【幕末維新ゆかりの地】
幕府軍をほぼ完封し旧・日本陸軍の基礎を作った
名参謀【大村益次郎】
【大村益次郎】
長州藩の田舎で村医者の息子として生まれ、遊学中に
シーボルトの娘【楠本イネ】と運命の出会い
楠本イネの想いを感じつつ、大村益次郎も楠本イネを愛しつつ
それを拒絶し続けた大村益次郎
楠本イネの愛は成就するのか、そして大村益次郎の最後・・・・。
鳥肌が立たねば男ではあるまい。
大村益次郎は村医者の息子
武士に取り立てられたといっても身分の低い武士。
その超人的な能力で官軍の総司令官となりましたが、出世の妬みも渦巻き
官軍内では敵も多かったのです。
軍政、兵站など
日本軍の礎をつくったのは大村益次郎ですが
大村益次郎亡き後、忖度だらけの軍隊に変貌してしまいます。
しかしながら・・・・忖度まるでナシの大村益次郎だからこそ
暗殺されてしまうのですが・・・・。
そんな大村益次郎が住んでいた場所に向かう途中
大村益次郎は長州藩だし
大村益次郎が長州藩の建物に通ってもおかしくない?
むしろ自然だと思ったのですが・・・・。
大村益次郎が大阪在住時は適塾の塾生時代だけだし・・・・。
長州藩には生まれた大村益次郎でしたが武士ではなく
身分の低い階級の出身だったし(村医者の息子だから貧困層ではなさそうだけど)
長州藩士として認められるのは約14年後であるわけで
それも大村益次郎の天才ぶりを聞きつけた伊予宇和島藩が
平民の大村益次郎を引き抜いて武士にして
そこから長州藩(桂小五郎)が大村益次郎の噂を聞いて
引き抜いてやっとこさ長州藩士にしたっていうわけなので大村益次郎の大阪在住時
つまり適塾の塾生時代はここにこれる身分はなかったんじゃないかな?
なんて推測してみるわけです。
ネット情報ではこの長州萩藩蔵屋敷跡には三條実美と七卿、中山忠光
桂小五郎、久坂玄瑞ら有名な志士も宿泊していて
あの吉田松陰も訪れるも当時は士籍を剥奪されていたので
近くの川の船に泊まったらしい。
そうなると当時、ほぼ無名の大村益次郎がここに立ち寄ったとは考えにくい?
でも前を通ったことぐらいはあるんじゃないだろうか????
そんなことに想像を膨らませる歴史ヒストリア♪
【七卿落ち】
【桂小五郎】
【久坂玄瑞】
【吉田松陰】
というわけで
【大村益次郎寓居跡】に到着!
大村益次郎の人生の軌跡を訪ねて
生まれた家、愛しい人と蜜月の町、戦った場所
そして襲撃された場所
いろいろと日本を旅してきましたなぁ・・・・。
そんな大村益次郎ファンとして
得も知れぬ達成感がありました!!!!
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