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光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

仙台も桜の蕾が膨らんで そうすぐ咲きそうですが

今日は雨で少し寒いです。

沢山の方が名古屋のひとみさんの事を それぞれにお見送りをして

下さりありがとうございます。 



大切な人を看取ることが出来なかったら 残された家族は

ずっと後悔し続けることになるでしょう。

一人で逝かせてしまったこと 悔やんでも悔やみ切れない事だと

思います。



先日いらして下さったまゆみさんも そして仙台の Eさんも

大切なお母さんを看取る事が出来なかった事をとても悔いて

おりました。 

もしかしたらもっと多くの方が 家族や飼っていたペットの事で

看取れなかった事を 悔いている人が多いのかも知れません。

最後の瞬間まで 家族で静かに見送ってあげたい、ペットや子ども

の場合は、腕の中で逝かせてあげたいと思います。

そうしたいと思いますね。

一人で逝かせてしまったこと きっと寂しかっただろうなと思うと

とても辛い思いでしょう。

だけどね決して一人ではないのです。

魂は生まれてくる時 不思議な皆さんと一緒に生まれてきます。

還るときも 不思議な皆さんと一緒に還るのです。

一人で逝くわけではなく 必ず誰かが側にきて寂しくないように

お迎えに来ております。

それは死神というような怖いものではなく、お身内であったり また

不思議な存在であったりとさまざまなようで、それは亡くなりかたに

関係なくお一人おひとりの側に必ずお迎えに来るのだそうです。

まゆみさんのお母さんに至っては、一人で逝きたくて家族に

看取られる事を望んではいなかったのです。

仰々しく看取られるよりも ひっそりと一人静かに逝く事を望んでいて

だからそんなに気に病まないで欲しいと伝えて来ました。

相談の日は、まゆみさんと一緒にお父さんも来たいとの事でした

普段でしたら 「ご一緒にどうぞ」 と言うのですが、その日は

お父さんにはご遠慮頂いて、まゆみさんからお父さんにお伝え下さる

ようにお願い致しました。

相談の日わたしのところには、亡くなったお母さんがまゆみさんより

先にいらしておりました。 

何をお伝えしたいのだろうかと思いましたら、お父さんと息子さんの

関係をとても案じていて、自分がいなくなったらお父さんと息子の

関係を取り持つ人がいなくなる事をとても案じておりました。

どちらもいじっぱりで、上手く噛み合わない父子

その事をまゆみさんに こっそりと頼みたかったのでしょうね。

「いま何が欲しいですか?」との問いかけに、亡くなって間もない

事もあり、食べたい物を教えてくれたのですが、わたしが上手に

受け取れなくて「ゴリゴリ歯ごたえがある粘るものってなんだろう?」

松前漬けかなぁと思ったら、「めかぶが食べたい」と入院中に

話していたそうで、一度も食べさせてあげれなかったのだそうです。

ゴリゴリと歯ごたえが残るように荒めに刻んだめかぶと温かいご飯を

お仏前にお供えして下さいねとお伝え致しました。


Eさんのお母さんは、お迎えに来たのが大好きな自慢の

父親がお迎えに来てくれた事で、とても嬉々として少女の頃に帰った

ように、嬉しそうに教えて下さいました。

お顔立ちもよく似たハンサムなご自慢のお父様だったのでしょう。

娘さんに、「大好きなおじいちゃんが迎えに来てくれて、

お母さんよかったね」 そう言って欲しかったのでしょうね。



残された者は、先に逝った家族の言葉を聞いて安心し そして

旅立った者も自分の思いを伝えることで安堵するのだと思います。

亡き人の言葉を伝えていて いつも思うのです。

生きている者も 先に逝った者もお互いが安心する事で、全てが

あの世に 魂の安堵に繋がっているのだろうなと思うのです。


でもねそうは言っても、大切な家族を失う事は とても悲しい事ですね

辛くて悲しくてどうする事も出来ませんね。

海外の女優さんが、家族を悲しませない為にと、癌になる可能性が

高い、胸と 子宮 卵巣を摘出されたそうです。

日本は癌になる可能性が高くても 過剰医療は認められていませんが

世の中にはいろんな選択があるのだなぁと思いました。

でもね幾つになろうともお別れする事は、残していく家族を悲しませる

ことになると思うのです。

自分の事は、悲しまないでって言えるけれど、残される方は辛くて

悲しく身を引き裂かれる思いでしょう。

わたしは20代に父を亡くし その時とても悲しくて まだ20代だから

とっても悲しく辛いのかな、もっと年齢が高ければ 自分が年老いて

いたら悲しみは半減していたのかなぁと思った事がありました。

でもね、幾つになっていても悲しいのは同じですね。

今わたしは50代ですが、やっぱり歳老いた母を失う事、姉妹を失うこと 

主人や 子どもに旅立たれたら 悲しくて大声を上げておいおいと

泣くでしょう。

お別れは幾つになっていたとしても とてもとても悲しいことだなぁって

思うのです。

悲しみはどうする事も出来ませんが、せめて悔いる事だけは、させない

ように しないように出来たら良いなぁと思います。

年老いた母を思うと、もしかしたら看取れないかも知れないなぁと

思うのです。

悲しいけれど、今から心づもりしているわたしがおります。







あの世とは 成仏とはどのようなものだと思いますか?

皆さんが言われる極楽浄土があり 神さまが集う場所があり 楽園と

言われる場所があるのかも知れませんね。


浦島太郎の逆ではありませんが、あちらでは長い長い時間でも 

こちらにとっては短い時間なのです。

きっと時間というのが ないのでしょうね。

行きたいところにいき、ゆっくりのんびりしたと思ってもこちらでは

とても一瞬の出来事なのだそうです。

そして誰もが同じように 自分の分身を拾い上げることを始める

のだそうです。

成仏とは ここから あそこから成仏という区切りが実はなくて

「あの世」 があると思うかも知れませんが、あの世は 「今の先」に

あるのです。

今あなたは何歳でしょうか?

子どもの頃 自分の今の年齢はきっと想像できなかったでしょう。

自分が 40代や 50代 60代 や 70代になるなんて

遥か遠い先の事で実感はなかったかも知れませんが

気が付いたら今の年齢になっていましたね、

どこからが大人になったと思いますか?

自分の心が身体がどこの境目から大人になったのか

決める事は難しいですよね、気付いたらあなたも わたしも大人に

なっておりました。

亡くなるという事は、気づいたら体を卒業していたという事に

なるのだと 光や不思議な皆さんが教えてくれました。


今の年齢はいろんな事を経験してきた年齢ですね。

いろんな思いもあったでしょう。 

けれども今の 自分の年齢に悔いはないと思われてくださいませ

あなたが生きてきたことに、無駄なことも 必要の無いことなどなく

自分の今の年齢の生き方に悔いなしと思って頂く事は

この先も同じ様に後悔しないのです。

人の成仏とは死んでからの事ではなく 生きているときに既に始まって

いてね、だから悔いを残さないように わたし達は生きなくちゃ

いけないのでしょうね。
 

 

 



雨のお休みもいいなぁまさよの日々のブログを作りました。

こちらでは何気ない日常を書いていきます。


お時間がある時に 覗いて下さったらうれしいです。

また長くなってしまいました、お時間を取らせてごめんなさい。

良い一日とされて下さいませ、感謝でありがとうございます。
 

名古屋のひとみさんが 今日未明逝かれました。

昨年7月に会いに来て下さった時は、末期がんで余命3ヶ月でした。

いつも夜9時 10時には眠くなって起きていられないのに

昨夜は夜1時を過ぎても眠れなくて、ベットの上で不思議と

ひとみさんの事を思い出していました。

気配や姿ではなく、意識がひとみさんにずっと向いておりました。

暖かくなったら、一緒に徳島に行く約束をしていたことを思い出し

またお見舞いに行かなくちゃと思っていました。


「物心ついたときから養護施設で暮らし 親の顔を知らなくて

やっと掴んだ幸せな結婚は、だんなさんのDVで逃げるように

離婚したこと、 どうしてわたしの人生こんななの

やっと落ち着いたと思ったら、もう死ななければならない。

人生って不公平だよね。わたしの人生ってなんなん?

裏切られて 騙されて人生の裏を闇を歩いてきた。

人は信じない、でもね息子達が結婚するのを見届けなければ 

逝くに逝けない、まさよさん、今はそれだけが悩みなんよ」って。


わたしは「ひとみさんね、それは悩みではないよ残していく子どもに

そんな荷を 後悔させるような事を言ったらいけないの。

悲しいけどね、辛いけど逝く者はね、黙っていかなきゃいけないんだよ

それがね、先に逝く者が残していく者に出来る最後の優しさなの」

とそう言って、二人で泣きながら向き合って号泣した事。

人に弱音をはかなくて、弱みを見せない人でした。

人の前で泣いたりしないし、人を信じない人でした。

そんな気丈なひとみさんが、わたしに会いたい わたしにもう一度

会いたいと1月にメールが来たとき、心細いのだと思いました。

「まさよさんに会うと落ちつくん、体調も良くなるん

ありがとう、ありがとう」って何度も言って下さった姿を思い出しました。

生きる希望を決して失わなかったひとみさん立派でした。

人はね みないつか還ります。

でもね 残された者の悲しみは とても悔しくて悲しくてさみしくて 

悲しみをどこに置いたらいいのかわからなくてね。

今まだ涙が止まりませんが、笑顔でひとみさんを称えて

静かに見送ってあげようと思います。

頑張ったね、偉かったね。 



61年の短い人生 でも濃くて深い人生を生きて下さりありがとう

泣いて笑って、人を恨んで憎んで 人を妬んで そして周りの人に

真摯に向き合い、全てを経験した

星野ひとみという尊い魂だったね、立派だったね。

生まれてきて下さりありがとう。

大好きだよひとみさん。 愛しているよひとみさん。

今日は沢山の人が「ひとみちゃん大好き 愛しているよ」って

言って下さるね。

皆さんで「ひとみちゃん大好き 愛しているよ 偉かった」 と

そう言って下さったらうれしいです。

何よりの ひとみさんの魂のお見送りの言葉になります。

「ひとみちゃん大好き 愛しているよ 偉かったね。」



一緒にひとみさんを見送って下さり ありがとうございます。

今日のきれいな青い空は、とても悲しく見えます。






11日 青葉カルチャー主催のお話し会が無事に終わりました。

主催して下さった阿部店長さん そして大切なお休みの時間を

わたしに下さった76名の皆様 心から感謝致します。

いっぱいのありがとう。 たくさんのありがとう。

ありがとうございました。






先日姉から電話があり、仕事先のお客さんを怒らせてしまったと

何日もお客さんの怒りが収まらず、上司にも迷惑が掛かっていて

どうしてよいか分からないと連絡がありました。

仕事を失うかもしれない恐怖と 上司に迷惑を掛けている申し訳なさで

不安になったのでしょう。 

パニックになっておりましたので、わたしは相手の方のお名前を聞き、

その人の後ろの方々(不思議な皆さん)にお願いを致しました。

「〇さんの不思議な皆さま、姉が〇さんに失礼をし 大切な〇さんを

怒らせてしまいました。すみませんでした。

姉も深く反省をしておりますので、〇さんの怒りを静めて下さい
 
ますよう どうかわたしにお力をお貸し下さいませ」

少しして、〇さんの怒りが少しずつ収まってきたなぁとわかりました。 

そして翌々日には全てが丸く収まっていて 事無きを得たと姉から

連絡がありました。

何度かお会いした事があるYさんからも 一昨日連絡があって

関係が悪化した人間関係で悩まれておりました。

「わたしも一緒にお願いしますので、Yさんも一緒にその方の後ろの

皆さんにお願いしてみて下さいね」 とお伝え致しました。

Yさんは、寝る前に相手の不思議な皆さんにお願いしたのでしょうね。

そしたら昨日Yさんが 不思議だけど相手の表情が変わってきて

びっくりしましたと教えてくれました。

毎日会う職場の相手ならば、スムーズにお仕事をする上で関係は

大事ですね。

同じように職場の人間関係で困っている人がおりましたら、その方の

後ろの皆さんに、お願いをされてみて下さいね。

怒るという感情は、自分をわかってもらえなかった 悲しみや傷つきの

思いが心の根底にあります。 

その人の魂が その時傷ついたんだと思うのです

先日のお話し会で 一人成仏や御魂の拾い上げのお話しをさせて

頂きましたが 相手が自分自身の魂の対処法がわかっていたら

良いのですが、そうではない時は、相手の不思議な皆さんにお願いを

されて下さい。

気付いていないだけで もしかしたら自分にも非があるかも

知れませんので真摯に謝罪してから、相手の後ろの方々に

お願いをして下さいませ。 

お願いをしたなら 後は相手の不思議な皆さんを信頼しただ

委ねてみて下さいね、 きっと良い結果を下さる事でしょう。


神仏に愛される人は どんな人だと思いますか

心清く正しく いつも誰かのために一生懸命で 私利私欲もなく

心素直な人が愛されると思いますか?

参拝のしきたりや 仏教の作法に詳しく信心深い人だと思いますか?

神さまに愛されていない人など この世に存在しないとわたしは

思っております。

人には誰にでも あなたを愛して止まない存在がおります。

あなたをただ愛したいのです。 ただ守りたいのです。

そこに理由なんてねないのです。

人はその愛に気付いて ただ受け入れる事が出来たら、全てが安堵の

中にいる事になりますので、自分と自分の神さまを自ずと満たして

いる事になります。

自分の神さんを満たすことは、他の神や 仏 不思議な存在を

より身近に感じる事になります。

体を持たぬ神さんや不思議な皆さんは 安堵しか持って居りません

あなたが安堵して下さる事は、より神さまに近いものとなります。

人は生まれて来たとき 誰もが安堵の中におりまいた。

安心を選んできたはずなのに、わたし達は次第に忘れてしまいます。

そして常に心配と不安が付き纏い 自分を信じる事が出来なくなり

外に外に 他に他に求めてしまいますので 安心からどんどん

離れていってしまいます。

神や 仏や 不思議な存在と遠くなる事は、ますます身近には感じ

られなくなってしまうのです。

あなたとと共にいる不思議な皆さんに気付き 愛しんで信頼する事で、

神という 仏という 宇宙という 不思議な存在の愛をより感じる

ことになるのです。


でもね、そうは言っても普段の忙しい生活の中で なかなか自分を

信じる事はとても難しい事だと思います。

もしこの世に修行があるのならば、あなたが あなたの神さまを

信じる事が もしかしたら苦行なのかも知れないなぁって思うのです。

きっとそれくらい難しい事なのかも知れませんね。

人はみんな生きて来たなかで、「あの時 誰かに守られた」 とか

「あの時誰かに助けられた」 という感覚が誰にでもあるはずです。

それはご先祖さんなのか 神社の神さまなのかわからなくとも 

そういう時、守られている事にただ感謝しましたね。 

「誰だかわからない」 それでも構いませんので 自分の目には

映らぬ方々をいつも意識して下さったらと思うのです。

そして日々の生活の中で 忘れてしまう事も多いでしょう。

仕事をしていたら、そんな事いちいち気にしてられないと思うでしょうし

心乱れる事もたくさんある事でしょう。

でもね、それでいいのです。忘れたら何度でも思い出して下さい。

そういう毎日だからこそ、自分と一緒にいる存在に意識を向けて

あげて下さい。 

幸せなときも 辛いときも 不安で眠れないときも 一緒にいる存在を

思い出し、ただ委ねて頼ってあげてください。

そしてご自分を労わって誉めてあげてください。

わたしは一人の時間を出来るだけ作って ご自分の不思議な皆さんを

意識してあげて下さいね、と言います。 

一人の時間とは車を運転しているとき、 カフェで一人でお茶を飲んで

いる時、お風呂に入っている時、僅かの時間で良いので一緒の皆さん

を意識してあげて下さい。

そうする事で、あなたと あなたと一緒にいる存在がより深い部分で

結ばれ整っていくのです。

自分の神さまを信じて下さる事は、何もかも丸く収まりまわりの人に

安堵を与えます。 

自分に帰依する事は 神に帰依することであってね

その状態が何より神を感じるのです。

もし誰かの為に 誰かのお役に立ちたいと思われるのでしたら

どうぞまずはご自分の為に ご自分のお役に立って下さいませ。

その結果 誰かの為になる事をどうか、どうぞ忘れないで下さい。






昨年の10月頃だったでしょうか、そろそろ福岡講座を進めなければ

と思い飛行機の予約しようとしたら、不思議な皆さんからのOKが

出ませんでした。

今年は遠出をするのがNGなのかなぁと解釈をしましたが、

姫路はOKが出るのです。 

きっとわたしの都合、でもどういう都合までかは教えて下さらないので

OKが出ない意味が判らずにおりました。

なので来年は遠出は姫路講座のみで、後は仙台でとブログで

お話しをしたところ、「天変地異が起こるのでしょうか?」 

「飛行機が落ちるのでしょうか?」と皆さんからご質問もありましたが、

「あくまでもわたしの都合です。」とお話しをしておりました。

わたしは遠くで講座をする時は、とても格安で乗れるスカイマークを

いつも利用いたします。

今年スカイマークが破綻し 3月以降のフライトは白紙になったと

先月ニュースで知りました。

あーOKが出ないのは、この事だったのかと拍子抜けをしたのですが

面白いなぁと思ったのは、1年前から予定していた姫路講座は

かなり早くに場所も 飛行機も ホテルの予約も取っておりました。

そうしたら3月でも仙台 = 神戸便だけは変更なくフライトする事を知り

なんて上手な采配なのだろうかと思いました。

だからわたしはいつでも 自分の全てを不思議な皆さんに委ねて

おります。

家族の事も 家族にも一緒にいる不思議な皆さんが居りますので

ただお任せしております。

そう言うと以前風子さんが 「それはまだよさんが特別だからって

思うのは、わたしのひがみ?」って言われて思わず笑ったのですが、

わたしと風子さんと何が違うのでしょう。

わたしとあなたと何が違うのでしょう。

同じように体を持ち、同じ様に病気にもなり そして空気がなければ

生きていけず、何かを食べないと生きていけず、同じなのになぁって

思うのです。

違うとしたらきっと一つだけ 自分を信じてあげているか いないか

だけなのかも知れないなぁって思うのです。

わたしは、「わたしなんて」と自分の価値を低く思って生きて来ました。 

いつも誰かを羨んで生きてきました。 幸せな人を恨んでもきました。

最低でしょう? 

ずっと最低なわたしだと思っていました。

でもね、なんて立派な感情だったのだろうかと 

何て素晴らしい魂だったのだろうかと

今はとても誇れるのです。 

いろんな思いをしながら一生懸命に生きて来た自分が愛おしいから

おぎぁとこの世に生まれて 誰もが神の記憶が薄れていく中で

生きながら上手にあなた(魂)を信じてあげられるかどうか、それが

神さまがわたし達に望んでいる事なのだと思うのです。

どうぞあなたも あなたの全てを誇って下さいませ

あなたが生きて来たこと 誇れるあなたでいて下さいね。







「皆さんがまさよさんに何度も会いに来ることがわかる気がします。」

と青森のEさんが言って下さいました。

きっとね何度も会いに来て下る方々は もう聞く事は何もないから

無理に聞くことを作って、会いに来て下さるのだろうなと思うのです。

「1年に一度こうして仙台に来ることを、楽しみにしているんです」と

言って下さる 三重のNさん 

広島のMさん 鳥取のTさんとか たくさんの方々が何度もいらして

下さるけれど きっと聞く事はもうないのだと思います。

それでもいらして下さる事がただ有難くてね、なんて言葉で表現して

よいかわからなくなるのです。

「特に聞く事はなかったけれど ただ会いに来ました」って

言って下さる方も多いのですが、聞く事がなくてもいらして下さったと

いう事は、聞かされなければいけない事 知らなければいけない事が

あるのだろうなって思うのです。

何も聞く事がないという方に限って たくさん出てきたりするんです。

それは自分の意思というよりも ご先祖さんだったり不思議な皆さんの

ご意向なのだろうなって思うのです。

そういう時 わたしの不思議な方々と いらして下さる方の不思議な

皆さんとの間で、何かお約束を交わしていらっしゃるのだろうなってね

思うのです。






お話し会にいらして下さった皆さんに差し上げたサンキャチャー

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こんな可愛らしい虹を見せてくれます。
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4年ほど前 鹿児島からいらして下さったエリカさんが

「わたしとお揃いなの」と言ってこのサンキャチャーを送ってくださり、

その可愛らしさに感動して今も大切にしております。

このサンキャチャーを選んで下さった方も喜んで下さると

いいなぁと思いました。







車で走っていたら、田んぼに沢山の白鳥を見つけました。

一生懸命に何かを食べていました。 

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遠くを見ているみかんの後姿。。。

みかんの目には、何が見えているんだろうって

思ったら、、、、うとうと寝ていました。

 

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今朝は朝から 雪かきをして娘がボランティアに行くのに駅まで送って

行ったり、バタバタしていたら

「やすかれ我がこころよ、主イエスはともにいます」と賛美歌298番

の曲が頭の中に響きました。 

高校生のとき 大好きな賛美歌の曲でした。

無宗教ではあったけれど、神は共にいると漠然とこの頃から思って

いました。

大人になってから歌ってみると、10代の時とは違い 

意味も 言葉の深さもわかり、涙がこぼれてきます。

賛美歌298番で検索すると歌詞も一緒に出てくると思います。

「やすかれ わがこころよ

主イェスはともにいます。

いたみも苦しみをも おおしく忍び耐えよ

主イェスのともにませば たたえぬ悩みはなし。」

2番も 3番と聴いてみて下さいね、

素敵な歌詞に心穏やかになります。



長くなりました。読んで下さってありがとうございました。

今日もよい日と致します。


2月11日の青葉カルチャーのお話し会に 75名の方がご参加して

下さると 阿部店長さんから連絡がありました。

貴重な皆さんのお休みの日、わたしに大切な時間を下さる方々が

いらっしゃる事、寒い中いらして下さる方がいる事

本当に 有難さと申し訳ない思いでいっぱいでございます。

神仏に愛されるとはどういう事か、既に愛されているというのは

どういう事なのかを、勘を整えて自分の最善を選んでいける

一年になるよう、皆さんにお伝え出来れば幸いでございます。


わたしはいつも思うのです。

一人ひとり 誰のところにも 日が昇り 日が沈み同じような毎日が

やって来て、同じ様な出来事が繰り返されていると思ってしまうけれど 

でも決して同じ日なんて無くてね。

当たり前ですが 同じ事などこの世に一つもなくて。

毎日見る同じような空でも まったく同じ空も 雲もなくて

同じなんてないから、だからいつもあえて思うのです。

晴れていても 雨でも 雪でも わたしに見せてくれて

目に映ってくれて 耳に届いてくれてありがとうって。

同じように嬉しい事でも 同じ嬉しさはなくて、だからどんなに

小さな事でも、精一杯喜んで感謝致します。

同じような辛い事でも 同じ辛さは一つもなくて だからどんなに

辛くても、いつか笑顔に変わるように 精一杯今ある幸せを

見出して今に未来に感謝致します。

同じような時間が流れていたとしても、一日として同じはないから

同じ様な通勤の道でも 同じ道ではないから

だから 「今日」 がいつも愛おしいって思うのです。

神さま今日を有難うって思うのです。




最初の頃からブログを見て下さっていた 群馬のNさんが、「まさよさん

にあげようと思って」ときれいな石を下さいました。

青くて一つ一つの結晶がピカピカ光っていて、宝石みたいにきれいです。

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皆さんが下さった天使たち 石たち 
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とってもきれいだなぁ。  どうもありがとう。
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ダンボールの中で寝ている みかんです。

猫ってどうして箱が好きなのでしょうね。

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みかんがいるソファの背もたれ その場所が うりも いちごも

大好きで 必ず誰かそこで寝ているので見事に凹んでいます。

どうしてそこが好きなのかなぁ。

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今日もありがとうございます。

急に決めたので、名古屋の方々に連絡していなかったのですが

昨日 日帰りで名古屋のひとみさんに会いに行ってきました。

ひとみさん、身体が大変なのに仙台に来るつもりでいてね

「お水を飲んでも吐くし苦しい、今回は断念します。」 と前々日に

メールが届きました。

その内容は 「どうしてもまた まさよさんに会いたいです、次の予約は

いつですか?」と書かれていました。

でも次は10月ですと言えなくて、がっかりさせたくなくて返事に困って

「いつでも空けます。いつでも会えます。」と送りました。

キャンセルがあったら予約を繰り上げて欲しいと、待っている方が

沢山いらっしゃるので、その方々に申し訳ないと思ったのですが

その日はひとみさんの予約日だったので、ひとみさんに使いたいって

思いました。

ひとみさんが来るのが難しいのなら、わたしが行けば良いのだと、

わたしが行って何が出来るわけではないけど、病気を治して

あげられる訳でもないけれど、直接レイキを流してあげたくてね。

見よう見まねだけど、手や足をアロマクリームでマッサージして

あげたくて、お顔をみて帰ってくるつもりで行きました。

でもレイキを流していたらお顔の色もどんどん良くなったので

そうだ、ひとみさんが自分でも使えたら良いなぁと思い、急遽 

病室でレイキを自分で使えるようにしました。 

テキストを持っていないので口頭でお伝えしただけなのですが、

祈りの根本にあるのは愛だから、レイキとどこか似ているように

思います。

宇宙は上を意識しますが、地球は丸いので自分が上だと思って

立っているのは、誰かにとっては下かも知れなくて、太陽も 月も

風も 雨も全てがエネルギーでそれらが無くてはわたし達は生きて

行けなくてね。

全てが一つとなり、有難いエネルギーを集約して感謝で使うのが

レイキだとわたしは思っております。


レイキはいろんな名前で使われていて、ヒーリングという言葉でも

使われるけど、その根本は誰かを思う人を労わる愛だと思うのです。

そのすべては「祈り」と同じだなぁとわたしは思います。


余命宣告って何だろうって考えるのです。

人の余命は、病院の先生が決めるものではないって思います。

余命はあってないもの。

命が尽きる事なんてね、誰にもわからないと思うのです。

ひとみさん、お元気だったので少し安心致しました。


名古屋の空港は大きくて、方向音痴のわたしは大変でした。

名古屋中部空港にいた大きな白い龍が可愛くて、写真を

撮りました。 

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いちごや うりみたいに 「あーもしゃもしゃしたい」って思って 

手がうずうずしました。

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13日 岩手の陽子さんがとっても懐かしいお土産を下さいました。

ミッシェルのピロシキ

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まだお店があった事と そして未だにピロシキを売っている事に

とても感動しました。

頂いたピロシキ家族が食べて一言 「お母さんの味に似ている」って。

ミッシェルのピロシキの味を すっかり忘れていたのですが

無意識に味を似せて作っていたのだと、初めて気づきました。

30年振りに食べた 何とも言えない懐かしい味でした。

サード伝授の時間が空いたので、秋保におはぎを買いに行って

ノートルシャンブルでお茶を飲みました。

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珍しかったのが、エナジーボール。
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いちじくの味が来て 干しバナナの味が来て チョコレートの味がきて

とても甘いのにお砂糖は使っていないのだそうです。

不思議なお味でした。 


陽子さんは過去に一度ワンネス体験をした事があると、

サード伝授の時 再び体を抜けたのだと思います。

体を抜ける事は、上手く表現出来ないのですが神の意識になる事で

あり、鮮明に神の記憶を思いだすことだと思います。 

大河の1滴ではなくて、大河そのもの記憶に触れる事で、それは

加速的に自分の不思議が整っていきます。

この不思議な感じを知って欲しくて、チャネリングをして降りてきたのが

ロクボウセイのエネルギーを使った瞑想方法なのですが、

瞑想というかチャネリングをしている時の脳は、神の脳だとわたしは

思っています。

それはもしかしたら角度とか 視点が違っても、そこに大きな違いは

ないのかも知れないなぁと思うのです。

その事を陽子さんと話していたのですが、全く怖い感じはなくて

幸福感と言うよりも 感じたことの無い「果てしない安心感」なのです。

この安心感こそが 自分を中心に戻すことだと思うのです。


こういう感覚 体験を危険だと説く人もいるけれど、きっとご自分の

想像とか仮定でお話しをしているのだろうなと思うのです。


神さまのお話しをされる方は沢山いらっしゃる。

神社の神さまや もっと先のワンネスや 何を神と捉えるのかは

自由だと思います。

神と不思議能力は イコールではないと思われる方も多くいらっしゃい

ますが、神を知る事は、自分の能力に気付くことでもあるのです。

能力に気付く事は 神を 魂を思い出す事になるのです。

切り離して説くことはね、決して出来ないのです。


ひとみさんが 過去世を絵に描く人に会った時の話しをして

笑っていたのですが、過去世も個人の特定の記憶ではないのです。

洗面器いっぱいの水に 青や 赤や 白や 黄色 もしかしたら

グレーもあるかもしれないし、いろんな絵の具を溶かしたら 何色か

わからなくなってしまいます。

何色かわからないけれど、そこには確かにいろんな色が混ざっていて

コップに汲み上げたら、コップにもいろんな色が入っているので、

何色と言うよりも 全部色が入っています。

天草四郎の生まれ変わりとか、誰々の生まれ変わりと言われる方は

それも間違いではないかも知れませんが、でも正解でもなくてね。

天草四郎という「色」を 自分というのコップの中でより強く意識して

いるのだろうなって思うのです。

ご自分を神の生まれ変わりと 聖者の生まれ変わりと説く人も

その記憶を ご自分が強くクローズアップしているのです。 

沢山の魂の記憶を あなたも わたしも保有していて

たくさんの記憶を紡いで、今あなたがここに存在しているのです。

あなたは誰の記憶をクローズアップしていますか? 

それはどうしてでしょうか?

そう思うと 思いを馳せると不思議がいっぱいですね。


長くなりました。 読んで下さいましてありがとうございました。




 

昨日は娘の成人式でした。

朝5時に起きて、着付けの先生のところへ行き、何故か一日

バタバタしておりました。


大学こそ違いましたが、小学校の時からの友だちのFちゃんと

一緒に並んで写真を撮りました。

Fちゃんのママは、あやこさんのヨガに一緒に通っています。

昨日はFちゃんのパパが、成人式の会場まで送ってくれました。

小学校から知っているので、大人になったなぁと思います。

これからも二人の未来が 穏やかで幸せである事を祈りました。




 
そしてお向かいの奥さんが 成人式のお祝いにとメッセージと一緒に

素敵な絵を下さいました。

 

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お向かいの奥さんは Kちゃんのお母さん。

美大を出てらっしゃるので、絵がとても上手でお休みがあれば

スケッチに出掛けていき、絵を描くのが大好きだと言われます。






30数年前の自分の成人式の事をよく覚えていますが

娘も同じ年齢なのだと思うと とても感慨深い思いです。

娘は生まれてすぐから入退院を繰り返し、病院の先生に何度

「覚悟して下さい」と言われたのでしょう。 

一生歩けないし 寝たきりかもしれないと言われた時 とても

ショックだったけれど、泣いていても仕方なくて わたしに出来る事を

しようと とても冷静だった事。 

そんないろんな事を思い出して、わたしの頭の中は一瞬でこの

20年間の出来事が頭を巡りました。

小学校の時 いじめによって親子で辛い思いをした事

それでも自分は悪くないと 学校に行き続けた娘は立派だったなぁと

思います。

気が付けば そんな時でもFちゃん親子は いつも穏やかに側に

いてくれた。 有難かったなぁと思います。


いじめを受ける事は 親子で傷つくとても辛いことです。

言葉には出来ないほど 苦しい思いをします。

でもね、辛い経験だけど決して悪い経験ではないと思うのです。

わたしは当時 娘に言いました。

「あなたも苦しいし お母さんも苦しい。 虐められる事はとても

嫌な経験だけど でもね決して悪い経験ではなくて、いつか

必ず誰かの為にも 自分のためにもなる、振り返れば自分の

財産になっているよ」 

「今は泣いていても 未来は必ず笑っている。」

そう話したら 小学校の娘はちゃんと理解していました。


いま娘がしたい事の原点が そこにあるように思います。

友達のFちゃんも娘もとても忙しく 今の大学生は遊ぶ暇もなく

勉強と実習と 休みの日はボランティアやアルバイトと とても忙しくて 

今の大学生は なんて忙しいのだろうかと思います。


成人の日を 太陽でお祝いしてあげたくて晴れを選んでおりました。 

お天気にも恵まれて感謝でいっぱいです。

今日もきれいな青空が広がって感謝でいっぱいです。

過去も 未来も そして今も わたし達のまわりは感謝で溢れている

のだと思います。

どうぞ今日も良い日とされて下さいませ。

感謝でありがとうございます。



 

近所の神社の神さまに初詣に行った時、お昼過ぎで小雪が舞う寒い日

だった事もあり わたしの他に人は誰もおりませんでした。

神さまとゆっくり向き合えると思い、いつものように 「神さま

お久しぶりでございます。 会いたくて参りました。いつもありがとう

大好きです。 神さま今年はね」 と人がいないのを良い事に

声に出して一人でしゃべっていたら、すぐ後ろでじゃり じゃりと砂利を

踏む音がして わたしのすぐ後ろに誰かが立ちました。

独り言を聞かれた事が何だか恥ずかしく 後ろを振り返る勇気がなくて

手を合わせたままでおりました。

でも考えてみれば足元に砂利はなく、そういえばいつまで経っても

お賽銭も入れないし 本坪鈴もならないので わたしが邪魔なのだと

思い、にっこり笑って「すみませんどうぞ」と 後ろを振り返ってみたら

誰もおりませんでした。

確かにわたしの背後には わたしよりもはるかに背の高い人が立って

いたのです。 それもとても近い距離に。 

不思議だったので、静かにぐるっと神社を見回して思いました。

そこの神社は後ろが山になっておりまして、天狗によく似たと言えば

わかりやすいでしょうか、人の姿に似た山の精霊さんが 神さんに

ご挨拶にいらっしゃたのでしょう。  

だからわたしの後ろに立ちながらも 158センチのわたしに陰が

かぶさるくらい大きな方だったのだと納得いたしました。

参拝が偶然わたしと重なったのだろうなと思いました。

神社に参拝されて、同じような経験をされた方もいるかも知れません。

自然霊だけではなく、神社の神さま同士でも それぞれにご挨拶に

出向く時があります。 

そういう不思議な皆さんが近くで一緒に参拝されるている時 

自分は正面を向いて手を合わせていても、人は自分の横や 後ろに

気配を感じます。

不思議ですが気配だけで特徴や 着ている服の色が白だったり 

紫や 金色だったりとわかったり致します。

もちろん振り向くと誰もいないのですが、そういう時は、

「一緒にご参拝できてうれしゅうございます」 とか

「今日はよき日でございます。」と言って下さったらとよろしいと

思います。

不思議な皆さまと 一緒にご参拝する事は結構あるかと思います。




昨年の12月 yさんと中尊寺に行きました。

10月にけいこさん達と行った時は、ちょうど紅葉の時期でもあり

人も多く賑やかでしたが12月は寒い事もあり お堂の扉は閉めて

おり、参拝する人も殆どいませんでした。

金色堂の隣に立つ 讃衡蔵に行った時も貸切状態で、ゆっくり

仏像を見る事が出来ました。

前回来た時には人も多くて気付かなかったのですが、

硝子ケースの中に展示されている沢山の仏像があって、その中に

小さな千手観音さんの像があり、その像に二人で目が留まりました。

わたしはあまり詳しくありませんが、千手観音さんはどちらかと言うと

女性的な華奢な仏像が多いように思うのですが、その像は目を瞑った

おじいちゃんのお顔をした千手観音でした。

「おじいちゃんの千手観音さん珍しいね」 と二人で話しながら

通り過ぎようとしたら その仏像に 「まて」 そう呼び止められて 

ふと振り向いたら千手観音さんのお顔が変わっておりました。

振り向いてみる観音さまは、しっかりと目を開けていて

とても若々しく凛々しいお顔をされておりました。

「あれ?顔が違う」と思い また正面に立ちましたら やはり

目を瞑ったおじいちゃんのお顔にみえるのです。

振り向いた角度から見えるのが 正しいお顔なのだと気付きました。

千年以上も前の仏像でもあるので、古い事もあって顔もはっきり

認識出来なくなっているのでしょうね。

本当は凛々しく若々しいお顔なのに、おじいちゃんのお顔に見られる

こと、「違う」 と訂正したかったのでしょう。

yさんにも教えてあげて「ほんまや 全く違う」と二人で驚きました。

もし機会がございましたら、行かれてみてください「讃衡蔵」に入って

右側のケースに並んでいる 黒くて小さい千手観音さんです。

あの角度からみる人はあまりいないと思いますが、正面からと 

斜め45°では全くお顔が違いますので、「凛々しいお顔ですね」 

そういって下さったらきっと喜ばれる事でしょう。

讃衡蔵の千手観音さんの事を こうしてブログに書ける事

何だかとてもうれしく思います。


誰かをリーディングする時は、人という神さんに意識を向けて、

その人に同調して視ていきます。

でもお身体を持たない 神社の神さんや 如来さん 菩薩さんは一旦

意識を合わせて すっと外した瞬間に話しかけられる事が多いのは、

言葉で上手く説明出来ないのですが、波と一緒だと思っています。

「押して」 「引いて」の波と一緒で 波もリズムのようなもので

こちらから押してばかりでは、上手く噛み合わないのだと思います。

どうぞ意識を合わせて そして無意識に外す瞬間を感じ取られて

下さいませ。




わたしは 「祈り」という 言葉の響きが大好きです。

それはどこの宗教の神さまであっても、寺社でも マリアさまでも

誰かを祈る行動は そこに必ず愛があって、祈る姿はとても美しいと

思うのです。

マリアさまを通して 仏様を通して 神社の神さまを通して、ご自分の

神様に祈っていて、そういう時あなたの魂が震えているのです。 

何かが叶うとき奇跡ではなくて 引き寄せでもなくて

あなたという神さまが魂が 愛で震え揺らいで叶っているのです。 

ご自分と一緒にいる神さまに 「あなたに全てをお任せ致します。」 

全てを委ねられたら、後は安心を選べたらいいですね。

そう出来たら、いいですね。

どうぞご自分を安心させてあげてくださいませ。 








以前 愛知からいらして下さったあんさんのご紹介で

お友達のひとみさんが7月にいらして下さいました。 

ひとみさんは余命宣告を受けているのに わたしに会いに来て下さり

「まさよさんにまた必ず会いに来る 1月に必ず来るからね。それまで

生きてるから、その日空けておいて下さいね」そう言って帰って

行かれました。

ひとみさんはお元気かな、どうしているかなぁと思っておりましたが

腹水が溜まっていま入院をされているそうです。

レイキを流しておりましたが、よろしければ 「持続継続」でと 

一緒にレイキを流して下さる方がおりましたら どうぞよろしく

お願い致します。








掃除機を持ち出した時の いちごと うりです。

猫も犬も掃除機が嫌いで、遠巻きにしてみています。

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でもこんな安心した姿に わたしも安心を頂きます。








 

明けましておめでとうございます。

今年も皆さんの1年が幸せいっぱいで 愛でいっぱいで

満ち溢れますように。

いつもいつでも最善である事を 選ばれていかれて下さいませ

「何があっても最善」 そうご自分を信じてあげて下さい

それが共に一緒にいる不思議な皆さんを 信じて愛してあげている

ことにもなるのです。

どうぞ幸せな1年の始まりとして下さいませ 

どうか幸せな歳にされて下さいませ。




きれいな朝です。
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太陽は全てのものを 細胞も何もかもを動かしてくれる
神様みたいです。

太陽に向って言ってみてください「神様だいすきです。」

太陽はあなたを照らしていて、わたしも照らしていて

自分も太陽なのだと思うのです

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お日さま きれいだなぁ。

今朝は 息子の仕事が早番で、6時半に出勤していきました。

今年初めての お弁当を作りました。






昨日のお昼は、家族で仙台ロイヤルパークホテルで新年のランチ

ブッフェに行きました。 

元旦しか休みのない息子が予約してくれましたが、元旦でも

開いている事にびっくり致しました。

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わたしのお誕生祝いを兼ねて 娘と息子が予約をしてくれましたが

贅沢な気がしてね、なんだか落ち着かないわたしでした。

人を祝うのはうれしいけれど 人に祝ってもらうのになかなか

慣れなくて、子どもに散財させて申し訳ないと思うのです。

親はみんなそう思うのでしょうね。


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座った席からお庭が見えていて 左の木にすずめが何羽も止まって

木の枝をちょこちょこと動いている様子が 可愛らしかったです。
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ホテルのチャペルです。

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歩いて行けるほど近くにあるホテルですが 滅多に行く事がなくて

前は結婚式があると週末必ず花火が上がっていて 冬の花火が

とても綺麗でいつも楽しみにしていたのですが、アウトレットが

出来てから花火を打ち上げる事が無くなってしまいました。

冬の花火が見れなくて少し寂しい気がします。



夜はおせちを食べました。

おせちは、せめて子供が大きくなるまで作ろう 

もう今年はいいかな、作るのを止めようかなと毎年思うのですが 

ご飯のおかずを考えなくても良いので 結局作ってしまうのです。


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おせちは 住んでいる地域でそれぞれに違うのでしょうね。
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酢蓮や なますは ゆずか れもんを必ずいれます。
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栗きんとん や 豆きんとんには りんごを入れて作ります。

伊達巻 や ごまめは 甘くしないで作ります。
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今年は娘に 作り方を覚えて欲しくて作りました。








雪が降ると嬉しいうりです。 ボールを追いかけて走り回ります。

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足も短くて 雪が苦手ないちごは、 早く帰ろうとします。
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ミカンを頭に乗せたみかんです。 
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皆さんはもう初詣に行かれたのでしょうか?

わたしは 仲良しの神社の神さんのところにまだ行っていなくて

いつもお正月が過ぎた 落ち着いた頃に行きます。

小さな小さな神社ですが、それでもお正月は提灯が飾られていて

前を通る時に 「お化粧してもらっていいですね、うれしいですね」

そう声を掛けて前を通ります。

まだ初詣に行かれていない方は、人が少なくなった落ち着いた頃に

行かれてみて下さい。

神様 仏様は向き合って手を合わせている時よりも

人が背を向けて帰ろうとする時に、帰り際に話しかけてくる事が多く

そういう時 神社の神さま 仏さまと意識が通じておりますので、

お言葉を頂戴しやすいときでもあります。 

前は、何度か三が日に参拝した事がありますが、三が日は

人が多すぎる事もあって 神さまの声を聞くことがありませんでした。

人が多すぎて わたしが落ち着いて参拝できていなかったのかも

知れませんけれどもね。

神社の神様 仏様の言葉が欲しい方は、落ち着いた頃 受け取り

易い時に行かれてみて下さいね。 

意外な発見もあったり致しますし、知らない事に気付いたり致します。


今日からお仕事という方も多い事でしょう

どうぞ皆様の今日も良い1日とされて下さいませ、

感謝でありがとうございます。


土曜日 お友達3人で1年ぶりにご飯を食べました。

忙しい事もあって頻繁に会う事が出来ませんが、わたしの年齢に

なると、滅多に会わないからこそ友達だって思えます。

滅多に会わなくてもずっと長く友達でいれるのは、価値観 

倫理観が同じだからだと思いますが、何よりも対等なのだと思います。 

困った事があったら頼られたり 助けたりするのが友達だと若い頃は

そう思っていました。

むしろ頼られる事で自分を必要としていると 頼りにしてくれていて

嬉しいと錯覚していた頃がありました。

若かった事もあり、きっとおごりがあったのだと思います。

でも年齢が進むに連れて、対等でなければ友達にはなれないし 

友達関係を続ける事は難しいのだと 次第に気付く事になります。

いま気が付いてみれば、わたしの友達はみな対等で そして価値観も

倫理も同じ人だけでした、だからお互い会っていて気持ちがラクです。

1年があっという間に過ぎるお年頃なので 1年振りに会っても

つい先日会ったように感じるのが とても可笑しいです。
 

 

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この後 甘いものは別腹とケーキバイキングのお店に行きましたが

皆せいぜい 一切れ二切れ食べるのが精一杯でした。
 

若い子に混じって行ってみたいお店だったのかも知れません。






息子のボーナスが出る6月と12月 そしてわたしの誕生月の1月に

必ず「お母さん何か欲しいものはない?」と息子に聞かれます。

うれしい事ですが、何か欲しい物が浮かばないわたしは いつも

返事に困ってしまいます。

「ん~ない」 そう答えると 「じゃぁ何か食べたいものはない?」 と

聞かれ、本当に欲しい物も食べたいモノも 行きたいところもなくて、

自分でも楽しみ事のない つまらない人間だなぁとつくづく思います。

自分にお金を掛けること 贅沢する事が何故か申し訳ないと思う

わたしがおります。 

せめて年老いた母に何かをしてあげたくて 母に「何か欲しい物や

して欲しい事はないの?」と聞くと 母も同じように「何もいらない」と

笑います。

わたしが母を想うように、きっと息子もわたしと同じように考えるの

だろうなぁと思うと、不思議な気持ちになります。

子を想う親の気持ち 親を想う子の気持ちは どんなに時が流れて

時代が変わったとしても 脈々と変わることはないのでしょうね。

親の思い 子の思いはそれぞれに そこはかとなく物悲しいと思うのは

わたしだけでしょうか。

 






19日は、7名のティチャー再受講でした。

レイキは教えるところによって それぞれに違っています。

でもね、誰かの教えよりも自分が知って気付く事の方が ちゃんと

自分の言葉でお伝え出来ると思います。

誰かに伝授する事が自信がなくて戸惑っている人も多いかも

知れません、以前わたしもそうでした。

誰かに伝授する事は、もっと自分が理解してからと そのように

思っておりましたので、ティーチャーになっても 暫くは誰にも伝授は

しておりませんでした。

今のお仕事をさせて頂いて、偶然にもレイキの伝授を無料でさせて頂いた

事でレイキが本当は何なのかを 初めて自分で知る事になりました。

もしもあのまま誰にも伝授していなければ、きっといつまで経っても 

何年経過しても、わからないまま自信がないままだったと思います。

レイキにはさまざまな種類があります。 わたしも沢山のレイキを

持っておりますが、行き着いたところは一つでした。
 

家族は長く生活を共にしていますので エネルギーもとても近い存在に

なります。

だから家族への伝授は練習になったとしても、レイキエネルギー

を学ぶ事にはならないのです。

家族以外の誰かに伝授して 初めて知る事 気付かされる事のなんて

多い事でしょう。 

その一つひとつの経験が 自分を真実へと確実に導いてくれるものなのです。

その事を是非皆さんにも 知って頂けたらと思います。

19日は皆で持ち寄ったお菓子を袋に入れて配って、まるで子供会の

集まりのように楽しい会でした。

神聖曼荼羅レイキは、レイキと名前は付いておりますがその

エネルギーの違いははっきりと異なっております。


ユキヨさんに頂いたお花と一緒に写しました。
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この世の中には 世界には可哀想な人も 可哀想な動物も

たくさんおります。

けれど自分がその全ての人に 全ての動物をどうにかしてあげる

事など出来なくて、その事で心を痛める方も沢山いらっしゃる事でしょう。 

でもね自分に出来ることは、縁があって一緒になった家族を 

ペットを最後まで精一杯愛してあげる事 幸せにしてあげる事が 

あなたやわたしに出来るお務めだとわたしは思うのです。 

自分が元気で初めて、家族の為に働けます。

自分や家族が幸せで 初めて誰かのお役に立てるのです。

自分に無理をさせてまで、誰かのお役に立つ事なんてね

出来ないとわたしは思うのです。

どうぞまずはあなたが あなたの身体と心が健やかであって下さい。

それがあなたの大切な者たちに対して あなたが精一杯出来る

愛情だとわたしは思います。








子供の頃から 猫や犬の鼻の頭の毛を指で撫でて ジョリジョリする

感じが大好きで、みかんの鼻の上の毛をジョリジョリすると 気持ち

良さそうにするみかんです。

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いちごの鼻の上の毛を撫でてみて ショリショリ
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うりの鼻の上の毛を撫でてみて ショリショリ
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やっぱりみかんの 鼻のじょりじょりとする毛の感じが

一番大好きです。
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最初に謝っておきますね、長いブログになります。

お時間を取らせたらすみません。

今年の8月だったと思います。

お友達同士3人で神奈川からいらして下さいました。

3人とも旦那さんを急に亡くされていて、「まさよさん わたし達の

事をブログに書いてくださいね」と言われていたのに 

まだ書いておりませんでした。改めて書かせて下さいね。




Hさんの旦那さんは、わたしのような者が嫌いなのか、人見知りも

あって、Hさんがいらしてもご主人は一緒ではありませんでした。

どこにいらっしゃるのだろうかとご主人を探したら、ご自宅のお仏壇の

ような前に一人たたずんでおりました。

なかなかわたしのところにいらして下さらなかったので、わたしから

出向いて行って 「Hさんのご主人」と 声を掛けました。

きっとびっくりされたのだと思います。 

「誰だよ 何だよあんた」そう言われてしまいました。

「お願いです。奥さんに何をお伝えしたら良いですか?教えて下さい」

そうお伝えしたら、暫くして同じ景色が何度も視えて来ました。

みかん畑のような斜面が広がり 左側に木がこんもりしていて

そして眼下に広がる青い海 ここは何処だろう、四国なのかなぁと

思いました。 

そして子供の頃のご主人の姿も視えてきました。

何か悲しい事があると子どもの頃のご主人はそこに座って 一人で

海を眺めながめていたのでしょうね。

その景色の綺麗さと 心の寂しさが何とも言えず物悲しく思いました。

何度も何度もその景色が視えて来るので、きっと何か約束をしていた

のだろうなと思いまして、視えた景色をHさんにお伝えしました。

旦那さんは子どもの頃 四国で育ちそして大人になってから一度も

四国に行った事がないそうで、「いつかHちゃんにその景色を見せて

あげたい」と生前いつも話していたそうです。

その約束を果たせないで亡くなった事を 謝りたかったのでしょうね。

ご主人の思いをお伝えしていたら、少し慣れて下さったのでしょうか

それともわたしを信じて下さったのでしょうか、ポツポツと話して

下さいました。

出来れば四国の海に骨を散骨して欲しい事 でももしも許されるの

ならば、Hさんが亡くなった時に 夫婦として骨を一緒に散骨して

欲しいと、それまでHちゃんの側で最後まで見守っていたいのだと。

それが自分が出来る事であり、自分の幸せだと話しておりました。

骨を散骨する事は生前からご主人の希望だったそうで、それに対して

Hさんは何度も頷きながら わかっていると返事をしていました。

Hさんとご主人は どんな時も同じ気持ちでいたのでしょうね

夫婦っていいなぁと思いました。

次第にご主人の顔が人懐っこいお顔になり 少しおどけたように

「ちょっとでいいから ビールが欲しい、出来れば餃子も一緒に」と

Hさんにおねだりするように でも遠慮がちに言いました。

それをHさんにお伝えしたら、身体を壊してから大好きなビールを飲む

ことを止めていたそうで、「もう飲んでも良いよね?」と言うことだったの

でしょうね。 

「帰ったらさっそくビールを飲ませてあげます」と話していたので

「お仏壇ではなく 普通にみんながご飯を食べる食卓に置いてあげて

下さいね」とお伝えしました。








Yさんのご主人は、初めからYさんと一緒に来ていて、3人にお会い

した時、誰かの旦那さんが一緒にいるなぁと思いました。

特徴をお話したらYさんのご主人で、Yさんのご主人は一代で会社を

築いた人でした。

Yさんに何の説明もなく逝ってしまった事が気がかりで自分の事 

会社の事をYさんに伝えたくて仕方がなかったのでしょう。

「会社をお前が継げ、そしてお前が営業をしろ」と「お前ならば営業が

出来る。やってみて無理だったらそれはそれで仕方ない でも出来る

ところまでやれ」 と 「そして困った時は、会社の誰々に相談しなさい」

とても詳細に話して教えてくれました。  

Yさんが後で教えて下さいました。

ご主人は生前元気な時に「俺にもしもの事があったら、お前が後を

継げ」とそう話していたそうです。

すでにご主人の魂は知っていたのでしょうね、ご自分の寿命の事を

それはご主人の魂の遺言だったのだろうなぁと思いました。

そしてあるお墓が視えてきました。 そのお墓はご主人のお母さんが

眠るお墓で、そこに自分の骨を埋めて欲しいと希望しておりました。 

Yさんがポツリと 「パパならきっとそう言うだろうな」と言っていました。

Yさんはずっと専業主婦だったそうですが、ご主人の意思を継いで

会社を引き継ぐ決心を固めたようでした。 






Tさんのご主人は、ご自分の納骨が済んだのをみて 

自分の死を人生を納得されたのでしょうね。 

納骨するときに、家族と一緒に後ろから眺めていたご主人ですが

それで決心されたのでしょう。

それまではご自宅にいましたが、「よし悔やんでも仕方ない」

そう言って早々にこの世界を旅立っておりました。

「ご主人の気配がしないでしょう? ご主人はとても早かったですね」

そうお伝えしたら、「パパの事だからきっとそうだろうなって、そう家族で

話していました。」と

あの世の事を 上手く言葉にして説明出来ないのですが、Tさんの

ご主人は 自分の生前の記憶を忘れる作業が既に始まっていたの

だと思います。

お呼びしても なかなかいらっしゃらなくて、やっと来て下さっても、

「わざわざ言わなくてもわかっているだろう」というような言い方を

されてね。

お子さんの事 仕事の事など話して下さいましたが 肝心の奥さんの

事になると 言葉が少なくなってしまってしまい

「言わなくてもわかるだろう」と そんな感じに言うのです。

Tさんのご主人は、自分の気持ちをわたしに話す事が恥ずかし

かったのだろうなと思いました。 

奥さんは言わなくてもわかっているはずだという確信が、ご主人には

あったのだと思います。

何かが欲しいとか こうして欲しいとか言わないご主人でしたが

やっぱりお父さんなのですね、ご自分と同じ仕事をしている息子さんの

事をとても気に掛けておりました。

「パパ、わたしにもう少し言葉はないの?」 そう言っていたTさんですが

「パパらしいな」って笑っておりました。




3人の旦那さんは、昨日まで普通に元気だったのに ある日突然

亡くなってしまいました。

こんなにも早くお別れが来るのならば、もっと何かしてあげたかった

もっと大切にしてあげれば良かったと きっと後悔してご自分を責めて

しまう事でしょう。 良い妻ではなかったと嘆くかも知れません。

でもね亡くなった旦那さん達も 同じように悔やんでいるのです。

何で普段からきちんと言葉にしていなかったのかと、もっと奥さんを

大切にしてあげれば良かったと同じように悔いているのです。

その思いはね、それぞれにお互い様なのです。 

だからどうかもうご自分を責めないで下さいね。

出会えた事に 共に過ごした時間に 「大好きだった有難う」 

そういう気持ちで見送ってあげて下さいね。



急死すると自分の死を自覚出来ないと 心配される方も多いかも

知れませんが、亡くなり方に関係なく 誰もがきちんと自分の死を

理解する事になります。

亡くなったらこうだとか 亡くなったらあの世で早く成仏させて

あげなければと思うかも知れませが、わたし達が考える 

わたし達があちこちで教えられてきた成仏の概念が本当は

存在しないのです。

成仏とは自分の死後、生前の記憶を次第に少しずつ忘れていく事

なので 生きているものが何かをしなくても 誰もが次第に自然に

記憶を消していく事になるのです。

急いで生前の記憶を消しても ゆっくり消しても同じで その速さは

あまり関係なくてね、成仏は「する」ものでも 「させる」ものでもなくて

自ら忘れていくものなのです。

死んだらこういうモノだと、死んだ人はこうでなければと

生きている人間が決め付けてしまうと、亡き人はきっと悩まれる事

でしょう。

この世にも あの世にもどれが良くて正しいかなんてものは、一つも

存在しないのですから

生きていても亡くなっていたとしても 人にはそれぞれに選択する事が

出来るのです。 

どうぞご自分が思う通りにされて下さい。

あなたが思うパパなら 父ならこう言うだろうなは、決して間違えては

いないのですから。


沢山の方のご先祖さんを視せてもらっていつも思う事があります。

先祖代々と言っていても、あまり古いご先祖さんが出てきて

あーだ こーだとお話しする事は滅多にありません。 

「先祖」とか「代々」という意識の集合のようなものは感じられますが、

個人個人をはっきりと特定して判る事などほとんどないのです。

せいぜい先代から三代、四代くらいまでの方々が 視せて教えて

下さる事が殆どです。

それよりも古いご先祖さんは、もう完全に個として生きた記憶が

既に終えているのです。

それが人が生き、そして人が逝き、記憶を終えてまた同じように生まれ

魂の循環を繰り返しているのだろうなと思うのです。


魂は自分のモノではなく 神さまのものなので神さまに御返しします。

けれどそれぞれに生きた記憶は 誰もがちゃんと残っています。

人は亡くなった場所に留まると 思っている方も多いかも知れませんが

それはね、生前の記憶なのです。

幽霊と言うモノをみたりする時がありますが、そこに魂があるならば

エネルギーなので反応がありますが 幽霊と言われるものには

エネルギーの反応がないのです。

だからむやみに恐れる必要も 怖がる必要も本当はね無いのです。

亡くなった場所にもし魂が留まっているのならば、古代からの人間の

幽霊もあちらこちらにあっても良いのに、卑弥呼の時代の幽霊を見る

事など殆どなくて、自分の記憶は自分で消し去る事がきちんと

出来るのです。

どうぞ亡き人たちを 亡くなったらこうだと縛らないで下さいね。

亡くなった方々を 十把ひとからげに考えないで下さいね。

人は皆それぞれなのです。 







先週Hさんの紹介でいらして下さった、Uさんのお父さんを霊視

させて頂いたのですが、最後に思い出したように一言 

「仏壇のお供えが勿体ない」 と 「捨てるくらいなら あげなくもいい」と

Uさんのお父さんが言われるので、そのままお伝えしたら 

泣いていたUさんがクスっと笑って「勿体無いが父の口癖だった」と。

きっとUさんのお母さんは、旦那さんの事を思って毎朝お仏壇に

お供えをあげているのだと思います。 

でもそのお供えを カピカピにして捨ててしまうのでしょうね。

それが倹約家のお父さんには、気が気ではなかったのでしょう。

残された家族の心情として 好きだったものをお供えしたいという

思いがありますね。

もしお供えを食べきれないと言うのならば、お茶とか 白湯だけでも

良いのです。

仏様は揺らぐ物を好まれる方が多くて、お線香の香りが好きなのでは

なく、煙りの揺らぎがお好きだったり致します。

それはお茶でも白湯でも同じですので、もしも新しいお家にお線香を

焚く事がお嫌でしたら、お茶や白湯でも同じなのでそうしてあげて

下さいませ。






時々聞かれるのですが、人形とかぬいぐるみとか処分できずに

困っている方が多いように思います。

お炊き上げに出せたらよいのですが、表向きはお炊き上げと

言っていても 特に何もしないままゴミとして処分しているところも

ありますので、もし処分する事で悩まれるのならば、今まで

あなたの側で辛い事も 嬉しい事も一緒に感じていたモノ達なので、

抱きしめてあげて「あの時も あの時もありがとう」 と言葉に出して

「今まで有難うね、もう卒業するね」そう感謝してあげて下さいね。

それでもう立派に供養している事になりますので、後は新聞紙とか

布とかに包んで ご自分の市町村のゴミの種類に出されて下さいね。

お人形も ぬいぐるみも最後までご自分の手で処分してあげて下さい

その方がモノ達も喜んでくれますのでね。

何に対してもあなたの思いががあれば、何か悪い事があるとか

祟るとかそんな事をね心配されなくても大丈夫なのです。




 

先週 青葉カルチャーが終わりました。 

受講して下さった50名の皆さま、カルチャーのスタッフの皆さま

有難うございました。

ふとした時に、不思議な皆さんに話しかけられたり いろいろな事を

教えられたりするのですが、最初の頃はわたしが未熟な事もあって、

起き掛けの時などに教えられる事が多かったのですが

今は何気ない時にふと教えられる事が多く、先日あやこさんのヨガに

参加する前の日 声ではないけれど 「あわてる」 と降りてきました。

いつも午後から個人相談なので ヨガが終わるとバタバタと帰宅して 

慌てると言えばいつもの事なのですが、でもその日はヨガに行けない

「行かない」と思いました。

その日は、CHI-CHIさんのお友達の方が角田からいらっしゃる日で

その人が来るのを 静かにお待ちしようと思っておりました。

同じ宮城とは言え遠い事もあって、その方は予定よりも30分も早く

我が家に着きました。

ヨガに行っていたら まだ帰ってきていない時間でしたし

帰ってきて着替えて お化粧をしている時間もありませんでした。

だからいつも あー面白いなぁと思うのです。 

不思議な皆さんの計らいは 大きな事も小さな事もいつでも

最良なのです。 

それはわたしだけではなく 皆さんもそうなのです。

直感とも、六感とも違う感覚。

こういう時の自分の 「ここ」 がどうなっているのか 

どんな感じなのかを、言葉にして上手く伝えられなくて どうにかして

この状態を知って頂けたらなぁと思っておりました。

そうしたら、とてもわかりやすいエネルギーとアイデアが降りてきて、

それをカルチャーの皆さんにお伝え致しました。

簡単に瞑想も出来て、そしてチャネリングしている時の自分の

「ここ」がどのようになっているのが わかって頂けたかと思います。 

(言葉で「ここ」の伝え方が難しいのですけれどね、わたしはそれが

あなたが預かっている あなたと一体である神さまであり、

不思議な皆さま方と言っております。)





犬たちがお散歩に行っている間に みかんだけ先にご飯を食べた日。

自分は食べているのに、いちごと うりのご飯を欲しそうにじーっと

眺めていた猫のみかんでしたが、


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我慢出来ずに いちごのご飯を横取りしていました。

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みかんも いちごも うりも 

ご飯を取っても 取られても怒らないんです。

仲良しだなぁって思います。

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寒波が来ているそうで、今日も寒い仙台です。

皆さんのところは大丈夫ですか?

長いブログを読んで下さって有難うございました。