今日の記事は12:30頃に公開予定です。
P.M12:00 11月19日(月)
ユダヤサンヘドリンの傀儡が私が精神的な記事を書こうとすると
毎回思考能力低下を誘導してきます。
私にこのような記事を書かれることで
自分達の組織の人間達に覚醒者が出てしまうことを恐れての
行為であるとすれば
独自の組織の保身のためのエゴによって
他人が覚醒して進化することを妨害する行為といえます。
イエスキリストの言っていた
創造主の法に関して他人を躓かせる行為だと言うこと。
そしてその罪はとても重いと言っていたはずですが
自分の事や組織の事にしか頭のない
ユダヤ傀儡組織の人間達は
そんなことを当たり前に繰り返しているのです。
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この質問に答えます。
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偶然、見つけた古川さんのブログをいつも読ませていただき、感謝しています。
(古川さんと創造主に!)
私もプロテスタントの教会に通ったことがありますが、
アダムスキーの語る「宇宙の法則」を知り、
今までのモヤモヤが晴れてスッキリしました。
ただ「信仰には教会も組織も要らない」のように書かれていましたが、
私の場合、一人で見知らぬ教会を訪ね、救われたという思いがあるので、
「教会や組織がないと、人々が宇宙の法則に触れる機会が
非常に少ないのではないか」と思うのですが…。
やはり表立った活動をすると、
サイレンスグループの妨害が大きくなるからでしょうか?
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理解して貰える人が増えることで
私の方こそ嬉しいですし、
読んでくれて・理解してくれて
ありがとうと感謝したいです。
共に魂を進化させていきましょう。
既存の教えに納得いかないで自分で思考していた方にとっては
生命の科学、宇宙の法則はいきなり与えれた”真理”だと思います。
私も目から鱗が落ちた思いで
生命の科学とアダムスキーさんの著書を読んでいました。
そしてそれをいかに広めるかとなると
大きな障害があります。
元々この社会の支配者達が
隠蔽したくて煙幕まで張っては隠し続けてきた真理です。
目立てば妨害され、
正常に機能すれば組織は形骸化される恐れもあります。
私が人を集めたりしたら雷と地震に
見舞われるかも知れません(苦笑)
でも私が関わらなくても組織はすでに存在しています。
(そこが彼らの影響下にない事を願いたいですね)
アダムスキー全集を編纂した久保田さんが立ち上げた
日本GAPの延長とも言える組織がです。
この今のような時代なので
との程度活動できているのかは不明ですし
ただ、HPやリンクをみると多くの方が個人の生活へと進み、
宇宙意識から離れているように見えます。
世界中の多くのGAPが潰れて来たように
日本でのGAP活動もその中心となって来た人間達がいなくなったことで
下火となっているように見えます。
ただ、定期的に生命の科学の勉強会は続けているようです。
私はここの会員と見られる方の作り上げた
アダムスキー全集の検索エンジンを大いに活用させて
頂いていますし、その事にはとても感謝しています。
ただ、今の時代だからこそ
手放しでそこへと誘導するような発言は出来ないのです。
自分の魂によって、
そんな意志も決定して頂ければと思います。
私は集団ストーカー犯罪の被害者でもあります。
その経験からも、
組織的犯罪を実行中のサイレンスグループの傀儡(自覚無自覚の関係者)
の実態を知れば、被害者はその結束の難しさを認識させられました、
同じ事がこのような組織にも言えるかと思うのです。
ハイテク被害の実態や付きまとい被害の実態を訴える人間が
マークされて時にはつぶされるように
生命の科学・宇宙の法則に関してもその理解者が特定され
狙われたりマインドコントロールを受ける可能性を危惧している
と言うのが私の本音です。
日本の中ではGAP活動ではなくて
今では”宇宙意識”を組織名として活動し続けている組織のようですが
闇政府関係者があらゆるイデオロギー組織のどこにでも入り込んできますし
そんな人間にマークされる危険性を正直危惧すると
真の理解者にこそ公には紹介できませんでした。
しかし正直言えば私も一度参加して見たいと思っていましたので
今回は参加希望を出して見ました。
参加することが出来ればその様子をも
報告したいと思います。
ただ、私達はアダムスキーがそうであったように
核心に触れれば触れるほど、そして集団が目立ったり
影響力を持てば持つほど彼らの目に留まるということと
宇宙の法則がこの社会の支配者層にとっては
目の上のタンコブになっていて
目をつけられる可能性があるのだと言うことだけは
忘れてはいけないと思います。
彼らが核心に迫りつつある人間を
放置し続けるわけがないと言うことです。
アニメ風に言えば彼らにとっては
”ニュータイプ”は不要であり邪魔なのです。
今現在すでにハイテクの関与を受けているような方であれば
私同様に開き直ってと言う事も出来ますが
まるでマークされていない人間は
ハイテク、マインドコントロールの関与に
陥る可能性がある事も覚悟しなければいけない。。
私は自分が置かれているような立場に置かれる危険を考えると、
正直言えば信頼できる個人のネットワークが
一番支障がなく安全ではないかと考えています。
かと言って私が関わるとその人に迷惑をかける。
(圧力や嫌がらせの手が及ぶ可能性が高いと思います)
本当は私の理解の範囲で説明できればと思いますが
室内で加害者組織関係者などに対して語っていても
思考妨害されることもすくなくありませんし
彼らは私に生命の科学や闇政府の実体を
語られたくないようです。
そう思えば私は自分と関わることはお勧めできません。
そして工作員に振り回されたと言う経緯もありますし
彼らのやり口をもとても理解しています。
ただ、生命の科学のような究極の勉強は
独学では学ぶのは効率的でないのも確かだと思います。
元々存在している組織が、
その中で皆で学習の機会を持って学ぶと言う姿勢であれば
問題ないでしょうし
信頼できる友人同士が教えあうと言うのも
とても有効だと考えてもいます。
そして理解度の近い人間同士は互いを向上しあうことも出来ると思います。
今の私には無理なテレパシーの練習も可能かもしれません。
その信頼できる相手をいかに見つけるかが問題です。
それも闇政府の人間達のマークを受けることなしにです。
私も日本のアダムスキー理解者の組織の様子を
一度体験したいと思っていましたので
今回は参加希望をして見ます。
余計な私事ではなくて、
純粋に創造主の法と生命の科学について
何か発見でもあれば良いなと思います。
ただ、私が共に進みたいと願う相手は
”生命の科学の知識を学んでいる人間”ではありません。
それを理解しようと勤め、一方ではそれを実践して
進化し続けている人間です。
そんな人間が一人も潰される事なく
深い覚醒へと進んでくれることを心から願っています。
現代社会にイエスの使徒は貴重なのです。
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こちらです。
Cosmic Consciousness 会(略称:CC会)
2012年11月25日[日] 参加申込画面
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~ Cosmic Consciousness のホームページを訪問されている皆様へ~
「生命の科学」勉強会やその他の情報を
登録した方限定でメールでお届けいたします。
気楽に集まり、日頃あまり話せない
アダムスキー問題や日常の些細なことまで
おおいに語り合いましょう。
会場: 東京芸術劇場(池袋) ミーティングルーム
※2012年 9月より、
会場が変更となっております。
時間: 13:00~17:00
※終了後に、夕食会を開催します。(希望者のみ)
http://www.adamski.jp/cckai/regist201211.htm
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私が取り上げると工作員が紛れ込んで、
と言う実態も想像つきますが、
組織的犯罪被害者の場合と異なって、
生命の科学を学んで実践していれば
他人の悪意含めてきっと敏感に感じる事にもなるでしょうし
生命の科学を学び続ける事は大切ですが
それは実践し創造主の法の理解を深くするための
知識と切っ掛けにするためのものだと思います。
単に知識ばかりを詰め込んで頭でっかちになったところで
私達は魂の意志を感じる事も出来ませんし
実践の伴わない人間が真理を得られない事は言うまでもありません。
知識は理解を深めるためのものであり
基本は三次元と四次元を理解して
そこで使用される感覚器官である心とそれを司る器官
をコントロールする術を身に着ける努力をすること。
魂を感じ、そこで受け止める印象と閃きを、
如何に生かしていくかが大切なのではないでしょうか。
すべての知識を得てからそれを実践するのではなくて、
私達が創造主の意志を感じるようになれば
すべての知識はそこから与えられるとアダムスキーも言っていたはずです。
私達はその進化の程度によって
自らの戒律を増やしながら理解を深めていくことが大切なのです。
ここでの戒律とは、
その行動が正しいか正しくないかの基準であって
正しい行動はそのまま私達を魂の進化へと導くと思います。
生命の科学であっても、その内容の抽象性からも
100人が説明すれば100通りの説明になるのだと思いますが
私はアダムスキーの教えとイエスキリストの教えこそが
その基本であると認識しています。
そして私はそこから反れないように、
矛盾が生じないように意識して学んでいるつもりです。
私の説明を理解した後に
聖書やアダムスキーの著書を読んでいただいて違和感がなければ、
気がつくことが多ければ
道がそれていない証拠になると思います。
私よりも学習と進化の進んでいる方にとっては
物足りない内容となっていると思いますが、
そこまで進んでいない方にとっては
生命の科学と宇宙の法則の参考書となることを意識して
記事を書いています。
是非参考にしていただいて進化した後は
今度は私に知識を与えていただければと思います。
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先日は創造主の意識として
万物に対する無償の愛に関して触れてみました。
それは創造主の意識を一言で表現したものであり
私達はその意志の分身を魂と言う形で誰もが持っています。
その魂から出てくる意志によって表現されるものを
パウロは”御霊の想い”と言いました。
それと対極にある私達の心から出てくるエゴを、
イエスは
「人間を汚すものは口から入るのではなくて
心の中から出てくるのだ」と表現し、
パウロはそれを”肉の想い”と表現しました。
言うまでもなく私達の心の発するエゴや本能を中心とした
価値観であり負の想念といわれる物です。
私達はその想いを生活の中のあらゆる経験から作り上げてきました。
自分の心を心地良くするもの、本能を満たす効果を快感と認識し
そんなものにばかり重きを置いて暮らしているのです。
そんな価値観を持って作り上げられてきたのがこの社会。
つまりこの社会に反映されている想いは
私達のエゴであり本能に他ならないと言うことです。
創造主にとっては私達一人一人の人間は誰もが平等であり、
そこには優劣は存在しません。
一人一人の人間の差は、魂の学習の差や経験の差、
そして表現の差として認識されることになると思います。
創造主は全く同じものを作り上げようとしたのではなくて
あらゆる生命のあらゆる表現を実現しようとしたと言いますし
そのことが私達の実態には反映されているのです。
そのためにも私達が誰もがそのまま創造主の意志に従うのではなくて
自ら思考し行動を選択するように心と自由意志を与えられました。
先日、太陽系の惑星のカラフルさに感動したばかりですが
バリエーションに富んでいるのは
人間であっても動物であっても植物であっても同様です。
地球と他の惑星が異なった見栄えになっているのも
すべては表現の現れだと言うことであり、
青き海に満たされた地球こそが
偶然選ばれ生命体が暮らせる社会になっていると考えるのは
私達地球人にとっての選民思想でもあります。
そしてアダムスキーが触れていたように
異なった二つの要素が交わる時に、
そこに両方の性質をもった別のものが生まれると言う法則が
この宇宙空間では延々と繰り返され、
その結果全く同じものはただの一つとして存在していないのだという
話にもなってきます。
そしてそれは私達にしても同じことです。
私達は誰もが異なった父と母から肉体を持って生まれてきますし
一方私達を三次元に具現化させている私達の魂にしても
誰もが異なっているからです。
その結果、私達はそれぞれが別々の能力や風貌を持って生まれ、
更にその後はそれぞれが全く別の環境で育ち、
様々な個別の経験をすることで自分独自の価値観を作り上げ、
その中で自分を自分と認識するようになり
他人と自分とを区別する事にもなります。
そこでは私達が与えられている自由意志の存在の役目も
無関係ではありません。
私達は自分の意志で行動を選択し経験をつむことで
もしも全く同じ境遇に落ちたとしても他人とは違った選択をしては
異なった体験をして
そこから異なったものを学び
それを持って独自の価値観とすることになります。
だから創造主の法への覚醒のきっかけも人それぞれですし、
農業からそこにたどり着いた人もいれば
科学の研究からそこにたどり着く人もいるわけです。
もしも私達が心と自由意志を持たねば、
私達は誰もが植物のごとく創造主の意志だけによって生きる存在となり
自分と他人との区別もがつかない存在だった事でしょう。
そうではなくて私達は自分達で選択して
自分の意志で行動する権利を与えられました。
それは単に創造主の意志に従うだけの存在を
創造主が欲したからではなくて
私達が自分の意志で成長していくことで
様々な表現をする人間の姿を見たかったのだと
アダムスキーは言っていました。
勿論、私達が進化することこそが前提での話です。
しかし私達は実際には進化の過程においても未だ初期段階です。
それどころが自由意志を持って暴走し自分達独自の価値観を作りあげては
創造主の期待している創造物では無くなりつつもあります。
私達は創造主の意識からかけ離れつつあるのです。
そして私達が持っているあらゆる能力は、
そのまま私達の進化や表現の差であり
経験の差であることを私達は理解できないゆえに
私達は人間に優劣の差をもつける事にもなっています。
本来創造主の前では誰もが平等であるはずで、
その差は学習してきた時間や体験や表現の差に過ぎないものを
人間としての優秀であるとか劣っていると言った
誤った価値観で置き換える習慣まで作り上げています。
もしも進化した事を偉いと表現するのであれば、
私達地球社会の人間は皆、未だ本当の進化への道へとは進んでいないわけですし、
私達は誰もが全く偉くはないのです。
私達はどんぐりの背比べの過程にこそ存在しているからです。
しかし馬鹿な私達は、そのどんぐりの背比べの中で
自分をより大きなものであると感じたくては背伸びをし続けているのです。
よくない表現ですが,私達は、
野蛮で原始的な動物かもしれないサルが集っていて
その中で誰が偉いかを競争しているようなものだと思います。
自分達を滅亡させることがない分だけ
実はサルの方が私達よりも勝っているかもしれません。
私達は、自分達の誰もが平等な立場であると言うことを認識できず
そこに優劣の価値観を作り上げ自分が他者に対して優越感を持つことで
自分を大きく感じ、心のエゴを満たしているのです。
この社会では私達が創造主の意識として感じるべき
”謙虚”や”平等”といった意識が欠如しているのだと思います。
自分が偉いと思いたい、
自分のことを大物であると思いたい。
他人と比較して特別であると思いたい。
そして他人から褒め称えられたい、
そして他人よりも社会的に有利な立場になりたい。。
そんな意識がこの社会には蔓延しています。
しかし私達が持たねばならぬ意識は優越感や自己満足ではなくて
”謙虚”であること、そして”他人と自分が同じだ”と認識することです。
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イエスキリストが、弟子達が誰が一番偉いのかと
揉めていた時に言ったのは
「一番偉い人間になろうとしたら、全ての人間の下について
それに奉仕しなさい」
と言うことでした。
勿論イエスキリストの住んでいる世界には
偉いとか偉くないといった概念はありません。
尊敬と言う意識は強いようですが、
実はそんな意識さえも誰に対しても持たれる事になるそうです。
きっと指導者に対しては尊敬の念も強いのだと思います。
しかしそこでの指導者は、だからと言って
それに対して踏ん反りかえるわけではありません。
マスターはマスターとしての役目を感じ
周りの人間達も自分達の役目を感じ
それをお互い協力し合って果たしながら進化を続けている。
調和の意識があるからこそ彼らの社会は
私達の社会とは大きく異なっているのかもしれません。
団体で行うスポーツではそれぞれが
自分の役割を担うようにです。
そしてマスターのような人間は率先して奉仕をするのだと思います。
この過酷な地球社会に転生しては愚かな私達に創造主の法を教えようとして
十字架に貼り付けられたイエスキリストを考えれば、
マスターが率先して身を張って奉仕をしている事も理解できます。
彼らの世界の指導者は、椅子に座ってふんぞり返っているのではなくて
自らの身を駆使して他人に奉仕を続けていると言うことです。
更に、イエスの言ったような、誰もの下について奉仕するような存在は
結果的には謙虚さと平等さを理解していてそれを実践している事になります。
つまりその人間は他の人間よりも精神的には進化しているはずなのです。
そして精神が進化した人間には、
偉くなりたいとか人に褒め称えられたいと言った欲すらも
存在しない状態になります。
イエスは結果として12使徒に対して、”偉くなる方法”を教えたのではなくて
そんな意識を捨てて謙虚に平等さを持って生きることこそが、
賢明な人間のあり方だと伝えたかったのではないでしょうか。
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私達の社会が人間の上下関係が
どうやって出来ているかを分析してみます。
たとえば古代の争いの時代、そこで権力を持つに至ったのは
どんな人間だったでしょうか。
それは肉体的能力の優れた人間です。
もっと言えば物理的な力の強い人間、
武器の捌きが巧みだった人間と言う事になると思います。
殺し合いもが正当化される時代では、
相手を肉体を持って倒す能力を持っている人間こそが
他者から恐れられ権力を持ったはずです。
それは古代国家の軍隊の規模としても現れます。
彼らの時代にも直感の優れた人間が占い師になっていたり
思考の優れた人間が側近に置かれていたかも知れませんが
中心となっていたのは武力を持つ人間達のはずです。
私達の人間の優劣はその時代背景によって異なり、
求められている能力が優れていれば他の能力は無関係だと言えます。
そして今のこの社会で言えば、どんな人間が偉いとされるかと言えば
学校の勉強が出来て、難しい大学を卒業したような人間でしょうか。
そして国家試験をパスしたり、大企業に勤めることが出来た人間が
エリートとされていると思います。
つまりは私達の価値観による”頭の良い”とされている人間です。
しかし腕力も学校の勉強も、
すべてが人間が与えられた能力の一部を使用しているに過ぎません。
肉体の能力も脳機能も百人いれば百人皆異なることになります。
喧嘩が強いからと言ってスポーツが出来るとは限りませんし
この社会の学問に関して頭が良いとされていても
それで発明が出来るわけではないのです。
誰もが独自の能力を持っているのです。
私達の能力が多岐に及ぶことは特殊な人間達に彷彿されます。
例えば音楽を仕事としている人間達や芸術を仕事としている人間もいます。
彼らは学校教育でそれを学んだとはいえないと思います。
しかしそれだって私達の能力の一環です。
困ったことに私達のこの社会の中では
優秀だとされる人間は学校の勉強の出来る人間と言うことになっています。
つまり今の私達の社会は
学校での教育こそが人間の能力を測る尺度とされていて
そこに重きを置いているばかりに、
人間がそれぞれ独自の様々な能力を持っているということ
人それぞれが異なった能力に強いていると言う実態を
認識できないでいるのです。
そして今の社会では肉体の強さも
古代のように優秀だと言う判断材料にはなりません。
つまり私達の優劣を決めているのは
その時々の時代で重きが置かれている価値基準だという事にもなります。
私達は過去の歴史を通じて、
「人間はあらゆる能力を持っていてその人間ごとに優れたものがある」
と言う事実を未だに理解できないままでいるのです。
更にその時代ごとに、
多くの人間の能力の中のホンの一部にばかり照準が当てられては
それが優れている人間が優秀だという風潮にもなっています。
そして優秀とされた人間には
お金も権力も与えられる事にも繋がっています。
つまりは人間が作り上げた価値基準が
人間の中に優劣関係を作り上げているのです。
それは創造主が私達に与えた価値観とは無関係な基準によってです。
学歴偏重社会と言う名の下に、すべての人間は画一的に評価され
しかもそこに重きを置かれた事で
誰もが同様な能力にばかり目を向けるようになり
人間が画一化されてもいるのです。
そして今のこの社会は左脳偏重社会でもあります。
その左脳偏重が私達に一体どんな弊害をもたらしているのか
それを私達は認識しなければなりません。
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価値基準の尺度が特定の能力に限定され
しかもそれで決められた優劣がその人間の生活をも変えてしまうとなれば
誰もがその価値基準に重きを置いてそれを伸ばすことに特化することになります。
その結果私達の社会で言えば勉強なるものが私達の優劣を決めるのですから
受験勉強、学校教育に重きが置かれることになります。
それは私達の能力のほんの一環に過ぎませんが
その氷山の一角にばかりに拘ることで
私達は自分達の他の能力を退化する事にも繋がっています。
もしも彫刻を彫らせたら素晴らしい芸術を
作り上げるような人間も、
作曲をさせたらベートーベンのごとく素晴らしい音楽を
奏でたかもしれない人間も
誰もがこぞって学校の教科書と睨めっこしては予備校通いでは
その能力が花開くこともないでしょう。
しかしそんな傾向がこの社会の中では極端に進んでいるのです。
そして私達が学校の勉強と言われているものが
左脳に特化したものであることに目を向ければ
私達は想像力と創造力を
落とし続けている事にも気がつくはずです。
多種多様な能力を封じ込めた状態で画一化された教育を施され、
しかもその教育は全ての真理を私達に伝えるものではなくて
間違いや捏造までも含むもの。
こうなると私達は集団的にその意識をコントロールされて
同じ価値観、しかも限られた能力に限定された状態での価値観しか
認識することしか出来なくもされているようなものです
私達は権力や社会的地位と引き換えにその能力を制限し、
画一化された思考へと誘導され続けている存在なのです。
「科学は発展しているし私達の能力は進化している」と主張する人間は
自分がその発展していると言われる科学の一体何を知っているのかを
自ら問いただすべきだと思います。
その発展した能力で貴方は電球を作り上げることが出来ますか?
私達は与えられた機械を使用しているに過ぎず
それを発明したのも、製造方法やメカニズムを知っているのも、
ごく一部の限られた人間のはずです。
私達はその人間達に与えられた技術を
ボタンを押して使用しているに過ぎません。
さらに私達は機械化で便利になった社会の中で
創意工夫を忘れることにもなります。
自分の意志で考えて自分で何かをするという行為をする機会が
極端に減っているからです。
近年では仕事までマニュアル化が進み
それを見てそのとおりに実行することが仕事だと
思っているのかもしれません。
そして機械操作や与えられたマニュアルが上手に実践できていれば
それで能力が高いと思い込んでいるのです。
それ以前に私達はその学校の能力評価によって仕事の選択肢までも決められ
自分の真の能力に見合った仕事を出来るわけでもないのです。
しかもその上にその仕事ごとに見返りとしての
報酬まで異なってきます。
こうなると誰もが自分の資質とは無関係に
社会の中で高い地位であり高い見返りを与えれる仕事を求め
そのための評価である学校の教育での高い評価を受けようと
勤めることにもなります。
仕事にしても”優秀”とされた人間が多く就業していて
高い給料をもらえる仕事が高く評価され
一方ではそうでない仕事は低く評価されます。
ここでは誤った価値観の尺度によって
仕事上での不平等が発生するのです。
聖書のソロモン神殿の例え話にあったように
何かを成し遂げようとしたときに
その仕事は他の仕事とは無縁では存在しないこと。
そしてこの社会であればこの社会を成立させるためには
誰かがその必要とされる仕事をしなければならないことを理解すれば
全ての仕事の間にも優劣は存在してはいけないことも理解すべきです。
更に得意な人間が得意な分野で勤めることで
誰もが社会奉仕を勤めることも出来ます。
太陽系の兄弟達の社会ではどんな仕事も同様に尊敬され、
その間に差別も優劣もありません。
聖書のたとえ話では
ソロモン神殿の功労者は誰かと言う話になった時に、
そこを直接手がけていない鍛冶工がやってきて
「自分こそが功労者だ」
と主張したのは誤りではないはずです。
鍛冶工がいなければノミが作られず
ノミがなければ素晴らしい彫像も作ることは出来ませんでした。
全てを一から作り上げている仕事など存在せず
すべての仕事は誰かがした仕事から何らかの恩恵を受けている。。
有意義な会議を開けたのは会議資料を作った人間の功績ですが
会議資料を作れたのは他の仲間の助言もあったかもしれませんし
会議資料は紙やトナーやコピー機を作ってくれた人が
いるからこそ出来たわけで
紙であればそれを伐採した人間がいたからそれが作れたわけです。
そして木を育ててくれたのは創造主の意志ということにもなりますし
種をまいた人間の存在かもしれません。
私達はすべてが誰かの仕事の恩恵を受けているのです。
自分が立派な仕事をしていて社会的に認められるべきだと自惚れている人間は、
そんな物の考え方は出来ないと思います。
自分こそが偉いとか優秀だとか立派であると言う
謙虚さのかけらもない姿勢が
私達の社会の中の人間観に上下関係を作り上げていっているのだと思います。
そしてこれが改善されない限り
私達は自分と他人との間に平等意識を持つことも出来ないと思います。
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更に時代が進み、その傾向が顕著となっているのは
人間の能力をしのぐ力と権力の象徴としてのお金です。
肉体的な力がなくても優秀な?頭脳がなくても
今の社会はお金があれば力を持つことが出来ます。
今の時代はお金がお金を生みますし
全ての価値観は物や財に集約されつつあるからです。
元々が社会的地位がなくてもお金があれば
それを持って資本として資本家になれば社会的地位も買えます。
ほしい物は何でも手に入れることも出来ますし
人をも動かすことが出来ます。
それは権力に他ならないと思います。
そして心のエゴが欲に満ちている私達は
誰よりも偉くなり権力とお金を少しでも多くほしいと望むようになり
そして社会は乱れるのです。
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スペースブラザーズの社会の羨ましさは
何よりも誰もが平等だという意識を持っていることです。
姿も形も能力も、全てが人によって異なっているのは
彼らの社会も私達の社会と同じです。
しかし彼らは他人を創造主の表現でありフォーム(形態)であるとみなすのです。
彼らの意識には人間の能力の優劣の差はありません。
誰もが相手を創造主の表現、
つまりは創造主の意志の現れであると認識するそうです。
彼らの目的は調和であり進化です。
特定の能力に差があれば、そこに優越感を持つのではなくて
それを相手に教えると言う奉仕の気持ちに変えるのです。
一方ではそれを教わる人間は謙虚な意識でそこから学ぶことになると思います。
そうやって彼らは他人や万物と共に進化を続けている。。。
彼らは調和と進化を実践しているのです。
考えてみれば私達は永遠を生きるのですから
1万年生きている人間と10万年転生を繰り返している人間とでは
進化の度合いも異なるのは当たり前です。
ましてすべての面において他人よりも優秀な
脳や肉体を持っている人間など存在してはいません。
私達の社会が勝手に人間の評価基準を設けているだけであり
その価値基準は真理ではないのです。
しいて上げれる進化の具体的評価基準があるとすれば
イエスキリストのようにより神に似ていくこと、
創造主の意志を自分の肉体を持って
より表現できることこそが進化の進んだ証拠だと思います。
そして「私の肉体を持って父が為している」と言ったイエスのその意識こそが
神に似ている事の現われではないでしょうか。
更に、私達は他人に劣等感を感じる必要もなければ
優越感を感じてもいけないのだと思います。
時がたてば誰もが一歩ずつ進化するわけですし、
究極の目的は創造主に限りなく似ることであり
そのころには私達の脳も100%活性化するのかもしれません。
私達のように、”謙虚”と反対の意識である
”傲慢さ”や”驕り高ぶった意識”を持っていては
物事を学ぶと言う姿勢すら持てなくなってしまいます。
彼らの社会では仕事であっても、
それが真の意味で社会を通じての創造主への奉仕となっている事も
この社会との大きな違いだと思います。
彼らにとっての創造主への奉仕は、
神を賛美することではなくて神の創造物と調和しそれに奉仕することです。
万物は四次元における創造主の魂を三次元で表現したものです。
私達は創造主の分身として存在するのですから
万物への奉仕はそのままが創造主への奉仕となります。
しかも創造主の意志に従い奉仕すること、
つまりは”御心を実践すること”で私達は進化することにもなるのです。
そして彼ら天使達はそれを仕事でも勉強でも実践しています。
彼らは自分達の社会を維持すべきために必要な仕事と言うものを
最初に想定していて
それを皆で協力して実践している存在だと思います。
それは私達が仕事と言っているものよりは
ボランティアでの共同作業と言われるものに近いかも知れません。
それは見返りを求めない奉仕であるからです。
(必要な衣食住はそこから与えれますが
万人に対して必要なものが与えられる)
そして与えられた仕事をこなす事が
その社会を構成する人々全員への奉仕となりますし
人々への奉仕はそのまま創造主への奉仕です。
そんな奉仕の積み重ねが彼らを真の進化へと導いているのです。
私達の持てないでいる平等の意識と謙虚を持っている事が
彼らの社会をも進化させている。
そんな話に繋がって来ると思いますがいかがでしょうか?
私達であればこそ気が付くこの社会の間違いも沢山あります。
しかし既存の価値観や習慣は容易に変えることも出来そうにありません。
せめて私達の様にその事に気がつき
それを心に留め続ける事の出来る人間が増えてくれれば
それはいつしか実践されるかもしれませんね。
理想の社会は果てしなく遠い。
しかし私達はその理想を持ち続けなければいけないと思います。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.
そして彼らは日々の生活の中でも
お金のために働くことで日々を終えてしまうこともなく
残された多くの時間で勉強や研究を続けては
更なる進化を続けているのです。
一方私達の社会での仕事は決して社会奉仕ではありません。
それは給料と言う見返りを求めるための行為であり
無償ではないからです。
しかも一方ではその自分の奉仕は
企業や資本家に分配されることにもなります。
私達は創造主の意志に奉仕しているのではなくて
資本家や企業家と言った特権階級と、
お金に対して奉仕しているようなものです。
そして個々の企業も社会奉仕のために存在しているのではなくて、
見れば分かるように利益獲得こそが目的となっています。
本来社会にとって必要な仕事でも、
それがお金にならなければ企業として存在することは出来ませんし
不要なものであってもそこにお金が動けば仕事として成り立ちます。
結果この社会の中では本来必要とされるべき仕事が存在しなくなり
無用なものであってもそれでお金を生むとなればそれは仕事になるのです。
この社会の仕事と言うのは社会奉仕ではなくて
お金獲得の手段の延長にこそ存在しているわけです。
結局はそこでもお金が私達を動かしているのです。
一方人間の欲は限りないために資本家はもっと利益を出そうと勤め
私達は少しでもお金を稼ごうとします。
それは、社会や人類や創造主への奉仕という意識とは
かけ離れている事に気がつくべきです。
更に私達の人生は、
労働と消費をすることが目的になっています。
生活のため、お金を稼ぐために夜遅くまで働いて
帰ってくればお酒でも飲んでぐったりしながらTVをみる。
せっかくの休みには部屋でごろ寝か
外に消費にお出かけです。
自分の進化のために研究や勉強を続けていると言う人は
ほとんどいないはずです。
私達はお金を中心に労働と消費のために生きています。
そこには私達の人間としての進化など存在してはいないのです。
だからこそ私達は太陽系の中で
地球社会の中に落第し続けているのです。
一方必要なものを皆で作り上げ必要な人間に分け与えている社会では
元々の彼らの意識も高い事もありますし
彼れが必要以上の多くの物をほしがらないために
労働時間も短くなっています。
彼らは元素を無駄に使用することもないのです。
通販で買ったダイエット器具が押入れで大量に眠っていることもなければ
共同して使用できるものは個人が所有することもない。
結果製造する商品も少なくてすむことでしょうし
資源の無駄もありません。
少ない資源を奪い合う必要も無いですし
もともと彼らはそんなことはしませんが。
製造の機械化も進んでいることもあるのでしょうが
イエスの母星と言われる金星社会では
一日二時間程度の労働で皆が必要なものが
届きわたる暮らしだと言います。
私達の社会の労働時間にして集二日程度の労働が
彼らの日課だと言うことです。
彼らはお金にも権力にも地位にも拘る事がないので
仕事と消費のために生きる必要もないのです。
そして人として求められている事を自覚してい彼らは
自分達の勉強と経験のためにこそ時間を費やすことになります。
私達の社会の姿はそのまま私達の価値観の反映になっていると思います。
偉くなることで権力と見返りが大きくなる社会。
平等でないがゆえに誰もが競争しては多くの見返りを求める。
無償ではなくて多くの代償を求め
しかも優越感や劣等感、傲慢さに満ちて生きているのですから
進化など難しいのは当たり前ですよね。
