100m走への我が思い出、そして我が心の2つの大きな支え | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

2週間前に誕生日を迎えて、余は今9月も引き続きウェイトトレーニングを続けているのだが、毎週真中の※水曜日(※因みにドイツ語で水曜日=MittwochとはMitte der Wocheの短縮で「週の真ん中」の意味)にはトレーニング場である我がボロ別荘の前の狭い道を50m往復する事で、100m走の練習をしている。

何故なら余は小学校の頃より短距離走には絶対的な自信があったから、其の能力を保持したいからである。

毎年運動会の時には200mリレーで2人も3人も追い抜いて先頭でゴールインするのを大変心地良く感じていた。 

其れでも走る直前には胸が高鳴っていた事を今でも鮮明に覚えている。

高校時代には全校生徒約1100人の中でも余は一番走るのが速かった様である。

3年生の時の体育祭の時、予選では他を突き放しての1位だったので、「此れで俺の優勝は間違いないぞ。」とタカを括っていた。

ところが其の慢心から当時サイズが大き目の運動靴を履いて出た為、いざ決勝でスタートした途端に靴が半分脱げてしまい、先頭グループから5m位遅れてしまった。

其れでも、足が再び靴に収まったので、其のまま追い上げ、胴体1.5個程度の差で3位となってしまった。

靴が脱げなければ間違い無く余裕で優勝出来ていたであろうし、もしくはもう1m走っていたら確実に全員追い越しただろうにと思えた。

高校の体育祭の結果等、成人すれば愚にも付かない事かも知れないが、短距離走には絶対的な自信がある余としては今でも悔いの残る思い出である。

其の苦い経験以来、余は短距離走には必ず足にぴったり合ったランニングシューズを履く様にしている。

 

其の後25歳頃になって、我が家から100m程の近所に住む家族ぐるみで親しい歳森さん(1922年生まれ)に余が走る時のフォームを見てもらった。

と言うのは歳森さんは第二次世界大戦直前に※東京工科大学で学ばれていた時、陸上競技部に所属されて短距離走(100m+200m)も走られ、其の上当時のみ行われていた競技「手榴弾投げ」にも参加されていた事を当時の写真と共に語ってくれたのである。

(※同校で「工学博士号」を取得されている)

余が自分が高校時代の100m走の最高記録が12秒00であったと言うと、歳森さんは「実秋ちゃん、そりゃ女の子の記録だぞ。」「わしが大学生時代には100mを10秒台半ばで走ってたぞ。」とあっさり言われて、一気に落胆してしまった。

そこで歳森さんに「では、どうすればもっと速く走れる様になれるでしょうか?」と尋ねると、「ちょっと(家の)前の道を走ってみろよ。」と言われたので、余が30m程走るのを見てもらった。

すると歳森さんは「実秋ちゃん、其れは素人の走り方だぞ。」と言われてしまった。

余は愕然として「ではプロの走り方とはどんな物ですか?」と尋ねると、「君は走る時に踵から着地してるだろ。 そうじゃなくて爪先から着地するんだ。」「地面に足を着ける時間が長い程、タイム(記録)が落ちるんだよ。」「其れからもう少し腕を振った方が良いぞ。」と教えてくれた。

又、歳森さんは「100m走を10秒代で走るのには、練習だけではなく天性の才能がいるぞ。」とも言われていた。

其れ以来これ等の歳森さんからの助言を参考に余は我がボロ別荘の前の狭い道で100m走の練習を今でも続けている。

そして其の結果、余は20代後半になって初めて100mを最高記録10秒5で走れる程、飛躍的に成績を上げる事が出来たのである!

此の事を歳森さんに報告すると、いつも彼は辛口評価なのに「そりゃ大した者だ。」と褒めて下さったので、余はとても嬉しかった。

高校生(16歳)以来のウェイトトレーニングと自転車(スポーツ車)での走行(12km×週5回)を続ける事で、脚力が次第に向上しているのが一番の理由であろうが、更に走り方のコツと適切な靴を履く事でこうも100m走の成績が格段に上がるのだろうかと我ながら驚いている。

歳森さんも既に御他界して10年以上になるが、今でも彼の貴重な指導には感謝している。

 

短距離走は一見すると足だけで走っている様見受けられるが、実際は全身の筋力で走っているのである。

其れが証拠に「オリンピック」や「世界陸上」に参加している短距離ランナーの体は下半身だけでなく上半身の筋肉もしっかりと発達しているのである。

余も強力な上半身の筋力も利用する事で100m走のタイムを上げる事が出来ているのである。

本来、余が一番重点を置いているスポーツ種目はウェイトトレーニングと打撃型格闘技(例:キックボクシング、空手)なので、余の筋力は短距離ランナーとしては強過ぎるのと、体格(スリーサイズはB:105、W:68、H:93(cm)、身長:173cm、上腕周り:37cm)も筋肉が着き過ぎなのである。

(更に詳しくは同ブログの記事「久方振りにウェイトトレーニングに復帰した事, 及び我が容姿について」)参照)

そこで余は100mないしは200mを走る時はウェイトトレーニングの時の様に100%の力を出すのではなく、約75%位の力で走る様にしている。

何故なら走る時に力み過ぎるとスピードが落ちるからである。

此れを自動車のギアに譬えるならば、出だしに使う「ローギア」は力が最大だがスピードが出ない。

其れに対し高速で走る時に使う「トップギア」はローギア程の力は出ないのと似ている。

上記の通り「100m走は約75%位の力で走るべし。」と頭で言い聞かせていても、つい心で「速く走らなければならない!」と言うZwangvorstellung(強迫観念)が作用して、今でもつい力んで走ってしまう事が時々ある。

 

「100m走」とはただ走るだけなら幼児でも出来る事である。

しかし極めて短い時間内に走り抜く事は決して容易な事ではない。

可能な限りタイムを縮めるには一挙一足の失敗も許されない、言わば始めから最後まで完璧を求められるスポーツなのである。

其の為には繊細な心配りが必要とされるのだが、其れでも余り神経質になり過ぎると、精神的に緊張し過ぎて実力が出せなくなる。

故に余は100mを走る時には心の中で「」「」「」と言う漢字を思い描く様にしている。

即ち「心を軽やかに、安らかに、そして楽しい気持ちで走る。」と言う事である。

此れが余の100m走の為の秘訣である。

因みに1943年ギリシャ生まれの音楽家Vangelis が1981年のイギリス映画“Chariots of Fire”で音楽を担当し、Academy賞を授与されている。

此の映画は1924年のParis Olympicに於いて2人のイギリス出身のランナーが金メダルを取った実録の物語である。

此れ以降、Vangelisの此の作品は世界中でCDが発売されたり、テレビ番組のBGMとして度々利用されている。

余も本来はKlassik音楽(ドイツ、オーストリアの作曲家中心)しか聞かないのだが、Vangelisの音楽だけは、此の“Chariot of Fire”の音楽に自らが短距離ランナーとして魅せられて以来、CD10枚で彼の作品を所蔵している。

此のVangelisの映画音楽を走る直前まで思い出すのも心を「軽」「安」「楽」の境地に持ち込む方法にしているし、同時に走る際に大層Motivation(意気込み)を上げてくれる効果もある。

 

本来ならば自転車競技や短距離走をするなら、体に密着したスポーツウェアーを身に着ける処なのだが、余があくまで重点を置いているスポーツ種目はウェイトトレーニングと打撃型格闘技なので、これ等のトレーニングには普段着で十分だと思っているので、ワイシャツと長ズボンとランニングシューズを身に着けた井出達で自転車で走り、100m走の練習をしている。

とは言え速度を競う競技では物理学的に考えても、出来るだけ体の「空気抵抗」を少なくする方が良い結果が出るのは自明の理である。

扨、9月の半ばになると余が自転車で走ってボロ別荘でウェイトトレーニングを始める午後6時頃には流石に日が沈みかかっている。

そして今週の火曜日に突然以下の事を思い付いた。

「もし服を着ずに短い水着とランニングシューズを身に着けた殆ど裸の状態で走ったら、「空気抵抗」がかなり軽減されてより短いタイムで走れるのではないか?」

3月初めから其れまでは日照時間が長いので、屋外では普段着を着て走っている。

何故なら短距離走専用のスポーツウェアーを身に着けて走るのも仰々しいし、殆ど裸の状態で走ったら、其れを見た人にキチガイか変質者と勘違いされかねないからである。

しかし日が暮れてからなら人目にも付かないし、此の思い付きを実験してみる良い機会だと思い、いざ短い水着とランニングシューズを身に着けた殆ど裸の状態で50mを走ってみた。

何と自分でも面白い程にスピードが出たのである!

やはり余の思った通り明らかに「空気抵抗」が軽減されていた。

次の日にはいつも通り50m往復する事で100mを走ってみたが、やはり昨日同様に面白い程スピードが出たのである!

此れならば最早初老の歳にもなっても、新記録が出せるのではないかと思える程である。

 

100m走に於いて此の様な素晴らしき結果が出せた原因として、自己分析してみると前記の「物理的要因」と並んで、「心理的要因」も大きく作用しているのではないかと思われるのである。

其れは他の記事にも書いている事だが、余はどうしようもない 

”Narzisst”(自惚れ屋)で、自分の彫の深い端正な美人顔や長年ウェイトトレーニングで鍛え上げた超筋肉質の裸体に毎日見惚ているのである。

おまけに余は幼少の頃より「」と云う色に異常な愛着があって、少年時代よりい服ばかり着ているだけでなく、家の外装、室内の調度品、生活道具、乗り物に至るまで全てないしは系の色で揃えている有様である。

故にウェイトトレーニングもい短い水着といリストバンドだけを着用して行っている次第である。

詰まり自分が最も愛着のある慣れた井出達で行った事で、服を着ている時よりBefreiendes Gefühl(開放感)やNarzißtische Lust(自己愛的快感)がより高まった事でいつも以上に良好な精神状態で走れたのである。

心理学の研究でも人間は何か行動する時、自分が最も愛着のある慣れた条件や環境で実行すれば最高の成果を出せる事が証明されている。

そういう意味では”Narzißmus”(自己愛、自惚れ)と「」と云う色が余にとっては人生に於ける我が心の2つの大きな支えなのである。

もし自分が美しい容姿に恵まれていなかったら、もし此の世に「」と云う色が存在しなかったら、もしくは「色盲」でが識別出来なかったら、たとえ何不自由無く生きられる「富裕層」の家に生まれていても、恐らく余は生きる気力すら失っていただろうと思えるのである。

人間は誰しも自分の人生に於いて何らかのGeistige Unterstützung心の支え)を持つ必要がある。

其れがあるのと無いのでは人生の幸福や成功に於いて格段の差が生まれのではないかと、今回の経験でも改めて思えるのである。

 

医学的調査では人間の下半身の衰えは上半身の衰えより2.5~3倍早いと云う統計が出ている。

其れに対し余は全く衰える事も無く(最高に体力の充実した)30代頃の体力を維持しているのである。

其の証拠に100m走だけでなく自転車で(片道)6kmの道程を相変わらず約15分で走り抜くし、ウェイトトレーニングでも30代頃と全く同じMenu(種目)と重量と回数をこなしているし、40代になって寧ろMenu(種目)を増やしている位である。

とは言え人間は誰しも「初老」にもなれば、どこかは衰える者である。

余の場合は「筋力」が充実している反面、歯に関しては大部分が虫歯や歯槽膿漏になって、其の都度近所の掛かり付けの歯医者さんに治療してもらっている。 

(此れは絵の制作の時間の為、歯の手入れを怠った余の自己責任である。)                     

因みに健全な歯の多い人程、寿命も長いと云う統計が出ている。

又、最近では本業の絵を描く時の「集中力」も著しく落ちている。

ウェイトトレーニングは1日に3時間なので今でも十分に集中出来るのだが、以前の様に1日に10~12時間も絵を描き続ける事が出来ていない。

今まで十分過ぎる位大量に絵を描いて(油彩画だけで828点)、ドイツと日本で通算20回も(公共事業としての)個展を開催し、両国の偉大な歴史のある文化価値の高い美術館、博物館、教会、寺院に大量の作品(約360点)を寄贈して来た事(同ブログのプロフィール参照)からのBefriedigenheit(満足感)、Erfühllungs Gefühl(達成感)が十分過ぎる位ある事、そして最近、家事、雑用が増えたのも其の原因なのだが、これ等が一段落してから絵の制作時間は少しづつではあるが増やせている様である。

我が母上は「今まで沢山描いて来たんだし、今は以前みたいに個展を開く訳でもないんだから、そんなに急いだり無理をして描かなくても良いのに。」と言ってくれる事には有り難く思っている。

 

(此れで前記の我が心の2つの大きな支え以外にも余の大好きな貴族出身の「爆乳美人」を我が正室に迎え、モデルにもなってくれれば、一層Mut in Arbeit(制作意欲)もLebenslust(生きる喜び)も高めてくれるのだが・・・・・)

 

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