人形の魂 と お守り | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

盆の入りですね、愛する人の魂もきっとみなさんの元に還って

来ている事でしょう。 

本当はね お盆やお彼岸だけ還ってくる訳ではないので

いつだって家族の愛する人の側にいるのですけれどね。



子どもの頃 日本人形や フランス人形のようなものがとても怖くて

仕方ありませんでした。

きれいな着物を着ているのに、その風貌はなんとも言えない

とても怖いものでした。

人形の内側に何か別な存在がいるようで、ぞくりとするくらい

怖かったように思います。

きっとテレビの影響だと思うのですが、何も言わなくても

子ども達も小さい頃にお雛様を怖がっていたので、きっと同じ様に

人形が怖かったという人も多いかも知れませんね。

人形は髪の毛が伸びたり、無念で亡くなった人の霊が入るって

言われているので、どこかおどろおどろしさがあって、夏の怖い

番組の定番のような気が致します。

今このようなお仕事をさせて頂いていろんな方や いろんなモノを

視させて頂いて知った事は、人形の中に何か魂が入り込むとか

怖い霊が乗り移る訳ではないのですが、人の思いをそのまま受け

入れるところが人形やぬいぐるみにはあると思います。


先日東京からchieさんが 亡くなったお父さんの事でいらして

下さったのですが、その時に可愛がっているぬいぐるみの

ピヨちゃんの事も視させて頂きました。

小さい生き物をペットとして飼っている時、どんなに小さくても
 

人と変わらぬ感情を持ち合わせている事を、もう一つのブログにも
 

「突然 「小さきもの」というタイトルで書かせてかせて頂きました。
 

どんなに小さくても 生きていると生命エネルギーという魂の
 

揺らぎがあり、そして飼われている生き物は人の近くで暮らして
 

いる事もあり、家族と同じようにいろんな思いや感情があります。


 

そして時として モノにも感情に近い気持ちを感じる時があって、
 

ぬいぐるみや 石や モノには、生命エネルギーという揺らぎは


感じられないのですが、それでも同じ様に悲しみや喜びを感じとる


場合があります。
 

どうしてこのように意識を持って伝えてくるのだろうかと 以前疑問に
 

思った事がありました。
 

それは何か悪い浮かばれない霊が乗り移るとか ぬいぐるみの中に
 

入り込む訳ではなくてね、
 

可愛がってくれる人の思いや愛を ぬいぐるみやモノが受け取って、
 

それが感情に近い気持ちを芽生えさせる事になるのだと 不思議な
 

皆さんに教えてもらいました。 愛の疎通なのかもしれませんね。

 

子どものように慈しみ可愛がっていると、人形もそれに応えようと
 

しますし、憎しみや無念で日々暮らしていると 人形やぬいぐるみが
 

憎しみや無念の気持ちを汲み取ってしまうので、そうした人形に
 

触れると 何となく悲しい記憶が伝わってきたりします。 
 

持ち主が憎しみや悲しみに暮れていると 人形は少しでも
 

その人の悲しみを汲んで軽くしてあげたいと思うのでしょうね。
 

持ち主が そのまま無念のまま亡くなったとしても、人形の中に


持ち主の魂が宿る訳ではありませんが、無念の思いだけを


人形は記憶するのかも知れませんね。
 

 


 

 

ピヨちゃんが教えてくれたのは、「いつも座りっぱなしは嫌だから
 

足を下ろしたい」 「頭を固くして欲しい」
 

「布で拭くのはいいけど洗われちゃうのは嫌だから」って
 

そして「あいつは嫌いだけど、chieちゃんが好きだから我慢する」と 

教えてくれました。


どういう事だろうかと思ったら、ピヨちゃんは元々ゴルフクラブの

カバーのお人形さんで、中が空洞になっているのだそう。

一緒に住んでいる彼がピヨちゃんを持つとき 頭を鷲掴みにして

持ち上げるそうで、その時に頭や顔がぐしゃって潰れるのが嫌だから 

頭を掴まれても潰れないように 頭に固いものを入れて欲しいと。

そしてchieさんは ピヨちゃんが汚れてきたから洗う話をしていた

らしく、洗われる事は嫌だと伝えてきました。

一緒に住んでいる彼は、chieさんに優しくないから嫌いだとも。

普段動かないぬいぐるみも 意識を合わせるとここまで話すのかぁと

思いました。


わたしの家にも意識を持っているぬいぐるみがおりますが、忙しい事も

あり、一方的に話し掛けるだけで、なかなか向き合って話すことまでは

していません。

犬や猫みたいに本当は言いたい事が沢山あるのだろうなぁって思う

のですが、ピヨちゃんを視て 家のぬいぐるみも粗末にしたら

いけないなぁと改めてそう思いました。
 


 

ぬいぐるみとお別れする方法を 以前にも書いた「記事」がありました。

もしどうしても処分をしなければ行けなくなった時は、お炊き上げに

出さなくてもよいので 最後までご自分でお別れをしてあげて

下さいね。

わたしは、「ありがとう 沢山たくさん見守ってくれてありがとう、

悲しみも喜びも一緒に感じてくれてありがとう もうお役目を卒業しても

良いからね」 そういって自分の衣服に包んで 新聞紙に包んで燃える

ごみに出します。


感謝でお別れをした時点で モノの気持ちは上手に昇華されて

行きます。

もしお引越しなどでモノを処分される時は、あなたのお気持ちを

ほんの僅かでも良いので モノや ぬいぐるみにも下さいね。




わたしがお盆に実家に帰ると 子どもの頃から知っている

お亡くなりになったご近所の方々が ご挨拶に来て下さいます。

そんな時 「あ、誰か来た」 と口に出すと子どもや 姉が

怖がるので、なるべく口に出さずに黙っておりますが、

夏は特に窓を開けているせいか、ジャリ ジャリっと石を踏んで

人が近づいてくる音が どうしても聞こえてきます。

あーまた どなたかいらしたなぁって思うのです。 

何をする訳ではなくて、ただのご挨拶なのですけれどね。


いつだったかご相談にいらして下さった方が、友人が亡くなってから

もう随分お墓参りに行っていないと とても気にされていました。

「お盆やお彼岸でもなくお墓参りに行くと 他の何か浮遊霊を連れて

来そうで、怖くてなかなかいけないのです」 と話されたとき

そのお友達が にこにこしてすーっと側に立ちました。

「わー久しぶり、あの時いろんな話をして楽しかったね、

どっか旅行に行きたいねと言いながら 結局行ってないね。

でもあのとき二人でいつも笑ってて楽しかったね。

思い出してくれてありがとう とってもうれしかった」って、

満面の笑みで話し掛けて来ました。  

髪の毛を一つに纏めた30代の女性でしたので、特徴をお話ししたら

その方の亡くなったお友達でした。

わたしはいつも言うのです、お墓参りに行けなくてもね

思い出してあげる事が供養であり、亡くなった人がとても

喜んでくれることでもあります。

亡くなっていたとしても生前と何も変わらなくて 姿は無くても

その存在はいつでも あなたの側にありますので、儀式とか義務

ではなくて ただ思い出してあげて欲しいのです。

それはね、何度も言いますね。

亡くなり方に関係はなくてね、亡くなった人を 亡くなり方に 

良い悪いと決めつけないで下さいね。

亡くなった人があの世で苦しんでいると 悪く言わないで下さい

悪者にしないでくださいね。

人は正直なので本当に苦しければ、苦しいと亡き人は言います。

亡くなった人が何を話すのか ちゃんと言葉に耳を傾けてあげて

下さいね。 

聴こえないと思っているかも知れませんが あなたが思うこと

間違ってはいないんですよ。 

だって家族だから 誰よりも判ってあげられているはずです。

もう一つのブログ「魂のリーディング」にも少し書きましたが、亡くなって

いたとしても生前の話し方や クセまで消えてしまう訳ではなくてね、

生前亡くなったら無になると 何もわからなくなると思っている方も

亡くなった後でもきちんと 己が残っているのです。

死んだら無になると言っていたFさんも 亡くなった後からでも

たくさんお話して 無になると思ってたのはうれしい誤算だったって。

名古屋のひとみさんも まだまだ生きたいって言っていたのに

「うん。こっちもなかなか快適だよ」って 教えに来てくれた事が

ありました。 

こうして亡くなった方々が話して教えて下さるので、わたしはあの世

の事、亡くなった後のことを知れるのです。

そして真実って 一体なんだろうっていつも思うのです。

真実はその人にしかわからないのだと思います。








何年か前に 実家で野良猫を飼い始めました。

その時 初めてその猫をみた時 「猫じゃない」って思いました。

声には出さずに意識で「おまえ猫じゃないよね?」って話し掛けたら 

寝ていた猫がスッと立ち上がり くるりと振り返り わたしの事を

じーっとみていました。

また意識で「おまえは猫じゃない」って話たら 咄嗟にわたしの

目の前から逃げていきました。

大きな声を出したり 睨んだりした訳ではないのに、それからわたしが

実家に帰ると 猫は姿を隠して絶対にわたしの前には出て来なく

なりました。 

母は 「まさよが犬を飼っているから 怖いんだよ」って言いますが、

犬が居ても居なくても わたしの前には出てきません。

壁越しに気配を伺っていても、わたしの視界には入らないように

しているのです。

これを書くとまた姉が怖がるし、長くなりますので、このお話しは

またいつか もう一つのブログにでも書きますね。

愛しているよ大好きだよのブログ いつの間にか光の記憶のブログ

よりも 記事が多くなっていました。

新しいブログも沢山の方が見て下さってありがとう。

うれしいです。







昨日 今日と仙台でも強い雨が降って 少し肌寒いです。

九州で雨の被害が出ているそうですが、皆さんのところは

大丈夫でしょうか? 

全国から沢山の方が仙台までいらして下さっておりますので、

ニュースなどで各地の情報が入ると 誰々さんはお元気だろうかと

思い出します。 本当に有難い事だなぁとつくづく思います。

何事もなければ良いですね。 全て最善であれ。


長くなりました 読んで下さいましてありがとうございます。