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// TimeLine:20200301
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TITLE:
他責世界の完全善行
SUBTITLE:
~ Sad ruler. ~
Written by BlueCat
 

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::神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊してきたが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚く「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている。われらの神は偉いものだ。金銭がその予言者だ! われらは神へ奉納するために自然を荒らしている物質を征服したと誇っているが、物質こそわれわれを奴隷にしたものであるということは忘れている。われらは教養や風流に名をかりて、なんという残忍非道を行なっているのであろう!
 
 
 

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 数年前、とあることをきっかけに、ほとんどすべてのことを他人のせいにすることにした。
 まず最初に、その動機すら他人のせいにするが、当時、僕の至近距離にそういう人物がいたのである。
 その人は僕が自責の念に駆られる必要のないレベル(たとえば、僕にとって「自分ではない」という意味で他人であるはずの、その人自身の感覚や行動)まで僕に責任を押し付け(あるいは責任を感じるように現実を操作し)、僕個人の日常や過去や人格の根底に至るまでを否定することで僕とそれを含む現実を支配しようとしていたようなのである。
 
 たとえば「今日は数学の勉強が進まない。やる気にならないのはあなたのせいだ」といった具合。
 たとえば「天気が悪くて気分が晴れやかでない。あなたのせいだ」といった具合。
 たとえば「先日、私が決裁をもらった案件はやっぱりやるべきではなかったと思う。そもそもあなたがやろうと言い出したことでしょう(初耳です)」といった具合。
 
 コトの異常さはご理解いただけて?
 
 認知症ではないのかと疑いたくなるレベルだけれど、強迫観念かもしれない。
 いずれにしても僕は悪者としてターゲティングされ、僕を含めた周囲の物事が悪い方向に進むことを食い止めることができなかった。
 
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 当人にそのような(至近距離にいる人間を自分の思う未来を引き寄せるために利用しようという)意図がなかったのだとしたら、悪意があるよりさらに悪質である。
 致命的に悪質である。
 
 ゆえに僕は「当人にそのような(悪質な結果を招く)意図がなかったのだと信じたい」とは書かないし、そのように信じていない。
 信じたくもない。
 
 意図がある場合は、たとえその意図に悪意が含まれるとしても、目的が達成されれば欲求が満たされ、満足が生まれ、物事はサイクルをより良く維持するよう機能することを目的に再設計されるだろう。
 一方で、明確な意図もなく他人を支配するために(あるいは支配することで現実を操作するために)無意識的に悲観的になり問題行動を起こすような場合、人格が未熟であるか、論理的思考力が欠けているか、他人の気持ちが分からないか、現実の認識が不完全か、それらのいくつかが重複している可能性がある。
 自覚のない悪意は、過食のメカニズムと同じで、ある欲求を、本来関係のない異なる認識や手法、現実の操作によって満たそうとすることになりかねない。
 たとえば人間関係に不満があって、人間関係の中に潜在している問題(多くはコミュニケーション)を解決すれば満足するのに、食べること(満腹感)で満たそうと思っても満たされるはずがない。
 
 個々人の欲求や意図が、他人を利用する(あるいは協力してもらう)ことでしか解決できないことも確かにあるし、その意図が独善的であったり、一方的であったりすることもあるだろう。
 それが必ずしも悪いことだとは思わない。
 たとえば野球をしたいとなれば、ある程度の他人を必要とする。
 昭和の時代には、どうしても「息子とキャッチボールをしたい」とか「娘にお酌をしてもらいたい」というタイプの「おとうさん」がいたようであるが、今ならパワハラやセクハラで訴えられるのだろうか。
 もちろん相手もそれを喜んでしてくれるなら問題はないし、嫌々だとしても、相手が満足するなら多少は譲歩するというのが人間関係だと思う。
 それが行き過ぎれば、客観的に悪意があると見なされることはあるだろうし、強要しているならばたしかに人権侵害でもあるだろう。
 
 ただ自分が何らかの損をしても、相手が満足することで、損失を補って余りある嬉しさを感じる人はいるし、それができるのが人間の(あるいは知的生命体の)能力である。
 しかし状況はときに複雑化する。
 
 たとえばデート中に「僕が相手のガールとぱやぱや(セックスのことです)したいと思って」いて、しかも「僕だけが」「一方的に」したいと思っている状況がとにかく嬉しいという(ちょっとアタマオカシイ)ガールも世の中にはいるのである。
 しかもそういうガールは、仮に自分自身もぱやぱやしたいと思っていたとしても、ぱやぱやしてしまったら妄想世界が終わってしまう(僕が、一方的に、ぱやぱやしたいと思っていなくてはいけない)ので、二人がぱやぱやする現実は当然にやってこない。
 この場合、僕は彼女に満足してもらうために「僕だけが」「一方的に」「ぱやぱやしたい」現実を作って認識してもらう必要があるのである。
 もはや目的と手段なんて宇宙の彼方。
(そんなガールはごくごく少数派であることを心から願う。じゃないと安心してガールにごはんを作ってふるまうこともできない)
 
 それでも相手が自身の目的や欲求を正しく知っているなら(可能ならちゃんと全部、隠さず教えてほしいとは思うが)その目標は実現に近づくのである。
 どちらか一方でも、目的地を知っているから。
 
 ところが本人すら自分の本当の目的や、美化しないところのナマの欲求をきちんと理解していない場合。
 上記のケースだとおそらく僕は何もしないままデートが終わるので、陰で「退屈な男なんだよ」なんて吹聴されてフラれるのである。
 あるいは仮に僕がナニカを強行してしまった場合、完全犯罪(完全に犯罪、という意味で)が成立してしまうのである。オソロシイ。
 
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 ちなみにこの「完全犯罪」という言葉を調べてもらうと分かるが(ちゃんと辞書くらい引けよな)「完全に犯罪」ということではない。なぜなのだろう。
「完全隠蔽犯罪」とか「完全未認知犯罪」とか「完全未確認犯罪」とかそれらしい名前にしてほしい。
 
 あれか。
 若者特有のあれか。
 省略語文化か。
 なんちゃって若ぶってるアホウな中年どもも使っているあれか。
「オレっち、ちょいワルだからぁ、むつかしい言葉とかぁ、省略しちゃうしぃ」とかいって省略するのか。
 省略文化、略して省文、とか言っちゃうのか?
 
 かくいう私も「準確定申告」という単語を何度も連呼するのが面倒で「準確が」って、シロートのくせに知ったふうを装って言ってみたりしました。
 面倒くさいですよね、準確定申告、いろんな意味で。
 
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 そのようなわけで(どのようなわけで?)仮に悪質であっても、その意図が自覚されている方が、相手のことも、そこに働くメカニズムも、まだ信頼できるのだ。
 たとえ相手が自分のことをいいように利用した(ごはん食べさせてお酒飲ませてぱやぱやされちゃうようなことがあった)としても、そのうえ相手が(あれは酔っていたのを介抱しただけなんだ)(あれは君から誘ってきたんだ)なんて詭弁を並べるようなクズであったとしても、それでもなお、相手が自身の明確な悪意を自覚していれば、再発は防げるのではないだろうか。
 少なくとも、再発率は減るんじゃないだろうか。
 まぁ最低でも、相手が悪意を自覚していることを、こちらが知っているということになれば、当然互いに慎重にならざるを得ないはずで。
 もっともそういう経験がないので、完全予想で書いているのだけれど。
 
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 完全予想という言葉を、たとえば天気予報で使ったならば、おそらく「完全に当たる予想」の略ではないかと、僕が視聴者なら思うだろう。
 なんといっても「完全予想」だ。
「完全」の響きが、予想に含まれる不完全さを払拭する。さながらそれはまるで予知。
 未来予想図よりも確実で、現実的で、ユリ・ゲラーも驚くくらい自然な感じがする。
 完全予想。
 当たりそうだ。むしろハズれる気がしない。
 
 ところが、競馬場で予想屋がこの言葉を使った場合、とたんに雲行きが怪しくなる。天気予報でもないのにどうしたことか。
 完全予想。
「これは完全予想であり、実在する人物、組織、団体等とは一切の関係がありません。」というテロップまで見えてくる。むしろちゃんと予想してくれ、という気持ちになる。
 
 僕の使った完全予想は、後者である。
 僕はお酒が大好きなので、お酒を好きでない人に無理に飲ませたりするのは(お酒がもったいない上、強要する行為をみっともないと感じるので)しないし、ガールもぱやぱやも大好きなので、(いろんな意味で)好きでもない人とはしないわけです。説明終わり。
 
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 こんな調子で書いているから本題にたどり着かない。
 読んでいる人は、本題が何だったかなんて覚えてもいないだろうからまぁいいか。
 
 とにかく、意図を自覚している人間が相手なら、状況を自発的に改善できる。あるいはある種の恒常性すら期待できるだろう。
 お互いが理知的な人間であればあるほど、最適な改善が望めるだろう。
(まぁ、相手が不快になることくらいあらかじめ完全予想して振る舞うのがジェントルマンなんじゃないですか、と僕などは思うわけですが。)
 ところが己の意図(悪意)を自覚していない人間だったらどうなるだろう。
 
 まさに「私が何をしたというのか!」と憤ってくるだろう。
「あなたがそういう状況を作った」と、責任を押し付けるだろう。
「あなたがそういう状態だったから、自分は不本意だけど、それに追随した」と弁解するだろう。
 それをどこまでも、押し付けてくるだろう。
 相手にも、第三者にも。
 だって自分の意図なんて、知らないんだも〜ん。
 自分の悪意なんて、認めたくないんだも〜ん。
 自分はいつもキレイで汚れていなくて完璧で間違いなくて、みだりに他人に「死ね」とか「クズが!」なんて罵ったりしないし、まして下半身の赴くままにむりやりぱやぱやできちゃう状況を構築したりなんてしないも〜ん。
 という自己像ができあがってるのね(口調が変)。
 
 ゆえに、たとえそれが悪意でなかったとしても、自分の欲求や意図を自覚していない人間は、行動が悪質になる。
 事態はどんどん悪化する。
 本人は周りのせいにする。
 環境や、他人のせいにする。
 
 善意による行為さえ、意図を自覚していない場合、ふとしたきっかけで相手を悪者にできるのだ。これは強力な武器だ。
「あの人は(困っているようだったから)手を差し伸べてあげたのに、ろくに感謝もしない」なんて言ってくるのだ。
 いや、言わなかったとしてもそういうことができる。
 さらに、もっとひどいようにも言える。
 
 相手に与える行為(まぁ、好意や善意によるものだろう)の意図や動機を(それがたとえ売名や自己満足であったとしてもそれをきちんと)自覚していれば「困っていると感じていたあの人が、元気になった」というところで「ああ、よかった」となるはずである。
 その後、仮に相手との関係が悪化したとしても(まぁ、あのときはそうしたかったし、それで自分は満足した)と考えられる。
 
 ところが意図を自覚していなければ、善行さえ他責になって「相手は一生アタマが上がらない」という状況が出来上がらないと(「作らないと」ではないことが恐ろしい)気が済まなくなる。
 これが恐怖政治的支配の人間関係といわずに何というのか。
 
 あれか。
「完全善行」か。
「あのときは私、咄嗟のことで、ついつい、やっぱりね、人間って、誰かのためにならなきゃ、みたいに思う部分とかが、その意識してない無意識のところにどこかあると思うのよ。うんうんうんうん、そうそそうそ、わかるわかる、それでね、だから私、それはいいことだしむしろなんて言うの? 常識じゃない? だから、咄嗟にね、そうしたのよ」(そしたらねぇ〜、それなのにさぁ〜……。と続く)
 
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 本人は無害なフリをしているだけに、自覚のないすべての意図と欲求と行為は、どんなものであっても悪い方向に向かう可能性が、自覚していた場合と比較して、格段に高いであろうと予測されるのである。
(もう完全とか言わないからね)
 
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(まさかの計算違いで全文が文字数オーバしたので、ここまでの序文(笑)で一度、区切っています)
 
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