220415

 

 病院の待ち時間。

 

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 社会から一定の距離を置くようになって、3年。

ようやく落ち着いた気がする。

 孤独は自由だが、自由は個人のマイペースを増長する。そもそも個人の自由というのはマイペースを飼うための広い牧草地のようなものだ。

 10代になる以前に一度、独善的な「こうあるべき論」ベースの価値観を眠らせたので、マイペース度合いが増長する土壌を整える方向が運命づけられたのは事実だろう。

 

 会社員を辞めたときも、最初こそ「きちんと就労して、給与所得者という立場に復帰しよう」と思っていた。その方が常識的で、良識的で、社会的に正しいありようだろう、と。

 

 なにもかも宙ぶらりんのまま、様々な不測の事態を放り投げられて(引き継ぎなく、放り投げた人が死んだので)、1年はひたすら受動的に、周囲の気配を窺った。

 お金の動きも、人間関係も、ルーチンとして扱うべき作業も、まだ分からなかった。

 そのうえ葬儀や相続といった、そうそう何度もする機会のないことをすることになった。

 特に埋葬関連は、父上が散骨であったため、まったく経験がなかったので判断に困ることも多かった。

 

 とはいえ葬儀も延べ4回ほど喪主(あるいはそれに近しい位置)で経験したし、埋葬も墓仕舞い直前まで経験した。

 おそらくこのまま僕が死んで、お寺との関係をフェイドアウトさせても、さほどの摩擦は起きないだろう。

 

 下品な話かもしれないが、その摩擦を軽減するために僕は経済を使った。

 僕の自由は孤独に大きく依存しており、他者との摩擦を極力ゼロにすることで達成したその孤独は、経済を燃料、もしくは潤滑剤として稼働している。

 

 お金で孤独の寂しさを埋める人もいるだろうが、お金で孤独を買うこともできるということだ。

 

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 毎日、自由に時間を使えるというのは究極的な贅沢で、そんなことはおよそ実現不可能だと思っていた。

 

 もちろん今でも、こうして姉上の通院や入院で月に2〜3日を費やすし、それ以外の事務的所用とその調整で数日を要することもあるけれど、人間関係による心理的制約もほとんど無くなった今は、身体のストレスを減らすようにしているだけで快適だ。

 

 なので自堕落を過剰に自責しなくてもいいかな、と思うことにした。僕が自堕落であることで、誰かに迷惑を掛けているなら問題だが、僕は親のスネをかじっているわけではないし、経済的に(仮想奥様を除いて)誰かにタカっているわけではないのだから。

 

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 僕の時間ケチは30代には始まっていた。

 さらにいえば7歳の頃にはすでに通学の時間がもったいないと感じていたので、退屈なことに時間を費やすことについて、相当に耐性がなかったのだろうとは思う。

 といって、たとえば授業中に騒いだりすることはなく(そもそも友達がほとんどいなかったので)、たいてい静かにしていた(寝ていることもあったが)。

 

 僕に限らず誰だって、好きなものは好きだし、嫌いなものは我慢ならないものだろう。

 そして理性によって、好きな気持ちを抑制したり、嫌いな気持ちを我慢したりするのは大人として基本的なマナーとなる場面も多いと思う。

 そうやってブレーキを掛けるものの、だからといって本心を忘れないのが人間ではないだろうか。

 

 僕はけっこうな頻度で、本心を忘れてしまう。

 もちろんそれが過剰で長期にわたると、最終的に原因不明の体調不良に陥るけれど、それさえうまく制御できる仕組みをかんがえながら作っていた。

 

 たとえば埋葬(墓仕舞い)が終わるまでは、叔母を憎んでいることに決めていたようだが、今となってはその憎しみも、理由も、思い出せなくなるほどどうでもいい。

 埋葬が終われば僕の叔母に関する全てのタスクが終了し、定期法要も(現在の環境にかこつければなおさら)しないで済ませられる。

 叔母を偲ぶ気持がないわけではないが、それこそ気持ちの問題だから、親族と集まる必要を感じない。

 思った時に思い出して、庭の花でも手向ければ十分だ。

 

 僕はそういう、コンビニエントな人間関係を指標にしている。

 もっと互いに都合の良い距離や速度やスタイルがあるものと思っている。

 たまたま僕の理想とするそれが、他の人からすると見慣れないもので、未経験なだけだろう。

 

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 人間の社会は経済が個人の自我と癒着し、自我が肥大し、無秩序に増殖し、悪性新生物(いわゆる癌)のように、組織全体の機能を損なわせることがある。

 問題は経済と癒着しているがために、その肥大化も、それが原因で起こる機能損失も問題視されないことだろう。

 

 たとえば様々なハラスメント行為(セクハラ、パワハラなどなど)は、力関係と自己顕示欲などが過剰に作用した結果だろう。

 それでも組織(たとえば社会全体)が正常に成長するために必要な作用であれば、必要な犠牲ともいえるが、実際に日本の社会は衰退し、目指す方向を見失っているように観察される。

 あるいは汚職や横領のような利益を個に不正に流入させる行為も、個に与えられた権限の不正使用を防止する機能が組織に欠損したことによって起こる機能不全と考えれば、個の自我の肥大は、往々にして組織としての機能を不全にすると考えて然るべきだろう。

 

 しかし僕のような考えなしの夢想家は、何を言ったところで他人からは絵空事だと笑われてきたし、今後はますます誰に取り合ってもらうこともないだろう。

(僕は人間との関わりを減らし続けているし、社会との相互影響力を減らし続けているので)

 

 人間の社会は、組織化のために価値観を個々人に複製し、発展のために変容させてきた。

 そのDNAとも言うべき指針が、各個体から徐々に消えてしまうようになった。

 個々人が「これが正しい」と考える正義も倫理も、もはやかつてのような全体という規範が個々に等しく与えた青写真ではないし、個々の発信する正義とは、結局のところ個々のエゴや欲を正当化して投影したスクリーンのようにさえ見える。

 

 絶対的に意味を変えない、実存するモノはその多くが経済と紐付いているので、人間は自身の感情と自他の欲と実存のモノによる圧力の中でカタチを変えるしかないのだろう。

 

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 子供の頃の僕は、とても正義感や倫理観が強かったのだが、上述のとおりそれが自身のエゴだと考え、ある時期からわざわざ道を少し外すように心掛けた。

 刑法に触れるような犯罪はさすがにしなかったが、仕事をサボったり、恋人を複数作るくらいのことは平気でしていた。

 

 どうだったろう。

 想定通りに僕は僕自身を歪めて、思った通りの筋道を歩んだはずだ。

 正しいだけでは見えなかった景色を ── それが桃源郷のように美しいこともあれば、阿鼻叫喚の地獄絵巻だったこともある ── 僕は歩くことができたように思う。

 

 もちろんもっと美しい場所もあれば、もっと目を覆うような世界もあるだろう。

 しかしそれらはいずれも、自分が望めば、望んだ通りに見ることができて、歩むことができることを僕は知った。

 

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 青臭い話をするならば、僕は未だに反骨精神を心のどこかに燻らせていて、何かの拍子に適切に憎しみの焔を燃やすだろうと想像する。

 その毒をすでに失っているなら、その健全さを抱えて人知れず静かに朽ちるだろうが、いずれも悪くない結末だ。 

 

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 のんびりぼんやり、と僕は自身を言い、そうあるように心掛ける必要があった。

 

 正しさで自分を押し潰さないように、あそびという余裕を作っておく必要もあった。

 

 今までも相当に自由だったのに、本格的に自由に染まってゆく。

 

 自由になればなるほど自分以外の誰をも、自身のエゴで縛るようなことをしたくないと感じる。

 他人から押し付けられる欲の、ときにおどろおどろしい姿を見ることはあったし、自身の持つ欲だってきっと、ときにおどろおどろしかったはずだ。

 

 いや。

 僕は僕自身に対する欲をも、そのうち捨ててしまうだろう。僕自身を僕が縛るなど、ナンセンスなこと。

 その血生臭さを、僕は味わい尽くしたはずだ。

 舌を焼く熱さも、手脚の腐るような冷たさも。

 

 実に、かくあれかし、なんてもう思わなくなってきているのだ。

 

<かくれんぼっ>

 

 今いる場所以上の自由を、僕は知らない。

 これ以上の自由をうまく想像できない。

 

 これは限界だろうか。

 それとも見えないだけだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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// TimeLine:220408
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
奥様に買っていただいた洗濯機が冬も春も素晴らしい。
SUBTITLE:
~ Washin'machine. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220408
 
 この数日、早朝に目覚める。
 そして昼寝を少しする。夕方に眠ることもある。
 一日の睡眠時間は8〜10時間ほどだろうか。
 眠くなったら眠り、目覚めたときに起きるので、よく分からない。
 
 8時頃から昼過ぎまで草焼き。
 昨年の秋に購入した石油式草焼きバーナがようやくの初仕事である。
 ちなみに、大きさが15cm以上のいわゆる雑草については、あらかじめ抜いて処理しておいた方がラクである。
(なので天気の良い日に、たびたび草取りをしていた)
 
 今回バーナを出したのは、手を触れただけで種が「びよんびよ〜ん」と大量に飛ぶ草を根絶してやりたくなったからである。
 あの草自体は小さく可憐な花を付けるし、種の「ばちびょん、ばちぴょ〜ん」と飛び回る様は愉快でもある。
 しかしその種が顔に当たり、目に入ったりする。
 そうなると可愛いも愉快もない。ただ不快である。
 
 ために抹殺することが提言され、承認され、計画され、実行された。あいつらを許すな。
 バーナの全長は1500mmほどだろうか。
 石油の噴射にあたって、予熱(灯油を流動経路内で加熱、気化させる。噴霧時の指向性燃焼を強力なものにするためには必須ではある)を手動で行う必要がある。これが結構危険。
 点火も点火装置なんてものもないので、ライタで直接点火する。ために点火も結構危険。子供には預けられない。
 
 しかし機構の無駄を省くことで軽量化に成功しているとも言える。
 標準モデルだが火力は満足できる。値上がりしてはいる灯油だが、ガスボンベタイプよりは燃費も安い。
(ガスボンベタイプを使っていたのだが、30分ほどでガスが終わってしまうことと、減圧による冷却で冬になるとガスが中途半端に残るので石油式を買った次第)
 
 使ったのはこれだ。
 
 隣家あたりからは、相当にアタマオカシイ人だと思われているかもしれない。
 しかし社会性なんてものは3年前に会社のゴミ箱に捨てたので、実質の迷惑を掛けない限り構わないことにしている。苦情や消防や警察が来てから対応を考えよう。
 
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 春になって、我が家の経済主体たる奥様(仮想)の買ってくださった洗濯乾燥機の素晴らしさについて、新たな発見があった。
 結論から言おう。
 洗濯乾燥機は素晴らしい。いいぞ。本当に。
 
 前橋市に暮らしていた頃(物理的制限により)導入できなかったことが悔やまれる。
 その失敗や悔しさをバネにしたわけではないが、だからこそ満を持して導入することができたということもできるわけである。
 
 春というのは花粉の季節であり、黄砂の季節であり、出会いと別れの季節であり、虫が出てきて、いわゆる雑草の種の飛び始める季節でもある。
 ために基本的に屋内に洗濯物を干すしかなかったのだが、隙間風のひどい我が家では、家の中に居るだけで、ときどきアレルギィ反応が強く出る。
 屋外に干すよりは「まし」だが、十全な対応と言い切れない。少なくともリフォームが終わるまでは。
 
 冬は寒さに震えて洗濯物を干す(取り込む)必要がなくなり、夏は暑さに文句を言いながら干す必要がなくなり、春は花粉に怯えて干す必要がなくなる。
 諸君、素晴らしいとは思わないかね?
 
 なので現在までに判明した、横/斜めドラム式洗濯乾燥機のメリット/デメリットを列挙する。
 
○ 時間が節約できる。/ 私が自堕落になる。
○ 洗剤と水の量が少ない。/ 電気代は上がる。
○ 季節の影響を受けない。
○ ティッシュを洗濯してもぐしゃぐしゃにならない。
 
 また今回、導入を取り計らっていただいた洗濯機(あろうことか「一人暮らしならこのくらいのサイズが」という店員を無視して「このタッチパネルが付いているのは?」と質問を始めた挙げ句、最上位モデルを容赦なく購入されていた)に特有かもしれないメリットを列挙する。
 ちなみに奥様に購入していただいたのはこれだ。
 
○ タッチパネル操作の上、ヘルプ機能もあるのでマニュアルの出番がほとんどない。
○ 洗剤/柔軟剤タンク搭載。
○ 掃除が必要になると自動でアラートが出る。
○ かなりの数のプリセットコースがあるほか、オリジナル設定も可能。
(ただし「おまかせ」が有能なのであまり使わない)
○ 謎のナノイーX(宇宙から来たのだろう)搭載。
 
 軽く詳細を説明しておこう。
 
「時間の節約」については以前書いたとおり。
 洗濯物を干して取り込むのは面倒である。ただ水分を除去するために干し、それが終わるとたいていの人は取り込んで、収納する。その手間。およそ1回あたり30分。年間延べ時間で3日分ほど。
 ただし浮いた時間で子供の塾の送迎であるとかをする必要のないワタクシについては、自堕落になりがちで、せいぜいが奥様(仮想)のための料理にちょっと手間を掛けようかと思うくらいである。
 
「洗剤と水」は横/斜めドラム式の特性そのものである。
 以前は縦型で風呂水を使っていた。
 今回も風呂水ポンプを最初は使っていたのだが、ろくに浴槽の水が減らない。1回目のすすぎにも使っているのに全然減らない。
 そのわりに一定期間ごとにホースを洗浄する必要がある(僕の身体から出たダシが通るので必然に)。
 なので風呂水ポンプに必要なホース(付属品)を捨てた。いらんわ。
 
 また運転中に一時停止して洗濯中の衣類に触れたことがあるのだが、結構濃い洗浄液で洗われている。
 水量が1/4とか1/5程度だろうと思うので、必然か。
 落下による運動エナジィと濃縮された洗浄液の効果で、汚れやゴミを衣類から剥離する効果が凄い。
 作業着にしみこんでいた漆喰(半年以上前のもの)が、次第に落ちるほどである。
 だからといって繊維が傷むかというとほとんど傷みを見せない。すごい。
 
「季節の影響」
 これは前述の通り。
 春は花粉、梅雨があり、夏は花粉、暑いしゲリラ豪雨もあり、秋は花粉、台風もある。冬は寒い。
 これらの影響を受けない。洗濯物は洗われ、乾く。
 僕が洗濯機に放り込んでボタンを押すと、できあがる。天才か。
 
「ティッシュを洗濯する」
 ポケットにティッシュが入っていることがある。僕は花粉症で慢性鼻炎持ちなので、外作業やデスクワークで大量のティッシュを消費する。ベッドの上での比ではない。年単位でぱやぱやしていないので、使用量なんて覚えていないが。
 洗濯乾燥機は、ティッシュがポケットに入っていても、大抵ボール状になってポケットに入ったままである。
 仮にポケットから出てしまっても、乾燥時にほぼすべて排出される。だからティッシュくずがべたべた付いた衣類を前に絶望する必要がない。
 最大で2つのボールがポケットインし、1つがポケットアウトしたことがあるが、洗濯物はいつもどおりきちんと綺麗になっていた(乾燥機フィルタが毛布みたいになっていたが)。
 
○「タッチパネル操作」
 べつに操作そのものはタッチパネルである必要などない。
 しかし各種設定やヘルプがタッチパネルから確認できる。
 フィルタ詰まりや排水フィルタの定期清掃も自動でアラートされ、手順を画面で確認することもできる。おそらく洗剤残量もだろう。
 ときどき「便利な機能」を勝手に教えてくれる。
「タオルふんわりコース」とか「槽洗浄モード」についてとか。
 
○「洗剤/おしゃれ着洗剤/柔軟剤タンク」
 詰め替え用を買ってきて、放り込んでおけばいい。超ラクちんだ。
 タンクの洗浄コースもある。空になったら洗ってやろう。
 
○「アラートの数々」
 乾燥フィルタは基本的に毎回掃除する(そのくらい大量に繊維くずが出る)が、忘れているとフィルタが詰まってアラートが出る。ティッシュを洗うと決まって出る。
 定期的に脱水ゴミ受けアラートが出る。ろくにゴミは溜まっていないのだが、汚れないうちに掃除するのが水回り掃除の基本である。好感が持てる。他にも何か言ってくると思う。まだ一緒に過ごして1年も経っていないから分からない。少しずつ知っていこう。
 
○「多彩なプリセットコース」
 全部把握するのは面倒なくらいある。槽洗浄やタンク洗浄なども複数のコースがある。
 潔癖症の人はもちろん、節約したい人にも対応している。
 
○「ナノイーX」
 なんだろうね、これ。あまり信用していない機能。オゾンとも違うようである。
 
 
 以上、素晴らしい機能が目白押しである。
 
 年間3日を買い戻せるというだけでも破格だと僕は思う(奥様も思ったに違いない)。
 水と洗剤による費用と電気代を天秤に掛けると相殺するか若干高いだろう。
 しかし毎回30分、時給800円のバイトに充てると、年実働200日で8万円ほどになる。
 僕は専業主夫なので、浮いた30分で昼寝をしたり、ゲームをしたり、焚き火をしたり、奥様のためのごはんをちょっと工夫したりする程度だけれど、一人暮らしの人だったらこの30分は大きいと思う。
 
 デメリットがあるとすれば、まず「値段」が挙げられる。
 新品でも3万円を切るような全自動洗濯機もある一方で、本体価格は30万円を越える。
 僕の会社員時代の月収を軽く上回る。
 しかし年あたり3日くらいの時間をまるっと買えるので、個人的には格安だ。
(いっそのこと畳んで仕舞ってくれる機械も欲しいくらいだ。)
 会社員の頃にお金を貯めて買おうとしたのも頷ける。
 
 ついで「スマートフォンアプリが残念で、Wi-Fi 機能が無駄」になる。
 本当は洗濯が終わったときに通知がもらえると便利なのだ ── 乾燥後、一定時間ごとに槽を回転させ、洗濯物にしわが付くのを防いでくれるから ── けれどアプリを利用するのにメーカサイトでアカウントを作る必要がある。
 そのアカウントに個人情報を入力しないとならない(不可避)。
 洗濯機から、動作終了のお知らせを受け取る、あるいは遠隔操作をするために、なぜ個人情報が必要か理解できない。
 企業といえど個人情報の管理能力が高いなどと僕は思っていない。まぁ、僕個人にはどうでもいいことだけれど、キモチワルイから登録しないので、結果アプリが使えない。
 
 最後に、個人的には「パナソニックが嫌い」である。
 ナノイーとかプラズマクラスタとか、謎技術を推すメーカはイマイチ信用できない。
(アップル社のマシンの「以前と比較して2倍速い」という常套句くらい信用できない。何と比較してるんだよ)
 それなりに効果はあるようだけれど、その上その装置がメインテナンスフリーとは信じがたい。
 しかし今回は機能から絞り込んだら日立ではなくパナソニックになった。なってしまった。
 
 でもまぁ時間は浮くし、操作は簡単なのに高機能だし、バカでも使える優しい設計 ── 高性能がゆえに無能な人に使えない汎用機械は、ために一部の人にしか恩恵を与えない。バカでも安全に高機能を享受できるというのは優れた設計の証左だ ── だから、本当に素晴らしいと感じる。
 悔しいけれど、この洗濯機について言えば、パナソニックは侮れない。
 ちなみに(全然関係ないが)「侮る」と「悔しい」の漢字は似ている。
 
>>>
 
 奥様(仮想)に、
「このような高価な品物は、ワタクシには身分不相応に思えますが」と進言申し上げたところ少し驚かれたようで、
「道具にできることは道具にさせて、人間は人間にしかできないことをすべきだ、と猫様はいつもおっしゃっていたように思います」と突き返された。もっともだ。それなりの頻度で言っている。
 
 しかし僕が浮いた時間で寝たり遊んだりしていることを申し上げると、
「道具は昼寝もしなければ遊びもしません。それはイキモノにしかできないことです。青猫様はそれをして然るべきだと思います。猫様のように有能な道具にも相応のメンテナンスやレクリエーションは必要ですし」などと言う。
 
 ちょっと待って。今どさくさ紛れに言うに事欠いてワタクシのこと道具って言いました? 言いましたよね。
「『有能な人間ほど道具のように都合が良くて高機能だ。私は有能な道具や機械が好きだし、それらを大切にしているし、愛してさえいる』とまでご自身でおっしゃっていたではありませんか」と諭される。
 そんなこと言ってた? ……言ってたね。言ってた。言った。
 
「猫様は家のリフォームを格安でしてくださったり、家事をしてくださいます。20代にして嫁要らずと呼ばれた実力に相応した、優れた道具といえるでしょう。心身共に壊れやすいのが難点ですが、高性能な精密機械は往々にして手が掛かるものですし、その高価な道具が優れた機能を発揮するよう環境を整えるのは、管理者として当然の義務ではないでしょうか」
 
 うわぁ。
 こういうことよく(誰にともなく)言っていたけれど、直接言われるとこんな気分になるのか。
 ぐうの音も出ない。
 
「高機能が過ぎて、会社とか家庭とか、そういう組織に従属できないのではありませんか。かつては洗濯機と乾燥機は、別の機械だったように思います。ひとつにまとまってしまうと、他と組み合う必要がなくなってしまうのです。もっとポンコツでいいのではありませんか。誰かを必要としたり、頼るのもある種の能力です。猫様はひとりでできることがかなり多い結果、そうした能力に乏しいように観察されます」
 
 
 僕が一人でできないことというと……。子作り?
 待って。叩かないで。
 
>>>
 
 いずれにしても洗濯機が高性能で、折に触れ「いいなぁ。幸せだなぁ」と感じる。
 優れた道具というのはこういうのものだと思い知らされる。
 
 来世で(自身の能力が乏しいために)結婚することがあったら、配偶者には一番高い洗濯機を買い与えようと思った。
 そのくらい、いい洗濯機を使っていると買ってくれた人から愛されている気がする。
 きっと高性能の愛情は、高値で取引されているのだろう。
 
<春はあくびが出ちゃう>
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Link-Love-Maintenance-Mechanics-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Bicycle-Book-Camouflage-Cat-Computer-Dish-Fashion-Friend-Game-Garden-Human-Koban-Memory-Music-Night-Poison-Rain-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220406
// NOTE:夕方過ぎに眠ってしまって、夜中に目覚めて眠れなくなっちゃったんだよぅ。
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
神童もすべて知っているわけではない。
SUBTITLE:
~ Cook up. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220406
 
 数日前、歯医者に行ったら大量の野菜を頂いた。
 大きな段ボールに詰め込まれたそれを、トラックで持ち帰った。
 
 キャベツ2玉、かき菜が買い物袋いっぱい。
 ニラが4束。菜の花がひと束。ねぎ坊主がひと袋。
 いずれも趣味農家さんの手作りで、採りたてのものだ。
 
 驚いたのはねぎ坊主で、天ぷらなどにして食べるという。
 食べたことがないから想像がつかないが、わざわざそれだけを欲しがる人もいるという話だから、決して不味いものではないのだろう。
 
 そのようなわけで3日ほど、おひたしばかり食べている。
 採りたての野菜なので、慌てて下処理しなくてもくたくたになりにくいが、そろそろコシが弱くなる頃か。
 
 春の野菜は、ほんのりと甘くて、ふんわりと苦い。
 花粉症の季節だけれど、野菜について考えると春もなかなか嫌いになれない。
 
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 父上の教育(今で言うところ食育)の成果なのか、僕はアレルギィを起こすもの以外は大抵のものを抵抗なく食べる。
 子供の頃から野菜と豆腐が好きで、肉より魚の方が好きだった。
 
 数年前から食肉が過ぎると身体の炎症反応が強くなるので調べたところ、こんな文書が見つかった。
 
 たびたび書いているが、僕は精製度の高い炭水化物(たとえば白米や精製度の高い小麦を使ったパンなど)を摂食すると、代謝の影響で異常な眠気が発生する。
 誰でもある程度は眠くなるらしいが、僕は気絶するほど眠くなる。
 それが原因かは分からない ── 母乳で育っていないので親由来の消化酵素が少ない可能性もある ── が、子供の頃から白米をあまり食べず、父上はずいぶんと気を揉んでいた。
 他にも子供の頃は肉(特に脂身)が嫌いだったので、消化吸収系が弱く、合わなかったのだろう。
 
 幸いにして、好き嫌いは少なく育った。
 父上は白米を食べない僕に、様々な料理を作って食べさせてくれて、よく食べるものについては食卓に並べる頻度を高くしてくれていたように思う。
 もっとも冷や奴や湯豆腐は、さして高価でも手間の掛かるものではなかったので、都合も良かっただろう。
 白米よりも味噌汁を好む傾向が強かったので、味噌汁やスープ類がないことはまずなかった。
 
 今でこそ好んで食肉をすることも増えたが、牛よりも豚や鶏の方が好きなのは、身体との相性が関係していたのかもしれない。
 そう考えると僕の味覚は、子供の頃から、相当に未熟というか、偏っていたというか、変わっていたと思う。
 多くの子供が嫌ったという、トマトや人参やピーマンが好きで、むしろ最近の(青臭さや苦みやえぐみが少なく甘みの強い)それらは味が薄くてつまらないと感じる。
 一方で、一部の人があまり興味を持たない豆腐については、子供の頃からとても美味しいと感じている。
 
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 無職になった3年前あたりから、子供の頃の記憶の幾つかが戻ってきた。
 単に年齢のためなのか、そういう条件で復元するプログラムを作っていたのか、忘却の仕組みにほころびができたのかは分からない。
 不思議なことに、記憶が戻ると、却って曖昧になる部分がある。
 
 客観的に自分の記憶を眺めていた頃は、それが何時あったことなのかを結構はっきり覚えている反面、何があったのかが曖昧だった。
 今は「具体的に何があって、どう感じたか」を結構はっきり思い出せる反面、それが何時のことだったのか、すこし曖昧である。
 
 8歳の頃から家事をしている。
 いまどきの言葉で言えば、僕はヤングケアラだった(もちろんそんな名称を冠されることを好まないが)。
 
 いかんせん父子家庭であるし、父上は仕事で文字通り昼も夜も家にいないし、2番目の姉上は家を出て行ってしまっていた(よくよく考えると彼女は18歳にも満たない年齢で家を出て自立している)し、3番目の姉上は部活と称して非行に走るようになっていったので。
 
 3番目の姉上の名誉のために付け加えておくと、料理実技の初歩(包丁の握り方と野菜の炒め方)を教えてくれたのは彼女である。
 まぁ、神童と呼ばれた僕が腕を上げるにつれ彼女は料理をしなくなり、15歳(僕が10歳)になったとき、進学のため家を出て学校の寮に入ったので、料理はそこから僕の領分になったわけである。
 
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 それ以前から家には料理やお菓子づくりの本がごろごろしていたので、学校で漢字を教わるより以前に、そうした本には慣れ親しんでいた。
 文字を知らないうちから百科事典などを眺めるのが好きだったし、辞書の引き方も小1くらいで姉上に教わったように思う。
 3番目の姉上は短気な人だったので、知らない文字を教えてほしがる僕に辞書を引く技術を(イライラしながら)与えたわけである。
 
 こう書くと3番目の姉上は(短気な点を除けば)先見性のある、たいそう優れた人だったように思えるのだが、どこで道を間違えたのか、ひどく傲慢で自己中心的で怠惰で言い訳と嘘で塗り固めるような人格を形成し、現在は表向き行方不明になっている ── 「表向き」というのは「調べれば居場所は分かるが、連絡を取りたがっていない人を追い回す趣味が僕にない」からだ。
 
 彼女が道を誤った原因はシンプルで、小学生だった頃の彼女に性行為とお金の交換を教えた大人がいたのである。
 もっともそれを僕が最初に知ったのも8歳くらいだったので、彼女が電話越しの友人に得意げに性的な隠語を使っていてもその内容を理解することができなかった。
 それが良いことか悪いことかも、分からなかった。
 
 当時の僕の難点は今と違ってそれなりに優れた記憶力を持っていたことで、年齢を重ね、性的なことを男友達どもがあれこれ言い合うたびに、記憶の中の言葉の意味を知ることになった。
 良いことか悪いことか、分からないことは悪いことだろうか。それとも良否を決定できないことだろうか。
 しかし過去に遡って、何かを変えることはできない。
 そんなどうすることもできない人生の法則を、10代になるかどうかの頃に思い知った。
 ためにある時期から僕の記憶力は著しく低下しているが、当然ながら自分で作った性質である。
 
 いずれにせよ素性も知れないその成人男性と小児性愛を僕がひどく憎み、金銭と性行為の交換 ── 売春であろうと援助交際であろうと性風俗業であろうと、僕には同じものである ── を忌避(場合によっては嫌悪)するだけでなく自身の性欲についてさえ長らく取り扱いに困ることがあったのは、姉の売春の意味を理解したためだ。
 今でこそ広義なロリコンは問題はないと思えるようになった ── 子供はなかなかどうして可愛らしいものだから ── が、小児性愛は明らかな倒錯であるからどうにも度しがたい。その憎悪や嫌悪について、適切に表現しうる言葉を僕は持たない。
(姉を嫌悪したことはない。小学生の女の子が成人男性を性的に誘惑するとは思えないからだ)
 
 ともあれ今回は3番目の姉の話でもなければ倒錯した人間の性愛についてでもない。
 神童であった僕と料理の話だから安心してほしい。
 
 今で言うところのレシピ付きミールキット(レシピ本が週に一度、必要な材料はセットで毎日宅配される)を父上が注文していた ── 40年前からそれは存在していた ── ので、基本的な切り方や、火加減、包丁やまな板を始めとする調理器具の名称や使い方を知っていれば、調理そのものは比較的簡単にできた。
 献立を考える必要はなかった。そもそも僕はどんな料理があるかを知らなかったのだから。
 
 それでも1年も経つうちに、炒める煮る焼く蒸す揚げるといった基本調理はひと通りできるようになり、10歳を待たずして「酢豚って面倒だよね。一度肉を揚げて、餡を作って、炒めて混ぜ合わせるんだよ。本当にどうかしている。エビチリもそうだけれど、ああいうのは宮廷料理であって家庭料理じゃないんだよ」ということをさらりと言ってのけることができた。
 さすが神童である。
 
 実際、八宝菜も面倒だったが、酢豚については美味しくできるまでの道のりがおでんに等しいと今でも感じる。
 しかも、おでんなら2日は楽しめるが酢豚は一食限りである。正気の沙汰とは思えない。宮廷貴族にでもなったつもりか。
 
 とはいえ料理は楽しかった。
 知らないところから、書かれているとおりのことをするだけで、見たこともないものが出来上がり、それがまぁそれなりには美味しいのだからまったくもって素晴らしいと思った。
 
 もちろん失敗がなかったわけではない。
 ときどき指に包丁を当てて血まみれになったり、天ぷら油でキャンプファイヤのごとき烈火を生じさせ天井を黒くしたり、鍋の中で煮物になるはずだった炭を作ったりはしたが、幸い失血死したりはしなかったし、家も燃えなかった。
 父上は注意したり心配したりはしたが、鍋を焦がそうと天井を煤だらけにしようと、怒ることはなかった。
(まぁ神童が作った料理を食べているのだから当然だろう)
 
 他にも調味料を加えすぎたために味が濃くなり過ぎて食べられなくなった料理もあったが、そういう料理は食べなければ味見をした僕以外の誰も傷つけない(父上は文句を言いながらも食べたが)。
 天井が燃え上がったら傷つくどころでは済まないのだから、不味い料理を食べさせられたくらいで文句を言う奴がいたら天井を燃やしてやればいいと思うよ(口調が変)。
 
>>>
 
 そのような次第で、僕は10歳以前に茶碗蒸しも卵と昆布と椎茸と鰹節から作ることができたし、天ぷらを揚げることはもちろんのこと、天ぷら鍋が火を噴いたときの消火方法まで会得していた。
 
 そうこうするうちに家庭訪問か何かの機会に、学校でも(おそらく)有名だった奇人たる僕の家の素性を、担任が知ることになる。
 それでどういうわけか市(だったか県だったか)の教育委員会か何かに呼び出されて、表彰されたことがある。
 賞状などずいぶん昔に捨ててしまった(そもそも僕はそういうものにまったく興味がない)ので、どこがどんな理由で作ったタイトルに選ばれたのかは分からないのだが、まあ「苦労してるのによくやってるね賞」といった趣旨のものだったのだろうと想像する。
 担任から校長に、校長から教育委員会や市の組織にと、話が流れ、書類が流れたのだろうと今は想像できるが、当時の僕はある日「市で表彰されるから行ってきなさい」と言われて、担任だったか父上だったかに連れられて、市民会館か県民会館か何かに行って、賞状と粗品を貰って帰ってきたのである。おそらく学校を休んで行ってきたのではないか。
 
 これによって従前の奇行を自戒し、勉学に励んだかといえばまったくそんなことはない。
 粗品は文房具だったような気もするが、よく分からない楯(シールドの方ではなくトロフィの方)だった気もする。
 自分が欲しいと思っていないものをもらっても嬉しくない性格は当時からなので、すぐに捨てようとして父上にとがめられた気がする。
 
 当時すでに(デキの悪い生徒に合わせるため遅々として進まない)授業に退屈して眠ることがあったのだが(市だか県だかの)教育委員会で表彰された記録が残っているからか、ほとんど教師から叱られなくなってしまった。
 
 もはや僕には宿題さえ出ていなかったのではないだろうか。
 少なくともその前後から宿題の提出を求められなくなっていたのだが、完全に容認された(あるいは放任された)感もある。
 もちろんどれだけ叱っても僕は宿題を提出するどころか、宿題というものの存在を忘れてしまうのでどうしようもなかったのだが。
 
>>>
 
 いずれにしても料理というのはむつかしいものではないし、一事が万事、手取り足取り教えてもらわないとできないものでもない(じつに僕は ── 教材こそ与えられたが ── 独学で身に付けるに至ったわけだし)。
 フライパンや水の張った鍋を両手で持てるようになれば、とりあえず台所に立っても問題のない年齢だと考えていいとさえ言える。
 
 ただ、最初は大事だろう。
 分からないことを尋ねれば教えてくれる人がいることは大事だし、最初は怪我のないように見守ってくれる人がいるのは重要だ。
 僕の場合はミールキットという教材が、非常に多くの経験をさせてくれた。
 
 今思えば、父上や教師は僕に甘かった。
 父上は父上で子供に料理をさせる負い目について思う部分もあったのだろうと今は思うし、教師は僕が何を言ったところで行動を変えないことを理解したのだろう。
 
 人間はけっこう優しいのだと思える。
 当時は日々を過ごす苦痛にばかり意識が向いてしまうことが多かったし、振り返れば過去の不運や現在の不幸を味わい直すことになり、将来に希望なんて持たなかったから、僕はなすすべもなく自身を憐憫することさえあった。
 
 子供の頃を思い出すとしかし、僕は不幸ではなかったのだと思い知らされる。
 神童だったかどうかに関係なく、おそらくずっと、思った以上に多くの人から、愛されていた。
 
 ただちょっと不運で、ただちょっと貧しかった。
 少々、表現を受け取る機会が少なかったから、味覚の発達が独特で遅かったように、表現を読み取る能力に乏しくて、実感できなかったのだ。
 未熟な僕は自身を知らなかったから、当時の感覚に抜け落ちている現実を知る手段を持たなかった。
 
 どれだけ怪我をしても刃物を取り上げられることはなかったし、天井を焦がしても台所に立つことを禁止されたりはしなかった。
 口に合わない料理を作ったのに「これは塩からいなぁ。まいったなぁ」などと言いながらも食べてくれた。
 
 僕は当時、それを知らなかった。
 それが愛されているから経験できる、とても贅沢な現象だなんて露ほども。
 
>>>
 
 ねぎ坊主は、ニンニクのような食感が少しあって、ネギのような甘みと、うっすら、ふきのとうのような苦みが隠れている。
 
 複雑な味わいだ。
 
 複雑で、それはきっと、僕の理解の及ばないほど綺麗だ。
 
 
 
<水になじませて粉を振り、フリット状になることをイメージして揚げたところ、ねぎ坊主は水を弾いただけでなく熱で膨張して丸くなり、およそ全ての粉を油にはじき出したので素揚げ状になった。
 大量の野菜は、おひたしにすればだいたいカサが減る。
 揚げ油は大量の粉で汚れ、すぐ捨てる羽目になった>
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Cooking-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Link-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Season-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Dish-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:ひなたぼっこ:キッチンマットで虎視眈々:夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220402
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
220402 猫様観察日記
SUBTITLE:
~ confuse again. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::「センセイ、ビールつぎましょうか」わたしが聞くと、センセイは首を横に振った。
「いいえ。ワタクシがツキコさんについであげましょう。ワタクシのぶんもワタクシがつぎます」あいかわらず、つがせてくれない。
「センセイはお酌されるのが、嫌いですか」
「上手な人ならいいんですがね、ツキコさんは下手だ」
「そうですか」
「ワタクシが、教えてあげましょう」
「いえ、結構です」
「かたくなな人だ」
「センセイこそ」
 センセイのついでくれたビールは、泡が固くたっていた。ひよこはどこで飼うんですか、と聞くと、しばらくは家の中で、とセンセイは答えた。ひよこが動く音が、帽子の中の箱の中から、かすかに聞こえる。動物を飼うのはお好きなんですか、と聞くと、センセイは首を横に振った。
「得手ではないですね」
「だいじょうぶですか」
「ひよこならね、そんなに可愛くないでしょう」
「可愛くないのがいいんですか」
「可愛いと、つい夢中になる」
 かさこそと、ひよこは箱の中で動いている。センセイがコップを干したので、私がビールをつぎ足した。センセイはこばまなかった。もうちょっと、泡たてて。そうそう。そんなふうに言いながら、わたしの酌を静かに受けた。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220402
 
 猫くん(6歳以前)の自己嫌悪が凄い。
 簡単に言えば、ダークマター(暗黒物質)をぬるま湯でこねて作った泥人形みたいな感じ。
 
 アヲくん(彼女はメスだけれど)が3/21頃に発見された。
 3/10からそこまでの落ち込み具合も相当で、未だに少し引きずっている。
 
 日常生活に支障を来して、モチベーションがおよそマイナスに傾いていた。
 ようやく食事や睡眠などについて、ある程度の規則正しい生活を取り戻し、現実逃避をやめて現実と向き合い、身体機能の維持やメインテナンスを正常化しつつある。
 わたしが「猫クぅン、わたしキャベツサラダ食べたいなぁ」と言えば、猫クンは作ってくれる。
 この条件反射とも呼べる性質を利用しない手はない。
 
 しかしβくん(「猫くん/6歳以前」ベースの置換用仮想人格)が作られた理由が少し分かった気がする。
 猫くんは単一の事象に対し、それが解決した後にもとにかく引きずる。「重いコンダラー」くらいの試練の道である。
 
>>>
 
※アニメ「巨人の星」のオープニングソング「ゆけゆけ飛雄馬」の歌い出しは「思い込んだら」である。
 手動式整地用ローラを引いているシーンと重なって「重いコンダラー」と誤解している人もいると聞く。
 あれは「コンダラ」というトレーニング器具ではないのだが、思い込んだらなかなかそれを手放せないのが人間だろう。
 思い込みって怖いね。みんなも気をつけよう。
 
>>>
 
 とにかくいつになったら元に戻るのかが分からない。
 しかも要因となった外部の問題が解消され、およそ元通りの日常が戻ったにもかかわらずの引きずりっぷり。
 その執念深さ。これはモテないわ。
 つまるところ内部の問題で、たとえば倫理観であるとか、正義感であるとか、履歴にまで完璧を求めるから起こる失望が原因だろうか。
 
 しかし具体的な対策を立てるほどの気力もない。
 思考能力も判断能力もひどく低下していて、まるで痴呆症の人である。
  ── 子供の頃から「老成している」なんて言われていたのはそれが遠因かもしれない。
 
 今でこそ外的な強制要素がほとんど影響しない環境を作って生きているが、学校があったり、会社があったり、家族や友人や恋人が多かったりすれば、それら一つ一つがつまづくきっかけにもなる。
 たとえそれらが好ましい存在で、あるいはもっと積極的に自分から好きであったとしても、むしろその場合は尚更びくびくしながら過ごすことになる。
 
 まして様々な関係性に付随して、そこで求められるタスクに対する反応が著しく低下していれば、組織にとっても自分自身にとっても、あまりよい結果をもたらさない。
 料理を作っても食べない子供がいれば、心配してあるいは怒る親もいるだろう。
 仕事を頼んでも作業が進まない部下がいれば、査定を低く見積もるよりなくなる。
「好きだよ」と伝えても、反応の薄い恋人というのはなんとも味気なく「この人は私のことなんてどうでも良いのではないか」と思ったりするものだ。
 
>>>
 
 僕の知っている、僕の持っていた、一番ひどい生きづらさの体現だ。
 それは主観的で、何の根拠もなくて、何らの実効性を持たない。
 
 好きな気持ちに恐怖し、好きなものを失って絶望し、好きな気持ちがあってもなくなっても、怯えて身動きがとれなくなる。
 嫌いなものに囲まれて憎悪に生きている方が、まだまともに機能するのだ、本来の僕というのは。
 
 しかし好きなものを持たず、作らず、増やしもしないというならば、どこに生きることに意味を見いだし、愉しむことができるだろう。
 嫌いなものを憎悪して機能し、好きなものを感じることのない生に、いったい何の喜びがあるというのか。
 
>>>
 
 実際のところ、私たち(ここでいう「私たち」とは内部表現なので、外部的には単に「私」あるいは「僕」となるべきだろう)は、あれこれ提案したのだ。
 
 保健所に電話して、必要なら出向くこと。
 探し猫のチラシを作って、動物病院やらスーパーやらコンビニに張ってもらうこと。
 
 もう昔の、無力な猫クンではないのだ。
 対物対人のいかなるスキルも身に付けた猫クンなら、チラシのデータを3時間半で(猫クンαが)作り、BP(友人です)のご子息に頼んで印刷してもらい、(黒猫クンが)あちこちに電話を掛けたり、責任者と交渉してチラシを貼ってもらうことなど造作もない。
 手を尽くし、思った通りの未来を誘導するために力を発揮することは、そしてそれによって、正しく未来を誘導することは、さほどむつかしいことではないのだ。
 
 でも猫くんは動けなかった。動かなかった。
 
 無論、私たちは猫くんを責めないし、責めるわけにもいかない。
 猫くんはもともと消極的で引っ込み思案で悲観的で人見知りで引きこもりで面倒くさがりではあるけれど(ひどい評価)。
 何かを失うことに人一倍臆病で、取り返しの付かない痛みに立ち向かうきっかけに対して動いても、何も変わらなかった記憶しか持っていない。
 誰にも相談できず、ひとりで考えた手法はあっさりと否定され、拒否され、失敗する。
 
 彼は、成功した記憶がないのだ。
 特に、好きなもの、積極的に自分から好きだと感じているものを失ったことについて、どうすることもなく立ちすくむ以外の経験を持っていない。
 励まされる経験も、促される経験も、誰かの庇護下で守られている経験にも乏しいから、戸惑ってしまうのだろう。
 
>>>
 
 ために猫会議が長引いている。
 
 恐怖というのは、いつだって外側ではなく内側に巣くっている。
 ここまで環境を整えてなお当然に、不測の事態は発生するし、当たり前に全ての事象をコントロールすることはできない。絶対に。
 それ自体をも愉しむような仕組みを私たちはすでに持っているのだけれど、猫くんは持っていない。
 
 苛立ちがないといえば嘘になる。
 私たちはすでに、それらを乗り越えて、よりすぐれた機能を手に入れている。
 最終的にアヲは帰ってきたけれど、猫くんは何もしなかった。
 失敗を恐れて何もしないことを、猫クンは嫌う。それは猫クン自身が自分を動かしてきた哲学だろう。
 何もしないことは失敗することより致命的で、悪質なことも多々ある。
 その猫クンが、何もできない猫くんをわざわざ内包して生きる理由はないだろう。
 
 とはいえ誰でも、どんなイキモノでも、生きることには理由などなくて、ただただ生きているという事象に合わせて、理由を見繕って、取り繕って、みんな自分を納得させるそれを捏造しているだけだ。
 その捏造を許さないから、猫クンは生きる理由を持たない。
 
 その姿勢はじつのところ、ただの面倒くさがりの延長線上にある。
 猫クンは、理由がないことや矛盾していることを好む。
 高い理想も、倫理観あふれる理念も、完全主義も、潔癖症が大事に抱える、ずぼらな綺麗事と鼻で笑う。
 行動のない理念も、綺麗事ばかりで歪みを押し殺した理想も、ありもしない努力や頑張りも、机上の空論で嘘っぱちだと嗤う。
 反動形成だとしても、しかしそれは有用だ。
 そうすることで猫クンは、現実世界を動かす手段を少しずつでも身に付けたのだから。
 
 もっとも猫くんだって、立ち直るのに何年も、何ヶ月も掛かっていた頃から比べれば、立ち直りは早い。
 猫くんとして生きることを決めた以上、これはこれで仕方ないことなのだ。
 猫くんが身をすくめているというのなら、私たちは待つしかない。
 
 猫クンがいつか言っていた。
 忍耐は、優れた資質の1つだ。
 何もできないのでもなく、何もしないのでもなく、期待せずしかし失望することなく、ただ待って、見守って、必要になったら迎え入れることができるのは並大抵の能力ではない、と。
 
 猫くんはできるだろうか。
 猫クンは、できるだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::「泣くでしょうか、あの男の子は」センセイは興味しんしんといった様子で身を乗り出している。
「泣かないんじゃないかな」
「いや、男の子は、泣き虫が多いですから」
「反対じゃないんですか」
「いいえ、女の子よりも男の子の方が、よほど弱虫です」
「センセイも、小さい頃は弱虫だったんですか」
「今だって、ずいぶんと弱虫ですよ」
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「センセイの鞄」
(著作:川上 弘美 / 発行:文春文庫)
 によりました。
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :none:
 
[InterMethod]
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[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Resistor-
 
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// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220307
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
キャベツ/白菜サラダのテキトードレッシング。
SUBTITLE:
~ Seasoning. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220307
 
 BPが遊びにやって来る。
 歯医者があるので、ゲームをしているBPを置いて出かける。
 
 帰宅したのは19時過ぎ。
 
 酒を呑むのにあたって肴を作ったのだが、キャベツサラダがとくにウケた。
(彼は気に入ったものがあると「次も作って欲しい」と素直に言うので楽しい)
 
>>>
 
 一時期、塩ダレキャベツを食べ続けていた時期がある(およそ2ヶ月)。
 しかし市販の塩ドレッシングは、たとえばガーリックが、化学調味料が、塩味が、強すぎたりした。
 あるいはレモンの香りが人工的に過ぎたり、油脂分の舌触りが気持ち悪かったりした。
 それでも出された店では「(業務用だけれど)市販品だよ」ということだったので、わざわざ自作せず、市販のものを次々試した。
 結果(捨てるよりない)塩だれや塩ドレッシングが溜まってしまった。
 
 冬になってからは白菜サラダを作り続けた。
 これも外食で覚えたのだが、その店ではマヨネーズベースのドレッシングだった。
 
 自宅でなんとなく作るドレッシングは、それにアレンジを加えたもので、店出しするわけでもないから多少原価は高いものの、いちいちドレッシングを買うよりは安いはず。
 
 さぁそんなわけで、今日はキャベツ/白菜サラダのドレッシングレシピをご紹介。
 ドレッシングついでに、キャベツ/白菜サラダの作り方も伝授しちゃうぞ♡
 
>>>
 
【材料】
○マヨネーズ
○粒マスタード
○ピンクペッパー
○コショウ(できればミックスペッパー)
○ヨーグルト(あれば)
○余って使わないタレやドレッシング(あれば)
○ワイン(あれば)
 
【作り方】
1.適当な容器に上記を適当に入れて、混ぜる。おしまい。
 
 
2.ここからワンポイントアドバイスが始まる。
 いつもどおりワンポイントのくせに長いから、覚悟して刮目せよ!
 
 バランスは
 マヨ:ヨグ:マス:ピペの比率が
 2:2:1:1くらい。好みで変えろ。己の道を歩め。
 
 余ったタレやドレッシングは少なめにしろ。
 焼き肉のタレとか、多いと変な味になるけれど、マヨネーズがだいたいなんとかしてくれる。マヨを信じろ。
 
 味が濃くなった場合ヨーグルトやワインを増やして薄める。
 粘度が高い場合はワインの方がいい。
 ワインは赤でも白でもロゼでもシャンパンでもいい。
 何も無ければオロナミンCだっていい。
 
 しかし誰にだってヨーグルトもワインも(ついでにオロナミンCも)無い夜がある。
 買えないときもあるし、買い忘れたうえ、買いに行く気力も無いときがある。
 誰にもあるならば、オマエにだってあるし俺にだってある。
 
 気にするな、水を入れろ。
 マヨは気取った奴らにも融合するが、水にだって溶ける。
 マヨを信じろ。
 ただし大さじ1くらいにしておけ。
 水が多いと水みたいな味になるぞ。
 
 なに水がない? そんなオマエも豆腐の1丁くらい冷蔵庫に常備してあるだろう。
 豆腐が絹ごしなら完璧だ。俺は木綿派だから完璧には届かない。これは仕方ない。
 どっちにしても豆腐の水を入れろ。
 美味しい豆腐の水は甘くて旨いぞ。
 水が不味くて飲めない豆腐は不味い豆腐だ。
 絹ごし豆腐を潰し入れてもいい。甘みが出るぞ。
 木綿豆腐を潰して入れると、舌触りが変わるから覚悟しろ。
 
 それと混ぜたときの色は気にするな。
 茶色いタレを混ぜると茶色っぽくなるし、赤ワインを入れると淡いピンク色になる。
 ケチャップを入れるのはおすすめしないが、入れれば毒々しいピンク色になる。
 
 最後に味見をしろ。
 足りない成分があれば足せ。
 もちろん味見をしなくてもいい。
 足りない味も味わいだ。
 完全だと思える味は、すでに過剰になっているかもしれない。
 どうだ、ミニマリスト哲学っぽいだろう?
 
【使い方】
1.ボウルで材料とドレを混ぜろ。
 材料といったって、適当にちぎったり刻んだりした白菜だとかキャベツでいい。茹でたニンジンだけでもいい。
 気取った材料を使って「サラダ女子アピール」をするな。いや今回だけは忘れて。ね?
 今日のオマエはキャベツ(あるいは白菜)のシンプル(あるいは質素、もしくは貧相)なサラダを作るのだ。気取ってんじゃねえ。
 SNSに載せられるようなキラキラサラダはホームパーティ女子会とか、彼と初めてのお泊まりのときとかに「キャピ☆」って感じで別の機会に作って写真に撮れ。撮ってSNSで自慢しろ。
 
 ボウルに材料を入れたらドレを掛けろ。
 ドレ? って不思議顔をしてこっちを覗き込んだってドキッとしたりはしないからな。俺は10代/20代の思春期ボーイじゃねえんだ。キョトンとしてないでドレッシングを黙って掛けろ。
 掛けすぎるとあとで酷い目を見るから、ちょっと足りないくらいにしておけ。
 
 混ぜるときにトングを使うなら、材料とドレを掴んだらロールするように手首を捻るんだ。
 掴んでロール、掴んでロール。それを繰り返せ。そうすれば最小限のスペースで素早く混ぜられる。そうだ。それでいい。
 これを会得するだけで(作り慣れない)キラキラサラダを作るときに(いつもサラダ作ってマース、キャピ♪)感を出すことさえ可能になる。普段サラダどころか冷凍食品の揚げ物を温めることさえしていないとしてもだ。
 
<ミニマリスト哲学に基づいた質素なサラダ。もはや生野菜と呼ぶのもおこがましい>
 
2.質素な、あるいは貧相なお皿を用意しろ。
 そもそもサラダボウルはだいたい質素で素朴(ひどい場合はそれを通り越して貧相)だ。そういうお皿を使え。
 オマエの家にキラキラサラダボウルしかないなら、近所の家の犬小屋の前にある皿を奪ってこい。弱肉強食だ。犬だろうが何だろうが、この世界にある使ってない皿はすべてオマエの皿だと思え。オマエのおサラダを盛るためのお皿だ。ここは駄洒落だぞ。
 
 中に盛るのはラディシュもベビーコーンもブロッコリィもない、色味に欠けたキャベツ(もしくは白菜)だ。それだけだ。
 それ以外を盛らないのだから、派手なキャピキャピサラダボウルを使うと落ち込むぞ。
 オマエじゃない、それを食べる誰かが落ち込む。オマエが作ってオマエが食べるなら落ち込む奴はいないだろう。むしろ侘び寂びを感じるために華美な皿を使う手もある。
 
 しかしどのお皿を使うかなんて自分で決めることだ。誰かに言われたことに従う必要なんてない。まるでない。オマエが使いたいと思ったお皿を使え。それがラケンロー(Rock'n'roll)でありパンクだ。好きにしろ。
 
3.盛り付けろ。
<貧相だろう? これがキャベツサラダだ。食べると味わい深くてびっくりするぞ>
 
 オマエに教えることはもう、ない。
 盛り付けたら、おためごかしにピンクペッパーをちょっと掛けろ。
 キラキラ感が少しだけアップするぞ。
 掛けすぎると味が分からなくなるから気をつけろ。
 どうせ貧乏舌だから、キャベツの甘みとか、白菜の滋味とか分からんだろう。それならたんまり掛けてしまえ。SNSで炎上するぞ。
 
【備考】
 ピンクペッパーや粒マスタードは、業務スーパーやお酒の量販店で安く売っている。
 びっくりするほど安い。マヨも結構安い。
 その安い素材を使うと、しっかりアクセントのあるドレになる。
 作りすぎてもラップする程度の密閉度で冷蔵庫に入れておけば3,4日は保つ。
 
>>>
 
 レシピ書くのって楽しいなぁ。
(これをレシピと呼ぶならば、だけれど)
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Chaos-Cooking-Diary-Form-Kidding-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Dish-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :キッチンマットで虎視眈々:
 
//EOF
 

こんばんは。


最近の楽しみの一つは、スパム退治です。

どうでもいい「いいね」を付けたり、ろくに読みもしないくせにフォローしてきて自分のサイトに誘導し、アタマワルソーなリンクを貼り付けて宣伝してるあいつらです。


だいたいまともに読んだりしません。時間がもったいない。

あいつらを許すな。


いいねの場合、いちいち覚えていないので、ときどき見に行ってしまう。

見に行って(またこいつか!)と思う。

時間がもったいない。


なので、多少時間がかかっても報告して削除する。

これに尽きる。


ここのブログシステムにはあれこれ思うことがありますが、基本的には黙っています。

ただweb版と、スマートフォンアプリ版で、いくつか仕様が共通していない点については辟易している。


今回取り上げるスパムの報告についても同様。

端的に、web版のブログサービスにアクセスされている皆様におかれましては、スパム退治はしない方がいい。

なぜって、スパムそのものよりもスパム報告の方がイライラするから。

だいたい当社比で20倍イライラする。


スパムブログに辿り着く→(またこいつか)

を1キッ!(キッ! は、イラッとして睨む気持ちの単位です)とした場合、


webでスパム報告をしようとする→報告リンクをやっと見つける→入力項目が多い→入力項目の意味が分からない→IDやアドレスを手入力させられる→(やってられるかバーロー!ふざけんじゃねえ!)

この流れはだいたい57キッ!に相当し、ヘソでお湯が沸きます。熱湯です。


みなさんも(こんなやつ消えた方がいい)というブログを見つけたらスパム報告しましょう(スパムを消すんだぞ。青猫工場は、スパムブログじゃないから報告するんじゃないぞ?)。

ただしスマートフォンアプリ版で。


ヘソでお湯を沸かしたい場合を除いて、スマートフォンアプリ版がおすすめ。


>>>



スパムブログのユーザを確認しようとすると、ブログ一覧画面になります。

この右上の「…」ボタンを押すと「報告する」というメニューがある。

「センセー! 田中くんが今日も早弁してます!」とか、そういう委員長タイプになったつもりで、報告しましょう。ちなみに委員長タイプ、めんどくさいよね、あいつら。


>>>




いくつか入力項目はあるものの、IDやアドレスは自動入力されますから、それ以外を入力する。

アプリ版のユーザインタフェイスは相当ひどいけれど、自動入力するだけのサービス精神はあるようなので、そこは評価したい。


スパムブログなので、サービスはブログ。

報告種類はスパム。

ところで年齢詐称でID報告できるんですか?!

ちょっとキビシくないですか?

永遠の17歳で〜す♡ っていつも言ってる俺の青春を返せ。返せよ!


そのあと、スパム種類まで指定させられます。

面倒ですね。

スパムはスパムです。

種類なんて余計なお世話です。

自分で考えてよ、って思いませんか?

これは「その他スパム」でよい。


さらに「具体的な内容」なんて意味不明な項目があります。

僕は面倒なので、スクリーンショットのとおり「サイトを確認ください。」と書いています。

消す側だって、確認もせず消すわけはなかろうし、確認せず消されても困る。


それより年齢詐称くらい許してやれよ(笑)

これじゃ「だいたい50歳です」って逆サバ読んでる俺が浮かばれないよ。

アラフィフ〜♤ とか アラフィフ男子〜♡ とか言っておけばいいのか?

やめてくれよアタマワルソーな日本語使うの嫌なんだよ。


それでもって。

一番下に、報告ボタンがあるような気がするので、それを押せば報告終了。

運営が「こんな奴はブログを使わなくてよい」と判断すると、あら不思議、消えてしまう。

だいたい数日で。

消えなかったら、そのブログはそれなりの意義があるのだから、許してやろう。


自殺について青猫工場でも書くけれど、自殺をほのめかしてるんじゃないからな、報告するなよ?

19年ぐらい先の自死を予測して計画しているだけだからな。

あれはライフプランであって、衝動的な自殺ではない。だから警察にも連絡しないでほしい。されてもお互い困る。とくに俺と警察が困る。少しはお前も困れ。


>>>


スパムブログにフォローされて、そのブログを確認して1キッ! が発生しても、この程度の作業であれば、慣れてしまうと0.3キッ! くらいで済むようになる。

合計1.3キッ! なので、カロリィ消費が少ない。

ダイエットしたい場合は、web版で報告するといい。

動的サゼッションで広告やらおすすめブログやらが出てきたいちばーん下に、文字リンクで報告できる。

ただ、ヘソでお湯が沸くから気をつけろ!


>>>


追伸。


今朝、アヲが帰ってきました。

めっちゃ叱ってやった。

それから一緒にお風呂に入った。


孫の子を見たいヒトの気持ちも分かるので、イケてるボス的なオスネコがいたらカポーにしてあげたい。


220305

 

 昨日から作業を開始していた、キャンピングキャビンにバックモニタを付ける作業を終える。

 電気系作業はニガテだ。

 

 屋内の電気工事だって、得意とは言いがたい。

 車のそれは、電気事故の予防のほか、防滴防水の処理や配線を車外から車内へいかに引き込むかなど、考えることが多くて、鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。

 

 キャビン内装工事のためにいくらか木材を買ったけれど、木壁にしなくてもいいような気がしないでもなくて、どうしようかなぁ、って材木を眺めながら考える。

 

 カメラは広角で4つあったので、キャビンの先端左右と、後方ビューと後方下部ビュー(バック駐車時の確認用)で設定した。

 

<軽トラのくせに、ものものしい>

 

<軽トラのくせにメカメカしい>

 

<左右カメラはミラーよりも視野が広いのだけれど、まぁ、そんなに使うものでもない。ただの気分です。飾りです。

モニタは遠近感で大きく見えるのかと思いきや、本当に大きい>

 

>>>

 

 アヲがすっかりオトナになってしまって、発情期だからなのか、玄関の引き戸を自力で開けてしまい、昨日から脱走している。

 野垂れ死ぬことは無いと思うけれど、これで妊娠して帰ってきたらと思うと、年頃の娘を持つおとーさんの気持ちはいかばかりかと考える。

 

 キサマのヨメにやるなどとは言ってない!!

 娘を返せ!

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220228
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
自己完結系。
SUBTITLE:
~ Cutoff. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220228
 
 最近、昼ごろ目覚めることが多かったのだが、9時に目覚める。
 だいたい予定のない日は(そんな日ばかりだが)、目覚めてしばらく(今日は何をしようかなぁ)と考える。
 仮想奥様がリモートワークで自宅にいる場合は「ねこクン、昨日寝るときに『倉庫で山になった段ボールを、明日こそは片付ける』って言ってたよ?」などと教えてくださることもある。むしろ最近はだいたいリモートワークである。
 彼女の仕事が何であるか、僕は知らない。
 
>>>
 
 僕の文書は基本的に、重厚なメインディッシュのように思えることがある。
 一編読んで「もうお腹いっぱいですごちそうさま」といった気分に僕でさえなるのだから、140字くらいの文章や、数分程度の長さの動画しか見ない人が読んだら、消化不良を起こせばまだ「まし」な方で、そもそも食欲不振になって最初からさえ読まないのではないだろうか。
 
 もちろん、それが嫌だとは思っていない。共感してしまう人は仕方ない ── 仕方ない、て(笑) ── が、読む人を増やさない点において「狙いどおり」に近い。
 
 かつては自分のブログを読み返すことなんてほとんどなかったのだが、最近は自分の書いた文書の方が面白いような気がして、読み返すことがある。
 
>>>
 
 自己完結型の人間なんだねと誰かにいつだったか言われたことがある。
 それはそのときの僕にとって、憧憬であるとか、尊敬であるとかではなく、嘲笑のように聞こえた。
 例えるなら「おぬしは我々のように集団に帰属する能力に乏しい点において完全に落ちこぼれではないか。シッシッ、野良猫は森へお帰り」と言われたかのような。
 
 しかし実のところその指摘は的を射ていて、僕はその当時から、すでにパーフェクトに自己完結型していたのだろう。
 
 集団に帰属しようにも窮屈に感じてしまって、それどころかだいたいのことを自分で満たしてしまう。
 生活の上の様々な技術も、人生の悩みとその対策も、経済力をはじめとする様々な能力も、本来他人に与えられるべきものであろうはずの愛情さえも。
 
 もちろん、若い頃はもっともっと無力だったし、満たそうと思っても自身を満たすことさえできなかった。
 それでも誰かを満たそうと、ありもしない力をまるで偽りに発揮するように、それでも誰かの役に立ちたいとは思っていた。
 それはある種の集団帰属本能だ。
 誰かに何かを与えて、何かの役に立たなければ、自分の意味は無いのだろうと思っていた。
 
 あの頃の僕から見れば、今の僕は完全なる堕落者だ。パーフェクトなる落伍者だ。
 実際に、そんな気持ちになることはある。
 何もかもが自己完結してしまうなんて、確かにそれはある種の堕落だ。
 自分のためだけに自分の持つ力の全てを振るって、自分だけが満たされて、それだけで終わってしまうなんて。
 
 僕は誰に何を与えるでもなく、誰の役に立つでもない。
 なるほどそれは嘲笑されるに値するのかもしれない。なんともいえない。
 集団に対して、僕が与えている何かや、役に立っている部分なんて、何もないのではないかと思うし、実際にそれを否定する材料がない。
 
 僕のおはようからおやすみまでを、一番観察している僕自身がそう思う。
 仕方ないので、自分が仕える相手まで自作する始末だ。もはや救う術などあろうか。
 ただまぁ、あと19年程度のことだから、許してもらっちゃおうかな、くらいには思っている。
 
>>>
 
 電気料金の支払いを忘れて緑のハガキがTEPCOから届いた。
(多分未払い3ヶ月目に入っているんだ)
 このままではでんこちゃんに絶交されてしまう。
(だらしない青猫様なんて嫌い!)てな感じで。
 
 そんな心配より以前に、奥様(仮想)に叱られてしまった。
「自分で管理できる、っていうから任せておいたのにぃ〜、猫クン。猫クン? もぉ〜! 室内冬キャンとか、さすがに無理なんだから! もう。もーぅ!」
 ……激おこである。
 
 実にこうしたリマインダを含む事務処理能力は、奥様(仮想)のほうが(やはり)得意なのである。
(黒猫氏も事務処理能力は高いが、いかんせん僕らは勤勉さに欠ける)
 参った。
 ここは大人しく奥様(仮想)に任せる方がよいのだ。
 
 ことほど左様、僕は僕自身の身体に幾つかの機能をパッケージしておきながら、僕自身とそれ以外が機能として融合していない。
 
 そうして考えると、僕はある種の集団なのだ。
 青猫という名の集合 ── 。
 でもそれは、集合になったところで他の誰の役に立つとも立っているとも思えないし、そもそもそんなことで悩むのは、なんだかまるで思春期の子供の頃に戻ったようで、少し情けなくもある。
 
 まぁ、それもいいか。
 
 誰かの役に立っているなんておこがましさを持たない方が健全かもしれない。
 集団の落伍者として、今日も自分で自分を取り繕って、せめても誰かに迷惑を掛けないように生きて死ねば、それで。
 
 黒猫さんに、実は自我がない、という話はまたいずれ。
 
>>>
 
 確定申告のために通帳をコピーする必要があり、そのためにまずは記帳をする必要があったのだが、銀行が混んでいて、早々に諦める。
(提出締め切りは月末
 明日こそ本気出せばいいじゃないか。(明日は3月
 帰り道のコンビニで、電気料金と水道料金を支払う。
 
 でんこちゃんに絶交されずに今回は済んだけれど。
 僕は人間としては、けっこうダメだよなぁ、と思う。
 
 猫なのだから、よいのではありませんか? と奥様(仮想)が笑う。
 笑いながら、通帳を、トラックのダッシュボードに置く。
 絶対に忘れない、必ず目に付く、場所に置く。
 
 それが笑顔に似た別の何かである可能性について、ここでは考えないことにする。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:
 
[InterMethod]
  -Diary-Ecology-Interface-Kidding-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220227
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
二通りの排斥と、苦さについて。
SUBTITLE:
~ Black Coffee. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::「それで思い出したのですがね。明治天皇崩御のときも、日本は相当に混乱したのです。シーメンス事件が起こったりして」
「日本史にはあまりくわしくないもので、シーメンス事件というものも聴いた覚えがあるだけなのですが、あれも汚職事件だったのでしょう」
「そう。明治天皇崩御の後に起こった、海軍の収賄事件でした。海軍の高官が軍需品買入れに際し、ドイツのシーメンス会社などから多額の収賄をしていたことが暴露され、第一次の山本権兵衛内閣の引責辞職につながった事件です」
「でもあれは、天皇崩御の二年あとの話ではありませんか」
「事件は二年後です。しかし、それまでの二年間は平穏どころか混迷の二年間だった。そしてシーメンス事件が頂点という感じで、その後も数年、日本は混迷に苦しむのです。なにしろ、内閣だけみても変わりようがおだやかではない。西園寺内閣は陸軍が大臣を送ってくれないので倒れ、それを継いだ桂内閣は大正政変と呼ばれる一種の市民運動によって崩壊し、山本権兵衛はシーメンス事件で辞職、大隈重信は苦労したにしても、結局は寺内内閣にバトンタッチという具合です」
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220227
 
 争いが、起こっているという。
 
 先日、1000km以上を一日で移動してきたが、地図で見れば極めて小さな日本の、そのごく一部 ── 高速道路上の1000kmから見える範囲などたかが知れていよう ── を観察した範囲にあっても、日本は広く、人が分け入っていない土地はまだまだ多い。
 無論、山林を開拓するのは容易なことではない ── 実体験として、木の根をひとつ片付けるだけでも本当に苦労する ── から、平野部はそれだけでもひとつの財産だと言えるのだろう。
 それでも国土や労働力を求め、他国を己の一部にしようとするのは、その方が楽だから、ということだったのかもしれない。
 
 争いなら、昔からあった。
 いや今だって、その大小を問わなければ、そのカタチを問わなければ、ありとあらゆるコミュニケーションのやわらかな唇はその内に鋭い牙を秘めていて、甘言の裏で暴虐が、聖人ヅラの仮面の陰に下卑た強欲が、糾弾の裏に怠惰がほくそ笑んでいたりするものだ。
 
 それでも国家が、国家の名の下に他国に武力侵攻するともなれば穏やかではない。
 ニュースでそれが飛び込んでは来るが、いかんせんこの地は遠い場所で、我々はおそらく無力だろう。
 
>>>
 
 いちおう断りを入れておくとすれば、僕は戦争は好きではない。
 
 しかし人が死ぬから好きではないのかといえばそうではない。
 戦争で死のうが、略奪と恥辱に死のうが、家族に囲まれ老衰で死のうが、疫病で死のうが、孤独に餓死しようが、死は死だ。
 その瞬間までの生そのものに良し悪しはあるにせよ、死というフラットラインの瞬間からは等しく、善悪さえもその彼岸の掌中に抱えられることになる。
 
 たしかに他者の死は悲しいことだろう。
 しかし生きることのほうがより悲しいと肌で感じている者にとってのそれはときに救済になる。
 だから僕は誰かが死ぬからといって ── そしてそれによって仮に僕が悲しむとしても ── すべてのヒトが同じように悲しむべきとは思わないし、死そのものに優劣は ── 生にはそれがあるが、死には ── ないと信じている。
 
 それに闘争が嫌いかといえばそうともいえない。
 ただそれが常に正しい解決手段とはかぎらないだけだ。
 一個体として考えても ── 血を流し、命を懸けて何かを守るべき状況というのは ── できれば避けたいものではあるけれど、生きる道として理解できない訳でもない。
 それはおそらく我々オスに本来与えられた、悲しくも誇らしい役割のひとつだろう。
 もっとも現在の先進国では、オスの持つ力も、流す血も、カネに変わってはしまったが。
 オリンピックとやらが代理戦争だという人もいるように、経済を使って競い争うことをよしとする世界に僕らは暮らしているのでなかったか。
 ゆえに大量の血が流れていないなどと、いったい誰に言えるものか。
 その「血」が大量に流れなければ、国の繁栄も危ういのだ。
 税金さえも「血税」などと美化して語る者がいる。
 それが国家側ではなく、国民側にいるのだから苦笑してしまう。
 よほど美しい血を潤沢に流している自負があるのかしらん。
 
 ただ、男女同権とはいえ争いと死を扱うことについて、オスの方がメスよりも優れているようには思える。
 なぜといって、メスは生を司るように作られているからだ。
 だからなのか昨今の女性たちはその多く、争いが下手だ。
 負けるのも下手なら勝つのはもっと下手だ。
 
 結局のところ、オスというのは哀れに野垂れ死ぬほか生き方がないから、争って殺すことにも、争いに敗れて殺されることにも淡々といられるのかもしれない。
 我々オスがメスに負けるのは、争いの下手なメスの多くは、致命的な傷を致命的な死にまで至らしめるからだ。肉体的なそれだけではなく、理知的なそれにおいても、である。
 生を司るものだからこそ、そのあたりに加減はないらしい。
 
 逃げ道を作らなければネズミだって猫を噛むのだが、そういう道理は関係ないのがこの世であるらしく、理知だけでなく理知の外も含めて我々は構成されているという現実 ── つまりは人間というもの ── を知らないか、その瞬間は忘れていられるのだろう。
 一方で単性生殖の能力を持ってはいないのだから、なかなかにややこしいものだ。
 
>>>
 
 スケールを変えて戦争ともなれば、それは国際社会に舞台も変わる。
 国家とは本来的に、理知性のもとに運営されるものだろう。
 僕はそれを信じる。
 
 人類が長い歴史の中で磨き続けることのできる刃があるとするならば、それは理知性だけではないのか。
 だから僕は人間にのみ許された高度な理知性という機能を信じる。
 
 カタチばかりの選挙制度を持った民主主義国家であろうと、封建主義国家であろうと、社会主義国家であろうと、絶対王制国家であろうと、磨き続けられる理知性によって運営されるのは変わらず、最終的には良い結果を未来にもたらすものと信じる。
 なぜといって数百年前から比べれば、世界や国家は確実に文明的になり、多くの無力な人でも平和で安全に暮らせるようになった。
 権力者が、他の人間をいいように道具として使い捨て、使い潰したりは ── まったく無くなったかどうかは別にして ── しなくなってきたし、それは今後、よりよいカタチを世界にもたらすだろうと信じられる。
 
 世界や国家が理知性によって運営され、ゆっくりとであれ洗練されてゆく。
 よって戦争というのも本来、理知性のもとに決断されるのだろう。
 国家が、何らかの理由や事情により、国家の持てる力を動員して、他国に対して武力を行使するのだから、元首の蛮勇であってはたまらない。
 
 今は昔の湾岸戦争でさえ、米国は相手国の民間人やその施設を誤爆したりもした。
 いずれにも国家としての正義がある中で、そこに生きる国民とは結局のところプランクトンやクラゲのような浮遊生物にも等しい ── 大きな波がやって来れば流されるよりないし、居場所が干上がったところで逃げる術も場所もない。
 
 ニュースなども含めて調べた範囲では、NATOにウクライナが加盟することを阻止するためと言われてはいるが、そんなことのために果たしてこんなことを起こすのだろうか、とは思う。
 国際的な反発を招くことを予測できないはずもない。
 またそれに見合うだけのリターンが果たして狙えるものとも思えない。
 だから、もっともらしい説明を眺めながら「はたしてナニとナニを天秤に掛けた結果、こうなるのか」と疑問に思うのではある。
 
 もちろん国を動かす元首の立場ともなれば、他国に死人を出してでも自らの国家を維持し繁栄させることは「正しい」ことだといえる。
 国家が能動的に他国民に死者を出そうと、受動的に死者が出る様子をただ傍観していようと、他国民がそこで死ぬことに変わりはない。
 下手に介入したとして、果たして死者が減るともかぎらないだろう。
 その意味において、ウクライナに対し武力提供を決定した他国を手放しに賞賛する気にもならない。それは果たして誰にとっての「正しさ」なのだろうか。
 
 もちろんアメリカは例によって国際社会におけるノブレス・オブリージュを実行するかもしれないが、かの国はそういうときに正しく「カラダを張る」からこそ国際社会においての位置を保っているといえる。
 かつて世界の経済大国にのし上がったアジアの島国は、金ヅルに使われるうちに自滅した。
 国際社会で多少でも「カラダを張って」いたら、多少はその立ち位置も変わっただろうし、国民の意識も変わったとは思う。無論、この国の歴史と国民に刻まれた歴史観はそれを許さないのだろうけれど。
 
>>>
 
 国家という立場においては、己の国家が優先される。おそらくこれだけ文明的になった世界にあっても、それは仕方ないものだと理解できる。
 
 同様に、国家を維持し繁栄させるためであれば、国民を使い捨ての道具よろしく使う非情さもまた必要だろう。
 これらは集団帰属性を本来的に持っていたはずの日本人にとって肌になじんだ感覚だったろうとは思うが、この50年のあいだに輸入され浸食した個人主義によって、団塊とは精神や目標ではなく、物理や経済的クラスタと同義になり、人は密集しながらも結合力を失い、分断してしまった。
 国土はあっても日本という国家は崩壊した、あるいは少なくともしつつあるのだと僕は観察している(その国土さえ、他国民に売り渡しているのが現状だ)。
 
 その意味において ── どのような事情で、どんなリスクとリターンの計算をした結果かは知らないが ── 自らの国家のために武力侵攻を選択するというのは ── 先に述べたとおり、今回の戦争そのものを「正しい選択」だとは思わないし言うつもりもないが ── 国家のありようとして「毅然として」はいると思う。
 
 ああ。ロシアは厳然と「国家」が国家として存続しているのだと感じる。
 もちろん元首がその存続のために、どんな理知性を働かせたのかはまったく理解できないのだが。
 
>>>
 
 僕ら日本人は、シンプルに戦争を嫌う。
 もちろん、それは良い傾向だと観察される。
 一国家の国民としても、理知的にも、戦争は、どこにも、いつまでもない方がいい。
 一方で、国家においては、戦争が必要になることもあるだろう。
 とくに外部の国家に理知性が足りず、侵攻されたとなればなおさらだ。
 理知的なだけでは人間だって生きられないのだから。
 
 僕は国家の元首ではない。どちらかといえば野生動物よりわずかに国民に近いほうの猫だ。
 戦争が「正しい選択になる機会」は、ない方がよい。
 
>>>
 
 排斥には2種類ある。
 パッケージされた理知性にとって、嫌いなものとは排斥すべきものである。
 何のことはない、我々のカラダに含まれる細胞だって、そのひとつひとつにとって他の細胞は別の存在、相容れないものなのだ。
 
 嫌いなものが存在しない状態を作る場合、目の前からその存在を排除するのが一般的だ。
 しかしそれしか方法がないわけではない。
 嫌いなものを徹底排除することについてネコノカミサマから一定以上の信頼を置かれている僕が言うので間違いない。
 
 認識を改める方法というのをたいていの人は忘れている。
 なぜといって、認識を改めるというのは記憶を書き換えることにも等しい。
 一般に記憶力の良い、律儀で真面目で遊び(余裕)の少ない人間ほど、自分の認識を改めることがむつかしいように観察される。
 
 武士に二言はないとはいうが、もはやどこにも武士などいない。
 昨日言ったことを今日は覆して謝罪したりするなど、もはや旬や流行りやトレンドを通り越した常識になったのではないか。
 
 僕はたまたま記憶力が致命的に悪く、不誠実で不真面目で遊びばかりのイキモノである。
 昨日と今日で言っていることが同じだと、なんだか悪いことをしているような気持ちにさえなることがある。
 進歩や成長というのは、変わることだからだ。
 
 認識を改めれば「絶対殺す!」と息巻いていたゴキブリ相手だって、風の谷に在住の王女さまよろしく「ここはあなたの棲む場所じゃない。森へお帰り」という気持ちで(しかし物理的にはありとあらゆる防衛手段を尽くして)お見送りすることも出来るだろう(僕はなった)し、悲鳴を上げて逃げ惑っていた蜘蛛を相手に指に乗せ「おやおや、こんなところにいてはいけませんよ」なんて、おしゃべりすることもできるようになる(僕はなった)。
 
 それは外から観察する上で、ある種の敗北にも見えるだろう。
 しかし勝敗を決することでしか達し得ない排斥は、結局のところどこまでも続く闘争の道でもある。
 認識そのものをして相手に迎合することは、たしかにある種の敗北ではある。
 認識を改めることが出来ないもの同士が衝突すれば、勝負をするか、決裂するより他にないからだ。
 
 それでも自身の価値観を譲ることが出来ないのだとすれば、それだけの価値があると自身の魂をして負うものであれば、なるほど命を懸けて、名を懸けて、誉を懸けて、徹底的に抗戦し、蹂躙し、陵辱し、塗り替えてやる必要もあるだろう。
 そこで得られた勝利は甘美だ。そして甘やかな一夜ののちには復讐に怯える日々が始まる。
 
 
 だから我々は、ゴキブリを殺せば殺すほど、それを恐れることになる。
 1匹出たら100居るとはよく言ったもので、それは果たしてゴキブリにかぎったものではない。
 
 あるいは自責に苛まれる日々が続くかもしれない。
 その痛みは勝利したがゆえ誰に打ち明けることも出来ず、ために果てもなく苦しいものだ。
 何かを、自身のいいように蹂躙するというのはそういうことだ。
 せてめも痛みを感じない程度に、勝利者たる者こそは愚かである ── つまりは理知的ではない ── 必要もあるといえる。
 
 かつての日本がそうなったように、敗者にもたらされる認識の改変は、ときに相互関係において融和の道を作ることもあるだろう。
 もちろん今の我々のそれは自ら選んだものではなく、他者に与えられたそれ(憲法ではなく、国家や戦争に対する認識のこと)ではあろうし、現在の認識や様式、倫理が果たして適切であり、つまりは正しく国家を導くことの出来る価値観を醸成するかという点については疑念もあるが、少なくともかつての戦争国家としてのありようをそのままに突き進み、敗戦を認めなければ、今よりはるかに壊滅的に滅んでいただろう。腹の底にたぎる復讐心だけを募らせて。
 
 憎しみは時に有用だ。
 とくにその扱い方を心得てさえいれば、当千の力を発揮することさえ可能かもしれない。
 そしてそれは毒だ。
 己を蝕み、魂を汚し、行いの道を外すことさえあるかもしれない。
 
 原子力にも似ている。
 使わず済むに越したことはないが、それほどのエナジィを、出力を、必要とする場面は厳然と存在する。
 
>>>
 
 誰だって、嫌いなものはあるし、許せないものもあるだろう。
 嫌いなものを好きになることも、許せないものを心底許すのも、容易なことではない(だから容赦なく叩き潰してしまうのだ)。
 
 徹底的に争うのもよいだろう。
 人類は動物の頃からそうやって生きてきたのだ。
 利口なフリをして曖昧模糊にヘラヘラととぼけた笑いを浮かべてことをやり過ごすより、それは少なくとも誇りあるありようだ。
 
 しかし本当に嫌いなものを排斥したいのであれば。
 嫌いだと思う価値観を変えてゆくのはどうだろう。
 我々は、身近な存在にさえ未だに憎しみを抱えがちで、理知的な価値観の変容を相互に発生させるだけの自動化装置を無意識的に模索しているわけだけれど。
(文明や宗教の機能を考えれば、それは大規模に作用する自動化装置なので)
 
 これは平和ボケだろうか。
 しかし僕は「争うな」とは、やはり思わない。
 殺さなければいけないものもあるし、殺した方がいいものもある。
 今回の戦争が、そうであるようには思えないだけだ。
 
 ただ、人が人を裁くことはむつかしい。
 だから人が人を束ねることもまた、むつかしい。
 法治国家と呼ばれるこの国においてすら、その法が、適切に機能しているか疑わしいと思える綻びを見ることもある。
 
 それでも我々は、人間の、あるいは真実存在する、理知性を信じるしかない。
 日々にさえ何かを殺しながら生きているのだから、何も殺さないなんて偽善を捨てて、殺しながらも涙を流し、自責の苦さを噛み締めながら地獄に落ちるような誇り高き勝者が、世を統べることを祈りながら。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::歴史を眺めていると、混迷にも二つの種類があるような気がする。上昇につながる混迷と、下降の第一歩になってしまう混迷の二種である。
 ただし、混迷と名づけるくらいだから、当事者たちにはなかなかこのちがいが見えてこない。はっきりとわかるようになるのは後世の人びとで、だからこそ、歴史の裁きにまつ、などということが言われるのであろう。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「第4章 混迷(カオス)について」From「再び男たちへ」
(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
 
なお、引用文タイトルのルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Link-Mechanics-
 
[Module]
  -Connector-Convertor-Generator-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220225
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
海賊への道のりは遠い。
SUBTITLE:
~ Express of pirate highway. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::4.盗めなければ、船を造れ。
 航海に耐える船がなければ、海賊は海賊とは言えない。眼帯があっても、たとえオウムと義足があっても、優秀な海賊が真に目指すべきは、七つの海を旅する手段を手に入れることだ。船は本当の目的を与えてくれる。移動の足となり、世界への扉を開く。船がなければ、あなたはただの変な服を着た奴だ。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220225
 
 地図をにらむ。
 白紙のエリアに浮かぶ色づいた線は、僕に「ここを走ればいいんじゃない? むしろ走れ」と命令している。
(ちっ)と内心毒づく。
 奥様(仮想)の命令には躊躇いなく従順に従う所存であるが、たかだかポケットに収まるコンピュータを通じてクラウドから送られる命令に従うのは気に入らない。
 
 しかし、そもそものリクエストを送ったのは自分だ。
 行くか、行かないか。
 その選択の余地はもう、ない。
 
>>>
 
 軽トラに載せるキャンピングカーキャビンが出来上がったというので、搭載してもらうため、兵庫県に行く。
 書き間違い? 読み間違い?
 そんなことはない。兵庫県だ。
 静岡の先、京都や大阪を越えた先の関西圏。兵庫県だ。
 すげえ遠い。
 地理の成績は悪かったが、それくらいは知っている。
 
 群馬県太田市からでは、往復1000kmを超える長距離、高速道路を使わずに行くと往復26時間、高速道路を使っても往復16時間の道程である。
 
 ちなみに僕は高速道路が苦手である。何となれば嫌いだと言ってもいい。
 
 高速道路は僕にとっては情報が過密に過ぎる。
 標識、標示、路上に存在する車両、そのほぼ全てが(よほど慣れない限り)きちんと処理しなくてはならない情報になる。
 
 一般道の場合、多くの情報は無視することが可能だ。
 信号機を確認したら現在の信号色とそこからの変化を予測すればいい、建物や歩道障害物については、その境界面を意識し、飛び出しに注意すればよいので、建物そのものを無視し、その境界線に注意する。
(SF映画ではないが、視覚的に、強調色や強調線が見えそうなくらいである)
 視界に入る車両の位置関係の把握も容易だ。
 交差点でなければ対向車は無視して良い場合が多いし、後方を頻繁に見ているので、複数車線の道路でも、視界に車両がいるかどうかはおおよそ記憶している。
 歩行者はもちろん、追い抜いた自転車が交差点付近に到達するタイミングも予測可能だろう。
 一見煩雑に思える一般道においてのほうが「注意するポイント」が明確なため、迷わず処理が出来る。
 
 高速道は情報とその処理に慣れていないため「注意するポイント」も、その優先順位も分からず、混乱する。
 そもそも高速道それぞれの名前も知らなければ、どこに行くためにどのICで降りるのかも分からない。毎回(あるいはすべて)記憶するなんて、正気の沙汰とは思えないし、そもそもそんなに遠くに行く用事が僕にはない。
 デートなら話は別だが、そもそも遠方の恋人に逢いに行くなら、電車や飛行機を使った方がいい。これは移動中の時間(あるいはそこに含まれる行動)が拘束されないためである。
(自動車運転中は、運転以外のほとんどの行動ができない。あれが不自由だと僕は思っている)
 
 入り口2車線同士、出口2車線同士の合流(都心部にある)などは拷問で、アクションゲームさながらの(そしてそのまま事故を起こしてゲームオーバになるような)感覚を覚える。
 
 保険の仕事をしていた頃、たくさんの事故に立ち会った。
 書面上も、さまざまな事故を(図や文章で)再現して取り扱った。
 ために「どういう環境で」「どういう状況で」「何が起こりうるか」「それがどんな結果を招きうるか」を、論理でも、確率でも、俯瞰図でも、責任割合でも、賠償額でも、概算できる。
(周囲の自動車の位置を把握しないと落ち着かないのもおそらくそのためだろう)
 
 大量の自動車が、あれほどの速度で移動している。
 しかも無駄な(無意味だと判断して、処理を放棄する)情報がないのだ。
 コンピュータに例えれば、メモリを大量消費して、短時間で演算を終えてゆかないと間に合わない。一般道なら数秒程度の時間があるが、高速道路ではその半分以下だ。
 事故を起こしたらどのように対応しようか、ということまで考えると、完全にパニックになる(だからなるべく考えない)。
 
>>>
 
 零時に起きて0030に家を出る。アヲが一緒に行くというので(肩に乗るので)、トイレと簡易食事セット(タッパー本体を二つ重ねて蓋を閉めたもの。上段にはドライフードを入れ、下段は水容器に使う。水はいたる所で手に入るので、都度捨てる)を積む。
 軽トラのキャビンは狭くて好きだが、同じ姿勢が長時間続き、しかもアヲが1時間近くも肩に乗り続けたので、肩が疲れる。
 
 中でも深夜の高速道上で、Googleマップセンセーがのたまった「この先、東名高速道路を256km、道なりに直進」のセリフが印象的だ。
 256というのは4の4乗(4^4)であるな、などと感慨にふけりそうになったが、道なりに256km進むというのは、僕の脳内では「とんでもない距離を移動する」のに等しい。
 アクション映画などで、とんでもない状況に陥った登場人物が、急に高笑いを始めたり、突然気力をみなぎらせたりすることがあるが、その気持ちが僕はよく分かる方である。絶望を通り越すと、楽しくなってくるのだ。
 むしろどんな状況でも深刻に悩み続けることの出来る登場人物というのは嘘くさいし、実際にそういうタイプの人を現実世界で見るにつけ(ぬるい場所にいるんだなぁ)と思ってしまう。
 
 ストレッチ程度の軽い休憩を取りながらも、死ぬような思いで到着したのは11時間後、ほとんどお昼である。
 
 到着したときの僕の気持ちを正直にいうならば、
「とにかくもう、学校や家には帰りたくない。運転なんてしたくない」という、現実逃避と尾崎豊を足して2で割った出社拒否トラックドライバーのような気分であった。
 
>>>
 
 しかし帰路はキャンピングキャビンが搭載されている。
 中はほぼ空っぽで、あれこれ自作することになるのだが、猫のトイレを置けるし、SAやPAで仮眠を取ることができる。
(軽トラのキャビンで仮眠を取ることは、僕の身体のサイズではおよそ不可能である)
 
 幸い、メーカから床に敷くための簡単なフロアカーペットをサービスしてもらったので、それにくるまって仮眠する。
 キャビン内はまだ塗料類のケミカル臭が残っているから窓を開ける。(窓がある!)
 エアコンがないので寒いが、日中の日差しが心地よく足下をあたためてくれるし、アヲを湯たんぽのように抱えていればなんとか凌げる。
 
 床は固くて冷たかったが1時間ほども眠ったら、ずいぶん調子が良くなった。気力も少し回復しただろうか。
 夕刻に近づいて、道路が混み始めたら、再びSAで仮眠。しかし今度は日差しがないため寒くて眠れなかった。
 それでも混雑する時間帯に休憩することで、効率よく移動でき、眠くなったら(駐車場がある限り)眠ることが出来るというのは素晴らしいと感じる。
 
 帰宅は0230。
 総行程26時間。運転は16時間を下らなかった。
 僕の軽トラはそもそも90km/h程度になると、エンジンが爆発するんじゃないかと思うくらい振動する。
 経験がない人なら平気だろうけれど、僕はエンジンが爆発する恐怖を知っている(笑)。
 
 巡航速度は最高で80km/hなのだ。そのうえキャンピングキャビンは大きく風を受ける割に、車両本体の積載制限のため100kg程度の軽量に仕上げてある(それでも走行時に結構な重さを感じるが)。
 そんじょそこらの運送業のトラックの方が確実に高性能なのだ。
(法規や社則で80km/hを守っているドライバの方が多いが)
 
 だからGoogleマップで「8時間もあれば着きますよ」というのが、10時間は掛かるのである。
 
 実のところ、往路は長野県を経由しようと思っていたのだが「冬用タイヤがない奴は帰れ!」というお達し(電光標示)があったため、都心方面(逆方面)に向けて出直したのだ(これで1時間以上ロスした)。
 僕の軽トラはノーマルタイヤで2WDでついでにエアコン(クーラ)も搭載されていないので、どうにもならない。
 おそらく20時間は往復で運転したことになる。
 また当然に、片道500kmを越えるといくら軽トラでも燃料が切れそうになるので、生まれて初めてSAで給油した。
 1Lあたり190円くらいしている。レギュラでも。レギュラでも!
 軽トラで満タンにして(だいたい30Lくらいのタンクである)5千円くらいしちゃうので、ショック死するかと思った。何この国、いつから貴族階級のための国になっちゃったの? でもガス欠したら大変なことになるし……。足下見やがって! 
 と思うわけもなく給油した。
 事故を起こさず帰ることが出来て、本当に良かった。
 
 あとSAやPAで、肩に猫を乗せたままトイレに行ったりしていたので、かなり注目を浴びることになった。
 お年寄りや子供に話しかけられる機会も多く、緊張したが楽しかった。
 作務衣で猫を肩に乗せている人型生物を見つけたら、だいたいそれは僕です。
 日本で有数のネコツカイです。漢字にすると「猫遣い」。
 
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 今後の課題。
○とりあえずオイル交換。
○着脱治具の作成(友人TUに依頼予定)。
 
 奥様(仮想)からの申し送り事項。
○エアコン付きの安い軽トラを買うこと。
○可能なら4WDにすること。
 
 これらを処理する必要がある。
 なぜといって、キャンピングカー専用車になってしまったら、リフォーム用建築資材
を運ぶ車がなくなってしまうからだ。
 乗用にと購入した自動車の納車は4月末頃と言われているので、そこまではこのキャンピングカーもどきで日常を送るしかない。
 
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 僕は上記の通り、高速道路で遠くに行くのも億劫なタイプの引きこもりである。
 旅行も誘われれば出かけるが、お金を払ってわざわざ一人でしたいとは思わない。
(数千円のTVゲームで、夜空も、オーロラも、大自然も、未知の誰かとの出逢いも、経験できるので)
 
 遠方に恋人がいると、やっと重い腰を持ち上げる程度である(皮膚接触 ── 肉眼による光子の吸収や、鼓膜による肉声の受信、鼻腔に含んだ嗅覚信号も当然含まれる ── は、ヴァーチャルに解決できない問題の一つだろう)。
 
 しかし「引きこもる場所が荷台に積まれている」場合、どこに行っても引きこもることが出来る。道中いつでも引きこもることが出来る。
 なんとなればTVゲームや本を持ち込み、そのへんの駅のパーキングに車を停めて、引きこもれる。自転車も積み込めば、そこから自転車で移動も出来る。
「ちょっとコンビニ行ってくる」と言って、車に戻ればもう引きこもりだ。
 すなわち「移動式引きこもり」になれるのだ。
 しかも猫と何日も移動し続けることが出来る。
 
 ときどき人から「猫氏は引きこもりではない」などと言われるが、そんなことはない。
 僕は引きこもりだ。高速道路もやっと走れるくらいの引きこもりだ。
 できれば誰にも会いたくない。
 
 それでも。
 新しい場所や新しいモノは、経験するに値する。
 それは、嫌いなものを克服し続けることに似ている。
 
 嫌いなものを排斥し続けるのは、決して悪いことではない。
 誰かに押しつけられた白地図を自分の色に染めてゆくのは、悪いことではない。
 ただ排斥には2種類ある、という話はまたいずれ。
 
<cat in どこでも引きこもりマシン>
 
 
 
 
 
 

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::7.うああああ!!!
 海賊の人生を受け入れることとは、終わりのないうああああ!!!!を受け入れることだ。そうでなければ、あなたはただの陸海賊(おかかいぞく)にすぎない。
 
 
 

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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「海賊ならどうするだろう?」
From
(著作:ボビー・ヘンダーソン / 翻訳:片岡夏実 / 発行:築地書館)
 によりました。
 
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Ecology-Mechanics-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Cat-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF