帰還体験 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

こちらのブログを更新するのは久しぶりになってしまいました。

ひと月以上も空けてしまってすみません。


臨死体験をして、あの世を垣間見たというお話しをよく聞きますね

人には死は怖いけれど あの世を知りたいという欲求のような 

切望のようなものが 誰の心の中にもあるのでしょうね。

あの世はどんな感じだろうって思いますね。

まばゆさの中 懐かしさや安堵さや 幸福感でいっぱいなのかなぁ

とか 懐かしい祖母や 祖父 父や 母にも逢えるのかなぁって

思いますね。 

それを知りたいのは、理屈ではないのですよね。

臨死体験をしなくても 人は誰もが帰還体験が出来るものだと

思います。

覚えていないかもしれませんが、眠っている時もそうですし、また

起きている時も帰還体験は誰もが出来るものなのです。

きっとほんの一瞬の出来事なのに、長い時間が経ったように

感じて、それを神に逢ったというように思う人もいれば、あの世を

探索したと思う人もいるかも知れません。

実際にわたしも最初に光の中に入ったあの瞬間と 二度目の体験で

確かに神に帰還した確信を持ちました。

わたしたちが言うお花畑や 宇宙図書館や 三途の川は

わたしはその人のアカシックの場所だと思っています。

それぞれにアカシックの場所が人によって違っていて、エドガー

ケーシーさんが行っていた宇宙図書館を探しても 人それぞれに

行く場所が違うので、アカシックに行けないと思うかもしれませんが

人の意識は自由でね、そして不思議でね、本当はいつだって

どこにいても、寝ていても起きていても行けるんです。

数年前に あの世 というブログを書きましたが、昨日の講座で

みんなでアカシックに行ってみました。

というよりもそれぞれのアカシックの場所へ行く方法をしてみました。

どの方法で行くかは自由で、行った先はその人が自分の場所を

拡げて自由に操れるようになるまで そこの場所を動かしてもらえ

たらいいなぁと思いました。

わたし達の意識は神の意識 その意識は無限だと思うのです。

身体を持ってここに在る事を感じ、日々を生きる事は大事ですね。

でも帰還体験をする事は 自分を知る事になるのでね、

自分がここに在る意味を 大切さをもっとしっかり明白に腹に据えて

生きる事になるのです。



人に迷惑を掛けて生きてきた事を 悔いて生きる人もいれば

きちんと生きて来なかったと嘆く人もいるかも知れませんが

迷惑ってなんでしょうね。 きちんと生きるってなんでしょうね。

わたしも迷惑を掛けずにきちんと生きて来たかと問われると 

自信を持って答える事が出来ません。

普段の行ないなども含め、みなさんが言われる清い霊格を上げる

ような生き方をしているかと問われれば 自信を持って答える事も

出来ません。

誰かに迷惑を掛けないように、普段から心掛けてはいても、迷惑を

掛けない生き方は もしかしたら出来ないのではないのかなぁってね

思うのです。

人はすでに生まれた時から死ぬまで 誰かに迷惑を掛けて 

そして迷惑を掛けられて生きていると思うのです。

わたしは心清く在りなさいとは 人に言えません。

だってわたしが清くないから。

世の中の仕組みを知りなさい、悟りなさいとも言えません。

自分が生きる事で精一杯ですから。

でもね、それでもね もがきながらも恥をかきながらも生きた事が

わたしの証だって思うから、消したい過去も帳消しにしたい過去が

ある事もわたしの証。

それでも神さまは そんなわたしやあなたをも認めて下さるから

だからもうそれで良いと思っております。

開き直るのではなくてね、わたしが生きたちっぽけな証なんて

いづれ周りの誰かの記憶から消えてしまうでしょう。

ならば人生の恥は、かき捨てで良いではないかと思うのです。

あなたもわたしも 恥をかいて生きて行く それで良いのではない

かなぁってね思うのですね。

でもね、きっと神さまは それを恥ではなくあなたの宝物だねと

言って下さるから。

頑張ってきたねって誉めて下さるから。

だからわたしも 自分にそういいます。

思い出したくない出来事も 恥ずかしい出来事も 愚かな事も

偉かったねってそう言ってあげます。







前に何かのテレビ番組で、生体移植を受けた後で 食べ物の好みや

性格が変わったり、知らない記憶や映像をみたりする事があると

いうのを見たことがありました。

その時は、人の記憶や感情は脳にあると思っていたので、他の

臓器も同じように記憶があるのだろうかと、疑問に思った事が

ありました。

でもね、臓器が持ち主の記憶を保有している訳ではないそうです。

上手く説明できたら良いのですが、人は身体が無くなった時点では、

まだ自分の身体があると暫くは錯覚を持つのだそうです。 

だから亡くなって間もない頃は、テレビや電気を付けたり消したり

できるし、何かモノを動かす事も音を出す事も出来ます。

でも完全に身体が無くなったと自覚する事で、身体があるという

錯覚も次第に無くなっていくので、テレビや電気を消したり

付けたりする事が出来なくなってしまうのだそうです。

先日 葉っぱのダンスの記事にも書きましたが、お亡くなりになって

間もないとモノを触る感覚もちゃんと残っていてね。

先日 岩手の神社のKさんが個人相談にいらして下さり、自宅での

不思議体験を教えて下さいました。

Kさん家の中で透明人間にぶつかったそうで、びっくりしてふり返って

みたら 透明人間も驚いたような顔でこちらを見ていたと、これって

何だったのでしょうかと聞かれました。

その時の事を透視で視た時、黒っぽいモヤのような煙りのような中に

白いお顔が見えました。 

まるでジブリに出てくる顔なしのようだなぁと思いました。

廊下を通るKさんが来たので、透明人間は一応廊下の端に寄って

真ん中をあけてKさんを通そうとしたのですが、そんな事は知らない

Kさんがすごい勢いで、ぶつかったのでしょうね。

Kさんに背を向けて立ち止まっていた透明人間も 驚き顔で

降り返って見ているんです。

普通の人の目には映らないのでしょうけれど、Kさんにぶつかった事で

見えたし体感したのでしょうね。

この透明人間は妖怪や魔物の類だと思うかも知れませんが、

お亡くなりになってまだ間もない、少し目の細い顎のシャープな

30歳前後の男性でした。

ちゃんと亡くなった事を自覚していたので、周りの人には視えて

いない事を言い事に、本殿が閉まっていたから勝手にKさんの

自宅を通って、本殿に続く廊下を通り 神様に直接ご挨拶に行こう

としたのでしょう。 

でもKさんにぶつかられた事で さぞびっくりしたでしょうね。

亡くなって間もないとお寺さんや 神社さん 教会などに挨拶に

行かれる方が実際にとても多いです。

きっと、生前の習慣とかもあるのでしょうね。


話を戻しますが、臓器の記憶は自分の身体の一部が

誰かの体の中で生きていると魂は、臓器はまだ生きていると

錯覚を持ち続けるのだそうです。

機械だったら時々誤作動を起こしてしまう感じに近くて、

 

憑依とかそういうモノではなのですが、身体がまだ「在る」と

 

いつもどおり、動こうとするのです。

いずれ臓器の持ち主が自分の身体がないと自覚すると 臓器が

故人を記憶していると思うような 不思議な現象も次第に無くなっ

ていくのだそうです。







一日講座 昨日ご参加下った皆さま お手伝い下さった皆さま

有難うございました。 おかげさまでした。

あっという間に時間が過ぎてしまい、楽しい時間でした。

いつもはオーラの視方はしても 実践をしていなかったので

昨日は ”この人のオーラの色は、きっとみんなも見えるだろう” と

思う人を白い襖の前に座ってもらって、皆さんにも見てもらったので、

たくさんの人が 放射状に見えるオーラの色を見る事が出来る

ようになっていて嬉しかったです。

毎回 内容もやり方も微妙に違うので、風子さんが感想をいつも

教えてくれるのですが、「今回は難しかった」と申していました(笑)

風子さんは何度もお手伝いで参加して下さっているので 毎回の

様子を冷静に見ているのでいつも助かります。 

そして今回はスペシャルゲストにぴよちゃんも参加してくれました。
 

ちえさんがぴよちゃんを連れて参加して下さったので、
 

リアルぴよちゃんをみんなも見れました。 
 

写真を撮るのを忘れましたが、ちゃんとね「ぴよ」って名札も付けて
 

参加しましたよ。

 


まだまだ先だと思っていましたが、もう10月なのですね。


10月17日青森レイキ交流会と 10月31日浜松レイキ交流会で
 

青森と浜松に伺います。 
 

ご参加される方は、カレースプーンを忘れずにお持ち下さいね。
 


まさよさん ブログの更新どうされたのかなぁと思われる方も


いるかも知れませんが、もう一つのブログ


「愛しているよ 大好きだよ」は ほぼ毎日更新しております。  

 

よろしければお立ち寄りくださいませ。

 


昨日のきれいな夕焼け ため息が出るくらいきれいでした。
 

同じ空を見ていた人もきっと多かったでしょうね
 

夕焼けきれいだけれど、物悲しいのは何ででしょうね。

日が暮れるのが早くなりましたね、今日も良い日に致しました。
 

いっぱいの感謝でありがとうございます。