原作 宮尾登美子『天璋院篤姫』
脚本 田渕久美子
楽曲 吉俣 良
レビュー一覧 1~10回 11~20回 21~25回 26~30回
31~35回 36~40回 41~45回
キャスト一覧
感想
この再放送も昨年暮れに終わった。
兵らを置いて逃げ帰った慶喜を、あくまでも「家族」として守ろうとする天璋院。
そして助命のための手紙を書いた。それを幾島が西郷に届ける。
それでも翻意しなかった西郷だが、最後に斉彬の書いた、篤姫への手紙を読んで泣き崩れる。
そして最終回は、過去に出て来た人たちとの再会が満載。
多分大河ドラマの過去作の中では、最もハマった作品だろう。
ただのお転婆娘が、最後には大奥を閉じる重責を全うする。
作品の上で宮﨑あおいが重要だったのは勿論だが、吉俣 良の作り出す音楽世界にも魅了された。
やっぱ一番盛り上がったのは「驀地(まっしぐら)」だな。
しっかり再堪能した一年だった。
あらすじ
第46回「慶喜救出」
波乱の慶応四(1868)年か明けた。お茶を飲む天璋院と和宮。
今私たちに出来る事は、戦にならぬ様念じるだけと言う天璋院。
薩摩の討伐に向けて京への出陣を命じる慶喜。
一方、京の西郷は、慶喜を京に入れないための作戦を立てる。
幕府軍一万五千に対し薩摩五千。
大義を掲げた者が勝つと言う大久保。
そして一月三日。戦いを始めると宣言する西郷。
薩摩の帯刀は、お龍が書いた迫りくる戦いの手紙を読んでいた。
そこに今泉の忠敬が、天璋院からの手紙を持って訪れた。
薩摩には帰らず、大御台として生きて行くとの内容。
母は、こうなる事を見越していたと言う忠敬。
大奥では、徳川の軍艦が薩摩方の船に大砲を撃ったとの情報が入る。既に戦いは始まっているやも、と話す滝山。
鳥羽・伏見の戦いが始まった。そして掲げられた「錦の御旗」
それを見た徳川方は総崩れとなった。
自身が朝敵とされたことに衝撃を覚える慶喜。
その夜、密かに大坂城を抜け出した慶喜は船で江戸に向かった。
それを聞いた勝は、戻って来た慶喜に会った。
薩長が遠からず江戸を目指して来ると言う勝。江戸で迎え撃つと言う慶喜に、それならばどうして京、大坂で食い止めようとしなかったのかと問い質す。何も考えていないと白状した慶喜。
自身は水戸徳川家の出であり、ずっと朝廷を敬って来た。それが朝敵と言われた。今となっては、頼るのはそちしかおらぬ・・
勝は、天璋院様にお会いになってはと言った。薩摩分家の娘風情にと怒る慶喜に「それしか申せませぬ」と言う勝。
慶喜が逃げ帰った話は大奥にも届いていた。残された兵は大坂城を捨てたという。薩長はいずれ江戸へ攻め入る・・
慶喜が凱旋して戻ったと勘違いしていた本寿院だが、朝敵とされて逃げ帰ったと知り、怒り心頭。
そんな時、慶喜が天璋院への面会を求めて来た。
面会に応じた天璋院。挨拶抜きで、今回の顛末を改めて聞いた。
薩摩の策略に引き込まれ、敗北を喫した。何故兵を置き去りにして逃げ帰ったかを訊くと、戦をやめさせるためとの答え。
何のために私に会いたいと?との問いに沈黙。
「勝安房守(あわのかみ)?やはりそうですか」と納得の天璋院。
徳川総家を守るためなら首を差し出すと言う慶喜に、生き恥を晒してもらうと言った天璋院。やるべき事はもう一つ・・・
和宮の前に出る天璋院。そして慶喜を引き合わせた。
その頃京では西郷が岩倉に、江戸総攻めの采配を取りたいと申し出ていた。勅命による討伐なので、大総督は有栖川宮熾仁親王となり、西郷は参謀役にとの提案。了解した西郷。
薩摩の西郷が天璋院を追い詰め、有栖川は昔、和宮の許嫁だった。皮肉なものだと話す岩倉。
無縁の者に討たれる方がむごい、と話す西郷。
ひたすら恭順、謹慎を貫けと慶喜に命じる天璋院。
そして慶喜の命を救うために嘆願書を書くと言い、和宮にも朝廷への力添えを頼んだ天璋院。それを引き受けた和宮。
なぜそこまでの事を、と驚く慶喜に「あなたは、家族です」
と言う天璋院。徳川という家に集った家族。
聡明なあなたは全てが見通せてしまった。味わった者の苦悩。
それが分かるのは、知る限りでは家茂公と、夫の家定公。
二人とも将軍の重荷を背負い、若くして亡くなった。
あなたはお二人の分まで生きて下さい・・・
帯刀は、足の痛みを押して京に向け旅立とうとしていた。
お近には「国作りを為すためだ、死ぬためではない」と言った。
天璋院は勝に、これからの徳川総家の一切を任せると宣言する。
無上の喜びと返す勝に、ホラ吹きで有名だが信ずることにしよう、と返した。慶喜は、沈黙を守り耐えていると言う勝。
薩摩の出方を訊く天璋院に、私が西郷なら、必ずとどめを刺しに来ると言った勝。戦う策がなくはない。戦わずして勝つ・・・
我らの命、そちに預けようと言う天璋院。
第47回「大奥の使者」
慶応四(1868)年一月末。
大奥では、慶喜を追って官軍が江戸に攻め下る噂が広がる。
朝廷に出す慶喜助命の嘆願書を和宮が書いた。
それを京に届ける任を、和宮付きの藤子が申し出た。
天璋院も嘆願書を書いた。そちらは京に詳しい唐橋が申し出た。
そこへ飲んだくれた本寿院が乱入。うさを晴らしたいと言う。
諫める天璋院は、歌橋にも自重する様命じた。
一方京では、帯刀が薩摩から到着していた。心強いと言う岩倉は、帯刀に総裁局顧問、次いで外国事務局を任せたいと言った。薩摩こそ外国との交渉窓口になるべきと言う大久保。
引き受けた帯刀は、西郷のことを訊いた。江戸攻めの参謀として戦支度で多忙。会いに行く帯刀だが、家老の身でも会えない。
兵は、我々は薩摩ではなく、朝廷の軍だと言い切った。
京に着いた唐橋は近衛家に入る。だが近衛忠房は、父忠煕が具合が悪くて会えないと言った。朝廷への転送も拒否。
唐橋の後ろに控えていたのは、あの幾島。
天璋院の名を聞いて懐かしがる。
帯刀のところへ、幾島が訪ねて来た。篤姫の老女だったと聞き、思い出した帯刀。江戸攻めの参謀が西郷と聞き驚愕する幾島。
陸軍総裁を任ぜられた勝は、家老たちからどう戦うかと訊かれ、
今は戦をする時にあらずと答える。嘆願書を出している状況。
二月十一日、慶喜は更なる恭順を表わすため、江戸城を出て寛永寺で謹慎を続けた。京では討伐の軍勢が遂に出立。
勝が官軍の動きを伝える。
敵の参謀が西郷、総大将が有栖川宮と聞いて驚く天璋院。
策については考えているから、心安らかにと続けた勝。
唐橋が、近衛家に文を渡せなかったと言って戻って来る。
その後に顔を出した幾島。「お懐かしゅう、ございます」
「会いたかったぞ」しばし歓談。
帯刀に、西郷宛ての手紙を天璋院に書いてくれと頼まれた。そしてそれを、幾島が西郷に届ける。「よし、書こう・・・」
三月になり、官軍の本体は江戸近くに到達。
そこへ、天璋院からの文を携えた幾島が乱入。制止を振り切って突き進む。幾島の名を聞いて面会した西郷。
懐かしいと思う間もなく、天璋院からの文を渡される西郷。
慶喜の助命嘆願。昔のことが去来する西郷。
苦しみながらも「そいは、別の話・・・」と絞り出す西郷。
徳川家を倒さぬ限り、この国が変わらない。
文を懐に入れ戻った西郷は、総攻めを三月十五日と伝えた。
天璋院に、顛末を話す幾島。西郷は、己一人の身に全てを背負う覚悟だろうと言った。「私の知っている西郷のままじゃ・・」
何とかなるやも知れぬ、と言う天璋院。勝を呼ばせた。
勝と話すために対面所に向かう天璋院。
江戸城総攻撃の日まで、あと四日に迫っていた。
第48回「無血開城」
勝との面談で、まだ望みはあると言う天璋院。
勝の言う無策の策を訊く天璋院に、戦となれば街に火を放つとイギリスにも言ってあると話す勝。それでは薩摩に筒抜けではないかと言う天璋院に「それが狙いです」
己を追い詰めて、初めて互角の戦いが出来る・・・
西郷の心の奥に届く、何かがないかと思いあぐねる天璋院。
そんな中、幾島が京に戻ると言った。都に居て自分が出来ることを考えるという。寂しいながら受け入れる天璋院。
官軍が薩摩藩邸に入り、陣を構えた。
薩摩の父上(斉彬)のことを思い出す天璋院。文箱を開ける。
そして三月十四日、薩摩藩邸へ赴く勝が挨拶に来た。
「これをもて」と文箱を渡す天璋院。「西郷に渡すがよい」
中を改める勝。そしてもう一つの文も渡した天璋院。
薩摩藩邸で西郷と面会した勝は、まず徳川存続のための嘆願書を渡した。読んだ上で、江戸攻めは中止出来ないと答えた西郷。
江戸城を明け渡し、軍艦、武器も渡すから徳川家の存続を・・
西郷は、昨日イギリス公使から江戸に街に火を点けるという話を聞いたと言う。そう言わせた人物が居る・・
自分の決心は変わらないと言う西郷に、天璋院から預かったという文箱を差し出した勝。開けた西郷は驚愕して退いた。
それは亡き殿 斉彬の文の数々。
そして別にした文を西郷に渡した勝。斉彬から篤姫に宛てた文。
篤姫が、将軍の御台所として嫁ぐ時に書かれたもの。
いずれ薩摩と戦うことになるかも知れぬが、その時は己の信じる道を行けと書かれていた。
そして斉彬の言葉を思い出す西郷。そちは、病人を生かすか、見殺しにするか?生かす道を選びたいと返した。
これらを天璋院様にお返し下さいと言った西郷。
戻った勝に顛末を訊く天璋院。文箱を返されたと聞きやや落胆。
「心は、通じましてございます」
江戸総攻めは取りやめる。この国を新しくするという、殿の遺志を受け継ぐつもりが、日本国を滅ぼそうとしていた。
「あのお方には敵いもはん・・・」
京で岩倉と帯刀らに状況を話す西郷。だが徳川家が健在だと、火種を残すと危惧する岩倉。同調する大久保を諫める帯刀。
城を明け渡すと勝から聞いて驚く滝山。抱き込みにかかる勝。
滝山が朝廷の意向を天璋院に伝える。徳川家存続の条件として、城を改めるため、三日間城から出よと言う。
「勝じゃな?」と意図を察知した天璋院。
大奥の皆を集めて、城を去ることになったと話す天璋院。
騒ぎか広かるのを滝山が「鎮まれ!」と制した。
この江戸城にもはや将軍はおらず、大奥も消える。
ここにおる女子共はどうなる?と喚く本寿院。
「私が一身を以って取り計らう」と宣言した天璋院。
家定公が「残したいのは徳川の心」と言った事を話す。
京の小松邸を訪れる幾島。追うように届いた天璋院の文を読む。
あれこれ心配事を話す帯刀に、それほど気になるのなら会いにいけば?とけしかける幾島。病む足を言い訳にする帯刀に
「立派になった天璋院様を目に焼き付けて来て下さい、私もそうしました」と言う幾島。「はい」と返す帯刀。
「私が会いに行けばよいのだ」
大奥での荷物整理が始まる。
この際、うんと身軽にするかと言う天璋院。輿入れから十三年。天璋院の江戸城での暮らしに、幕が引かれようとしていた。
第49回「明治前夜の再会」
慶応四(1868)年四月。城明け渡しの日が近づく。女房たちの行先も決まり安堵する天璋院。女中たちの落ち着き先も決まったと話す滝山だが、荷物を持って行きたがる本寿院に困っている。
一方、表方では武装解除が進み、勝が采配していた。
そして静寛院(和宮)は清水家の屋敷に移る事になった。
落ち着いたら、徳川総家が再び江戸城に戻れるよう朝廷に嘆願書を出すと申し出た静寛院。その姿勢を母上様から学んだ・・・
四月十日。天璋院が城を去る日が訪れた。
重野に、一人になりたいと言って下がらせた天璋院は、庭に出て家定との思い出の数々を振り返った。
駕籠の支度が整ったとの滝山の報せを受け、向かう天璋院。
だがその途中で、思いが定まったという滝山から話を聞く天璋院。大奥と共に消えたいと言う滝山。十六の時から大奥に上り、ずっと共に生きて来た。どこかで静かに余生を送りたい。
呼ばれて本寿院のところに向かう天璋院と滝山。
皆と共に一橋邸に行く筈が、花を活けていた。
「今ここで活けねば意味がないのじゃ」と涙する本寿院。
何かを感じた天璋院は、近くの者を集めて花を活け始めた。
そして迎えの駕籠が着いた。滝山に、本当を言えば城の明け渡しは無念でならぬと言った天璋院。
だが滝山は、天璋院様なればこそ乗り切る事が出来たと言う。
自らの運命を知った大奥が、あなた様を呼び寄せた・・・
最後までお仕えでき、幸せでございました。
そして城を出て行った天璋院。
翌日、薩摩藩が入城。そして活けてある花を見る。
「まっこて美しか、こいが大奥・・・」
狭い一橋邸に驚く唐橋、重野。意に介さない天璋院。
それから一月ほど経ち、勝が報告に上がった。
徳川総家は駿府に移され、禄高は七十万石。あまりに少なく、二万を超える家臣とその身内をいかにして養えるのか、と天璋院。
その話を聞いて驚く帯刀。今徳川に力を与えるわけには行かないと言う大久保。同調する岩倉。
帯刀は、いずれ薩摩藩の土地と領民を帝に返すよう久光に進言すると言った(版籍奉還)
徳川の領地を取り上げるだけでは、筋が通らない。
一方江戸では静寛院が、京へ戻る事を天璋院に申し入れた。
家茂がいない江戸には、居ても意味がない・・・
また唐橋が、質素すぎる食事に文句を言う。
我らは居候と同じだと諭す天璋院。七十万石の話を聞いて、このままでは立ち行かなくなると騒ぐ唐橋。抑える天璋院。
ここを出て行きたいと言い出す重野。その真意を解した天璋院。
自分の扶持だけでも減らそうとの思い。また、このような天璋院の姿を見るのが悔しく、辛い。
次々と人が去って行く中、力を落としている天璋院。
そこに来客の報せ。「小松帯刀様にございます」驚く天璋院。
そして久しぶりの再会。正座出来ない痛々しい姿。
幾島をよこしてくれた礼を言う天璋院。
気を利かせて唐橋が碁盤と石を持って来た。
互いに石を打ちながら話す。
薩摩の母、兄は?の問いには「お元気です」
そして、子が出来たと話す帯刀(お近との子ではないが・・)
逡巡の末、あなたをお慕いしていたと告白する帯刀。
ジョン万次郎から聞いて知っていたと返す天璋院。
もし斉彬様の養女の話がなければ、私と一緒になってくれましたか?と重ねる帯刀。
「それを聞いてどうなさるのですか?」
「あの頃の私にケリをつけたいのです」
しばらく考えた後、私の答えは亡き夫、家定に相談しますと答えた天璋院。「ずるいなー、それは」と笑う帯刀。
そして、昔互いに交換したお守りを見せ合った。
江戸が東京となり元号が明治と改まる、その数ケ月前の出来事。
最終話「一本の道」
天璋院は大奥を去り、徳川家は四百万石から七十万石に減ぜられた。第十六代当主 徳川家達は駿府に国替えとなった。
天璋院は家達を待ちながら東京の各地を転々とする。
明治元(1868)年十二月の暮れ。本寿院らと暮らす天璋院。そこに勝が鮭の差入れに来た。「何よりのお歳暮」と喜ぶ本寿院。
家達の駿府での様子を教えてもらった天璋院。
また、新政府の中心になるのは薩摩の様だと話す勝。
その薩摩では帯刀が久光に、領地を朝廷に差し出す「版籍奉還」を進言した。領地を一旦朝廷に返したのち「知藩事」として任命を受けるもの。我らの立場は帝の直参になると説明する帯刀。
率先して小松家から返上すると言った。
我が国は大きく変わると力説する帯刀に、それを了承した久光。
だが新政府は西郷が離れ、大久保たちの急激な改革は多難を極めていた。
なぜ西郷が?と問う天璋院に言葉を濁す勝。
帯刀を思い出す天璋院に「ご病気だそうです」
大阪医学校で療養中の帯刀。お近とお琴が看病する。西洋の医師に早く治して欲しいと懇願する帯刀に「焦ってはいけません」
薩摩から、母のお幸と兄 忠敬が訪ねて来た。どうしても一目会いたくて、と言ったお幸。しのも同行していた。
酒を酌み交わしながら昔を思い出す天璋院。徳川総家の今があるのは、あなたのおかげと聞いている、と話すお幸。
己の役割を果たす事、という母の教えを守ったと返す天璋院。
のちにお幸は薩摩で、息を引き取る。六十年の満ち足りた人生。
明治三(1870)年七月。母の逝去を知る天璋院。
廃藩置県の断行が急務だと話す大久保。我々だけで出来ますか?と問う岩倉。それには人望厚い者(西郷)が必要だと話す木戸。
重病を押して、西郷と大久保に手紙を書いた帯刀。
そんな帯刀も遂に力尽き、息を引き取った。
帯刀の死去を、天璋院に伝えに来た大久保。七月二十日、三十六歳の若さだった。今までの思い出が溢れ出す天璋院。
鹿児島で、帯刀からの手紙を読む西郷。そこに訪れた大久保。
大久保も帯刀からの手紙を出した。
明治四年。西郷は中央政界に復帰し、廃藩置県を大久保と共に推進した。
家達は廃藩置県により静岡の知藩事を免ぜられ、東京に戻った。
家達に、新しい時代の教育を施した天璋院。
明治六(1873)年十月。天璋院を訪れ、別れを告げに来たと言う西郷。薩摩に帰ると言う。政治は自分には向いていない。
自分が居ると皆と衝突し、意見が食い違う・・・
小松様が居てくれたら、と惜しむ西郷。また、江戸攻めを思い留まらせてくれた事に感謝するとも。
富国強兵、殖産興業を目指す大久保。
徳川家では、徳川家達と近衛泰子との婚約が整った。
その祝いに滝山、重野らが駆け付けた。旧交を交わす天璋院。
明治十(1877)年十月。鹿児島では西郷が、新政府の方針に不満を抱く薩摩藩士のために挙兵し(西南戦争)命を落とす。
翌明治十一年五月十四日、大久保が暗殺された。
これ以上、大切な人を見送りたくないと涙する天璋院。
天璋院にお近から、帯刀が残したという香木が送られて来た。
長く続く人との縁を感じる天璋院。
そして五年の時が流れ去り、家達と泰子が授かった子のために肌着を縫う天璋院。彼女は子の曾祖母にあたる。
集合写真が撮られた。
徳川の家族が続いて行く、としみじみ語る勝。
人の幸せとは地位、名誉、財産などではなく、友や家族と共に過ごす穏やかに日々の中にこそある、と話した。
天璋院が天命を全うしたのは明治十六(1883)年十一月二十日。
享年四十九だった。
幕末から明治へと国が大きく変わる中で、己の信じた一本道をひたすらに歩み続けた一人の女性、篤姫の物語は、ここに幕を閉じる。