死後の選択 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

最初に謝っておきますね、長いブログになります。

お時間を取らせたらすみません。

今年の8月だったと思います。

お友達同士3人で神奈川からいらして下さいました。

3人とも旦那さんを急に亡くされていて、「まさよさん わたし達の

事をブログに書いてくださいね」と言われていたのに 

まだ書いておりませんでした。改めて書かせて下さいね。




Hさんの旦那さんは、わたしのような者が嫌いなのか、人見知りも

あって、Hさんがいらしてもご主人は一緒ではありませんでした。

どこにいらっしゃるのだろうかとご主人を探したら、ご自宅のお仏壇の

ような前に一人たたずんでおりました。

なかなかわたしのところにいらして下さらなかったので、わたしから

出向いて行って 「Hさんのご主人」と 声を掛けました。

きっとびっくりされたのだと思います。 

「誰だよ 何だよあんた」そう言われてしまいました。

「お願いです。奥さんに何をお伝えしたら良いですか?教えて下さい」

そうお伝えしたら、暫くして同じ景色が何度も視えて来ました。

みかん畑のような斜面が広がり 左側に木がこんもりしていて

そして眼下に広がる青い海 ここは何処だろう、四国なのかなぁと

思いました。 

そして子供の頃のご主人の姿も視えてきました。

何か悲しい事があると子どもの頃のご主人はそこに座って 一人で

海を眺めながめていたのでしょうね。

その景色の綺麗さと 心の寂しさが何とも言えず物悲しく思いました。

何度も何度もその景色が視えて来るので、きっと何か約束をしていた

のだろうなと思いまして、視えた景色をHさんにお伝えしました。

旦那さんは子どもの頃 四国で育ちそして大人になってから一度も

四国に行った事がないそうで、「いつかHちゃんにその景色を見せて

あげたい」と生前いつも話していたそうです。

その約束を果たせないで亡くなった事を 謝りたかったのでしょうね。

ご主人の思いをお伝えしていたら、少し慣れて下さったのでしょうか

それともわたしを信じて下さったのでしょうか、ポツポツと話して

下さいました。

出来れば四国の海に骨を散骨して欲しい事 でももしも許されるの

ならば、Hさんが亡くなった時に 夫婦として骨を一緒に散骨して

欲しいと、それまでHちゃんの側で最後まで見守っていたいのだと。

それが自分が出来る事であり、自分の幸せだと話しておりました。

骨を散骨する事は生前からご主人の希望だったそうで、それに対して

Hさんは何度も頷きながら わかっていると返事をしていました。

Hさんとご主人は どんな時も同じ気持ちでいたのでしょうね

夫婦っていいなぁと思いました。

次第にご主人の顔が人懐っこいお顔になり 少しおどけたように

「ちょっとでいいから ビールが欲しい、出来れば餃子も一緒に」と

Hさんにおねだりするように でも遠慮がちに言いました。

それをHさんにお伝えしたら、身体を壊してから大好きなビールを飲む

ことを止めていたそうで、「もう飲んでも良いよね?」と言うことだったの

でしょうね。 

「帰ったらさっそくビールを飲ませてあげます」と話していたので

「お仏壇ではなく 普通にみんながご飯を食べる食卓に置いてあげて

下さいね」とお伝えしました。








Yさんのご主人は、初めからYさんと一緒に来ていて、3人にお会い

した時、誰かの旦那さんが一緒にいるなぁと思いました。

特徴をお話したらYさんのご主人で、Yさんのご主人は一代で会社を

築いた人でした。

Yさんに何の説明もなく逝ってしまった事が気がかりで自分の事 

会社の事をYさんに伝えたくて仕方がなかったのでしょう。

「会社をお前が継げ、そしてお前が営業をしろ」と「お前ならば営業が

出来る。やってみて無理だったらそれはそれで仕方ない でも出来る

ところまでやれ」 と 「そして困った時は、会社の誰々に相談しなさい」

とても詳細に話して教えてくれました。  

Yさんが後で教えて下さいました。

ご主人は生前元気な時に「俺にもしもの事があったら、お前が後を

継げ」とそう話していたそうです。

すでにご主人の魂は知っていたのでしょうね、ご自分の寿命の事を

それはご主人の魂の遺言だったのだろうなぁと思いました。

そしてあるお墓が視えてきました。 そのお墓はご主人のお母さんが

眠るお墓で、そこに自分の骨を埋めて欲しいと希望しておりました。 

Yさんがポツリと 「パパならきっとそう言うだろうな」と言っていました。

Yさんはずっと専業主婦だったそうですが、ご主人の意思を継いで

会社を引き継ぐ決心を固めたようでした。 






Tさんのご主人は、ご自分の納骨が済んだのをみて 

自分の死を人生を納得されたのでしょうね。 

納骨するときに、家族と一緒に後ろから眺めていたご主人ですが

それで決心されたのでしょう。

それまではご自宅にいましたが、「よし悔やんでも仕方ない」

そう言って早々にこの世界を旅立っておりました。

「ご主人の気配がしないでしょう? ご主人はとても早かったですね」

そうお伝えしたら、「パパの事だからきっとそうだろうなって、そう家族で

話していました。」と

あの世の事を 上手く言葉にして説明出来ないのですが、Tさんの

ご主人は 自分の生前の記憶を忘れる作業が既に始まっていたの

だと思います。

お呼びしても なかなかいらっしゃらなくて、やっと来て下さっても、

「わざわざ言わなくてもわかっているだろう」というような言い方を

されてね。

お子さんの事 仕事の事など話して下さいましたが 肝心の奥さんの

事になると 言葉が少なくなってしまってしまい

「言わなくてもわかるだろう」と そんな感じに言うのです。

Tさんのご主人は、自分の気持ちをわたしに話す事が恥ずかし

かったのだろうなと思いました。 

奥さんは言わなくてもわかっているはずだという確信が、ご主人には

あったのだと思います。

何かが欲しいとか こうして欲しいとか言わないご主人でしたが

やっぱりお父さんなのですね、ご自分と同じ仕事をしている息子さんの

事をとても気に掛けておりました。

「パパ、わたしにもう少し言葉はないの?」 そう言っていたTさんですが

「パパらしいな」って笑っておりました。




3人の旦那さんは、昨日まで普通に元気だったのに ある日突然

亡くなってしまいました。

こんなにも早くお別れが来るのならば、もっと何かしてあげたかった

もっと大切にしてあげれば良かったと きっと後悔してご自分を責めて

しまう事でしょう。 良い妻ではなかったと嘆くかも知れません。

でもね亡くなった旦那さん達も 同じように悔やんでいるのです。

何で普段からきちんと言葉にしていなかったのかと、もっと奥さんを

大切にしてあげれば良かったと同じように悔いているのです。

その思いはね、それぞれにお互い様なのです。 

だからどうかもうご自分を責めないで下さいね。

出会えた事に 共に過ごした時間に 「大好きだった有難う」 

そういう気持ちで見送ってあげて下さいね。



急死すると自分の死を自覚出来ないと 心配される方も多いかも

知れませんが、亡くなり方に関係なく 誰もがきちんと自分の死を

理解する事になります。

亡くなったらこうだとか 亡くなったらあの世で早く成仏させて

あげなければと思うかも知れませが、わたし達が考える 

わたし達があちこちで教えられてきた成仏の概念が本当は

存在しないのです。

成仏とは自分の死後、生前の記憶を次第に少しずつ忘れていく事

なので 生きているものが何かをしなくても 誰もが次第に自然に

記憶を消していく事になるのです。

急いで生前の記憶を消しても ゆっくり消しても同じで その速さは

あまり関係なくてね、成仏は「する」ものでも 「させる」ものでもなくて

自ら忘れていくものなのです。

死んだらこういうモノだと、死んだ人はこうでなければと

生きている人間が決め付けてしまうと、亡き人はきっと悩まれる事

でしょう。

この世にも あの世にもどれが良くて正しいかなんてものは、一つも

存在しないのですから

生きていても亡くなっていたとしても 人にはそれぞれに選択する事が

出来るのです。 

どうぞご自分が思う通りにされて下さい。

あなたが思うパパなら 父ならこう言うだろうなは、決して間違えては

いないのですから。


沢山の方のご先祖さんを視せてもらっていつも思う事があります。

先祖代々と言っていても、あまり古いご先祖さんが出てきて

あーだ こーだとお話しする事は滅多にありません。 

「先祖」とか「代々」という意識の集合のようなものは感じられますが、

個人個人をはっきりと特定して判る事などほとんどないのです。

せいぜい先代から三代、四代くらいまでの方々が 視せて教えて

下さる事が殆どです。

それよりも古いご先祖さんは、もう完全に個として生きた記憶が

既に終えているのです。

それが人が生き、そして人が逝き、記憶を終えてまた同じように生まれ

魂の循環を繰り返しているのだろうなと思うのです。


魂は自分のモノではなく 神さまのものなので神さまに御返しします。

けれどそれぞれに生きた記憶は 誰もがちゃんと残っています。

人は亡くなった場所に留まると 思っている方も多いかも知れませんが

それはね、生前の記憶なのです。

幽霊と言うモノをみたりする時がありますが、そこに魂があるならば

エネルギーなので反応がありますが 幽霊と言われるものには

エネルギーの反応がないのです。

だからむやみに恐れる必要も 怖がる必要も本当はね無いのです。

亡くなった場所にもし魂が留まっているのならば、古代からの人間の

幽霊もあちらこちらにあっても良いのに、卑弥呼の時代の幽霊を見る

事など殆どなくて、自分の記憶は自分で消し去る事がきちんと

出来るのです。

どうぞ亡き人たちを 亡くなったらこうだと縛らないで下さいね。

亡くなった方々を 十把ひとからげに考えないで下さいね。

人は皆それぞれなのです。 







先週Hさんの紹介でいらして下さった、Uさんのお父さんを霊視

させて頂いたのですが、最後に思い出したように一言 

「仏壇のお供えが勿体ない」 と 「捨てるくらいなら あげなくもいい」と

Uさんのお父さんが言われるので、そのままお伝えしたら 

泣いていたUさんがクスっと笑って「勿体無いが父の口癖だった」と。

きっとUさんのお母さんは、旦那さんの事を思って毎朝お仏壇に

お供えをあげているのだと思います。 

でもそのお供えを カピカピにして捨ててしまうのでしょうね。

それが倹約家のお父さんには、気が気ではなかったのでしょう。

残された家族の心情として 好きだったものをお供えしたいという

思いがありますね。

もしお供えを食べきれないと言うのならば、お茶とか 白湯だけでも

良いのです。

仏様は揺らぐ物を好まれる方が多くて、お線香の香りが好きなのでは

なく、煙りの揺らぎがお好きだったり致します。

それはお茶でも白湯でも同じですので、もしも新しいお家にお線香を

焚く事がお嫌でしたら、お茶や白湯でも同じなのでそうしてあげて

下さいませ。






時々聞かれるのですが、人形とかぬいぐるみとか処分できずに

困っている方が多いように思います。

お炊き上げに出せたらよいのですが、表向きはお炊き上げと

言っていても 特に何もしないままゴミとして処分しているところも

ありますので、もし処分する事で悩まれるのならば、今まで

あなたの側で辛い事も 嬉しい事も一緒に感じていたモノ達なので、

抱きしめてあげて「あの時も あの時もありがとう」 と言葉に出して

「今まで有難うね、もう卒業するね」そう感謝してあげて下さいね。

それでもう立派に供養している事になりますので、後は新聞紙とか

布とかに包んで ご自分の市町村のゴミの種類に出されて下さいね。

お人形も ぬいぐるみも最後までご自分の手で処分してあげて下さい

その方がモノ達も喜んでくれますのでね。

何に対してもあなたの思いががあれば、何か悪い事があるとか

祟るとかそんな事をね心配されなくても大丈夫なのです。




 

先週 青葉カルチャーが終わりました。 

受講して下さった50名の皆さま、カルチャーのスタッフの皆さま

有難うございました。

ふとした時に、不思議な皆さんに話しかけられたり いろいろな事を

教えられたりするのですが、最初の頃はわたしが未熟な事もあって、

起き掛けの時などに教えられる事が多かったのですが

今は何気ない時にふと教えられる事が多く、先日あやこさんのヨガに

参加する前の日 声ではないけれど 「あわてる」 と降りてきました。

いつも午後から個人相談なので ヨガが終わるとバタバタと帰宅して 

慌てると言えばいつもの事なのですが、でもその日はヨガに行けない

「行かない」と思いました。

その日は、CHI-CHIさんのお友達の方が角田からいらっしゃる日で

その人が来るのを 静かにお待ちしようと思っておりました。

同じ宮城とは言え遠い事もあって、その方は予定よりも30分も早く

我が家に着きました。

ヨガに行っていたら まだ帰ってきていない時間でしたし

帰ってきて着替えて お化粧をしている時間もありませんでした。

だからいつも あー面白いなぁと思うのです。 

不思議な皆さんの計らいは 大きな事も小さな事もいつでも

最良なのです。 

それはわたしだけではなく 皆さんもそうなのです。

直感とも、六感とも違う感覚。

こういう時の自分の 「ここ」 がどうなっているのか 

どんな感じなのかを、言葉にして上手く伝えられなくて どうにかして

この状態を知って頂けたらなぁと思っておりました。

そうしたら、とてもわかりやすいエネルギーとアイデアが降りてきて、

それをカルチャーの皆さんにお伝え致しました。

簡単に瞑想も出来て、そしてチャネリングしている時の自分の

「ここ」がどのようになっているのが わかって頂けたかと思います。 

(言葉で「ここ」の伝え方が難しいのですけれどね、わたしはそれが

あなたが預かっている あなたと一体である神さまであり、

不思議な皆さま方と言っております。)





犬たちがお散歩に行っている間に みかんだけ先にご飯を食べた日。

自分は食べているのに、いちごと うりのご飯を欲しそうにじーっと

眺めていた猫のみかんでしたが、


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我慢出来ずに いちごのご飯を横取りしていました。

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みかんも いちごも うりも 

ご飯を取っても 取られても怒らないんです。

仲良しだなぁって思います。

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寒波が来ているそうで、今日も寒い仙台です。

皆さんのところは大丈夫ですか?

長いブログを読んで下さって有難うございました。