あの日 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

明日であの震災から5年が経ちます。

テレビで ラジオで そして沢山の人がブログでもお伝えしていて

決して忘れられない、大きな災害です。

本当は思い出す事も辛いのですが、それでもわたしの住むところは

津波の被害はなくて、それだけでも有難いはずなのに なのに

こうして冷静に思い出す事が今でも辛いです。

ご家族を失われた方は、どんなにかお辛いだろかと思うと胸が

痛みます。




3月1日わたしは手術の為に入院の準備をしていました。

ひと月前から続く、経験した事のない急くような気持ちは、

入院する不安から起こっていると思っていましたし、丁度この

時期、自分の事でいっぱいだったのだと思います。

不思議な皆さんと会話出来る状況ではなくて、どうにかして梵字の

おじいちゃんと会話しようと問いかけても、シーンとしていて

2月14日から入院するまでの2週間の間、全く会話が出来ずに

おりました。

それも落ち着かない原因の一つだと思っていました。

けれども今思うと本当に不思議なのですが、何も言われていなく

ても、震災の前日10日の午前中にお米と 灯油と僅かな冷凍食品

が自宅に届くように手配していました。

震災直後からすぐに 燃料も食料も手に入らなくなっていましたので

今思うと無意識とはいえ、おかげでどうにか暖を取る事も 

ご飯を炊いて食べる事も出来ましたので、本当に有難かった

なぁと思いました。


3月2日に手術を終えたわたしは、11日の朝にやっと身体から

ドレーンを外してもらいました。

まだ少しだけ早かったみたいでしたが、自由に動きたくて

主治医にお願いして、早々に抜いてもらいました。

その日の午後は、病室の仲間と外にお茶を飲みに行く

約束をしていて、そしてあの時間が来ました。

丁度洗濯機を回そうと乾燥室にいたわたしは、突然の揺れに

立っていられなくなり、病室に向かう全ての防火扉がバタン

バタンと大きな音を立てて閉まってしまい、気が付くと一人

暗い中に取り残されて居りました。 

何が起こったのかわからなくて、ただしゃがんでおりました。

日が暮れて停電になった病院は、真っ暗で情報は僅かに流れる

ラジオだけで、みんな一睡も出来ないまま一夜が明けました。

翌朝、殆どの人が自力で帰宅を促されるなか、家族との連絡も

なかなか付かず、家まで10数キロの道のりを歩く覚悟で

いました。

すでに病院は、戦場のような状態になっていて医師や看護士の

手が足らずにパニック状態でした。

歩いて帰るつもりでもコートはなくて、靴はヒールだったので

足が痛くなる事を覚悟して、スリッパを手に持ち自宅を目指して

歩き始めました。

タクシーもバスも走っていなくて、走っていたとしても回送で

拾う事が出来ず、行けるところまで歩こうと思っていたら、

一台のタクシーが、スーッとわたしの横に停まりました。 

回送中となっていたけれど、ダメもとで聞いてみたら乗せて

下さるとの事、すでにヒールで足が痛かったので運転手さんが

菩薩さまに見えました。

タクシーの中から見えた景色は、どの道もずらりと並ぶ人で

行列が出来ていて、食料を求める人、燃料を求める人で溢れて

いました。

やっと帰宅してみたら、家の中は足の踏み場がないくらいに

割れた食器と倒れた家具でぐしゃぐしゃになっていて、何から

手を付けて良いのかわからなくてね。

でも兎に角 暗くなる前に火を起こして家族にご飯を食べさせ

ようと思い、近くの緑地帯で焚き木になるものを集めて

外で火を起こして、ご飯とお味噌汁を作りました。

電気も ガスも 水道も止まっていましたので、誰もが必死でしたし

そしてとても緊張していました。

水道はひと月以上断水になっていたのですが、わたしの家と

お向いのえんかさんちの 僅か数世帯だけが翌日にお水が

出てくれて、それも有難い不思議な出来事でした。

皆さんとても冷静で、電気が通れば後はどうにでもなるから

電気は3日で復旧するからと、ご近所さん同士協力し合いながら

乗り切ったように思います。

あれから5年経つのかと思うと あっという間のような

とても長いような気がします。


あの震災で多くの方が命を失いました。

そして多くの方の命も助かりました。

亡くなった事、生きた事は

運が良かった悪かったその一言で 片付けたくないし

片付けられない事だと思います。

自分の寿命がいつで終わるかは、人はみんなわからないし

わかる必要もないのかも知れませんが

わたしは、この世に自分が生きた証はいらないと思って

います。

わたしが生きた証は、子ども達が母として僅かに覚えて

いてくれたらそれでいいです。

誰もわたしを覚えていなくても、誰の記憶に残っていなくても

それでも自分が生きた証は、魂の記憶の中に、根源の中に

きちんと刻まれるので、それで良いと思っています。

ちっぽけなわたしの人生、毎日を日々平凡に生きたとしても、

それでも立派な人生だったと、誇れる人生だと還ったら誉めて

下さるので、それで充分です。

あなたの人生も わたしの人生も きっとあの世に還ったら

優等生として、勇者として刻まれるのでしょうね。

明日は、朝から黙祷いたします。


長いブログを読んで下さってありがとうございました。



毎日更新している 愛しているよ大好きだよのブログが有難い

ことに、オフィシャルになりました。

いっぱいの感謝でありがとう

よろしければお訪ね下さったらうれしいです。笑う