神の脳 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

急に決めたので、名古屋の方々に連絡していなかったのですが

昨日 日帰りで名古屋のひとみさんに会いに行ってきました。

ひとみさん、身体が大変なのに仙台に来るつもりでいてね

「お水を飲んでも吐くし苦しい、今回は断念します。」 と前々日に

メールが届きました。

その内容は 「どうしてもまた まさよさんに会いたいです、次の予約は

いつですか?」と書かれていました。

でも次は10月ですと言えなくて、がっかりさせたくなくて返事に困って

「いつでも空けます。いつでも会えます。」と送りました。

キャンセルがあったら予約を繰り上げて欲しいと、待っている方が

沢山いらっしゃるので、その方々に申し訳ないと思ったのですが

その日はひとみさんの予約日だったので、ひとみさんに使いたいって

思いました。

ひとみさんが来るのが難しいのなら、わたしが行けば良いのだと、

わたしが行って何が出来るわけではないけど、病気を治して

あげられる訳でもないけれど、直接レイキを流してあげたくてね。

見よう見まねだけど、手や足をアロマクリームでマッサージして

あげたくて、お顔をみて帰ってくるつもりで行きました。

でもレイキを流していたらお顔の色もどんどん良くなったので

そうだ、ひとみさんが自分でも使えたら良いなぁと思い、急遽 

病室でレイキを自分で使えるようにしました。 

テキストを持っていないので口頭でお伝えしただけなのですが、

祈りの根本にあるのは愛だから、レイキとどこか似ているように

思います。

宇宙は上を意識しますが、地球は丸いので自分が上だと思って

立っているのは、誰かにとっては下かも知れなくて、太陽も 月も

風も 雨も全てがエネルギーでそれらが無くてはわたし達は生きて

行けなくてね。

全てが一つとなり、有難いエネルギーを集約して感謝で使うのが

レイキだとわたしは思っております。


レイキはいろんな名前で使われていて、ヒーリングという言葉でも

使われるけど、その根本は誰かを思う人を労わる愛だと思うのです。

そのすべては「祈り」と同じだなぁとわたしは思います。


余命宣告って何だろうって考えるのです。

人の余命は、病院の先生が決めるものではないって思います。

余命はあってないもの。

命が尽きる事なんてね、誰にもわからないと思うのです。

ひとみさん、お元気だったので少し安心致しました。


名古屋の空港は大きくて、方向音痴のわたしは大変でした。

名古屋中部空港にいた大きな白い龍が可愛くて、写真を

撮りました。 

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いちごや うりみたいに 「あーもしゃもしゃしたい」って思って 

手がうずうずしました。

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13日 岩手の陽子さんがとっても懐かしいお土産を下さいました。

ミッシェルのピロシキ

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まだお店があった事と そして未だにピロシキを売っている事に

とても感動しました。

頂いたピロシキ家族が食べて一言 「お母さんの味に似ている」って。

ミッシェルのピロシキの味を すっかり忘れていたのですが

無意識に味を似せて作っていたのだと、初めて気づきました。

30年振りに食べた 何とも言えない懐かしい味でした。

サード伝授の時間が空いたので、秋保におはぎを買いに行って

ノートルシャンブルでお茶を飲みました。

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珍しかったのが、エナジーボール。
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いちじくの味が来て 干しバナナの味が来て チョコレートの味がきて

とても甘いのにお砂糖は使っていないのだそうです。

不思議なお味でした。 


陽子さんは過去に一度ワンネス体験をした事があると、

サード伝授の時 再び体を抜けたのだと思います。

体を抜ける事は、上手く表現出来ないのですが神の意識になる事で

あり、鮮明に神の記憶を思いだすことだと思います。 

大河の1滴ではなくて、大河そのもの記憶に触れる事で、それは

加速的に自分の不思議が整っていきます。

この不思議な感じを知って欲しくて、チャネリングをして降りてきたのが

ロクボウセイのエネルギーを使った瞑想方法なのですが、

瞑想というかチャネリングをしている時の脳は、神の脳だとわたしは

思っています。

それはもしかしたら角度とか 視点が違っても、そこに大きな違いは

ないのかも知れないなぁと思うのです。

その事を陽子さんと話していたのですが、全く怖い感じはなくて

幸福感と言うよりも 感じたことの無い「果てしない安心感」なのです。

この安心感こそが 自分を中心に戻すことだと思うのです。


こういう感覚 体験を危険だと説く人もいるけれど、きっとご自分の

想像とか仮定でお話しをしているのだろうなと思うのです。


神さまのお話しをされる方は沢山いらっしゃる。

神社の神さまや もっと先のワンネスや 何を神と捉えるのかは

自由だと思います。

神と不思議能力は イコールではないと思われる方も多くいらっしゃい

ますが、神を知る事は、自分の能力に気付くことでもあるのです。

能力に気付く事は 神を 魂を思い出す事になるのです。

切り離して説くことはね、決して出来ないのです。


ひとみさんが 過去世を絵に描く人に会った時の話しをして

笑っていたのですが、過去世も個人の特定の記憶ではないのです。

洗面器いっぱいの水に 青や 赤や 白や 黄色 もしかしたら

グレーもあるかもしれないし、いろんな絵の具を溶かしたら 何色か

わからなくなってしまいます。

何色かわからないけれど、そこには確かにいろんな色が混ざっていて

コップに汲み上げたら、コップにもいろんな色が入っているので、

何色と言うよりも 全部色が入っています。

天草四郎の生まれ変わりとか、誰々の生まれ変わりと言われる方は

それも間違いではないかも知れませんが、でも正解でもなくてね。

天草四郎という「色」を 自分というのコップの中でより強く意識して

いるのだろうなって思うのです。

ご自分を神の生まれ変わりと 聖者の生まれ変わりと説く人も

その記憶を ご自分が強くクローズアップしているのです。 

沢山の魂の記憶を あなたも わたしも保有していて

たくさんの記憶を紡いで、今あなたがここに存在しているのです。

あなたは誰の記憶をクローズアップしていますか? 

それはどうしてでしょうか?

そう思うと 思いを馳せると不思議がいっぱいですね。


長くなりました。 読んで下さいましてありがとうございました。