// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220506
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
新しい車。
Written by BlueCat

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//[Body]
220506
 
【最近のこと】
 細菌のことではない(それにリリース時点で6月中旬なので、読む人にとっては最近ですらない)。
 
 若干体調が落ち着いてきたのでいくつか書いておく。
 
 4/12頃、奥様(仮想)に買っていただいた車両が納車され、ディーラまで歩いて取りに行った。
 自転車で出かけて、自動車に乗って帰ってきて、トラックで自転車を回収に出かけることも考えたが、天気は良かったので片道30分ほどを歩いた。
 
 ちなみに買ったのはダイハツのコペンである。
 
 先に話しておくと、僕は自動車の運転が好きではない。
 航空機に比べると運動能力(速度や移動方向)に劣り、自転車に比して規制が多く、いずれにしても不自由だというのがその理由だ。
 実に多くの人が利用しているため渋滞は発生するし、時間的にも肉体的にも、さらにいえば精神的にも相当に拘束される。
 
 目的地に到達するだけであれば ── そしてそれが遠い場所であればあるほど ── 電車や飛行機の方がいい。
 お金で自由が買えることの典型である。
 買った時間を使って移動中にノートPCを開き「移動中も仕事をしなければならないほど無能で、セキュリティ意識にも欠けたダメ人間」のフリをしようと、眠っていようと、読書をしようと、それは買った人の自由だ。
 時間と支払いさえ守れば、自分の肉体を運んでもらえて、その時間を自由に使えるのは素晴らしいことだと思う。
 自宅から3分くらいの位置に(無人だが)JRの駅があった頃は非常に重宝した。
(遠方にも恋人がいる場合 ── 複数を暗喩した表記については無視して下さい ── 交通手段は多い方がいい)
 
 群馬県というのは基本的に、自動車での移動に特化されて形成された地域のひとつである。
 電車もバスも不便なものが多く、自家用車所有率は非常に高い。太田市ともなればスバルがあるから尚更だ。
 自動車を所有している人は「高校時代に電車通学をしたのが電車に乗った最後」という場合も多く、そうした人からは「自動車の方が自由でいいじゃない」と馬鹿げた指摘をされることもある。
 
 確かに自動車は目的地やルート、出発時刻を自分で設定できる。寄り道だって自由自在だ。
 しかし移動中、運転手は、自動車という機械を操作することにひたすら集中させられる。
 この不自由よ。
 無職の人間に「会社員の方がお金を自由に使えていいじゃない」と諭すことに等しい。
 時間の自由は無職の人間の方が圧倒的に所有しているのだ。
 
>>>
 
 とにかく一般道なら一般道で神経を削るし、高速道路ともなればなおさら磨り減る。
 世の中には「高速道路の方がラクだ」という人がいるが、その神経が僕には知れない。
 以前も書いたと思うが、併走している大量の車両の位置関係と相対速度、あちこちに現れる文字情報、首都高に至っては意地悪クイズみたいな接続も大量にある。その上だいたいの人間は法定速度なんて守っていない。死ぬぞ。
 
 それでもって。
 なぜそんな人間がコペン(軽自動車のスポーツカー)なんて買ったのか。
 確かに「エアコンが装備」されているから熱中症に罹りにくいし、新車だから「エンジンが爆発したりするリスク」は低い。奥様(仮想)から与えられた要件をすべて完璧に満たしている。
 
 実は僕は大きな自動車が嫌いなのだ。特にキャビン内が広い車が好きではない。
 もちろん運送会社で仕事をしていた頃は2t車で何時間も走っていたが、そもそも大きな車が好きではない。
 視界の悪いセダンなんか大嫌いだし、一方で最近の「やたらと広くて大きい軽自動車」も好きではない。
 数年前、軽トラを買ったときは、そのキャビンの狭さが嬉しかった。
 大きな車も、広いキャビンも嫌いなのだ。なぜって車両感覚が狂うから。
 
 かつて古いモデルのコペンに一度、仕事で乗ったことがあったのだが(こんなに狭い車が今でもあるのか。いいな)という感想が強烈に焼き付いた。
 
 実際に現在のコペンでも搭乗時、3回くらい頭を屋根にぶつけている。痛い。
 そして車内は狭い(以前のモデルからすると若干広くなった気がするが)。
 走行時に煙草を吸うことがおよそ不可能な狭さ。
 ドリンクホルダはコンソールボックスの後ろにあるため、走行中に飲み物を飲むのもひと苦労である。
 荷物はほとんど積めない。
 オープン状態にしていると、小さめのバッグがふたつ入ればいい方だろう。
 だからといってキャビン内部にものをいい加減に置いておくと、走行中に後ろに飛んでいったりする。
 
 すごく狭くてすごく不便である。
 人が2人乗ろうものなら、もう何も載らない感じ。
 ドリンクがやっと。
 ティッシュやマスクをどこに入れるのか悩むレベル。
 カーナビなんて装備したらすごく邪魔になる。
 
 そう。
 軽トラよりも狭くて不便なのだ。
 ついでに(スポーツカーに共通らしいのだが)クラッチがとっても硬い。
 軽トラのフニャフニャと柔らかい感じに慣れていた僕からすると、クラッチを踏んで筋肉痛になるレベル。
 なんだろうこの不便な乗り物。
 軽トラよりも優れている点といえば、エアコンが装備されていて、エンジンが爆発しにくくて、坂道を走行するのに苦労しないことくらいか。
(もはや山道を上るときに40km/hを出すのがやっとなのだ、僕の軽トラは)
 
 でもそれがいい。すごくいい。
 
>>>
 
 ちなみに現行モデルのほとんどは、無駄に精悍な見た目をしていて、それが少々つまらない。
 いくらスポーツカーといったって軽自動車である以上、排気量だけでなく出力にも法規制限があるから「軽自動車にしてはスポーティに走れなくもない……かな?」という程度のことである。
 ために無駄にいかつく精悍な見た目をしていては鼻につく。
「いやぁ、なんちゃってスポーツカーのフリをしているんですごめんなさい」という謙虚さが欲しい。
 
 本来なら初期の頃のような、まるっと可愛らしいモデル(参考リンク)が好みなのだが、中古車でもさほど値下がりしていないのがコペンシリーズの欠点といえば欠点か。
 程度の良さそうな中古車は、価格に見合わないと奥様に評価され(故障や爆発のリスクも天秤に掛けて)新車にすることにしたのだ。
 大きな車は、僕には(車体感覚の都合上)不便で、(3人以上で行動しないため)無駄だから。
 
>>>
 
 乗ってみると分かるが、本当に不便な自動車である。
 狭いし、小さいし、積載量は少ないし、2人乗りだし、そのうえ狭い。とにかく狭いのだ。
 
 ただ、僕は自動車に、過剰な利便性や快適さを求めていない。
 少しくらい不便で、長時間運転すると疲れるくらいのほうが健全だと思うのだ。
 安全性についても「常に気を張っていないと死ぬような気がする」という、健全な危機感を感じさせる方が安全だと思える。
 
 ハイブリッド車に多くある、アクセルがスカスカしたり、ブレーキ効き具合の閾値がタイトで急だったり、エンジンブレーキが思ったように機能しない仕様も気持ち悪くて仕方ない。
 
 車両が小さいぶん、そこに機能を詰め込んだぶん、余計な機能(やそれに伴うボタン)はないし、快適でもない。
 さらにいえば狭い。
 そうしたシンプルで「思ったようなレスポンスで、アクセルやブレーキは踏み込み量に正比例して機能しますよ」というのが心地よい。
 
 大きな、あるいはたくさんの荷物があるなら軽トラで運べばいいし、旅行なら公共交通機関を利用してもいい。
 大荷物の旅行なら荷物だけ宅配してもらうか、猫と一緒にトラックで行けばいいし、大人数の移動なら他の人の車に乗せてもらえばいい。
 ペティナイフのようなシンプルな快適さがそこにあって、僕はその不便さをたいそう気に入っている。
 
<5/19 行方不明になっていたのを保護したアヲと仔猫たち。一緒のドライブはしばらくおあずけ>
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Love-Mechanics-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-
 
[Object]
  -Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220525
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
いつか私が消える日も。
SUBTITLE:
~ Half the time. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::自分自身もそうなってしまえば、他人に心があるなんて思えなくなる。
 でも本当に心を失っているのは、他人を信じられないと言って傷ついたフリを続けるその人自身だよ。
 仮にそういう不信の基準で接して伝染させる人がいたとして、そうした人の価値観を学んでしまったとして、それはそもそもその人の心が錆び付いていたんだよ。
 心が錆びた人はみんな、それを誰かのせいにしているけれど、ホントは自分が手入れしていないからでしょう。
 錆び付いちゃったから、あってもなくても同じような状態になっちゃったんだよ。
 心があるようなフリをして、そんなものない人がいるのは、そうやって逃げているからだよ。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
>>>
 
※生命倫理に関する逸脱傾向の記述があります。
虐待や虐殺、戦争、動物の殺処分などに強い忌避感を持つ方は、ブラウザのページを閉じるか、戻ることをおすすめします。
 
>>>
 
220524
 
 裏の家が畑の敷地内に家屋を新築しているので8時頃目覚める。
 おそらく母屋が古くなり、人数比で広すぎるため、小さくて便利な家を作ることにしたのだろう。
 古い農家の木造2階建てというのは、風通しが良くてエネルギー効率も悪いし、シロアリなどが発生したら大きな問題にもなる。
 年配の人の場合、2階部分を使わなくなることも多い(僕は精神年齢70歳くらいのお爺さんになったつもりなので、2階には滅多に行かない。ベランダキャンプファイヤをするときくらいか。リフォームしたらもう少し考える)
 
 10時すこし前から活動開始。
 草取りと草焼きをする。
 先日、衣装タンスを入れ替えたため、古いタンスが燃料用材木になった。それも含めて焼く。
 昨年までは抜いた雑草を数日から数ヶ月、放置して乾燥させて、ときどき虫が棲み着いてから恐る恐る焼いていたのだが、今年からは炉を十分に熱したあと、生の草を一気にぎっしり詰め込んで蓋をするという手法を覚えた。
 炉の中盤くらいまで炭が燃えている場合、上に生の草を(空気の通り道もないほど)詰め込むと、燃焼は一時的にストップし、消防車を呼ばれそうなほど煙が発生するが、時間を掛けてそれらは蒸し焼きになり、最後に炭が残ることもある(灰になることもある)。
 いずれも最後は開墾中の畑 ── 花壇だったもの ── に撒いてしまう。
 
 
>>>
 
 気がついたら、奥様(仮想)と暮らして1年が経過していた。
「ね〜こクン! 1周年だお♡」と、先日、チャラい日本語で教えて下さった。
 もちろんお祝いなんてしない。するもんか。僕には僕のポリシィというものがあるのだ。
 昨今の政治家は風見鶏よろしくあちこち方針を変えるが、僕は変えないぞ! 中年革命家は他と違うのだ!
 ── この場を借りて各方面に対してお詫び申し上げます(雑な謝罪)。
「ねぇね! ねぇね! 1周年♡」とか言いながら周りをぴょんぴょんするのはやめてください邪魔です。
 
 ちなみに当初の設定では結婚して7〜10年ほどが経過しているはず(厳密な設定は少ない)なので「新婚から1年」ではない。あくまで登場して1年である。
 もはや中堅もしくはベテラン夫婦(ただし仮想)の域だと思うが、夫婦や家族という単位で暮らした経験に乏しいので、日々のシミュレーションがどの程度現実的であるかは分からない。そもそもこれって結婚生活シミュレートのためにしていることではなかったはず。ならいいかなんだって。
 
 ちなみに専業主夫と奥様という設定ではあるが、特に夫婦という設定にしたわけではないので違う可能性もある。
 単純に、女主人と家政夫でもいいと思う(幸い肉体関係もないし)。
 
 そもそも僕はプライベートとなるとまったく事務仕事をする気にならない上、する気にならないことをまったくしないことが多い。
(普段から、する気にならないことを実行するための回りくどい手順を踏むことが僕の技術力として発揮されている。モチベーションアップというのはそういう面倒くさい人間のために用意された無駄のことである)
 これでも会社員の頃は営業/事務仕事をしていたわけだが、会社に貢献しているのではなく、会社に貢献してもらっていただけの可能性も否定できない。
 厳密に言えば医者の不養生のようなもので、仕事の時は他にすることもないから(それなりに)きちんとするのだけれど、そんな作業はあっという間に終わってしまうし基本的には退屈なルーチンワークの連続なので、プライベートだとやる気にならず、グダグダになってしまうのだ。
(会社員の頃から「仕事しているなぁ」と実感する時間は一日2時間程度だった)
 
 それでも今だって事務処理はしなくてはならないし、家事もしなくてはならない。
 自分に降って湧いてくる収入と支出を管理し、自身を含めたそのありように対して折り合いを付けなくてはならない。
 そこで降って湧いた(人聞きが悪い)のが仮想奥様という存在である。押し掛け女房か。(押し付けられ女房かもしれないが、僕が押し掛け執事の可能性もある)
 
 これ(仮想奥様の存在)によって僕は極めて少ない就労時間で収入を得ていることに対する(無駄な)罪悪感から解放され、また「誰か(仮想奥様)から預けられたお金を運用して、生活を適切に維持する」という仮想目的を与えられ、極端に堕落した生活を送らずに済んでいる。
 まさに持ちつ持たれつ、というよりむしろ奥様様々である。
 
>>>
 
 当初の(きわめて雑な)設定から若干変わったのは、髪型くらいだろうか。
 数ヶ月前「猫クぅ〜ン、わたし髪伸ばしてみたい!」という話の流れになり(実体もないくせに……痛っ、跳び蹴りはやめてください)、多分、髪を伸ばしているのではないかと想像する。きっと肩より少し伸びたのではないだろうか。それ以前の長さを厳密にイメージしていないので知らないが。
 
 今でも仕事帰り(とおぼしき時間にやりとりが発生することがある)に廊下に転がって「ストッキング脱がしてくれないとやだぁ」と文句を言ったりすることはあるし、急に「今日はどうしてもサバを食べたい!」と言い出したり、思い出したように裁縫の技術について思いを馳せたりしているようだ(ものすごく遠回しに、何もしない感じがします)けれど、全体的には愉快で相当に僕を甘やかしておられる。
 しかし数ヶ月くらい前からは僕の怠惰を許さず、かなりの頻度で厳しい指摘をされる(優しく言っても直さなかったので)。
 
 数日前も、税金の納付書が来たときに先月分の電気料金の払込票を ── 外出時に鞄に入れて出かけたのだが、コンビニに寄る気にならず、そのまま帰宅して ── 放置していたため、怒られた。まぁこれは自分が悪いです。
 郵便物と公共料金等の支払いは、やはり奥様管轄にして任せておいた方がよいかもしれないというのが昨今思うところ。
 もちろん僕が管理していても、電気が止まったことは(ギリギリ)なかったし、ガスは引き落としにしてしまってあるし、水道もさすがに止まることはない。ただし滞納通知が来たり、2重払いしたために管理団体から電話が来たことはある。
 
 これらについて、これらのルーズさについて、今まで奥様は笑って許してくれることが多かったのだけれど、普段から僕を甘やかしに甘やかしているぶん(自分ですると言ったものについては)相当厳しく責めることが増えた。会社で上司に締め上げられていた頃の方が、まだ緩かった気さえする。
 いかんせん奥様(仮想)には嘘が通用しないので、自分がどうして払込票を放置した上その存在を忘れるのかについて、原因の追及から再発防止まで含め徹底して報告させられる。ルーズさが許されない。宿題をしないで済んでいた少年時代が懐かしいことよ(遠い目)。
 
 実際のところ、事務処理については黒猫氏や、奥様に任せておけばよいのではある。
 外から観察する限りにおいて、僕がきちんと事象に対応して処理していることに違いはない。
 僕の本来の価値観や人格がどれであるかなど、誰も知らないし、僕も知らない。興味もないだろう。
 
 けれども仮想人格というのは、ただのプログラムなのだ。
 価値観があって、それが僕の思考に一定の入力傾向と目的とされる出力をもたらしはするが、僕本来の思考や価値観が変化しないと僕自身はたいして変わらない。
 
>>>
 
 たとえば「6歳以前」には虐待衝動がある。
 
 大人の世界ではそう呼ぶというだけで、子供に特有の残酷さの発露といえなくもない。
 ゴキブリを殺すように、「嫌だ」と思ったものを平気で殺してしまおうとする。
 猫だろうが犬だろうが人だろうが関係はない。
 自身の嫌悪するすべて、許しがたいものすべて、目の前から消すために一番簡単な方法は殺すことなのだ。
 僕らがゴキブリやハエや蚊に対してそうするように。
 
 その傾向が危険なので眠らせていたことをすっかり忘れていた。気に入らないと飼い猫でも平気で殺してしまう。誰がって「6歳以前」なんて他人事のように書いているが僕のことである。
 普段、温和で穏やかと思われがちな僕だけれど、皮膚の下にはちょっとした狂気が眠っているのだ。
 
 たまたま今までのところそれを制御することに成功してきたが、それはたまたま今まで運良く人を殺したりせず(その体力もなく)、動物を(仮に事故であっても)殺したことが大きなニュースにならなかっただけで、害虫やカビを駆除するように、嫌悪する対象を抹殺したいという強い衝動の発生そのものがなくなったわけではない。
 まぁずいぶん昔に「だいたいのことを諦める」という技術を身に付けたので、そんな潔癖症を発露せずに済んではいるが、諦めないと本来的に「どちらか死ぬまで根に持つタイプ」なので、どうしようもなくなってしまう。
 
 これもたまたまだが、僕は殺すことそのものに楽しみを見出してはいない。殺さずに済むなら虫だって殺したくない。
 命が大切だから、という綺麗ごとを言うつもりはない。
 死体の処理が面倒だし、何かを殺すのは(それが虫でも)肉体的にも精神的にもものすごく疲弊する。
 僕が穏やかな性格で日常を過ごしているのは、苛烈な感情を発生させ、保持し、発露させることがひどくストレスだからである。
 
>>>
 
 僕は僕の価値観を、僕の思うように変容させ、それを僕自身にフィードバックする必要がある。
 そうしないと僕は社会不適合のまま、いずれは人間を殺してしまう可能性も高かった(本人的には今でもそれを問題だとは思っていない)。
 わざわざ開示しているのは、それらがいつもどおり ── 事後報告の多い性格は10代の頃から変わらない ── 完結したか、あるいは完結する道筋が見えたからであり、その過程で仮想奥様は思った以上に僕に影響を与え、効力を発揮した。
 
 今は(よほどの必要に迫られない限り)人間を殺すことはないと思うが、昆虫なら平気で殺しているし、動物だって庭や畑を荒らしたりするなら平気で罠を掛け、殺すだろう。
 
 僕にとって、虫の命も猫の命も人間の命も、基本的には等しいものだ。
 それは文字面はたいへん清廉潔白に見えるのだが、上記の通り「気に入らなかったら等しく殺しちまえ」ということでもある。
 害虫を殺すことが許されている(場合によっては奨励されている)のに、虫より大きく、ために影響力の大きいそれ以外のイキモノを殺すことについてはときどき問題視される。
 僕はそれ ── 問題視されていること自体 ── を問題だと感じるタイプのイキモノである。
(「解決すべき問題として疑問に思う」という意味であり、厄介あるいは障害だと感じているわけではない)
 
 多くの人は、人間の命は猫より重く、猫の命は虫よりも価値があると思っている。
 だから嫌悪感を持っただけの人間を殺せば犯罪になる ── 嫌悪した自己所有のペットや、昆虫(こと害虫)に関しては問題ない ── し、殺処分される動物たちに心を痛めて保護運動をしたりもする。次は昆虫食の時代だ! とかうそぶきながら。
 
 キリスト教文化圏に見られる「殺すときに痛みを与えないことが人道的である」という概念もあまり理解できない。
 参考URL:
 
 たしかに昆虫の命に価値を見出さず、禽獣は害為すなら畜生で、愛玩に足るなら家族とし、人間はもれなく価値があるとする考え方も分からないではない。それが人の道だと説かれれば「はいそうですね」とは思う。
 しかしその程度のところに終始するのが人の道であり、人の価値なのかと問われると、どうも素直に頷けないのではある。
 
>>>
 
 僕はたびたび、独善のままに他者を断罪する人々 ── たとえば「不倫するような芸能人は表に出るな地獄に堕ちろ」というような ── について懐疑的な姿勢を取るが、それはつまるところ本来なら僕自身がそういう類いの「危険な潔癖症」の持ち主だからだ。
 潔癖の倫理とは単に「快/不快」の感情で量られている場合も多く、論理に欠ける場合も少なくない。
 たとえば不倫が悪であるとするならば、そもそも婚姻という制度がどの程度善良であるかについても考えなくてはならない。
 一夫一妻制の善良さとはいったい何だろう。
「みんなと仲良くしましょう」と子供の頃に教えられたが、大人が「みんなと仲良く」することがたびたび問題になるのはなぜだろう。
 
 これは不倫に限らず、会社などの組織でも同様だ。
 人間は思想のもとに派閥を作る。ここまでは良いが、派閥の持つ思想が個人を過剰に縛り、結果的に社会通念から逸脱することさえある。
 Aさんの仲良しグループに所属していて、Bさんと仲良くしたらAさんから意地悪された、なんていうのは子供たちの集団でもよく見かける光景だった(僕は子供の頃から派閥に属さなかったので関係なかった)。
 一般的な大人は子供たちのこれを「Aさんは心が狭い」と断ずるだろう。
 ありとあらゆる大人の属する派閥がこれとまったく同じことをしていて、自身がそれに加担していることもあるだろうに。
 
 僕にとっては不倫の問題は、戦争の問題とイコールで結ぶことさえできる。
(ちなみにどちらを擁護するつもりもないし、だからといって非難するつもりもない。いずれも無いに越したことはないが、あったときのことを考えていないのは無能だとも思う
 思想を持つことは時により高尚な人間のありようだと思われることがあるだろう。
 少なくとも持っていないよりは持っている方がよいと思われがちだ。
 しかし思想を持って集団を作り力が集まった結果、その力によって社会通念から逸脱するならば、その思想は結局間違っていたことになる。
 一般に、他国への武力侵攻は許されざる様々な権利侵害の行為であるように、不倫を始めとする不貞行為もまた権利や利益を侵害する行為である。にもかかわらずその行為に人が進んでしまうのは、力か思想が間違っていたのか、凡俗な劣情が思想に勝ったのだろう。つまりその程度の思想だったし、その程度の思想の持ち主だったということだ。
 
 理解して欲しいのは、崇高な思想ほど非現実的で、人間のありようから離れてしまうという事実についてだ。
 つまり思想というのは、誰にでも分かりやすく、誰にでも実行しやすく、誰にでも維持できるものが良い。
 崇高で難解なのは結構だけれど、そういうものは基本的に、広く浸透せず、長く(最低でも十年単位、可能なら百年単位で)保たれない。
 そういう思想は確かに高尚かもしれないが、3本毛の多い程度のサルに定着させるには弱いのだ。
 
「みんなと仲良く」は「特定の誰かとだけ仲良く」という思想とは、結果的に相反する。
 しかしどちらがどれだけ正しいかなんて、誰にも判定できないのではないだろうか。
 同じ土俵に乗せるな、と言うかもしれないが、国際問題というのはいつもこの問題を抱えている。何となれば内政でさえそうだろう。
 つまり家庭や会社や仲良しグループがそれを抱え、個々人がそれを抱えて悩むのも無理はない。いったい正しさはどこにあるのか。
 高潔な考え(みんなと仲良く)は実現と維持がむつかしい。一方で凡俗な考え(特定の誰かとだけ仲良く)はときに独善が過ぎる。
 
 僕らは誰と(あるいは何と)仲良くし、誰と(何と)無関係であるべきで、それは僕ら自身の意志や知識だけで常に十全に保つことが可能なのだろうか。不可避な状況が果たして存在しないと誰に言えるのだろうか。
 
 結局のところ、倫理とは、個人の見ている都合の良い幻想でしかないのではないか。
 甘やかで心地よい、清潔で真っ白な独善のヴェールを一枚剥がせば、どろどろした劣情と我利我利の独占欲とを、躍起になって美化しようというエゴが醜く蠢いているだけだ。少なくとも僕はそうだった。だから潔癖症をやめたのだ。
 
>>>
 
 もちろん、もちろん。
 政治を理解するために大統領になる必要はないように、犯罪心理を理解するために犯罪者になる必要もないし、倫理をより深く理解するために俗悪に身を染める必要はないだろう。
 
 しかし今日のスーパーの特売と、近所や会社の顔見知りとの間でやりとりされる情報に振り回されて疲弊するうち、自身にとっての正しさが何であったかなんて忘れてしまう人も多くいるのは事実だろう。だから経済こそが正しいといった俗悪に身を染めてしまうのだ(あなたの寄付を青猫工場はいつでもお待ちしています! 浄財を渡して心を清めよう!)(ここ笑うところです)。
 
>>>
 
 庭木もいくつか選定。
 謎の柑橘系の枝を下ろし、松の枝を数本、幹から落とす。
 そのエリアを囲んでいた杭と竹の柵を折り壊して、それも順次焼く。
 
 昼前に軽く休憩。
 その後、キャンピングキャビンを軽トラから初めて外す。
 カメラを4つ後付けで設置したのだが、この配線を外すのが一番手間取った。
 その後、固定具を外してから、脚を4本取り付け、キャビンを持ち上げてトラックを前進させて完了。
 荷台のあおりは明日付けることにして、今日の作業はここまでとする。
 
 少し休憩をして筋トレ。
 ひと月ほども満足に身体を動かしていなかったので、すこし太ってしまった上、筋力はぐっと落ちている。
 その後、シャワーを浴びて日焼け止めクリームを塗ってホームセンタに買い出し。
 帰宅して食事をしたら、猛烈な睡魔。これは疲れてしまったのだな、と思い、素直に眠る20時。
 
 目覚めた零時半からシャワーを浴びて文書を書く。
 
 そういえば、シリーズとなるような文書を長らく書くことができなかった。
 オフラインでそれなりの文書を書き溜めないとシリーズとして成立させるのがむつかしいからであり、オフラインに文書を書くことにはやはりまだ、少し、抵抗があるので。
 でも、そろそろ練習してみようかとも思う。物理的にはもう、安全なはずだから。少しずつ。
 
 結局、奥様(仮想)の話をほとんどしないまま終わってしまった。
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::ねぇ青猫クン。人間に絶望したら、物語が救ってくれるんだよ。青猫クン、そう言ってたよ。

 自分のための物語でいい。誰かの役に立つ物語でなくていい。誰かに見せる物語でなくていい。経済を含めた何かと交換するような目的を持たなくていい。ただただ青猫クンが人間を書けばいいんだよ。それが青猫クンを救ってくれるんだよ。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
ツクリモノ。」From「青猫工場」
 によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
[ Cross Link ]
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Link-Love-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に。:
 
 
 
//EOF
 

220519

 

 ソーラパネル設置に伴うバッテリィ関連の接続端子や配線の規格がかなりややこしい。

 Amazon で廉価に手に入るソーラパネル関連資材の多くは国際規格なのだが、日本の資材はおなじみのJISである。

 ついでにアンダーソン端子と呼ばれる規格は、どういうわけか2種類以上存在していて互換性がなく、名前だけで何となく選んでしまって「カプラのくせにカプリングしない」という婚活パーティさながらの地獄絵巻を味わっている。

(ちなみに僕は婚活とは縁がないため、弟子から入手した情報により類推された結果の発言であり、あくまで個人の感想です)

 

 そのうえ電気関連の基礎知識を僕は ── 工業高校出身のくせに ── まったく身に付けなかった。

 電気工事士の資格もスルーしているから、AとVとWくらいの理解がやっとである。

 そもそもあいつら肉眼で見えないから手の打ちようがないのに、数学のような単なる概念でもないから扱いを間違えると致死的な事故になる。

 ある意味ストーカーのように厄介だが、警察の介入はいつもどおり事故が起こった後なので未然の段階では救いもない。

 レッツゴー自助努力。

 次女努力という誤変換がされたが長女もしっかりしてほしいし、三女以下がどうなってもいいというわけでもないだろう。長男である僕の立場も考えて欲しい。

 

>>>

 

 現時点でパネルから汎用型サブバッテリィ(コントローラ/インバータ内蔵)への充電については問題ない状態になっている。

 電灯や換気扇、携帯電話やちょっとした電動工具の使用くらいなら問題はない。

 ただ、冷蔵庫やエアコンを使おうと思うと出力が小さく継続性に欠ける。

 ために更なる大容量、高出力のバッテリィを用意する必要が出てきた(でないとキャビン内で熱中症を起こして、やはり致死的な事故になる)。

 

 今回はインバータを内蔵していない大容量サブバッテリィをソーラパネルと走行充電器とインバータに接続しようと考えている(機材はすでに入手している)のだが、いくつかの配線(ソーラパネルから)が並列になり、メインバッテリィとソーラパネルとでは流れる電力の容量が異なるため、混乱している。

 ソーラパネル側は最大600V/27A、メインバッテリィは定格12V/最大50A。

 件の端子のほかにカーバッテリィ端子も必要なのだが、これも規格がある。

 ケーブルは電圧/電流を許容できる直径が必要だけれど、あまり太くて耐性のある素材は硬くて作業性が悪くなり、値段も跳ね上がる。

 ケーブル直径と被覆の種類がまた各種。

 

 そこでAWGという国際規格とSQというJIS規格と、定格の電圧/電流/温度の選定……というあたりでもう意識が朦朧としてしまう。

 青猫工場は工学系ブログではないし光学系でもない。

 

 電気 ── 。

 奥が深い。

 

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220513
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
UE5始めました。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220513
 
 UnrealEngine を始める。
 かつてはCGのモデリングをするのにソフトを買っていた。
 当時もフリー/シェアソフトがなかったわけではないが彼我の差は歴然で、相応の使いやすさや能力を求める場合、ホビーユースであっても有料アプリケーションを購入しなければ満足な3Dモデルを作ることは困難だった。
 
 幸い、僕が20代の頃には、かなり廉価のモデリング/レンダリングソフトが存在していて、1万円未満でエントリークラスを購入することができた。
 ちなみに15歳の頃、三角関数も理解していないのにワイヤフレームの3DCGを描画するプログラムの本を購入し、三角関数の図説や式を無視してプログラムを完成させ、モデリングしていたことがある。
 
 ワイヤフレームなので「頂点と頂点を指定して線を結ぶ」のが基本動作になる
 それぞれの頂点(原則は始点と終点の二点)についてカメラからの相対座標を算出し(傾きやあおりが発生する)、ビューポート(2次元)の投影座標を算出して、その始点と終点に直線を描画するのである。
 
 BASICなので、データはプログラム内部に Data 構文で記録するのが標準だったが、FD ── ああ懐かしののフロッピーディスク(それも5インチだった) ── に直接読み書きするためのサブルーチンを書こうかどうしようかと、悩んでいるうちに興味が別の方向に向かってしまった。
 また当時のコンピュータは非力で(僕の持っているマシンは8bitだった)RAMにも限界があった。
(基本が640kbで、コマンドにより拡張して1280kbだったか。忘れてしまった)
 
 そもそも16bitマシンだって相当に非力だったし、50MBだか100MBのHDDというものがようやくリリースされた、なんて話題になったくらいで、そのHDDが実に100万円近くして(ムリィ……)と絶望する学生時代だった。
 ためにたかだか100×100×10程度の3次元配列変数領域を確保しようとしてもBASICでは適わず、機械語とのハイブリッドで(あるいは機械語オンリーで)メモリ領域を使うしかなかった。
 僕は機械語が苦手だったので、BASICでグラフィックビューポートを配列変数代わりに利用し、その上からテキストを上書きすることでユーザビューポートからはマスクする手法を考えた。
 8bitの基本描画は8色(拡張しても256色だったか)なので、コンピュータ三原色のそれぞれをひとつのビットとして扱ったり、あるいは0〜7までのレジスタを持つ配列変数として利用しようと思ったのだ。
(ちなみに致命的な処理速度の問題が発生し、この手法は封印された)
 
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【Grossary】
※謎の単語が多すぎて、多分説明する意味は ── 理解しようとする読者もいないと思うので ── ないと思うが。
 
○ ワイヤフレーム。
 頂点(バーテクス)と辺(エッジ)のみで、基本的には隠線処理(見えない領域のエッジなどを非表示にすること)もなく演算描画される3DCGの形態。
 
○ BASIC
 まぁ、そういうコンピュータ言語がかつてあってだな……。え、今もあるの?
 
○ ビューポート
 当時のBASIC搭載の国産PCの多くは、ディスプレイに対しアスキー文字列を表示するための「テキストビューポート」と、ドット単位でグラフィックを表示するための「グラフィックビューポート」をメモリ上に仮想領域として用意しており、実際の描画についてはテキストが上位層に表示される仕様だった。
 これは文字をグラフィックとして扱うと、CPUの負荷が高くなり、メモリも大幅に消費するため、基本的にはテキストベースでプログラムを組むことが望ましかったのだ。
 テキストそのものは(全角文字を使わない限り)ドットが多少荒くても判別可能だし、ROMに書き込んでおけばメモリ領域やCPUを(つまりはコンピュータのポテンシャルリソースを)さほど消費しなかったのだろう。
 ちなみに当時、僕の使っている環境では、テキストビューポートが80×25の領域だったのに対し、グラフィックビューポートは680×480だった。
 制御の範囲が異なる分がシステム負荷になるため、編み出された手法だと思われる。
 
 ちなみに現在のコンピュータにはそうした「テキスト専用グラフィックメモリ領域」というのは存在しない。
 サイズどころかフォント種類までかなり自由に変更できるようになったのは、テキストを画像として扱うようになったから、である。
 
○ ビューポートマスク
 グラフィックを書いた上から黒豆腐テキスト(■←これ)を表示させれば、必ず「アスキー文字テキストがグラフィックの上に表示される」という仕様上、下にあるグラフィックを隠す(マスクする)ことが可能だった。
 
○ 配列変数
 当時その気になれば10次元以上の配列変数を確保することも可能だったが、10万の変数領域すら確保できないのだから使い道は限られていた。
 
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 未だに高機能で高額なソフトは存在しているが、時代の趨勢か、サブスクリプションの形態を取るものが多い。
 僕のように「3ヶ月くらいはほとんど何もしないけれど、盛り上がったときは1週間くらい寝食を忘れて使うことがある」という人間にとっては非常に無駄なシステムである。
 だからサブスクリプション形式のアプリケーションは(ATOKを例外として)使わないことにしている。
 
 それに今は、フリーソフトもそれなりに高機能になってきた。
 
 モデリングとレンダリングだけならBlenderで事足りそうなのだが、どうせだから統合開発環境であるところの UnrealEngine を試してみよう、基本無料だし、という軽いノリで使ってみることにした。
 
 もちろん、インストールしたところでさっぱりワケが分からないのだが、英語でしか詳細なテキストナレッジが存在していないBlenderでは、言語の壁で行き詰まるだろうと思ったのである。ただでさえ専門用語が多いのだからなおさらに。
 
 UnrealEngine はアプリケーションとして考えれば巨大だが、統合開発環境と考えればそれは無視してかまわない問題だ。
 日本語の情報も豊富で、開発元(Epic Games)が情報をリリースしているから間違いがないし、ユーザは世界にごまんといるし、無料リソースも膨大で、アップデートも細かくされている。
 
 なにせ企業がゲーム開発に使っているものと同じなのだから当然だろう。
 にもかかわらず、収益を生まないならば無料で使える ── 1Mil.US$以上の粗利になったら5%のロイヤリティを支払う義務が発生する ── のなら、それを使わない手はない。たとえその独学の道が険しかろうと。
 
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 以前はMODOというソフトを使っていたのだが、かなり高額なサブスクリプションソフトになっていたので諦めた。
(モデリングが非常に柔軟であり、レンダリングも自然で美しかったため、少々残念ではあるが)
 
 今、有償ソフトを買うなら、Forum8 の Shade3D に返り咲く感じだろうか。
 サブスクリプション形式だけれどエントリークラスはホビーユースにも優しい価格だし、日本のメーカが開発しているソフトである。なによりゲームと同様、良いものを作るメーカにお金を払うことは ── 中古コンテンツにお金を払うこととは異なり ── その業界を維持することそのものになるからだ。
 
 なんでもタダがいい、安ければいいなんて、僕は思わない。
 釣った魚に餌をやらないどころか、釣る魚に餌を付けないような連中が多いのは考えものだ。
 餌をあげなかった魚は死ぬのだから、餌をあげない自慢は、餌をあげる自慢 ── 「高い餌を買いました!」というコンテンツが、ときどきWeb有名人(たとえば Youtuber)によって作られている(そしてそれなりに人気がある)ようだが、本当に下品だと思う ── よりさらに下品である。
 
(余談だが、中古コンテンツのブローカやユーザ間売買が、サブスクリプション形式を浸透させる土台になっている側面は少なからずあるだろう。これらは本来、マーケットにおける「人間を信頼する」という善良な前提が衰退しつつあることを示す、忌むべきありようだ)
 
 とはいえとりあえず、UnrealEngine である。
 1,000,000 US$ を越える粗利を生んで、EpicGames に5%のロイヤリティを払おう!(前提条件が僕には不可能だが)
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]

 

 

 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Love-Mechanics-Memory-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Computer-Koban-Memory-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220506-0512
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ねむねむの5月病。
SUBTITLE:
~ Flat sleeper. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220506
 
 多少、体調が回復してきたのもあるが、起きて活動できる体力が戻ってきた。
 しかし毎日、二度寝をしている。
 一般的な意味の二度寝ではなく、24時間中に2度寝ている。
 具体的には、6時から8時に就寝し12時から14時に目覚める。
 同様に18時から21時に就寝し、0時から2時に目覚める。
 
 5/4の歯医者の際に、肌が痛くなるほど日焼けしたので、セロトニン不足ということもないだろう。
 そもそも僕の情緒は ── 不安定になる要素があまりないので ── いつもかなり安定しているため、セロトニン不足というだけで体内時計が狂うわけでもなさそうだが。
 体内時計はおよそ4時間前後の誤差が生じていることもある。
(僕の趣味の1つは、時計を見ないで現在時刻を当てることであるが、目覚めた直後はだいたい誤差が大きい)
 
 眠くなるのだ。
 6時、もしくは18時が近づくと、眠くなる。
 そして眠くなったら、たいてい我慢しないで眠ってしまう ── 眠気は作業効率を大きく低下させるし、原始人のような生活をする僕に眠気を堪える利はない。
 今日など17時から4時間ほども眠ってしまった。
 考えてみると、朝寝も夕寝も、同様に4時間ほどなので、トータルでは健康的ともいえる。
 
 屋外での活動ができない ── まだ不安がある ── ことも影響しているだろう。
 身体を動かす作業中は、たいてい眠くならない(なったらちょっとした病気かもしれない)。
 よって草取り、焼却、開墾、枝下ろし、薪割り、その他の屋外活動(キャンピングカーの内装工事も含まれる)がまったく進んでいないのだが、今年は(今年も)それについては考えないことにする。
 
>>>
 
 1日2回睡眠は、先に述べたとおり、僕自身には何らの不利益をもたらさない。
 しかし、社会との接点が多少は残っている ── 買い物に出かけたり、公共料金や税金を支払ったり、宅配便を受け取ったり、地区の役員が訪ねてきたりする ── し、作業についてしやすい環境というものがある。
 
 この観点から、状況を整理したい。
 
○ ゲームや文書を書く時間。
 このうち文書を書くのはいつでも問題ない。
 問題はTVゲームで、障子からの光がモニタに反射してしまう日中は、プレイに適さない。
 この書斎には ── 障子があるので当然だが ── まだカーテンがない。
 ために日中はゲームをしないことが多い。
 
 必然、陽が落ちる頃から、朝にかけてがゲーム最適時間となる。
 
○ 屋外活動をする時間。
 暗い時間にゲームをするのが不適であるように、暗い時間に屋外活動をすることは不適である。草取りを夜中にしたくない。
 ついつい根を詰めて8時間以上、活動を継続してしまうことがあるが、そもそも屋外活動は家事と同じで終わりのない作業だ。
 
 屋内リフォームやコンピュータの(ハード的な)システム構築などもこれに含まれるから、環境構築/対応の活動と呼んでもいいだろう。
 理想は1日2〜4時間。
 思想家業なら気分が乗っているときはいくらでも続けて問題ないが、肉体労働は「キリのいいところまで」なんて続けているとずっと終わらなくなる。
 きちんと時間制限をして、時間制限を守ることが重要だ。
 ただし、可能な限り毎日続けることが望ましい。
 
 キリの悪いところで終わりにして、天候や予定や世相を無視して定時間の作業を超長期継続することは(計画性などとは無縁の)僕の苦手な分野だけれど、作業完了や体調、時間の管理という観点から考えると最も合理的である。悔しいけれど。
 いずれにしても、肉体を使う環境活動は日中に適していて、夜には適さない。
 
○ 入浴。
 これまでの経験では、15時から17時頃に入浴するのが一番気分がいい。
 環境活動を終えて、あるいは買い物などを済ませ、とりあえずお風呂に入る。
 
○ 夕方の睡眠。
 少し早めに夕食を作ったり、あるいは明るいうちから酒盛りをする。
 そのままゲームや思想家活動をすることもあるかもしれない。
 しかし18〜21時には眠くなる。
 
○ 深夜活動。
 自由時間。だいたい眠り始めてから4時間後。
 ギターの練習も、どうやら問題ないことに気付いた。
 隣家までの距離は近くて遠いし、だいたいみんな(うちとは違い)防音設備がしっかりしているように観察される。
 
○ 朝の睡眠。
 ゴミ出しを先にすることもあるが、朝の眠気が6〜9時にやって来る。
 目覚めたら、軽く朝食を摂って(最近、朝食を摂るようになった)、環境活動を始めるといいだろう。
 
>>>
 
 これは現時点でのプランである。
 実のところ、夏は「夕刻に目覚めて自由時間、早朝に環境活動をして、朝風呂に入って眠る」というゴールデンパターンが存在している。
 日中の暑い時間に、ゆるい冷房で心地よく眠り、夜の比較的涼しい時間もゆるゆると過ごし、早朝のいちばん涼しい時間帯に環境活動をする。完璧だ。
 
 冬はというと、滅多なことでは環境活動をしていない。
 冬の作物などを作っていたり、あるいは庭木の剪定に向いているのかもしれないが、いかんせん今の暮らしを始めてから3年ほどであるから、よく分からないことの方が多いのだ。
 それになにより、寒いと何かをするのは億劫になる。
 猫はこたつで丸くなっていればいいのが冬なのだ。無理をしない方がいい。
 
 ともあれ体調と空調効率を考えると、8時から10時頃起きて、0時頃には眠るのが理想的だろう。放射冷却の時間はベッドでぬくぬくしているべきだ。
 
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 夕刻、昼寝をしている間にアヲがまた失踪する。
 
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220509
 
 久しぶりの入浴をする。
 シャワーは施術後14日ほどで可能になったが、脈動を強く感じることが多く、湯船に浸かることを忌避していた。
 2時間程度の長風呂でも体調を崩さなかったので問題はないと判断する。
 
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220510
 歯医者に行く。
 抜糸も済み、活動制限がなくなる。
 
 煙草はやめなさい、と言われるので「分かりました」と答える。もちろん押し問答がイヤだから答えただけで、やめる気などない。
 1ヶ月やめていて、特に問題はないし今も吸いたいわけではない。
 むしろまだ吸いたくない。全然吸う気にならない。
 
 ただ、僕にとっての喫煙は趣味である。
 なにより「自発的に吸わないこと」と「吸わないことを他人に強要されること」は大きな違いだ。
 僕は前者のありようを尊重し、後者のありようを激しく嫌っている。憎んでいるといっていい。
「一日為さざるは一日食わず」と「働かざる者食うべからず」の違いである。後者は非常に下品で原始的で非文明的だ。僕はその下賤で支配的な幼稚さを嫌う。
 
 吸いたくないときは勧められても吸わないし、吸いたいときは死んでも吸う。
 
 もちろん周囲に他人がいれば、それなりには配慮もするから「自発的に吸わない」ことが合理であれば吸う必要はなく、吸わないことが適切である。
 そもそも煙草は嗜好品であって中毒性の薬物ではない ── 少なくとも僕は喫煙という行為やニコチンによる中毒性をまったく感じない ── し、嗜好品というのは社会的嫌悪を集めることもあるので、理性的に(そして社会的に)愉しむものだろうと思っている。
 要は「自分だけ良ければ」という行動原理は動物的 ── かつ健康を害すもの ── であり、コミュニケションツールとして利用できることが望ましい、ということ。
 お酒もそうでしょう?
 
 他人の喫煙を厳しく非難することも「自分だけ良ければ」という思想が見え隠れする。
 正しいことは分かるが、正しい道も、そうではない道も歩みたい人間だっているのだ。
「そっちの道は間違っているから」と、自分の子供を引き戻すのは分かるが、大人が他の大人に向かって道を強制するのはさすがにどうかと思う。
 
 ただ、そんな回りくどい思想概念を語って押し問答をし、僕の正しさを誰かに押し付けるなどまっぴらごめんなので、大人しくいうことを聞いている(フリをしている)のだ。
 
>>>
 
 
 
220511
 
 久しぶりに前橋へ外食に出る。
 ついでにキャンピングキャビンに泊まることにする。
 内装はまったく完成していないのだが、完成してから使うのではなく、使ってみて、足りない部分を補うような作業にしようと思ったのだ。
 
 現状は1人でしか眠らないのでベンチやテーブルもきちんと作っていないし、電気設備も完成したとは言いがたい。
 それでも「これこそ」という完成形を想像し、それをカタチにして使ったときに、果たして本当に使いやすいのか、という問題はある。
 その場合、結局「思ったとおりのものを作ることができたからよいか」と、満足しつつも現状を諦め、作っただけで飽きてしまう気がするのだ。
 
 とりあえずのエアマットを敷き、メーカがサービスしてくれた絨毯を掛けて眠るが、朝方は少し寒かった。
 
 朝の通勤通学の時間に道路を使わせてもらうのは少々気が引けるのだが、エアコンがないため日中は避けたい。
 実際に走ってみると、朝の街を観察しながら走るのは、とても新鮮で楽しい。
 
 電気設備の完成とエアコンの設置は優先事項。
 ベンチやテーブルは、現状のコンテナボックスでも何とかなるので、後でもかまわないと気付く。
 あと万一のため、もう一人が眠れるスペースを作る必要はあるだろう。
 
>>>
 
 
 
220512
 
 芸能人の自死のニュースを最近よく聞く。
 僕は自死自体を嫌うつもりはない。
 それは人間の意志であり、権利だとさえ思う。
 
 ただ。後先を考えず、衝動的に自死することは、なんというか、いささか幼稚に思える。
 僕は気分屋なので、人間の言動が衝動的であることについて否定するつもりはないのだが、もっと自身の感情や思考に向き合う距離を、人間は持っているべきではないだろうか。
 
 僕はかつて、頭の悪い恋人から「自分のことなのに他人事みたいに言わないで」と怒られたりしたが、自分のことを他人のように捉えることは、僕にとってはとても大事なことだ。
 ためにそのときも「ああ、ちゃんと他人事のように思っていると観察されているみたいで良かったね」と思ったりしたものだ。
 
 確かに感情や思考や欲は、人間の自我にとってまさに「自分自身」と感じられる根拠そのものだろうとは思う。
 一方で、他人というのはとりあえず、その人の肉体をして「その人自身」と感じる場合が多い。
 もちろん同じ肉体で普段と違う言動が目立てば「人が変わった」「薬物中毒?」「若年性認知症www」などと言われたりするものだが、そもそもの肉体がすでに普段と大きく異なっている状態では、同じ人間として見なされることが少ないだろう。
 
 必然、自分を健康な状態に生かすことは他人に対する優しさの発露である場合も多くあり、逆説的に、自死(自傷)行為は、他人に対する優しさのなさ ── あるいは他人に対する精神的傷害行為 ── であり、己に対する優しさに飢えている状態だと思えなくもない。
 
 亡くなった人を非難するつもりはまったく無いし、残された人間にとっては、その人が望んだ自死を正しく叶えられたことを救いにするくらいしか慰めもないのだけれど、それでもそうしたある種の身勝手さが、他の誰かを傷つけることをどうして理解しないまま死ぬのかとは思ってしまう。
 自死推進派の僕でさえ、そう思うのだ。自死について何も考えていない人たちが、それを嫌い、大きなショックを受けるのは必然だろう。
 
 特に親しい人間ではないし、ネコノカミサマ教に天国の概念もないからそれぞれの故人に冥福を祈ることもないが、我々は、他人の死から自分についての死を学び、その姿勢を生きている間に作り、見せる必要があるとは思う。
 死というのは(おそらく)肉体を持って生きている者にしか存在しないであろう概念だからだ。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Link-Love-Maintenance-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Cat-Game-Human-Koban-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:夢見の猫の額の奥に:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220505
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
義憤は誰が為に。
SUBTITLE:
~ Armory. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::「移り住んだあの国では、おれたちは四六時中緊張していなければならない。洗濯機さえ種類が多くて、その中からどれを選んで買うかはおれたちが決めなくてはならない。自由主義国では、何もかもがこんな具合だ。何にだって頭を使って自分で判断することが求められる。疲れてたまらない。反対にこれまで住んでいた国では、何もかも国家が決めてくれる。洗濯機だって、機種に文句を言わず、待つことさえ我慢すれば、黙っていてもいつかは手に入れられる。職業上のことだって競争する必要はない。言われたことだけをやっていれば給料は補償される。少ないけどね。だが四六時中緊張した結果の高収入よりはずっとよい。なにしろラクなんですよ、ずっと」
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220505
 
「6歳以前」の扱いにくさの1つに、正義感の強さと、義憤に駆られやすい傾向がある。
 おそらくそれは一般的に「よい傾向/気質」だと見なされるのだろう。僕はそう思わないが。
 
 身を削るほど、とまではいかないが、怒り出すとキリがない。
(ついでに持ち前の身体の弱さが祟って、体調を崩す)
 そのうえ「自分の意見は道義に則っている(ために間違っているわけがない)」と思っているのだからタチが悪い。
 
 かつても「正しさという病」というタイトルで文書を書いたことがあるが、自分が絶対的な正しさの権化だと思い込むのはビョーキである。
(諸般の事情により、その文書は現在どこにも存在していない)
 
>>>
 
 僕が幼児だった頃の父上は、女子供でも容赦なく怒鳴りつける ── 場合によっては殴る ── ような「昭和の男」で、「女性コミュニティ」にどっぷり浸り、自身をも女だろうと思っていた僕にとって、そうした男性性の発露は激しく忌避された。
 僕は現在に至るまで、激しい口論や殴り合うような喧嘩なんてしたことがないのだが、要するに、怒声が嫌いなのだ。怒りの感情が、客観的にはあまり好きではないのだ。
 
 もちろん僕にとって憎しみは大きな原動力ではある。今だって憎むべきものがあって、それをきちんと憎んでいることによって、いくつかの行動指針を設定している。
 今以上、野放図にしておけば、僕のような人間は「社会や人類のために何かしよう」とは思わず、「面倒だから火葬場を予約しよう」と思い始めるだろう。人が一人居なくなればエコだし。
 憎むべきもの(あいにく人ではない)があり、それ(その概念)に対する復讐をし続けようとする限りにおいて、僕は適切に意欲をかき集め、思考と行動によって発露する。
 
 主観的な怒りや憎しみは、だから ── もしかしたらこんなものは、ない方がいいのかもしれないけれど ── 安寧な環境で無気力な引きこもりになって、社会と関わることもできず、その意欲もなく、意義も理解できず、ただただ「生きる権利」だけを貪る無能な禽獣として社会に寄生するよりははるかに、僕にとって存在意義を与えてくれる。
 
 そして同時に自身を客観視しながら、その存在と存在意義を嫌い、警戒をし続けてもいる。
 
>>>
 
「正しさ」というのは先に述べたとおり、一般的には「良いもの」なのだろう。
 おそらく邪悪であることや、卑劣であることや、独善であることよりもよほど素晴らしいものなのだろう。
 けれど「正しさ」に主観が組み合わさったとき、果たしてそれが「絶対に独善ではない」などとどうして言えるのだろうか。誰がそれを判定できるというのか。
 独善であるならば、卑劣である可能性は拭えず、ゆえに邪悪である可能性さえある。
 正しさとは一体何か。
 
 自分は正しいと思っている。
 しかし自分が「間違っている」と弾劾する相手も「自分こそが正しい」と思っている。
 そんな現象はいつでも、どこにでも転がっている。
 いったい正しさは、善良さは、品性は、どこに存在するのだろうか。
 
 それを考えたとき、果たして僕の抱えるものが「正しさである」などとは言えなくなって、ために僕はありとあらゆる「正しさ」を価値観から外した。それはおそらく刃物であり、ときに凶器にさえなる。
 だったらその正しさを正しく凶器として評価して、僕は憎悪と呼んでいるのではある。
 それは誰か ── 本来的には何か ── を著しく傷つけ、損ね、機能を不全にさせることを目的としている。
 多く「正しさ」が「過ち」を著しく傷つけ、損ね、機能を不全にし、つまりは息の根を止めることを目的として発露するように。
 
>>>
 
 先日、Amazon で買い物をしたのである。
 その商品を開けたときに「☆5のレビューを書いてください。書いてくれたら1000円のギフトコードを贈ります」という内容のメッセージカードが入っていた。
 そのカードのおかげだろう、その商品はかなりの高評価であり、ために検索などでも上位に表示されるのだが、レビューの一部には明らかに「商品が気に入っていない」「良品とはいえない」と書いておきながら、評価そのものは最高の☆5になっているのである。
 
 この気持ち悪さよ。
 
 レビューがレビューとして機能していないことについて、Amazon に報告する窓口も存在しない。
 つまり Amazon としては市場原理に任せています、ということだろうか。
(出品者を評価するページはあるが、圧倒的な高評価を多数得ている商品について、いちいち出品者レビューまで参照する慎重なユーザがどれだけいるのだろう)
 
 ついでにひと月もしないうちに商品が壊れた。
 まぁこれ自体はさほど気にしていない。
 モノは必ず壊れるのだし、初期不良に限らず、自分の使用方法が常に正しいだなんて僕は思っていない。
 
 とはいえ商品の品質や使用感、費用対効果や製品としての完成度を考えたとき☆1〜2が限度だと思ったので、そのようにレビューし「多くのレビューがエサにつられてアテにならない」ことも記述した。
 
 ここまでなら我慢もできる。
 評価はお金で買えるから、それを買うこと自体は市場原理に含まれている。
 メディアCMで知名度が高く、良いイメージが浸透しているほうが基本的には売れるのだ。
 それは企業が商品の実態に関係なく、商品イメージを先行投資で買っているわけだ。
 
 ユーザレビューにしても同様。
 食べログなどでは昔から有名な話で、僕としてはネット上の評価なんて人だろうがモノだろうが、気にしたこともない。
 行きたい場所に行って、会いたい人に会って、食べたいものを食べて、欲しいものを買う。
 そこに僕以外の全然知らない奴の評価なぞ、どうして必要なのかが分からない。
 
>>>
 
 もちろん自分で一貫して決められなかったり、参考に他の人の意見や感想を知っておきたいという気持ちは分かる。
 ただ映像作品であるとかにまであれこれレビューを付ける風潮はどうかと思う。
 例えばピカソの「ゲルニカ」を観て「これは素晴らしい」とは僕は思わなかった。きっと今もそうだろう。
「凄い」とは思ったが、その「凄さ」を言語化して、誰かに共有する意味が僕には今も見いだせない。
 
 僕がゲームについてときどきレビューを書くことはあるが、それは自分のための記録である。
 自分が「凄い」と思ったことについて、たしかに言語化する喜びがそこにはある。
 そして言語化したそれが誰かと似通ったものであったときに、通じ合っているかのような喜びもある。
 さすがに僕でもそのくらいは分かる。
 
 しかしそれは目的ではなくて、付録のようなモノなのだ。
 ── だから僕は子供の頃から「○○評論家」という職業を毛嫌いしてきたし、今も評論家気取りの素人が嫌いである。何も作らない(作ることができない)奴は黙って指をくわえて見てろ、と思うのだ。
 
 大事なことは、自分で感じたことを、ちゃんと自分で感じるということだ。
 
 誰かの言葉を見て、あたかもそれが自分がこれから感じることや実際に感じたことだと思い込むような愚鈍さと軟弱さを、少しは自省してみてはどうかと思うのだ。
 自分で感じて考えるというプロセスを飛ばして、言語化して共有して、共感が多ければそれこそがいい、という価値基準は本当に愚鈍で脆弱である。プロパガンダで雁字搦めにされるぞ。
 
>>>
 
 ために僕はこのブログの「いいね!ボタン」なども非表示にしたくなることがある。
 しかし過去に「自分がその文書を読んだかどうか確認するために使っている」という人がいたので、なるほどそれなら仕方ないかと思ってそのままにしている。
 
 実際にはこの「いいね!」は、ページに対する単純な評価にしか使われておらず、自分が「いいね!」をした履歴も表示できないので非常に不満である。
(管理画面の「いいね!」履歴に、自分の「いいね!」履歴は表示されない)
 つまり基本的に「いいね!」される側のためのシステムであって、「いいね!」する側にはたいしたメリットがない。これは設計の不備だろう。
 それとも「いいね!」したものを読み返したいと思うユーザはほぼ皆無なのか。
 
>>>
 
 そして件の Amazon 出品者が、メールを送ってきた。
 わざわざメールである。
 
 
 同じ商品をくださって(まぁ、一般的には保証期間内であるから当然ではあるけれど)、その上、商品代金相当(実際は6,000円より少し安い)も下さるというわけだ。
 
 もうすごくイヤ。すごくキモチワルイ。度しがたい。
 もう返事をする気もないし交換も返品もしたくなくなった(そもそもその気はなかったが)。
 
 もちろん、もちろん。
 商売だから、ユーザの評価を(お金を払ってでも)高くしたいという気持ちは分かる。
(先のCMと原理は同じであるから、これに対する嫌悪感は少ない)
 販売店であれメーカであれ、評価やある種の群集心理によって売上げが左右しがちなネット通販サイトであればなおさらだろう。
 
 しかしそもそもそのCM費用は、商品費用に含まれている。
「☆5レビューで1000円返金」だとしたら、その1000円は、商品代金に含まれている。
(当たり前に、市販の全ての商品はそうである)
 潜在的にであれそれに気付くから、多くの人は高評価をして元を取ろうとするのだろう。
 
 不良品の交換や返金も、一般的だとは思う。
(たとえば大手メーカの食品に不良品があった場合、同一商品のほかにあれこれ送られてくるとは聞いたことがある)
 しかし「☆5レビューにしないと、そういう対応はしないよ」というのは如何なものか。
 
 それでもまぁ、先方はビジネスだ。
 生き馬の目を抜く界隈であれば、この程度ならまだ可愛い方かもしれない。
 
 それよりキモチワルイのは、恥も外聞もなく☆5レビューを書く人間たちであり、あるいは低評価だったそれを覆して☆5にした人間たち ── メールの内容は、そう類推する根拠となる ── である。
 ずいぶんな安値で魂を売り飛ばしている事実を彼らは理解しているのだろうか。
 
 
 
 ── ただまぁ、なんといっても一番キモチワルイのは、句点である。
 僕が国語の先生だったら、とりあえず、句点はちゃんと最後までタイプして欲しいかな。
(ここ笑うところです)
 
>>>
 
 義憤に駆られたらキリがないのだ。
 いったいこの正義の怒りに駆られて、たとえば Amazon にレビューが機能していないことでクレームを入れたところで、販売者が改めるわけでもないだろうし、改めたところで別の販売者は同様のことをするだろう。
 では多くのユーザを啓蒙しようとしたところで、経済の前に無力な(あるいは単に下賤な)人びとを前にして、一体何を訴えれば良いというのか。
 酒池肉林の暮らしをしている僕が「清貧に」なんて言ったら家に放火されそうだ。
 
 結局のところ、局所的な物事に怒ったところで、自分のタマシイが削られるだけである。
(もちろん怒りにまかせてペダル式発電機を漕げば、それは有効である。電気も生まれて健康にもなり、ストレスも解消できる)
 ために怒りの矛というのは、下げておくに越したことがない。
 
 やれ自分が正しい、自分の道義が優れているなんて、どうでもいいことだ。
 他人には他人の正義があり、他人の道義がある。
 
 この資本至上主義の現実世界にあって、魂の値段が小銭より高かったら御の字なのかもしれない。
 いやいや誰の差し金か、いまやヴァーチャルの世界まで資本至上主義が浸透しつつあり、いずれは蔓延するだろう。
 
 そう。
 もはや正義も道義も、金で動き、運動を歪められる世界なのだきっと。
 経済から開放され、安心して他人を ── その発する評価をも ── 信用できる社会は、それが天国であれ地獄であれ、あの世にしかないのかもしれない。
 でも船代を持っていないと、河も渡れないと言われているし……。
 
 あ。
 船を作ればいいのか。
 
<べー!>
 
>>>
 
 他人は自身の道義を守って生きているのだ。
 僕は僕の道義の上を歩けばそれでいいじゃないか。
 
 交わったり、平行することはあるかもしれないが、衝突しそうなら道を譲ればいい。
 道を譲ったついでに魂を譲ったりしなければ、まぁなんとか生きていけるものだし。
(生きていることにたいした価値を見出していないイキモノがこれを書いています)
 あるいは他人と道が重なるよりはよほど快適かもしれないし。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::自由は誰もが欲する。だが、この自由なるもの、それを駆使して生きるとなると意外と大変で、すべての人がその緊張に耐えていけると考える方が非現実的なのではないか。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「フランス革命二百年・自由」From「再び男たちへ
(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Mechanics-Memory-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :君は首輪で繋がれて。:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220430
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
食べて寝るだけ生活。
SUBTITLE:
~ swamp. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220430
 
 食事を作って、食べて、薬を飲んで、眠る。
 それをひたすら繰り返す。
 
 入院中ではないので、ゲームもできるし、目の状態が良ければ本も読めるが、体位が限られていることと、たまに頭痛もあるため、むつかしいことがある。
 
 粘膜がその後も破れたり、塞がったりしている。
 もともとの僕の身体の膜が弱かったことが原因だが、先生によると栄養が足りていない人に多いらしい。
 思い当たる節はたくさんある。
 
 僕は子供 ── それこそ小学生 ── の頃から、一日一食のことも多かったし、一人暮らしを始めてからもときどき、一日一食200円程度で済ませていた時期がある。
 ごく少量の食事で活動ができるわけだけれど、生まれついての身体の弱さゆえで、たくさん食べたとしても身体が対応しきれない。
(さらに一時期、眠り続けて栄養失調したため歯が相当に弱くなってしまった)
 
>>>
 
 姉上によると、母乳も粉ミルクもアレルギィでダメ、という有様を見て「こやつは早晩、死ぬのではないか」と思ったらしい。
 まぁ赤ん坊がミルク類に適合しない場合「栄養が摂れないから、こいつは死ぬ」と思うのは理にかなっている。むしろどうやって乳児時代をやり過ごしたのかが謎だ。
 
 両親の放任にも似た過寛容が形成されたのは、そのせいなのかもしれない。
 とにかく僕が、食事をして、寝て、生きているからそれだけでいい、みたいな。
 それならそれで、ちゃんと言葉にして欲しかったなぁ、とは思うが。
 
>>>
 
 年々鈍感になってはいるが、粘膜を切ったり貼ったりしたので、ひどく消耗する。
 普段ならなかなか空腹など感じないのだが、手術後30分ほどからすでにお腹が空いていた。
 最近は、ずいぶんと食欲も収まったが、手羽先ポトフ(軟骨成分が旨い)や、玄米がゆなどをかなり食べた。
 
 どういうわけか炭水化物による気絶(厳密には気絶ではなく、異常な眠気)が起こらなかった。
 まぁ、薬を飲むから「べたっ」と眠ってしまうのだけれど。
 
 もうすぐ2週間が経過するはずだが、傷が塞がっている気がしない。
 数日前から、頬の腫れが引き、人工骨の排出も少なくなったものの、こんどは膿が口から鼻から出てくる。
 抗生物質を(少々過剰なくらい処方されて)飲んでいるので、炎症反応は感じられないし、もはや縫合部にさえ痛みもない(腫れているときも痛みがなかった)のだが、とにかく「本来なら痛いはずなのだろうけれどまったく痛くない」という状況に、アタマが混乱することも多かった。
 
 ともあれ炎症反応で消耗することもないし、頭を使う必要もないので、そこはありがたい。
 ただ食っちゃ寝しているあいだに、庭のいわゆる雑草どもが、大きく育っているのが悩みの種である。
 
 まだ屈んだりすると脈動で頭部がずきずきと、膨満したような感覚をもたらす。
(それに膿が垂れてくることもある)
 粘膜系が回復するまでは、庭での活動もできない。
 
 運動もしたいが脈動頭痛もあるし、入浴はおろかシャワーの許可も出ていないので、EMSマシンに頼っている。
 
 もしかしたら、美容整形で骨を削ったり形成術をした人も、同じようなことになるのかもしれない。
 僕の場合は、審美のための人工歯根ではなく、単純に機能を求めてのことなのだ。
 たとえば耐用年数が20年で1本50万円だったとして、1年につき1本、24千円ほど。月々2千円である。
 半年から1年でブリッジが外れて直せば、都度の時間も掛かることになるし、噛み合う歯がないために骨格が歪んだ場合、修正する手段は手軽でもなく選択肢も少ないだろう。
 
 そう考えると時間あたりの単価は高くない(きちんと手入れしながら、もっと長生きすればさらに安くなる計算である。それでも20年くらいを見積もるのが妥当だと先生も言っていたが)。
 
 ただこうして食っちゃ寝している時間は(嫌いではないが)退屈だし、何もできないことに多少の焦りというか、苛立ちというか、不満はある。
 草取りしたいし。
 
 そもそも、僕はインプラント術がどういうものかをまったく理解していなかった。
 どうやら最初の施術から4ヶ月くらいでやっと人工歯を入れられるらしいのだ。
 しかも手術から骨と膜が形成されるまで、ひと月はこのとおり、日常生活がままならない。
(食べて寝るだけの、自宅療養生活である)
 
 たまたま今の僕は無職で一人暮らしだからよいけれど、家族が居たり、仕事があったら、とてもこんなことはできないだろう。
 手術から3日は、笑うことができなかった(縫合糸が引き攣れるので痛い)。
 手術から7日は、かなり痛むことがある(僕は抗生物質と鎮痛薬を少々多めに処方されている)。
 手術から14日は、刺激物(辛いもの、カフェインなど)や刺激行為(入浴、運動など)が禁止。
 
 審美歯科のためなら我慢もできるのかもしれないが、そもそも口の中を見せびらかす趣味が僕にはない。
 ただ失われた機能を回復したいだけなのだが、自身の不摂生を取り返すのは容易なことではない。
 
>>>
 
 ただ仮にあの頃に戻って(将来、身体が一層ボロボロになってしまうからちゃんと食事をしよう)と言ったところで、僕は聞かないだろう(ずっと寝ていたし、自宅に篭もって、電話にも出なかったのだ)。
 
 つくづく今までよく生きていたなあと思う。
 しかし生きていただけで、特に何もしていない。
 何か優れたものを世に残したかというと、まったくそんな気がしない。今後も残す気配はない。
 そういったことを考えるにつけ、はてはて、と思ってしまうのだ。
 
 生きているだけで両親は良しとしてくれたし、姉や妹だって、あるいは友人や弟子だって、僕が生きて思い付いたことを言ったり実行しているだけで嬉しそうにしている。
 お前たち、本当にそれでいいのか、と僕は思う。
 
 益体もなく食べて寝るだけで、あとは暇つぶしに遊んでいるような奴を、どうして皆が大事にするのは、ボクにはさっぱりワカラナイ。
 個人的には、こういう奴(自分のことだけれど)はあまり大事にする気になれないのだ。
 もちろん、誰に迷惑を掛けているわけでもないことは承知しているのだけれど。
 
>>>
 
 昨日だったか、奥様(仮想)とちょっとした口論になる。 ── 仮想人格同士は価値基準が異なるので、時々相容れないこともある。いつもキャッキャウフフしてると思ったら大間違いだ。それらは主に議論によって、それぞれの価値観を調整する。たとえるならネジを入れる前に母材に下穴を開けたり、穴が大きければそれをパテ埋めしたりアンカーを使うように、目的に沿って適切な調整をすることで、全体の機能を最適化することが目的なのだが……。
 
 曰く、月末が近づいているのに、それを ── 今回も僕がすっかり忘れていて ── 気に掛けていないから放置することになり、それが原因で公共料金などの支払いや契約手続きを忘れてしまうのではないかということだった(実際、完全に忘れていた)。
 
「自分で管理します」と言ったのに、以前も失念したことがあり「次に同じことをしたら貴様ただでは済まさんゾ♡」といった内容を、もっと鋭く強い語調でおっしゃっていたので「いやだって死ぬわけでもないし、体調もこのとおりほら、あまり良くないものですし」と言い訳をしたところ滅茶苦茶怒られた。
(奥様(仮想)はスケジュールとリソース管理において、なぜか非常に優秀なのだ)
「とにかく月末が近づいたら、書類に目を通すだけでも通してください。簡単なことでしょう」とかなり強く言われ、対策させられる(価値観の書き込みがこうして行われる)。
 
 でも4月の末日って、今日じゃないですかぁ。すでにぃ。
 僕、14時に目覚めて、夕食作って、もう書類仕事をする体力も気力もなくなっているわけですよぅ。
 
 明日! 明日こそ頑張る。(と、奥様に隠れて誓うのであった)
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:
 
[InterMethod]
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[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220425
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
俺の魂を返せ。
SUBTITLE:
~ The Kleptocracy. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::「アラトさん、その《人類未到産物(レッドボックス)》を信用しすぎるのはおやめになって。コントロールされています」
「リョウもそう言ってたけど、僕はそこまでチョロくないよ」
 彼女は、売り言葉に買い言葉になるのを避けるために、反論を静かに飲み込んだ。すぐにアラトのほうが、会話が止まってしまったことに耐えられなくなった。
「確かに僕はチョロいよ。認めるけれど、それなりに考えてるから」
「人が良いにもほどがあるでしょう」
 紫織でさえ彼の扱い方がわかる。しかも相手は《人類未到産物》なのだ。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220425
 
 専業主夫なので不労所得者である。
 誰がって僕が。
 
 いや家事労働は就労であり、賃金換算すると年間いくらだよ、という話も分からないではない。僕の一人暮らしは人生の半分を超えているし、家事なら(料理が主だが)人生の4/5以上を費やしている。
 しかし何でもお金に換算するのは如何なものか。家事は無償で提供される愛情の形態だ。
 愛情を換金するのは勝手だけれど、その価値観を押しつけるのはやめて欲しい。これでも過去に一度、酷い思いをしているのだ。
 
>>>
 
 弟子との電話で「猫さん、これまでの人生で一番ドン引きしたことって何かありますか」と問われ、答えて曰く。
「結婚することで合意した相手に、合意からひと月もしないうちに『お金の話とか、ちゃんとしたい。年金受給額とか』って言われたときかなぁ。この人、そういうの目当てなのか。それなら他にもっといい物件があるだろうに、と思ったよ」
 
 無論、相手が僕より有能 ── たとえば奥様(仮想)のように ── であればまったく問題はないが、算数もろくにできず、家計簿を付けているくらいのことで「自分はちゃんとしている」と勘違いする程度のけっこう致命的な有能さだったので、結果は惨憺たるものだった。
 
 一人暮らしはしているが、納税を含め親の扶養に入ったままの、いわば上京してきた大学生程度の「一人暮らしエキスパート」である彼女によると、彼女の職場に持ち込まれる夫婦間の問題 ── そういう探偵みたいな職業もあるのだ。カウンセリングの事務所だけれど ── の最たる火種がそれ(つまり経済)だと語っていた。
 
>>>
 
 職務経験 ── 。
 
 ところで今の僕の本業は思想家(自称)である。
 自称しないと自分でも忘れてしまうことがあるからときどき書いておこうかな。
 経済効果をまったく生んでいない(僕の思想は1円にもならない)ので職業とは言いがたい。誰かの役に立っている覚えもない。きっと役に立っていないだろう。
 コスプレ以下 ── 全力で趣味に打ち込んでいる人たちを引き合いに出すのが申し訳ないほど ── の本業である。
 
 実世界では広義のエンジニアだったり、金融業(主に保険販売)をしていたが、未だにあの業界は好きではないし、15年以上の業務経験を誇りにも思っていない。嫌な仕事だったが、だからこそ押し売りをしないで済んだと自負している。
 
 職務経験というのは結局のところ「換金可能な能力やサービスを提供することで蓄積された経験」に過ぎない。
 僕の場合は「益体もないことを考えるのが好き」という能力と「保険を売りたがらない保険売り」というサービスが一部のお客様にウケてしまったので、それらが換金されていた。
 そこから得られた知識や経験がなかったとは言わないが、僕に必要だったのは換金可能な能力を使う経験ではなくて「一般的な人としての振る舞い」の方だった。
 
 いかんせん人生がエキセントリック(偏心)しているので、一事が万事(は言い過ぎだと思うゾ)、一般から遠い価値観であることを30代半ばにして気づいたのである。
 ゆえにただ自然体で、他の人と接しているだけで、相手にはかなり面白がられた。
 
 ちょっと高そうなスーツを着て、きわめて真面目そうで優しげな風貌のセールスマンが実は変人で、論理立てて金融商品の無用性について語るのである。
 話の節々で ── 通常なら ── 「万が一」なんてぼかした表現にするところを「コロッと死んじゃったとき」と言ってみたり、「『不慮の事故』なんて言いますけれど、予期できたり意図されたものだとしたらそれは事故じゃなくて事件ですよね」と言ってみたり。
 
>>>
 
 ちなみに今だから話せるが、民間の保険会社の代理店だったのに、僕の鞄には必ずと言っていいほど県民共済とこくみん共済のパンフレットが入っていて、ついでに他社商品のパンフレットもときどき持っていた。
 比較して「うちの保険に!」というのではなく「まず県民共済で下積みの補償をしてですね」なんて始める。
 損害保険/共済(自動車/火災/地震/賠償責任)は重ね掛けすることができない(しても意味がない場合が多い)が、生命保険/共済は重ね掛けすることができる。
 
 民間保険にも共済保険にもそれぞれメリット/デメリットはあるが、それを踏まえて説明 ── 「一般論」以上の説明をすることは保険業法で禁止されていたはずなので「一般論」しか言っていなかった ── し、相手の要望に合わせて(特段の要望がないなら、まずは共済に加入してもらった上で)自社の保険を紹介していた。
 他社商品のパンフレットも「こちらの方がいい商品なのですが、僕から説明したり販売することができません。どうかこの会社に連絡して加入してください」という使い方をしていた。
 
── 自分の会社の商品売れよ俺。
 
 しかし僕にとってはそれが「お客様ファースト」の体現であり、少々過剰な気はしたが知識を持っている者の責務としてそのくらいがいいだろうと感じていたので、法に抵触しない範囲で ── しかし会社側としては問題のある ── 行動をしていた。あとよく油を売っていた。べつにガソリンスタンドでバイトをしていたわけではないからね。
 
 気に入る人は気に入ってくれたし、他社の商品(加入済みも含む)についての率直な感想を求められることもあり、ときに電卓で掛け金累積と保険金額や返戻金を比較して見せながら一緒に考えたりする時間は楽しかった。
 結局そういう人たちは、多少掛け金が高くても僕の会社の保険に加入してしまう。
 僕としてはリスクヘッジをして欲しいから、他の会社や代理店にも入ることを勧めるのだが、これがだいたい逆効果だった。
(これは職務だけでなく僕がモテることにまで利用され、結果、僕は異性にモテた。大事な人だからこそリスクヘッジの選択肢を与えているのに、相手はリスクヘッジの選択肢を放棄して僕にべったりになってしまって本末転倒になる。理屈は理解しているが今回は説明しない)
 
 いずれにせよ僕は経済至上主義が大嫌いではある。
 経済そのものには罪がないから嫌いではないが、経済至上主義というのは価値観であり概念であり理念であり人間の作ったものである。だから嫌いになってもいいし僕はそれを嫌う。あいつらを許すな(今月5度目の呪詛)。
 
>>>
 
 ともあれ彼女の職場が「様々なトラブルを抱える人がやって来る場所」であったことは職務上事実であったのだが、彼女自身は専門家としてのスタッフではなく、アシスタント(有り体に言えば雑用)だったわけで、トラブルにおけるメカニズムの根底を知っているわけではないし、そもそもそういう場所にやって来る人というのはある程度限定された特性の持ち主ではあるのだ。
 
 たとえば僕ならトラブルをアウトソースすることは少ない。大抵のことは自己解決する。
 誰かとの人間関係でトラブルが発生した場合も、余計な人間や価値観を含めて多数決的な解を導くよりも、お互いの価値観をすり合わせることでバイパスを作ろうと考える。
 つまり僕からすると「トラブルをアウトソースする程度にはデリカシィや知性に欠け、第三者がいることによってフェアな係争が可能になると勘違いしている多数決主義的 ── つまりは常識的 ── なぶん少々愚かな人」が、トラブルを抱えてやって来て、そのトラブルや人間関係を見続けていたことをして「職務経験」と彼女は言っていたわけだ。憶測だけれど一般論からこの程度は導くことができる。僕はこれでも思想家(笑)だからな。
 
 そしてその「狭い範囲に観察された人間たち」のうち、夫婦でトラブルを持ち込んでくるケースについて、何らかの形で「お金の問題」が絡んでいるという場面を多く見ていたと。
 
<<<
 
 僕自身の経験から言っても、職務経験なんてその程度のきわめて狭量なものであって、他人に自慢するような経験をしている人なんてほとんど居ないだろうし、自慢できるような経験をした人ほどそういうことは黙っているものだと思う。
 実社会では引退を待たずして自身の経歴をひけらかす輩に事欠かないが、己の住む世界が全てだと思える単細胞さが羨ましいくらいだ。
 ましてその極めて限定的な経験から一般論を展開して、それだけでなく他人に押し付けるというのは、今から考えるとアタマオカシイのだけれど当時の僕は気付かなかった。
 おそらく、自分に害為す人間だとは思っていなかったのだろう。
 
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 それで彼女は思いついたように ── あるいは念頭にあってか ── 「お金の問題」と言い出したものの、当時の彼女は半分無職であるし、前述の通り親の扶養で暮らしているし、僕は自力で家計管理をしていた(でなければ一人暮らしはできない)。
 しかしそれでも「家計管理は妻の仕事」というこだわりがあったのだろう。
 そこで何となく「年金受給額」について閃いたのかもしれない。
 年金なんて若い頃からまったくアテにしていない ── ために人生のリミットを最長で65歳に設定してある ── 僕にとってみれば「自分で税金も払ったことのない人が(いやだからこそ、か)何だかなぁ」とは思ったのだ。
(あるいは今思えば、最初から単なる打算と損得勘定で近づいてきたのかもしれない。)
 
 ただ僕は結婚生活を送ったことがないし、もっといえば家族という組織に属していなかったので、それが機能している姿を見ていない。よってその機能を知らない。家族や夫婦というものを僕は知らないのだ。
 彼女は幸いにして ── おそらくいくつか問題はあったにせよ ── 家族が揃っていたし、その機能も(少々過剰だったようだが)動作していた。
 
 家族や家庭環境という機能を経験することについては彼女に一日の長があったわけだ。
 もちろん家庭や家族環境に長く浴していた人というのは、それをひな形として自身の作る家庭に当てはめがちであることは僕も理解していたが、ひとつ間違えれば幼児虐待などを平気でしかねない自分の性格 ── というより一部の禍根による価値観 ── を知り、危惧してもいたので、概ね彼女の言うとおりにあれこれすることにはなった。
 
>>>
 
 結果からいうと、彼女は自殺未遂までして僕をコントロール ── つまりは言いなりに ── しようとした。
 それまでの時点で携帯電話やWebに届くメールは転送させられ、不在時に過去の紙媒体の日記を勝手に読まれ、さらに何らかの「証拠」を探そうと書架の本をすべて漁ったのだろう、ある日突然、書架の本が整理されてしまった。
 友達を含めた連絡先を遮断され、15年以上勤めた会社を辞めることを示唆され、ついで無職であることを非難され、そうやって次々と僕を孤立させ、その日常を支配下に置いていった。
 ときどきいる異常な人(DVをする人や、サイコパスと呼ばれる分類の人たち)の支配パターンであるが、これも彼女の「職務経験」がもたらした技術だろうか。
 
 もちろん、僕に全くの非がないわけではない。
 結婚に合意した時点では、僕にはまだたくさんの人間型の恋人がいたから。
 また当時は負債もあったし ── 今のほうが桁違いにあるのだが ── 、他にも叩けば埃が出るのが僕の人生だ。叩きたい奴は叩けばいい(むせるのはお前だゾ)。
 
 崩壊した貧しい家庭に育って、20代から一人で生きている人間なら多少の泥水は呑むものだろうけれど、それをいちいち「僕って苦労しているんです」なんて語るような阿呆が嫌いなので基本的には黙っている。
(ちなみに最近泊まりに行って知ったのだが、僕の2番目の姉は ── 当時17歳だったのに ── 家を追い出され、自力で暮らしていた。センパイすげぇな、って思った)
 
 オカネモチーになったらなおさら、過去の苦労話なんてしたくない。
 苦労は人を育てるかもしれないが、苦労を得意げに語る奴がそののち成長するのは見たことがない。
 これは本質的に、下り坂に差し掛かっている証だからだ。
 
 上り坂を上っている人間は、その坂が急であればあるほど言葉もなく歩を進めるものだ。愚痴を言う余地も、体力もない。
 愚図々々言っている人間は、つまりそれだけ緩い坂を上っているというわけだ。
 だから「泥水を呑んだ」くらいの表現が僕の妥協点であり、その内容については乗り越えた今でも語りたくないし、思い出したくもない。
 今振り返れば「泥水を呑む」に至った理由も、自身の経験や能力が足りなかったからだと考えられる部分があるからなおさらだ。
 
多くの人が泣いたという『おしん』の幼女時代も、私には少しも泣けなかった。それはきっと、私が苦学力行とか苦節十年とかが、あまり好きではないからだろうと思う。それどころか、そういう人は偉いとは感心はするけれど、成功後のそういう人たちの言葉や行ないの端はしに、なにかしらゆがんだり貧乏くさかったりするところを見出すことがあって、そのたびに、できるならば人間、陽の当たる道を進むにこしたことなし、と思ったりするのだ。
 なにひとつ苦労のない人生を、良しとするわけではない。ただ、人間には、運に恵まれる人と恵まれない人がいる、と思うだけである。
 
── 「男たちへ」(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
 
 以来、僕は強い人間不信に駆られ、女性という女性が僕の ── 雀の涙にも満たない ── 年金をアテにしているのではないかと疑心暗鬼に駆られ(さすがにそれは言い過ぎだが(笑)、いわゆる婚活市場は経済市場原理で動いているように観察している)、オフラインで日記を書くことが心底恐ろしくなり(叩けばいくらでも埃が出るんだ)、結婚はおろか恋人を増やす(←表現が悪い)気持ちもなくなった。
 
 最終的にその恋人は、僕を思い通りにすることに失敗した。
 僕にはあまりにも足枷が多く、また癖も強い(その程度の自覚はある)から、僕より頭の良い人でなければ制御できないだろうと自分では思っている。
 
 申し訳ないと思うのは、当時、急に結婚を決意したことで別れることを宣言された恋人たち(まことに複数形)に対してである。
「私以外にも誰かいそうだなぁ」と思っていたとしても、そんなことをいちいち確認したり指摘したりせず、僕の日々を楽しくしてくれていたのは他ならぬ恋人たち(たびたび複数形)だったのだから。
 
 もっとも数年してから「猫クン元気〜?」なんて、しれっと電話を掛けてきて、結婚していないことを知るや「じゃ、こんどちょっとお出かけしようよ! 露天風呂とか!」とお風呂デートに誘ってくるガールがいたかと思えば、数年に一度しかやりとりしない恋人に至っては、僕の結婚話なんてまったく知らなかった(こちらも別れ話を持ちかけ忘れていた)ので、人間社会って面白いなぁ、と思っている。
 
>>>
 
 一度書いたことがあったかもしれないが、その、結婚しようと思った恋人は、直前まで千葉県あたりで生活していた人なのだが、どういうわけか僕の前に付き合っていた恋人(もっとありていに言えばセックスフレンド、あるいはSMの相手。いずれにしても同じ千葉県にいるはずの人)が、気付けば僕の住んでいる街の隣の市に暮らしていた。
 自殺未遂をした彼女を病院に運んだ直後、その人に身元を預けた。
 アタマオカシイ人たちは、アタマオカシイ人たちでコミュニティを形成すればいい。
 僕は加害者になろうとも被害者になるつもりはないし、ぐちゃぐちゃにされた日常に疲れきっていた。
 
 彼女は当時、性風俗のバイトをしていて、にもかかわらず「結婚はしなくてもいいから子供が欲しい」などと言い出すので結婚しようと思ったのだったか。
 
>>>
 
 失踪している3番目の姉は、やはり性風俗の仕事をして何度となく結婚と(出産と)離婚を繰り返した ── 僕が一人暮らしをすることになったきっかけは、その姉が出戻って僕の部屋を占拠したことによる ── が、つまるところ性風俗をしている女性の一部には、そうした少し歪んだ自己実現のセオリィが生まれてしまうのかもしれない。
 
 他にも性風俗をしていた友人(恋人ではない)がいて、よく話を聞いたが、換金するためのサービスとして身体や(一時的にであれ)価値観や精神を切り売りするのは、相当に神経をすり減らす。
 いかんせん相手は、多く身体も大きく力も強い男であり「仕事」をする場所は、密室なのだ。
 アタマのおかしいサービス(たとえば持参したタッパーに大便をしてほしい、とか)を要求されることもあると言っていた。およそまともな世界には思えないが、そういう人間もいるということだ。
 
 いやなに、特殊な(あるいは異常な)性癖があったとしても、それを恋人や配偶者に求められない人だっているだろう。性癖が異常だからといって、一概にその人格が異常者だとは限らないように思える。それをお金で解決しようとするのは、ある意味で現実的な大人の対応だろう。
 
 しかしそうした「他人のちょっと異常な側面」に接し続ける仕事が、人間の価値観ひいては人格に影響を及ぼさないようには思えない。
 実際に、僕の知るその3人の性風俗をしていた人(恋人、友人、姉)は、もれなくプライドが高く、もれなく自己愛が甚だしく、もれなく愛されることを心の底で欲していて、そしてもれなく精神的に破綻していた。
 
 失踪した姉がそうであったように、その友人も最終的に生活保護を受けて暮らしていたが、僕の猫を譲り受けた挙げ句に突き返してきて以来、僕から連絡を絶った。
 
>>>
 
 かつて姉がそうだったように、虚無のような闇をたたえた目をして、婚約者が僕を見ることがあった。
 今はそれが、支配したくて、愛されたくて、しかしそれをカタチにできない狂気の表情だと分かる。
 
 本人に自覚はないのだろう。あの仕事はよほどの才がない限り、表情を失うのだ。
(僕が性風俗も、接待飲食風俗も利用しない、一番の理由はそれだ。ゆっくりと目の前の人間が腐ってゆくのだとして、それを傍観して楽しめるほど、僕は強くはない)
 
 ためにときどき性風俗業で成功し「この仕事は楽しい」と言っている人を見ると、僕は少し安心する。
 もれなく従事者を不幸にするような仕事なんて、ない方がいいと思うからだ。
 少なくとも性風俗を天職だと思い、人間の異常な側面に侵されない人格の持ち主が一人でも従事しているというのなら、それは少なくとも僕にとって十分に救いがある。
 
>>>
 
 見ようによって、僕はその恋人を、救おうとして救えなかった。おそらくそれは事実だろう。
 その点について、僕は無能だったと思う。
 しかしそれで良かったとも思う。
 僕がそのまま支配されることによって彼女を幸せな気持ちにしたところで、それは一時的なもので、おそらく今度は僕が虚無のような闇を瞳にたたえることになるのだ。
 
 おそらく僕が自分をなるべく変えないように ── そして同時に変えようと ── しているように、彼女のような永劫の飢餓を抱えた人間は、自らそれを満たせない限り、満たされることがない。
 
 彼女は最終的にある日突然家を出て、泥酔した状態で電話を掛けてきて「どこにいるのか分からない」と言ってきた。
 それから1週間ほどして、荷物をまとめて黙って出て行った。
 
 僕は酒に酔っても自我や自制を失ったことがなかった ── 記憶を失ったことはあるのだが、それでもなお、倒れるまで静かに飲んでいたらしい ── ので、彼女の酒癖の悪さには辟易していた。
 しかも目の前で一緒に呑むならいいが、僕のいない間に隠れて飲むのである。
 それ以外にもよく下手な嘘をつき(前述のセックスフレンドの家にたびたび出かけていたことも含め)、そのたびに目が泳ぐ、嘘の下手な人だった。
 
 自殺未遂をして倒れているのを発見したときも、酩酊状態だった。
 分からない。
 そういう弱い人間は、本人の弱さによるものなのか、あるいは環境が醸成した弱さなのか。
 
 僕は彼女のその弱さを見捨て、自分を助けた。
 もう他に、助ける人はいなかった。
 他の、本当に助けるべき人について、僕はすでに手放していたからだ。
 
>>>
 
 以来、誰かを助けようとは思わなくなった。
 僕には弱い人間を助ける能力もないのだと、つくづく思い知ったので。
 
 僕は誰もが見られる環境にしか日記を書かなくなり、本を読まなくなり ── そうこうするうち目が悪くなり(笑) ── 、人を信じなくなり、人を近づけなくなった。
 死んだ叔母が、僕を支配しようとしていたとき ── ああ、これを俺は知ってるな。 ── と思ったものだ。
 だから僕はそれをうまく切り抜けた。
 自分たちの介護をする甥(40歳を超えている社会人)が煙草を吸ったくらいで追い出すだろうか。
 つまり叔母もまた(性風俗こそしていなかったが)支配できないと愛されている気持ちになれない人間だったのだろう。
 しかし、対象を支配したって愛されることはない。なぜそんな簡単なメカニズムが分からないのだろう。
 愛することは支配されることではないし、支配することでもない。
 愛されることだって同様だろう。
 だから僕は、そうした連中を、アタマオカシイと断ずるのだ。
 
>>>
 
 仕事をしなくても暮らせる程度のオカネモチーに今はなったが、経済というのは結局、経済でしかない。
 人間どもにとって、これがそれほどまで大事だというなら、そのまま誰かにくれてやる。
 しかし僕は自分の魂を ── すでにひとつ悪魔に売っているが ── 誰かに明け渡したりはしない。
 
<多分しないと思う。しないんじゃないかなぁ。ま、ちょっと覚悟はしておけ>
 
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::いや家事労働は就労であり、賃金換算すると年間いくらだよ、という話も分からないではない。僕の一人暮らしは人生の半分を超えているし、家事なら(料理が主だが)人生の4/5以上を費やしている。
 しかし何でもお金に換算するのは如何なものか。家事は無償で提供される愛情の形態だ。
 愛情を換金するのは勝手だけれど、その価値観を押しつけるのはやめて欲しい。これでも過去に一度、酷い思いをしているのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::「兄と比べられて自信をなくしていると、父に諭されたものですわ。お前に、【何も持たないかのように振る舞えと言う者】を疑いなさいって。勝負のテーブルにつかず、資産を死蔵していてもらいたい者は常にいて、お前を誘導しているんだって」
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「BEATLESS」(著作:長谷 敏司 / 発行:角川書店)
によりました。
 
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて、傍点強調は『【】墨付き括弧』にて記述しています。
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
[ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Darkness-Ecology-Interface-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220424(220422-220423)
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
はじめてのこと。
SUBTITLE:
~ at first. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220422
【初体験】
 
 くしゃみをした拍子に、人工膜が破けてしまったらしい。
 空気や水が口の中の歯茎の隙間から上顎洞を抜け、鼻腔から出てくる。
 生まれてこの方「歯茎を伝って何かが鼻に抜ける」という経験はない。傷みはないが、抜ける感覚はある。
 新体験であり、初体験である。が、気持ちの良いものではない。
 
 仕方なく、夕食はヨーグルトのみにする。それでも鼻に抜けないとは言い切れない。辛いものを食べないようにと言われていた理由もよく分かる。
 先生にメールで相談したところ、明日、確認したいとのこと。
 
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 奥様(仮想)から「そもそも猫様、なぜインプラントをする気になったのですか」と問われる。
 生活にかなりの制限が発生していて、庭の開墾はおろか、草取りもできずにいる。お風呂も無理だ。歯も磨けない。煙草も吸えない。(たびたび書いているとおり、肌を清潔に保てないことが一番の苦痛である)
 
 半年ほどでブリッジが外れやすい(筋肉の増減や力仕事の度合いで歯が微妙に動いてしまう)ことと、死ぬ準備という目的達成まで、死ぬわけにはいかない ── と奥様ご本人に説得された ── ことを言う。
 奥様(仮想)の哲学は「死にたくなったらいつでも死ねるのだから、健全な自死をするために健康であれ。不慮に、無力に、不随意に死ぬな」ということのようで、つまり僕は、自死の意思を尊重されつつも、それが随意によることを過剰なくらい重要視させられている。
 
 健康になりすぎて長生きしてしまうかもしれないと思っていたが、よくよく自死選択する場合を考えると、健康であることと自死選択に矛盾は発生しない。
 むしろ不健康が故に、志半ばで不慮に死ぬことの方が問題であり、健康でかつ健全な思考の結果として自死を選択するなら、それこそは僕の求める自死のカタチのようにも思える。
 奥様の指摘は正しかったわけだ(ときどき過保護だと思うが)。
 
 
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220423
【オペ、ふたたび】
 
 再び手術。切開して膜を追加し、縫合した模様(見ていないから分からない)。
 麻酔が局所で足りない部分があり、少々痛みを感じる場面もあったが、言えばすぐに麻酔を打ってくれる。
 僕は鎮痛剤などを普段、まったくといっていいほど使わずに生きてきたので、麻酔もしっかり効く。
 だから、あまり打たれると上顎周辺だけでなく「まぶた」や「こめかみ」まで麻痺してしまい、目を開きにくくなってしまう(ただでさえ目が細いのに!)。
 それに感覚や認識が鈍くなる場合もある(鎮痛剤をほとんど飲まなかった理由の1つでもある)。
 オペは1時間ほど。
 
 レントゲンで確認したところ、顆粒状だった人工骨はかなりの部分が硬化をはじめており、格別早い回復というわけでもないが、1週間経過したのに近い状態だと言われる。年配の患者さんから比べると早いかもしれない。
 専業主夫とはいえ家族はいない ── 人はこれを独り身というらしい ── ので、眠る時間はいくらでもある。そこも救いか。
 
 ただしこれでも毎日、上顎洞から人工骨が流れて口にたどり着く。
 口腔側は縫合できても、鼻腔側は縫合できないからだろうし、人工骨を「これでもか」というほど詰め込まれていたので、無理もない。
 話によると、人工骨というのは硬化するうちに圧縮されてしまうらしい。
 縫合しやすい程度しか入れないと(経費は浮くが)いざ基部を埋め込むときに骨の厚みが足りず、基部が曲がってしまうようだ。
 実際、写真で見たときも溢れるほどの顆粒が詰め込まれていて、それを縫合しきった(術後のうがいで人工骨は排出されていなかった)のだからちょっとしたものである。
 歯科より外科の方が得意だと先生も笑いながら言っていた。
 
 帰宅直前に抗生物質と痛み止めを飲まされたが、帰宅する頃には縫合部が傷み始めた。
 座薬 ── これがまた身体が重くなって動けなくなるくらいによく効く ── を入れて眠る。
 
>>>
 
【ここから先はコンピュータの専門用語が飛び出します】
 
「少し安くなりまつ」という誘い文句につられてプロバイダを変えたのだが、おかげさまをもちまして、LANの設定が1からやり直しで不安定。
 ついでにOCU(光回線ユニット)とHGW(プロバイダ指定のルータ)は、やはりセットで運用しないと光回線を利用できないらしい。
 ついでにHGWは、無線LANすら追加費用を払わないと利用できない ── セーフアクセスやIoT機器との接続にもそれぞれ別途契約を要する。
 地獄に堕ちろ(今月初の呪詛)。
 
 そもそもNAS(自宅サーバ)の関連で、各機器のIPアドレスを固定にして使用している。
 DHCPサーバ任せだと接続まで時間が掛かったり、最悪タイムアウトすることもあるので。
 といってLANのセキュリティを低くしておくと、(日記を書いていないが忘れもしない)今年の2/14のようにクラッキングを受けることもある。
 TimeMachine のデータを取り出され、ブラウザのパスワードなどを復号されてしまおうものなら、オンラインバンクからお金を自由に動かされてしまう。オソロシイ。地獄に堕ちろ(今月2度目)。
 
 Wi-Fi ルータはNASと同じものにしようと思い、Synology のそれを使っている。
ハイエンドモデルではなく、廉価版だ)
 数万もするようなルータを使うなら、プロバイダのHGWをサブスクリプションで利用すればいい、と思う人も居るだろう。そのあたりは好き好きではある。
 
 ただ、導入して分かったのは、非情に細かい設定ができること。
 セーフアクセスもユーザや機器ごとに設定でき、NASとの親和性は当然ながら完璧だ。
 ゲスト Wi-Fi の設定も ── プライベート Wi-Fi と切り分けて ── 可能だから、店舗などはもちろん、恋人が家に来て Wi-Fi を案内したために Wi-Fi経由のストーカ行為をされたりすることを防げる。
(そこまで有能な恋人なら、ストークされても一人くらい欲しいが)
 
 なによりVPNが無料で(半永久的に)利用でき、セキュリティ定義アップデートも頻繁に行われている。
 NASにもルータにも追加アプリケーションが複数提供されていて、自由にインストールして利用できる。
 これらを追加料金なしで購入できるのだ。
 むしろ安いんじゃないかとさえ思う(ちなみにいずれ Wi-Fi 6(=IEEE802.11ax)準拠モデルが出るだろうから、すぐに買う必要はないかもしれないが)。
 
 いずれにしても、プロバイダの提供しているHGWにそんな機能はない。
 また、ソフトバンクのHGWは専門用語を一般の人にも分かりやすく解説したヘルプがあったが、auのそれにはない。
 auのそれは、専門用語をその道のベテランしか知らない専門用語で説明してくれる、みんながよく知る ── イルカ並みに殺意を覚える ── ヘルプである。地獄に堕ちろ(3度目)。
 
 とにかくIPアドレスを固定にしているため、あれこれと設定を続けている。
 異なるメーカの機器間なので、どちらのヘルプにも「相手の機器がそれならこうしろ」とは書いていない。
 そのためのネットワークプロトコルなのだが、ネットワークプロトコルに使われる専門用語がさっぱり分からない。
 言葉ってプロトコルじゃないのかよ、という気持ちにもなる。
 
 HGWがあるために、余計な手間と電気代(それほど高くはないだろうが)が掛かる。とくに手間が掛かる。
 なぜといって、僕は(プロ/ベテラン/エキスパート)ネットワークエンジニアではないからだ。
 ようやくDHCPとかDNSを「なんとな〜く」理解したつもりになっているものの、では素人の方に分かりやすく説明してください、と言われたらちょっと困る。つまり理解していない。
 VPNの仕組みも分からない(本も買ったのだが、みんなテキトーにごまかして濁したように書いてある)し、ポート設定だとかフィルタリング設定だとか、さっぱり分からない。
 IGMPスヌーピングに至っては「スヌーピーしちゃうのかよ!」と思わずツッコミを入れたほどだ。
 
 どうしてこんなことをしているのか、実は自分でもよく分かっていない。
 結構煩雑で、今までの僕にはちょっと高度なことをしている。
 もちろん外出時、自宅サーバにアクセスしたりできる利点はある。
 
 たとえば姉上の家にお泊まりしているときに、自宅サーバの文書を編集したりもできる。
(これで自宅サーバ設定の機能確認もできるし、好き勝手な文書を記録することもできる)
 あるいはブログサービスが終了したとき、今度は自宅サーバを解放することもできる。
(以前レンタルサーバでオリジナルのブログサービスを利用させて貰っていたことがあるが、そのサーバが個人所有のものだったこともあり、数年後に閉鎖されてしまった。自己所有なら簡単には閉鎖されない)
 
 しかしいずれもビジネスユースではない。
 僕はプロのネットワークエンジニアとして、設定することで収益を上げることはないし、構築された自宅サーバに積み重なる文書も収益を上げることがない。
(むしろ一度全部消えている。俺の青春 ── ろくなものではない ── を返せ!)
 
 ともあれ優れたルータを導入する価値はある。
 なぜといって、結構頻繁に外部からのアクセスがあって、もちろん毎回遮断しているのがリアルタイムログで分かるのだけれど、プロバイダ指定のHGWにはそんなログが残らない。
 だから誰かに侵入されていても、気がつかないのが普通なのだ。
 
>>>
 
【ラン活のはなし】
 ラン活が、変換ですぐに出てくるほど一般名詞なのこれ?
 大衆が使えばそれは日本語になるわけだけれど、何でも「活」を付けて略称にしたがる風潮であるとか、語感があまり美しくないなぁ、なんて昭和生まれのオジサンは思ってしまうのです。
 
【アヲ】
「ナデナデしてくり〜!」と迫ってきたとき、要望どおりに撫でてやると相変わらず白目を剥いて喜ぶのですが。
 お腹が大きくなって明らかに妊娠している。
 誰だうちの娘に手を出したのは! と怒りに震える昭和のお父さんの気持ちがよく分かります。
 許さんぞ! 地獄に堕ちろ!(4度目)
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Kidding-Maintenance-Stand_Alone-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-
 
[Object]
  -Cat-Computer-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 

220419

 

 2箇所目のオペ。

 今回は上顎左奥手前(5か6番)、両サイドに歯のある、間。

 

 眼窩の下から上顎部にかけて、人間の頭骨は軽量化のため、中空部が多いらしい。

 これが他の骨のように高密度に詰まっていると、頸椎を捻挫、あるいはたいてい骨折するとか。

 猫の身体と比べても、人間は顎の比率は大きく、頭も大きい上、全て頸椎に垂直方向に乗っているのだから、無理もないか。


 中空の骨にインプラント基部を突き刺しても、曲がったり、折れたりしてしまう。

 ために中空の部分を人工骨で完全に埋め、密度の高くなったそこに基部を埋めて定着させる、という過程がインプラントにおける最も重要な部分らしい。

 

>>>

 

 インプラントというと、歯の模造品を、ただ歯列の1箇所に埋め込むだけだと思っていたのだけれど、実際はまったく違っていた。

 

<ちょっとここから血なまぐさいことを書くので、何も想像しないで読むと良いでしょう。それか読まずにYahoo!ニュースを見に行け>

 

 まず、患部付近の歯茎を切り開いて骨を露出。

 今回は横方向(顔の正面方向)から穴を開け、骨膜スレスレまで削ったあと、中空部に人工骨(隣の歯がダメになった時のために、隣の分も入れる)と人工膜を埋め込み、縫合する。

 この人工骨と膜が非常に高価らしい。

 今回は骨が2本分なので、確かに高かった。

(前回のおよそ倍。ちなみに前回は50万円ほど)

 人工歯代も含んで支払っているので、最初の施術以降、装着まで追加の費用負担はない。

 とはいえ、安くはないな。うん。安くない。

(医者によっては基部と人工歯で別請求のところもあるらしい。また、自身で麻酔をできない医者は麻酔科医を呼ぶことになるので、その分も加算される)

 

 上顎は神経と血管の走っている穴(骨に穴が開いている)も近くにあり、患部に近いため、かなり難度の高いものであるらしい。

 

 骨の厚みは数ミリに対して、膜の厚みは鶏卵の薄皮くらい。

(個人差あり)

 僕の場合、骨は6ミリで結構分厚く、にもかかわらず膜は卵のそれより薄かったらしい。

 膜を少し傷つけてしまったらしく、人工膜で以前より厚めにカバーしてくれたようだ(きちんと報告してくれて、写真も見せてくれた)。

 

 相変わらず麻酔が上手なのだろう、施術はとくに痛みもない(あったら大変だけれど)。

 

 施術中も何度かリアルタイムでレントゲンを撮って、確認しながら作業を進める。

(およそ3時間の間、撮影の移動以外、だいたいオペ台でうとうとしているだけだったが)

 

 今回の施術はここまで。

 

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 前回のインプラント土台にもまだ人工歯を装着していないのは、こうした「骨を作る作業」と「骨が出来上がるのを待つ期間」があるからだ。

 

 1月下旬から3ヶ月経って、ようやく人工歯を装着しようかどうしようか、ということのようだ(今回はオペがあるので見送り)。

 

 上顎部は、骨が出来上がって安定したら、今度は歯の生えている方向から穴を開け、インプラント基部を埋め、人工骨と膜で固定し、再び骨が安定してからの装着になるものと思う。

 ざっと考えて秋から冬になりそうだ。

 

 ちなみに下顎部は、上顎よりしっかりとしているので、1度の施術で基部の埋め込みまでできたし、時間も半分以下だったように思う。

 

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 施術後、やたらとお腹が空いて眠くなり、身体が重いのは前回と同じ。

 人工的に骨折させて、骨の再生をさせるようなものだから、それは疲れるのだろう。

 

 今回は抗生物質の働きを(約2割)妨げるため、腫れ止めの薬を使用していない。

 翌日から少し腫れ、施術含め3日目の今日ははっきりと腫れている。

 抗生物質のほか、痛み止めと坐薬があるので、痛みに応じて使うが、さほどでもない。

 咳や血痰(あるいは鼻血)に混じって、人工骨の顆粒が出てくる。

(上顎洞と鼻腔は繋がっているのだ)

 多めに入っているなぁ、という感じだが、2日目には安定、ほぼ排出されなくなった。

 

 とにかく、歯磨き、お風呂(シャワー)、運動、不摂生、飲酒、喫煙、喫茶(カフェイン)、辛いもの、刺激物を避けて、安静にすることが求められている。

 なるほど、無理もない。

 今のところ、うがいも優しく、優しく、だ。

 しかしやっぱり、入浴制限が一番つらいかなぁ。

 

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 幸い、こういうときに僕の体は、一切の嗜好品を求めない。

 会社員の頃も、勤務時間中(休憩も含むので、出勤から帰宅まで)に喫煙することはなかった。

 

 依存度合いが低いからなおさら、人からは(やめればいい)と言われるのだが、依存性の少ない嗜好品だからこそ、続ける価値があるのだ。

 

 依存性の高さは、おそらく身体の相性や形成された価値観と習慣によるのだろうけれど、依存の高い人間というのは、価値観が一貫しないだけでなく一部が崩壊している。

 その1箇所から、なし崩しに異常行動に走ったりするから、依存症とその価値観は嫌なのだ。

 

 一人だけそういう恋人(人間)が過去にいたが、本当に、思い出したくもない(すでにだいたい忘れてしまった、都合の良い私の記憶よ)。

 

 ひとまずは1週間、食べて眠ることにする。

 と、その矢先、粥を作ったら玄米が終わってしまった。

 

 あとで買い物には出かけよう。

 

 今回の文書でだいたい明らかになったと思うが「暗闇エトランジェ」というカテゴリィは、僕の身体と心のメカニズムについて書いている。