ロバート・レッドフォードが亡くなって1ヵ月半も経ちましたが、訃報と共に、彼の主宰するサンダンス・インスティテュートとキューバおよびラテンアメリカ映画との結びつきについて、初めて知ったこと、忘れていたことがあったので、遅ればせながらまとめてみました。
レッドフォードが最初にキューバを訪れたのは、1988年5月。
当時の米国はレーガン政権下で、彼のキューバ渡航が禁輸措置に違反しなかったか、米財務省は彼を調査したそうです。本人は「文学関連のワークショップに参加するため」と話すにとどめたようですが、ネット上の記事によると、フィデル・カストロと会見(短い談話程度?)したほか、ハバナ郊外にある国際映画テレビ学校を訪問し、そこでガブリエル・ガルシア=マルケスと会ったことが、こちらの記事で判明。写真も記事から拝借。

2人の出会いは1988年のハバナだったのですね。
翌1989年のサンダンス国際映画祭で、マルケスの原作をベースにしたラテンアメリカ映画シリーズ、“Dangerous Loves”(※1参照)が上映されました。
ということは、前年のハバナ訪問はそのための打ち合わせだったのでしょうか。
1995年、『苺とチョコレート』(トマス・グティエレス・アレア監督/1993年)をサンダンス映画祭で上映。映画は、審査員特別メンションを受賞し、キューバ映画の存在をアピールしました。

アレア監督とレッドフォード(1995年のアカデミー賞授賞式前の2人)
その後も同映画祭で『Memorias del Desarrollo (邦題:セルヒオの手記)』(ミゲル・コユーラ監督/2010年)、『Boleto al Paraíso(仮:楽園への切符)』(ヘラルド・チホーナ監督/2010年)、『Tundra』(ホセ・ルイス・アパリシオ監督/2022年)が上映されたほか、アルマンド・カポ監督の『August』にグローバル・フィルムメイキング賞を授与。米国におけるキューバ映画の紹介に貢献しました。
もちろん、キューバだけでなく、ラテンアメリカ映画との交流にも力を入れました。
レッドフォードの意見:「ラテンアメリカ映画は政治や社会の抑圧と関係の深い作品が多い。彼らは、わずかな中から驚くべき機知や工夫を発揮する。そこには、チャンスと飛翔する想像力と神話がある」。
2004年1月 レッドフォードが長年温めてきた企画で、しかも製作総指揮を務めた映画、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォーター・サレス監督※2)をキューバのシネマテカで紹介するために再びキューバを訪問。上映会には、チェ・ゲバラの未亡人と娘の両アレイダさん、チェの戦友、ラミーロ・バルデス情報通信大臣(当時)、アルフレド・ゲバラ(ICAIC重鎮)らが出席。エル・パイス紙によると、〈レッドフォードはチェ・ゲバラの家族に映画を観てもらえることに興奮していた〉。また、ホテル・ナシオナルでフィデル・カストロと再会し、政治と文化、ラテンアメリカの物語りへの関心などについて語ったそうです。

2018年、サンダンス・インスティテュートがラテンアメリカ映画に門戸を開いてきた功績に対し、ハバナ国際映画祭(新ラテンアメリカ映画祭)が名誉コラール賞を授与。レッドフォードは授賞式に出席できませんでしたが、ビデオメッセージで、感謝の意と共に、映画人同士の架け橋になる大切さを強調しました。
さて、上のレッドフォードとキューバの映画交流史に『ハバナ』(1990年)も入れたかったのですが、フィクションだし、撮影地はハバナではなく、ドミニカ共和国。
ところが、意外にもプロデューサーで監督も務めたシドニー・ポラックとキューバの興味深い関係が判明したので、引き続き紹介します。

『ハバナ』は、1958年12月というバティスタ政権末期を背景に展開する、アメリカ人のカードギャンブラーと革命闘士の美しい人妻のラブストーリー。
キューバでの撮影を望んだポラックは、キューバ政府にシナリオを見せ、(もうちょっと革命を描いて欲しいとの要望はあったものの)撮影許可を得ました。しかし、〈4000万ドルという巨額の製作資金をキューバに投入するのは許せん!〉と、米財務省が許可せず。
キューバのトマス・グティエレス・アレア監督は、ポラックに「もしハバナで撮影するなら、ぜひ自分をコンサルタント兼助手として参加させて欲しい。最先端の映画産業の映画作りに興味があるし、学びたい」と手紙を書いていたのですが。

アレア監督とポラック監督
ポラック監督としては、〈ハリウッドはキューバ革命を映画で取り上げたことがない。革命を背景にラブストーリーを撮れば、あまり政治的にならず理想的〉と考え、主役にレッドフォードとレナ・オリンを据え、豪華スタッフをそろえたのですが、期待に反し、映画は米国では不評。
一方、ハバナ映画祭でも上映され、「キューバの観客には好評だった」とはポラック監督の言。
フィデル・カストロも観たそうで、ポラック監督に「映画は気に入った。ハバナで撮影されなかったのが残念だ」と言ったとか。
ちなみに、カストロ政権についてのポラックの意見:「腐敗した政権があった。その後、革命は教育と医療において良い結果をもたらした。しかし一人の男が絶対的権力をもつのは私には危険に思える」。
ところで、ポラック監督のキューバ訪問は1990年が初めてではなく、なんと1977年が最初。
ヘミングウェイの最後の妻、メアリー・ウェルシュがキューバを訪れた際に、映画人のグループも同行しており、「グループの中心的人物がシドニー・ポラックだった」と一行の案内役を務めたICAICのミゲル・トーレス氏が書いています。その記述によると、ポラックは昼も夜も至る所で写真を撮っていたとか。ヘミングウェイの映画を撮りたかったほか、革命後のキューバで初めて映画を撮る米国人監督になりたかったそうです。
こうして見ると、映画『ハバナ』には、ポラック監督とレッドフォードのキューバに対する思いが込められていた気がします。やはりハバナで撮って欲しかった!
※1 日本で1990年、新ラテンアメリカ映画祭‘90にて〈ガルシア=マルケス映画特集〉“愛の不条理シリーズ”として上映された7本の映画と同じプログラムではないかと推測します。

※2 ウォルター・サレス監督といえば、『セントラル・ステーション』(1998年)がベルリン国際映画祭を始め、世界各国の映画祭で賞を獲得しましたが、最初の受賞は1996年の「シネマ100・サンダンス国際賞」でした。
レッドフォードの言葉:「『モーターサイクル・ダイアリーズ』はウォルターとコラボレートできる完璧な題材に思えました。キューバの革命指導者チェ・ゲバラがきわめて扱いに注意を要するテーマにもなりうることを思えば、なおさらでした。ウォルターなら、のちのエルネストの政治的な部分に焦点を当てるのではなく、詩情あふれる人間性を描き、この物語を見事に舵取りしてくれるだろうと、私は確信していました」。(映画プログラムより引用)