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// NOTE:夕方過ぎに眠ってしまって、夜中に目覚めて眠れなくなっちゃったんだよぅ。
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TITLE:
神童もすべて知っているわけではない。
SUBTITLE:
~ Cook up. ~
Written by BlueCat

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220406
 
 数日前、歯医者に行ったら大量の野菜を頂いた。
 大きな段ボールに詰め込まれたそれを、トラックで持ち帰った。
 
 キャベツ2玉、かき菜が買い物袋いっぱい。
 ニラが4束。菜の花がひと束。ねぎ坊主がひと袋。
 いずれも趣味農家さんの手作りで、採りたてのものだ。
 
 驚いたのはねぎ坊主で、天ぷらなどにして食べるという。
 食べたことがないから想像がつかないが、わざわざそれだけを欲しがる人もいるという話だから、決して不味いものではないのだろう。
 
 そのようなわけで3日ほど、おひたしばかり食べている。
 採りたての野菜なので、慌てて下処理しなくてもくたくたになりにくいが、そろそろコシが弱くなる頃か。
 
 春の野菜は、ほんのりと甘くて、ふんわりと苦い。
 花粉症の季節だけれど、野菜について考えると春もなかなか嫌いになれない。
 
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 父上の教育(今で言うところ食育)の成果なのか、僕はアレルギィを起こすもの以外は大抵のものを抵抗なく食べる。
 子供の頃から野菜と豆腐が好きで、肉より魚の方が好きだった。
 
 数年前から食肉が過ぎると身体の炎症反応が強くなるので調べたところ、こんな文書が見つかった。
 
 たびたび書いているが、僕は精製度の高い炭水化物(たとえば白米や精製度の高い小麦を使ったパンなど)を摂食すると、代謝の影響で異常な眠気が発生する。
 誰でもある程度は眠くなるらしいが、僕は気絶するほど眠くなる。
 それが原因かは分からない ── 母乳で育っていないので親由来の消化酵素が少ない可能性もある ── が、子供の頃から白米をあまり食べず、父上はずいぶんと気を揉んでいた。
 他にも子供の頃は肉(特に脂身)が嫌いだったので、消化吸収系が弱く、合わなかったのだろう。
 
 幸いにして、好き嫌いは少なく育った。
 父上は白米を食べない僕に、様々な料理を作って食べさせてくれて、よく食べるものについては食卓に並べる頻度を高くしてくれていたように思う。
 もっとも冷や奴や湯豆腐は、さして高価でも手間の掛かるものではなかったので、都合も良かっただろう。
 白米よりも味噌汁を好む傾向が強かったので、味噌汁やスープ類がないことはまずなかった。
 
 今でこそ好んで食肉をすることも増えたが、牛よりも豚や鶏の方が好きなのは、身体との相性が関係していたのかもしれない。
 そう考えると僕の味覚は、子供の頃から、相当に未熟というか、偏っていたというか、変わっていたと思う。
 多くの子供が嫌ったという、トマトや人参やピーマンが好きで、むしろ最近の(青臭さや苦みやえぐみが少なく甘みの強い)それらは味が薄くてつまらないと感じる。
 一方で、一部の人があまり興味を持たない豆腐については、子供の頃からとても美味しいと感じている。
 
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 無職になった3年前あたりから、子供の頃の記憶の幾つかが戻ってきた。
 単に年齢のためなのか、そういう条件で復元するプログラムを作っていたのか、忘却の仕組みにほころびができたのかは分からない。
 不思議なことに、記憶が戻ると、却って曖昧になる部分がある。
 
 客観的に自分の記憶を眺めていた頃は、それが何時あったことなのかを結構はっきり覚えている反面、何があったのかが曖昧だった。
 今は「具体的に何があって、どう感じたか」を結構はっきり思い出せる反面、それが何時のことだったのか、すこし曖昧である。
 
 8歳の頃から家事をしている。
 いまどきの言葉で言えば、僕はヤングケアラだった(もちろんそんな名称を冠されることを好まないが)。
 
 いかんせん父子家庭であるし、父上は仕事で文字通り昼も夜も家にいないし、2番目の姉上は家を出て行ってしまっていた(よくよく考えると彼女は18歳にも満たない年齢で家を出て自立している)し、3番目の姉上は部活と称して非行に走るようになっていったので。
 
 3番目の姉上の名誉のために付け加えておくと、料理実技の初歩(包丁の握り方と野菜の炒め方)を教えてくれたのは彼女である。
 まぁ、神童と呼ばれた僕が腕を上げるにつれ彼女は料理をしなくなり、15歳(僕が10歳)になったとき、進学のため家を出て学校の寮に入ったので、料理はそこから僕の領分になったわけである。
 
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 それ以前から家には料理やお菓子づくりの本がごろごろしていたので、学校で漢字を教わるより以前に、そうした本には慣れ親しんでいた。
 文字を知らないうちから百科事典などを眺めるのが好きだったし、辞書の引き方も小1くらいで姉上に教わったように思う。
 3番目の姉上は短気な人だったので、知らない文字を教えてほしがる僕に辞書を引く技術を(イライラしながら)与えたわけである。
 
 こう書くと3番目の姉上は(短気な点を除けば)先見性のある、たいそう優れた人だったように思えるのだが、どこで道を間違えたのか、ひどく傲慢で自己中心的で怠惰で言い訳と嘘で塗り固めるような人格を形成し、現在は表向き行方不明になっている ── 「表向き」というのは「調べれば居場所は分かるが、連絡を取りたがっていない人を追い回す趣味が僕にない」からだ。
 
 彼女が道を誤った原因はシンプルで、小学生だった頃の彼女に性行為とお金の交換を教えた大人がいたのである。
 もっともそれを僕が最初に知ったのも8歳くらいだったので、彼女が電話越しの友人に得意げに性的な隠語を使っていてもその内容を理解することができなかった。
 それが良いことか悪いことかも、分からなかった。
 
 当時の僕の難点は今と違ってそれなりに優れた記憶力を持っていたことで、年齢を重ね、性的なことを男友達どもがあれこれ言い合うたびに、記憶の中の言葉の意味を知ることになった。
 良いことか悪いことか、分からないことは悪いことだろうか。それとも良否を決定できないことだろうか。
 しかし過去に遡って、何かを変えることはできない。
 そんなどうすることもできない人生の法則を、10代になるかどうかの頃に思い知った。
 ためにある時期から僕の記憶力は著しく低下しているが、当然ながら自分で作った性質である。
 
 いずれにせよ素性も知れないその成人男性と小児性愛を僕がひどく憎み、金銭と性行為の交換 ── 売春であろうと援助交際であろうと性風俗業であろうと、僕には同じものである ── を忌避(場合によっては嫌悪)するだけでなく自身の性欲についてさえ長らく取り扱いに困ることがあったのは、姉の売春の意味を理解したためだ。
 今でこそ広義なロリコンは問題はないと思えるようになった ── 子供はなかなかどうして可愛らしいものだから ── が、小児性愛は明らかな倒錯であるからどうにも度しがたい。その憎悪や嫌悪について、適切に表現しうる言葉を僕は持たない。
(姉を嫌悪したことはない。小学生の女の子が成人男性を性的に誘惑するとは思えないからだ)
 
 ともあれ今回は3番目の姉の話でもなければ倒錯した人間の性愛についてでもない。
 神童であった僕と料理の話だから安心してほしい。
 
 今で言うところのレシピ付きミールキット(レシピ本が週に一度、必要な材料はセットで毎日宅配される)を父上が注文していた ── 40年前からそれは存在していた ── ので、基本的な切り方や、火加減、包丁やまな板を始めとする調理器具の名称や使い方を知っていれば、調理そのものは比較的簡単にできた。
 献立を考える必要はなかった。そもそも僕はどんな料理があるかを知らなかったのだから。
 
 それでも1年も経つうちに、炒める煮る焼く蒸す揚げるといった基本調理はひと通りできるようになり、10歳を待たずして「酢豚って面倒だよね。一度肉を揚げて、餡を作って、炒めて混ぜ合わせるんだよ。本当にどうかしている。エビチリもそうだけれど、ああいうのは宮廷料理であって家庭料理じゃないんだよ」ということをさらりと言ってのけることができた。
 さすが神童である。
 
 実際、八宝菜も面倒だったが、酢豚については美味しくできるまでの道のりがおでんに等しいと今でも感じる。
 しかも、おでんなら2日は楽しめるが酢豚は一食限りである。正気の沙汰とは思えない。宮廷貴族にでもなったつもりか。
 
 とはいえ料理は楽しかった。
 知らないところから、書かれているとおりのことをするだけで、見たこともないものが出来上がり、それがまぁそれなりには美味しいのだからまったくもって素晴らしいと思った。
 
 もちろん失敗がなかったわけではない。
 ときどき指に包丁を当てて血まみれになったり、天ぷら油でキャンプファイヤのごとき烈火を生じさせ天井を黒くしたり、鍋の中で煮物になるはずだった炭を作ったりはしたが、幸い失血死したりはしなかったし、家も燃えなかった。
 父上は注意したり心配したりはしたが、鍋を焦がそうと天井を煤だらけにしようと、怒ることはなかった。
(まぁ神童が作った料理を食べているのだから当然だろう)
 
 他にも調味料を加えすぎたために味が濃くなり過ぎて食べられなくなった料理もあったが、そういう料理は食べなければ味見をした僕以外の誰も傷つけない(父上は文句を言いながらも食べたが)。
 天井が燃え上がったら傷つくどころでは済まないのだから、不味い料理を食べさせられたくらいで文句を言う奴がいたら天井を燃やしてやればいいと思うよ(口調が変)。
 
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 そのような次第で、僕は10歳以前に茶碗蒸しも卵と昆布と椎茸と鰹節から作ることができたし、天ぷらを揚げることはもちろんのこと、天ぷら鍋が火を噴いたときの消火方法まで会得していた。
 
 そうこうするうちに家庭訪問か何かの機会に、学校でも(おそらく)有名だった奇人たる僕の家の素性を、担任が知ることになる。
 それでどういうわけか市(だったか県だったか)の教育委員会か何かに呼び出されて、表彰されたことがある。
 賞状などずいぶん昔に捨ててしまった(そもそも僕はそういうものにまったく興味がない)ので、どこがどんな理由で作ったタイトルに選ばれたのかは分からないのだが、まあ「苦労してるのによくやってるね賞」といった趣旨のものだったのだろうと想像する。
 担任から校長に、校長から教育委員会や市の組織にと、話が流れ、書類が流れたのだろうと今は想像できるが、当時の僕はある日「市で表彰されるから行ってきなさい」と言われて、担任だったか父上だったかに連れられて、市民会館か県民会館か何かに行って、賞状と粗品を貰って帰ってきたのである。おそらく学校を休んで行ってきたのではないか。
 
 これによって従前の奇行を自戒し、勉学に励んだかといえばまったくそんなことはない。
 粗品は文房具だったような気もするが、よく分からない楯(シールドの方ではなくトロフィの方)だった気もする。
 自分が欲しいと思っていないものをもらっても嬉しくない性格は当時からなので、すぐに捨てようとして父上にとがめられた気がする。
 
 当時すでに(デキの悪い生徒に合わせるため遅々として進まない)授業に退屈して眠ることがあったのだが(市だか県だかの)教育委員会で表彰された記録が残っているからか、ほとんど教師から叱られなくなってしまった。
 
 もはや僕には宿題さえ出ていなかったのではないだろうか。
 少なくともその前後から宿題の提出を求められなくなっていたのだが、完全に容認された(あるいは放任された)感もある。
 もちろんどれだけ叱っても僕は宿題を提出するどころか、宿題というものの存在を忘れてしまうのでどうしようもなかったのだが。
 
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 いずれにしても料理というのはむつかしいものではないし、一事が万事、手取り足取り教えてもらわないとできないものでもない(じつに僕は ── 教材こそ与えられたが ── 独学で身に付けるに至ったわけだし)。
 フライパンや水の張った鍋を両手で持てるようになれば、とりあえず台所に立っても問題のない年齢だと考えていいとさえ言える。
 
 ただ、最初は大事だろう。
 分からないことを尋ねれば教えてくれる人がいることは大事だし、最初は怪我のないように見守ってくれる人がいるのは重要だ。
 僕の場合はミールキットという教材が、非常に多くの経験をさせてくれた。
 
 今思えば、父上や教師は僕に甘かった。
 父上は父上で子供に料理をさせる負い目について思う部分もあったのだろうと今は思うし、教師は僕が何を言ったところで行動を変えないことを理解したのだろう。
 
 人間はけっこう優しいのだと思える。
 当時は日々を過ごす苦痛にばかり意識が向いてしまうことが多かったし、振り返れば過去の不運や現在の不幸を味わい直すことになり、将来に希望なんて持たなかったから、僕はなすすべもなく自身を憐憫することさえあった。
 
 子供の頃を思い出すとしかし、僕は不幸ではなかったのだと思い知らされる。
 神童だったかどうかに関係なく、おそらくずっと、思った以上に多くの人から、愛されていた。
 
 ただちょっと不運で、ただちょっと貧しかった。
 少々、表現を受け取る機会が少なかったから、味覚の発達が独特で遅かったように、表現を読み取る能力に乏しくて、実感できなかったのだ。
 未熟な僕は自身を知らなかったから、当時の感覚に抜け落ちている現実を知る手段を持たなかった。
 
 どれだけ怪我をしても刃物を取り上げられることはなかったし、天井を焦がしても台所に立つことを禁止されたりはしなかった。
 口に合わない料理を作ったのに「これは塩からいなぁ。まいったなぁ」などと言いながらも食べてくれた。
 
 僕は当時、それを知らなかった。
 それが愛されているから経験できる、とても贅沢な現象だなんて露ほども。
 
>>>
 
 ねぎ坊主は、ニンニクのような食感が少しあって、ネギのような甘みと、うっすら、ふきのとうのような苦みが隠れている。
 
 複雑な味わいだ。
 
 複雑で、それはきっと、僕の理解の及ばないほど綺麗だ。
 
 
 
<水になじませて粉を振り、フリット状になることをイメージして揚げたところ、ねぎ坊主は水を弾いただけでなく熱で膨張して丸くなり、およそ全ての粉を油にはじき出したので素揚げ状になった。
 大量の野菜は、おひたしにすればだいたいカサが減る。
 揚げ油は大量の粉で汚れ、すぐ捨てる羽目になった>
 
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
 
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[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Cooking-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Link-Love-Mechanics-Memory-Recollect-Season-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Dish-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:ひなたぼっこ:キッチンマットで虎視眈々:夢見の猫の額の奥に:
 
 
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