Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

2020~22年までは日本国内の1年間の詐欺被害総額はそれぞれ285億、278億、371億円位だったのだが、23年の詐欺被害件数は1万9033件、被害総額は441億円と言う驚異的な統計が出ている!びっくりあせる

此れを1日に換算すると、平均52人が被害に遭い、被害額は1億2千万円位になる。

詰まり1人平均231万7千円以上が騙し取られている事になる。

所謂「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」の件数は近年減少しているが、無能な政治家共が国民の金融資産を増やす意図(希望的観測)で、従来の「貯蓄」から「投資」に運用転換する事を奨励したのに託(かこつ)けたSNS上の「投資詐欺」、更には荒唐無稽な「ロマンス詐欺」等に数百万ないしは数千万円を騙し取られる事件が毎日の様に報道されている。

余が小学校の頃には「道徳」並びに「学級指導」と言う授業が毎週土曜日に設けられていて、担任の先生が生徒達に社会に於ける正義や人道について、そして休日の家庭や学校外での過ごし方について指導してくれていた。

其の中で「見知らぬ人に安易に着いて行ってはいけません。」と教えてくれていたので、余の世代位までの人間は、見知らぬ初対面の人間を盲目的に信用する様な真似はしなかった。

ところが近年インターネットが普及する様になって以来、「通信販売」だのSNSだのと言ったIT機能によって遠く離れた他人や業者と直接の面識や訪問が無くても交流なり取引が可能になった。

此れに依って現代人は面識の無い他人とのやり取りに対する抵抗感が希薄になり、遂には疑惑の念すら殆ど抱かなくなっている始末である。

此の様な社会現象に伴う現代人の心理的変化に付け込んで悪事を働くのが詐欺や其の他のサイバー犯罪者共である。

余の個人的な感覚では、何故面識も無い何処の「馬の骨」か「豚の糞」とも知れない下賤の輩をこうも簡単に信じて、大金を何回にも分けて相手の口座に振り込むのだろうか? 

被害者は「若年性痴呆症」なのか?と、疑いたくなる程呆れてしまうのである。えー

心理学的に考察して観ると、人間は「欲望」や「恐怖」を刺激されると、一時的に思考力、判断力が著しく低下してしまう、所謂「盲目状態」に陥っていたのではなかろうか。

 P.P.Rubens:  Porträt des Julius Caesar

古代ローマ帝国・最高位の政務官Julius Caesar(BC.100~BC.44)の言葉「人間は誰しも全てを見ているわけではない。 大抵の人間は自分の欲する物事しか見ていない。」(そこに人間の盲点があるのだ。) がこの心理状態を象徴していると言える。

因みにドイツの諺に>Heute rot, Morgen tot.<(今日の赤ら顔、明日は死に顔)と言うのがある。

即ち「今日は元気でも明日は死ぬかも知れない。だから油断せず気を付けろ!」と言う意味である。

(最近多発する詐欺被害を見ていて「今日の金持ち、明日は素寒貧」言う諺を思い付いてしまった。)

更にドイツの諺に>Die Katze im Sack kaufen.<(袋に入った猫を買う)と言うのがある。

即ち「中身を確かめずに金を払うのは愚行である。」と戒めた諺である。

結局の処、心理学を悪用する詐欺の巧妙な手口によって洗脳されて、「色ボケ」「欲ボケ」した激烈バカが正しい見方や判断が出来ず、詐欺の言いなりになって行動した結末である。

(因みに余はSNSは全く使わないし、興味すら無い。)

後期Stoiker(ストア派)の哲学者Seneca先生(BC.4~AD.65)の言葉「王の様な莫大な財産でも愚者が持ち、浪費を続ければ必ず破産する。 僅かな財産でも賢者が持ち、管理すれば少しづつでも増えて行く。」更にはあるドラマの台詞「馬鹿が大金を持つとろくな事は無い。」が思い出されてならない。

消費者庁、警察、各金融機関、自治体、そして各マスコミが口が酸っぱくなる程までに「詐欺に気を付けて下さい!」と、過去のこいつらの手口をも公開してまで注意を促しているにも拘わらず、詐欺事件は減少するどころか、寧ろ被害件数、被害額共に増加しているのである!

そして警察や裁判所によると、一度騙し取られた金銭を詐欺から取り返す事は大変困難であるとの事である。

多くの人々が指摘している様に、こうなれば江戸時代に「十両(現在の100万円位)盗めば首が飛ぶ(死罪)。」と言われていたのと同様に、詐欺に対する罰則をより厳しく、又は極刑にする以外、この悪質極まりなき犯罪を制御する方法は無い様に思える。

だが裏の事実を見ると、詐欺の親玉(首謀者)は外国に潜んでいるので、日本の警察だけで「国際犯罪」を調査、取り締まるのは限界があるので、国際警察や外国の警察との連携が重要とされる。

 

日本でこれ程までに詐欺事件が毎日の様に多発し、莫大な金額が騙し取られている原因の一つとして、日本人が騙され易い性格である事が災いしていると思われてならない。

欧米各国の日本人に対する印象は「勤勉」「誠実」「清潔」「我慢強い」「礼儀正しい」「謙虚」「知的」と言うのが多いが、其の反面、「曖昧」「お人よし」「引っ込み思案」「無個性」「騙され易い」と言う指摘もある。
参考に各先進国の「意識調査」で、「情報の真偽を見分ける自信がある。」と思える人の割合は以下の通りの統計が出ている。 
ドイツドイツ: 80.0%   フランスフランス: 74.5% 
イギリスイギリス: 74.2%   アメリカアメリカ: 71.6%
日本日本: 28.8%
更に「情報の真偽を確認した経験がある。」と答えた人の割合は以下の通りである。
ドイツドイツ: 54.7%   フランスフランス: 43.5%
イギリスイギリス: 43.4%   アメリカアメリカ: 50.0%
日本日本: 28.4%
これ等の統計からも、日本人が他国民に比べて騙され易いと言う事実は否み様が無い。
其の反対にドイツドイツ人は先進国の中で最も騙されにくい国民である事が以上の統計でも見て取れる。

騙される人が殆どいないのなら、詐欺の犯行も成り立たないと言う事である。

其れ故にドイツ国内では詐欺犯罪もサイバー犯罪も各先進国の中で最も少ないのである。

同ブログ内のプロフィールや他の記事にも何度も書き記している様に、余は学業と仕事でドイツに1989年~2003年まで足掛け13年住んで活動して来た。

其の経験から書くのだが、ドイツ人は誠にsolid(堅実)でvorsichtig(用心深く)、ordentlich(整然とした)、そしてgesetzmäßig(合法的)な精神が強いのである。

例えばドイツでは他のヨーロッパ諸国に比べて窃盗事件すら少ないのに、住居に於いては家の全ての扉、窓、そして家具の全ての引き出しに至るまでSchloß)ないしは Schlüßel)が付いているのである。カギ

更には乗り物(自動車、自転車)、金庫や鞄、其の他の箱も合計すると、一般家庭でも100個位の鍵がざらにあるのが常識なのである!

此れには我がドイツ人の親友Ch.Radeke牧師も>Ah! So viele Schlüßel ich kann nicht leiden!<「こんな沢山の鍵にはウンザリするよ!」と言っている。

其れ故にドイツでは"Schlüßeldienst"(鍵の業者)が日本と比較しても多く見受けられる。

そしてドイツでは昔からBecker(パン屋) とBrauer(ビール職人)とSchlüßelmacher(鍵屋)に成れば生活に困らないと言われる位である。

此の鍵や錠の文化はMittelalter(中世、12~14世紀)の大昔から伝わっており、其の証拠にドイツの都市にはStadtwappen(町の紋章)に Schlüßel(鍵)を図案化している事が多く見受けられる。

例:Bremen, Minden, Naumburg, Regensburg, Worms,等

本来、Symbolik(象徴学)では「鍵」はAbschließung(閉鎖)、Sicherheit(安全)、そしてVerwaltung(管理)の象徴であるが、これ等の都市のStadtwappen(町の紋章)は、そこに強大なBistum(僧正領) ないしは重要なDom(大聖堂)が存在している事を示しており、キリスト教の伝説でSt.Peter(聖ペテロ)が持っている"Schlüßel der Himmelspforte"(天国の門の鍵)を図案化しているのである。

"Saint Petero" de Marco Zoppo (1468)

 

扨、余はドイツのKunstakademie(芸術大学)で学ぶ傍らMedizinische Akademie(医学大学)でも特別受講生としてPsychologie(心理学)を学んでいたので、此の分野に於ける「騙され易い人の特徴」を以下の通り記しておく
注意1.「自分は騙されない」と過信、慢心している
注意2. 意志薄弱、 優柔不断で、他人に操作され易い
注意3. 単純、短慮で、何事も容易く受け入れる
注意4. 人や物を外見だけで判断する
注意5.「欲望」や「恐怖」への自制心が弱い
注意6. 目先の利益に直ぐ飛び付く
注意7. 流行物や新しい物に直ぐ飛び付く
注意8. 情報や知識が不足している
注意9. 社会や人生での経験が不足している
注意10.  優しく、お人好しで、断るのが苦手
注意11.  権威、肩書、名声、ブランド等に弱い
注意12. 煽(おだ)てやお世辞に弱い 
注意13.「買い得」「限定」「特別」等の言葉に弱い 
注意14. 占い、迷信、噂話を簡単に信じる
注意15. 思い込みが激しく、忠告を聞かない

注意16. 物事の真偽の確認や調査をしない
注意17. 身近に相談出来る人がいない
以上の項目に多く該当する人は、詐欺に騙されない様に重々注意する事である!

 

今年1月より「新NISA制度」(1年間の投資金額が1800万円以内は免税となる)が制定される事によって、投資に関心を持つ国民が増えて来ているが、其れでも投資している日本人の割合はまだ僅か23%程度である。

此れはアメリカの投資する国民の割合約62%と比べると如何に低いかが分かる。

一方で現在の日本国民の「貧困化」は著しく、貧困層(資産500万以下)が約17%、下層階級(資産500万~1000万以下)が約33%と両方で50%にまで達している。

其の上最近の「国民意識調査」によると、52%の国民が「生活が苦しい」、ないしは「やや苦しい」と答えているらしい。

たとえ投資に有利になる「新NISA制度」が導入されたとは言え、毎日の生活にも余裕の無い「貧乏人」には投資する元手すら無いのではあるまいか。

此の様な制度で恩恵、利益を得ているのは「準富裕層」(資産5千万~1億、国民の6.5%)「富裕層」(資産1億~5億、国民の2.5%)ないしは超富裕層(資産5億以上、国民の0.16%)の「投資家」位であろう。

又、「所得税」には累進課税の制度があって、年収が高額になる程、税率も上がるのだが、一方「金融所得」に対する税率は幾ら利益があっても一律に20%と決まっているのである。

更に株の投資には「配当率」と言うのがあって、例えば同じ株に1千万投資するより、2千万投資すれば2倍以上、3千万投資すれば3倍以上の配当金が得られる仕組みなのである。

そして国民健康保険の掛け金を被保険者の年収から計算する上でも、「金融所得」は除外されるのである。

此の様な「社会の仕組み」が存続する限り、富裕層ばかりが更なる利益を得て、貧乏人はいつまでも貧しいままである。

あるフィナンシャルプランナーが書いていた格言「今日ではあくせく働く人より、社会の仕組みをよく勉強して其れを利用している人の方がずっと楽に沢山儲けています。」とは正に至言也と思えるのである。

結局の処、此の「社会の仕組み」と政府の方針は国民全体の資産を増やすどころか、更に「経済格差」を拡大させる事は火を見るよりも明らかである。

理性的に考えて観てもらいたい。

もし、ろくに経済学も学んでいない、そして株や証券、等の「社会の仕組み」も十分理解出来ていない素人風情が安易に投資して儲かるのなら、世界中の投資する誰もが皆「金持ち」に成れるであろう。

(そんな夢物語がある訳が無い! 世の中そんなに甘くも無ければ、簡単でもない!)

一部の経済学者や証券会社のOB、又は有力な投資家によると、実際の処は株で利益を得ているのは投資者全体の上位30%程だそうである。

逆に言えば残りの70%程の人々は損益を出していると言う事になる。

スポーツの世界に勝者と敗者があるが如く、資産や投資の世界にも同様に勝者と敗者が存在するのである。

そして其のゲーム差(格差)はどんどん開いている!

諺の「生兵法は大怪我の基」とある様に「素人投資は大損の基」と言っても過言ではない。

 

因みに我が家は親の代より既に1989年以来、大手証券会社を通じて株や証券に投資を続けているのだが、其の際に我が母上は「銘柄選び」と「買い時」と「売り時」は全て当証券会社の職員(プロ)に一任しているのである。

正に日本の諺「商売は道によって賢し」又は「餅は餅屋」の如くである。

そして、投資の三大要素である「長期・積み立て・分散」を常に守り抜いている。

此れにて年を追う毎に順調に金融資産を増やして来ているし、不動産資産、そして余が担当する資産物品(美術工芸品、貴金属、等)も同様に増やして来ているのである。

御蔭様で余は賃金の為に働く事も無く、我が家の(昔の男爵、子爵並みの)財産と不労所得(金融所得、不動産所得)だけで悠々自適、余裕綽々で生活出来る事には、常に我が先祖と母上と証券会社に感謝している!

結論として、多大な財産を有する者には、同時に大きな責任が掛かっている。 何故なら財産とは所有者によって良くも悪くも作用するからである、と言う事を主張しておきたい。

 

 

皮肉な追伸:                                        

仏教の「十如是」」(じゅうにょぜ)の法則の中に「因・縁・果・報」と言うのがある。

即ち此の世の全ての出来事は偶然でなく、全て「必然」であると言う事である。 

最近毎日の様に多発する詐欺事件も同様に以下の通りである。

:被害者が「馬鹿たれ」、「欲たれ」である事  

:「投資の勧め」に煽られて、SNSで詐欺と悪縁が出来た

:詐欺を見破れず、いとも簡単に騙され大金を振り込んだ 

:金融資産の殆どを失い、「素寒貧」になった

 

1990年代初期頃、親類の幼馴染の家にあった「激烈バカ」と言う4コマ漫画を読んだ事がある。 

こんなバカは漫画の世界にしか存在しないだろうと思っていたが、最近SNS上の「投資詐欺」、更には荒唐無稽な「ロマンス詐欺」等に簡単に騙されて、大金をくすね取られる連中こそ実在の「激烈バカ」と思えるのである。 

そして此の「激烈バカ共」に呆れ返ると共に腹も立っている。

 何故なら悪人に大金を渡す事は、更なる悪行を幇助(ほうじょ)するに等しいからである。

 

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今年の3月4日、香川県に住む50代の女性Eさんが同県にある天台寺院の住職から十数年に渡り性暴力等を受けた事により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したとして、滋賀県大津市の天台宗総本山・延暦寺の事務所を訪ねて被害を訴えている。
被害者の女性Eさんは今年1月、都内で開いた会見で「長い間、僧侶Aから性加害や恫喝、暴力による心理的監禁を受けて参りました。」と語り、2009年から約14年間に渡ってこの寺の60代の坊主に心理的に支配されていたと明かした。
又、彼女の代理人弁護士は会見で「僧侶A(60代)はEさんに家事全般を行わせ、自分は台所に置いたベッドに横たわってテレビを見て過ごす事が多かったのですが、そこに(彼女に)添い寝をさせて性行為を強いる等していました。」と語っている。叫び
Eさんは祖父が3件の寺の住職を務めた天台宗の高僧であった事から、幼少期から仏教への信仰心があった。
比叡山での「千日回峰行」を成し遂げた母と親戚(従兄)である大阿闍梨について、親族から「仏様に最も近い存在になった」と聞かされ、此の大阿闍梨を「生き仏」と敬う様になった。
参考に此の「千日回峰行」について解説すると、比叡山・延暦寺を最澄大師(767~822年)が開基(794年)されて以来、後に相応和尚(831~918年)によって始められた。
此の「行」の行程として先ず先達から受戒を受けて作法と所作を学んだ後に「回峰行初百日」を行う。 初百日を満行後に立候補し、先達会議で認められた者が「千日回峰行」に入る。 
其の後7年の間、1~3年目は1年間に連続100日、4~5年目は1年間に連続200日此の行を続けるのである。
「千日回峰行」を達成した行者は現在まで51人しかおらず、其の内戦後では僅か14人しか満行者が出ていない。
達成者には「北嶺大行満大阿闍梨」(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)の称号が与えられる。
大阿闍梨は「生き仏」として全国の大勢の信者達からの崇拝の対象となる。

2009年に母親の法事の為に此の滋賀県在住の大阿闍梨B(80代)を訪ねた処、弟子として紹介されたのがこの坊主A(60代)であった。
「わしの一番弟子であるAの話し相手になってやってくれ。 Aは誰よりも信用できる人間で、伝説の男だ。 Aの言う事は私の言葉として聞く様にな。」と執拗に説得されたので、Eさんは仕方なく坊主Aの寺を訪ねたのであった。
ところがこの坊主の正体は信頼、尊敬出来るどころか畜生が袈裟衣を纏った様な「発情悪坊主」だった!ガーンあせる
あたかもフランスの劇作家Molière(モリエール・Jean-Baptiste Poquelin 1622~73)の書いた戯曲”Le Tartuffe ou l'Imposteur”(偽善者のタルチュフ)を思い出させる。
これを動機に発情悪坊主がEさんの自宅周辺に出没する等のストーカー行為が始まった。
Eさんが困惑するにも拘わらず、大阿闍梨Bは発情悪坊主を庇い続けた上、Eさんに発情悪坊主の元に行く様に強引に勧め続けたらしい。
同年秋に発情悪坊主は「頭が痛くて倒れた。食事も取れない。」と仮病を装ってEさんを己の寺に呼び寄せると、無理やり強姦したのだった!(この腐れ外道め!)パンチ!ムキーむかっ
其れ以来、Eさんは寺に監禁されて女中、召使の様にこき使われた上、「性の奴隷」として人権、尊厳を蹂躙される様な非道な扱いを受けていたらしい。
Eさんはこの発情悪坊主から「坊主に逆らうと地獄に堕ちるぞ!(自分の言葉は)観音様の言葉だと思え。」等と脅され、寺に住む事を強制され、繰り返し性的暴行を加えられた他、尼僧として毎晩髪を剃られていたと言う。
そして性行為の最中には「オンアロリキャソワカと(観音様の)真言を唱えろ!」等と命じられていたと言う。 
(まるでAV、Porno映画のあらすじを現実化した様な淫行ではないか!)ゲローオエー

其れ故にEさんは親戚の大阿闍梨Bに繰り返し被害について相談しても、Eさんを助けるどころか発情悪坊主を擁護し、「公になったら困る」等と言い訳をして事件を隠蔽し続けようとした。
Eさんが親族や「女性センター」等へ相談して、2017年の秋にやっとの思いで(生き地獄の様な)寺から脱出したのであった。
其の後、精神科で診察を受けると、重度の「複雑性PTSD」」(心的外傷後ストレス障害)と診断された。
2019年にEさんはこの発情悪坊主による監禁、性的暴行について警察に被害届と告訴状を提出したのだが、嫌疑不十分で不起訴にされてしまった。
ところが此の事が大阿闍梨Bの機嫌を損ねてしまい、又しても無理やり発情悪坊主の寺に連れ戻されてしまった!えーん
報道機関の取材に対し此の大阿闍梨Bは、「今でも私は彼(発情悪坊主)についてこんな事(監禁、性加害、他)があったのを信じられん気持ちです。」と語っている。
そこでEさんは全国の天台寺院を管轄する「天台宗務庁」に対し、この発情悪坊主と大阿闍梨の2人が信仰心と権力を利用して長年に渡って洗脳した事で「心理的監禁状態」に置かれたとして、両人の僧籍を剥奪する様に申し立てをしたのであった。
此の深刻な申し立てを受け天台宗は事実確認の為に本格的な調査に乗り出し、3月4日午後1時からEさんへの事情聴収を始めた。
天台宗務庁は「現在、調査及び対応を協議しており、今の段階では説明する事はありません。」と調査結果について対外的な発表や会見は目下の処出来ないと発表している。

此度のあさましき事件に対して余の意見を述べると、何より憤怒(ふんぬ)を感じるのは、この発情悪坊主が己の「坊主」と言う特権を悪用して、女性の清らかな心を蹂躙し、其の貞操をも穢し続けた事である。爆弾ムキーッむかっ
正に「僧侶」(善人)の仮面を被った「腐れ外道」と書いても差し支え無いであろう!

天台宗憲章」(当宗派内の戒律・法律)に則り、この発情悪坊主は僧籍を剥奪され、刑事裁判に掛けられて法的に処罰される上、被害者Eさんに対し相応の慰謝料を払う等して賠償をしなければならない!

刑法では「逮捕・監禁致傷罪」の罰則は3か月以上15年以下の懲役、「強制性交等罪」の罰則は5年以上の懲役、其の他「ストーカー規制法」の違反、「恐喝罪」等も加えられる。 

そしてこれ等の違法行為が14年にも渡って続けられた結果、被害者が重度の「複雑性PTSD」を患っている事から判断すると、この発情悪坊主への実刑判決は10年以上が妥当であろう。

この発情悪坊主は天人共に許さざる悪行によって、長い歴史を持ち「日本仏教の母山」とも言われる天台宗の名誉や信頼を著しく棄損した罪も途轍も無く重い!

依って当然ながら「刑罰」を受けるのみならず、「仏罰」も受ける事になるであろう。

この発情悪坊主は「坊主に逆らうと地獄に堕ちるぞ!」等とほざいたらしいが、「是より現世、来世共に地獄に堕ちるのは其方自身であるぞ!」と余は御仏と共に言ってやりたい。パンチ!ムキーむかっ

 

一方で帰依(信頼、尊敬)しようした者に裏切られ、約14年間に渡って心身共に犯され続けたEさんの無念と悲しみは筆舌し難い物であろうと察している。悲しい

余は個人的に被害者Eさんに心からの御見舞いを申したいし、彼女が1日でも早く苛まれ続けた心を癒され、安穏な生活と幸福を取り戻される事を願っている。

そしてこの様な仏教界では有り得ないおぞましき経験をされても、幼少の頃より培われて来た「仏教への信仰心」だけは捨ててもらいたくないのである。
又、天台宗がこの事件の調査結果について対外的な発表や会見はしないのなら、世間では「身内贔屓をして、自分達の名誉や威厳だけを守ろうとする偽善の宗教団体」として著しく信用を失墜する事になるであろう。


あたかも「戦国時代」に織田信長が比叡山を焼き討ちにした頃(1571年9月30日)の腐敗、堕落していた天台宗僧侶と同様の見方をされかねないのである。
それ故に余としては「天台宗務庁」には前記の「天台宗憲章」に則り、毅然とした調査、制裁を加え、更にはこの事件の概要、及びこの罪に対し宗派の採った処置について世間に公開して、被害者のEさんに謝罪し、何らかの救済措置を為すべきであると存じている。
そして以前から書いている事だが、余も実家が平安時代から天台宗に属し、自らも同宗に帰依(信頼、尊敬)する者として、今一度僧侶達の「根本理念」「根本教義」を再認識した「意識改革」を強く進めて行く事を願うばかりである!お願い

歴史を研究していると、古の時代には現代人の感覚では及びもしない様な偉大なる高僧が、世の為人の為に御活躍され、其の尊き思想と浄行が後世まで伝えられている事を知らされる。
天台宗大僧正であり偉大なる天台学者である福田堯穎(ふくだぎょうえい)猊下(1867~1954年)も其の中の御一人で、余は2015年より猊下の著書『台學入門』(明治40年)、引き続き大著『天台学概論』(昭和29年)を毎朝仏壇の前で読んで、大事な個所をノートに書き取っている。
福田猊下の素晴らしく功徳に満ちた高潔な御考えと、驚くばかりの偉大な学識に大層な感銘を受けた余は、猊下の著書『傳教大師』(昭和10年)、『福田老師法話集』(昭和30年)を、古書店で更に購入し読んでいる処である。
これ等の中で猊下は幾度も『修養』を出家、在家共通の美徳として御提唱されている。
即ち、正しい教えを修め、高い人格を養うと云う事である。
余は既に2010年以来7年もの間、毎日天台仏教を(少しずつではあるが)勉強し、天台宗の僧侶の方々とも交流しているので、「教門」(理論)には其れなりの自信があったが、其の一方で「観門」(行)が全く出来ていない事を恥かしく思っていた。
しかし、福田猊下は「行とは仏事のみに限られず、世の中での『善行』も含まれる。此れは僧侶のみならず、在家の者にも出来る最も尊き行である。」と記されている。
此の御教えは余に大いなる希望を与え、大層勇気付けてくれたのである!

 

スペインの大画家F.J.Goya(ゴヤ・1746~1828)の銅版画集 "Los Caprichos" (気まぐれ)の中に>El sueño de la razón produce monstruos.< 「理性の眠りは怪物を生み出す」と言う題名の作品がある。
又、アイルランドの文学作家B.Shaw(1856~1950)が「人間は理性と言う衣服を不格好に身に着けた獣である。」と言っているが、此度のあさましい事件を知って、これ等の言葉は正に至言也と感じてしまうのである。
福田堯穎猊下が何度も御提唱されている『修養』が出来ていれば、この様な事件は決して起きなかったであろう。
修養」が満足に出来ていない者が「地位」や「財産」や「権力」を手に入れて、扱い方を誤ると、ろくな事にはならない。
政界、財界、芸能界、そして宗教界でも度々あった事だが、平民出の不謹慎な「成り上り者」が一度(ひとたび)「地位」や「財産」や「権力」を手に入れると、これ等を悪用、乱用して世の中の人々に害をもたらすのである。
「地位」や「財産」や「権力」とはあたかも強力な「薬」に似ていると思える。
詰まり正しく使えば人の健康(人生)の為に有益に作用するが、間違って使えば人の健康(人生)の為にに有害となるのである。


「滋賀院門跡」門主、大僧正・小林隆彰猊下(1928~2023年)も「福田堯穎先生は大僧正としても、天台学者としても当時最高峰の御方やった。」と宣われている。
此の法話の中の教えに余の親友である成願寺住職・甘露和尚が以前話してくれた内様と共通、類似点が多々あったので、此れは是非とも甘露和尚にお薦めしようと、同じ本『福田老師法話集』を古書店にて購入し彼に届けておいた。
すると其の日に甘露和尚から御礼の電話があり、更に翌日わざわざ我が家まで御礼の品まで届けてくれたのである。
当時話し合った中での余の意見「最近では福田老師の様な学識、人徳共に優れた僧侶が少なくなっている。僧侶や教師の様に人を教え諭す者、そして国や地方の行政を担う政治家も、此の当時(明治~昭和初期)の頃の「」(功徳、人徳、道徳、美徳)を改めて認識する必要がある。」に甘露和尚も全くの同意であった。
又、昭和3年の御生まれの大僧正・小林隆彰猊下も「最近の坊主は勉強や自覚の足りん者が多くなっとる。世の中の為にもっとしゃんとせにゃあかん!」と宣われていた。
かつて我ら天台宗の開祖・最澄大師が「我、未だ弟子を罵倒する事、体罰与えし事一度も非ず。」と宣われたが如く、大師の伝記の中でも愛弟子達も全て其れを認めておられる事が記されている。
そして大師は天台宗で僧侶になる為に「圓教・密教・戒律・禅」を総合的に学ぶ「教門」、並びに厳しい「」を中心とする「観門」を12年間に亘り比叡山に籠って実践する事を義務付けられていたのである。
其の上、最澄大師は「国家の争乱を鎮め、安泰を守り、同朋(国民)を慈しみ、教え諭す事こそ、天台宗僧侶の務めである。」と宣われている。
此の様に本来の天台宗では多大な学習内容と厳しき修行があっても、決して同朋の人格や尊厳を毀損する事はあり得なかったのである。
天台宗の僧侶の方々には今一度原点に回帰して、常に開祖・最澄大師の尊き御教えと御人柄を認識して、世の為人の為に貢献して頂きたいのである!

(同ブログの記事今『昔聖職者の倫理観と「徳」への認識』も参照されたし)


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新年元日早々、午後4時10分頃、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の大規模な地震があり石川県・志賀町で最大震度7を観測した!
此れ以外にも、同県内の七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町でも震度6強を観測、長岡市、中能登町、能登町で震度6弱を観測し、北海道から九州地方にかけての広い範囲で震度6強から1を観測した。
更に此の地震と同時に気象庁は石川県全域、及び富山県、新潟県全域の海岸沿いに大津波警報、更に、山形県、福井県、兵庫県の沿岸に津波警報、更には北海道から福岡県までの日本海沿岸全域に津波注意報を一時的に発表している。 
気象庁によると各地で津波が観測されており、午後5時24分までに大津波警報が発表されている石川・七尾港では第1波を観測し、其の後も津波を観測している。
此れ以外にも石川県・輪島港では1.2m以上、富山県では0.8m、石川・金沢市では0・4mの津波が観測された。 
又、北海道、青森県、山形県、等の日本海側でも広範囲で津波が観測されている。 
気象庁は此の後来る津波を警戒して、警報、注意報が解除されるまで安全な場所から離れない様に呼びかけた。 
其の後も1日午後8時頃まで震度7が1回、震度5強が3回、震度5弱が3回を観測する他、何度も繰り返し地震が続いていた。 
更に此の地震で石川県・輪島市の「朝市」で有名な地域で大規模な火災が発生している。
何分祝日の日没前に突然起きた自然災害なので、被害の全容はまだ正確には集計されていないが、(誠に辛い事ではあるが)今後被害が拡大する事が予想される。

近年、日本では平成時代以来の経済的不況、半数近い国民の生活苦、多数の自然災害、新型コロナウィルスの大流行、物価、エネルギー価格の高騰、等と試練、災難の連続であった。
其れだけに各テレビ局のアナウンサーが新年早々、「今年は明るい良い年になります様に祈っております。」と異口同音の如く言われていた。
余は預言者でこそないが大晦日から元旦にかけての夜中に、「新年になっても日本に何か途轍もない不幸、災難が襲って来るのではないか?」と何やら悪い予感がしていたが、よもや元日早々此の悪い予感が的中してしまうとは努々(ゆめゆめ)思わなかった!
テレビの中継で被災地の状況を見ていたが、余ですらどうしても1995年1月に起きた「阪神淡路大震災」、及び2011年3月に起きた「東日本大震災」を思い出してしまい、これ等の地域より遠く離れた場所に住んでいても心臓の鼓動が強まった位衝撃を受けた。
是から被災地に住んでいる人達の難儀や苦労、悲しみを考えると、何とも痛切な思いに駆られ、気が滅入ってしまうのである。
上記の通り最近の日本では経済や国民生活が停滞し、政権与党内の糞政治家共は無能で腐りきっている奴が多いだけに、今回の大災害は更に日本国に多大な悪影響や損害を与える事が予測される。
余は被災地からは遠く離れた所に住む余所者故、ボランティアで被災地の救済活動等の立派な事こそ出来ないが、以前書き記した記事「東日本大震災への御悔やみと御見舞いそして助言」、

「大震災被災者の為のストレス診断表」、並びに

「糸魚川市の大火災への御見舞い、そして火を扱う心得について」

を御覧頂き、今後の被災地での復興事業及び生活に役立てて頂きたい。

此度の大地震、並びに津波の際、余が更に懸念している事は、石川県の隣の福井県の若狭湾には日本原子力発電株式会社敦賀発電所、関西電力株式会社美浜発電所、同高浜発電所、等計15基もの原子力発電所が連なって立地されている事である。
もし此の地域に大地震や大津波が襲来した時に、これ等の原子力発電所のいずれかが損傷を受けた場合、放射能が漏れて空気中及び海中に広がろうが物なら近隣、周辺の地域は「汚染地域」になり、該当する地域に住む住民は避難隔離を余儀無くされる事になる。
ただでさえ2011年3月に起きた「東日本大震災」の折の「福島原発事故」は未だに完全に収拾が付いていない状況である。
其の上更に別の原発が事故を起こそうが物なら、日本の環境及び経済は最早立ち行かなくなるのではなかろうか。
余が過去に書いた記事『「愚政は天災よりも危うし」及び原子力への批判と代用の水力発電について』

にも書き記している様に、そもそも原子力発電など採用せず、

水力発電を中心にしておいたら、此の様な深刻な問題は起きなかったのである。
最初に水力発電所を多数建設するには成程其れなりの費用がかかるかも知れないが、長期的な展望からは寧ろ水力発電の方が以下の通り既存の火力発電、原子力発電より断然、経済的で安全で環境にも優しいので良い事尽くめなのである!
水力発電はエネルギー源の「水」は常に無料なので電気代も自ずから安価になる。
水力発電は今日の深刻な環境汚染の原因となる二酸化炭素や放射能、等全く排出しない。
水力発電所の維持管理費も比較的安価に成るのである。


余は個人的に新潟県・上越市がオーストリアのLilienfeld市と姉妹都市である関係で、1996年~98年にかけて両市の為のドイツ語通翻訳を務めさせてもらった。
これ等の経験と共に幸せな思い出もあるだけに、当市の安全が特に気掛かりである。
何よりも先ず災害地の生存している人々に御見舞いを、そして無念にも犠牲になった方々に心からの御悔やみを申す次第である。

扨、今までの自然災害の被災地で常に起きていた問題が、「生活物資及びエネルギーの供給」である。

気象庁は今年は「暖冬」と予想こそしているが、震源地の石川県や其の他の北陸地方は西日本に比べて気温も低く其の上雪深い土地柄なので、此の時期に十分に生活物資及びエネルギーの供給が出来ていない状態で生活して行くのは誠に困難を極める事が予測される。
電気設備、水道管、ガス管は修復出来るまで予備バッテリー、タンク車、木炭、薪、等で暫く凌いで行くしかない。
しかし道路、橋、鉄道、空港、等の交通網が破損しているからと言って、生活物資を供給しない訳には行かない。
ヨーロッパで実践されている手段を紹介するのだが、先ず大量の生活物資を軍隊で使う落下傘の付いた大型の"Carry Bag"「空輸用バッグ」(同様に多数)に詰め込む。
それ等を軍用の大型輸送ヘリコプターに積み込んで、地上からの信号に従って適切な場所に落下させるのである。 実に第二次世界大戦中には此の手段が何度も実用されていたのである。

しかしながら現在の北陸地方の荒れた天候の為、此の手段も困難なので、自衛隊が1人1人で救援物資を被災地へ運ぶのが最善の対策らしい。

 

(気味の悪い事を書く様だが)ここ30年間の日本国内の統計から推測して、今年も又どこか別の地方で大規模な地震ないしは他の自然災害(例:猛暑、台風、津波、等)が起きる危険性は十分にあり得る。

故に今までに起きた自然災害を教訓に、災害時、非常事態に対するVorsorge「前以っての用心」とVorbereitung「備え」は大切であると意識するべきである。
とにかく一刻も早く被災地の人々が安心出来る生活を取り戻せる事を、そして其の為、被災地以外の日本国民が一人でも多く此の「国難」とも言うべき大惨事からの救済に協力する事をも願って止まない!
そして被災地では是から不慣れ且つ不便な状況の中で大変かも知れないが、被災者の方々が其の健康を出来るだけ維持して、粘り強く復興の為に引き続き精進され、再び平和な日常生活を取り戻される事を願って止まない!お願い

 

4月30日の追伸:
石川県は県内で「能登半島地震」による245人の死亡、そして1434人の負傷が確認されたと発表した。

避難所で生活している人は1月2日に最大の4万688人。
其の他の県の負傷者は、富山県で41人、新潟県で44人が確認された。

家屋の損害は(全壊、半壊、一部損壊、浸水)石川県で約7万6114棟、富山県で約800棟、新潟県で約1058棟となっている。
家屋倒壊で生き埋めになった住民も多数いると見られるので消防等が捜索を急いでいる。
安否不明なのは、輪島市、珠洲市両方で15人である。
(※一部重複して計上している可能性もあるらしい。)
輪島市では、建物等による生き埋めになったとの情報が多数寄せられたが、発生から72時間以内に捜索出来なかった事もあり、関係機関が協力して更に救助活動を続けている。
更に地理的損害では基幹道路が延びる能登半島北部の沿岸を中心に、土砂崩れが100か所以上ある事が判明している。

其れにしても政府の対応は余りに緩慢であると指摘しざるを得ない。

震度7(激震)と言えば最上級の数値なのだから、地質学者でなくとも今回の地震が被災地に壊滅的な打撃を与えている事位想像出来ないのだろうかと呆れてしまうのである。

鈍感なのか其れとも冷酷なのか、こんなに国民の生命、生活に対し、無思慮、無配慮な様では一国の政府としての存在価値も信頼も失うのではなかろうか。

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過去に世界の何人もの有名な哲学者、思想家、文学作家、映画監督、実業家、其の他の芸術家達が今回の題目と似た様な事を述べられている。
例:イギリスの劇作家、詩人のW.Shakespeare(1564~1616)、オーストリアの劇作家のFranz Grillparzer(1791~1872)、アメリカの映画監督のAlfred.J.Hitchcock(1899~1980)、日本の実業家の松下幸之助(1894~1989)、科学者の江崎玲於奈(1925~)其の他。

余は本来、芸術家であって芸能界の人間ではないので、

Dramatik(劇作法)やDramaturgie(演劇論)の専門知識は無いので詳しい事は述べられない。
しかしながらDrama(演劇)に於いて主人公を演じる為には、ただ容姿が美しいとか、強烈な個性があるとか、演技力がずば抜けているだけでなく、更には面接や試験や厳しい審査にも合格しなければならない事位は存じている。
場合によっては芸能界に大きな伝手や人脈を持っていなければならない事もある。
此の様に芸能界ではDrama(演劇)又は映画で主人公を演じられる人になると、役者の中でも相当制限されて来る、所謂「狭き門」なのである。
そこまで辿り着くのは至難の業と言っても良いのではなかろうか。
しかし本来人間は誰でも「此の世」に生を受けた時から「自分の人生」に於いては自分が主人公なのである!
其の為には、前記の様な美しい容姿も、才能も、試験も、審査も一切必要無いのである。
そうではなくて、ただ「我が人生では自分自身が主人公なのだ!」と言う意志や自覚があれば其れで良いのである。
又、「自分の人生」と言うDramaが何も魅力的とか、華やかであるとか、劇的であるとか、非凡であるとか、そんな事は一切必要無いのである。
たとえ平凡でも、地味でも、多くの人々に注目、評価されなくとも、あくまで「自分の人生」では自らが主人公なのである!

だからこそ此の世で一度しかない唯一の「自分の人生」と言うDramaを一生懸命演じ切らなければならないのである!
にも拘らず嘆かわしい事に世の中には、他人の意見に振り回されたり、他人から支配されるだけで、自分の意志や考えすら持てない者もいる。
又、有名な芸能人やプロスポーツ選手、等に現(うつつ)を抜かして夢中になり、自分を全く見つめられていない者もいる。
こう言った者共は「自分の人生」に於いて主人公に成れていないのである。
其れどころか他人に人生を振り回されているだけの、ちんけな脇役に成り下がっているのである。
(見下した言い方になるが)「自分の人生」の中で主人公にもなれない人間等、奴隷にも劣る惨めな者の様に思えるのである。

18世紀頃までのヨーロッパのLiteratur(文学)やDrama(演劇)ないしOpera(歌劇)では、主人公と言えば、王侯貴族か英雄、又は其の他の「特権階級」に属する人達ばかりであった。
中世(10世紀~14世紀)から18世紀までは、王侯貴族や僧侶、等の「支配階級」が政治、経済、文化、全てに於いて絶対的権力を持っていたのであるから無理もない。
余が個人的に読んで来た実例を挙げると、以下の通りである。

William Shakespeare (1564~1616)

(シェイクスピア):
Richard.Ⅲ,  The Taming of Shrew,  A Midsummer Night's Dream,  Marchant of Venice,  As You kike it,  Henry.Ⅳ and Ⅴ,  Romeo and Juliet,  King Lear,  Othello,  Macbeth, 等

Jochann Wolfgang von Goethe (1749~1832)

(ゲーテ):
Die natürliche Tochter,  Egmont,  Faust,  Götz von Berlichingen,  Hermann und Dorothea,  Iphgenie auf Tauris,  Torquato Tasso,  等

Friedrich Schiller (1759~1805)(シラー):
Die Räuber,  Don Carlos,  Die Jungfrau von Orleans,  Kavale und Liebe,  Maria Stuart,  Tourandot,  Wallenstein,  Die Braut von Messia,  Demetrius,  等

Heinrich von Kleist (1777~1811)(クライスト):
Die Hermannschlacht,  Prinz Friedrich von Homburg,  Der zerbrochene Krug,  Das Käthchen von Heilbronn,  Die Famile Schroffenstein,  Penthesilea, 等

 

これ等の作品は作者の時代に本として出版、劇場で上演されただけでなく、後世には映画、ドラマ化されている物もある位である。
しかし時代は変わって最近のドラマの中には、一見平凡な職業の人、例:(元・刑事の)タクシードライバー、(元・判事の)清掃員、探偵、又は税務調査官、保険調査員、旅行記者、観光旅行ガイド、万引きGメン等が主人公を務めて人気を博している物がある位である。

 

余は歴史に名と作品を残している「偉人」「英雄」「天才」「人傑」と称される人達のBiographie(伝記)やKarriere(経歴)を数多く読んで来た。
其の中でも余と同じ「芸術家」のBiographie(伝記)やKarriere(経歴)は特に興味深き物であった。
そして彼等にはある共通点が有る事に気付いたのである。
其れは彼らの家柄や出生が大抵は「上流階級」ないしは「富裕層」に属している事、そうでなければこれ等の社会階層に属する人が、生活を保障してくれるPatron(経済的支援者)になってくれていた事なのである。(希に例外もあるが・・・・・)

これ等いずれかの条件を満たしていなければ、たとえ優れた才能や希望や思想を持ち合わせていても、「芸術家」として立身出世する事は到底不可能だったのである。

同様に各芸術家の実家又は親の職業の例を挙げると以下の通りである。


貴族Jochann Wolfgang v. Goethe(1749~1832 ドイツの文学作家)、Heinrich v. Kleist(1777~1811ドイツの文学作家・軍人)、George Gordon Byron(1788~1824 イギリスの詩人)、Pierre Puvis de Chavannes( 1824~1898 フランスの画家)、 Henri de Toulouse-Lautrec (1864~1901 フランスの画家)
大地主Gustave Courbet(1819~1877 フランスの画家)
銀行家Felix Mendelssohn(1809~1847 ドイツの作曲家)、Edgar Degas(1834~1917 フランスの画家)、Paul Cézanne(1834~1906 フランスの画家)
政治家(議員):Eugène Delacroix(1798~1863 フランスの画家)
実業家(自営業): Molière(Jean-Baptiste Poquelin 1622~73 フランスの劇作家)

Théodore Rousseau(1812~1868 フランスの画家)、Claude Monet(1840~1926 フランスの画家) 
医者Friedrich Schiller(1759~1805 ドイツの文学作家)  、Hector Berlioz(1803~1869 フランスの作曲家)、  Herbert v.Karajan(1908~1989 オーストリアの指揮者)
司法者(弁護士、裁判官): Franz Grillparzer(1791~1872 オーストリアの劇作家)、Edward Manet(1832~1883 フランスの画家)、Paul Delvaux (1897~1994 ベルギーの画家)

:同ブログに登場する人物、:登場していない人物)

Pierre Puvis de Chavannes :  Patriotism (1893)

因みに上記のフランスの画家Pierre Puvis de Chavannesの作品は岡山県・倉敷市の大原美術館が3点を所蔵しているし、余は

2014年にも島根県立美術館で彼の作品展を観ている。

Paul Delvaux :  Crysis  (1967)
更にベルギーの画家Paul Delvaux の作品は兵庫県・姫路市の姫路市立美術館に多数所蔵されている。
余はこれ等以外にも、1990年に同美術館で彼の作品展をを観ている。


イギリスの男爵で詩人のLord George Gordon Byron(バイロン)は>True is stranger than Fiction.<(事実は作り話(小説)よりも奇也。)と言う名言を残してる様に、現実とは時として(作り話の)Dramaよりも思いがけない事や、奇想天外な事や、摩訶不思議な事が起きているのである。
人類の歴史を振り返って読んで見ても、何と数多くの奇跡的な事が起きているかを教えられるのである。
正にイタリア映画”Nuovo Cinema Paradiso”(1988年)の中の「幾つもの奇跡によって歴史は作られている。」と言う台詞其の物である。
個人的な事を書くと、幸運な事に余自身も自らの人生に於いて何度もmirakulöse「奇跡的」と言える程の機会や成功と勝利を獲得して来た。(同ブログの「プロフィール」参照 

其れを今振り返って見ると、此れだけの事を成し遂げられた一番の理由は、自分の能力や可能性を信じ抜いて、最後まで諦めなかった事である。

かつてのフランス王国の"Le Roi Soleil" (太陽王)と称された Louis ⅩⅣ世 (1638~1715)は>L'État, c'est moi .<(国家は余に有り)と仰せられているし、大人気を博したアメリカの戦争アクション映画"First Blood"(ランボー)の中で S.Stalloneが演じる主人公の歴戦の勇士 John Ramboは「ジャングルの中では俺が掟だ。」と言う台詞を発している位である。
そして余も同様に「己の芸術の世界では、余自らが『万物の創造主』、即ち『神』である。」と思う位の意気込みで制作しているのである。(いつもの様に自惚れる様だが・・・・・)
何故なら芸術や芸能の世界では、自分に「劣等感」や「疑い」を持っていては続けられないからである。

(因みにLouis ⅩⅣ世陛下と余は、誕生日が同じで、器量美しく、黒髪が女性より多く、誇り高く、そしてこよなく「美」と「芸術」を愛好している事が共通点である。)
 

此れは日本でも欧米各国でもよくある事なのだが、学校で先生が生徒達に「皆さんは将来、大人になったら何に成りたいですか?」と言う質問をすると、生徒達が各自それぞれ自分の将来の希望について答えるのである。
とは言え成人して「少年時代」の希望を確実に叶えられる人は極限られている事も事実である。
更に、今度は報道機関のキャスターが(子供の頃の希望を実現している)人気の芸能人や主力のプロスポーツ選手、等に対し「もし貴方が今の仕事に就けていなかったら、どうしていましたか?」と尋ねた処、彼等の答えを聞いてみると、以外にも平凡な内容なのである。
例: 実家の業務を継ぐ、技術者、サービス業、サラリーマン、然もなくばどうなっていたか分からない、等
これ等の答えから考察してみると、彼等は自分の子供の頃からの希望以外、生きる道(可能性)は無いと思っていたからこそ、自分の希望に向かって一心不乱に学習と研究と努力を続けられたのではないかと推測されるのである。
此の質問は印象深かったので、余も此れに関し自問自答してみた。

前記の歴史に名前と作品を残す「巨匠」の方々と同様に余も(清和源氏の流れを汲む)士族の家系で、今でも尚「富裕層」の家に生まれた事が、自分の大きな幸福や成功の根本になっていると確信している。
先ず親父殿が一種の「英才教育」をしてくれたのが凡人とは異なるMentalität(感受性、指向性、思考回路)を育成し、そして母上が我がPatron(経済的支援者)でいてくれた事によって、「芸術家」等と言う営利を度外視して自分の理想を実現する仕事が出来ているのである!
此の事に関しては余は常に自分の両親のみならず先祖にも心よりの感謝をしている次第である。

 

(馬鹿げた想像なのだが、)もし余が氏も素性も低い財産も無い貧しい家に生まれ、天賦の才能も無く芸大に進めず、芸術家にも成り損なっていたらどうなっていただろう? と考えてみた。
其の様に仮定すると、余は他人に服従する事やこき使われる事が大嫌いであるし、御世辞や媚びへつらいも苦手であるし、「同調圧力」に対しては暴力を行使してでも撃退したい様な性分なので、社会でサラリーマンや労働者に等、とてもではないが成れない(成る気も毛頭無い)のである。
詰まり余は彫の深い美人顔と鍛え上げた超筋肉質の肉体だけが取り柄の男と言う事になる。

(同ブログの記事「久方振りにウェイトトレーニングに復帰した事、及び我が容姿について」参照)

余はウェイトトレーニング、格闘技等の練習を週5日のペースで通算38年続けて来たので体力(PowerとSpeed)には絶対的な自信こそあるが、プロスポーツ選手に成る程の意気込みや根性は無い。
さすれば残された可能性と言ったら、芸術を目指した関係でプロの芸術家の為のヌードモデルにでも成るか、芸能界に進もうにも余は「演技力」も「歌唱力」も全く無いし、其れでいて「爆乳美人」が大好きなので、挙句の果てにはPorno男優にでも成るしか道が無かったかも知れない・・・・・

此れではたとえ欲望を満たせても、惨めで見下げ果てた人生になっていただろうと思われるのである。
此の様に想像してみても、余は氏・素性も財産にも恵まれた家に生まれられた事から、自分の両親のみならず先祖にも心よりの感謝が出来るのである。
(最後になって「士族出身者」にあるまじき下卑た事を書く様だが、其れで居てしょっちゅう「爆乳美人」と交われるPorno男優の仕事を羨ましく思う今日此の頃である。 
「無い物ねだり」をしてもしょうがないのだが・・・・・)

 

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リンゴ今から30年以上前の1990年代以来、我が家の経営する駐車場の庭と田舎の別荘の庭にはそれぞれ柘榴(ざくろ)の木が生えている。
これ等は元々知人の家から貰った柘榴の実の種を土に埋めたのが発芽したのを育て上げたのである。
かつては鉢植えだったのが地面に植えてから次第に大きくなり、今では両方共に高さ約5mにまで成長し、以来15年目頃から実を成らせる様になり、最近では両方の木で30~40個位の実を成らせるまでに至っている。

そして我が家の庭の多数の樹木の中で、特に存在感のある木になってくれている。
良くぞ種からここまで大きくなって、多くの花を咲かし、多くの実を成らせてくれる様になった物だと感心している。
イギリスでは貴族や富裕層を中心とした”Gardening”が大変盛んで、何と国民の5割以上がガーデニングを嗜んでいる程である。
English Gardenに於いて、草木は先ず観賞する事に重点が置かれるのだが、其の上そこで育った果実を食べる事が出来ると、更に楽しみが増え、庭園としての評価も上がるのである。
我が家の駐車場の庭では30種類以上の草木の内、葡萄、柘榴、梅桃(ゆすらうめ)、そして別荘の庭では梅、無花果(イチジク)そして(渋)柿が食用出来る。


リンゴ柘榴を学術的に解説するとミソハギ科ザクロ属の1種で落葉小高木で、ラテン語の学名は PUNICA GRANATUM、ドイツ語ではGranatapfel (+baum)、英語では Pomegranateと言う。

高さは5~6m位にまで成長する。樹皮は灰褐色から褐色で成長すると共に黒みがかって行く。

葉は楕円形から細長い楕円形で滑らかで幾分の光沢がある。

初夏の6月にい花が咲き、花弁は6枚で薄くて皴(しわ)がある。

9月~11月にかけて赤い球形の果実を実らせる。 

果実は花托(かたく)が発達した物で、熟すると大きさは直径約6~10cmで、重さは100~300g位になる。

い果皮は厚めで秋に完熟すると自然に不規則に裂けて、中から大量の赤い半透明の果肉の粒(中に種がある)が露になる。 

柘榴は既に紀元前の太古の時代から庭園に於ける観賞用に栽培されている。 

其の上、古代ギリシャの医学者Hippocrates (BC.460~BC.370頃) の記した書物の中に記述がある等、柘榴の実は同様に紀元前の時代より食用にもされている。     

果皮が裂ける品種は日持ちが良くないので、裂果しない品種が食用として栽培される。  

食べられるのは実の果汁が多く含まれる種子の外部を覆う部分でである。                         爽やかで甘酸っぱい味である事から現在ではジュース、果実酒、シロップ、そして清涼飲料水の原料としても利用されている。                                 主な栄養素としてはカリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、ビタミンB1、B2、B6,C、ナイアシン、パントテン酸等を含んでいる。  

其の栽培地は中近東を中心に南ヨーロッパやアメリカ南部、中国、等広範囲に渡り、日本には平安時代の延長元年(923年)に中国から渡来したと伝えられる。 

鎌倉時代中期には栽培も始まっているが主に観賞用であった。

柘榴が広範囲に江戸時代で、其の果汁を菓子に用いたり、医薬品の原料としても利用され、乾燥させた樹皮または根皮は古くから除虫材薬として用いられていたし、更には口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられたという。                                   又、変わった用途では金属製の鏡の研磨の為にも使われた。                     

 

リンゴ柘榴も長い歴史の中で自然環境に適応して変化した物や、人為的に改良、交配によって出来上がった品種等、多数が存在する。

 

Arbrecht Dürer:  Kaiser Maximillian.Ⅰ 

デューラー作 「皇帝マクシミリアンⅠ世の肖像」

Hans Holbein d,Ä : Maria mit dem Kind einen Granatapfel 

ホルバイン作「赤子(キリスト)と柘榴を持つ聖母マリア」 


リンゴヨーロッパでは古来より柘榴は"Ewige Vornehmheit"「永遠の高貴さ」の象徴として愛好されている事から、キリスト教の宗教画の中の主Christ、又は其の聖母Maria、そして肖像画の分野では王侯貴族達が柘榴を持った姿で描かれている事が度々見受けられる。 

何故ならヨーロッパ各国の王室ないしは皇室にはKrönung-zeremonie(戴冠式)の際に国主が身に着けるKrone, Zepter, u, Reichsapfel があって、其の中のReichsapfelが柘榴に似ているからと考えられる。 

Preußische Krone, Zepter u, Reichsapfel

これ等は丁度、日本の皇室の「三種の神器」即ち「八咫鏡」(やたのかがみ)、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)に相当する器物である。                                                                余も士族出身者としてヨーロッパの王侯貴族に習い、そして柘榴の色が我が最愛の色のである事から柘榴をい薔薇と並んで好んで何度も※テンペラで描いている。

(※膠を混ぜた水彩絵の具)                                                    

同じく絵画の分野で他の例を挙げると、17世紀オランダ絵画の静物画に於いて、果物は美味で栄養価が高けれども、腐り易い事や、悪い虫が付き易い等の短所から、所謂 "Vanitas-Symbol"(虚しさ、儚さの象徴)として描かれる事もあった。

 

リンゴ又、Symbolik(象徴学)やPsychologie(心理学)の分野で果物は女性的な性質を意味しており、特に球形の果物(例:メロン、林檎、梨、桃、イチジク、グレープフルーツ、等)は女性の(豊満な)乳房や尻を象徴しているのである。

一方で棒状の野菜、果物(例:人参、胡瓜、茄子、とうもろこし、バナナ、等)は男性の生殖器を象徴しているのである。                                                                        

オーストリアの心理学者Siegmund Freud(1856~1939)は人間が睡眠中に見る「夢」について深く研究し、其の中に出現する事物や人物、其の他の生物が、夢を見た人物にとって如何なる意味を表しているのかを詳しく分析し解釈していた。  (此れが所謂 "Traums Analyse und Interpretation"「夢の分析と解釈」である.)   

人間が活動している時には "Äußeres Bewußtsein" od, "Ä,Wahrnehmung" 「顕在意識」又は「顕在知覚」は主に日常生活ないしは現実社会の中に存在する物事、人物、其の他に作用している。                      

一方、眠っている時に "Inneres Bewußtsein" od, "I,Wahrnehmung"「潜在意識」又は「潜在知覚」が作用して、普段意識していない心の奥に潜んだ願望、欲望、其の他の「情念」が具体的に現れて来るのが「夢」なのである。                                     故に「夢」を分析、解釈する事によって、人間が普段自分で意識していないPersönlichkeit(人間性)が解明されるので、此れはPersönlichkeitsanalyse(人格分析)に於いて大変重要な学術なのである。  

 此の様にSymbolik(象徴学)やPsychologie(心理学)を元に分析すると、柘榴も球形の果物であるだけでなく熟すると割れる事から、更に女性を象徴する意味合いが強い様である。                                

余が色()の好みだけでなく、ラブ「爆乳美人」が大好きである事も柘榴に魅せられる原因なのかも知れない。
其れでも尚、余は前記の柘榴が象徴する通り "Ewige Vornehmheit"「永遠の高貴さ」を引き続き自らの人生に留めて置きたいと願うばかりである。

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「地球温暖化現象」が深刻な環境問題として取り上げられて以来、毎年恒例の事だが今年も7月半ばの梅雨明け以来、凄まじき猛暑が日本列島に襲来している。
総務省消防庁報告データによると、全国で6月から9月の期間に熱中症で病院へ搬送された人数は、2010年以降大き く増加し、特に非常に暑い夏となった2018年には9万2710人、2019年に6万6869人、2020年に6万4869人と言う統計が出ている。
今年2023年の最近の同じ統計を見ると、6月27日~7月3日に4629人、7月4日~7月9日に3964人、7月10日~7月16日に8189人、7月17日~7月23日に9190人が「熱中症」で病院へ搬送されている。
詰まり4週間で計2万5972人が「熱中症」の被害を受けているのである!
毎年、消防庁や各自治体、そしてマスメディアでも「熱中症」への注意を促してはいるが、此の被害は一向に減少する様子は無い。
本日7月29日も、日本列島は高気圧に覆われて全国的に晴れ、午前中から強い日差しによって気温は上昇し、午前11時の時点で各地で36℃を超え、午後には更に上昇し、日中気温が40℃近くに迫る猛暑が続いている。
7月25日~29日までに全国の最高気温が5日連続で39℃以上となっている。
最早ここまで来ると、毎年恒例の「自然災害」と言っても過言ではない。
(同ブログの記事『熱中症予防とダイエットそして生活習慣病の予防の為に』参照)

 

個人的な事を書くと、余はウェイトトレーニング、格闘技等の練習を週5日のペースで続けて今年で通算38年になる。
いつもの如く「自画自賛」する様だが、「よくぞ斯(か)くも長きに渡ってウェイトトレーニングを続けて来たものだ!」と我ながら感心している。
ドイツでの芸術大学時代(1991~95年)には芸大と同市内にある医学大学でも「特別受講生」として「解剖学」と「心理学」を学んでいたので、自分と家族の健康に人一倍配慮している。
田舎にある我がボロ別荘では、実家のある街中よりは風通しが良く、気温が4℃ないし5℃低いものの、ウェイトトレーニングに服を着用してでは、大量の汗をかくのでとても耐えられない。
故に短い水着とリストバンドだけを着用して運動をしている次第である。
通常は上記の田舎にある別荘でウェイトトレーニングをしているのだが、今年は1月に老朽化しきった当別荘(1957年建造)を新築の為に解体している。

故に友人に軽四トラックで我が館(実家)にトレーニングマシーン(2台)其の他のトレーニング器具を移設してもらい、4月初め以来、大広間(14畳)にて行っている次第である。

通常なら実家から6km離れた別荘に自転車で行って、少し雑用をしてからウェイトトレーニングを始める。 

自転車で15分程走るのはトレーニング前の準備体操になっているので、直ちにトレーニングを始めるのでは、どうも拍子抜けした気持ちになるのである。 

 

其れ故に余は自転車で館(実家)から別荘の丁度中間点(3km)に位置する郵便局の前をUターン、即ち往復6km走って実家に帰ってからウェイトトレーニングを開始するのである。 

本来なら安全の為、高温の中で激しい運動は慎まなければならないのだが、余はトレーニングをする大広間ではエアコンで冷房をせずに行っている。 

何故なら今まで38年間、別荘では1度も冷房をせずに行って来たからである。 

と言うのも別荘の有る田舎では実家のある町のど真ん中よりも気温が4~5℃程低いし、風通しも良いので問題は無い。 

其れでも極端に暑い時にはトレーニングの合間に浴室で水を浴びる様にしている。 

とは言えトレーニングの時間帯(午後6:00~8:30)でも室内温度が近頃では30℃以上あるので、トレーニングの1セットの合間の度にエアコンで除湿をした隣の居間に移って小休止している。 

いつもなら調度品の殆ど無い別荘で集中してトレーニングをしているのだが、我が館(実家)には地方の美術館を凌ぐ程の大量の美術工芸品のコレクションがあるし、而もトレーニングの合間にテレビを見ているので集中出来ないのではないかと思えるのだが、何故か不思議な事にトレーニングには十分に集中出来ているし、其れどころか別荘でトレーニングをしている時以上に時間に正確に行えているのである。(正直此れには余自身でも感心している。)

5月~6月にかけてはついつい夜更かしをする日が多かった為、睡眠不足が原因でトレーニングをする時間になっても眠気が残っていたり、軽い神経痛や眩暈があったり、気分が優れない事もあった。
流石に此の年になると夜更かしは日常生活にも悪影響なのである。

(言い訳をする様だが)絵を描いているとどうしても就寝時間が遅くなってしまい(午前2時)、其の分だけ起床時間も遅くなってしまう(午前9時)のである。

7月になって以来夜更かしを辞めた御蔭で、猛暑の日々が続いても健康状態は良好である。
医学的理論では所謂REM(Rapid eye movement)Phase と呼ばれる午後10時から午前2時までの4時間が最も熟睡できる時間帯なのである。
故に此の時間帯に睡眠を取れば、6時間以内の睡眠でも十分なのである。
俗に「早寝早起き」が良いと言われるのは其の為である。
余は医学知識を元に健康管理をほぼ完璧にしているつもりではあるが、「遅寝遅起き」が唯一の欠点なのである。

 

余にとっては芸術制作、研究及び活動は信念と生き甲斐を持って行っている事なので、其れに関して嫌気もストレスも感じる事は無いのである。
制作途中で厳しいと感じる事はあっても、其の分だけ作品を完成した時の満足感と充実感は大変な物である!(作品の完成度には成程今でも満足しているが、最近は以前より集中力が幾らか落ちている。)
ウェイトトレーニングに於いても同様で、激しい運動をしたからと言って報酬がある訳でもないし、ただ好きでしょうがないからこそ続けられるのである。
又、スポーツの継続によって栄養を正しく摂取する事や規則正しい生活も常に意識して続けられるし、其の上此れだけ厳格な鍛錬を積んでおけば、自分の肉体、精神共に絶対的な自信が持てるのである。
正にラテン語の諺”ANIMA SANA IN CORPVS SANVS”(健全な精神は健全な肉体に宿る)の如くである。
長年に渡るレーニング及び大学等で学んでいた医学知識の御陰で、脳年齢は4種類のチェックテストを受けた結果は平均25歳であるし、視力も両眼1.5あるし、毛髪も同世代の女性よりも本数が多いし、今だに身長173cmでスリーサイズはB:105、W:68、H:93(cm)、上腕周り:37cmを維持している。

(同ブログの記事『久方振りにウェイトトレーニングに復帰した事、及び我が容姿について』並びに『100m走への我が思い出、そして我が心の2つの大きな支え』参照)

 

高温の時に仕事ないしはスポーツ等の運動をしていると筋肉(特に下半身)の痙攣が起きる人がいると言う報告を聞く事がある。

其の原因は、大量の汗をかく事によって体内の塩分(NaCl2)が放出されて、筋肉内の塩分が不足する為である。 

其の上、水分を大量に摂取すると体内の塩分が薄くなるので、運動中の水分摂取は過度にならない様に気を付けなければならない。 

故に余はトレーニング中には水分を補給せず、其れを終了させた直後にする様にしている。 

テレビのニュース、特別番組等でも熱中症対策として「水分補給を十分にして下さい。」と呼びかけているが、飲み物なら何でも飲めば良いと云うのではない。 

「民間療法」で夏バテ予防に効果のある食物として、卵、豆腐、葡萄、枝豆、トマト、西瓜、南瓜、柑橘類、鶏肉、豚肉、牛肉、鰻、等が言い伝えられているし、飲み物としては麦茶も良いと言われているが、実際の処、牛乳は更に効果的なのである。 

牛乳はアミノ酸の形成に優れた良質のタンパク質、乳化脂肪、乳糖、炭水化物、ビタミンA、B2、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含む、栄養のバランスの取れた飲料である。 

故に余は毎回トレーニングを終えた後、黒豆ココア牛乳蜂蜜を入れて飲んでいる。
因みに蜂蜜は、ビタミンB1、B2、B6、C、K、アミノ酸、酵素、葉酸、ニコチン酸、パントテン酸、ビオチン、ミネラル類のカリウムを多く含む他、ナトリウム・カルシウム・マグネシウム・リン・亜鉛・鉄・銅・マンガン等の多種多様の栄養素を豊富に含む、非常に栄養価の高い健康食品である。
又、蜂蜜のカロリーを砂糖と同じ量100gで比較すると、上白糖が384kcalであるのに対し、蜂蜜は294kcalとより少ない。
蜂蜜の主成分はブドウ糖と果糖で、これ等は構造が単純な糖類なので、体内に入れば短時間で腸壁から吸収されて血管に伝わり、胃腸に負担を掛けずに栄養分となる。
此の様な特徴から、スポーツ、肉体労働後、又は病気による肉体疲労に対し、即効的に栄養を吸収出来るので、急速で効果的な疲労回復が可能なのである。
又、スポーツドリンクの中でもプロスポーツマンにとって最も重要な栄養素タンパク質の構成要素であるアミノ酸、及び塩分を補給出来る物が理想的である。

 

余は一昨年以来、ミツカンが製造販売している「黒酢の清涼飲料水」をも飲む様にしている。 

此れは国産玄米100%で生成した黒酢にりんご、ブルーベリー

、又は柘榴果汁、其の他を混合した機能性表示食品の一種である。 

の歴史を調べて見ると、人類が作った調味料の中でも最古の物であると伝えられている。 

蓄えていた果物が自然にアルコール発酵し、そこに菌が働いて酢が誕生したと推されれている。  

の起源は非常に古く、「旧約聖書」にも飲み物として登場している。  

文献では、紀元前5000年頃のバビロニアに記録が残っており、紀元前4000年頃にはワインやビールから酢を造ってPickles(胡瓜の漬物)を作っていた。 

古代ローマでは”Posca”と言う酢を水で割った清涼飲料水が飲まれていた。

古代ギリシャでは高名な医者 Hippocrates が病後の患者に健康回復の為に酢を飲ませていた。

古代中国でも周の時代には漢方薬の一種として重宝されていた。 

中世のフランスではPestが蔓延して大勢の人々が病死していた頃、1部の人が酢にハーブやスパイスを混ぜた飲み物を飲んで感染を防いでいたと言う伝説がある。 

15世紀~17世紀前半頃の「大航海時代」では、ビタミンCの欠乏によって起こる壊血病の予防の為、野菜を酢やスパイスで漬ける事が盛んであったと伝えられている。

ドイツでも伝統料理の代表としてSauerkraut(酢漬けキャベツ)に Saure Gurken( 酢漬け胡瓜)がある。

日本では4~5世紀の応神天皇の頃に中国より伝来し、此れを元に和泉の国(現在の大阪府南部)で造られる様になったのが始まりとされている。 

又、酢の健康効果・効能としては、食欲の増進、疲労回復、内臓及び血中脂肪の抑制、高血圧の抑制、癌の抑制、ダイエット(食餌療法)、腸内環境の改善、便秘の改善、美肌効果、等が挙げられる。 


健康管理に於いて余が大切にしているElement(要素)として上記のPhysikalisches Element(物理的要因) だけでなく、更にGeistiges od, mentales Element(精神的要因)も同様に重視している。
過去の歴史の中で多くの哲学者、思想家、文学作家、心理学者の方々が共通して述べられている事だが、「人間の幸福とは本人の考え方や心得、ないしは気持ち次第でどうにでもなる。」と言う事である。

(同ブログの記事『世界の幸福に関する格言、名言集』参照)

 

此の格言はあたかも心理学で言う"Selbstkontrolle"(自己制御)又は「自己暗示」の様だが、要するに人間は自分が成りたい様な人間に成って行く者なのである。
余自身を実例に挙げると、どうしようもない”Narzisst”(自惚れ屋)で、自分の彫の深い端正な美人顔や長年ウェイトトレーニングで鍛え上げた超筋肉質の裸体に毎日見惚ているのである。
そして本業である芸術家(画家)として自分がやりたい事を思う存分成し遂げて、自分の理想以上のErfolg「成功」、Lobpreisung「賞賛」、Gloria「栄光」そしてEwigkeit「永久」と言う美徳を獲得出来たのである。

(本ブログの『プロフィール』参照)

 

これ等を獲得出来た最たる理由は余が自分なりのIdee「理想」、Selbstvertrauen「自信」、  Entschloßenheit 「断固たる意志」を持ち、そして優れた良き御仁達のUnterschtützung「支持」を得られたからである。
これ等の事から余は此れまでの我が人生を振り返って見て余りにも幸せで恵まれていたと言わざるを得ない。
詰まりGeistige od, mentale Gesundheit"(精神的な健康)とは他人からの指示や影響によって形成されるのではなく、あくまで「自らの意志」で形成するのである!
(同ブログの記事『新時代「令和」の到来と「平成」時代を振り返って』及び『自分思考型人間と他人思考型人間』参照)

 

参考に世界の国民意識を比較しても「自分に満足している」更に「自分の意志や決断力に自信を持っている」と言う人の割合は欧米諸国ではゆうに80%を超えているのに対し、日本では約40%代と突出して低い。
これ等の統計からも日本人は欧米人に比べて「自己肯定感」の低い国民である事も判然としている。
又、今日の日本人は先進国の中で「幸福感」や「自己満足度」が最も低いとの統計も出ている。
其れとは対照的に余は家の十分な財産と5種類の不労所得の御蔭で何不自由無く生活出来る上、骨の髄までNarzisst(自惚れ屋)なので、とても此の様な精神構造は理解出来ないが、彼等には誠に気の毒な状況であると思えてならない。

其れでも”Selfdiscount”と言う言葉の如く、自分を否定したり卑下したりする者は永遠に「成功」も「幸福」も手に入れられない。 故にこんな事は決してしてはならないのである!
如何なる場合にも、自分に目覚める事(Selbstbesinnung)、

自分を認める事(Selbsterkennung)、自分を信じる事(Selbstvertreuen)は必要なのである!

7月31日の追伸:
7月24日~7月30日に全国で「熱中症」で病院へ搬送された人数は遂に1万1765人にまで登った! 一週間の搬送患者数が1万人を超えるのは今年初めてとなった。
此の数は去年の同時期と比べても1.8倍にもなっている。
6月27日から数えると計3万7737人となっている!
願わくは今後の猛暑による被害が最小限に抑えられる事を祈りたい。
10月の追伸:
最終的に今年5月から9月までに「熱中症」で病院へ搬送された人数は何と9万1467人にまでに達した!
此の驚異的な統計が如何に今年の猛暑日が苛烈且つ多かったかを象徴している。

 

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我が家は町(東区)のど真ん中に館(実家)及び庭付きの駐車場(計118坪)を所有する以外に、田舎にある別荘の周りに864坪の※田んぼ、並びに別荘から200m程離れた処にも同様に990坪の※田んぼを所有している。 

(※これ等農地は余の農家の友人である鶴海さんに耕作してもらっている。)

其の990坪の田んぼの真ん中に引かれている畦道の上に随分昔より小さな祠(ほこら)が立っている。 

此の祠は老朽化した為、恐らく戦後になって天板以外の部分をコンクリートで新装している。 

美術骨董品の鑑定、修理の出来る余が観察した処、此の祠の石の天板の状態からして、此の小さな祠は元々は今から110年以上前の明治時代(1868~1912年)頃に造られた物と推測される。 

にも拘らず此の祠の中には長きに渡って肝心要の「御神体」が欠けているのである。 

余は幼少の頃より歴史に多大なる興味があったので、此の祠の中には一体どの様な神が祀られていたのだろうか、又、どの様な原因で「御神体」が無くなっているのだろうかと思っていた。 

そしていつか此の祠に相応しい「御神体」を納めなければなるまいと思っていた。 

昨年の3月には別荘の周りに864坪の田んぼを新たに購入して、我が家の米の生産高及び農業収入も倍増しているので、此れからも田んぼを大切にして行こうと言う気持ちになった。

此れを良い機会に、ネットオークションで「御神体」になれるだけの古い「田の神様の偶像」を探して見た処、丁度良い大きさ(高さ約26cm)の真鍮鋳物の「大黒天」の像を見つけて購入した。 

そして7月21日、早速此の「大黒天」の像を我が家の田んぼの中の小さな祠に納めておいたのである。 

とは言え「御神体」を風化させてはならないし、性無き子供や盗人に盗られて骨董屋に売り飛ばされる訳にも行かない故、極単純ではあるが祠の窓の内側に透明のアクリル板を施し、其の後ろから2つのレンガで両側を固定しておいた。 

此れにて長年我が家の田んぼの祠に長年に渡り留守になっていた「御神体」を納める事が出来たのである。 

(同ブログの記事「3月の我が家に纏わる様々な出来事」参照)

 

 

扨、何故余が「御神体」に「大黒天」を選んだかと言うと、日本古来の民間信仰に於いて「大黒天」は五穀豊穣と商売繁盛をもたらす福の神だからである。 

しかし此の神は元来古代インドのヒンズー教の神で、サンスクリット語の名は"Mahākāla"と云い、此れは破壊の神Sivaの別名である。 

故に室町時代以前の大黒天像は、鎧を着て右手には「打ち出の小槌」の代わりに「宝棒」を持ち、左手に袋を持つ姿で表現されている。 

「大黒天」の崇拝を日本に初めて広められたのは、我ら天台宗の開祖・最澄大師である。 

其の後室町時代になって此の神様は日本で御馴染みの「七福神」の中に編入されている。

更に他の「七福神」について解説すると、「毘沙門天」も元は古代インドの神で"Vaiśravaṇa"と云い、戦勝、正義、厄除けを司る。 

仏教では多聞天(北)として、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)と共に4つの方角を守護する「四天王」の中の武神とされている。 

弁財天」は"Sarasvatī"と云い、河川、豊穣、生殖、そして芸術を司る女神である。 

我ら天台宗では「如来」「菩薩」「明王」の次に来る「天部」の中に、此の3人の古代インドの神々を編入して祀っている。 

故に天台宗の別格本山以上の寺院には大抵此の3人の天像を安置する御堂がある。 

其の他、財運、招福をもたらす「福禄寿」と健康、長寿をもたらす「寿老人」は古代中国の神で、福徳、家庭円満の利益のある「布袋」は古代中国に実在した僧侶であった。 

実は彼らの中で日本古来の神とは、「事代主命」(ことしろぬしのみこと)即ち「恵比寿様」のみである。 

 因みに余は「大黒様」よりも「恵比寿様」に幼少の頃より愛着があり、少年時代より恵比寿像を収集して、今では明治、大正、そして昭和時代にかけて作られた「九谷焼」、「一位一刀彫」、「讃岐彫」、「黄楊彫」、「高岡銅器」、其の他10数個にまでなってしまった。 

余が何故「恵比寿様」に愛着があるのか、自分でもいささか不思議なのだが、恐らく「恵比寿様」が自分に欠けた要素を持っている事に対する憧れなのかも知れない。 

具体的な例を挙げると、 

「恵比寿様」が天真爛漫な笑顔なのに対し、余は笑顔が苦手で、我がドイツの地元Berlin, Brandenburgでも個展開催の折、各地元新聞社の取材時でさえ、カメラマンに>Bitte etwas lachen !<(幾らか笑顔をして下さい!)と頼まれても、厳めしき顔しか出来なかった。 

「恵比寿様」が開運招福、漁業、商売繁盛を司る神なので、釣りや泳ぎの名人であるのに対し、余は友人と釣りをしても、魚が釣れるどころか魚に見向きもしてもらえない。(魚を食べないからだろうか?)そして余はからっきし不水練(泳げない)である。 

「恵比寿様」の象徴である「釣り竿」には教訓的な意味があって、欲張って何でも取るのではなく、「一本釣り」で鯛の様な最良の物(者)だけを選りすぐって取る事が肝心だと云う事である。 

此の事だけは余も自ら完全に実行出来ているのである。 

興味深き事に東日本では「恵比寿様」を、一方西日本では「大黒様」を「田の神」として祀る傾向が多いそうである。 

余の個人的な見解では「恵比寿様」は釣竿と鯛を持つ井出達から寧ろ「漁業神」、そして米俵の上に立つ(又は座る)「大黒様」こそ「農業神」ないしは「田の神」らしいのではないかと思えるのである。 

 

日本は弥生時代(紀元前9,8世紀から紀元後3世紀頃)より「稲作農業」が主力産業として定着し、国民の生活を安定させた事から古代より「農業神」を祀る習俗があった。
此れに関して8世紀に成立した『日本書紀』や『古事記』にも稲霊(いなだま)すなわち「倉稲魂」(うかのみたま)、「豊受媛神」(とようけびめのかみ)、穀霊神の大歳神(おおとしのかみ)の名が「農業神」として記されている。
此の中で「豊受媛神」は10世紀初頭成立の『延喜式』「大殿祭祝詞」に、稲霊であり、俗に「宇賀能美多麻」」(うかのみたま)と称する註があり、此の事について民俗学者の柳田國男先生は、「稲の霊を祭った巫女が神と融合して祭られる様になり、其れ故に農業神は女神と考えられる様になったのではないか。」と推測されている。
民間では此の様な「農業神」を一般に「田の神」と称して来たが、東北地方では「農神」(のうがみ)、甲信地方(山梨県・長野県)では「作神」(さくがみ)、近畿地方では「作り神」、但馬(兵庫県)や因幡(鳥取県)では「亥(い)の神」、中国・四国地方では「サンバイ(様)」又、瀬戸内海沿岸では「地神」(じじん)等とも称されて来た。

又、起源の異なる他の信仰と結び付いて、東日本では「恵比寿」、西日本では「大黒」をそれぞれ「田の神」と考える地域が多く、更には土地の神(地神)や稲荷神と同一視する事もあり、其の一方で漁業神や福徳神とは明確に区別される神々である。

因みに我が地元は人口約7万人程なのだが、第二次世界大戦中に1度も空襲に遇わなかった故、今でも多数の歴史的な物件が残っている。 

例えば我が館(実家)の北向いに立つ町内会の寄り合い所の前には「毘沙門天」を祀る祠が設置されているし、我が別荘から南へ50m程の処にも前記の「地神」の石碑があり、更に余が実家から別荘まで自転車で走行する約6kmの道程にも同じく「地神」や「稲荷」其の他の神を祀る祠が12件もある。
其の他、川沿いには江戸時代から昭和初期頃まで運航していた「高瀬舟」の港の目印であった常夜燈(石灯籠)が7台も残っており、其の一部には海上交通の守り神である「金毘羅」が祀られている。


令和の時代(2020年代)になっても尚引き続き各町内では毎年定期的にこれ等の宗教的物件に対し祭りの儀式を行っている。

長き時代の流れの中でこれ等の伝統的な習慣を今でも守り続けている事には感心させられるのである。

 

「田の神」の偶像の具体的な特徴は統一された物が無く、一般的に水口に挿した木の枝や其れを束ねた物や花や石、等が象徴的事物とされる事が多く、常設の祠堂を持たないのが全国的な傾向である。
しかし、其の様な中にあって「田の神」の石像が九州地方南部の薩摩、大隅(鹿児島県)、日向(宮崎県)の一部(都城周辺)に限って分布している事は注目に値する。


此の地方では集落毎に「田の神さぁ」(田の神様)と称する石像を田の岸に祀る風習が見られる。
これ等の「田の神」は藁傘を被り杓子や擂粉木(すりこぎ)や飯椀、ないしは鍬を持った昔の百姓(農民)を彷彿させる姿で表現されている。
これ等の石像を形態的に分類すると、「自然石型」、地蔵菩薩を模った「仏像型」、神官を模った「神像型」、そして前記の百姓を模った「農民型」が挙げられる。

これ等「田の神」の石像は18世紀初め頃より造られ始めたと推測され、薩摩藩領にのみ石像が分布しており他の地方では見受けられない。

そう言う意味で、これ等の地方とは遠く離れている本州にある我が家の田んぼに「農業神」の祠が長きに渡って常設されているのは、大変珍しい実例であると言っても過言ではない。
 

昔の日本人は此の様に自然界に神々が存在するのみでなく、人間が造り出した田畑にも神が宿り守ってくれると信じていた。
だからこそ農業を「尊い業務」として大切にする事が出来ていたのである。
其れに引き換え、今日の日本の愚かで利己的で強欲な(糞)政治家共を初め、(本来農業を援助、保持すべき)農協までもが農業を蔑ろにしている誠に嘆かわしき有様である!

余が親しい何件もの農家の人達から聞いた処、彼等は作り手、後継者のいない農家から田畑を二束三文で買収し、其れを更地にして住宅地に登録し直して販売しているらしい。
(正に諺の「濡れ手に粟」の如くである! 此れでは農地が減少するのも無理はない。)
かつて1960年代には日本日本の食料(農作物)の自給率は約67%もあったのに、今日の其れは僅か37%にまで落ち込んでいるのである!

米の生産量だけ見ても、ここ50年間に何と40%以上も減少しているのである。
参考に先進国の食料(農作物)の自給率を挙げると、広大な国土を有するカナダカナダは221%、オーストラリアは173%、アメリカアメリカは115%、 ヨーロッパ最大の農業国フランスフランスは117%、ヨーロッパ1位の工業国ドイツドイツでも85%、日本と同じ島国のイギリスイギリスでも54%である。
「G7」と呼ばれる各先進国の統計と比較しても日本の食料自給率が如何に低いかが歴然としている。
其れでいて日本国民が1年間に廃棄する食料品は合計約500~600万トンにも及び、此れは大国アメリカよりも多いのであるから呆れる他無い。
此の様な不謹慎且つ不合理な事ばかり続けていると、いざ「食糧危機」が到来した時に過半数の日本国民(特に農地や金融資産を持たない下層階級や貧困層)は如何にして此の深刻な苦境を乗り切るのだろうか? と、士族出身で現在も「富裕層」で十分な農地をも所有する余ですら此の様に先が思いやられるのである。

余は第二次世界大戦から戦後を経験した親や祖父母や小学校の恩師からの教えや体験談を元に、食料品や其の他の物品も大切に扱う様に常日頃から心得ている。
実に我が家では自前の田んぼから米が十分に穫れるからと言って米粒1つさえ粗末にしないし、購入した食材も無駄に捨てる事無く使い切っている。

近年の人類の増加による自然破壊が起因する劇的な「気候変動」による世界各国に於ける農作物の大規模な損失、更に2020年から全世界で大流行した「新型コロナウィルス」による大規模な物流の停滞、そして2022年2月より続く「ロシア、ウクライナ戦争」等によって、現在では世界中で20か国を超える国々で深刻な「食糧危機」が起こっているのである!

(同ブログの記事「第二次世界大戦とロシア、ウクライナ戦争との比較」参照)

故に農業生産力の足りない日本や国民にとっても最早此れは「他人事」や「他所事」ではないのである。
一部の農業学者、環境学者、社会学者、経済学者、そしてジャーナリストの方々ですら近い内に日本に襲来する「食糧危機」に対し警告を促している位である。
にも拘らず過半数の(現実の見えていない)日本人は今日でも尚、「食糧危機なんか日本には関係無い。」等と愚かとも言える程に楽観的な見解で生活している様だが、実際の処事態は遥かに深刻なのである!

日本政府や各自治体は「食糧危機」の到来より前以って、大規模な「農業支援」ないしは「農地改革」等と言った何らかの対策を考え出し、実行する必要があったのではなかろうか。

 

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広島カープの「黄金期」にエースとして活躍し、カープ一筋に努めて球団最高記録の213勝を挙げ、「名球会」入りした北別府学さんが今6月16日午後0時33分、入院して治療を続けていた広島市内の病院にて享年65歳で御逝去された。 

北別府さんは既に2020年1月に御自分のブログで「成人T細胞白血病」(ATL)を患われている事を公表されていた。 

此の病気は言わば全身を循環する血液の癌であるので、現代の医学を以てしても治療する事が極めて困難である故に、昭和52年以来カープファンである余もいつか悲しい知らせを聞く事になると覚悟を決めていたのだが、其れでも北別府さんには出来る限り苦しむ事無く延命してもらいたいと祈っていた。 

とは言え昨日訃報を聞いて何とも言えない悲痛で寂しき思いに駆られたのである。 

今となっては、かつての彼の現役時代の雄姿を思い出しながら心からの御冥福を祈るばかりである。 

 

此度、北別府さんが御逝去されて、広島カープの「黄金期」(昭和50年~61年)を築き上げた以下の監督、選手の方達が既に7人も御逝去されている事になっているのは往年のカープファンにとっては誠に悲しく寂しい限りである。 

1993年7月、津田恒実さん(享年32歳) 

2009年11月、三村敏之さん(享年61歳) 

2018年4月、衣笠祥雄さん(享年71歳) 

2021年1月、高橋里志さん(享年72歳) 

2021年4月、Adrian Garrettさん(享年78歳) 

2021年11月、古葉竹識さん(享年85歳) 

(同ブログの以下の記事参照)

 

 

 

北別府さんは1957年(昭和32年)7月12日に鹿児島県・曽於郡・末吉町の農家に生まれられた。 

実家が農家であった事から隣の宮崎県の都城農業高校へと進学された。 

其れ以来、毎日実家から県境を越えて学校まで何と20kmもの距離を自転車で通学していたそうである。(しかも3年間無遅刻であった。) 

更に実家に帰宅したら直ぐに制服から私服に着替えて、飼育している牛の世話をしていた。 

「家にいる限りは此れが僕の仕事ですから。」と言って当然の如く家業を手伝いながら野球に打ち込む純朴で直向きな姿勢は感動的であったと、当時を知る報知新聞社の記者であった駒沢悟さんは書き記している。 

 

余も小学校の頃より当時の「プロ野球年鑑」で北別府さんの其の様な経歴を読んで知っていたので、自身がドイツに於ける大学時代(Kunstakademie Dresden 1991~95年)に学校の所在地Dresdenから北東に約17km離れた村 Liegau-Augustusbadに住んだ前半の2年間は、北別府さんを見習って同様に自転車で通学したのであった。 

しかし93年に大家で友人のH.Barthelさん(1938年生まれ)が余の冬休みに帰国していた時に突然の事故で亡くなられてしまった事で、急遽 Dresden市内のStudentwohnheim(学生寮)に転居する事を余儀無くされてしまった。 

DresdenはKessel(盆地)に位置する都市なので、郊外の Liegau-Augustusbadとの間の道には合計約5kmの坂があった。 

当時の余の通学法を知っていた当大学の職員の方は>Es ist so ein Sport !<(其れはまるでスポーツだね!)と感心してくれたのであった。 

当時此の様な事を続けられたのも、北別府さんの「頑張り」を子供の頃から知っていたからである。 

そして「初老」と言われる様な年になった現在でも尚、週5日は実家から6km先にある田舎の別荘まで自転車で走り、ウェイトトレーニングをして再び家に帰る事を通算38年も続けられているのも、往年のカープの偉大なる名選手・衣笠さんと北別府さんの御陰であるとも言えるのである。 

 

北別府さん高校卒業後、1975年ドラフト1位指名で広島カープに入団した。 

奇しくも此の年はカープが球団史上初のリーグ優勝を成し遂げた年であった。 

新人の年であった翌1976年に初勝利を挙げて以来其の頭角を現し、「精密機械」とか「針の穴を通す」と形容される卓越した制球力と多彩な切れのある変化球を武器にして勝ち星を量産して行かれた。

1978年以来11年連続で2桁勝利を記録し、79年には17勝を挙げてチーム初の「日本一」に貢献した。 

1982年には自身初の20勝を挙げて「最多勝」「沢村賞」を獲得、1986年には18勝を挙げてチーム5度目のリーグ優勝の原動力となり、再び「最多勝」「沢村賞」更に「最優秀防御率」「MVP]をも獲得した。 

1992年7月16日、遂に「名球会」の登龍門である通算200勝を挙げられた。 

広島カープ一筋に19年間、其の大部分をエースピッチャーとしてプレーし、1994年に現役を引退された。 

通算成績は515試合登板、213勝、141敗、5セーブ、135完投、28完封、1757奪三振、防御率3.67である。 

 

当時のプロ野球の選手のみならず、野球ファンなら誰もが知っている事だが、北別府さんの投球術とコントロールは誠に無類の物であった。
今日、日本のプロ野球でも150kmの速球を投げられるピッチャーはざらにいるし、アメリカのメジャーリーグでは更に160kmを超える剛速球を投げるピッチャーまでいる状態である。
しかし北別府さん程の制球力を持つピッチャーは日本及びアメリカですら見受けられないのである。
現役時代最も長くバッテリーを組んだ名捕手・達川光男さんが語ってくれた興味深い逸話がある。
「ホームベースの上に3つの空き缶を立てて、「おいペイ(北別府さんの渾名)よ、球ほおってあの空き缶倒してみい。」と言ったら、3球で全部倒してしまったんです。」
其の他、当時対戦した他チームの多くの選手達も北別府さんの制球力と変化球の切れには翻弄され、感服したと言っている。

「球速は決して速くはなかったので、いつか打てるだろうと思っていたら、気が付くと最後まで抑え込まれてしまっていた。」と言うのである。
又、主審判の立場から見れば北別府さんは非常に判定しにくいピッチャーであったらしい。
本人が「僕は現役の頃、ど真ん中に投げた事が無いんです。」と言う様に、彼は相手バッターがまともに打てない様なストライクゾーンのギリギリを突いて投げる事が常であったからである。
野球のルールでは投げられたボールがストライクゾーンに半分以上収まっていれば、ストライクと見なされるからである。
そしてスライダー、シュート、カーブ等の変化球の「切れ」も大変な物であったし、投球に緩急のメリハリを付けて相手打者とのタイミングを外す事も巧みであった。
故に相手バッターは容易に捉える事が出来なかった様である。

 

北別府さんは自分のピッチングについて、「僕は投球の際に最も気を使っているのが「不動心」と「投球フォーム」なんです。」と言っている。
不動心」とはたとえ相手が名だたる強打者であろうと、如何なるピンチに接しようとも、決して精神的に動揺せず「泰然自若」の境地で、粘り強く投球を続けて切り抜けると言う事である。
実に彼は現役時代に対戦したセ・リーグ各球団のクリーンアップ(3,4,5番バッター)を平均被打率1割台に抑え込んでいるのである。
又、北別府さんは「投球フォーム」を試合前から毎回徹底的にチェックしていたらしい。
ほんの僅かでもフォームに狂いがあると彼最大の武器であるコントロールに乱れが生じるからである。
スポーツの分野は違えども余は長年続けてきたウェイトトレーニングや(打撃型)格闘技の練習、並びにドイツの医学大学でも特別受講生として学んだ経験を通じて、フォーム(型)を常に正確に整える事が如何に大事な要素であるかを身を以って知っている。
故に同様にフォームを正確に保持する事に常に注意を払っている。
いずれのスポーツでも間違ったフォームで運動を続けていると、運動機関(筋肉、骨、関節、腱)を鍛えるどころか反(かえ)って痛める事になってしまうからである。
此れは肉体労働に於いても同様で、悪い姿勢で仕事を長期間続けていると、身体を慢性疲労で痛め易いので注意が必要なのである。

広島カープの「黄金期」の主力選手の中では、当時連続試合出場の世界記録を樹立した「鉄人」こと衣笠さんが丈夫な選手の代表格であったが、投手部門では北別府さんが丈夫な選手の代表格であったと言える。
現役19年の間、殆ど故障する事無く試合に登板し続けたからこそ、213勝と言う大記録を成し遂げられたのである。
此れも北別府さんが本来の優秀な体力の上に「投球フォーム」を毎回徹底的にチェックしていた事の賜物であると言える。
 

北別府さんは其の抜群の制球力から「精密機械」と喩えられたが、実際は(鹿児島県人らしく)心も熱く(蟹座らしく)情の深い面倒見の良い人であった。
「カープが強かったから成績を挙げられましたし、チームメイトにも恵まれました。怪我も無かったし、親に感謝したいですね。」と周囲への思いを述べられていた。
現役引退後は「残りの人生で野球界の為に尽力していきたいですね。」と言われた通り65歳の生涯を終えるまで、1995年からは解説者として、2001~04年まではカープのピッチングコーチも務められた。
2012年には「野球殿堂」に競技者表彰のプレイヤーとして選出された。
誠に日本プロ野球の歴史に永遠に残る「エースピッチャー」の称号に相応しい大投手であった。

 

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1966年に制作された”Macaroni Wesrern”(イタリア製西部劇)の傑作 “The Good, the Bad and the Ugly” (日本の公開名「続・夕陽のガンマン」)の中に以下の興味深い台詞がある。 

「世の中には2通りの人間がいる。首に縄をかけるヤツと(其れを)切るヤツ。」(捕まるヤツと其れを助けるヤツ)
「世の中には2通りの人間がいる。友達の多いヤツと孤独なヤツ。」 

「世の中には2通りの人間がいる。ドアから出入りするヤツと窓から出入りするヤツ。」(まともなヤツとまともじゃないヤツ)
「世の中には2通りの人間がいる。弾の入った銃を持つヤツとスコップで土を掘るヤツ。」(命令するヤツと服従するヤツ。)
心理学の分野でも人間を2種類に大別すると、「自分志向型人間」(又は「内部志向型人間」)と「他人志向型人間」となる。 

 

アメリカの社会学者David Riesman(1909~2002)は、西洋社会の長い歴史に対応して、それぞれの時代に於ける社会通念を以下の3つに分類している。 

前近代(中世~15世紀):伝統志向型 

近代(16世紀~第二次世界大戦):内部志向型 

現代(第二次世界大戦後~今日):他人志向型 

更に日本の心理学者・南博先生は其の著書「心理学がわかる事典」の中で、上記の3つの志向型(Mentalität)を次の様に解説されている。 

伝統志向型」:人々の行動の原理が専ら伝統とか習慣とか言う既存の価値観に求められていた事を示しています。「封建時代」に代表される前近代の人々の同調様式の特徴はこう言う物でした。 

内部志向型」:近代になりますと、人々は自分達の行動を律する指針として、「神」とか「良心」とか言う内面化された価値を選ぶ様になりました。 彼らは丁度自分の中にジャイロスコープ(羅針盤)を持っている様な者で、その針の指し示す方向に自分の行動を向けて行った訳です。 

他人志向型」:それに対して、現代人と言うのは行動の原理として周囲の他人の意見とか他人の反応、価値等を手掛かりにする様になりました。  詰まり、あたかもアンテナやレーダーを張り巡らして、それによって他人がどう考え、行動するかを素早くキャッチして自分の行動を調節する様になったと言う訳です。 

 

参考に日本の内閣府が2009年に公表した「世界青年意識調査」(18歳から24歳が対象)では、「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ。」と考える人の割合は以下の通りの統計が出ている。 

アメリカ: そう思う;約49%、どちらかと言えばそう思う;約32% 合計:81% 

イギリス: そう思う;約61%、どちらかと言えばそう思う;約30% 合計:91% 

フランス: そう思う;約66%、どちらかと言えばそう思う;約27% 合計:93% 

此の様に欧米人の大多数の人々が「個人の自由」を肯定しているのとは逆に日本では、そう思わないが約41%、どちらかと言えばそう思わないが約28% 合計:69%が「個人の自由」を否定しているのである。 

此の事から西洋人(白人)は断然「自分思考型」の人間が多いのだが、其れとは対照的に日本人は「他人志向型」の人間が過半数をゆうに占めているのが判る。

 

参考に「自分に満足している」と言う人の割合は以下の通りである。 

日本: 約45%

アメリカ: 約87% 

イギリス: 約80% 

フランス: 約85%

更に「自分の意志や決断力に自信を持っている」と言う人の割合は以下の通りである。 

日本: 約42%

アメリカ: 約86% 

イギリス: 約82% 

フランス: 約85%

これ等の統計からも日本人は欧米人に比べて「自己肯定感」の低い国民である事も判然としている。
 

因みに余自身は日本人としては珍しく、「非道徳、非合法でなければ何をしようとも個人の勝手(自由)だ!」と確信する、完全な「自分思考型人間」なのである。 

余がとことんまでに「自分思考型人間」である原因を自己分析してみると、先ず余が清和源氏の流れを汲む「士族」の家柄の出身である故、少年時代より「自分は庶民、平民と同類であってはいけない!」と言うAnachlonistischer Stolz(時代錯誤的な誇り、又は高慢)を抱いている事がある。 

次に自分がKünstler(芸術家)と言う強烈なIndividualität(個性)、 Identität(自分らしさ)そして Eigenschaft(独自性)を必要とされる特別な仕事を志し、就いてしまった事がある。 

これ等のElement(要素)無くして「芸術家」の人生は成り立たないと言っても過言ではない。 

そして前述の「自分思考型」の人間が圧倒的に多いヨーロッパの中央に位置する国ドイツに学業と仕事で足掛け13年も住んだ事である。 

此の国で生活して、余の「自分思考型」の Mentalität(志向型、又は思考型)は更に強まり、此の事が正しいと確信したからである。 

 

自分思考型人間」はMentalität(志向、又は思考)の軸が「自分自身」にあるので、外界や社会や他人が如何なる状況であろうと、これ等から余り影響を受ける事が無く、独自の判断、そして独立した行動が出来る。
一方で、其の思考、判断、そして行動が社会通念から逸脱していると、場合によっては異端者、奇人、変人とも見なされる事すらある。


ドイツの高名な精神科医で心理学者のErnst Kretschmer先生(1888~1964)は人間のCharakter(性格)をPykniker(躁鬱質)、Leptsomer(分裂質)、Athletiker(スポーツマン質)、 Nervös(神経質)、 Paranoische(過信質)、そしてHysterische(ヒステリー質)の6種類に分類し、これ等の人間のCharakter(性格)がKonstitution(体形)と密接な関連がある事を提唱し、理論と実例に基づき証明したのである。
又、Kretschmer先生は特に「天才」と言われる人間を高く評価し、彼等の独特のPersönlichkeit(人格、人間性)について研究し、其の内容を大著書"Die Genie"(天才)の中で克明に書き記されている。
其の中でKretschmer先生も、天才とは極端なまでに「自分思考型人間」である事を実証する事例をいくつも記述されているのである。
余も個人的な研究で、「天才」、「偉人」、「英雄」そして「人傑」と呼ばれる人々のBiographie(人物伝記)を数多く読んで来たが、これ等の人物達はKretschmer先生が提唱されている通り、卓抜した才能、知能を有するだけでなく、強烈なIndividualität(個性)、とSelbstbewußtsein(自己認識)を持っており、其の思考、判断、行動に於いて他人や外界から影響を受ける事が一般の凡人より遥かに少なかった様である。

 

其の様な意味では社会的に多数派を占める「他人志向型人間」は前記の、「天才」、「偉人」、「英雄」そして「人傑」と比べて、平凡、無個性であるとも言える。
しかしながら「他人志向型人間」は社会が平和で安定して裕福な時には、社会通念も比較的、理性的で良心的なので、人間も他者に対する思いやりや配慮も出来るので、「集団の力」によって良い方向へと発展して行くのである。
一方で「他人志向型人間」の悪質な例を挙げると、社会の異常事態(例:戦争、動乱、自然災害、経済、又は食糧危機)が到来した時、周囲の人間が生活に困窮して、窃盗や詐欺等の犯罪を働いているから自分も同様にする「模倣犯」と言うのがある。
此の様に「他人志向型」と言うのは社会や周囲の人間が道徳や法律や秩序を守った行動を取っていれば正しく作用するのだが、逆に周囲の人間が其の反対の悪質な行動を取ると、大変危険で有害なMentalität(志向、又は思考) になり得るのである。
又、幾人かの心理学者や社会学者やフィナンシャルプランナーの方々が述べられている事だが、知能の高い人や高学歴の人、そして「富裕層」の人には思考に於けるVielfältigkeit(多様性)があり、 Inprovisations fähigkeit(臨機応変の能力)にも秀でているのである。
逆に低能、低学歴や臆病者、そして「貧困層」の輩(やから)程、思考が短慮、低俗で、尚且つ「同調圧力」に屈し易い傾向があるそうである。
増してや世界中の人間が呆れる程、日本国内ではびこる「同調圧力」に対しては、余は武力(暴力)を行使してでも撃退したいと思うし、諺の「出る杭は打たれる」の如く、人を抑え込もうとする者は頭を殴り割ってやりたいし、又は「足を引っ張る」者は踏み潰してやりたいと思う程、激しい拒否感を感じるのである!

 

日本人の一般的なMentalität(志向、又は思考)では「世の中の人間が皆悉く「自分思考型人間」ばかりになっては、自分勝手な人間だけが横行して、社会が支離滅裂になってしまうのではないか?」と思えるかも知れない。
其れとは逆に、余は極端な「自分思考型人間」として、世の中の人間が誰も彼も似たり寄ったりでは、あたかもSF小説や映画に出て来るAndroidや Clone人間の様になってしまい、Individualität(個性)もEigenschaft(独自性)もInteresse(面白味)すら無い無味乾燥な世の中になってしまうと思えるのである。
諺の「人の振り見て我が振り直せ」の如く、特に優良な人物を「手本」として見習い、劣悪な人物を「反面教師」として見習う事は成程良き事ではある。
しかし、人間個人個人にとって自分の人生は、お釈迦様の御言葉「天上天下唯我独尊」の如く、此の世で唯一無二の存在なのである。
だからこそ単なる他人のCopyや模倣で終わるのではなく、Menschenwürde(人間の尊厳)の元素となるIndividualität(個性)、Identität(自分らしさ)そしてEigenschaft(独自性)も形成して保持する事も必要なのである。

あるÄsthetiker(美学者)や Kunsthistoriker(美術史家)は「どこにでもある様な絵や、誰にでも描ける様な絵には価値が無い。」と主張している。
即ち「非凡」又は「類稀」(たぐいまれ)な人物や物にこそ高い価値があるのである。
此れは芸術の分野のみならず、人間社会に於ける他の様々な分野でも同様の事が言える。
(例:人間では天才、秀才、美男、美女。 金属では貴金属。 石では宝石。 製品では限定生産品。)
日本人に多く見受けられるMentalität(志向、又は思考)の1つとして、(大多数の)他人と同じ物を持っている、ないしは同じ事をしていると安心する、と言うのがある。
しかしながら前述の美学上の理論、定義の上では、大多数の人々が持っている物や、行為は言い換えれば其れは平凡で有り触れていて価値が少ないと言う事になる。
更に手厳しい表現をするなら、其の様な価値の少ない物や行為で満足する人も同様に価値が少ないとも考えられるのである。

余も此の理論、定義にはKunstmaler(画家)になる事を決心した時から共感しているので、自分の作品は誰にも真似の出来ない、他の追随を許さない程の品質、内容でなければならないと心得て制作している。
そして平凡な画家では及ばない様な他の芸術分野、即ち文学、哲学、デザイン、建築、等の分野でも作品を制作して来ている。
 

余談として書くのだが、余は幼少の頃より他人(又は凡人)と同じ事をする(又は真似をする)事は凡下な行いであるとして軽蔑していたし、集団の中で群れる事も弱者の行いであるとして見下していた。
例えば余の少年時代の男子の髪型とは大抵、所謂「スポーツ刈り」か「毬栗(イガグリ)頭」であったが、余は1人だけかつてのイギリスのバンドグループ"Beatles"の様な髪形であった。(❖今では女の子の様な"Bob Hairstyle"。)

当時の男子が皆白いシャツを着ていても、余は1人だけ「服」であった。(❖此れは今でも変わらない。其れどころか下着までになっている。)
又、当時の男子が半ズボンだったのが、余は此れ又1人だけ長ズボンを履いていた。(❖ところが今では女物のShort Pantsを愛用している。)
其の他、高校生の頃から18KのNecklessとPendantを着用している。(❖今では自分の誕生石Saphirの付いたGold、White Gold、Platina製のPendantを12個も持っている。)

つい最近では新型コロナウィルスが大流行した2020年から現在に至るまで、(生理的に受け付けないので)マスクを全く着用していない。
其のくせ親しい者の家以外の場所に外出する時には、必ず手袋を着用して行く。(❖実は手足にのNail Colourをしているのを他人に見られたくないからである。)
此の様に一人だけ周囲と異なる髪形、服装をして、集団に属さない"Einzelgänger"(一匹狼)又は "Sonderling"(変わり者)であった。
にも拘らず余は家柄や財産、そして容姿の美しさに加えて、「お絵描き」と「暴力」だけは無類に長けていたので、苛めに遭う事は無かった。
普通の日本人が此れを読めば、「風変わりな人だ!」とか「社会に適応出来ないんじゃないの?」と思われるかも知れない。
其れでも余は自ら誇れる事として、少年時代から「自分を偽らない」、「望みと目的は必ず成し遂げる」、「弱い者を苛めない」、「意地汚い卑劣な事をしない」と言う項目(又は誓い)は今でも尚守り続けているのである。

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ドイツや其の他のキリスト教のヨーロッパ諸国では、1年で最大の祝祭は何と言っても 12月25日のChristmas(クリスマス:

ドイツ語では Weihnachten 、フランス語では Noël)である。 

一方日本では言うまでも無く、1月1日の「正月」である。 

両国の各祝日には各家庭や各事業所、其の他の施設で、日本では所謂「お飾り」、そしてドイツでは

”Weihnachtsdekoration”(クリスマスの飾り)が入口や窓辺に設置される。 

年末年始を通じて両方の文化を比較して、ふと思いついた事を書いて行く。 

先ずは題名の日本の「お飾り」の代表格として「門松」が挙げられる。 

門松の歴史を書くと、平安時代に唐の国から正月に、神が宿る新しい生命の象徴である松の枝を門に飾る風習が伝わったのが由来とと言われている。
又、当時の宮中で貴族が正月の日に外出して、松の木の枝を引き抜いて館に持ち帰って飾る所謂「小松引き」と言う遊びがあり、此れが「門松」へと進化したと推察される。

最初は松の枝を飾るだけであったが、鎌倉時代になって現在の様な竹が付け加えられた。
伝統的風習では此の門松やお飾りは神を家に招き入れる目印として新年毎に新調していた。 

日本では此の様に多くの物品や生活道具が何年か経年すると、処分して新しい物を作り直したり、買い換えたりするのが一般的傾向である。 

しかし今日では門松を何年も再利用する家庭も少なくないとの事である。

余も個人的には(ドイツ人的感覚で)折角職人が手で作った品物を僅か10日ないしは2週間程度の期間展示しただけで焼却するなど「勿体ない」と同時に作った職人の仕事を冒涜する様に思えるので、門松を何年も再利用する様にしている。 

其の際、門松(約65cm)を我が母上方の祖父が経営していた事業所で使っていた火鉢(恐らく美濃焼)の上に乗せるので高さが約82cm程になる。
而も此の火鉢には我が家の家紋の「笹」が描かれているので大変縁起が良い。

 

一方ドイツでは大抵の物品や生活道具は余程状態が悪い物以外は、Reparatur(修理)、Umgestaltung(改造)Verbesserung(改良)等を施して使い続けるのである。 

此れは”Weihnachtsfiguren”(クリスマスの置物)に関しても同様で、其の代表格格 ”Nußknacker”(くるみ割り人形) 、 “Kerzenhaus” od, “Lichthaus”(蠟燭の家、又は光の家)、  “Räuchermann” od, “Räuchermännchen”(タバコを吸う人)も同様に長い年月を通じて再利用している。 

極端な例を挙げると20世紀の初頭や19世紀後半頃の 

Weihnachtsfigur”を所蔵している博物館や個人もいる位である。 

Nußknacker”(くるみ割り人形)の発祥は18世紀の現在のドイツSachsen州のチェコとの国境に伸びるEerzgebirge(エルツ山脈)である。
此の地方では何か特産物を生産して地元の経済を豊かにする事を余儀無くされていた。
当時、此の地方のある村に裕福だが孤独な地主が住んでいた。
彼はクリスマスにクルミをより楽しく割って食べる方法を考えた人に報酬を出すと言う御触れを出した。
何人かの候補の中でPuppenschnitzer(人形職人)の素晴らしき案が採用された。
木製(Kiefer=松、Fichte=ドイツトウヒ、Buche=ブナ)の人形に背面にレバーを付け、此れを引き上げて口を開けて、そこにクルミを挟んで割る仕掛けを作り、人形の体は此の地方の民族衣装の様に複数の鮮やかな色を塗るのである。
其の後19世紀の前半に”Nußknacker” は ”Weihnachtsfigur”(クリスマスの置物)としてドイツ全土に広まり、様々なデザイン(例:König=王様、Ritter=騎士、Soldat=兵士、Bergmann=山国の住人、Förster=森の番人、等)が考案されて行った。

余が所蔵している ”Nußknacker”(H:35cm)はOtto Mertens Kunstgewerbeの工房で制作された物で、大学時代の1991年にドイツ現地でWeihnachtenが始まる時期に入手した。
其の後、余にとって幸運の象徴である※聖騎士"St.Roland"像として、自分好みに何か所も改造を施している。

(※聖騎士"St.Roland"像はかつてHanse商業同盟に属した都市のMarktplatz(市場)に市の守り神として建てられている。 例:Bremen、 Brandenburg/H、 Gardelegen、 Perlberg、Stendal、等)


   Heinrich Gustav:  Die Rolandsäule zu Stendal

例えば、兜の上の赤いFederaufsatz(羽飾り)は手芸店で購入した物を取り付け、兜のVisier(目の防具)は薄いプラスチックの板に塗料を塗って作成した。
Lanze(騎士の槍)とSchwert(刀)はドイツの ”Weihnachtsfigur”の専門店で購入した木製部品で作成し、Schild(盾)とSchulerblatt(肩の防具)とSpange(ベルトの留め金)の上のMärkischer Adler(ブランデンブルクの赤鷲)は塗料で描き上げた。
そして背中には赤い布でマントを取り付けた。
更に上腕部と膝のLederschmuck(革製の飾り)は使い古した靴の飾りを利用して作成した。

 

因みにドイツのOstpreußen出身の文学作家にして作曲家であったE.T.A.Hoffmann(1776~1822)の書いた小説 

"Nußknacker und Mausekönig"(くるみ割り人形とネズミの王様)は彼独特の愛らしいFantasie(幻想)が生き生きと描かれた名作である。
主人公の少女Marieの夢の中で、彼女のお気に入りのNußnackerがネズミの王様が率いる悪いネズミの集団と戦って一旦敗れてしまう。
Marieは知り合いのHandwerker(工芸品職人)のおじさんに、どうすればNußknackerが悪いネズミを退治出来るだろうかと相談すると、HandwerkerのおじさんはNußknackerの為に刀を作ってくれた。
家に帰ったMarieがNußknackerに刀を取り付けてやると、Nußknackerは見事に悪いネズミの集団を退治したのである。
更にMarieの夢の中でNußknackerはPuppenreich(人形の帝国)の王子様として現れ、御礼に彼女を自分の国に連れて行くのであった。

 

Kerzenhaus”又は “Lichthaus”は名前の如く、家を模った置物の中に火の付いた蝋燭ないしは三角錐型の線香を入れる。
日本でも御馴染みの瓢箪(ひょうたん)の中身を刳り貫いて、其の中に蝋燭を立てる所謂「瓢箪ランプ」と類似している。
大抵の“Kerzenhaus”又は“Lichthaus”は素焼きの陶器製で部分的にGlasur(釉薬)や顔料で着色されている。
此の“Kerzenhaus”又は “Lichthaus”はドイツ国内に存在する様々なBaustil(建築様式)を模っているので歴史的建築を研究している者には大変興味深い物がある。
余が所有しているのは北ドイツに多く見られるFachwerkhaus(木骨家屋)とBauerhaus mit Schilfdach(茅葺屋根の農家)である。
 

  “Räuchermann” 又は “Räuchermännchen”(タバコを吸う人)は大抵の場合木製で、其の体は上半身と下半身に分けられる。
下半身から上半身を取って、人形の腹の中に三角錐型の線香を入れる。
そして再び上半身を被せると、あたかも煙草を吸っている様に人形の口から煙が出て来るのである。
此の人形も様々な職業の人を模っているのが面白い。
余が所有しているのはKoch(料理人)である。
同様に日本文化で類似した例を挙げると、丁度「蚊やり器」と言った処であろう。

 

扨、以上の様に日本の「正月飾り」とドイツの ”Weihnachtsdekoration””(クリスマスの飾り)を主題にして、両国の文化を比較してみると、日本は"Renovierende Kultur(「一新」の文化)、ドイツはKonservierende Kultur(「保守」の文化)と表現する事が出来る。
両国の文化で其の他の例を挙げると、日本では家財道具が古くなったら廃棄処分して、改良した新しい物を作ったり、購入する事が主流である。
例えば住居や施設等の建造物でも大抵の場合30年ないしは50年経年すると、解体して新しい物を建てるのである。
故に日本では家財道具の「保証期限」が切れた物は、本体どころか其の部品の製造も終了するので、古い物を修理するのが容易ではない。
一方ドイツでは家財道具を安易に廃棄せず、親、祖父母ないしは其れ以前の先祖の代より手入れ、修理をしながら受け継いでいる。
同様に建造物の場合、100年以上前に建てられた物件を安易に解体したりせず、破損、老朽した部分のみ修理して、更に時代に適合した設備を追加する等して全体的に保持して行くのである。
故にドイツでは半世紀以上前から作られた物の部品でも製造したり修理する技術も残しているので、古い物を確実に保持出来るのである。
成程それぞれの文化には一長一短があるし、日本人には「日本式概念と方針」が常識として慣れているのかも知れないが、余は個人的には断然 "Deutsche Konzept u,Methode"(ドイツ式概念と方針)の方が好みに合うのである。
何故なら物事の価値を決めるのは、古いか新しいかではなく、有益か無益か、又は有意義か無意味かであると考えるからである。
即ち古より価値の有る物は守り続け、価値無き物は抹殺すれば良いのである。
「古い物」は何でも切り捨ててしまう等と言う考えは正に「愚の骨頂」であり、良き物、価値ある物はたとえ古くとも守り続け、後世の世まで残して行かねばならないのである!

 

日本では文化財と貴重品以外は大部分の古い物を壊して捨てるので、其の分だけ新しい物を大量に製造して販売する。
故に業者の儲けは多いが、其の反面無駄が多いし、ごみの処理に手間や費用が多くかかってしまう。
ドイツでは大抵は古い物でもReparatur(修理)、Pflege(手入れ)、Wiedergabe(再生)、Wiederverwendung(再利用)によって保持するので、新しい物を適当な量だけ製造して済ます。
故に業者の儲けは日本程ではないが、無駄が遥かに少ないし、

ごみの処理に掛かる手間や費用も遥かに少ないのである。
両国のKonzept(概念)とMethode(方針)を野球チームに喩えると、日本は得点力は高いが、失策や失点も多いチームである。
ドイツは得点力は日本程ではないが、失策や失点を最小限に抑えているチームである。
因みに大抵のプロ野球解説者は「野球の勝敗は6割以上が投手力(失点を抑える力)で決まる。」と言っている。
又、日本で複数のフィナンシャルプランナーが100人近くの「富裕層」(資産1億円以上)の人々に「資産を増やす為には、収入を増やす事と、無駄な出費を抑える事のどちらが効果的ですか?」と言う質問をした処、殆どの「富裕層」の人々が「無駄な出費を抑える事の方が大事だ。」と回答したそうである。
又、両国の政府の財政を比較しても、ドイツは1990年10月3日の"Deutsche Einheit"(国家統一)以来、旧・東ドイツを西ドイツ並みの社会水準にまで到達させる為に莫大な費用が掛かり、其れが国家の巨額な負債になっていたが、2010年までに此れを全て返済してしまっている。
其れに対し、今日の日本国政府や各地方自治体の抱える負債は天文学的な金額で、近い将来行き詰まり破綻するのではないかと危惧される程の状況である。

そして此の30年間、アメリカ経済は約2倍に発展、ヨーロッパの主要国(ドイツ、フランス、イギリス)も約1.5倍に発展しているが、他方で日本とイタリアだけが取り残された様に殆ど経済成長出来ず、税金、物価、エネルギー費のみが上昇している有様である。
詰まりこれ等の結果からも、"Deutsche Konzept u, Methode"(ドイツ式概念と方針)の方が合理的な正解であると言わざるを得ない。

 

新年の「縁起担ぎ」に因んで書くのだが、日本でも今だに存在が確認されていない神を信じたり、詐欺まがいの占い師の戯言を信じる、あたかもMentality(精神構造)が原始人並みの人がいる。
今日の様な「高度文明社会」に於いても尚、存在もしない「神」や、科学や医学等の学術的根拠の無い占いを信じる者がいるのには誠に呆れ返るしかない。
(大変高慢な表現になるが)この様な者共は「愚者」か「無能者」か「貧乏人」と相場は決まっている。
何故ならこう言った者共は自分に何一つ突出した「知恵」も「能力」も「財産」も無いから、自力を信じられず他力に依存するのである。
単なる「縁起担ぎ」の神頼みや、遊び半分の占い程度なら問題無いのだが、こんな他愛の無い物に毎回金銭までつぎ込む様になっては、人生観を誤っているとしか言い様がない。
一方、ドイツでは10世紀以来ずっとキリスト教一筋である。
そしてキリスト教はMonothaismus(一神教)の代表格であるし、当宗教の"Die Zehn Gebote" (十戒)の中の1つに「汝、唯一の神のみを信ずるべし」と言うのがある。
故に余程の事が無い限り、キリスト教以外の宗教に入信する事はあり得ないのである。(此の事は其の他のヨーロッパ諸国でも同様である。)
しかし、キリスト教以外には所謂 "Heroismus"(英雄崇拝)の思想は社会でも顕著に見受けられる。
其の証拠として、ドイツや其の他のヨーロッパ諸国では、日本や他のアジア諸国に比べて、英雄、天才、偉人、人傑の肖像画や彫像が大量に制作されて、美術館、博物館、城、公共施設、そして公園、市場、等に常設展示されている。

古の時代より「天才」「英雄」「偉人」「人傑」と言われた人は、自分の能力を信じて、高い目標、理想を持って、学習、努力を続ける事によって、自ら運を切り開いて大事を成し遂げたから、歴史に其の名前と業績を永遠に残せるのである!
即ち「自力」を信ずる者は、自分の人生に於いて自らが「神」(絶対的及び全能の存在)となれるのである!

凡人でも少なくとも自分の人生は自分自身で考え選択する、もしくは自分をよく知っている親しい人に相談する位の事をしなければ、「正しい人生」を歩めないのではなかろうか。

 

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