新聞小説 「国宝」 (12)  吉田 修一 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

新聞小説 「国宝」(12)  10/11(276)~11/4(300)

作:吉田 修一  画:束 芋

レビュー一覧

                  10  11  12  13  14  15  16  17

18 19 20  全体まとめのあらすじはこちら

 

感想
俊介の復活劇の後に語られる喜久雄の話。焦った喜久雄が、彰子の愛情を利用して千五郎に取り入ろうとしたのが裏目に出て、進退極まったところで、何とか新派への道が開かれる。

 

一方、俊介の闇だった部分も回想の形で語られる。

歌舞伎と新派という、別々の道で頭角を現していく二人。
俊介が暮らしていたのが名古屋で、鶴舞の古書店で働いていた、なんて読むと親しみが湧く。鶴舞の古書店街は、若い頃良く通ったし。

 

しかし、自分の栄達のため彰子を巻き込んだ喜久雄。結婚していないとはいえ、市駒とその娘綾乃は、あれから一体どうなっているのか。

 

あらすじ

第十二章 反魂香(はんごんこう) 1~25
ランドセルを投げ置いて、鏡台に向かい化粧を始める一豊は、まだ小学校に入ったばかり。源吉が世話をしているところへ俊介が来て声をかける。次いで母親の春江も。

 

 

そこへ外から声を掛ける男、松野だった。俊介が明治座で復帰公演のさなかに現れて、そのまま新生丹波屋にも出入りしている。俊介は「昔、世話になった人」と言うだけ。
余った仕出し弁当をもらって帰る松野。

 

源吉からの情報で、喜久雄が八重垣姫を踊る事を知る俊介。十一月は歌舞伎座で、俊介による八重垣姫で「本朝廿四孝」をかけ、一方新派でも新橋演舞場で、喜久雄が同じ出し物をやるという事。
これは三友の竹野の目論見で、どちらがいいか競合させて注目を集めようという算段。
この演目は、人形振りという趣向で、文楽人形のように無表情、無機質な動きによって恋心を表現しなくてはならない。

 

彰子の愛情を利用して、吾妻千五郎に取り入ろうとした喜久雄が足蹴にされたのは四年前。その時から半年が経っても千五郎の勘気は解けず、役者廃業まで追い詰められた喜久雄だが、彰子の母、桂子の遠縁に新派の大看板、曽根松子がいた。

 

千五郎の逆鱗に触れた後、自分を見失っていた喜久雄の許に来た徳次。そんな卑怯な手を使って立身を考えていた喜久雄の告白を聞いて、見損のうたわ!と殴りつけ、大喧嘩になった。それを心で受け止めた喜久雄は、彰子に全てを打ち明けた。
「中途半端なことはしないでよ!最後まで騙してよ」と叫んだ彰子。
そんな経緯もあって彰子が曽根松子に救いを求めた。

 

ものは試しで、客演として「遊女夕霧」を演じたところが、追い詰められた現実生活と、喜久雄の持つ本来のカリスマ性が現れて大きな評判を呼んだ。既に三十半ばの喜久雄。生来の悪の雰囲気が美しい容姿と相まって、隠しようもなく現れる色香。
そのタイミングで正式に新派への移籍を行ったが、その時の通例である改名と闘った喜久雄。
白虎から受け継いだ、花井半二郎の名を、批判も含めて十字架として背負いたい。

その願いを最終的に後押ししたのが三友の前社長、梅木。

 

喜久雄が新派に移ったことで新派自身、歌舞伎の演目を行う事が多くなり、その対立軸がファン層の拡大を誘った。
その流れの先が「本朝廿四孝」の新派、歌舞伎による同月公演。
この時、俊介復帰の鍵となり、その後も後ろ盾となっている小野川万菊がこの話を耳にした。この二人に自分が稽古をつけて、思いっきりやらせようじゃありませんか。

 

万菊のマンションを訪ねる俊介。200平米近くの住居に板張りの稽古場も備えている。
早速稽古を付けられるが、その性急さに自分でも気付き、ついさっき喜久雄にも教えたところさ、と言った。
俊介が始めた踊りを遮る万菊。首がずっと振れていると言う。人形のふりではなく、人形になんないと、と話す。

 


人形振りに関しては喜久雄の方が数段上だと言って挑発。ただ、綺麗な顔のままっていうのは悲劇だ、とも言って喜久雄をけなした。

 

赤坂にあるTV局へ挨拶回りに来ていた春江は、弁天にばったり出会う。今や押しも押されぬ人気芸人の弁天。忙しい中で春江を地下の喫茶店に誘う。他愛のない話をしながら、大阪で喜久雄たちと暮らした日々を思い出す。
弟子に「そろそろ本番です」と言われ、やむなく席を立つ弁天は、家出しとったあいだ、俊ぼんがどんくらい春ちゃんに甘えとったか、簡単に想像つくわ。と言い残して去って行った。
その言葉を繰り返して、かつての日々を思い出す春江。


大阪を逃げ出した俊介と春江が落ち着いたのは名古屋。行き当たりばったりの放浪の末、流れ着いた。
俊介が最初に始めたのは日雇い仕事。だが三日もすれば、慣れぬ仕事で体は痛み、布団から起きられない。性分として百かゼロしかなく、休むぐらいなら辞めてしまえ、という点では喜久雄と同じヤクザ気質。
結局働きに出たのは春江。

慣れた接客で、半年もしたら店を任された。

 

春江が働き始めてからの俊介はヒモ生活。気持ちばかりでカラ回り。
だが、住んでいたアパートの大家がゴロゴロしている俊介を見かねて、経営している鶴舞の古書店で働く事を勧める。

肉体労働よりもマシという事で、ようやく安定して仕事が続き、その書店が歌舞伎、文楽等を扱う芸能専門店だった。
俊介は仕事でも家でも、その専門書を読みふけり、今まで単に受け身で学んで来た歌舞伎の本質を掴んで行った。

 

名古屋に来て一年ほど経った時、春江が身ごもった。俊介は思いのほか喜んで、一から出直しで家に戻る様な話も始め、決意の甘さに驚くばかりの春江。

生まれたのは男の子。豊生と名付けた。子供を連れて三人で、父二代目半二郎に会いに行った。

 

劇場の楽屋口で、目が不自由な様子の父親を見て驚く俊介。
父親の前に出て「俊介です」と頭を下げる。息子、そして赤ん坊を見る半二郎。しばらくの沈黙の後「今になって、なんの用や?」。

 

半二郎は、俊介だけを連れて、馴染みの料亭「花見楼」に行く。
座敷で改めて「何や、今さら用て?」と聞く半二郎に、自分なりに稽古もして勉強もし直した、と俊介。
そこで、駆け付けて来た古参の芸妓「君鶴」が持って来た浴衣に着替えさせ「試験や」と言って「本朝廿四孝」の一場面をやれと指示。この演目の八重垣姫は難役。
一通り踊り終えた秀介に向かって半二郎は、あと一年やって、それでもダメなら半二郎の名は喜久雄に継がせる。これが最後にチャンスや、と言った。

 

春江の元に戻った俊介は、不合格ながらもあと一年すれば丹波屋へ戻れると考えていた。歌舞伎の研究はますます熱を帯び、日本各地に歌舞伎の源流を探す旅も始めた。
そんなある日の深夜、気が付くと豊生が急に熱を出した、春江はまだ仕事。電話が故障で通じず、豊生を抱えて通りに出てもタクシーは捕まらない。

雨の中、ようやく病院に駆け込んだが手遅れだった。今で言えば「乳幼児突然死症候群」。俊介の落胆は筆舌に尽し難かった。

 


数年の荒みきった生活が続き、その後ようやく旅役者となった俊介が「豊生は俺を本物の役者にしようとしてくれたんやな」という境地にまで辿り着く。


お勢と二人で夕食の準備をしていた春江。俊介の帰宅に気付く。俊介がそのまま奥に向かい、仏壇の前で手を合わせる。白虎と豊生の位牌。
追って来た春江が聞くと、俊介が「本朝廿四孝」の八重垣姫で芸術選奨受賞を受けたという。

お勢、幸子、そして一豊も訳がわからぬまま喜ぶ。

俊介はその後電話を掛ける。相手は喜久雄。喜久雄も同時に同じ賞をもらっていた。直接話し合ったのは数年ぶり。
お互いを祝福したが、喜久雄は、もう電話はいらないと言った。

宿敵同士、いつも睨み合って、それを面白がってお客さんは足を運んでくれる。