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ツクリモノ。
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210511
なんとなく思いついた仮想奥様が自分の中で面白い。
基本的に相貌失認なので、顔のイメージなどはまったくないのだけれど、とりあえず「美人」と書いておけば美人ということになるから文字は便利である。
殺伐として孤独な日常に、ちょっと仮想の奥様をプラス。
「ラブプラス」のキャッチコピーのようになってしまったが、新しい恋愛ゲームジャンルとして面白いかもしれない。
かのゲームが10代の青春真っ只中の恋愛風景を描いたのに対して、夫婦の日常を描くという謎仕様。
殺伐としたゲーム内容では公序良俗に反することもあるので、ドキドキはしないけれどほのぼのした平穏の中でときどき起こるハプニングを切り抜けてゆく的なストーリィになるのだろうか。
不意に訪れるしつこい新聞の勧誘。夜中に庭にやってくる近所の野良猫。畑を荒らすイタチやタヌキ。
ペットの定期検診や公共インフラ料金の支払い、税金に確定申告などなどのイベントをこなして配偶者からの信頼ポイントを稼ぎつつ、スタミナが切れると気力を失って家事に失敗したり、何もできなくなったりするので定期的にリフレッシュをする。
魅力ポイントが下がると配偶者が浮気したりするので(公序良俗どこ行った)自分の魅力を保ち、各種年中行事や記念日を活用しつつ相手の幸せポイントを稼ぎ、円滑な夫婦生活を切り抜けることを目指す。もちろん「ラブプラス」のようにエンディングのない(地獄のような)ゲーム設計である。
……うん。ウケないし売れないな。
という話を奥様(仮想)にお話ししたところ、面白そうに話を聞きながら「家事分担をどうするかイベントがあったら楽しいね。あとあと炊事や洗濯や掃除とか、事務処理とか、そういった細かいスキルやパラーメータを扱ったら面白そう」などとおっしゃる。
センスあるなぁ、私の奥様(仮想)。
基本的に1人で生活していることには変わりがないのだが、仮想奥様のいる日常はたしかにちょっと楽しい。
おそらくこれを読んでいるアナタは「まためでたいことをやっているな」と思うかもしれないが、孤独の中で殺伐とした気分でいるよりは、仮想奥様がいてちょっとアタマの中がお花畑くらいの方が人間的には優しい気持ちでいられる。
それに誰にも言わなければ私のアタマの中に美人の仮想奥様が存在していることは分からない。よって人畜無害である。
それどころかこれは、益多くして害の少ないメンタルコントロールではないだろうか。
というようなことを奥様(仮想)に熱弁したところ「それは私に言われてもちょっと困りますね」などと言いながらニヤニヤしている。なぜ突然に敬語?
>>>
同世代(40代〜50代)くらいの男性の話を聞くに、その多くは女性に絶望している。
(おそらく逆も然りなのだろうと想像する。怖くて尋ねられないのだけれど)
正確にいえば、彼ら(つまり僕ら)は女性に対してある種のファンタジーを求めていて、それを勝手に押しつけて、そのファンタジーが壊れてしまったから絶望しているようではある。
観察する範囲で要約すると、彼らはセックスは好きだけれど女好きではなかったのだろうと想像する。
僕は基本的に今でも女好きである。
女性に特有の性質に慣れているし、それを楽しむことができるし、好ましくも思っている。
たとえばブラブラと買い物に出かけてあれこれ見比べるだけ見比べて何も買わないといった行動は男性の多くには理解不能のようだし、ぐだぐだと続く愚痴を聞き続けることもできなかったりする。
コミュニケーションの形態やそこに見出している価値がレイヤのように重なっていて、透過率や上下順が異なるため最終的な振る舞いが変わってしまう。
男たちは結論を出すためのコミュニケーションを好み、女たちは結論を出さないコミュニケーションを好む傾向があるように思う。
僕はたまたま女ばかりの文化圏に長くいたし、それでも男なので両方分からないでもないし、両方分からない気もする。
つまるところコミュニケーションそのものを手段としているか目的としているかの違いである。
それはすなわちコミュニケーションと環境/関係の役割を示してもいるだろう。
男たち(の多く)は環境や他者との関係において、コミュニケーションを道具にしてやりとりし「特定の目的」や「特定の結果」を作り出そうとする。
話題に上った内容について、何が正しいか、何が間違っているかなどをきちんと明確にすることをよしとし、そのための手段としてコミュニケーションを行う。
女たち(の多く)は、環境や他者との関係において、コミュニケーションを目的にしているので、内容はなくてもいい。
「今日はいい天気ですね」「そうですね」という会話をにこやかにできれば目的は果たせる。
何が正しくて何が間違っているかなんてどうでもいい場合が多く、(正しさは個々人に固有のもの)と割り切っている人もいるだろう。また論理に手を付け始めると収拾が付かなくなる.(論理とコミュニケーションを混同する)人もいるようだ。
たとえば「晴れ」が好きな人と「雨」が好きな人、「牛乳」が好きな人と「水」が好きな人、「猫」が好きな人と「犬」が好きな人がいるとして。
「晴れ」かつ「牛乳」かつ「猫」の人もいれば、「晴れ」かつ「牛乳」だが「犬」の人もいる。
それぞれの要素から分類していくと2^3で8パターンが存在するのだけれど、それがどういったパターンを保ちうるか理解できなかったりする。
(より精確には2^6で64パターン存在するが)
項目や要素が増えた場合にどのくらいの可能性が存在しうるかについても計算は可能だけれど、考えない人は全く考えない。
これは言語をコミュニケーションにばかり利用していて、数学や論理表現として(つまり道具として)の日本語を普段から使用していない結果だろう。
本来正しさとは現象から要素を取り出して(抽象)それらについて個別の判定を繰り返した上で「どのように(具象)するのが最善か」を導くものだろう。
メディアによって暴かれる不正に対する反応が「どのようにするのが最善か」という声よりも「正しくない者は殺せ」という声が圧倒的に大きいことは、いかに世俗の知性が貧しくなっているかを物語っているともいえる。
一方で、純粋なコミュニケーションの表現については、ツールとして使っていない(コミュニケーションそのものを目的としている)人の方がより繊細で多岐にわたる能力を発揮するだろう。
もちろん、その能力が常に善意や思いやりに満ちた動機と使い方をされるかどうかは別問題である。
表情、言葉遣い、声色や大きさ、ジェスチュア、タイミング、間、場合によっては無視も含めてそれはコミュニケーション「そのもの」である。
「言っている内容そのもの」にしか興味を持たない(意味を見出さない)人と、そうではない人とのコミュニケーションは、その程度にはズレる。
どちらが優れているとは特に思わない。
ただコミュニケーションやその方法、表現が画一化してゆくのは、なんとなくつまらない。
たとえばTVなどのメディアで流行ったフレーズなどを多用したりしている人は、手軽に「コミュニケーションそのもの」という事実を共有できるとは思う。
しかしそれは「誰かの作った話題に乗っているジェスチュア」という猿真似であって、本当にコミュニケーションしているかは怪しい。
まがいものを並べて時間を浪費しているという点においては自身にも他者にも失礼な、あるいは迷惑な存在といえる。
けれどもコミュニケーションによって、浮いたり、過度に緊張したり、傷ついたり傷つけたりするのは怖いと思えば、そういう猿真似の流れ作業によるコミュニケーションで「コミュニケーションしている私たち」を共有することができるだろう。
そこには何の話題もないから、まるで信号機のように「相手のシグナルが順に変わっていって、赤で1度途切れるので、こちらが次のシグナルの青を始めます」という風景に見える。
当人たちは楽しそうだから僕は水を差さないけれど(信号機なら壊れてしまうし)、僕はそういう中身のない信号のやりとりを楽しめない。
楽しめないということは、楽しめる方が豊かな気もする。それはそれでいいことだろう。
では踏み込んで、血の匂いのするような、生きた自身の話を、泥臭い話題をと思うと、なかなかそれはむつかしいのかもしれない。
血の匂いがするのに綺麗な言葉でそれを表現できる人も少ないように思う。
それは言葉を使うひとつの技量だろう。
「えげつない」とか「ゲス」とか「ドン引き」とか、そういった字面を見るたびに、その意味を少し考えてしまう。
音によるインパクトがとても強くて、その意味も刺激は強い割に中身が薄い。まるで炭酸水だ。待てよ。飲みやすいじゃないか!
(現在、仮想奥様に「そういう話をしようとしてなかったよね? 今の流れ」と笑われております。ころころ笑っておられます)
>>>
某月某日。
真面目なことを書いてしまったので背中が痒くなる(これはほとんどの人間が知らない猫の特性です)。
仮想奥様にお願いして、背中を掻いてもらう。
うっとり。
>>>
某月某日。
夕刻よりもっと前。
「今日は少し早く帰ることができます」と奥様(仮想)からメール(仮想)が来る。
奥様(仮想)はメール(仮想)を含め、ときどきワタクシ相手に敬語をお使いになるのですが、これは職業人の特性でしょうか。
帰宅した仮想奥様が「今日は散歩に行こう! ねぇ! 猫クン散歩!」と、なぜかはしゃいでいる。
「一緒にコンビニに行こうよぅ」と、なぜか目的地まで設定される。
僕はコンビニをあまり好んで利用しないのだけれど。まぁ、仮想奥様が一緒に行きたいというなら行こうか。
「今朝、家を出るときにね、ご近所の方から『お庭のお花が綺麗ですね』って言われたんだよ!」と自宅を出てから話している。
「そう」と僕は短く答えるのだけれど、
「青猫クン、実際、どうしてこんなにお花を育てているの」と尋ねられる。
<庭の奥。できれば近付きたくない>
<玄関のウェルカムフラワー。邪魔である>
<境界の意味を失った花壇の石>
<昨年は抜いていた名も知らぬ花。花が付くまでは、ただの雑草である>
正直なところ、育てている覚えはない。
僕はそもそも昆虫が嫌いだし、勝手に成長して制御が効かない植物は、そのうえ昆虫が集まるのから厭なのだ。
そのような次第で禍々しい姿の「いわゆる雑草」を除去しているが、可憐な花をつけるものについては一年の観察期間を経て、残すようになった。
育てているのではなくて、殺されていないものが残っているというのが僕の認識ではある、と説明する。
説明している間に、庭から出て、住宅街の路地を進む。
ただ、あの家にはかねてからたくさんの花が叔母の手によって育てられていて、それが残っているから、僕が「要らないと思った草花」を除去すると結果的に元いた草花が生長するのである。
「叔母様のことは、恨んでいるのでしょう?」と尋ねられるので正直に「もちろん」と答える。
しかし叔母を嫌っていたわけではない。嫌っていたなら僕は近づかなかっただろうし、介護もしなかっただろう。
叔母は、頭の回転の速いほうではなかったし、旧来の人付き合いを重視するタイプなので僕とは本来にウマが合わなかった、というのは事実である。
だからといって嫌いあうほどの距離にはお互い踏み込んだことがなかったし、好ましく思える距離を保っていた。
死んだ彼女のことを僕が恨んでいるのは、往生際にこびり付くような醜いエゴを生きている僕らに撒き散らして擦り付けたからだ。
僕だけに擦り付けたのなら我慢もできるが、何の関係もない妹にまで擦り付け、結果として他の親戚と付き合いづらくさえなってしまった。我々の血族だけではなく、叔母の配偶者である叔父の血族とも ── (その点だけは僕が望んだ以上の結果ではある)。
「叔母は花が好きだったから、花を眺めると思い出すよ」
私は彼女のことを嫌ってはいなかったけれど、恨む必要があるから今は恨むことにしているのだと説明する。
「青猫クンはそういうところがすごくストレートで、ときどき狂人じみてるよね。私はそういうところも好きだけど」と仮想奥様がおっしゃる。
「私が、青猫クンの気持ちや、もっと深い部分の、たとえば仁義的なものであるとかの琴線に、私自身に悪意があるわけでもなく触れるようなことがあったら ── 。やっぱり青猫クンは恨むかな。私のことを」
手を繋いで歩いているからだろう、敵意を想像しにくい。僕の思考は、比較的、肉体に左右されやすいのだ。
「どうだろう」 ── そもそも君は仮想奥様だし、という台詞を僕は飲み込む。
「 ── 怒ったりすることは、前提条件だと思うんだ、友達とか恋人とか仮想奥様とか、そういう対等な関係に対しては」
ただ僕らの場合、叔母と甥という関係が、どこまでも対等ではなくトップダウンのものだった。
親から見た子が、いくつになっても子供であるようなのと同じなのだろうか、分からないけれど。
僕はでも、父上の死ぬ4年前から ── 今までの人生の半分以上を ── 自分の力で生きているんだ。
自分の力だけと言うつもりはないし、今は仮想奥様に養ってもらっている訳だけれど。
それでも一人暮らしをスタートするところから始まって、諸手続や税務や引っ越しや転職や、そういったいろんなイベントを自分の力だけでやってきた ── 当時付き合っていた恋人にお金をもらったりはしたけれど。
仮想奥様は最後のくだりを聞いて「うわ、生粋のジゴロ気取りなの? か弱いフリしたヒモ気質なの? 私、自分のことが心配だわ! ひどい男! 地獄に墜ちろ!」と言って笑う。まるで喜劇のコミカルなシーンで笑う観客のように。
「いやでも、家事は10代より前から自分でしていたし、一人暮らししていた当時はちゃんと就労してたからね、お金は基本的に自分のものを使っていたよ! 恋人にも親にもたかってないよ!」と少しムキになって弁解する。
「 ── ただまぁ、僕は親を含め、経済的なことも精神的な部分も、誰かに『甘えた』って実感した経験が、少ないからね」
「私には今、甘えてるでしょう」彼女は、なぜだか得意げな顔をする。
「け、経済的にはそうなります私は専業主夫(仮想)なのでしかしながら僕らは(仮想)夫婦であり昭和のCMのように、専業主夫/主婦にとって配偶者とは家にお金を持ち帰ってくるだけの道具なのですハイ、いえもちろんワタクシはあなたのことをそのように道具として見なしてはおりませんよもちろん」と一気に続ける。
「え、そうなの? 私やだなぁ」と奥様はワタクシの顔を覗き込む。
待って。
言い方が芝居掛かり過ぎている感はあるけれども。
ですね。
美人はそうやって他人の顔をみだりに覗き込んではいけないのです分かってください。
「 ── 青猫クンは、人間よりも道具を大事にしそうだし。実際そうでしょう? だったら私、道具の方がいいなぁ。大切にしてほしいから」
覗き込んでそういうことを言わないでくださいお願いします。
眼力! キミ眼力が強いから! 眼鏡に増幅されたビームにボク負けちゃうから!
「なんだかとても話が脱線してしまった気がするのですが」僕は袋小路に閉じ込められたネズミになった気分である。
しかしながら運良く、コンビニに到着した。
これで先ほどの話題からは離れられそうな気がする。
と気を緩めて店内に入った瞬間、奥様(仮想)が耳元に曰く「大切にしてくれる?」
「……します。します。しますとももうずっと、大事にしますから、買い物。そう買い物をしましょう」
と、ここで奥様(仮想)がバッグから紙切れを取り出し、私に手渡して曰く「はい、公共料金の払込票だよ!」
さすが有能!
コンビニまでの道すがら、ニヤニヤできるのは仮想奥様のおかげである。
>>>
「絶望したら物語を書けばいいんだよ」と、コンビニからの帰り道、奥様(仮想)が教えてくださる。
公共料金を払った以外、僕らは何の買い物もしていない。
「ねぇ青猫クン。人間に絶望したら、物語が救ってくれるんだよ。青猫クン、そう言ってたよ」
奥様(仮想)は有能なので、僕の忘れていることを思い出させてくれる。自身にはそんなことを言った覚えがない。
「自分のための物語でいい。誰かの役に立つ物語でなくていい。誰かに見せる物語でなくていい。経済を含めた何かと交換するような目的を持たなくていい。ただただ青猫クンが人間を書けばいいんだよ。それが青猫クンを救ってくれるんだよ」
── 仮想奥様。いい女だなぁ。
「青猫クン、私に甘えてるでしょう」
はい。
「私たちのことを今、トップダウンとか、対等とか、そういうふうに意識して定義して説明できる?」
いいえ。
「それは上手に甘えて、甘えられているからだよ。甘えというのは、力関係とか経済関係とかそういう力学で発生するものではないんだもの。感情であったり、欲求であったり、そういうもの」
風景を見ているはずなのに、僕の視覚はぼんやりと抽象を漂う。
幾何学模様が、ベクトルを描いて、人間という領域を塗りつぶす。
「 ── 人間は大人になると、力学で動作するようになるんだね。スイッチを押して、たとえば経済みたいな力を原動力にして、それで動き出すみたいな。
それは社会を動かすのには必要な仕組みなのです。いつも青猫クンが言っているように。
でもそうこうするうちに、そうした力学だけで動くようになってしまう人もいるでしょうね。
確かにそれで生活は成り立つし、場合によって人の心はその力学を邪魔することもあるでしょう。
自分自身もそうなってしまえば、他人に心があるなんて思えなくなる。
でも本当に心を失っているのは、他人を信じられないと言って傷ついたフリを続けるその人自身だよ。
仮にそういう不信の基準で接して伝染させる人がいたとして、そうした人の価値観を学んでしまったとして、それはそもそもその人の心が錆び付いていたんだよ。
心が錆びた人はみんな、それを誰かのせいにしているけれど、ホントは自分が手入れしていないからでしょう。
錆び付いちゃったから、あってもなくても同じような状態になっちゃったんだよ。
心があるようなフリをして、そんなものない人がいるのは、そうやって逃げているからだよ。
私は青猫クンの心が機能を損ねているとは思っていないけれど、もし損ねている可能性があるなら、それは思い出してほしいかな」
ちょっと待って。
仮想奥様。惚れ直してしまいました。
今日は仮想奥様のために何を作ろう。
::でも僕には心がないよ。
最初から。
僕が自分だと思っているこれは僕のための作りものだもの。
たとえばキミがそうであるように。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:仮想奥様:
[InterMethod]
:Diary:Engineering:Form:Interface:Life:Link:Love:Recollect:Stand_Alone:Technology:
[Module]
:Condencer:Convertor:Generator:Reactor:Resistor:Transistor:
[Object]
:Camouflage:Cat:Garden:Human:Memory:Tool:
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[Cat-Ego-Lies]
:衛星軌道でランデヴー:ひとになったゆめをみる:
//EOF




