看取り | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

仙台も桜の蕾が膨らんで そうすぐ咲きそうですが

今日は雨で少し寒いです。

沢山の方が名古屋のひとみさんの事を それぞれにお見送りをして

下さりありがとうございます。 



大切な人を看取ることが出来なかったら 残された家族は

ずっと後悔し続けることになるでしょう。

一人で逝かせてしまったこと 悔やんでも悔やみ切れない事だと

思います。



先日いらして下さったまゆみさんも そして仙台の Eさんも

大切なお母さんを看取る事が出来なかった事をとても悔いて

おりました。 

もしかしたらもっと多くの方が 家族や飼っていたペットの事で

看取れなかった事を 悔いている人が多いのかも知れません。

最後の瞬間まで 家族で静かに見送ってあげたい、ペットや子ども

の場合は、腕の中で逝かせてあげたいと思います。

そうしたいと思いますね。

一人で逝かせてしまったこと きっと寂しかっただろうなと思うと

とても辛い思いでしょう。

だけどね決して一人ではないのです。

魂は生まれてくる時 不思議な皆さんと一緒に生まれてきます。

還るときも 不思議な皆さんと一緒に還るのです。

一人で逝くわけではなく 必ず誰かが側にきて寂しくないように

お迎えに来ております。

それは死神というような怖いものではなく、お身内であったり また

不思議な存在であったりとさまざまなようで、それは亡くなりかたに

関係なくお一人おひとりの側に必ずお迎えに来るのだそうです。

まゆみさんのお母さんに至っては、一人で逝きたくて家族に

看取られる事を望んではいなかったのです。

仰々しく看取られるよりも ひっそりと一人静かに逝く事を望んでいて

だからそんなに気に病まないで欲しいと伝えて来ました。

相談の日は、まゆみさんと一緒にお父さんも来たいとの事でした

普段でしたら 「ご一緒にどうぞ」 と言うのですが、その日は

お父さんにはご遠慮頂いて、まゆみさんからお父さんにお伝え下さる

ようにお願い致しました。

相談の日わたしのところには、亡くなったお母さんがまゆみさんより

先にいらしておりました。 

何をお伝えしたいのだろうかと思いましたら、お父さんと息子さんの

関係をとても案じていて、自分がいなくなったらお父さんと息子の

関係を取り持つ人がいなくなる事をとても案じておりました。

どちらもいじっぱりで、上手く噛み合わない父子

その事をまゆみさんに こっそりと頼みたかったのでしょうね。

「いま何が欲しいですか?」との問いかけに、亡くなって間もない

事もあり、食べたい物を教えてくれたのですが、わたしが上手に

受け取れなくて「ゴリゴリ歯ごたえがある粘るものってなんだろう?」

松前漬けかなぁと思ったら、「めかぶが食べたい」と入院中に

話していたそうで、一度も食べさせてあげれなかったのだそうです。

ゴリゴリと歯ごたえが残るように荒めに刻んだめかぶと温かいご飯を

お仏前にお供えして下さいねとお伝え致しました。


Eさんのお母さんは、お迎えに来たのが大好きな自慢の

父親がお迎えに来てくれた事で、とても嬉々として少女の頃に帰った

ように、嬉しそうに教えて下さいました。

お顔立ちもよく似たハンサムなご自慢のお父様だったのでしょう。

娘さんに、「大好きなおじいちゃんが迎えに来てくれて、

お母さんよかったね」 そう言って欲しかったのでしょうね。



残された者は、先に逝った家族の言葉を聞いて安心し そして

旅立った者も自分の思いを伝えることで安堵するのだと思います。

亡き人の言葉を伝えていて いつも思うのです。

生きている者も 先に逝った者もお互いが安心する事で、全てが

あの世に 魂の安堵に繋がっているのだろうなと思うのです。


でもねそうは言っても、大切な家族を失う事は とても悲しい事ですね

辛くて悲しくてどうする事も出来ませんね。

海外の女優さんが、家族を悲しませない為にと、癌になる可能性が

高い、胸と 子宮 卵巣を摘出されたそうです。

日本は癌になる可能性が高くても 過剰医療は認められていませんが

世の中にはいろんな選択があるのだなぁと思いました。

でもね幾つになろうともお別れする事は、残していく家族を悲しませる

ことになると思うのです。

自分の事は、悲しまないでって言えるけれど、残される方は辛くて

悲しく身を引き裂かれる思いでしょう。

わたしは20代に父を亡くし その時とても悲しくて まだ20代だから

とっても悲しく辛いのかな、もっと年齢が高ければ 自分が年老いて

いたら悲しみは半減していたのかなぁと思った事がありました。

でもね、幾つになっていても悲しいのは同じですね。

今わたしは50代ですが、やっぱり歳老いた母を失う事、姉妹を失うこと 

主人や 子どもに旅立たれたら 悲しくて大声を上げておいおいと

泣くでしょう。

お別れは幾つになっていたとしても とてもとても悲しいことだなぁって

思うのです。

悲しみはどうする事も出来ませんが、せめて悔いる事だけは、させない

ように しないように出来たら良いなぁと思います。

年老いた母を思うと、もしかしたら看取れないかも知れないなぁと

思うのです。

悲しいけれど、今から心づもりしているわたしがおります。







あの世とは 成仏とはどのようなものだと思いますか?

皆さんが言われる極楽浄土があり 神さまが集う場所があり 楽園と

言われる場所があるのかも知れませんね。


浦島太郎の逆ではありませんが、あちらでは長い長い時間でも 

こちらにとっては短い時間なのです。

きっと時間というのが ないのでしょうね。

行きたいところにいき、ゆっくりのんびりしたと思ってもこちらでは

とても一瞬の出来事なのだそうです。

そして誰もが同じように 自分の分身を拾い上げることを始める

のだそうです。

成仏とは ここから あそこから成仏という区切りが実はなくて

「あの世」 があると思うかも知れませんが、あの世は 「今の先」に

あるのです。

今あなたは何歳でしょうか?

子どもの頃 自分の今の年齢はきっと想像できなかったでしょう。

自分が 40代や 50代 60代 や 70代になるなんて

遥か遠い先の事で実感はなかったかも知れませんが

気が付いたら今の年齢になっていましたね、

どこからが大人になったと思いますか?

自分の心が身体がどこの境目から大人になったのか

決める事は難しいですよね、気付いたらあなたも わたしも大人に

なっておりました。

亡くなるという事は、気づいたら体を卒業していたという事に

なるのだと 光や不思議な皆さんが教えてくれました。


今の年齢はいろんな事を経験してきた年齢ですね。

いろんな思いもあったでしょう。 

けれども今の 自分の年齢に悔いはないと思われてくださいませ

あなたが生きてきたことに、無駄なことも 必要の無いことなどなく

自分の今の年齢の生き方に悔いなしと思って頂く事は

この先も同じ様に後悔しないのです。

人の成仏とは死んでからの事ではなく 生きているときに既に始まって

いてね、だから悔いを残さないように わたし達は生きなくちゃ

いけないのでしょうね。
 

 

 



雨のお休みもいいなぁまさよの日々のブログを作りました。

こちらでは何気ない日常を書いていきます。


お時間がある時に 覗いて下さったらうれしいです。

また長くなってしまいました、お時間を取らせてごめんなさい。

良い一日とされて下さいませ、感謝でありがとうございます。