「愚政は天災よりも危ふし」及び原子力への批判と代用の水力発電技術について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

かの孔子の名言に「夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也」(弟子達よ、認識しておきなさい。酷い政冶は虎よりも恐ろしい。)とある。
現在の民主党の行政を見れば「愚政は天災よりも危ふし」と表現しざるを得ない。
題名から早々に過激な見出しになったが、ここ最近の当政党の無様な体たらくを見ていたら無理も無い。
例:

*国税を削り取って下層庶民の為に「子供手当て」・・・結局の所、全ての国民の納税負担が増加する。
*難儀をしている日本国民を後目に、在日朝鮮人に対する優遇・・・国民の不満、不信感の増長。
*「論より証拠」の如くここ2年間、参議院選挙といい、地方選挙といい当政党は連戦連敗ではないか!    

(民主党内閣に対しても国民の約78ないしは80%が不満を抱いている状況である。)
*とどの詰まりは当政党の中でも「内輪もめ」まで起きている始末である。
(兵法では、難攻不落の要塞でも内部から切り崩せば簡単に攻略出来ると言う。)
*そして今年の3月11日の「東日本大震災」以降の民主党政府の処置、対応の緩慢、不実、不手際、そして非合理と、「素人政治」のつたなさの実態が次々と露見しているのである。

事も有ろうに本日午前0時より、福島第一原子力発電所の事故で避難指示区域を「警戒区域」と指定した上、昨日までに該当区域に入れるのは1世帯に付き1人のみ、そしてバスで集団行動、滞在時間は2時間以内だの、挙句の果てには本日より此れに反した者は罰金刑に処すと云った、一方的且つ独善的な臨時条例を施行しているではないか!
此の現地の住民の意向や心情や人権までも蹂躙する理不尽な処置に対し憤りを感じる。
民主党政府の閣僚、議員達は果たして現地の被災者達の現在の境遇や心境が正しく理解出来ているのか、そして彼らに対する「慈悲」や「責任」をどれ程感じているのかと疑いたくなる有様である。
今回の原発事故について、余が色々な人々より意見を聞いた限りでも、殆どの人々が「あれは最初は天災による物だが、其の後は明らかに(民主党と東京電力による)人災だ。」と指摘しているのである。
(いつもながら右翼的な表現だが)「大日本帝国」時代なら、こんな無能な総理を初めとする閣僚は天皇陛下の御言葉一つで更迭され、厳重に処分されたのではないかと思われる。

此の事を比喩する歴史上の出来事として、アメリカのCivil War「南北戦争」(1861-65)の逸話にこう云うのがある。
「此の戦争の勝敗は南北両軍の司令官の軍服で一目瞭然だ。 北軍のGrant将軍の軍服はいつも汚れていたのに対し、南軍のLee将軍の軍服はいつも小奇麗だった。」
即ち北軍のGrant将軍は常に前線を自ら視察して、現場の状況を良く把握していた故、勝利者となり、逆に南軍のLee将軍はいつも司令部に留まって命令していただけなので敗北者となったと言う結末である。
此の逸話は現場の事情を的確に把握する事が、正確な処理をするのに如何に重要であるかを象徴しているのである。

ヨーロッパ最大の農業国フランスでは牛乳や野菜、果物を生産する農家の収入が生活費を下回る程減少して来ている事が現在最大の問題となっている。
此の深刻な事態に対し、フランス政府は2009年10月に「農業特別支援計画」を発表した。
此の内容とは農業従事者に対し、諸経費を一時的に国が補助して低金利で融資を行う支援である。
EU諸国の中でもフランスは雇用者の為に支払う社会保障費が特に高いのである。
一方、日本政府の農林水産業への評価及び支援は欧米諸国に比べてかなり低いのが事実である。
そこへ来て今回の大震災と原発事故、其の上風評被害によって、農業、漁業を営む人々は現在の生活を奪われ、そして未来の生活まで脅かされていると云う悲痛な現状は筆舌し難い物である。
政府と東京電力による此の大災害と事故に関する説明、指示、対応に対して、被災地の農水産業の従事者は納得するどころか、かえって怒りや不信や不満を顕にしている状況である。
果たして政府と東京電力がどこまでこの人達の為に補償、賠償が出来るのかが大変気掛かりである。

又、此の様な無能な民主党の閣僚の下で働かされている、自衛隊、警察、消防の職員達の苦労もたまった物ではない。
いくら彼らが懸命な努力によって救助、捜査活動、並びに復旧作業を遂行しようとしても、法案だの条例だの、前例の無い事だのと言って上層部から活動に制限をされるのでは、はかどる事もはかどらない、進む事も進まないのである。
今回の大災害は今までの常識を遥かに超える未曾有の出来事なのだから、対応や措置をする際にも下らない常識は捨ててかかるべきである。
第二次世界大戦末期の1944年9月に決行された連合軍の

"Market-Garden"作戦(ドイツ軍に阻止された)を描いた実録の映画"A Bridge too far"(遠すぎた橋・1977年作)の中に此の様な台詞がある。
「上官が間違った命令をする分だけ部下が大勢無駄に死ぬんだ。」

一方、海外でも民主党政府が現場の情報を「ひた隠し」にしていると云う様に受け止められ、同様に原子力発電所を多数保有する先進国の政治家、有識者、マスメディア等から痛烈な批判をされている現状である。
日本人の悪い気質としての「見栄っ張り」「対面を繕う」とか「臭い物には蓋」等はすでに「江戸幕府」の時代より存在したが、嘆かわしき事に今日でも政府によって受け継がれている。
本来受け継がなければならない良い「伝統」や「美徳」を廃れさせて、此の様な「悪習」を継続するとは何事であろうか!

又、余が「動物愛護者」として憤りを感じている事として、被災地の人間の救済と原発事故の収束を優先する余り、現地に取り残された動物の大部分を見殺しにしようとする行為がある。
福島県の調査によると、福島第一原子力発電所の事故で避難指示区域(原発の半径20キロ圏内)に牛約3000頭、豚約3万匹、鶏約60万羽が取り残された事が判った。
以前の記事「動物愛護の為に」で既に記したのだが、人間社会の中で人間と共存する動物の生涯は其の飼い主の人格や飼い方によって「天国」にも「地獄」にもなるのである。
故に飼い主は動物の「生命」に対して重大な「責任」がある事を自覚しなければならない。
人間であろうと動物であろうと同じ地球上で生活している「生き物」である事には何の違いも無い。
其れ故に人間は「利己主義」に奔走する事無く、人間同様に他の生き物の命や存在も慈しまなければならないのである!
そして我々人間が自然や他の動物達から多大な「恩恵」を受けている事、其れいて人間は其の文明維持の為に多くの自然や他の物達を犠牲にしている事も決して忘れてはいけないのである!



余は思うにそもそも原子力発電所自体、典型的な「人間の強欲と利己主義の産物」であり、『自然と人間の共存』と言う最も重大な摂理に反している物件なのである!
まして島国として水運に非常に恵まれ、其の反面度重なる海底火山プレートによって地震の起き易い日本ならば尚更の事、「水力発電」に重点を置き、原子力発電を出来る限り(場合によっては完全に)差し控えるべきであったのである。
そうしていればたとえ大震災が起こっても、原発事故などと言う「二次災害」は端から起きなかっただろう。(今更この様な能書を述べても「後の祭り」なのだが・・・・・)
余は工学の専門ではない故、素人としての意見しか述べられないが、現在最も一般的な水力発電が発電用水車を水力によって回転させる事で発電を行う仕組みならば、今後将来、海や大河で特に流れの強い場所に市町村単位で小規模な水力発電所を多数建設し、同時に原子力発電所を廃業させて行くと言う計画を進行させてはどうかと提案したい処である。
かつて日本は海水の流れによって巨大なタービン(水車)を回す事で発電する所謂『海洋発電』の理論に関して世界でも卓抜していた。
ところが巨額な費用がかかる事、海岸に権利を有する自治体や漁業組合等との調整の問題等でなかなか実践出来ていないのが現状である。

最初に水力発電所を多数建設するには成程、其れなりの費用がかかるかも知れないが、長期的な展望からは寧ろ水力発電の方が断然、経済的で安全で環境にも優しいのである。

何故なら将来、現在の日本の発電主力である火力発電のエネルギー源である石炭(日本は此の大部分を輸入に依存している)の値段が高騰すると、自ずから電気代も上がってしまう。

又、原子力発電所は維持管理費に毎年莫大な費用がかかり、どこかの原発が又しても爆発事故を起こそうが物なら、今回の福島の事故同様に収拾が付かなくなるであろう。

其の点、水力発電はエネルギー源の「水」は常に無料なので電気代も自ずから安価になる。

そして今日の深刻な環境汚染の原因となる二酸化炭素や放射能、等全く排出しない。

更に水力発電所の維持管理費も比較的安価に成るのであるから、良い事尽くめなのである!


因みに世界で最も『海洋発電』が発達しているのがノルウェーで、何と国全体の発電の約90%を占めているのである。
同じヨーロッパのイギリスでも、2003年頃から国家政策として推進され、今では国全体の発電の約30%を賄う程にまで成長している。
同じ島国が此の様に実践しているのだから、日本でも決して実現不可能な事では無いのである。
一方、内陸部では所謂『小水力発電』が長野県や高知県その他の山間部の一地方ですでに実用されているし、幾人かのエネルギー学専門家も『小水力発電』の未来に於ける有効性と必要性を提唱しているのである。
又、最近では火山国日本ならではの、温泉からの水蒸気による発電、所謂「温泉発電」が実用的な自然エネルギーによる方法(水力発電の一種)として有力視されている。
因みに日本で最初の水力発電は、明治21年(1888年)に宮城紡績会社で自家用水力発電が設けられた物である。
特に人類史上最大の惨劇「第二次世界大戦」を生き抜いた我が親父殿(元帝国陸軍小尉)や我が恩師の浜田先生、日下先生、等の世代は、原爆を投下されて壊滅した広島、長崎の市民の長きに渡る苦難を初めから今日まで見続けているだけに、原子力発電所の建設に対して事の他厳しく批判、反対していたのである。

又、我がドイツの親友でGrüne Partei(緑の党)で元Berlin都議会議員兼、Wedding区文化局長だったR.Sauter氏も30年以上に渡って同様に原子力発電所の建設に対して反論を投じ、如いては"Zusammenleben zwischen Natur und Menschen"『自然と人間の共存』及び "Umweltschutz"『環境保護』を訴え続けて来たのである。
今回の日本に於ける深刻な原発事故が呼応して、3月26、27日に我が地元でもある首都Berlinに於いてAnti-Atomkraft-Demonstration (原子力反対運動)が全ドイツから集まった約250.000人(内約120.000人はBerlinより)によって大規模に行なわれたのであった。
更には彼の生まれ故郷の南西ドイツ Baden-Württemberg州では彼のGrüne Partei(緑の党)が大躍進し、其の結果、戦後58年間続いたCDU(キリスト教民主連盟)とFDP(ドイツ自民党)の連立政権がSPD(ドイツ社民党)と Grüne Partei(緑の党)の連立政権に交代したのである。
同様に西の州Rheinland-Pfalzでも同様の政権交代が起きたのである。
此れに呼応してドイツ政府は2022年までに国内の全ての原発を廃止する事を盛り込んだ新たなエネルギー法案を閣議決定した。
此の後6月6日、同国政府は今後の原子力政策を含む新たなエネルギー政策について議論し、国内17基の原発の内、運転を一時停止している原子炉8基は廃炉にし、残り9基も2022年までに全てを廃止する事を決定した。
又、国内総発電量の22%を占める原子力に替わるエネルギーとして、石炭やガスによる発電を増やす他、自然エネルギーの割合を現在の17%から2020年までに35%に引き上げる事にした。

此の動向を見ただけでも、各先進国に於いて原子力に対する今後の見通しが如何に真剣かつ重大であるかが判る。
誠に「人間を中心とした世の中」はもういい加減に終わりを告げるべきであると考える。
そうではなくて『地球を中心とした世の中』にするべきなのである!

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(6月30日追伸):東京・永田町の官邸周辺で行われている原発再稼働に対する抗議活動の参加者が急増している。 警視庁等によると、抗議活動が始まった今年3月には数百人程度だったが其の数は次第に増加し、政府が大飯原発再稼働を決定する6月15日には主催者発表で約1万1000人が集結した。
同月16日に再稼働が正式決定した後の22日には主催者発表で4万5000人にまで膨らんだ。
そして遂に昨日28日、其の抗議活動への参加者の数は何と約20万人にまで達し、警備に当たった警察でも収拾が付かなくなった程であった。
所謂「群集心理」とはおかしな物で、本来自分の考えを持たない単純な庶民達が、何らかの宣伝媒体等によって扇動され、集団を形成して行動に出ると言った、云わば滑稽なまでの社会現象なのであるが、今回の「原発再稼働反対運動」に関しては、誠に多くの国民の切実な意思や願望が感じられる。