新聞小説 「国宝」 (19)  吉田 修一 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

新聞小説 「国宝」(19)  4/8(451)~5/3(475)
作:吉田 修一  画:束 芋

レビュー一覧

                  10  11  12  13  14  15  16  17

18 19 20  全体まとめのあらすじはこちら

 

感想
歌舞伎の世界にどんどんのめり込んで行く喜久雄。

ようやく人間国宝のワードが出て来た。
喜重の火傷で吹き出す綾乃の心の闇。
錦鯉に例えられた喜久雄の精神状態は、次第に崩壊を始めている。

 

この小説も、来月で一年半。ここ数年レビューしている新聞小説の最長は、沢木耕太郎の「春に散る」(505回)。

数日前の新聞で、次の新聞小説の予告が出ていたので、この「国宝」も次章で終わり・・・・か

 

あらすじ

第十九章 錦鯉 1~25
国立劇場の舞台にかかっているのは「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」近松門左衛門の書き下ろし。与兵衛に斬られ、油まみれでのたうち回るお吉を演じる喜久雄。

 

舞台裏に引けた与兵衛役の京之助が、付き人をしている一豊に喜久雄の体調を聞く。京之助は共に演じていて微妙な異常を感じていた。

三年ほど前から、喜久雄は舞台以外の仕事を一切受け付けなくなっていた。きっかけは酒造メーカとの専属契約満了。それ以後、恒例行事にさえ出なくなった。
そんなわがままも、舞台での喜久雄が群を抜いて素晴らしく、興行的な成功も収めていたため許された。
それが喜久雄自身を神格化させて行った。

 

楽屋でマッサージを受けている喜久雄を訪ねる京之助。彼の先代の追善公演で、喜久雄に「藤娘」を踊ってもらいたい、との依頼。
六年ほど前になる、客が突然舞台に上って来た時の事件。あれ以来その時の「藤娘」は演じられていない。
京之助側として、先々代の追善の時もやった「藤娘」を、という意向。そうなると頼めるのは喜久雄しかいない。
気楽にそれを承知する喜久雄。元々回りが気遣ってやれなかったという面もあった。
古典も調べており、喜久雄なりに新しい解釈も試したかった。
部屋に置いてある喜久雄の写真集「三代目」を何気なく手に取る京之助。記録的なヒットを続けているという。
ページをめくると喜久雄と俊介のキャッチボールのスナップ。
たまには飲みに出て来いよ、と言う京之助に、この世のものとは思えない景色の中で舞いたいという喜久雄。

 

そんな時期に動き出した「人間国宝」のプロジェクト。1950年に出来た「文化財保護法」に基づき創設された十四分野での「わざ」を持つ者の認定。歌舞伎もその中にあった。
その俎上に喜久雄が乗ろうとしていた。だが一昨年、文化功労者を受けたものの、喜久雄の出目を不快に思う者も居て、人間国宝認定への道は険しい。


二年前、文化功労者となった時の取材にもほとんど対応しなかった。その数少ない取材で語られた喜久雄の半生も、喜久雄にとって空しいもの。

 

「女殺油地獄」の最終幕。出番の寸前に、綾乃の家が火事になっているとの知らせ。孫の喜重が逃げ遅れて火傷を負ったという。だが舞台から逃げる訳には行かない。気になりつつも演じる喜久雄。
幕が下り、化粧を落とす間も惜しんで車に乗り込む喜久雄。
築地の病院に着き、廊下を走る喜久雄。その先に綾乃を見つけて駆け寄ろうとすると。
「お父ちゃんは来んでええ!」と叫ぶ綾乃。
お父ちゃんがエエ目見るたびにうちらが不幸になる、との綾乃の言葉。

ずっと綾乃に憎まれていたのだと思い知らされる喜久雄。

 

綾乃が幼い時「太陽のカラヴァッジョ」の撮影で体調を崩し、市駒のところで静養した時、綾乃と近く過ごした。その時に立ち寄った神社で、長い間祈っている事を聞かれて喜久雄が、歌舞伎がうまくなる様、悪魔と取引したという冗談を言った。その代わり他のものは何も要らない、と。
幸い、喜重は命に別状なく、肩の火傷も移植手術で良くなるとの診立て。そんな説明を、離れたところで聞く喜久雄。

 

それから数ケ月も経ってからの、綾乃からの手紙。京之助一座の追善公演が幕を開けた頃。
喜重が入院した時に、自分が吐いてしまった雑言を恥じる詫びを伝えていた。申し訳なさだけが募る喜久雄。
喜久雄が六年振りに踊った藤娘の、研ぎ澄まされた美しさ。だが、完璧を越えたその完璧な芸が持つ意味。芸のためなら客など要らぬという本末転倒な事態の可能性。

 

一豊の楽屋へ出掛けようとする嫁の美緒。三年に及んだ謹慎が解けた頃結婚した。モデルだったが庶民的な性格。次いで家を出る春江。半月ほど前に足をねん挫して入院している幸子の見舞い。
その幸子に隠し事を覚られる春江だが、軽くいなす。
病院の後、三友本社へ竹野を訪れる春江。書類は揃っている、と竹野。だが無理して屋敷を守る事に消極的。
自宅が担保に入る事を一豊は知らない。
三代目には相談出来ない?と言う竹野に、首を横に振る春江。

 

初雪を迎えて、喜久雄の演目も新しくなった。
歌舞伎に三姫と言われるものがある。「鎌倉三代記」の時姫。これはコミカルな役であり、喜久雄には似合わない。
次いで「本朝廿四季」の八重垣姫。こちらはかつて俊介と新派、歌舞伎に分かれて同時に演じたもの。そして今回喜久雄が演じる「祇園祭礼信仰記」の雪姫。金閣寺に立て籠もった謀反人の人質になる話。

 

初日を迎えた「祇園祭礼信仰記」。謀反人には伊藤京之助。縛られた雪姫の妖艶さ。
そのクライマックスの瞬間、一瞬雪姫の動きが止まり、天井を見上げた。だがその直後、最大の見せ場である、足の爪先で鼠を描く場面に移行し、客席の大喝采。

 

珍しく舞台を観た竹野。喜久雄が化粧を落とす楽屋に顔を出す。
爪先鼠のところで間が空いた事を指摘すると「初日だからな」。
竹野の耳に最近入って来る「近頃の三代目は窮屈そうに見える」との声。雪姫をやれば、喜久雄の一人芝居のようになってしまう。それは他の演目でも同じ。まるで錦鯉を小さな水槽で飼っているようなもの。
それ以上は喜久雄を見て居られず、楽屋を去る竹野。

 

今月も喜久雄の付き人をしている一豊に声をかける竹野。
「いつから三代目はああなんだよ」絞り出すように聞く。
「・・・時々、本当にときどき、ああなるんです」と一豊。
たった今見て来た喜久雄の、ガラス玉のような目。正気の人間の目ではない。
藤娘、六年前のあの事件以来だと言う。目を伏せる一豊。
彰子も、春江も知っていた。知ってて放っておいた・・・愕然とする竹野。「みんな、小父さんが必要なんです!」

 

狂人の目に見えるのが、もしも完璧な世界だとすれば、喜久雄はやっと求めていた世界に立っている。
出してくれ、と言うのを気付かぬふりをしているうちに、鯉はその水槽で澄み切った川を想像して泳ぎ始めた・・・・