MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

新年最初の投稿は、革命後のキューバ映画で最も重要な監督、トマス・グティエレス・アレアが、義理の息子に送った手紙を要約を交え、部分的に抜粋して紹介します。

下線はMarysolが加えたもの。

手紙が書かれたのは、1991年10月27日。当時アレアは62歳。

愛妻ミルタ・イバラの連れ子のサウリウスは21歳でした。

尚、アレアの書簡集を見ると、同年1月と2月に「サウリウスの仕事のことが心配だ」とミルタに書いているので、その延長線上で書いたアドバイスのようですが、ここで紹介する理由は《アレアの革命観と人生観》が書かれており、しかも『低開発の記憶』にも通じると思ったからです。

サウリウスへの手紙 1991年10月27日 
*冒頭部分の要約
アレアとサウリウスが親子になって以来、二人は互いに難しい時期を過ごしてきた。しかも、サウリウス誕生後のキューバ社会は非常に複雑で、あらゆる緊張と挫折をはらんでいる。

だが、革命は歴史的必然だったのだ、とアレアは説く。 
そもそも対スペイン独立戦争が、略奪と惨めな暮らしからの解放という歴史的必然だった。その独立戦争が多くの犠牲と引き換えに勝利を目前にしていたとき、アメリカが介入し、より強力な支配者になり替わった。しかも、アメリカは略奪に加え、キューバ人を軽蔑していた。こうして独立戦争の結果は、国民にとって大きな失望となった。
米国の略奪を歓迎する少数者には金銭的に恩恵があったが、大部分にとっては貧困と悲惨しかなく、汚職が増加した。この耐え難い状況を変えようと、多くの者が犠牲を払って闘った。その頂点が1959年の革命勝利だった。


君はまだ生まれていなかったが、私は30歳だった。私も革命のために闘い、命を危険にさらした。我々は望みを達成した。その当時、我々は短期間で国を変えられると信じていた。熱狂していた。我々当時の若者たちは、自分たちが強力で無敵だと感じていたし、正しいと分かっていた。我々を服従させようとする、あらゆる試みに打ち勝つエネルギーがあった。ヒロン浜侵攻事件の勝利やミサイル危機、そのほか多くの場面で、我々の主権を再確認したものだ。高揚と勝利と希望のときだった。激しく生き、幸福だった。世界一の強国から自由を勝ち取った、この小国を世界中が賞賛した。そして、外国から多くの若者が革命のために働こうとキューバにやって来た。そうした人々のなかに君の父親がいた。そして君の母親は、わずか15歳で家を離れ、オリエンテの山村に行き、農民たちに字を教え、彼らの生活改善に貢献した。まだ子供だった君の母親も、自分たちの行いが正しく、人の役に立っていると知っており、闘い、危険を冒し、そうやって成長し、大人になった。実に美しい時代だった。君は両親を誇りに思ってよい。
だが、君はまだ生まれていなかった。君が生まれるのは、その数年後。あの奇跡を可能にした者たちは、あまりにも強く無敵だと感じるあまり、歴史的発展の法則を飛び越えられる、計画するだけで理想の国家を達成できると思い始めた。そして、経済の失敗が始まった。有名な「砂糖黍一千万トン収穫計画」の失敗は、君が生まれた年だった。
 多くの過ちが犯された。なぜなら、人間は衣・食・住を得て、性交し、その他の動物的欲求を満たすだけの生きものではないことを考慮しなかったからだ。
 人間とは、もっとずっと複雑に思考し感じるものだ。他者のために闘い、人生を犠牲にできる一方で、日々の生活による無数の問題に押しつぶされて不幸にもなる。社会がうまく機能していないと、問題の解決は決して容易ではない。
 不正、悩み、苦悩、悲しみに沈んでいるとき、「人生は何のためにあるのか?」と自問するときが必ず来る。そしてこれ以上の答えは見つからない。「人生の意味は、人生を生きること」。人は生まれ落ちた時代とその状況を生きねばならない。美しくもなり得るが、地獄と化すかもしれない。そして、人はそのことに大きな責任がある。最悪の状況にあっても、人生を偉大なものにできるかどうかは、本人次第だ。


*このあと父と息子としてのすれ違いについて言及。


 人生には困難な時があり、独りになることがあるが、それは必然的であり、必要なことで、自分自身と向き合うことを学ぶ必要がある。
そして、自分自身に満足できないことほど辛いことはないが、その辛さには良い点もある。我々の状況を改善する手助けになるからだ。悪かったことは過去に置いておき、良い特性を発展させる手助けになるのだ。
 私は過去を振り返り、自分が犯した数々の過ちや行いが目に飛び込んできたとき、自分が誰かにひどいことをしたとき、弱さや卑怯さから真実に立ち向かわなかったとき、誰かに対して判断を誤ったとき、願わくば、足跡をたどって、それらを正したい。だが、それが叶わないのは分かっている。我々がとった行動は我々の内にあり、消すことはできない。ほかの誰も知らなくても、自分たちは知っている。だが、すべてがそうであるように、その不快さにも良い面がある。なぜなら、我々の精神を強くする手助けになるからだ。そして、また同じような状態になったとき、今度は違う行動をとることができる。堅い意志、誠実さと勇気をもって。そうすれば、自分自身に対して、より安らかでいられるだろう。

*サウリエスが小学校で規律を乱す行動に加わり、両親が呼び出されたとき、彼が最初に責任を認めた逸話を褒めると同時に、その誠実さと勇気が己を強くすると説く。

時に世界がおかしくなり、何も分からなくなるときがある。

人間が卑小化し、まるで人間の条件より動物の条件が幅を利かせているような時がある。我々はそのような時を過ごしており、日毎に何もかもが理解不能になっている。

唯一の救いの道は、世界と我々自身を理解しようと努めること。そして、世界と我々自身をより良くしようと闘うことだ。

   

   

   手紙から4年後、米アカデミー賞授賞式の写真と思われます。

  左からサウリウス、ミルタ、アレア監督

 

今年のキューバは、〈平和時の非常時〉と呼ばれた1990年代始めの頃と同じくらい危機的状況だったと言われました。

経済不振や若年人口の移民による人口の高齢化に加え、電力施設の老朽化にハリケーンや地震が追い打ちをかけ、キューバ全土で長時間に及ぶ停電が多発しました。

 

私がフォローしているキューバ人のFBで「1日12時間の停電が90日あったとすると、我々の1年は10カ月から11カ月にしか相当しなかったのではないか?暗い廊下を歩く姿はまるでゾンビのようだ」と書かれているのを読み、身につまされました。

この苦境が来年に持ち込まされませんように。

 

昨年12月のエドムンド・デスノエス死去の痛手がまだ癒えない今年1月、私のキューバ映画の恩師、マリオ・ピエドラ先生が急逝されました。

  

 

2人を失った喪失感は、今も尾を引いていますが、ブログを書くことで、これからも先生やデスノエスと対話し続けていきたいと思っています。

訃報:エドムンド・デスノエス | MARYSOL のキューバ映画修行

訃報:恩師マリオ・ピエドラ教授 | MARYSOL のキューバ映画修行

 

さて、上のお2人との出会いは中年以降のことでしたが、自分の幼い頃や青春時代を(今思えば)刻印した、と思えるお2人が、やはり今年 他界されました。

 

★ひとりは、『鉄腕アトム』の歌詞を書かれた谷川俊太郎氏(詩人)

『鉄腕アトム』は、小学生のとき欠かさず見ていたアニメ。

主題歌も大好きで、特に「心優し~ラララ 科学の子~」という歌詞を口ずさむときには、子供ながらに誇りを覚えたものです。戦後生まれの自分たちは、迷信や因習に惑わされず、合理的な考え方ができる“新しい人間”だと自負していたからです(笑)。

 

 

谷川氏は詩人として有名ですが、私にとっては、氏が作詞した歌の方が身近。

下のCDも好きでよく聞きました。谷川さんの作詞の歌がいくつかあります。

 

   

 

『死んだ男の残したものは』

 

もうひとりは、新川和江さん(詩人)

 

わたしを名付けないで/娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください
わたしは風/りんごの木と/泉のありかを知っている風

 

上の一節は「私を束ねないで」という詩の一部ですが、今思うと〈自分の心の核〉になった気がしています。もし、この詩に出会わなかったら、人生が変わっていたかも…

また、新川さんの詩を通して、ガブリエル・ミストラルと出会えたのも幸運でした。

訃報(19日):田村さと子さん(享年72歳) | MARYSOL のキューバ映画修行

 

同じ時代を生き、導いてくれた故人(または作品)との出会いに、心から感謝(合掌)。

15日に閉幕した第45回ハバナ映画祭(新ラテンアメリカ国際映画祭)

今年は開催前にキューバ全土で停電が多発・長時間化していたので、果たして無事に開催できるのか、密かに心配していました(実際、これほど危機的状況ではなかった過去の映画祭でも、上映中の停電による中断や中止を体験していたので)。

 

下のビデオは、困難な状況の中で映画祭を開催できた事の意義や次回への課題を語るアレックス・トリアーナ・エルナンデス氏(ICAIC=キューバ芸術映画産業庁長官)@ICAICロビー

 

 

そして、今年の話題は、世界配信に先駆けてNetflix製作『百年の孤独』を2話を上映したこと!

 

『百年の孤独』に出演しているキューバの女優、ジャケリン・アレナルも登壇しました。

一方、上映後の観客へのインタビューでは、感動を語る声に混じって、Netflixの配信がないキューバならではの声も聞かれました:「この上映は罠だわ。だって、続きを見るにはどうしたらいいの?」

 

ところで、映画祭開催に合わせて、ACC(映画人集会)が〈キューバ映画の危機的状況や当局による不当な選別〉を告発していましたが、その懸念が現実のものとなってしまいました。

たった12分の短編フィクション―コンペ作品―『Matar a un hombre(直訳:ある男を殺す)』(2024年)が、停電を理由に上映されなかったのです。

           

 

同作品の監督、オルランド・モラ・カブレラ氏は、最初の上映中止の時点で、検閲への懸念、映画祭にかけつけた仲間たちの落胆などをFBで吐露していましたが、閉幕の日、一連の経過を含め、告発の投稿をしました。

そのなかで監督は、検閲の理由として〈同性愛〉や〈暴力〉を扱っているからではないかと推測していますが、主要な登場人物が高位の軍人だという点が問題視されたのかもしれません(ネット情報による推測)。

              

 

本作はマルケスとも縁の深い「国際映画テレビ学校」の製作。同校からは「芸術や思想におけるいかなる排除をも拒絶する」「こうした出来事から再確認すべきは、視聴覚芸術を促進し、違いを受容できる観客を育てることの重要性だ」との意見表明がSNSでされました。

 

カブレラ監督の告発は次のような言葉で締めくくられています。

「この映画祭では、国際映画テレビ学校(この威信ある学校の原点を忘れるな)の作品が検閲される一方で、文化的帝国主義に門戸が開かれ、米国のエンターテインメント企業の超大作が目玉になった」「〈シネ〉という言葉は、ギリシャ語で動きを意味する〈キネ〉に由来する。動であってこそ存在でき、不動や停滞のなかには存在しない。映像や音、芸術の変える力を余りにも怖れすぎている」。

 

追記

*『Matar a un hombre』その後

映画祭閉幕後、在ハバナのルドウィッグ財団(17日)とノルウェー大使館(19日)の2か所で、上映会が開催された。

監督は、作品が観客を得たことへの深い感謝と共に、「映画祭から排除された苦しみは軽減されない」とし、「全てのキューバ映画が国内で観られるようになることを切望している」「現在の状況では、倫理的および美意識による要求をもって、我々の社会政治的現実に存在する矛盾を問う映画は、必然的に抵抗の映画となる」と投稿した。

 

*21日、オルランド・モラ・カブレラ監督、逮捕・釈放

ACCのFB投稿によると、21日午後12時30分、内務省の係官3人によってカブレラ監督は身柄を拘束され、Zapata y C 署に連行された。

この措置に対し、ACCはカブレラ監督との連帯の意を表明した。

 

この投稿の数時間後、カブレラ氏本人がFBで「もう家に戻っている。私は大丈夫だ。ありがとう。強い抱擁を」と投稿した。

今年のノーベル平和賞が「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に贈られ、10日にノルウェーのオスロで授賞式が開かれました。

おめでとうございます!


私はリアルタイムで見られなかったので(自分のために)代表委員の田中熙巳氏の演説をここでシェアしておきます。



 

「受賞を喜ぶだけにとどまらず、おのおのが身の回りに平和の尊さを伝える努力が必要だ」

(被爆者のひとり、堀田武弘氏の言葉/新聞報道より)

私がキューバ映画に興味をもったきっかけも、核戦争の一歩手前までいった「キューバ・ミサイル危機」が扱われている映画『低開発の記憶』
60年代に武力革命を推進していたキューバで、この映画は何を言おうとしているのか、知りたかったから。

 

 

しかも映画を通して聞く声は、意外ながらも共感し尊敬できる意見が多く、伝えたい、共に考えたい!と思ったから。
例えば、「チェは、革命の輸出よりも、キューバに社会主義国家を建設することに尽力すべきだった」と言ったエドムンド・デスノエス(『低開発の記憶』の原作者で脚本担当)の言葉は一考に値しないでしょうか?

正義と戦争 | MARYSOL のキューバ映画修行

「戦争がない平和な世の中でしか自分の道を切り開くことはできない」
(日本被団協・横山照子理事の言/ビデオ2分30秒あたり)
ノーベル平和賞受賞がもたらすもの「今が転換点」被爆者たちが核廃絶に向けて次のステップへ《長崎》(2024年12月12日掲載)|日テレNEWS NNN

 

「行動を起こすための最初の出発点は(被爆者の)重要な声を聞くことから始まる」

「つらい過去をきちんと記憶することは、私たちがどんな社会を創造し、どのように前進していくかという点において重要だ」。(ノーベル賞委員会のフリードネス委員長)

 

キューバを考えることと、日本を考えることは繋がっている。

 

拙ブログ関連投稿:広島の意味 | MARYSOL のキューバ映画修行

キューバだけでなく、ラテンアメリカおよび世界の映画ファンが待ち望んでいる「国際新ラテンアメリカ映画祭(通称 ハバナ映画祭)」。

45回目を数える今年は、5日から15日まで開催。

 

今年の話題は、ネットフリックス製作の『百年の孤独』の1話と2話が世界配信に先駆けて上映されること。

マルケスも喜んでいるでしょうか。

 

 

 

下の映画祭スポットでは、ICAIC初代長官でハバナ映画祭の起ち上げにおいても中心的役割を担ったアルフレド・ゲバラの生誕百年を記念する企画を始め、様々な特集イベントが、歴史的な映像を交えて紹介されています。

 

 

また、こちらでは、映画祭のテーマ音楽を紹介。

これを聞くと一気に〈ハバナの映画館に戻った気分〉になります…

ホセ・マリア・ビティエルの作曲・ピアノ演奏だったんですね。

 

 

後半に登場するのは、映画批評家のカルロス・ガリアーノ氏。

第1回目から「映画祭レポート」を担当したとのこと。

現在の「映画祭新聞」の前身です。

キューバの歌手、ミリアム・ラモスが今年度の「キューバ音楽賞」を受賞しました。
おめでとうございます👏👏👏


 ※写真は以前のものです。


彼女のことは、2013年にクーバディスコで大賞を受賞したときに拙ブログで紹介しましたが、

Cubadisco 2013 | MARYSOL のキューバ映画修行

すでに紹介した動画の半分が閲覧できなくなっていたので、新たな動画を探したところ、彼女の生い立ちや歌手としての歩み、姿勢が分かるドキュメンタリーを見つけました。
お祝いの記念にアップします。

 『ミリアム・ラモス ある女、ある歌、ある都会』 2013年

 

上のドキュメンタリーから分かったこと。

★1963年(16歳)それまで学校の合唱団で歌っていたが、卒業と同時にプロの合唱団に入団。
1964年、フランク・エミリオのピアノ伴奏で、ソロデビュー。「スター誕生」と評価される。


★ラジオやテレビ番組を任される。

★ソフトな雰囲気と人柄だが、音楽については妥協しない。
★印象的な言葉
 (聴衆にこびない理由)「真実から始めることは簡単なことではないが、マルティが『音楽にはその人が出てしまう』と言ったように、自分を裏切ることはできない」

「70年代終わりに、アルゼンチンの歌手ナチャ・ゲバラがキューバを訪れたとき、自分が抱いている焦燥感を話した。彼女は『分裂が起きると、常に真実が置き去りにされてしまうから、真実を見つけ出し、取り戻さなければならない』と言った」

「私がしたいのは、エモーションを通して、聴衆を内省に導くこと。これまで私は自分の望むことをし、その意味で自分自身に忠実だった、と大きな満足をもって言える」

キューバのインディペンデント映画の旗手、ミゲル・コユーラの最新作『不条理のクロニクル』(77分)がアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭のEnvisionコンペティションで最優秀作品賞を受賞!

 

沈黙を拒否するアーティストのラディカルな精神と、それを体現するラディカルな形式に対して、最優秀作品賞と賞金15,000ユーロが授与された。

おめでとうございます!!!

 

※本作についてはこちらで紹介しました↓

ミゲル・コユーラ監督の新作がIDFAでワールドプレミア! | MARYSOL のキューバ映画修行

 

ミゲル・コユーラ監督の受賞の言葉

「私たちはキューバのような機能不全の国に住んでいます。昼も夜も停電しているところからここに来ました。実際、皮肉なことに『不条理のクロニクル』も停電から始まります。 そして、今このときにもキューバには沢山の政治犯がいます。それでも、私たちはキューバに住み、キューバで映画を撮り続けたいと思っており、完全な独立を手にする唯一の方法として、システムの枠外で映画を作りたいと思っています。完全な独立とは、自分たちの懐から製作費を出すという意味ではなく、形式と内容における独立という意味です」。

  

  
  写真左からオルワ・ニラビア映画祭ディレクター、リン・クルス、コユーラ監督 

 

また、監督のパートナーであり、共同製作者にして出演もしている女優で作家のリン・クルス(写真中央)は、自身のフェイスブックで、映画祭招待にまつわるディレクターからのメールを公開した。

 

親愛なるミゲルとリン

今日は一日中映画を観すぎて疲れていたので、あなた方の映画は明日見ようと思い、リンクの機能だけ確認しようとしたら、目を覚まされました。我々は皆 驚嘆しています。あなた方が成し遂げた仕事は卓越しています。この映画で我々が共有する個人的/政治的経験が傑出していることは明白です。そして、私たちの連帯もまた明確であるべきです。 しかし、これは『不条理のクロニクル』がどのように生まれたのかということでもあります。そのプロセス、勇敢な芸術的選択、この巨大な痛みを私たちと共有する方法は、見事で有機的であり、心底から正直で愛に満ちています。 この愛と怒り...それらは今、私たちのものです。

翌朝、私はアパートに向かって歩きながら、どれだけ多くの人にこれを見せたいか考えました。この映画を多くの人に見せられる仕事についていることを嬉しく思いました。 だから私たちはここにおり、あなた達と共に、あなた方のそばにいます!

 

また、別の投稿では、こんなことも。。。

『不条理のクロニクル』は、自分が関わった映画のなかで最も不愉快な作品。でも、もしかすると、ユーモアは私達がもっている最強の武器かもしれない」

 

さて、ミゲルとリンは、このあとスペインに行き、25日にマドリッドのカサ・デ・ベラスケスにてミゲルの著作の紹介イベント、26日にはカサ・デ・ラス・アメリカスで『Nadie』の上映会に出席します。

実り多い旅になりますね!

 

追加映像

コユーラ監督とリン・クルス(主演女優)の受賞の言葉(スペイン語字幕付き)

今年で第5回目となるキューバのインディペンデント映画祭、INSTAR映画祭が11月3日に閉幕した。

INSTARことハンナ・アーレント芸術活動研究所を主宰するタニア・ブルゲラいわく、今年の快挙は国際化。バルセロナ、マドリッド、ミュンヘン、パリ、バークレーと開催地が4か国に広がった。ちなみに、キューバからはオンラインで上映作品の鑑賞が可能だった。高額なネットサービスに加え、経済的および日常生活の余裕のなさ(移動や買い物の際の長い行列)にもかかわらず、予想以上のアクセスがあったという。

 

もうひとつの快挙は、新しいキューバ映画の雑誌「Fantasma Material」(Rialta出版)の刊行。

 

約2000本の応募作の中から選ばれた上映作品は37本。

そのうち、キューバの作品は21本。

 

最優秀作品に贈られる「ニコラス・ギジェン・ランドリアン賞」は、製作国でタブーになっているテーマを扱っている作品を対象に授与される。

今年は、キューバ出身のアレハンドロ・アロンソ監督の『La historia se escribe de noche(仮:歴史は夜書かれる)』(キューバ・フランス合作)が受賞。

内容:大停電による暗闇に覆われるキューバ。焚火の火が時代の終わりを告げるかのように見えるなか、人々は闇から逃れようとする。だが、監督とその母は自宅に引きこもり、母は数年来 悩まされている幻覚を語る。

 

 

また、Nastia Korkia &Vlad Fishez共同監督による『Dreams about Putin』(2023年、ベルギー・ハンガリー・ポルトガル合作)に「スペシャル・メンション」が授与された。

 

映画祭委員長は、キューバ出身で今はスペイン在住の映画監督、ホセ・ルイス・アパリシオが務めた。

 

拙ブログ関連記事:

2022年のINSTAR映画祭

キューバ独立系アーティストたち@「ドクメンタ 15」 | MARYSOL のキューバ映画修行

 

2023年のINSTAR映画祭

新旧映画祭と検閲:ハバナ映画祭・INSTAR映画祭・映画人集会 | MARYSOL のキューバ映画修行

ミゲル・コユーラの最新作、しかもドキュメンタリー映画が、来月開催されるアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭の「エンヴィジョン・コンペティション」(実験的で先鋭的な作品を集めている)に出品されることになりました!


タイトルは、Chronicles of the Absurd(原題:Crónicas del Absurdo) 2024年/77分

『(仮)不条理のクロニカル』


内容映画祭サイトより訳出)
キューバのアーティストは国営の芸術協会による認定が必要なため国家のビジョンやポリシーに合う仕事しかできない。インディペンデント・アーティストとして存在することは、無収入で何の権利もなく、様々な類の統制と脅しの下に置かれることを意味する。

インディペンデント映画監督のミゲル・コユーラは、2011年に自身のディストピア的な新作『ブルー・ハート』に新進女優のリン・クルスをキャスティングしたのだが、それは2人にとって職業的かつロマンティックな結束となると同時に、本作の始まりとなった。つまり、その後に被る広範囲におよぶ個人的および制度的圧力の構造 ―実にカフカ的な― に晒されることになったからだ。

本作は、主に録音素材、その多くは秘密裏の録音を通して、断片的に複数の事件を伝えている。発言は視覚的に表示され、会話のダイナミクスを強調しつつ、ショットやロゴ、映画ポスター、アントニア・エイリス(キューバ出身の画家)の絵と組み合わされている。
簡素なフォームは、キューバの映画監督たちが直面する数々の辛苦の反映であり、彼らの表現の自由は、ディストピア的なシステムにより日々侵害されている。

トレーラー 



映画祭ディレクターのオルワ・二ラビア氏いわく

「今年観た中でアーティスティック的に最も勇敢な(valientes)作品のひとつ」

 

プレス発表で本作について語オルワ・ニラビア映画祭ディレクター
 

Marysolより
恥ずかしながら、アムステルダム国際映画祭(通称IDFA)について何も知らなかったのですが、ネットで矢田部吉彦氏のレポート(2022年の映画祭に審査員で参加)を読んで、IDFAが《世界最大規模のドキュメンタリー映画祭》であること、しかも《作品選定からタブーを無くし、自由な議論を可能にしている》と知りました。
自作が論議を招くことを歓迎するコユーラ監督にとり、最高の発表の場となることでしょう。

矢田部氏のレポート

 

追記

11月19日

昨日初上映され、コユーラ監督のFB投稿によると「カフカ風の傑作と評された」そうです。

 

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