっしゃるので、「叔母さんは4人姉妹なの?」

って聞いたら 「女6人です」 とKさんが言うのです。

でも何度も「おなご四人で会いたい」と言うので それをお伝えしたら

6人の姉妹のうち すでに二人は亡くなっていて、今年の夏4人で

久しぶりに揃うことを楽しみにしていたそうでした。

自分のお葬式に 自分を含めて四姉妹が揃ったなら もう後は

満足だと伝えて来ました。

Kさんのお母さんでもある 「姉のこと頼むね」 そう伝えたら満足

だったのでしょうね。 

人は亡くなる間際 苦しそうにしているように見えるのですが

実際に身体に意識はないのです。

身体を抜けた状態でおりますので、いろんな場所に行っていて

自分がこれから還っていく場所を 下見に行っていたりします。

亡くなる時 身体と魂が急に切れる訳ではなくて、身体と魂の

つなぎ目は、徐々に次第に細く長くなっていきます。

それは病気でも 事故でも 自死でもある日急に切れるのではなく

その日に向けて徐々に次第に細くなっていくのです。

そして細くなった糸を最後に切る事が、最後のお役目なのです。

そしてお役目を終えた後 誰もが神さまに迎え入れられるのです。


糸が次第に細くなってくると 人は会いたいに人に会いにいって

還りの挨拶を お別れの挨拶をして回ります。

そして自分の体に一瞬だけ意識を戻して 最後の糸を自分で切る

のだと不思議な皆さんに教えられました。
(糸と表現していますが おもちがびよーんと伸びた状態に近くて
その一番細くなった状態を糸と表現しています)

そういう最後の時の 還りの挨拶周りの時も、やはり少しだけ

若くなっていて 凜として気高く視えるのです。

Kさんの叔母さんの時 最初姿だけでは亡くなったばかりか

亡くなる間際がわからなかったのですが 立ち姿というか

その気配やお話しの内容から、きっと既にお亡くなりになって

いると思いました。

翌日Kさんからメールで その日の午後1時に叔母さんが亡くなって

いたと教えて下さいました。

魂はとても気高く そして神々しいものなので、亡くなる間際

人はね、皆 凜とした神さまに視えるのです。

生きた神様がお戻りなる瞬間なのだと思います。

お疲れでしたね。 

どうぞご安心して神さまのお姿に戻られて下さいねって

そうお伝え致しました。





愛しているよ大好きだよまさよ」わたしの日常を書いたブログです。

大した事を書いていないせいか、面白いなぁって思うのは

「愛しているよ」のブログは毎日更新しているのに

月に一度しか更新しない 「光の記憶」 のアクセスを

超えた事は一度もなくてね、

更新していない「光の記憶」は、毎日たくさんの方が

いらして下さる。 つくづく有難いなぁって思います。

でも新しいブログは、みている人が少ない安心感があって 

ネジが緩んだ自分を出せるような気がします。 

わたしの息抜きブログです。









いちごの頭にサンキャチャーの虹が出ていて

髪飾りみたいです。

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滅多にみることのない うりの寝顔 犬は沢山寝るのに

うりはあまり寝ないのです。寝顔にほっこりします。

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みかんの曲芸のような寝姿 

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三匹それぞれに。

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空が青くて、風が心地よく今日も良い日でした

夜空がきれいで いつまでも眺めていたい夜です。

感謝でありがとうございました。
 

ごめんなさい長くなりました。

 

GWも中日ですね、みなさんはどこかにお出掛けなのでしょうか

初夏の陽気の仙台でしたが 今日は少し落ち着きました。


ご相談を受けていて、「わたし子どもを産めますか?」とか

「わたし子ども産みますか?」 と聞かれる事があります。

もうじき生まれてくる子がいる時は、近くに大きく見えますので

そういう時は「遠くない時期に赤ちゃんがきますよ」って言えます。

遠くにまだ小さく見えている時は、今すぐにではないけれど

あー生まれてくるその時を伺って 待機しているのだなぁと

わかる時「大丈夫 少し時間が空きますが必ず生まれてきますよ」

って伝えます。

この遠くにとか 近くにっていう言い方は上手く言葉で表現できない

のですが、生まれるのに距離感みたいなものを感じるのです。

お腹に既に入っているとか もうじき着床するのが近い時は

赤ちゃんの姿がとても大きく視えます。

生まれてくるのにまだ時間がある時は、小さく視えるのですが

光るようなエネルギーに包まれた、小さな赤ちゃんの姿で視えます。

仮に流産されてしまわれたとしても、仕切り直してすぐにまた生まれて

くる時も近くに視えます。


昨年の夏 実家が近所のまるちびちゃんと会ったときも

「まさよさんわたし二人目って産む?」って聞かれたとき

とても近くに見えていたので「大丈夫すぐ来るよ」って言ったあと、

すぐタイミングよくお二人目を妊娠されました。 

それは 本当にまるちびちゃんの近くに大きく視えていたから。


わたしが困るとき、それは何度視ても 遠い先を視てみても

子どもの姿が視えないとき、とても答えに困ってしまいます。

子どもを切に望んでいる人にとって、又苦しい不妊治療をされている

人を目の前にして 「残念ですがお子さんは生まれません」と

言わなければならない事ほど 辛いことはありません。

同じ女性として、胸が苦しくなります。

皆さん同じ様に 旦那さんにお子さんを抱かせてあげたい 

両親に孫の姿をみせてあげたいって思っていて、その思いは

とても切実で、その気持ちも痛いほどよくわかります。

きっと皆さんわたしから「大丈夫ですよ 必ず生まれますよ」 

その一言が聞きたくて いらして下さっている事も重々承知して

おります。

出来れば嘘でもそういって喜ばせて差し上げたい、その思いで

心が揺れる時があります。

でもね、嘘はつけないのです。

不思議な皆さんが どうしてその人をわたしのところに連れて

いらしたかを思うと やっぱり嘘は言えなくてね。

今世 母親や父親を選ばなかったという事は、それ以外の喜びや

楽しみ そして苦しみを選んできただけで 誰のせいでもなくてね

誰かが悪い訳でもないのです。 

「わたしと結婚しなければ 主人は子どもを持てたのに」 とご自分を

責めて ご主人に対して申し訳ない気持ちになることも見ていて

切なくてね。 でもね本当に誰も悪くないし子どもがいない事は

悪いことではないのです。

旦那さんだって まだ生まれていない子どもよりも 奥さんの方が

ずっとずっと大切な かけがえのないパートナーなのです。

あなたの代わりはいなくてね、あなたでなければダメなんです。

その事だけは、どうぞ気付いてくださいね。



過去に一度だけ「お子さんは諦めた方がいいです」と言えずに 

嘘をついた事があります。

それは今でも後悔していて とても申し訳なく思っています。

その人は今でも 子どもが生まれることを期待しているかと思うと

罪悪感で胸が押し潰されそうになります。 

安易に「生まれますよ」と嘘をつくことは、その時きっと目の前の人を

喜ばせてあげられるでしょう、安心させてあげられるでしょう。

けれど長い目でみたとき、本当はその人をとても傷つける事になるし

苦しめる事になるのだと思うのです。

だから嘘は言わない 言えないって思います。

わたしにお子さんを諦めて下さいと言われた方は とってもショック

でしょう。

そのショックは いづれわたしに対して怒りや憎しみに変わることも

わかっております。

でもね、子どもを持つこと以外に その方が他の喜びをいつか

見つけて下さるのなら、その方が後々まで幸せであるのならば

わたしは喜んで憎まれましょうって思うのです。

罪悪感に苦しむより 憎まれるほうがわたしはラクです。



子どもは産んだとしても、いろんな事情で子どもと一緒に住む事が

出来なくてなっている人もとても多いです。

どんなにかお辛いことでしょうって思います。

子どもを旦那さんやお姑さんに取られた女性が 前にいらして

下さった時 「子どもに母親は必要ですよ?」

「必要だと思いませんか?いつから一緒に暮らせますか?」と

聞かれた時も辛かったです。

それは一緒に暮らしている姿が 視えて来なかったから。

一緒に暮らしてはいないけれど、子どもが大きくなっている時に

良い親子関係を築けていること、その時がとても幸せな良い親子関係

だなぁと思いました。

それは離れていたからこそ 築けた親子関係である事を

お伝えするのが精一杯でした。





わたしはこういう仕事をしていて とても辛くなるときがあります。

それは相手が望む答えを お渡しできない時が一番辛いです。

本当の事を言うだけが、良いとも限らない事はよくわかっておりますが

嘘を言って喜ばせる事はとても簡単だけど、それで本当に良いの

でしょうか。

いつもそのことで苦しくなるのです。

でもわたしの苦しさなんてね、たかが知れていてね、

本当に苦しいのはその人だから。

わたしは何をするべきだろうかと問うと 不思議な皆さんが教えて

下さった事を ただ真摯にお伝えする事なのだと思うのです。 

そこにわたしの思いや辛さなどは、関係ないのかもしれません

でもね わたしも普通の人間なのでね、同じ様に苦しむのです。



いらして下さった方は、ご存知かも知れませんが、わたしは神棚を

お祀りしていないのです。

誰か特定の神様や 仏様をお祀りして伺う事も良いのかも

知れませんが、でもそれでは いらして下さった方と 

お伺いを立てる神さまが遠くてね、とても遠くに感じるのです。

上手く説明出来ないのですが、距離があるように感じて

電波の悪いテレビの衛星中継のような感じというか 

国際電話のような感じで問うてみても 答えがとんちんかんだったり 

あさっての方向だったりと的を射ないのです。

だからその人の神さまが教えて下さる事が やはり一番的確だったり

致しますので わたしは神さまをお祀りしていないのです。

いつも、今日はどなたが教えて下さるのだろうかと思います。

人が違えば 教えて下さる方も毎回違うのです。

人によって 神さまだったり 仏様だったり ご先祖さまだったりと

さまざまですが、皆さん面白いように的確に教えて下さるのですが、

時々可笑しくて噴出しそうになるのです。

それは教えて下さる方が 生前知らない情報だったりすると

「あれ?それどこで知ったのかなぁ」 と疑問に思ったりするのです。

「脳梗塞で亡くなっている人が多い家計だから 気をつけなさい」

と教えて下さった後で らっきょうを出して視せられると、「それ本当に

知っていましたか?」って可笑しくなるのです。

「この子は嗅覚が優れていて この部分で仕分けている」 と

目のすぐ上のおでこの辺りと撫でて説明されると

「えっそれ本当ですか?」って思わず 突っ込みを入れたくなるのです。


でも不思議な皆さま方は至ってまじめに そして真剣に教えて

下さるので、尚更噴出しそうになるのです。

こんな事を書いたら みなさんどう思われるかわかりませんが

不思議な皆さんも 神さまもとてもお優しく、そして皆さん大らかで

いらっしゃるので、それくらいで怒ったりされないのです。

祟りが当たり前のように それを説く人に会った事はありますが

わたしは今まで一度も 祟るぞとか 祟っているぞっていう

神さまや仏様にお会いした事がないのです。 一度もです。

神様の祟りを恐れるのではなく、神様にも気遣いをして差し上げること 

その事を大切にして下さったらいいなぁと思います。


わたしは自分の受け取り方とか 訳し方が100%だとは

思っていないです。

100%はその方ご自身が 自ら気付くこと知る事が100%だと

思うから。

神さまとお話しするとき、先入観でもって聴いていなくて、

この神さまは 何をお伝えしたいのだろうか?

この人に 何を気付いて欲しいのだろうか? 

と ただそれだけに集中いたします。

神さまも 仏様も 何をどう思われているかを上手にお伝え出来た時、

とてもお喜びになられて スーと大きな光の玉で 神さまの光でもって

ご挨拶にいらして下さるのです。

それはまるで 神さまに誉められているような気持ちになるのです。

「ようでかした よう解釈した」 そう称えて下さっているようで

100%の解釈ではないかもしれないけれど、それでも神様も

ご満足だったのだと とても有難くなるのです。


この神さまの光の玉を わたしは肉眼で見ているとずっと思って

いました。

神さまの光も キラキラも肉眼で見るものだと思っていたのですが

肉眼ではなかったという事を 最近になってしりました。

同業者の方が個人相談にいらして下さった時 こんなにも

神さまの光が 光の玉が近くに来ているのに、その方には視えて

いない事にとても驚いたことがありました。

あちらの目と こちらの目 講座でもお話しする 「あちらの目」。

小さなキラキラも 神さまの光の玉も 大きな羽も あちらの目で

視ていて、物質でないものは全てがあちらの目なのでしょうね。





※5月9日 30日 レイキ交流会にご参加される方は、曲げてもよい

スプーンを各自持ってきて下さいね。

100円ショップで売っているものなら 人差し指だけで曲げられます。
(※あまり頑丈な高価なスプーンだと 指で曲げる事は難しいです。)



※ちょこっとだけスピリチュアル 大半はどうでも良い事をつらつらと

綴っているブログ愛しているよ大好きだよ 

時間があれば覗いてくださいね。 






今日も良い日に致します

空がきれいです


みかんと遊びたいうりは みかんの顔をべろべろ舐めます。


でも遊びたくないし 迷惑なみかんは やめろにゃって

怒ります。



それでも 遊ぼうよと しつこいうりに


猫ぱんちするぞって



パンチするのですが、爪を出さないみかんのパンチは



全然効かなくて、ちっとも懲りない うりです。

この後 本当にみかんに怒られて「キャン」って鳴いたうりです。

残りのGW どうぞよいお休みにされて下さいませ。

読んで下さりありがとうございました。