【幕末維新ゆかりの地めぐり】
イメージ 1



長州藩とは山口県とか広島県あたりになります。
毛利家は関ケ原の戦い以降、200年以上に渡って江戸幕府の仮想敵国でした。
長州藩も長州藩で「いつか江戸幕府を倒したるわい!」って思っていて
ペリーの黒船来航以来、幕府の弱腰対応に怒った攘夷というイデオロギーに
一番敏感だったのは長州藩でした。
吉田松陰とその弟子たち(高杉晋作とか桂小五郎とか)も長州藩出身。
ちなみに【るろうに剣心】の主人公、緋村剣心は
長州藩に属しており、高杉晋作から桂小五郎の配下になる設定でしたね。



この追憶編は幕末歴史モノとして
かなり楽しめると思います。(アニメ的な演出は抑えられてます。)



ちなみにこの動画の最後に志々雄真実が出てるよ
この後に桂(明治政府)に裏切られて殺されそうになる、その前のお話。
そして桂と愛人の幾松の会話の中に愛を感じるよ。
堂々と幕府に敵対したのは長州藩だけでした。
軍事力で幕府に勝てるわけがないのに、政治思想だけが先行し
幕府に堂々と戦争を仕掛けてしまいます。
とはいえまったく勝算がなかったわけではなく、天皇を味方につけて
天皇の軍隊として認めてもらえば諸国が従うと目論みました。
天皇を味方につけるために有力な公家に近づきますが、うまくいきません。
しまいめには京都に火を放ち、天皇を連れ去ろうと計画します。
(その打ち合わせを襲ったのが有名な池田屋事件)



池田屋事件



京都を燃やして天皇を連れ去るなんざ
ハッキリ言ってテロ行為以外の何物でもなく、長州藩はテロ国家でした。
そして天皇のいる京都御所へ進撃しますが
頼りの公家たちの協力も土壇場で得られず(公家は強い方に味方するため)
薩摩藩や会津藩などに撃退されてしまいます。
ちなみに数年後、撃退した側の薩摩藩と長州藩が天皇の軍隊
すなわち官軍になるのですから歴史とは面白い。
忌み嫌い合う薩長を取り持ったのが坂本龍馬で・・・・と、また別の機会に。
なんせ長州軍は突撃しちゃいます!!



禁門の変
(さるるは蛤御門の変の方が馴染みあるけどね。)
イメージ 2



長州藩から先に攻撃したことで
天皇に逆らった賊軍として扱われ、いろんな藩にフルボッコにされ
長州藩は指導者の大半を失ったことで
その勢力を大きく後退させることとなりました・・・・・。
ちなみに長州藩は脱藩浪士たちが義勇軍として参戦していました。
イデオロギーの下に集まった軍隊でしたが
相手が会津藩(新選組も含む)、桑名藩、大垣藩、福井藩、薩摩藩・・・・
善戦しましたが勝てるわけもなく
長州藩の兵士は散り散りになって逃げます。


もちろん幕府軍は追撃、包囲網をつくり
逃がさないようにします。
日本人は判官贔屓がDNAに組み込まれているのか
当事者でない藩は概ね長州藩に同情的で
逃げる長州兵を捕えず見逃したり、町民農民も手当したりしました。
長州兵にお茶を出した、という理由で
処罰された例もあったそうですが長州人気は攘夷思想も相まって
民衆からも支持されていたそうです。
(当時の民衆は長州が京都に火を放とうとしたこと知らないし)



そして
尼崎市にやたらと長州という名前が出てくる。
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5



この【残念さんの墓】って気になって行ってみた。
軽い気持ちで立ち寄ってみたのさ。
ふむ、昔はここら辺は長州藩の大使館みたいなものがあったのかな?
義経と弁慶もここから船で逃げようとしたっていうし
港として栄えていたらしいからじゅうぶんにその可能性はあるな・・・・・
なんてさるるは愚考してみる。
こういうことを妄想ギャラクシーしながら歩くのもまたいい。



イメージ 6

イメージ 7



廃退感を感じる街並み
いいぞ、こういうのが好きなんだよな
華やかな街並みもよい
しかし人生に疲れ果てて逃げるように始めた旅行
あれから何年も経ったけれど
さるるにとって旅行とは未知であり逃避であり廃退であり
街中にある廃れていく風景に共鳴し
そのままさるるも風景の一つとなってしまいたいなんて
廃退を愛してみたりするのだ。
つげ義春の【ゲンセンカンの主人】の世界に憧れたせいもあろう。
若い頃にああいうものを読むと歪むのかもしれない
ふむ、余談が過ぎた。



残念さんの墓
イメージ 8

イメージ 9



【残念さん(山本文之助)の墓】
京都からの敗走した山本文之助は尼崎藩に捕らえられ取調中に自決しました。
自決の際、「もし墓を参ってくれれば、ひとつだけ願いをかなえよう。」
そう言い残して自決したそうで、尼崎藩の建てた墓には
当時の「長州びいき」の流行からか
大坂からの参詣人が押し寄せ、やがて死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので
「残念さん」と呼ばれるようになりました。


なんてことだ
ここは立派な幕末維新ヒストリアだったのだ!
今年は幕末維新から150年
死してなお、150年間も残念さんと祀られているんですね。
すごいことやなぁ・・・・・。


さるるもお墓を立てることができたら
残念さんみたいになろうと思ってみました。
ご利益があるかどうか
そんなことはないだろうけど、少しでも誰かの拠り所になれるような
死してなおそういう存在でありたいと思いました。
しっかしこれって傲慢な考え方やね
残念さんのような生き方をしてるわけでもないさるるがね
おこがましいと思いますけど
けっこう真面目に考えているんですよ。
想像してみてくださいよ、何百年後も誰かが参ってくれる
「幸せになれますように」って
根拠なくても人々が参ってくれるんなら、さるるだってさ
張り切って(って死んでるんだけど)
その人の幸せを願ってあげたいと思うんよ。



そして尼崎道場へ
(歴史ヒストリアし過ぎて遅刻した!)
イメージ 10



道場の下に焼き鳥屋さんがあるって
これはヤバい道場だな~♪なんて思ったのでした。
稽古帰りに飲んで帰りたかったよ。