MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

今日、日本初上映となる『悪魔と戦うキューバ人』を国立映画アーカイブで観てきました。

 『悪魔と戦うキューバ人』(1971年)日本で初上映 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

すでにビデオやYouTubeで観ていたものの、スクリーンで見るクリアな修復映像からは今まで見えなかった人達が映っていたし(下の場面)、日本語字幕のおかげで、気に留めていなかった歌詞の意味を知って〈17世紀のキューバ島の住民はこんなことを思っていたのか!?〉と(フィクションながら)新たな発見があり、作品理解が進みました。

      

 

さて、本作は多くの日本人観客にとって非常に分かりにくい内容だと思われます。

公開当時(1971年もしくは72年)キューバ人にも理解されなかったそうです。

私は、今年に入ってから今日の鑑賞のため、解説記事をいくつも読み直したのですが、難解…。そんなとき、たまたまフェルナンド・ペレス監督が本作について語っている映像に出会い、彼の解説が最も分かりやすく、腑に落ちたので、以下に紹介します。

 

ちなみに、本作はペレス監督にとって長編フィクションの助監督デビューとなった作品。

 

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フェルナンド・ペレス監督による『悪魔と戦うキューバ人』解説

 

本作は、概念的でキューバの観客には理解されなかったが、アレア監督にとっては非常に大事な作品であり、監督の気持ちの揺れが伝わってくる。

 

背景には、革命に対する疑問が蓄積された時期があった。

例えば、アレアが居合わせた〈同性愛者の大学追放〉、グラン・サフラ(砂糖黍収穫一千万トン達成目標)の失敗、フィデルの「チェコ侵攻事件」支持、生産組織の軍隊化、教条的空気など。

 

この映画が示唆する〈キューバ人の戦い〉は〈ドグマ〉対〈自由〉、すなわちキューバの歴史における〈イデオロギー的不寛容〉対〈思想の自由〉を描いている。

優勢になるべきは、真の革命的精神だ。

 

アレアが本作の構想を抱いたのは、1964年始め(Marysol注)。

時代遅れの倫理が、思想や感性の自由を裁こうとしていた。

生の要素に汚染されない〈完璧な人間〉の創造が熱望されていた。

 

ファン・コントレラスは〈完璧な人間〉の真逆のタイプ。

彼は、マヌエル神父が象徴する閉鎖的な世界のドグマと対立し、自由を擁護する。

それだけでなく、感性の自由、キューバ人の官能的な特質も擁護する。

   

ファンは農場主だが、はみ出し者、(道徳・宗教上の)罪人、汚れた者たちの側にいる。

彼らは失うものがない代わりに、隠し事や倫理的な裏表(ドブレ・モラル)もない。

ファンが除け者たちに屋敷を開放し、そこであらゆる感覚が解放され、とりわけ道徳主義のない自由の場となるシーンは重要だ。

そこからファンはすべてを捨て、彼が内に抱える数々の疑問の答えを求めて出かける。

どこへ? なんと売春宿へ。

そこで偉大なる売春婦は、燃え上がる火の中にキューバの過去と現在と未来をサブリミナルに精製して見せる。そして、答えではなく、いくつもの問いをファンに語る。

 

水面から姿を現したファンは浄化されている。歴史の過去、現在、未来を紡ぐために。正々堂々と、明知を得た人のように。ドブレ・モラル(二重道徳)や偏見やドグマとは無縁に。

アレア監督はファンと同化もしくは近しく感じていたと思う。

   

    トマス・グティエレス・アレア監督

 

ポルトガル人(密貿易者)も教会の唱えるドグマとは無縁の人物だが、生き返り、その後に起きることを示唆している。

 

関連記事

解説『悪魔と戦うキューバ人』(マリオ・ピエドラ教授) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

ビットリオ・ガラッティと『未完のスペース』(ドキュメンタリー) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

去る12日にミラノで亡くなった建築家、ビットリオ・ガラッティ(写真は2014年撮影)の名は、キューバではよく知られています。

なぜなら、この屋根が特徴的な国立芸術大学(以下、ENA)の音楽科と舞踏科の校舎の設計者だからです。私は行ったことがないけれど、憧れの場所のひとつ。

   

 

さて今回なぜガラッティに注目したかというと、今月末に日本初上映となるキューバ映画『悪魔と戦うキューバ人』にも美術面(17世紀の村の再現セットと思われる)で参加していたから。

そして、調べるうちに判明した事実が、まさに『悪魔と戦うキューバ人』のテーマ(イデオロギーの悪用)と重なったからです。なんとも不幸な一致ですが…。

 

〈ユートピア建設の理想〉に燃えた60年代から〈灰色の時代〉の70年代へ。

この歴史の不条理を象徴するかのような(未見なので誤解かもしれませんが)ドキュメンタリーのトレーラーにも遭遇したので、ネットから得た情報を加えて、以下に〈キューバにおけるガラッティの足跡〉をたどってみました。

 

Unfinished spaces(仮:未完のスペース)』2011年/ドキュメンタリー

トレーラー(英語字幕付き)

2人目に登場する方がビットリオ・ガラッティ。

3人目はリカルド・ポロ。

1人目の方は見覚えがあると思ったら、画家のマヌエル・ロペス・オリバ氏でした。

 

ビットリオ・ガラッティと『未完のスペース』または「未完の革命」

 革命勝利後、ブルジョア階級のための場所だったカントリー・クラブでゴルフをしたフィデルとチェは「ブルジョアがいなくなったゴルフ場に〈第三世界の若者たちのためのアート・アカデミー〉を建てよう」と考えた。このアイディアを託されたのが、革命勝利後にベネズエラから帰国したリカルド・ポロ。彼は仲間のイタリア人、ビットリオ・ガラッティとロベルト・ゴッタルディを誘い、芸術大学の校舎をデザインする。1961年のことだった。

 

フィデルは言った。「キューバに世界で最も美しい芸術学校ができるだろう」。

ガラッティ:「革命のように開放的な作品になるはずだった」

 

3人は3つの原則を決めた。

1,ワイルドで変化に富む周囲の景色と建物の統合。

2,レンガとテラコッタの瓦の使用

 (米国による経済封鎖後、鉄やセメントに比べ最も安価な材料だった)

3,基本的な建築要素をカタルーニャのアーチ形屋根にする。

その特異な形態は、世界的標準と化した幾何学的で“資本主義的”な建築と対極を成すだろう、と考えたのだ。また、そこには当時の楽天性や熱気が反映されていた。

 

命が社会を新しく作り直すように、3人は学校の建築を作り替えようとした。

 

ところが翌1962年の「ミサイル危機」を機に予算の見直しが行われた。

斬新でユートピア的な建物は無駄遣いと見なされ、〈ブルジョア趣味〉だとか〈政治的に正しくない〉と不評さえ浴びた。建築においてもソ連スタイルが勢力を伸ばしつつあった。

 

1965年、遂に学校建設は放棄され、資材の一部は他の建設に利用された。

3人の夢は未完のまま、設計プランは実用的なものに変わった。

 

1966~67年、ガラッティは、モントリオール万博のキューバ館のデザインに従事。

68~70年にかけては、ハバナの都市開発の指揮をとった。

そして71年にアレア監督の『悪魔と戦うキューバ人』に関わる。

ちなみに71年からキューバの文化・イデオロギーがソ連化(硬直化)し「灰色の時代」が始まる。

1974年、スパイ容疑で20日間拘留された後、強制出国処分となる。

リカルド・ポロもパリ(1966年に移っていた)で亡命した。

 

それから40年近くが経ち、2012年、ENA建設プロジェクトに対し「ビットリオ・デ・シーカ建築賞」が3人の建築家に授与され、学校は国の文化財に指定された。

だが、ENAの校舎は使われていたものの、劣化が進んでいた。

 

2014年、フィデル(またはキューバ政府)は〈未完の夢〉を達成させるべく3人を呼び戻す。

2019年、イタリア政府は学校再建のため2,500ユーロを寄付。

 

本作(2011年)が、上に書いた内容とどこまで一致しているかは(未見ゆえに)分からないが、現実に建物を完成できたのは、ポロ(現代舞踊科と造形美術科の校舎)とゴッタルディ(演劇科)で、ガラッティの設計した校舎は未完のままらしい。

 

某映画批評:「本ドキュメンタリーは、3人の革命的建築家の闘いと情熱を考証している」

 

Marysolよりひと言

ドキュメンタリーは未見ながら〈革命的〉人物とはどちらでしょうか?

”ブルジョア趣味を押し付けようとしている”という意見の持ち主? 

それとも、経済封鎖のなかで創意工夫をこらし、独自のアイディアを具現化しようとした建築家たち?

 

それを考えることは『悪魔と戦うキューバ人』のテーマにつながるはずです。

ガラッティにとっての「未完のスペース」が、アレアにとっての「未完の革命」のように私には思えてなりません。

昨日16日に訃報が伝えられた「世界一美しい」イタリアの女優ジーナ・ロロブリジーダ(享年95歳)。

    

 

キューバの映画研究家ディーン・ルイス・レジェス氏のFB投稿によると、伝説的女優は1970年頃フィデル・カストロにインタビューし、ドキュメンタリーを撮っていたのでした!
タイトルは『Rittorate di Fidel(フィデルの肖像)》1972年、50分

しかも、投稿のコメント欄には〈二人のツーショット〉まで掲載されていたので、検索してみると、ありました、ありました!

     

 

写真だけでなく、関連記事も見つけました。

こちらの記事によると、彼女はモスクワで詩人のエフゲニー・エフトゥシェンコを撮影したあと、フィデルの写真ルポルタージュをしたいと大使館を通じてキューバに伝え、実現したとのこと。フィデルとは10~12日いっしょに過ごしたそうです。

記事を読むと、フィデルの印象がとても良かったこと、(極一部ながら)インタビュー内容にも触れられています。

 


ちなみに、この記事では「政治リーダーとしてではなく、一人の男性としてフィデルに興味をもった」と言っています。

それにしても、ジーナ・ロロブリジーダは、世界的な女優であったうえに、写真家、リポーターとしても活躍し、「タイム」「ライフ」「ヴォーグ」とも仕事をしたんですね!

こちらのサイトでは、キューバで彼女が撮った写真が見られます。

とても良い写真ですね


謹んでご冥福をお祈りします。

今頃、天国で再会しているでしょうか?
 

今年のキューバ映画は、さらなるインディペンデント作品の活躍が予想されます。

以下に紹介するテキストは、2010年の「キューバ映画祭inサッポロ」のプログラムのために、マリオ・ピエドラ教授が寄稿してくれた文章。

 

あれから10年以上が経ち、2019年から20年には検閲が原因の波乱があり、新たな展開が起きていますが、とりあえず〈1959年から2010年までの大まかな流れ〉としてブログで公開します。

 

キューバの文化政策と映画     マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)

 

1959年の革命勝利後しばらくの間、キューバでは文化政策が規定されることはなかった。つまり、文化の制作・流通・交流・用途・消費の関係を統制するような動きは起きなかった。

始動したばかりの革命体制下では、文化の役割、創造の自由の範囲、それらと国家の役割について各々の立場から多様な姿勢が共存していた。

 

1961年6月になって初めて革命政府により文化政策が設けられた。因みにその公的効力は今も失われていない。当時、新生政府は芸術的創作に関する自らの立場を確立するため、官僚およびアーティスト・知識人を招集し一連の集会を開いた。閉会時、首相にして革命の紛れもない指導者フィデル・カストロは、アーティストやクリエーターの表現の自由の権利について、国の文化政策の基本方針となる言葉を発した。「革命の内にはすべての権利があるが革命に反すれば一切ない」と。

 

このフィデル・カストロの言葉は、いざ政策を規定する段になると極めて曖昧だ。何が革命の「内」で何が「反対」なのか。これまでの我が国の文化政策はその解釈のいかんに依ってきたと言える。従って一枚岩的な唯一の文化政策というものはなく、むしろ様々な解釈が存在し、時と場に応じて変わってきたのである。

 

それぞれ異なる複数の姿勢が、対立や論争が無くはないものの、共存し得た理由はこの事実にある。例えば、ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)では、創造の自由の許容範囲が比較的大きかった。他方、旧ソ連色の濃い教条的(ドグマチック)でセクト的な姿勢も併存し、こちらの方が他の文化的活動やキューバ社会全体では優勢だった。

 

ICAICは公式の文化政策を尊重しつつも、より柔軟で幅広い解釈を(特に組織内で)擁護・維持してきた。そこから自律性の高い作品が生まれ、国内外で威信を高めてきたのである。具体例を挙げると、映画界とテレビ界では長年に渡り姿勢が異なってきた。ICAICが製作した映画で理由不明のまま禁止処分になった作品は多く、テレビで放映されていない。

 

文化政策をソ連流に教条的に解釈する立場が(全盛とは言わずとも)最も優勢だったのは、「灰色の5年間(1971~76年)」と称される時期だ。この間「反革命」と解釈し得る範囲が著しく拡大し、性的嗜好や宗教的信仰の領域にまで土足で踏み込んだ。一方「革命の内」と見なされるには政府の取り決めに忍従せねばならず、批判や些細な姿勢の違いが入り込む余地はなかった。その結果、不信感が漂い芸術的制作が萎縮してしまった。演劇や文学のように荒廃してしまった分野もある。ところが映画の場合、影響を免れはしなかったものの、他と比べると「灰色の5年間」の支配的立場は遥かに弱かった。その証拠に、キューバ映画のなかで最も批判性と反骨精神に富む作品のうち何本かはこの時期に撮られている。

 

1976年に文化省が創設されると、「灰色の5年間」の暗い影は後退していった。しかし、独立機関としてのICAICも姿を消すこととなり、新設された文化省内の「映画領域」として位置づけられた。ICAICは他の多くの分野同様、単なる付属機関と化したのである。

 

それでもしばらくの間は、文化政策に対し「映画領域」はなんとか独自の立場を維持していた。だが、それも映画『セシリア』(1981年)に端を発した教条派からの攻撃によって挫かれた。「独立性」は大きく損なわれ、その影響は80年代のキューバ映画に明白に反映し、

薄っぺらなコメディや凡庸な作品を生んだ。

 

80年代末、一連の決定的な変化により、映画は再びある程度の「自立性」を回復する。それにより数年前には不可能だった作品が出現した。『不思議の村のアリス』(1990年)は、またしても教条主義者や狭量な人々の間で非難を巻き起こした。だが「危機」の中からICAICは蘇り、固有の強い姿勢を取り戻す。そして90年代を通して『苺とチョコレート』のように反抗と疑問を呈する作品が数多く誕生した。

 

とはいえ90年代(およびその後の20年間)の最大の特徴といえば、組織に依らない映画製作の登場である。この現象を担ったのは若者たちで、彼等は低予算で撮れるビデオの可能性に群がった。その一方でICAICの映画は、ほぼ全面的に外国との合作に転じた。

 

こうした動向と芸術的・知的制作への寛容さが相まったところに21世紀の映画製作の輪郭は現れる。「若手監督作品上映会」や「国際新ラテンアメリカ映画祭」に向けて製作・上映される作品は、今日でも革命の「内」か「反対」かの境界を問う試金石だ。

今、創造への新たな段階が開かれている。           (訳:寺島佐知子)

 

Marysolによる追記

残念ながら「若手監督作品上映会」は、この映画の検閲事件を機に消滅。

そのため2019年が最後になります。

明けましておめでとうございます。
新年にふさわしく、おめでたいニュースで始めましょう!

革命が生んだキューバ映画。その最も重要な監督、トマス・グティエレス・アレアの『悪魔と戦うキューバ人(原題:Una pelea cubana contra los demonios)』(1971年)が、日本語字幕付きで今月末から3回上映されます!

アカデミー・フィルム・アーカイブ 映画コレクション | 国立映画アーカイブ (nfaj.go.jp)

 

ポスター


11    悪魔と戦うキューバ人 (上のサイトより転載)
Una pelea cubana contra los demonios
(122分・DCP・白黒・日英字幕付 with English subtitles)

2023年1月29日(日) 1:00 PM@小ホール 

2023年1月31日(火) 7:00 PM@小ホール 

2023年2月3日(金) 3:00 PM@小ホール

1971(キューバ:ICAIC)(監・脚)トマス・グティエレス・アレア(原)フェルナンド・オルティス(脚)ホセ・トリアーナ、ビセンテ・リベルタ、ミゲル・バーネット(撮)マリオ・ガルシア・ホヤ(美)ヴィットリオ・ギャラッティ、ペドロ・ガルシア、エスピノサ、ロベルト・ララビュウ(音)レオ・ブローウェル(出)ホセ・アントニオ・ロドリゲス、ラウル・ポマレス、シルバノ・レイ

『苺とチョコレート』(1994)でアカデミー賞外国語映画賞(現在の国際長篇映画賞)にノミネートされたトマス・グティエレス・アレアは、革命後のキューバを代表する映画作家。本作では、17世紀のスペインによる占領や狂信的な神父に対して反感を抱く地主のフアンを、その後の300年にわたる独立闘争に連なる革命的人物として描き出した。シネマテカ・デ・クーバとAFAの友好関係を活かした共同作業により、2016年に復元された版での上映。

Marysolより
本作については、拙ブログでも紹介済みですが、キューバでダビングしてもらったビデオテープは画像も音声も悪く、セリフが聞き取れないシーンもあったので、クリアな映像と日本語字幕付きで見られるなんて夢のようです。
  


★ストーリー紹介と解説

『悪魔と戦うキューバ人』1971年 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
 

解説『悪魔と戦うキューバ人』(マリオ・ピエドラ教授) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp) ※ コメント欄もぜひご覧ください。

  

見どころ
①「海賊」というと海上での略奪行為が描かれがちですが、本作では〈ある日いきなり海から上がってきて略奪や乱暴の限りを尽くす無法者たちの恐ろしさ、野蛮さ〉が衝撃的。
 ※ バッカニア - Wikipedia → ブカネロ

② 歴史的事実と制作時のキューバ
マリオ先生やその他の研究家が「過去を舞台に今(1960年代末から1970年)を語っている」とか「イデオロギー利用を暴いている」と指摘していますが、私は国民を総動員した「グラン・サフラ(サトウキビ1千万トン収穫目標)」とその失敗(経済的破壊)を重ね合わせてしまいます。  ※ 参考映画:一千万の闘い

企画の趣旨やチケット購入など詳細はこちら:

アカデミー・フィルム・アーカイブ 映画コレクション | 国立映画アーカイブ (nfaj.go.jp)


拙ブログ関連記事

米国=キューバ、ネガフィルム修復プロジェクト | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
 

あと15分ほどで2022年が終わります。

駆け込みで投稿。

今年 逝ったキューバのパブロ・ミラネスとブラジルのガル・コスタのデュエットで

「Amame como soy(ありのままの私を愛して)」

良き時代の終わりを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 

今年後半は、キューバよりも自国=日本の劣化が心配で、ブログもあまり更新できませんでした。

 

投稿しそびれた事は多々あるものの、ひとつどうしても書き留めておきたかったこと、それは、ドイツのカッセルという都市で5年に一度開催される世界最高峰の芸術祭「ドクメンタ」に、キューバから多くの〈インディペンデント・アーティストたち〉が招かれ、連日のようにトークイベント等が行われたこと。(彼らはキューバ国内では活動できない状況にある)。

 

  

  右端はキューバ側のキュレーター、タニア・ブルゲーラ(INSTAR主催者)

 

もちろん、独立系映画(キューバでは公開されない作品群)の上映会や監督たちのトークイベントも行われました。

  

右からカルロス・キンテーラエリエセル・ヒメネス・アルメイダホセ・ルイス・アパリシオミゲル・コユーラアレハンドロ・アロンソ

今後の活躍が期待されるキューア独立系映画人たち

参考記事:Muestra de cine cubano independiente se exhibe en Alemania | OnCubaNews

 

詳細は追い切れていないのですが、〈キューバ映画〉といえば、今やインディペンデント映画の時代であること、ただし作り手のほとんどが国外に移住せざるを得なかったことを確認しました。写真の5人のうちキューバに残っているのは、ミゲル・コユーラ監督だけ?

 

そのミゲル・コユーラの新作『ブルー・ハート』は、昨年のモスクワ国際映画祭を皮切りに、今年もポツポツと各国の映画祭で上映されました。しかも、在キューバ・ノルウェー大使館の夜間屋外上映イベントでも上映され、約200人の観客を集めました!

 

関連記事 

「美術手帳」サイトより

今回のドクメンタでヨーロッパに注目してもらえると期待をかけている団体もある。「あいちトリエンナーレ2019」参加作家でもあるキューバのタニア・ブルゲラが2015年に設立したINSTAR(ハンナ・アーレント芸術活動研究所)は、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブではない、本当のキューバの姿をヨーロッパの観客に見せたいという。キューバでは政府の許可がないアーティストの活動は抑圧されており、今回の展示で危険に晒される可能性もある。しかしこの出展によりヨーロッパからの関心がひければ、彼らを守ることになるかもしれないというのだ。

ミニ・スカートと言えば、ツイギー。


 

彼女が来日した1967年、私は中学1年生。
すでにミニは流行り始めていたと思うけれど、短いスカートは子供服のイメージで、大人の女性のスカート丈はひざより下、ふくらはぎの上あたりだったから、最初の印象は「大人のくせに小学生みたい」。

でも〈若さ〉と〈新しさ=進歩〉がもてはやされた時代だったから、すぐに目が慣れ大歓迎!
スカート丈はどんどん短くなっていき、私服通学だったので、駅の階段を上るときは、下から見えないよう、お尻のあたりを通学カバンでガードしたものだった。

ファッションも音楽もロンドン発で、ユニオンジャックが人気の柄だった。

そんな時代が懐かしくて、「マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説」を観に行ってきた。
商品は知っていても、彼女のことなどほとんど知らなかったし。




映画を観て、最初に驚いたのは、50年代から活躍していたこと!
(3歳ですでに洋服に目覚めていたことも!)
次に、彼女が生み出すファッションに込められていた思いや反抗心。
マリー・クワント自身の魅力(容姿も含めて)。
ほかにも色々あったけど(そうそう、〈可愛い〉は日本じゃなくて、マリー・クワントから始まったのでは?)、最終的には、彼女が女性を生き生きと輝かせてくれたことに感謝しかない🌸
そして「年齢など気にせず、好きなものを着ればいい」というメッセージに改めて励まされた!
ありがとう、マリー・クワント。I will👍


映画のあと、B1に降りて「マリー・クワント展」を見た。


展示されていた洋服たちは、今見ても古さを感じないし、ワクワクした。
で、マリーの精神を忘れないために、これを買って、部屋の壁に貼った。



イギリス発の文化革命。その原点にマリーがいた🌸

〈文化には世界や社会を変えるチカラがある〉

そう私が信じる根底には、マリーたちの存在があった。


前の投稿で「ハバナ映画祭が始まった!」とFBではしゃいだら、「政治犯や検閲を忘れないで」とキューバ系の方からコメントがあったこと、それでも私にとって〈キューバの映画館は人々が本音を出せる特別な場所〉と思えることに触れましたが、それを証明するような出来事が今回の映画祭でも2つありました。

 

ひとつは、フェルナンド・ぺレス監督(キューバの映画ファンから絶大な支持を得ている)の自作紹介の挨拶と観客の反応(賛同)

 

 

ペレス監督(スペインからリモート)の発言内容

『El mundo de Nelsito(ネルシートの世界)』は、“ジグソーパズル”になっています。

様々な話法で構成されているので、最初の15分間は「いったい何の映画だ?」と思われるかもしれませんが、席を立たないでください。ラスト近くになれば、きっとピースが組み合わさるはずです」

観客:笑い

 

『ネルシートの世界』は空想の世界です。

思うに、誰もが固有の空想世界をもっているはずです。なぜなら現実の世界がうまくいってないから。

私も空想の世界が必要だし、もっており、それを表現しようとしました。

それは、戦争のない世界、人間よりも地政学的利益を優先して大国が小国に踏み込まない世界、経済封鎖がない世界、不平等がない世界、メキシコ湾や地中海にボートピープルのいない世界、壁を超えるために密林を横断しなくてよい世界、検閲のない世界

観客:拍手

 

よって、排斥や分離のない世界、意見が違うという理由で…

観客:拍手

 

私は78歳になったところで、孫がいるお爺さんです。

我々“爺さん達”が孫たちに〈ただ一つの考え方〉を押し付けることのない世界を想像します。

観客:拍手、「ブラボー!」の声

 

私が空想する世界を私が生きられるかどうか分かりません。

でも私はよく孫たちに質問するので、それをシェアしたいと思います。

トニート(12歳)

 君は今我々が住む世界、戦争がなく、平等で、平和な世界は可能だと思うかい?

トニート:はい、可能だと思います。

 

もうひとりにも訊いてみよう。マノーロ(15歳)、君もそう思うかい?

マノーロ:はい、思います。おじいさん。

 

監督:私もそう思っています。どこにいようとも、私は夢を見続けます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

もうひとつは、オープニングセレモニーに登場した若手女優アンドレア・ドイメアディオスの問題発言。(ここで聞けます)

       

観客に向かって

「皆さんは会場に来たばかりだけど、私は朝10時からいて、寒くて寒くて震えています。寒いのが苦手なのに、キューバに残りたい唯一の女優です。ま、仕方ないですね。すべて節約だから。ICAICも俳優のお給料を節約してるようにね」

 

そして、政府要人の紹介でロヘリオ・ポランコ共産党イデオロギー部長に対し、「私はいつも、この部署では何の話をしているのかしら?と不思議に思っていました」と。

 

ちなみに、アルピディオ・アロンソ文化大臣のときには、会場からブーイングが聞こえたとか…。

 

それにしても、若い世代は怖がらずに”主張”するようになっていますね。

ペレス監督がそういう若い人たちを応援していることは頼もしい!

 

追記(12月9日)

今朝の日経新聞のコラム「春秋」で、中国のゼロコロナ対策に対する抗議デモについて〈服従が条件づけられたかに見える国で、反発の声をあげる勇気に驚かされる〉と書かれていましたが、私も反発の声をあげるキューバの人たちに尊敬の念を抱くからこそ、記事にしています。

それに引き換え、服従が条件づけられてるわけではないのにおとなしい私たち日本人…見習うべきですね。