前回の記事

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編1(その歴史と38度線)‐

 

 

 

『南北朝鮮』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/

 

 

・『朝鮮』と『韓』それぞれの「意味」

 

 

http://freesozai.jp/itemList.php?category=nation_flag&page=ntf_125&type=sozai

 

大韓民国(英文でRepublic of Korea)の国名は、李王朝末期の朝鮮が、一八九七(明治三〇)年に新たに名乗った大韓帝国の国名を継承したものである。

 

時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会 7頁より

 

 

大韓帝国 国旗 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD

 

李王朝は一八九五年、清国の羈絆を脱して独立国となったことを宣言し、これにともない、その翌々年から新国名を用いた。

 

『同』 同頁より

 

 

http://freesozai.jp/itemList.php?category=nation_flag&page=ntf_128&type=sozai

 

朝鮮民主主義人民共和国(英文でDemocratic People’s Republic of Korea)の国名は、古くからの朝鮮(チョソン)の国名に由来している。朝鮮の名はすでに紀元前七世紀ごろには中国の文献に現れており、かなり古くから使われていたと推定されている。学説によると、「チョソン」とは、この国の古語で、「初」という意味の語と「黎明」という意味の語の二つを合わせて、「土地が東方にあって、夜が明けると真っ先に太陽が照らす場所」を表現したもので、その後漢字がはいってきたとき、音声が同じで「朝」と「鮮」の文字をあてるようになったものだという。

 

『同』 8頁より

 

-「朝鮮」の由来-

 

以前、こちらの方でも書きましたが、中国の『史記』や『山海経』などからも、いわゆる「東方日出の地(東の日いずる処)」として、箕子や衛満の国号として使われ、古来は朝鮮半島北西部~満州南部(遼東半島ふくむ)の全域を表すことばとして、また檀君(タングン)の神話にも出てきた。それが、時代を降っていくごとに、半島部分に集約されていった形です。

 

韓国の韓(ハン)も、朝鮮の古い別名である。学者によれば、そのむかし朝鮮半島の南部には小国が数多く散在し、その小国の長のことを古語で「ハン」と呼んだ。やがてその国ぐにを「何々ハン」と呼ぶようになり、その後漢字がはいってきて「韓」の字をあてた。ついで「韓」は朝鮮南部の総称となり、いつしか朝鮮全体をさすようになったのだといわれている。

 

ヨーロッパ語で朝鮮のことをKorea(英)、Corée(英)、Korea(独)、Koreya(露)と呼ぶのは、高句麗あるいは高麗の国名がなまったものだというのが定説になっている。

 

『同』 同頁より

 

なお、古代三国の「新羅」(しんら・しらぎ)の名は、ひろく流伝して朝鮮の呼称になり「Solko,Silla」などと呼ばれ、雅称として「ケイ林」(卵生神話にもとづく)も用いられたものもあり、先に触れた高句麗(高麗)や、王氏が築いた高麗王朝の系統には最もひろくゆきわたった「Korea,Corée」など含めると、名称は実にゆたかです。

 

まとめますと、現在において『朝鮮』『韓』「半島全域を指す言葉」として理解できることです。

 

 

・朝鮮の雅称(がしょう)

 

高麗という呼び名は、高麗青磁、高麗人参の例にみるように、いまも朝鮮の一種の雅号のように使われている。国花とされてきた木槿(むくげ)にちなむ「槿域」アジアの東方に位する意味の「東国」「大東」「海東」「青丘」「震域」山河の美しさを誇った「三千里江山」「錦繍江山」などの呼称も、古くから使われてきた。

 

「三千里」というのは李王朝時代にソウルからはかって北端の咸鏡北道隠城郡までの距離が約二〇〇〇里、南端の全羅南道海南郡までが約一〇〇〇里、計約三〇〇〇里あったことから生まれた呼称である(朝鮮の一里は日本の一里の一〇分の一で、約三九三メートル)。

 

最近では、朝鮮民主主義人民共和国の「社会主義建設の総路線」である「千里馬(チョンリマ)運動」にちなんで、同国を「千里馬の国」と呼ぶ例もふえている。

 

『同』 8~9頁より

 

※朝鮮半島の地理について

 

‐近くて遠い国 朝鮮 序章編‐

 

このような朝鮮の異称としての「青丘(せいきゅう)」「槿域(きんいき)」などありますが、古くから「東方の国」の意味として用いられてきた。

 

 

『ムクゲ』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%82%B2

 

海東に君子国あり、槿花多しとあることから出た。

 

『山海経』(中国最古の地理書)

 

『朝鮮━風土・民族・伝統━』 中村英孝著 吉川弘文館 2頁より

 

※槿花‐無窮花(ムグンファ)、日本語でムクゲ(木槿)。

 

 

・国民と人口

 

本書上の都合により、資料は1960年代~70年代を用いています。

 

 

『同』 10頁より

 

国民は単一の朝鮮民族からなり、少数民族はいない。南北を合わせた総人口は約四七〇〇万人、そのうち南は三二〇〇万人余り、北は一四〇〇万人余りである。南半部には中国人、欧米人、白系露人など約四万人(一九七〇年八月現在)の在留外人が居住している。

 

ほかに約六五万人の在外朝鮮人がいる。そのうち約六一万人は在日朝鮮人、残りはほとんどみな米国居住者である。

 

『同』 9頁より

 

 

『延辺朝鮮族自治州』 (同)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E8%BE%BA%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%97%8F%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%B7%9E

 

 

『長白朝鮮族自治県』 (同)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%99%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%97%8F%E8%87%AA%E6%B2%BB%E7%9C%8C

 

中国には東北地方を中心に約一二六万人(一九六〇年現在)の朝鮮族がいるが(北京・民族文化宮の資料による)、この人びとは中国国籍をもつ少数民族であって、吉林省には延辺朝鮮族自治州と長白朝鮮族自治県が設けられている。

 

『同』 10頁より

 

 

『ロシア連邦 サハリン州』 (同) ※左の大きな島が旧樺太

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%B7%9E

 

ソ連にもサハリン(旧日本領樺太)とシベリアに若干の朝鮮人がいるが、この人びともソ連国籍を取得しているとみられる。

 

『同』 10~11頁より

 

以上が、朝鮮の名称の歴史と、その国民についての記述でした。

 

 

<参考資料>

 

・時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会

 

・『朝鮮━風土・民族・伝統━』 中村英孝著 吉川弘文館

 

・『朝鮮の歴史』朝鮮史研究会 編  編集代表 旗田巍 三省堂

 

 

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