DESARRAIGO(1965年) | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

DESARRAIGO/1965年/モノクロ35ミリ/77分/ドラマ

監督:ファウスト・カネル

脚本:マリオ・トレッホ(アルゼンチン出身)、ファウスト・カネル

撮影:ホルヘ・アイドゥ

編集:カルロス・メネンデス

録音:エウヘニオ・ベサ、アダルベルト・ヒメネス、ヘルミナル・エルナンデス

 

出演:セルヒオ・コリエリ(マリオ)、ヨランダ・ファル(マルタ)、フリオ・マルティネス(マルタの夫)、レイナルド・ミラバジェス(ロベルト、プラントの監督)、フェルナンド・ベルムデス

 

受賞歴:1965年度サン・セバスティアン国際映画祭 審査員表彰

ストーリー

マリオは、アルゼンチン出身でパリに住む技師。1964年、仕事でキューバに来るが、革命にも関心をもっていた。ハバナに着くと、仕事仲間となるマルタを紹介される。二人は東部のニカロで働くことになっていた。だが、派遣の日を待ちながらハバナで過ごすうち、二人の仲は恋に発展していた。さて、ニカロに赴任してみると、現場は無秩序で混乱しており、様々な困難に見舞われる。マリオはマルタに「パリで一緒に暮らそう」と提案する。だが、彼女は受け入れず、二人の恋も暗礁に乗り上げる…

  

 

注目点

★ポスターにまつわるエピソード

幻のポスターが明かす作品の意図とICAICの事情 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

★革命の問題点が端々に盛り込まれている。

・経済封鎖による物資の欠如(インクやコーヒーに始まり機械部品まで)

・無秩序による職場の混乱、能率の悪さ

・煩雑な書類手続き

・再教育のための労働キャンプ

 

★教育映画的要素

・革命前のニカロの様子や当時ニッケル鉱山で廃棄されていた鉄の再利用計画(製鉄所建設)

 

★映画『低開発の記憶』(1968年)との類似点

a.シーン的類似性

・セルヒオ・コリエリとジョランダ・ファルが恋人同士を演じている。

・マルタと元夫の暮らしぶりやラストの空港でのコミュニケーション不全の表現

b.テーマ的類似性

・ヨーロッパ嗜好とラテンアメリカの現実への自覚:

 マリオの台詞:「ラテンアメリカはひとつの国」「パリで別の世界の人間だと自覚した」

・後進性(低開発)への言及

 マルタの台詞:「ある日鏡のなかの自分が後進国の人間だと気づいたのね」

*ただし本作の場合は、ヨーロッパ(パリ)で暮らすアルゼンチン人が、キューバ革命を通して、ラテンアメリカ人としての意識に目覚め、ヨーロッパに戻る意味がないと悟る。

 

ファウスト・カネル監督の言葉 (ENDACより訳出)※はMarysolが加えた注釈

「当時、私は言った。『Desarraigo(※祖国喪失、根こぎ)』― 最初のタイトルは『甲斐あること』― は映画としての価値はあるものの、脚本がひどい、と。エピソードを映画として表現できなかった。一方、見かけほどアントニオーニ風ではない。むしろアンチ・アントニオーニ風だ』」

    

「今42年を経て私はこう言う。あれ以来はじめて本作を見返して思うに、脚本には欠陥があるものの、歳月を経たにも関わらず、意外な新鮮さを保っている、と。本作の準備中、私は(本作とは関係のない理由で)(※公安に)逮捕されていた。釈放され、脚本家のマリオ・トレッホと会った。彼は、契約終了前でまだキューバに居て、私を捜した末に(ICAICでさえ私の行方を知らなかった)、空っぽの私のオフィスに脚本の第一稿を置いて行ったのだった。オランダ出身のドキュメンタリー監督、テオドール・クリステンセンは、当時キューバ映画人の相談役を代行しており、私が脚本を直すのを手伝ってくれた。少なくとも映画的バイブレーションを加える必要があったからだ。

マリオ・トレッホは、そもそもが詩人だった。しかし批評を加えることを知っており、革命のプロセスの途方もない欠陥への批判を観客に面と向かって投げかけた。それらの欠陥は、以前にも増して今日意味がある。

 

本作は、テーマといい配役といい、トマス・グティエレス・アレアの『低開発の記憶』の直接的な前例でもある。

しかしながら『低開発の記憶』が革命への批判を自主的アウトサイダーの“ブルジョア知識人”の口にのせたのに対し、『Desarraigo』では、ニッケルプラントの監督本人、すなわちオリーブ・グリーンの制服を着た革命家が発している。

 

本作が引き起こし得る諸問題を意識していたアルフレド・ゲバラ(※映画産業庁長官)は、サン・セバスティアン国際映画祭で審査員表彰を受賞するまで公開を待たねばならなかった。用心深い小者だった。

 

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映画『低開発の記憶(後進性の手記)』は、キューバにおけるキューバのキューバ人によるキューバ人観客のための映画である。グティエレス・アレアが主人公と自分を同一視していたのは明白だ。そうではなく見せようとしていても…」

 

Marysolより

本作および、本作と『低開発の記憶』との関連性については、引き続き紹介していく予定です。

幸い監督はマイアミで健在で、久しぶりに連絡がとれました。

尚、本作はYoutubeで観られます(字幕なし)。

 

追記: 

チェと自作『Desarraigo』に関するF.カネル監督のメール | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

「留まるべきか否か」:映画『デスアライゴ』とチェ・ゲバラ | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)