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TITLE:
義憤は誰が為に。
SUBTITLE:
~ Armory. ~
Written by BlueCat
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::「移り住んだあの国では、おれたちは四六時中緊張していなければならない。洗濯機さえ種類が多くて、その中からどれを選んで買うかはおれたちが決めなくてはならない。自由主義国では、何もかもがこんな具合だ。何にだって頭を使って自分で判断することが求められる。疲れてたまらない。反対にこれまで住んでいた国では、何もかも国家が決めてくれる。洗濯機だって、機種に文句を言わず、待つことさえ我慢すれば、黙っていてもいつかは手に入れられる。職業上のことだって競争する必要はない。言われたことだけをやっていれば給料は補償される。少ないけどね。だが四六時中緊張した結果の高収入よりはずっとよい。なにしろラクなんですよ、ずっと」
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220505
「6歳以前」の扱いにくさの1つに、正義感の強さと、義憤に駆られやすい傾向がある。
おそらくそれは一般的に「よい傾向/気質」だと見なされるのだろう。僕はそう思わないが。
身を削るほど、とまではいかないが、怒り出すとキリがない。
(ついでに持ち前の身体の弱さが祟って、体調を崩す)
そのうえ「自分の意見は道義に則っている(ために間違っているわけがない)」と思っているのだからタチが悪い。
かつても「正しさという病」というタイトルで文書を書いたことがあるが、自分が絶対的な正しさの権化だと思い込むのはビョーキである。
(諸般の事情により、その文書は現在どこにも存在していない)
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僕が幼児だった頃の父上は、女子供でも容赦なく怒鳴りつける ── 場合によっては殴る ── ような「昭和の男」で、「女性コミュニティ」にどっぷり浸り、自身をも女だろうと思っていた僕にとって、そうした男性性の発露は激しく忌避された。
僕は現在に至るまで、激しい口論や殴り合うような喧嘩なんてしたことがないのだが、要するに、怒声が嫌いなのだ。怒りの感情が、客観的にはあまり好きではないのだ。
もちろん僕にとって憎しみは大きな原動力ではある。今だって憎むべきものがあって、それをきちんと憎んでいることによって、いくつかの行動指針を設定している。
今以上、野放図にしておけば、僕のような人間は「社会や人類のために何かしよう」とは思わず、「面倒だから火葬場を予約しよう」と思い始めるだろう。人が一人居なくなればエコだし。
憎むべきもの(あいにく人ではない)があり、それ(その概念)に対する復讐をし続けようとする限りにおいて、僕は適切に意欲をかき集め、思考と行動によって発露する。
主観的な怒りや憎しみは、だから ── もしかしたらこんなものは、ない方がいいのかもしれないけれど ── 安寧な環境で無気力な引きこもりになって、社会と関わることもできず、その意欲もなく、意義も理解できず、ただただ「生きる権利」だけを貪る無能な禽獣として社会に寄生するよりははるかに、僕にとって存在意義を与えてくれる。
そして同時に自身を客観視しながら、その存在と存在意義を嫌い、警戒をし続けてもいる。
>>>
「正しさ」というのは先に述べたとおり、一般的には「良いもの」なのだろう。
おそらく邪悪であることや、卑劣であることや、独善であることよりもよほど素晴らしいものなのだろう。
けれど「正しさ」に主観が組み合わさったとき、果たしてそれが「絶対に独善ではない」などとどうして言えるのだろうか。誰がそれを判定できるというのか。
独善であるならば、卑劣である可能性は拭えず、ゆえに邪悪である可能性さえある。
正しさとは一体何か。
自分は正しいと思っている。
しかし自分が「間違っている」と弾劾する相手も「自分こそが正しい」と思っている。
そんな現象はいつでも、どこにでも転がっている。
いったい正しさは、善良さは、品性は、どこに存在するのだろうか。
それを考えたとき、果たして僕の抱えるものが「正しさである」などとは言えなくなって、ために僕はありとあらゆる「正しさ」を価値観から外した。それはおそらく刃物であり、ときに凶器にさえなる。
だったらその正しさを正しく凶器として評価して、僕は憎悪と呼んでいるのではある。
それは誰か ── 本来的には何か ── を著しく傷つけ、損ね、機能を不全にさせることを目的としている。
多く「正しさ」が「過ち」を著しく傷つけ、損ね、機能を不全にし、つまりは息の根を止めることを目的として発露するように。
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先日、Amazon で買い物をしたのである。
その商品を開けたときに「☆5のレビューを書いてください。書いてくれたら1000円のギフトコードを贈ります」という内容のメッセージカードが入っていた。
そのカードのおかげだろう、その商品はかなりの高評価であり、ために検索などでも上位に表示されるのだが、レビューの一部には明らかに「商品が気に入っていない」「良品とはいえない」と書いておきながら、評価そのものは最高の☆5になっているのである。
この気持ち悪さよ。
レビューがレビューとして機能していないことについて、Amazon に報告する窓口も存在しない。
つまり Amazon としては市場原理に任せています、ということだろうか。
(出品者を評価するページはあるが、圧倒的な高評価を多数得ている商品について、いちいち出品者レビューまで参照する慎重なユーザがどれだけいるのだろう)
ついでにひと月もしないうちに商品が壊れた。
まぁこれ自体はさほど気にしていない。
モノは必ず壊れるのだし、初期不良に限らず、自分の使用方法が常に正しいだなんて僕は思っていない。
とはいえ商品の品質や使用感、費用対効果や製品としての完成度を考えたとき☆1〜2が限度だと思ったので、そのようにレビューし「多くのレビューがエサにつられてアテにならない」ことも記述した。
ここまでなら我慢もできる。
評価はお金で買えるから、それを買うこと自体は市場原理に含まれている。
メディアCMで知名度が高く、良いイメージが浸透しているほうが基本的には売れるのだ。
それは企業が商品の実態に関係なく、商品イメージを先行投資で買っているわけだ。
ユーザレビューにしても同様。
食べログなどでは昔から有名な話で、僕としてはネット上の評価なんて人だろうがモノだろうが、気にしたこともない。
行きたい場所に行って、会いたい人に会って、食べたいものを食べて、欲しいものを買う。
そこに僕以外の全然知らない奴の評価なぞ、どうして必要なのかが分からない。
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もちろん自分で一貫して決められなかったり、参考に他の人の意見や感想を知っておきたいという気持ちは分かる。
ただ映像作品であるとかにまであれこれレビューを付ける風潮はどうかと思う。
例えばピカソの「ゲルニカ」を観て「これは素晴らしい」とは僕は思わなかった。きっと今もそうだろう。
「凄い」とは思ったが、その「凄さ」を言語化して、誰かに共有する意味が僕には今も見いだせない。
僕がゲームについてときどきレビューを書くことはあるが、それは自分のための記録である。
自分が「凄い」と思ったことについて、たしかに言語化する喜びがそこにはある。
そして言語化したそれが誰かと似通ったものであったときに、通じ合っているかのような喜びもある。
さすがに僕でもそのくらいは分かる。
しかしそれは目的ではなくて、付録のようなモノなのだ。
── だから僕は子供の頃から「○○評論家」という職業を毛嫌いしてきたし、今も評論家気取りの素人が嫌いである。何も作らない(作ることができない)奴は黙って指をくわえて見てろ、と思うのだ。
大事なことは、自分で感じたことを、ちゃんと自分で感じるということだ。
誰かの言葉を見て、あたかもそれが自分がこれから感じることや実際に感じたことだと思い込むような愚鈍さと軟弱さを、少しは自省してみてはどうかと思うのだ。
自分で感じて考えるというプロセスを飛ばして、言語化して共有して、共感が多ければそれこそがいい、という価値基準は本当に愚鈍で脆弱である。プロパガンダで雁字搦めにされるぞ。
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ために僕はこのブログの「いいね!ボタン」なども非表示にしたくなることがある。
しかし過去に「自分がその文書を読んだかどうか確認するために使っている」という人がいたので、なるほどそれなら仕方ないかと思ってそのままにしている。
実際にはこの「いいね!」は、ページに対する単純な評価にしか使われておらず、自分が「いいね!」をした履歴も表示できないので非常に不満である。
(管理画面の「いいね!」履歴に、自分の「いいね!」履歴は表示されない)
つまり基本的に「いいね!」される側のためのシステムであって、「いいね!」する側にはたいしたメリットがない。これは設計の不備だろう。
それとも「いいね!」したものを読み返したいと思うユーザはほぼ皆無なのか。
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そして件の Amazon 出品者が、メールを送ってきた。
わざわざメールである。
同じ商品をくださって(まぁ、一般的には保証期間内であるから当然ではあるけれど)、その上、商品代金相当(実際は6,000円より少し安い)も下さるというわけだ。
もうすごくイヤ。すごくキモチワルイ。度しがたい。
もう返事をする気もないし交換も返品もしたくなくなった(そもそもその気はなかったが)。
もちろん、もちろん。
商売だから、ユーザの評価を(お金を払ってでも)高くしたいという気持ちは分かる。
(先のCMと原理は同じであるから、これに対する嫌悪感は少ない)
販売店であれメーカであれ、評価やある種の群集心理によって売上げが左右しがちなネット通販サイトであればなおさらだろう。
しかしそもそもそのCM費用は、商品費用に含まれている。
「☆5レビューで1000円返金」だとしたら、その1000円は、商品代金に含まれている。
(当たり前に、市販の全ての商品はそうである)
潜在的にであれそれに気付くから、多くの人は高評価をして元を取ろうとするのだろう。
不良品の交換や返金も、一般的だとは思う。
(たとえば大手メーカの食品に不良品があった場合、同一商品のほかにあれこれ送られてくるとは聞いたことがある)
しかし「☆5レビューにしないと、そういう対応はしないよ」というのは如何なものか。
それでもまぁ、先方はビジネスだ。
生き馬の目を抜く界隈であれば、この程度ならまだ可愛い方かもしれない。
それよりキモチワルイのは、恥も外聞もなく☆5レビューを書く人間たちであり、あるいは低評価だったそれを覆して☆5にした人間たち ── メールの内容は、そう類推する根拠となる ── である。
ずいぶんな安値で魂を売り飛ばしている事実を彼らは理解しているのだろうか。
── ただまぁ、なんといっても一番キモチワルイのは、句点である。
僕が国語の先生だったら、とりあえず、句点はちゃんと最後までタイプして欲しいかな。
(ここ笑うところです)
>>>
義憤に駆られたらキリがないのだ。
いったいこの正義の怒りに駆られて、たとえば Amazon にレビューが機能していないことでクレームを入れたところで、販売者が改めるわけでもないだろうし、改めたところで別の販売者は同様のことをするだろう。
では多くのユーザを啓蒙しようとしたところで、経済の前に無力な(あるいは単に下賤な)人びとを前にして、一体何を訴えれば良いというのか。
酒池肉林の暮らしをしている僕が「清貧に」なんて言ったら家に放火されそうだ。
結局のところ、局所的な物事に怒ったところで、自分のタマシイが削られるだけである。
(もちろん怒りにまかせてペダル式発電機を漕げば、それは有効である。電気も生まれて健康にもなり、ストレスも解消できる)
ために怒りの矛というのは、下げておくに越したことがない。
やれ自分が正しい、自分の道義が優れているなんて、どうでもいいことだ。
他人には他人の正義があり、他人の道義がある。
この資本至上主義の現実世界にあって、魂の値段が小銭より高かったら御の字なのかもしれない。
いやいや誰の差し金か、いまやヴァーチャルの世界まで資本至上主義が浸透しつつあり、いずれは蔓延するだろう。
そう。
もはや正義も道義も、金で動き、運動を歪められる世界なのだきっと。
経済から開放され、安心して他人を ── その発する評価をも ── 信用できる社会は、それが天国であれ地獄であれ、あの世にしかないのかもしれない。
でも船代を持っていないと、河も渡れないと言われているし……。
あ。
船を作ればいいのか。
<べー!>
>>>
他人は自身の道義を守って生きているのだ。
僕は僕の道義の上を歩けばそれでいいじゃないか。
交わったり、平行することはあるかもしれないが、衝突しそうなら道を譲ればいい。
道を譲ったついでに魂を譲ったりしなければ、まぁなんとか生きていけるものだし。
(生きていることにたいした価値を見出していないイキモノがこれを書いています)
あるいは他人と道が重なるよりはよほど快適かもしれないし。
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::自由は誰もが欲する。だが、この自由なるもの、それを駆使して生きるとなると意外と大変で、すべての人がその緊張に耐えていけると考える方が非現実的なのではないか。
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
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[Engineer]
:工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Mechanics-Memory-Style-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-
[Object]
-Human-Koban-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
:君は首輪で繋がれて。:
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