【幕末維新ゆかりの地めぐり】
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薩摩長州の連戦連勝の立役者
天才軍師、というよりは天才司令官の大村益次郎!
その大村益次郎との悲恋
楠本イネ(オランダおいね)の足跡を辿っていきませう🎵


シーボルトの娘、楠本イネは
オランダと日本人のハーフ、だからオランダおいねと呼ばれ
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岡山市では楠本イネが医業していたあたりを
【オランダ通り】と呼んでいます。
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さるるは提言します
この【オランダ通り】の名称は間違っています!


楠本イネの父親シーボルト
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オランダ人の医者であり
日本に最初の近代医学を伝えた人物・・・・というのが通説ですが
シーボルトはそもそもドイツ人なのですよ。
なので楠本イネはオランダ人との混血ではないわけで
いや楠本イネは蘭学を学んでいたからオランダ通りでも間違っていないという
そういう主張もあるわけですがシーボルトは生粋のドイツ人
医学を学んだのもドイツなのですから
シーボルトが開設した鳴滝塾はドイツ医学が根本だったと考えるのが自然です。
(蘭学=オランダの学問とは限らんわけです。)

シーボルトがオランダ人っていう間違った認識
でもそれは仕方がないことなのですよ。
楠本イネ自身、鳴滝塾の生徒達もシーボルトはオランダ人だと思っていました。
楠本イネは後年、シーボルトの息子(異母兄弟)と交流があり
その時に父親がドイツ人だったと知ることになります。
司馬遼太郎の【花神】、大村益次郎が主人公の小説での楠本イネは
記憶にない父親を求めるように蘭学を学び
父親が実はドイツ人だったことに自己存在意義が揺らぐ描写がありますが
そしたらば、なんでシーボルトは嘘をついてたの????


岡山市内からどんどん北上します。
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シーボルトは医師であり、植物学者でした。
長崎の出島で医学を教えていたし
日本の植物を1400以上採取、研究した事実から間違いありません。
シーボルトのもうひとつの顔・・・・裏の顔といいますか
その実態はオランダのスパイだったのです!

「シーボルトが国外追放になった。」
これは教科書にも載っていたかと思いますが、その原因は
日本の軍事情報、江戸城の本丸地図、樺太の測量図などをシーボルトが収集し
船で国外に持ち出そうとしたところ、その船が難破し
積荷の一部が日本に漂着、この事実が発覚し国外追放処分になります。
当時、各国が日本を植民地化しようとしていた時代ですから
もちろんオランダもそのつもりだったのでしょう。
さらに決定的なのはオランダ・インド政庁総督に宛てたシーボルトの書簡に
「外科少佐及び調査任務付き」の署名があることです。

東洋学研究を志したシーボルトは
1822年にオランダハーグへ赴き、オランダ国王ウィレム1世の侍医から斡旋を受け
オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐になります。
ドイツ人でありながらオランダ人として潜入できたのもここらへんの事情でしょう。
鎖国の日本の対外貿易窓であった長崎出島オランダ商館医として赴任することになり
ドイツ人であるシーボルトの話すオランダ語
日本人通辞よりも発音が不正確であり、怪しまれたけど
「自分はオランダ山地出身の高地オランダ人やから訛りがあるねん!」と偽ってその場を切り抜けちゃいます。
本来は干拓によって出来た国であるオランダに山地は無いんやけど
そんな事情を知らない日本人にはこの言い訳で通用しちゃいました・・・・・。


石井宗謙の生誕地に到着
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前の記事でも強調したけど
石井宗謙は師匠であるシーボルトから娘(楠本イネ)の養育を託されたのに
その楠本イネを強姦し、子供を産ませます。(鬼畜やんけ!)
シーボルト時代の同窓から破門同然の制裁を受けるのは至極当然であろう!


そんなダーティーな石井宗謙も
生誕地の村では立派に史跡として成立しています。イメージ 7

この解説に真実は記載されていません。
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石井宗謙に強姦され、生まれた娘の高子は美しく育ち
のちに母親から自身が強姦されて生まれたことを知らされた、と語った記録が残っています。
その高子も強姦され身籠るという悲劇が繰り返され・・・・。
その出産のために医学の道を諦めるしかなかったといますから本当にひどい話です。
楠本イネは娘の高子を「タダ子」と呼んでいたそうですが
その理由は【天がただで授けたものであろう】というあきらめの境地から
「タダ子」と呼んでいた理由だそうです。


その美しさに松本零士が衝撃を受け
銀河鉄道999のメーテルや宇宙戦艦ヤマトのナターシャのモデルになりました。
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楠本イネと高子は母子ともに
同じ時間、余生を過ごすことになりましたが・・・・この2人の女性の人生というものを
さるるは知りたくなった。
さるるが歴史の人物を、多分に脚色されている場合も多いけれど
その人生に触れるということは興味深い
さるる自身の生きるヒントになるかもしれないし・・・・
今の時代、ネットや本で調べれば知ることができる、でもそれは
あくまで画像や文字での理解であろう。

大村益次郎と結ばれることがなかった楠本イネ
そして娘の高子・・・・この3人が唯一、同じ時間を過ごした場所へ
伊予宇和島へ行ってみたいと思った。
画像や文字ではない情報・・・・その土地の風景や匂い
そんなものを感じたくなった。

さるるの歴史ヒストリアは
こうして無限に広がっていくのであった・・・・・!


次回、愛媛県宇和島市へ
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(たぶんYahoo!ブログ最後の歴史ヒストリアが始まる!)