【幕末維新ゆかりの地】
長州藩の政治的敗北の象徴
【七卿落ち】
【七卿落ち(しちきょうおち)とは?】
薩摩藩・会津藩などの公武合体派が画策した八月十八日の政変で
失脚した尊王攘夷派の7人の公家が京都を追放され長州藩へと落ち延びた事件です。
★追放された公家さん★
三条実美(27歳:従三位権中納言)
三条西季知(53歳:正二位行権中納言)
四条隆謌(36歳:従四位上行侍従)
東久世通禧(31歳:正四位下行左近衛権少将)
壬生基修(29歳:従四位上行修理権大夫)
錦小路頼徳(27歳:従四位上行右馬頭)
澤宣嘉(28歳:正五位下行主水正)
この7名は長州藩兵に付き添われて
妙法院に集結した後兵庫津を経て、海路で長州藩の三田尻港(山口県防府市)へ。
途上悪天候のため
ここから陸路、三田尻に向かいました。
その後、錦小路頼徳は1864年に病没
澤宣嘉は生野の変で挙兵したのちに脱出して四国伊予小松藩周辺に匿われた後、長州に脱出。
残る五卿は第一次長州征伐の後に太宰府に移ります。
王政復古の大号令の前夜に朝議にて赦免、官位や諱が復されると
澤宣嘉は外務卿、三条実美は太政大臣や内大臣、三条西季知は参与や神宮祭主(ようわからん役職やな!)
東久世道禧は枢密院副議長や貴族院副議長となるなど明治政府の要職に就きました。
鞆の浦にも立ち寄っています。
何度か鞆の浦に来ているのに
まったくのノーマークだった・・・・。
坂本龍馬に関連した幕末維新ヒストリアはしたのですが
今回の旅でたまたま発見しました。
いま気づいたけど何年も前の
【いろは丸事件】とか記事にまだしてないことに気づいた!
近々、記事にしなければ・・・・!
とにかく今回は【七卿落ち】なのです(*'ω'*)
【太田家住宅】
「中村家」の屋敷で明治時代に太田家の所有となり
瀬戸内海の近世商家建築を代表するとして
1991年に国の重要文化財指定を受けました。
京都を追われて長州に逃亡する際(七卿落ち)
および翌年の1864年に長州から船で京都に上る際に
鞆港に上陸して太田家住宅に宿泊しました。
ここにお泊りしたんやな~!
【さるる史観満載の歴史ヒストリアはコチラ!】