::私は別に課長が帰国を延ばしてくれても構わないのよ。
::ワイン同様、熟成に時間を要する人間関係もある。余計な気は遣うな。






151125

 十年ほど会っていなかった恋人の一人が入院しているというので、仕事の帰りにお見舞いに行く。

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 猫氏にまだ恋人が(そしてどれだけ)いるのかという質問については、特に答える義務はない。
 また十年来、会いもしないような関係にある人間を恋人と呼ぶことの是非については次のように答えるしかない。

「あなたにも親戚があるでしょう? 十年以上会わないような。もしくは今まで一度も会ったことがないような」と。

 世の中にはおそらく、いちいち戸籍謄本を取り寄せて、やれ目の前のこの人はどうやら私の従姉妹であるらしい、などと都度々々確認する手合いもいるものだと思う。今の私はオトナなので、それを難なく信じることができる。
 一方で、通常は、自分が相手を親戚と認め(通常はこれだけだけれど、さらに疑り深い場合は)相手が自分を親戚と認めていることを確認して、それでもって(いちいち戸籍謄本などを互いにつき合わせる必要もなく)親戚であるという関係を認識しているものではないだろうか。

 もちろん僕の恋人は恋人であって親戚ではないのだけれど、人間関係の原理などこの程度のものなのだ。
 厳密緻密な現実主義者ほど滑稽な夢想家もいない。

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 僕は見舞いに関する礼儀作法というものについて不調法である。
 冠婚葬祭なべてひとしく自己流であるため、どうも人様に不快な思いをさせてはいないかと、ときどき心配になることがある。

 自分なりに理を考え、それにかなった、相応の態度で臨んではいるつもりなのだが、格式であるとか、伝統というものはそこに本来含まれているはずの意味を、時に置き去りにして風化させてしまう。
 形骸化したカタチに意味を見いだすほどバカになりたくはないと思うものの、そういう人間は得てして変人のレッテルを貼られるものであるし、僕はそれには慣れすぎるほど慣れている。

 例えば根の張る鉢植えなどは病床によくないとされるものの、では切り花が果たして縁起がいいのかというと、そういうわけでもないはずなのだ。
 そして、そんなことにばかりかまけていると、本題の気持ちが霞んでしまうことにもなりかねない。

 思った通りのストレートさを維持することは、なかなかどうしてむつかしいものなのではないだろうか。
 そうはいっても、とても楽しい見舞いの時間ではあった。
 僕は、おそらく父が入院がちなこともあってなのかもしれないが、病院というものが決して嫌いではない。

 医者や看護師さんたちの姿も含めて、非常に秩序立った、そしてもっとも暴力から遠い場所にあるのだと感じられて、安心する。

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 面会時間が終わり、病院を出ると外は雨だった。

 家に着く頃には、身体が芯まで冷えているような、とても寒い夜だった。






::なに、成り行きで手を貸した迄だ。気にする事は無い。では、私はこれで失礼するとしよう。ご主人にも宜しく。
::え? ああ……これね。
 ずっと黙ってようと思ってたんだけど、実はあのとき結婚はしなかったの。それでもこっちに来たのは甘えを断ち切ろうと思ったから。これは男避けにしてるだけよ……。
 ねえ、1日だけ帰国を延ばせない?
::いや、残念だが残して来た仕事が山積みなんだ。






引用は
「攻殻機動隊 ~ Stand Alone Complex ~
 第17話:未完成ラヴロマンスの真相 ~ Angel's Share ~」
によりました。