新聞小説 「国宝」 (18)  吉田 修一 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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新聞小説 「国宝」(18)  3/14(426)~4/7(450)

作:吉田 修一  画:束 芋

レビュー一覧

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18 19 20  全体まとめのあらすじはこちら

 

感想
順風満帆に歌舞伎道を進んで行くと思われていた一豊の起こした事故。怖くなって現場から逃げたのは言語道断だが、松野を替え玉にしようとした春江も相当なもの。
気が動転すると、人はとんでもない事を思いつく。
一豊がすぐ現場に戻ったのが不幸中の幸い。

 

結果的に、人の不幸を踏み台にしてのし上がって来たかの様に思われてしまう喜久雄。
自ら求めてか、状況に押されてか、双方の作用で孤独な立場になって行く喜久雄の舞台で起きた事件。
傷害は受けなかったものの、精神に相当なダメージを受けた事だろう。

 

喜久雄も、もう五十七歳。とは言っても人間国宝と言われるにはまだ早いか・・・・さて。

 

あらすじ

第十八章 孤城落日  1~25
新春花形歌舞伎と銘打って毎年一月に催される舞台。その中心となっているのが、花井半弥を継いだ一豊。毎夜酒を飲み、二日酔いの一豊に小言を言う春江。
今年は一豊の父俊介の七回忌。

喜久雄と母の幸子との話し合いで、亡き二代目白虎の半二郎の三十三回忌と一緒にやろうという事になっている。
プレッシャーを感じつつ、祖母幸子の様子へ話題を変える一豊。
俊介が亡くなる頃、弱った幸子は進んで養老ホームに入ったが、春江がそれを許さず自宅に戻した。それが幸いして幸子も元気を取り戻し、今も大女将として丹波屋を束ねている。

 

新春花形歌舞伎の開演にあたっての挨拶に立つ春江に集まる、若い後援会の女性たち。贔屓の客も多く通り、賑やかなロビー。

 

深夜一時すぎ、細々と聞こえる泣き声に訝る春江。

裏庭から聞こえて来るのは一豊のすすり泣き。
尋常でないものを感じ、裸足のまま外に出る春江。人を撥ねたという。そして「・・・逃げてきた。怖くなって・・・」
死んでたらどうしよ・・・・と髪をかきむしる息子を見て「誰か見てる人おった?」と聞く春江。「いない・・・いないよ」

春江は向かいに建つ安アパートに走った。そこは松野の住まい。
寝ていた松野が電気を点けてドアを開けると、春江が転がり込む。
「あんたの事長いこと面倒見て来た。いっぺんぐらいうちのために働いてえな! 一豊が人撥ねてしもた・・・」
松野は全てを悟り「その車、運転してたん俺や」

 

着替え始めた松野を眺めているうちに、正気に戻った春江は、一豊が撥ねたという公園裏に駆けだした。
救急車の赤いライトが見え、人が集まっている。担架のもとに走り込む春江の先に、警察官に囲まれた一豊の姿があった。

 

翌朝早く、喜久雄と彰子に伝えられる事故の件。

彰子が携帯で話す内容を聞いている喜久雄。
撥ねた後に逃げたがすぐに戻った。相手はランニング中の学生。

肩を骨折したが意識ははっきりしている。
そこまで聞いて、喜久雄の体から力が抜けた。

その後、着替えて三友本社に出向いた喜久雄。

一豊付きの社員、湯本の顔には絶望の色が。
社員から行われる事故の説明。そこに入って来た社長の竹野。

今日の午前中に自分と三代目で記者会見をやろうと言い、湯本に手配を命じる。

 

数時間後、三友本社に集まった報道陣は三百人超。

社長室に待機する喜久雄。事故の情景が頭を巡る。
湯本に声をかけられ、会場に向かう喜久雄。
会場で、目眩がするほどのフラッシュを浴びる喜久雄。

轢き逃げをした一豊への問いに考えを支配され、竹野の話が終わらないうちに、深々を頭を下げてしまう喜久雄。

その異様な間の悪さに、更に多くのフラッシュが焚かれる。

 

謝罪記者会見はワイドショーを通じて全国に流された。

こういう時まで色っぽく見えてしまう喜久雄。
謝罪会見は、世間的には受け入れられた。その場から逃げた事の追求を受けるたびに、徹頭徹尾、被害者の両親に許して頂けるまで謝罪を続ける、と頭を下げる喜久雄。

その事が皮肉にも世間に好感を与えた。
そして結果的にそれが、これからの若い役者を抹殺した。

 

一豊の事件は、被害者の学生の骨折も治り、事故の裁判も執行猶予がついた事で一応の決着を見た。
それを受けての喜久雄の公演が「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」。大阪落城の際、千姫の脱出を知り半狂乱になる淀の方を描いた演目。もちろん淀の方を喜久雄が演じる。
歌舞伎のイメージアップも賭けて、喜久雄の意気込みは相当なもの。
初日を迎えた舞台裏では、喜久雄の乗るエレベータに同乗する者もいない。「遠慮するんでしょ」とは弟子の蝶吉。

 

綾乃が切り盛りする相撲部屋を訪ねる彰子。若い弟子たちの洗濯物や食事に忙殺される綾乃だが、父の名声については見聞きしていた。
ちょっと顔が見たかっただけだと言って帰る際に、喜久雄の孤独を象徴する出来事を漏らす彰子。夜中、台所に立つ喜久雄の姿がとても遠くに見えた。
綾乃は、かつて自分の母親も似たような事を話していたと言う。
そこに綾乃の娘、喜重が学校から帰って来ると、挨拶もそこそこにサッカーボールを持って外に出て行った。
時の流れが有り難く身に沁みる彰子。

 

東名高速を都心へ向かう車。中に居るのは弁天。

今では冠番組のゲストに首相を呼ぶまでになった。
週刊誌の喜久雄に対する記事に閉口。「生き血を欲する希代の女形」との見出し。過去の悲劇をみな踏み台にし、その呪いが一豊に向かったような書かれ方。

 

そこからコースを変えて、春江たちが暮らす丹波屋に行くよう指示を出す弁天。

俊介なきあと、弁天と喜久雄の交流は途絶えていた。

二人の間を取り持っていた徳次の不在も一因だが、口達者な自分の引け目も心に持っていた。
俊介の仏壇に手を合わせた後、春江との話を始める弁天。

一豊の様子を聞けば、生殺しの状態で上にいると言う。

復帰のメドは立っていない。
毎日テレビに出ている弁天に感心する春江。だが弁天自身は最近何でも自分の言う事が正解になってしまうのにイラついている。

だがその一方、テレビに出ていないと不安で仕方がない。

 

青山通りの一角で、アストンマーチンのシートに身を沈めている喜久雄。亡き母マツの仕送りで買ったジャガーから数えて九台目の車。
一豊が轢逃げ事故を起こして謹慎中という時期、当然彰子は大反対したが、その件と自分の車購入とが結び付かない喜久雄。
喜久雄の車好きは、過去に受けたインタビューでも話している。

 

この時期、歌舞伎座での喜久雄が演じていたのは「藤娘」。最近ではどんな舞台に出ても喜久雄が突出してしまうため、一人で踊る演目が多くなっていた。そこで起きた事件。

「藤娘」は特にストーリーはないが、笠踊りから始まる。
この日もその笠踊りから始まるが、その気品と愛らしさに最前列の客の頬が赤らみ、それが後方の客にも伝わって行く。別世界に居るような感覚。
第一幕の終わりにもその感覚に客席が包まれていた。

特に五列目中央の若い男性客が、うっとりとした表情で、舞台に釘付けになっている。
第二場でもその視線を感じていた喜久雄は、気分が良くなって、その客だけを相手にする様な気持ちで踊りを続けた。
だが一連の流れで客に背を向け、再び客席に向いた時、その客が席にいなかった。
一瞬焦ったものの、客が中座する事は特に珍しい事ではなく、踊りを続ける喜久雄。次の舞いで客に背を向け、再び振り返った時、なんとその男が喜久雄の目の前に立っていた。
どよめく客席。男は焦点の合わない目付きのまま、喜久雄を見つめている。
初めて舞台に上がった時から舞台と客席を隔てていたものが、崩れ去ったという感覚。
一瞬のあと、舞台上で黒衣や大道具のスタッフが男を引き摺り出した。呆然と見つめる喜久雄。
取り繕うように長唄や三味線が再開したが、舞台の上で喜久雄だけが踊るに踊り出せず、そこにぽつんと取り残された。