シリーズ記事

 

‐近くて遠い国 朝鮮 序章編‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編1(その歴史と38度線)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編2(国名の由来とその民)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編3(ハングルや言語)‐

 

 

・半島の位置と境界

 

 

時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会より

 

経緯度による朝鮮の位置は、東経一二四度一一分から一三〇度五六二三秒(竹島を除く)、北緯三三度六分四〇秒から四三度〇分三六秒のあいだにある。朝鮮半島の北辺は白頭山の山岳地帯ならびに鴨緑江と豆満江を境として中国の東北地方とソ連の沿海州に接している。中国との国境は約一三〇〇キロメートル、ソ連との国境は約一六・五キロメートルである。西は黄海(朝鮮では西海と呼ぶ)をはさんで中国に対し、東は日本海(同上、東海)をへだてて日本と接している。南は朝鮮海峡(韓国では大韓海峡と呼ぶ)を境にして日本の九州に対している。日本と朝鮮半島の最短距離は朝鮮海峡のもっとも狭い個所で二〇六キロメートルである。

 

『同』 13頁より

 

 

『隠岐諸島<島根県>』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E5%B2%90%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 

隠岐島の西北約一五九キロメートル、鬱陵島の東南方約九二キロメートルの海上に浮かぶ竹島(約〇・二三平方キロメートル)を日本ではこゆうの領土とみなしているが、韓国も朝鮮民主主義人民共和国もこれを「独島」と呼び、朝鮮固有の領土だとしている。一九六五年日韓会談妥結にあたって同島の帰属をめぐる争いは決着せず、事実上タナ上げされた。

 

『同』 14頁より

 

※『日韓会談』関連

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その1(畑田重夫氏のコラムより)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その2(朝鮮戦争時の日本国内の動き)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その3(遅れすぎた朝鮮との接触)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その4(日米安保闘争と日韓会談の関係)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その5(日米韓の「結束」の真実)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その6(「朝鮮半島有事」に関する介入論)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その7(韓国軍事クーデター後の北東アジア)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その8(「目標達成」に向け奔走する日米)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その9(『日韓会談反対』を中心とした動き)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その10(もつれるリベラル運動)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その11(日本共産党の決意)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その12(日韓会談粉砕、在日米軍撤退など)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その13(繰り広げられた集会やデモ)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その14(決定力なき今昔リベラル)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その15(ようやく立った団結の出発点)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その16(日本史上最大の反米デモ)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その17(最高度に盛り上がる運動)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その18(ポラリス寄港問題と韓国の内紛)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その19(運動のオワコン化 その弱点とは)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その20(アンチ米軍運動の再開)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その21(日本の政治運動の問題点)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その22(人々の「啓蒙意識」について)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その23(日本人の政治離れとアジア軽視)‐

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 最終回(反対闘争の意味と成果)‐

 

 

・朝鮮の面積と海岸

 

 

 『西海(黄海)と東海(日本海)の詳細』 同頁より

 

総面積約二二万平方キロメートルのうち、南半部の面積は一〇万平方キロメートル弱である。これは日本の北海道と四国を合わせた面積よりやや広い。北半部の面積は北海道と九州を合わせたものよりわずかに広い。

 

朝鮮半島の南北の最長部の長さは約一〇〇〇キロメートル、東西間の最狭部の幅は約二一六キロメートルである。

 

半島の海岸線の長さは(島を除く)は、東海岸約一七二九キロメートル、南海岸約二二四四きろめーとる、西海岸約四七一八キロメートル、総延長は約八六九三キロメートルに達する(『韓国年間』)。面積にくらべこれほど長い海岸線を有する国はめずらしい。

 

『同』 14~15頁より

 

 

 

『朝鮮の海』 同15頁より

 

東海岸は海岸線が単調で島の数もすくない。隆起海岸になっているため水深が急に深くなり、海水の干満の差は五〇センチメートル未満でほとんど感じられないほどすくない。海岸には砂丘、砂州、潟湖の分布が多く、いたるところに海岸段丘の発達がみられる。港には、東朝鮮湾、迎日湾、朝鮮湾、鏡城湾、城津湾などがあり、港には、雄基、羅津、清津、金策、新補、退潮、興南、元山、浦項などの良港がある。

 

西海岸は非常に入り組んだ海岸線と島嶼に恵まれている。干満の潮差がきわめて大きく、最高一〇メートル近くに達して世界第二位とされている。海岸には広い干潟地がひろがっている。湾港には、西朝鮮湾、広梁湾、大同湾、海州湾、江華湾、浅水湾、木浦湾などがあり、南浦、海州、仁川、群山、木浦の良港がある。

 

南海岸には、多島海を擁し、海岸線がもっとも複雑で、済州島(一八五九平方キロメートル)、巨済島(三七六平方キロメートル)、珍島(三三四平方キロメートル)、南海島(二九八平方キロメートル)など大小二二〇〇の島がある。深さ、干満の差は西海岸と東海岸の中間程度。鎮海湾、光陽湾、順天湾、宝城湾、康津湾などの良港な湾と、釜山、馬山、麗水などの大きな港がある。

 

『同』 15~16頁より

 

・本土の地形

 

 

『朝鮮のおもな山岳』 同17頁より

 

 

『朝鮮のおもな河川』 同18頁より

 

国土の七五パーセントが山地だが、その六五パーセントは標高五〇〇メートル以下で、大部分は低い山や丘陵地からなる。一五〇〇メートル以上の山地は国土総面積の四・四パーセントにすぎず、その大部分は北部と東部に位置している。

 

朝鮮の山脈は中国との国境にそびえる白頭山(二七四四メートル)からはじまって、その主脈は北部と東部海岸に沿って走り、ここから分かれた多くの支脈がだんだん高度を低くしながら西海岸と南海岸方面へ走っている。

 

白頭山の南には朝鮮でもっとも高く広大な蓋馬高原と白馬高原がある。半島の背骨をなす太白山脈は元山付近からはじまり東海岸に沿ってはしっている。

 

平野は国土の二五パーセントにすぎず、おもに西海岸と南海岸の河川流域および海岸地帯にひらけている。東海岸には大きな平野がない。もっとも大きい平野は湖南平野、載寧平野、嶺南平野、平壌準平原などで、それぞれ五〇〇平方キロメートル程度である。河川は幅が狭く、さして深くなく、長さが短いが、多くの支流をもっている。湖沼は天然湖がすくなく、その面積も狭いが、北朝鮮では人口湖が数多くつくられ、その数と規模は天然湖のそれをはるかにしのいでいる。

 

『同』 16~17頁より

 

 

・朝鮮半島の気候について

 

 

『北朝鮮のおもな湖沼』 同19頁より

 

朝鮮は北湿帯のアジア大陸東海岸季節風気候区に属している。大陸性気候の影響をより多く受けるため、冬は比較的寒く,大気は乾燥するが、夏は湿気を多く帯びた海洋性気候の影響を受けてむし暑く曇天が多い。南と北、東海岸と西海岸、山地と平地のあいだにそれぞれいちじるしい差異がある。年平均温度は、北部山地帯で摂氏三・五度~六度、中部で一〇~一二度、南部で一二~一五度である。一月の平均気温は北部内陸地方では零下二一度以下となるが、南部海岸地帯では二度にとどまっている。冬は三寒四温の現象が起こる。

 

降雨量はすこぶる豊かで、年平均降雨量は一〇〇〇ミリメートルに達する。降雨量は南が多く、北が比較的すくない。雨期は六月にはじまって八月に終わり、この期間に年間総降雨量の半分が集中している。

 

『同』 18~19頁より

 

※三寒四温(さんかんしおん)

 

冬季、三日間ぐらい寒い日が続き次の四日間ぐらいが暖かく、これがくりかえされること。

 

 

・南北の行政区分

 

 

『南北朝鮮の行政区画』 同20頁より

 

‐近くて遠い国 朝鮮 序章編‐

 

こちらの続きとなります。

 

現在、韓国には行政的には一つの特別市(ソウル)と一つの政府直轄市(釜山)および九つの道(京畿道、江原道、忠清北道、忠清南道、全羅北道、全羅南道、慶尚北道、慶尚南道、済州道)に分かれている。

 

朝鮮民主主義人民共和国は同じく、四つの直轄市(平壌、開城、咸興、清津)および九つの道(平安南道、平安北道、慈江道、黄海南道、黄海北道、江原道、咸鏡北道、咸興南道、両江道)に分かれている。

 

これらのうち、江原道は軍事境界線によって分断され、南北双方に半分ずつ属している。南の済州道と北の慈江道、両江道はいずれも韓国と朝鮮民主主義人民共和国の発足にともなって新設され、また、このとき従来の黄海道は黄海南道、黄海北道に分けられた。

 

朝鮮の道は日本の県に相当する。高麗王朝末期から約五〇〇年にわたって八道(咸興、平安、黄海、京畿、江原、忠清、全羅、慶尚)に区画されていたが、一八九六(明治二九)年に地域の広い咸興、平安、黄海、全羅、慶尚の五道がそれぞれ南北に分けられ、全体で一三道に改められ、日本の統治下でもそのままだった。

 

『同』 19~21頁より

 

今回は、かなりお勉強チックで地味な内容になりましたが、次回は北朝鮮の「地下資源」についてお話していこうと思います。

 

 

<参考資料>

 

・時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会

 

 

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