新聞小説 「国宝」 (20)最終回   吉田 修一 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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新聞小説 「国宝」(20)  5/4(476)~5/29(500:最終回)

作:吉田 修一  画:束 芋

レビュー一覧

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感想
辻村の告白と、最終章を締めくくる演目「阿古屋」の描写。
中国大陸に渡って成功した徳次は、結局皆の前に姿を見せることなくドラマが終わった。

父、権五郎を殺した仇でもあった辻村。だが辻村自身は喜久雄の親代わりとして、彼の大事な時期を支えて来た。

そして自分の立場が喜久雄の為にならないと知ってからは一切の関わりを断ち、死ぬ直前での告白。

 

一方、歌舞伎に全てを捧げ、それ以外は何も要らない、と戯言ながら綾乃の前で祈りごとをした喜久雄もまた、育て親の二代目半二郎に対する悔恨を持つ。

 

あっけない最後ではあったが、芸を極めるあまりに精神に変調をきたし、最高の演技の後に、その衣装のまま車に撥ねられる・・・・・
人間国宝というものの残酷さも感じながらのエンディングだった。

 

全体感想は、別途まとめたい。

 

あらすじ

第二十章 国宝 1~25
久しく明るい話題のなかった丹波屋に嬉しいニュース。

一豊の嫁、美緒の懐妊。
義母の幸子に急いで知らせる春江。幸子は曽おばあちゃん。
春江が俊介の墓まいりに行くと、そこにはカップ酒を供える竹野が。
喜久雄の人間国宝の話は難しそうだ、と竹野。竹野自身それを受けさせたいと思う一方、喜久雄の今の状態に苦慮する。
今さら何やの、と春江。例え気が触れても旦那を舞台に送り出すのが役者の女房。

 

タクシーに乗っている喜久雄と一豊。辻村の娘から連絡があった。

長患いの末、最後に喜久雄に会いたいとの事。
彰子は行くのを反対した。辻村との関係を断つ事で歌舞伎の世界に生きて来られた喜久雄。
辻村が逮捕されたのはもう三十年も前の事。刑期を八年ほどで終え、土建屋として十年かけて復活。だがその後、妻に先立たれ、自身も癌を患い、事業をかつての子分に託してから武蔵野の病院に入院。
それまでの間、辻村は喜久雄に一切の連絡をしていなかった。

三十年振りの再会。痩せた辻村の手を握る喜久雄。


最後の告白をする辻村。お前の父親を殺したとは、この俺ぞ・・・・・
だが、喜久雄の目に映るのは徳次の笑顔。

立花組の新年会で徳次と踊った後、風呂場で化粧を落としている時に騒ぎが起こった。宮地組討ち入り。その後の修羅場。父、権五郎の最後の姿。胸から吹き出す血潮。
謝ろうとして咳き込む辻村の手を握りしめる喜久雄。

小父さん、もうよかよ。
綾乃の言う通り、親父ば殺したんは、この俺かも知れん・・・
病院を立ち去る喜久雄の後を追う一豊。妙な事を口走る喜久雄を心配する。

 

元麻布の一等地。白亜の御殿、弁天の家に入って行く春江。苦労をかけられながらも添い遂げている正子の出迎え。
弁天に頼み事をする春江。弁天が司会をしている「弁天の危機一髪」に出してもらいたいと言う。若手が体を張って笑いを取る番組。
一生に一度の頼み。

一豊に子供が出来て、そのために当分は支えが必要。
自分をいかに晒すかという世界。

躊躇する弁天に正子が、春江の覚悟を代弁する。

 

歌舞伎座。演目「阿古屋」の楽屋入り風景。

喜久雄が行うキッチリ決められた準備作業。
衣装を彰子が整えるのもここ数年の決まり事。本来の妻の仕事ではないが、今では彰子以外を寄せ付けない喜久雄。
そんな頃、竹野宛てに、喜久雄の「重要無形文化財」認定への答申通知が届く。

出番の迫る中、珍しく彰子に普段の礼を言う喜久雄。役者を辞められる役者なんて居るだろうか、などと禅問答。やめたいんですか?との問いに、その逆、いつまでも舞台に立っていたい、と言う。
出を知らせる一豊。暖簾に隠れて涙ぐむ。

そして舞台に出て行く喜久雄。

三友本社に戻り、通知の書類を読む竹野。

この五十年の歩みを思い出し「お前はよくやった」。

 

「阿古屋」の開演を待つ歌舞伎座のロビー。春江と美緒が贔屓筋に挨拶しているところへ、険のある婦人方が来る。
春江がTV出演している事への嫌味。それがエスカレートし始める頃、伊藤京之助の妻が助け船で声をかけてくれた。
そこへ駈け込んで来る綾乃。
バイク便で届いたという二枚のチケットには「お嬢へ 天狗より」とのメモ。徳次が寄こしたもの。
とりあえず綾乃をその席に座らせるが、徳次が来る気配はない。
徳次が大陸に渡ってもう二十年以上。それから一切連絡はない。

いきなりのチケットは、徳次らしいとも言える。

 

始まった「阿古屋」の舞台。囚人となった阿古屋が六人の捕手に囲まれて引き出される。悲しみを湛えた眼差し。

車中の竹野は電話で部下に、明日は三代目の人間国宝の記者会見になるかも知れない、と予告する。
部下が矢口建設社長との会食予定の話を再確認。中国、白河集団公司の社長を紹介したいと言う。インターネット通販の会社。

喜久雄の舞台は続く。思い人の居場所を問い詰められる阿古屋。

弾けと命じられた琴を前にため息をつく。
引き込まれる観客は、高貴な香のかおりを嗅ぐ。至福の香りを喜久雄も感じていた。思えばこの五十年、この香りに包まれて生きて来た。
弾き終えた阿古屋に与えられる盛大な拍手。

 

羽田空港からの渋滞。車内で秘書と会話する男。歌舞伎に詳しい。
李首相との会食を断って来日した。あるお方が日本の宝になるという。
九十年初頭、中国に渡ったこの男。運送業をやる中でたまたま知り合った青年の学業支援をした結果、インターネットの電子取引会社を始める事に。
背中の刺青が妙な信用となり、党幹部の娘との結婚もあって、破竹の勢いで発展した。
首都高の銀座出口が近づく。

 

「阿古屋」の舞台は続く。三味線を弾きながら、虚空をさまよう喜久雄。
最後列でその姿を見る春江の頬を涙が伝う。浮かぶのは俊介の顔。あんたが大好きやった喜久ちゃんは、こんなすごい役者になったで・・・

この「阿古屋」という芝居は、平景清の愛人阿古屋が、拷問を受けて彼の行方を追及されるもので、琴、三味線、胡弓を弾かせる責め苦を受ける。


それに耐えた阿古屋が無罪放免されるところで幕となる。
その最後の場面。じわりじわりと湧き上がる拍手。
本来であれば、岩永左衛門が抗議を申し入れ、それを重忠がたしなめ、本当の無罪放免が言い渡され、阿古屋の最後の決めとなって終幕、という形。

だがその幕が引かれようとする時、喜久雄がすっと右足を出した。そして舞台を降りて客席の方へ歩き出す。
ざわめく客席をよそに、まるで舞台がそのまま外に広がっている様な光景。
そこで拍手を始める綾乃。涙を拭こうともしない。広がって行く拍手。
近づく喜久雄の迫力に、劇場スタッフが扉を開ける。
ロビーの赤絨毯に出たところに居て、止めようとする一豊に目で合図して外に出て行く喜久雄。

 

歌舞伎座の大扉から突如現れた花魁の姿に、通行人たちは驚き、大勢の人だかりとなる。
満ち足りた表情で歩く喜久雄。

車列の間を縫うように、羽織の裾が流れて行く。
信号の変わったスクランブル交差点に、よろめきながら飛び出した喜久雄。
舗道から上がる悲鳴とクラクション。
ヘッドライトに浮かぶ阿古屋の白い顔。

その瞬間、喜久雄はいつもの様に「はい」と頷いて出の合図をした。

その眩い照明がどれほど役者の心を痺れさせるか、鳴りやまぬ拍手がどれほどの幸福感か。
日本一の女形、三代目花井半二郎は、今ここに立っているのでございます。