【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

前回、歴史ヒストリアした

広島県廿日市市にある【残念さん】でしたが、なんと

そのすぐそばに【吉田松陰の腰掛け石】があったらしい!

さるるはそれを見逃してしまい、HKさんに委託したのですが

やはりさるる自身が行ってみたい、と

今回のホテルがすぐそばということでリベンジです!

 

前回はコチラ

広島県:廿日市市【残念社】

HKさんに委託した歴史ヒストリア

【残念さん】へDRIVE&WALK

 

この道が西国街道として交通の要衝だったなんて

なんだか驚きだね

 

この道が交通の要衝ということは

軍事的にも重要な場所ということであり、長州戦争の時は

長州軍と幕府軍がこの場所で対峙します。

にしたって狭い山道やのになー。

 

にらみ合う長州軍と幕府軍・・・。

やがて宮島で停戦交渉が成立し(広島県:廿日市市【大願寺と宮島散策】

停戦の使者が幕府軍から長州軍に向かうのですが

その使者が長州軍に狙撃されててしまいます。(涙)

その時に「残念・・・・。」と言ったことから

残念さんとして、残念社として現在に伝わっています。

 

【残念社】

詳しくはコチラ⇒広島県:廿日市市【残念社】

 

吉田松陰がつぶやいたのが発祥の

三県(広島・山口・愛媛)一望の地の鳥居のそばに

 

【吉田松陰の腰かけ石】があります。

 

江戸に護送される際、この石に座って

「三県が見える場所やん!」と言ったそうです。

 

吉田松陰は外国の脅威を唱え各地を巡り

高杉晋作や桂小五郎、久坂玄瑞など幕末の英雄を育てます。

吉田松陰が存在しなければ維新はこなかったかもしれませんね

少なくとも日本の歴史は大きく変わっていたはずです。

 

さるるも吉田松陰ゆかりの地を訪ねていきました。

大阪府:岸和田市【吉田松陰の逗留地&きしわだ自然資料館】

奈良県:五條市【吉田松陰の宿泊地と森田節斎の家】

山口県:萩市【松下村塾】

山口県:萩市【野山獄と岩倉獄】

 

【吉田松陰の腰掛け石】にさるるが座って

【さるるの腰掛け石】として歴史を上書きしときました。

 

ここで腹痛に襲われ

どうしようもなくて・・・・(以下略)

こんなさるるを

大事にしてくれる彼女さんには感謝やな!

 

狙撃されて死んでしまった

依田伴蔵って44歳、さるると同じ年齢で死んだんか・・・・。

 

依田伴蔵ってえらい人だったらしい。

宮津藩の軍監で軍制改革をするぐらいの人が使者するんやね

もっと下っ端が使者をするもんかと思ったけど

よう考えたらそれなりの立場と能力がなければ使者は務まらないよね。

依田伴蔵さん、本懐を達成できず残念だったやろうね。

 

ちなみに尼崎市にも残念さんがあります。

兵庫県:尼崎市杭瀬南新町【残念さんの墓】

 

吉田松陰の腰掛け石を北に行くと

依田伴蔵を祀る【依田神社】があります。

 

20回ちゃんと深呼吸したよ

 

宮島が一望できました。

 

前回の訪問時は不覚にも

残念社のみ集中して依田神社や

吉田松陰腰掛け石をスルーしてたからヒストリアできてよかった!

もうこの地に思い残すことはないっ♪

 

ママ、もう帰ろ。

 

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