こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

 

老いを生きる(1)両親の老い

 

老いを生きる(2)老いの容量

 

老いを生きる(3)母の衰え 認知症

 

老いを生きる(4)認知症の対応

 

老いを生きる(5)延命治療

 

老いを生きる(6)死への向かい方

 

老いを生きる(7)老いとの色々な関わり方

 

老いを生きる(8)そのまま認める

 

老いを生きる(9)死の話合い 末期がん

 

老いを生きる(10)凸凹で取れるバランス

 

老いを生きる(11)歩み寄り

 

老いを生きる(12)私が思う認知症

 

老いを生きる(13)みんないい人

 

老いを生きる(14)どう生きたい?

 

老いを生きる(15)父の変化

 

老いを生きる(16)母は最強

 

老いを生きる(17)普通ってなに?

 

老いを生きる(18)母の入院

 

老いを生きる(19) 叔父他界

 

老いを生きる(20)母 再入院

 

老いを生きる(21)医療と薬

 

老いを生きる(22)還す時間

 

老いを生きる(23)認知症は治さないといけないの?

 

老いを生きる(24)実の親 義理の親

 

老いを生きる(25)どう生きていくか どう死んでいくか

 

老いを生きる(26)ラッキーな人

 

老いを生きる(27)危篤

 

老いを生きる(28)認知症は神様からの贈り物

 

老いを生きる(29)介護者もひと休み

 

老いを生きる(30)今ある幸せ

 

老いを生きる(31)純粋に還る

 

老いを生きる(32)受け容れる

 

 

老いを生きる(34)小さな幸せを喜ぶ

 

 

 

今日は母の日ですね。

 

母は昨日が80歳の誕生日。

 

昨年2度命の危機があって

感慨深い日になるのでは と思いきや

母の強い生命力をこれでもかと見せつけられたせいか

いや 生きてるでしょ と

わりと淡々とこの日を迎えました。

 

 

本人に「歳いくつ?」と聞くと

認知症があるので

「えーと 五十といくつだっけ…?」

と答えていた母。

 

若い気満々なのでね 

そのまま周囲も訂正せず。

(合わせて私は二十代になる)

 

認知症の薬を一切やめてから

症状は進んでいると思うけれど

誕生日や自宅の電話番号を覚えているのよね。

 

 

 

先日のGWには 

母を連れて家族で立川の昭和記念公園へ。

 

人物関係はとてもよくわかっていて

孫たちの名前や状況もちゃんと把握。

 

 

無事希望高校に入学した姪っ子2人のことを喜んでいたり

この日は 「てるくんが押して!」 と車イス係を義弟に指名。

 

 

妄想の世界へ旅立ったかと思えば

こうしてものすごくハッキリしている面もあり

母はもうよくわからない次元で生きています。

 

 

でもこの「みんなで公園へおでかけ」は

すごく楽しみだったんだろうね。

 

少し前から

「今度みんなで昭和記念公園に行ってキレイなお花を観ようね」

と伝えておいたら いつもならすぐに忘れてしまうのに

「公園 楽しみ音譜

ってずっと覚えてた。

 

 

主治医の先生のご配慮で

「いつも食べているゼリーやヨーグルトのようなものならOK」

と許可をいただいたので

途中 買い出しに寄ったスーパーで母も降ろし

久しぶりに自分で買い物。

 

で 糖尿病の母自ら選んだのが コレ。

 


 


一般的に考えたらあるまじき 

ジャンボプリンアラモード

 



 

「美味しい~!サイコー!」と大喜びの母と

「そうかぁ!美味しいかぁ!」とそんな母を見て喜ぶ父。

 

私たち家族はもう 

血糖値の数値よりこの笑顔と喜びを優先しています。

 

「あとの余生を出来るだけ楽しむこと」が大切で。

 


 


母の希望はこうして 

美味しいものをみんなで一緒に食べることだから。

 


病院の先生も 看護師さんや介護士さんたちも

食べるのだーい好きな母のことをよくご存知で

暗黙の了解で見送ってくれました。

 

 


お花畑の中を車イスで散策

 


 

 

 

 

「この花の色がいいわぁ」

「よく色が出ていてきれい」

 

と1つ1つ花を指さして 終始ご機嫌。

 



もし 母が入院することもなく元気だったら

こんなに家族みんなで集まることはなかったと思う。

 

昨年は母が入院し 病状が悪化して

延命治療 介護 医療 薬についてなど

色々なことを家族で話し合うことになったのだけど

それも家族を結びつける出来事になっていた。

 

あとは両親を出来る限り喜ばせたいって思ってる。

 

 

 


私にとっては

凸凹で正反対の性質の両親のことを改めて見直す機会になった。

 

正当で妥当な父の考え方を良しとして生きてきて

それに反する母の生き方を私はずっと批判していた。

 

でも 母がどんどん無邪気で天真爛漫な子供のようになり

元々の楽観さが増し 

小さな幸せに大喜びする姿を目の当たりにして

母の生き方を尊重するようになったし

自分の中に母の要素が多々あることにも気づいたんだよね。

 

 

 


母は今 病院の細やかな対応の元に生きていて

もし処置をやめたら命は1週間ともたないそう。

 

数値的に見ると良くない状態で

依然急変の可能性ありとのこと。

 

ただ 生きていると言える。

 

 

以前 母のお見舞いに来てくれた親友が

 

「ご両親の生き方にすごく影響をいただいた」

「お母さんの何事も受容する生き方はとてもいいお手本」

 

と言ってくれたのね。

 

 

看護師さんや介護士さんたちも

 

「美味しいもの食べた?」

「あら~良かったわねぇ」

 

と嬉しそうな母を見て 

「こちらが癒されてます」なんて皆さん喜んでくれる。

 

 

存在で生きるって こういうことで

ただ生きているだけで

自然と知らないうちに誰かに影響を与えているんだろうな。

 

そして それでいいんだろうね。

 

 

 

「コレ 美味しい~!サイコー!」

 

 

あれだけのカロリーの物を食べ

あの日はさすがに高血糖。

でもすぐに数値は落ち着いたそう。

 

長時間外に出て疲れたんじゃ?

という周囲の心配もよそにこの通り元気元気。

 

母には刺激がいいみたい。

 

あるまじきものを食べてさらに元気になってる気がするわ。

 

 

 

 

老いを生きる(36) 血の繋がり