以下に紹介する文の筆者、ファウスト・カネル氏は、ICAIC創設時に入り、68年に亡命した監督。
拙ブログでも何度か登場していますが、今回は、彼の目に映った60年代半ばのキューバの状況やポスター芸術、ICAIC(映画産業庁)とPSP(旧共産党)との確執が垣間見える一文を紹介します。
尚、“幻のポスター”と題したのは、彼の『Desarraigo』という映画がキューバでは1週間しか上映されなかったうえ、ポスター共々存在が消されてしまったため。
Desarraigo
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1964年終わり頃、私は自作『Desarraigo』のポスターについて、ラウル・マルティネスにクレジットタイトルのデザインをして欲しいとICAICに要望した。
当時ラウル・マルティネスはICAICのポスター作家グループに属しておらず、それが彼を選んだ理由のひとつだった。
というのも、ICAICのポスターはすでに高い芸術性を獲得していたが、その一方で、ある種の自己満足が見え始めていた。
ポスターは素晴らしくても、映画の“売り込み”にはほとんど貢献せず、まるで映画は〈美しく洗練されたポスターを作るための口実〉に過ぎないかのようだった。
私は『Desarraigo』で商業的ポスターを作ろうとしたのではない。だが、映画を表現し、観客になり得る人々の関心を引こうとした。
ラウルは当時の最も重要なデザイナーの一人で、革命前は大手広告代理店のクリエィティブなディレクターとして活躍していた。私は彼の友人だったし、彼の作品が好きで、その経験を評価していた。
『Desarraigo』のクレジットタイトルは、キューバ映画の中でも最も独創的な類に入ると思う。
アイディアはラウル・マルティネスのもので、歯車のアイディアも彼だ。
歯車とその歯車にぶつかって弾かれ、言葉を構成し得ない文字。そこに表現されているのは、当時すでに国内産業に兆していた無秩序・混乱―これが映画の中心軸―だ。
また、「サン・セバスティアン映画祭審査員表彰」と記されているが、これは1965年6月の映画祭から半年後にラウルが付け加えた。
当時アルフレド・ゲバラ(ICAIC長官)は、PSP(旧共産党)から攻撃されていた。
「PM事件」―アルフレド・ゲバラによる「7月26日運動」のリベラル派の解体―は、ゲバラに権力を与えるより、むしろ一生消えない傷となったことを、旧共産党員たちは分かっていた。彼らは、ゲバラを破滅させ、自分たちが真の《革命的芸術》すなわち《社会的リアリズム》の主唱者となろうとしていた。
このPSPの攻撃に対し、ゲバラは主張した。海外における革命に対するポジティブな評価を維持できるのは、批評的な映画だと。
そして、辛辣な作品を製作するという政策のもと、啓蒙的な(教養豊かな)革命のイメージを作り上げた。
ところが、PSPが攻撃したのは、まさにこれらの映画だった。ゆえにゲバラは、作品が海外の映画祭で受賞するなど、外国の意見を味方に付けるまで公開に踏み切れずにいた。
『Desarraigo』のポスター製作もサン・セバスティアン映画祭の受賞があって、ゲバラのゴーサインが出たのだった。
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