今昔聖職者の倫理観と「徳」への認識 | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

始まりから嘆かわしき事を書くのだが、今年の4月9日、我ら天台宗総本山・延暦寺の宿泊施設「延暦寺会館」副館長を務める40歳の僧侶が事もあろうに25歳の修行僧の顔を殴打して負傷させる傷害事件が起きている事が分かった。
延暦寺は此の副館長を当日から謹慎処分にし、「宗教界は元より各方面の皆様方、多くの信者の方々に謹んで深く御詫び申し上げます。」と陳謝の意を表明された。
延暦寺・総務部によると、此の者は当日、別の僧侶の指示で呼びに来た年下の修行僧に腹を立て、此の若い修行僧の顔を叩いて鼓膜が破る怪我を負わせたらしい。
此の者は「法要の途中で非常に多忙だったのでつい腹が立ってしまった。」と弁解したと言う。
御粗末な事に此の者は他にも、今年に入って他の僧侶を殴ったり、袈裟を破ったりする等の問題を起こしているらしい。
延暦寺は今回の事件に対応して対策委員会を設置し、此の者の懲戒処分を検討すると共に、今後の再発防止を心掛けると表明されている。
最近僧侶(特に不浄土真宗と真言宗)による不祥事、ないし犯罪が全国で多発する中で、余は我ら天台宗ではどうか僧侶による不祥事が起きませんようにと祈っていたが、此度の如き「延暦寺会館」副館長の地位にある僧が何ら落ち度の無い同宗派の後輩の修行僧に、感情的に暴行を加えた事件には、(在家ではあるが)総本山延暦寺から公認されて天台教団に属する者として、大変残念であると同時に慚愧の思いである!
此の者に「仏性」又は「理性」から生じる「自制心」が作用していれば、此の様な失態は起こさなかったであろう。
「天台宗憲章」及び「刑法」に基づく裁きを受け、心底反省してもらいたい。
(※小中学生の頃、陰湿、卑劣な事をした同級生や上級生に、一方的に殴る蹴る等の暴行を加え、通算5人に相当の怪我をさせた事のある余が此の様な事を書いても説得力が無いのだが・・・)

余の親友で我が家の菩提寺「祈祷山・成願寺」住職、甘露和尚から彼の修行時代の話を以前に聞いた処、延暦寺には若い修行僧が心身をだらけさせない様に、厳しく指導する恐い教官の僧侶がいるらしい。
丁度、軍隊の「鬼軍曹」、スポーツ界の「鬼コーチ」に相当する存在なのであろう。
だからと言って此の厳しい教官の僧侶は無慈悲に又は個人の感情やストレスによって、修行僧達を処罰したりいじめたりする事は決して無かったと言われている。
それどころか、悩んだり、行き詰ったりした修行僧には激励してくれたり、良く修行する僧には「お褒め」の言葉もくれていたらしい。
甘露和尚も最近の全国地方の僧侶による不祥事、犯罪(特に不浄土真宗と真言宗)については同じ仏門に仕え、世の中の人々を啓蒙教化する立場の僧侶として大変嘆かわしいと言われている。
又、最近の総本山でも僧侶本来の大義名分を忘れ、己の出世にばかり躍起になっている僧侶もいる事を指摘されている。

長野市・善光寺の天台宗側の貫主(82歳)が60代の女性職員に対し性的及び権力による嫌がらせや差別発言を繰り返した事を理由に、善光寺の信徒総代は6月25日に其の具体的内容を指摘して辞任を求める勧告書を手渡した。
しかし、これ等の行いについて(厚顔無恥にも)貫主自身は否定している。
此の勧告の2日前6月23日、天台宗25寺院の住職達で構成する一山も貫主に本堂への出仕を禁止する通告書を渡している。
宗教法学会の資料によると、呆れた事に此の貫主が2004年には女性問題や※自筆の書を高額で販売した問題等が週刊誌に掲載された。

(※余が今年の5月に謁見させて頂いた「滋賀院門跡」門主、大僧正・小林隆彰猊下が、余の今までの天台宗への功績、及び天台仏教の学識を讃えて、其の場で御書きになられた色紙を御与え下さったのとは大違いである!)

2009年に天台宗の一山代表者は此の貫主に対し、辞任や損害賠償の支払いを求めて長野地方裁判所に民事提訴したのだが、此の件は裁判所より却下された。
これ等数々の不祥事は貫主の地位から来る慢心、そして「仏心」と「倫理観」の欠如によって起きたと言える。
善光寺は飛鳥時代に開基されている長大な歴史を持ち、、信州及び周辺の中部地方に於いて最も重要な寺院だけに、此の貫主は恥を知って最後は潔く身を引くべきである!
(※天台宗務庁は2017年12月、此の破廉恥で非道徳なな貫主を呼び出し、御座主様が辞表を書かせ、貫主の地位を解任する事を申し渡された。)
此の不祥事は、寺格の高さと、著名度によって大々的に報道されているのだが、全国の一般人達の意見をウェブ上で読んで見ると、全国地方(特に不浄土真宗と真言宗)の末寺でも一部の「生臭坊主」「糞坊主」「発情坊主」等による、聖職者にあるまじき非行、不品行が日常茶飯事の如く行われている様である。
しかしながら、どんなにこれ等の振る舞いが「非道徳」と非難されても、法的には処罰の対象にならなければ、安易に止めさせる事も出来ないのであるから始末が悪い。

此度の総本山延暦寺に於ける暴行事件をマスコミに公表された事、更に此の破廉恥貫主の不祥事は、確かに我ら「天台教団」にとっては世間に対し痛切な慚愧の念に堪えない。
だからと言って全ての僧侶の人格が以前に比べて堕落している等と云う先入観だけは、一般の方々に決して抱いてもらいたくない!
一部の無学な者共の間では、かつて延暦寺の僧兵達による平安時代後期から室町時代にかけての横暴な振る舞いのみが知られている様だが、此の「僧兵」の大部分は延暦寺の寺領が拡大するに伴い、ここに侵入し窃盗、略奪等を働く悪党共から、寺領や僧侶を保護する目的で募集した所謂「仮免許の僧」だったので、正式な僧侶の様な学識や人徳を兼ね揃えてはいなかったのである。
此れをドイツの歴史に譬えれば丁度"Dreizigjähriger Krieg"(三十年戦争・1618~1648年)の時の Landsknecht (傭兵:報酬目当てのみで軍に参加しているので、忠誠心、士気、規律が低かった。)とよく似ている。

一方欧米各国でもアジア諸国同様に、余剰なまでの物質文明によって、精神文化が衰退する社会現象が著しい。
此れに伴いキリスト教諸国に於いても、聖職者の倫理観は堕落の傾向を表し、聖職者による収賄、信者の異性との禁じられた情事、未成年者への猥褻行為、等の犯罪が続発している。
そして、これ等のおぞましき事件に幻滅した民衆の「宗教離れ」は更に加速し、ヨーロッパ主要国の神を信じる割合はドイツで約17%、イギリスで約14%、フランスでは約12%と云う調査結果が出ている。
其の他、最近ではかの瀬戸内寂聴婆の巷での評判がすこぶる悪いのが目に付く。
マスコミが彼女が何か問題発言をした時にウェブニュースで報道すると、其のコメント欄に多数の国民から「出家前には夫と子供を捨てて不倫に走った色情狂。」「自分の罪を隠す為に出家した似非尼!」「言葉に説得力が無い。こんな奴を信じたり、慕ったりする者の気が知れない。」「出家の身でありながら酒池肉林の毎日。」「袈裟衣を着た煩悩の塊。」「こんな外道は死んで地獄行きは必定。」だと言った極めて厳しい批判が書き込まれている。

(正直、余も彼女がここまで手厳しく避難されている事には愕然とした。)
天台教団に属する者としては、極一部の破戒僧の御蔭で我が宗派や正当な僧侶方まで名誉や尊厳を毀損され、「同じ穴の狢」の如く誤解されるのは、迷惑千万たまった物では無い!
ドイツの諺"Unkraut vergeht nicht"(訳:「雑草は滅びず」、日本の諺「憎まれっ子世に憚る」に相当する。)の如く、こんな破廉恥婆に限って長くのさばるのだから此れも又始末が悪いと思う人もいるのではなかろうか?

歴史を研究していると、古の時代には現代人の感覚では及びもしない様な偉大なる高僧が、世の為人の為に御活躍され、其の尊き思想と浄行が後世まで伝えられている事を知らされる。


天台宗大僧正であり偉大なる天台学者である福田堯穎(ふくだぎょうえい)猊下(1867~1954年)も其の中の御一人で、余は昨年より猊下の著書『台學入門』(明治40年)、引き続き大著『天台学概論』(昭和29年)を毎朝仏壇の前で読んで、大事な個所をノートに書き取っている。
福田猊下の素晴らしく功徳に満ちた高潔な御考えと、驚くばかりの偉大な学識に大層な感銘を受けた余は、猊下の著書『傳教大師』(昭和10年)、『福田老師法話集』(昭和30年)を、古書店で更に購入し読んでいる処である。
これ等の中で猊下は幾度も『修養』を出家、在家共通の美徳として御提唱されている。
即ち、正しい教えを修め、高い人格を養うと云う事である。
余は既に2010年以来7年もの間、毎日天台仏教を(少しずつではあるが)勉強し、天台宗の僧侶の方々とも交流しているので、「教門」(理論)には其れなりの自信があったが、其の一方で「観門」(行)が全く出来ていない事を恥かしく思っていた。
しかし、福田猊下は「行とは仏事のみに限られず、世の中での『善行』も含まれる。此れは僧侶のみならず、在家の者にも出来る最も尊き行である。」と記されている。
此の御教えは余に大いなる希望を与え、大層勇気付けてくれたのである!
其の他、猊下の生きて来られた明治から昭和前期の時代精神や社会背景等も読み取る事が出来る。
因みに福田猊下の略歴を読んでみると、御生まれは江戸ではあるが、元来の御家柄は美濃国(岐阜県)の士族・篠崎家で、他県に移住した美濃国の士族と云う事で我が奥山家と共通している。
又、御誕生日が9月16日で、此れは我ら天台宗の開祖・最澄大師の太陽暦に換算した御誕生日9月15日(太陰暦では8月18日)と1日違いで、西洋占星術では『乙女座』と云う事で、余とも生まれ月と星座で同じなのである。
これ等の共通、類似点は余が福田猊下に更なる興味、関心を寄せる原因となったのである。


前記の「滋賀院門跡」門主、大僧正・小林隆彰猊下も「福田堯穎先生は大僧正としても、天台学者としても当時最高峰の御方やった。」と宣われている。
此の法話の中の教えに余の親友である成願寺住職・甘露和尚が以前話してくれた内様と共通、類似点が多々あったので、此れは是非とも甘露和尚にお薦めしようと、同じ本『福田老師法話集』を古書店にて購入し彼に届けておいた。
すると其の日に甘露和尚から御礼の電話があり、更に翌日わざわざ我が家まで御礼の品まで届けてくれたのである。
当時話し合った中での余の意見「最近では福田老師の様な学識、人徳共に優れた僧侶が少なくなっている。僧侶や教師の様に人を教え諭す者、そして国や地方の行政を担う政治家も、此の当時(明治~昭和初期)の頃の「」(功徳、人徳、道徳、美徳)を改めて認識する必要がある。」に甘露和尚も全くの同意であった。
又、昭和3年の御生まれの大僧正・小林隆彰猊下も「最近の坊主は勉強や自覚の足りん者が多くなっとる。世の中の為にもっとしゃんとせにゃあかん!」と宣われていた。

かつて我ら天台宗の開祖・最澄大師(767~822年)が「我、未だ弟子を罵倒する事、体罰与えし事一度も非ず。」と宣われたが如く、大師の伝記の中でも愛弟子達も全て其れを認めておられる事が記されている。
そして大師は天台宗で僧侶になる為に「圓教・密教・戒律・禅」を総合的に学ぶ「教門」、並びに厳しい「」を中心とする「観門」を12年間に亘り比叡山に籠って実践する事を義務付けられていたのである。
其の上、最澄大師は「国家の争乱を鎮め、安泰を守り、同朋(国民)を慈しみ、教え諭す事こそ、天台宗僧侶の務めである。」と宣われている。
此の様に本来の天台宗では多大な学習内容と厳しき修行があっても、決して同朋の人格や尊厳を毀損する事はあり得なかったのである。
天台宗の僧侶の方々には今一度原点に回帰して、常に開祖・最澄大師の尊き御教えと御人柄を認識して、世の為人の為に貢献して頂きたいのである!

扨、近頃になって個人の子育て、躾に於いてもよく取沙汰されている「体罰」と「暴力」の違いについて意見を述べる。
日本の学校教育の歴史を振り返って見ても、体罰(例:ゲンコツ、ビンタ、蹴り、水の溜まったバケツを持って廊下に立たせる)は明治時代から昭和の終わり頃までは、何か悪い事をした児童に対しては保護者からも、担任の教師からも、当然の「お仕置き」として日常普通に行われていた。
又、旧・日本軍でも上官が部下に対し体罰を与える事も、同様に日常茶飯事の如く行われていた。
一方、我が精神の故郷18世紀のPreußen王国でも、軍隊でも学校でもKörperliche Bestrafung(体罰)は当然の処置として行われていた。
特にPreußen王国の象徴である軍隊では、度々規律、秩序を乱す者、義務の遂行の出来ない者、軍の名誉、尊厳を汚した者は、上半身を裸にされ、同僚が二列に立つ間を歩かされ、同僚が一人ずつ木の棒で其の違反者を殴打するのであった。
此れは違反者に対する罰だけでなく、他の軍人へのWarnung(警告、戒め)としての効果もあった。
時代が変わってNazis政権時代(1933~45年)では、意外にも兵士に対する体罰は基本的に禁止されていた。
当時のドイツ軍(特にWaffen SS・武装親衛隊)が敵国の軍人のみならず、反抗的な民間人、ユダヤ人、共産主義者は年齢性別関係なく無差別且つ無慈悲に処刑ないしは虐殺していた事からすれば、味方に対しては理性的であったと言える。

体罰と暴力の根本的な違いとは、前者は正義や道理を教える為、又は間違った行いを正す為の「理性」を伴う処罰であり、後者は仏教で「三悪」と呼ばれる「瞋」(しん:恨みや憎しみのこもった怒り)を伴う非人道的行為である。
余は個人的に格闘技を身に着けている故、暴力を全面的に否定したりはしない。
寧ろ卑劣な悪人や犯罪者に対しては情け容赦無く(殺さない程度の)暴力制裁を加えるべきであると思っている。
余の経験では「暴力反対!」等とあからさまにほざいている者共は、心身共に脆弱な臆病者か偽善者であると相場が決まっている。
こんな輩に限って他人が悪い事をしていても咎める度胸も無く、他人が困っていても知らん振りをするのである。
自分に都合の良い事だけ主張して、都合の悪い事は全てひた隠しにして、他人の立場に立って考えられないのが弱い人間の性(さが)である。
以前の論文にも書き記している様に、此の世から悪を駆逐する為には何よりも先ず充実した「道徳教育」を学校、家庭に於いて普及させる事である。
とは言え腹立たしき事に、人間の中には道理や筋道を説いても解からない者や、自分の欲を満たす為には他人や社会に害を与える事を厭わない者もいる。
昔の時代に比べて今日の刑罰が軽くなっている事に付け込んだ、悪質、卑劣な犯罪が跡を絶たない。
其れ故にこんな腐れ外道共に対する(法的な)処罰だけでなく、人間社会に於ける「戒め、警告」としての体罰は必要ではないかと思えてならない。

最澄大師の著書『山家学生式』の中の「己の忘れ他を利するは慈悲の極み也。」と云う格言が今日に至るまで我ら天台宗では最重要の標語と定められている。
余も大師の御言葉の如く、私利私欲を忘れ世の為人の為に貢献出来る人物こそ、最も慈悲深いと同時に本当に強い人間であると確信している。

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