【幕末維新ゆかりの地めぐり】
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愛媛県宇和島市に凝縮された
幕末維新ヒストリアも残り3回となりましたが、ちとマニアックです。
西郷隆盛や坂本龍馬や新選組も出てきませんが
大村益次郎、シーボルトの娘イネ(楠本イネ)、そして前原巧山(嘉蔵)
そして四賢侯と呼ばれた伊達宗城・・・・
幕末維新をより深く楽しむには宇和島市は必須であります!


宇和島城から車で数分
【天赦園】
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【天赦園】
国の名勝に指定されており
宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立てて造成した浜御殿の一部だそうです。
幕末に7代藩主の伊達宗紀(百歳長寿の大名)が築庭。
鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で、大名庭園で
天赦園の名は、伊達政宗が詠んだ漢詩

馬上少年過 (馬上に少年過ぎ)
世平白髪多 (世は平にして白髪多し)
残躯 (残躯は天の赦す所 
不楽是如何 (楽しまずして是を如何せん)

の一節から名づけられています。
園内には伊達家の家紋である「竹に雀」より竹を配しているのが特徴で
珍種も含め約20種もの竹や笹が植栽されていて
また、藤原氏とも関わりが深いことから、多くの藤が植えられ
藤の名所としても名高いとのこと。


この天赦園のとある場所にメーテルのシールが!
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何度もブログで前述しましたが
松本零士はイネの娘の美しさに影響されてメーテルをデザインしました。
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メーテルも幕末維新ヒストリアってことやね
イネの娘、高子はハーフの娘だからクオーターってこと?
母である楠本イネは医師・石井宗謙に強姦され高子を出産することになり
イネは「天がタダで授けたものであろう。」と「タダ子」とも呼ばれていた時期もあるそうです。
さるるがぜひヒストリアしたかったのが大村益次郎、楠本イネ
そして楠本高子なのでした。


【楠本高子】
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二宮敬作の縁により宇和島藩の奥女中として奉公として働き
三瀬諸淵(三瀬周三)と結婚する。(三瀬はシーボルト門下の医者で、二宮敬作の甥)
しかし三瀬諸淵は早くして亡くなります。
母の楠本イネと同じ道、医者の道を志しますが医師・片桐重明に船中で強姦され
高子は妊娠・・・・医者の道を断念せざる得ませんでした。
その後にかねてより高子に求婚していた医師・山脇泰助と再婚。
山脇との間に一男ニ女を授かるが、結婚7年目に山脇は病死してしまいます・・・・。
その後は叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話を受けることができ
東京で母のイネと共に暮ら余生を過ごしました。


晩年のイネと高子
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高子の父親であるレイプ野郎の石井宗謙は
ここ伊予宇和島藩に来ていたという記録はないそうですから
夫婦仲も険悪だったそうですし楠本イネは
幼い高子を連れて岡山市から宇和島市へ移り住み新生活を始めたのでしょうか?
司馬遼太郎の小説では、という前提ですが
楠本イネは大村益次郎からオランダ語を学ぶために伊予宇和島藩に赴き
そして大村益次郎に恋心を抱くようになります。

司馬遼太郎の小説では
・・・・と前置きしつつも

宇和島市の歴史案内では
大村益次郎、楠本イネは恋愛関係にあったと匂わせる
そんな一文がありましたねえ・・・・。
さるるは司馬遼太郎の【花神】を読んで大村益次郎、楠本イネ
そして高子の数奇な運命に魅かれて
こうやって愛媛県宇和島市まで旅に来たんやけどさ
真実はわからへんけれども
2人は恋愛関係にあった、と思った方がロマンがあるよね。
ね・・・・・・そう思わない?


平成24年9月に
高子の手記が公開されました。


高子の幼少期の初恋は
檜野家の丹治太という名の藩士・・・・ということまで研究され
現在も叔父ハインリヒ・フォン・シーボルトの子孫でシーボルト研究家の関口忠志を中心に設立された
日本シーボルト協会、子孫及び研究者より資料を委託されたシーボルト記念館
楠本イネの恩師で鳴滝塾生である二宮敬作の出身地
愛媛県西予市の資料館で研究が現在も進められているそうです。